永遠の闇 [夜活]

残暑の空に、風の歓声が上がる。
纏わりつくような闇を、音もなく転がり落ちる壊れた秒針。
 
一体誰が、この祭の始まりを歓迎すると言うのだろう。


がらんとした街角に佇む僕と、猫。
遠い始まりを懐かしむように地球がそっと目を瞑る。さざ波が止む。
 
全てが終わりそうな、夜の始まりに。

 

自然神からの警告

24時間テレビ番組にフジロック‥。

人類が緊急事態宣言下にあり、自然神からの厳しい謹慎生活ないしは自粛生活を言い渡されている最中に、なぜここまで不謹慎なイベントを開催出来るのか?

だからウィルス・パンデミックを主軸とした人口削減計画が、止まることなく進んで行くのです。

要らぬ欲望や衝動をかき立てて、『あの頃は良かった』等と悪しき過去を思い出させて、結局やりたいことは消費(浪費)衝動の煽りでは?

地球は寝不足に陥っているのです。
そんな危機的な状況に陥っている地球にロックやらジャズ等、一切不要。
祈りを持たぬ音楽は、今すぐ全滅させるべきです!

無音の平野、自然音だけの安らかな世界に先ず、地球を戻してあげるべきです。


娯楽や爆買い消費や旅行等を目的地とした空の移動等全て禁じて、今やるべきことは兎に角地球に無限の休息をもたらすこと。
人類が為すべきは、ただそれだけてす。


いい加減、人間どもは目を覚まし無休の反省行動に努め、慎み深く静かで厳かな生活にシフトしなさい。

魂の帰還 2. [朝活]

暖かな何かが私の顔を撫でて行った。
暖かいだけで何も無い、不思議で久しい感触だった。

ほんの僅かな獣の臭い。それは一瞬だけ、この世に忘れ物を取りに還って来た彼の魂だ。
 


間もなく虹は消えて行く。
彼方まで渡り切ったうさぎの両脚が最後の七色を蹴り上げたら、夢が終わる。

吉田美奈子と闇の中の私

特にこの二週間近く私は、大好きだった(なぜ過去形になっているのかと言う理由は記事後半で)吉田美奈子さんの旧作を、多くの時間を費やして聴いている。
私が長い間歌の伴奏をやって来た日々の中、ほぼ同時期で最も輝いていた美奈子さんを私は、こともあろうに全て見失ってしまっていたことに気が付いた。そのことの気付いた時には既に、美奈子さんは刻々と輝きを失い始めていた。

 

1998年頃からの10年近く、私は人生で最も深い闇の中を歩んでいただろう。
勿論表面的には最も輝いていた時期とそれとが重なっており、時折当時の友人の誰かに私が置かれていた状況を話しても、誰一人取り合ってはくれなかった。だが私の闇は人が想像するよりも深く険しく、PTSDから全快出来ていなかった私のメンタルは一時期の回復を裏切るように刻々と悪化して行った。

最近メンタリストDaiGo氏のYouTubeの発言が問題になっているが、私も他人事ではなかった。
どっちに他人事ではないのかと言うと、上に書いた当時の私がまさにホームレス生活の真っ最中だったと言う意味での「他人事ではない」と言う意味である。

 

切っ掛けは単純なこと。ある日諸々の重圧に、張り詰めていた心の糸がぷつんと切れてしまった。
もう何もかもがどうでも良くなり、生きる気力も活力も仕事への熱意も何もかもが突然色褪せて、生きていることや生きようとする気力が遠い昔のことのように思えた。

一度そういう状況になってしまうとあとは加速度を付けて転がり落ちて行くだけで、気付くと私は都内のある場所に遭難から生き延びた人のように崩れ落ちていた。正直そこからのことは、今も殆ど思い出せない。
その後持病の発作が起きて当時の恩人に命を救われて、ある冬の朝病院のベッドの上で目が覚めるまでの多くの出来事を、私は今でも明確には思い出すことが出来ずに居る。

 


2008年2月14日にSNS「mixi」で現夫が私のホームに足跡を残してくれた瞬間、止まっていた私の運命の輪が回り始めた。
色んなことに疲れ果てていた私は丁度、亡霊の館からの転居を命からがら果たしたばかりだった時。愛兎の先代「桃樹」と共に人生の再起をはかっていたある夜、夫が人生の呼び鈴を高々と鳴らしてくれた。

一言二言のmixiメッセージの直後に私達は直ぐに電話で会話を開始し、それが一週間とか十日とか続いた辺りからもう、これは会って目を見て話しをしないと携帯電話代で彼が破産してしまいやしないだろうかと心配になり、その夢は丁度一ヶ月後の2008年3月14日に実現する運びとなる‥。
 

吉田美奈子さんの話題に話しを戻そう(笑)。

丁度私が闇の時代の奥底に在った頃の彼女が、今振り返ると一番輝いていたように思えてならない。そしてその当時の美奈子さんの年齢に、少しずつ私が接近している。

YouTube吉田美奈子LIVE STUDIO721 2004/9/25を視る前に私は、本音を言うと別の最近の美奈子さんの動画に強いショックを受けた。
それは私が思う彼女とは全くの別人のように変わり果てた、老いた彼女の姿に対するものだ。

吉田美奈子と低音楽団】ライブの裏側に密着!【ゴールデンウィーク特別編

 
人間生きていれば、いつかはそういう時が訪れる、とは分かっているものの、やはりその状況を目にすると冷静ではいられない。
だが、揺れ動く私の中に目を引く作品があった。YouTube吉田美奈子と低音楽団】ライブの裏側に密着!【ゴールデンウィーク特別編】の中で美奈子さんが歌う「夜の海」(11:37辺りから)だ。

 

 
基本的に私は生演奏否定派であり、作品を生み出す瞬間の大きなエネルギーこそが真の音楽だと言う持論は今も変わっていない。だがそんな私の持論を、老い始めた美奈子さんが一瞬だけ変えて行こうとする。

発声もよろついて声のアタックのポイントもずれて、出したいタイミングで本来出すべき声が出ていない。エネルギーと若々しさが枯れ始めた美奈子さんではあるが、振り絞るような声には不思議と何かしら説得力を感じさせるものがある。

それでも音楽評論家としてこのライブを冷静に論評するならば、やはり音楽以前の何かがごっそり抜け落ちた「唸り」が在るだけで、音楽としては聴けない‥ と言うのが本音である。

 

だが時に音楽は、そうした絶妙の悪条件が出揃った時だからこそ初めて、人々に音楽以上の何か目に視えない感覚を互いに引き出して行く場合があるのかもしれないと、私はこの人 吉田美奈子さんのライブだけは別ものと考えようと意識を改めかけている(未だ完全に改めたわけではないけれど)‥。

 

そうこうしながら彼女の旧作を最初はサブスクリプションで探していたものの、配信されているアルバムは余り多くはなかった。
丁度私が完全に闇落ちしていた頃の彼女のアルバムは、まるで示し合わせたかのようにサブスクリプションには登録されておらず、それどころか各CD自体も絶版に近い状況になっており、やっと見つけたかと思うとプレミアが付いて酷く値上がりしていた。

そんな折、私がそっとAmazon 欲しいものリストにラインナップしていた美奈子さんのCDを、数名の誰かが私の自宅に贈り届けてくれた。今、それを聴いている‥。

 


音楽は心で奏でるものではない。技術とスキルの蓄積と、さらに付け足すならばテレパシックな感覚を以て生み出すことが望ましい。

自らの稚拙な経験だとか恋愛の過去話だとか、そんなものを題材にしているからここ最近の日本のポップスは質が著しく低下したのだと私は思っている。
だからと言って「大人のポップス」等と言う、さらに体たらくな音楽を聴く等もっての外である(笑)。

その意味で言えば、吉田美奈子さんの多くの楽曲、アルバムに於いては感覚が硬質でとてもメタリックな構成になっている。けっして陳腐な恋愛模様等描いてはおらず、どこか哲学的で形而上学的な世界を描いているように思える。
それがけっして嫌味にならないのは、おそらく美奈子さんの高貴な気質や生い立ち等が要因かもしれない。

 

Didier Merahのプロデューサー 天野玄斎氏は数々の名言を飛ばすが、私にある日こう言った。

芸術家とは職業ではなく、生き様を指す言葉である。


私は彼のこの一言によって眠っていた全ての感覚を叩き起こされ、目覚め、気付かされ、現在に至る。それは私にとっての大きな礎であり、未来の光だ。

 
私は吉田美奈子さんと干支が同じで、一周違いで私も今の彼女に追い付く。だがその頃には美奈子さんはさらに一周先の彼女を生きている。
ロングヘアーもカーリーヘアーでもなくなった彼女が一周先の未来にどんな音楽を奏でているのか、ある意味怖くもあり、楽しみでもある。
そこに私 Didier Merah の将来が折り重なる時、音楽界にどんな変化が起きているのかと考えるだけで、とてつもなくわくわくして来る。
 
 
追記:
ピアニストとして一つ気になったことがあるとすれば、 YouTube吉田美奈子LIVE STUDIO721 2004/9/25 の中で鍵盤担当の 倉田信雄さん が本当に素敵な演奏をしていた事。
段々と日本から良い音楽家や音楽評論家が消えて行く今、私は両方の肩書を抱えてこれからも切磋琢磨して行こうとあらためて心に誓った。

 

魂の帰還 [朝活]

名もない星が一つ、地上へと降りて行った。
神々から許可が下りたので、もう一度そこからすべてをやり直したいと彼女は云った。

若い夫婦が住む家。そこは百年前に最後にいた場所。 

 

 

誰かの記憶が溢れ出て、若い母親の頬をとめどなく伝い降りて行く。

もうすぐ彼女が還って来る。

虹とシュールレアリスムとランチ

木曜日。本当ならば週一回の自由日、安息日の今日だが、予定では自宅で静かに読書でもする筈だった。
だがこういう日に限ってLINEがポンポン鳴り始め、私はAKB48全盛期の前田敦子のように、町の知人・友人達とランチのご相伴の取り合いになる寸前だった。

誰にも会いたくない日があれば、誰かと会ってこの瞬間を分かち合いたい日もある。
今日は後者だった。

少し眠って体力も戻っていたので、若干重たい話題でも何とか心身耐えられそうだと考えていると、その「重たい話題」をふんだんに持っている人物(A氏)からLINEが入り、「霊の話で申し訳ないのだが付き合ってはくれまいか?」とメッセージ。
他に二人からLINEが折り重なって届く中、最も話題が重たくなりそうな人物を私は選ぶことにした。

 

話題は重たいが、冗談抜きで財布はかなり軽くなっていたので、幾つか安い価格のランチをセレクトして現地に向かう。
第一候補の店舗にどうやら新型コロナ肺炎の陽性者が出たようで、その店舗は今月一杯臨時休業の看板が出ていたので、直ぐに先方に連絡して待ち合わせ場所を駅ビルに変更した。
そして第二候補の店舗がランチタイムに開店している状況を確認して約束の場所にむかおうとしたところで、申し合わせたように待ち人来たるでそのまま目的の店舗に直行した。

 

 

私はあいにく見逃してしまったのだが今日、早朝の空に圧巻の虹が出現したようだ。その様子を写真で見せてくれるA氏。

━ 最近やたらと虹が多く出るには理由があってな、コロナ禍で多くの旅人が出る時にあちらの世界へ行く橋が滞らないようにと、自然神が気を利かせるらしい。
それで空に、例年よりも多くの虹の橋が架かるそうだよ。


彼の話しも私に負けず劣らずシュールで、尚且つ生粋の霊能力が彼をそうさせるのか彼の話しには妙な説得力がある。

今朝、私も妙な時間にある珍事に振り回され、そのまま目が冴えて眠れずに居たところに窓からいきなり真っ赤な光が射し込んで来た。
いつもならばスマホを抱えて外に出て写真を撮りに行くのだけど、私は油断をしていない。どんな時にも新型コロナウィルスの変異株は身近にあることを意識しており、迂闊に外出はしないことに決めている。

無事に生き延びられれば、明日も来年も空を見上げる機会はふんだんに訪れるだろう。そう思い、軽く冷水を浴びて体を冷やして布団に入ったその後に、どうやら大きな虹が空に架かったようだ。

 

心眼が機能し始めると、途端に周囲の色々な現象の緩さを感じ、自分だけが少し秒針の早い時の流れの中に生きているかのような苛立ちに苛まれるようになる。
今朝起こった珍事も、そんな私の少し速い時の流れと相手との微妙な日常のズレ感が引き起こした事故のようなものだった。だが、今朝の私は「闇のカン」が異常に冴え渡っていた。

 
湧き上がる怒りを解き伏せることはせずに、私はその相手が二度と私に関われないよう、SNSの中の一個のネジをきつく締めてアクセス拒否を施した。

 


霊能者の彼も、そして芸術家の私も、各々の生活は実に慎ましいものである。
包み隠さず書くならば、今日のランチはコーヒー付きの中華で価格は650円だった。その650円を大の大人がそれぞれPayPayで支払い、それでもその瞬間会える奇跡を噛みしめ合っている。
 

年齢で言うならば私はもう、一般的には役職に就く年代に入っている。だが私は生粋の芸術家。
タレント活動もせず、スポンサーも付けず、日々を音楽と祈りと色々な世界の住人や神々との交信に、人生の全てを捧げ尽くして生きている。それはおそらく多くの人達には理解出来ない真の私の姿であり、それゆえに私は度々人に蔑まれ、差別を受け、偉そうに私の作品や生き方を批評(主に否定や拒絶)する輩も後を絶たない。

 
多くの音楽愛好家たちは、芸術家とアーティスト、アーティストとタレント音楽家の区別がついていない。それを彼等に教え諭す職に在る人達が、ある時期からごっそりと姿を消してしまったからだ。
だから私はそのようなおかしな常識(非常識とも言えるだろう)を正すべく、これからは自身のファンと言えども「ものの格」「ものの見極め方」をしっかり教育して行く必要性と危機意識を同時に感じている。
その為には先ず、私が手本を示さなければならない。
 

 

極力優雅に高飛車に、そしてクールに嫌味ったらしく相手をひざまづかせるまで、私は問い掛けの手を緩めぬことに決めた。

 

人の何倍もの人生を瞬時に生き、最近では色々な神々との交信に多くの時間を割いている。そしてその過程と経緯を全て含めて、自身の音楽に刻印している…、そんな作曲家が他に居るだろうか?
少なくとも私は未だ、そのような芸術家を見たことがない。
 

未だ誰も視たことのない、誰も知らない、誰も触れたことのない価値観や世界観を作品化する、それが私の今世の最大のミッションかもしれない。
理解出来ない相手には、とことん理解を促すか或いは互いの傷が浅いうちにそっと距離を置いて関わりを絶つか、何れかの二択である。
 

 


今朝の朝焼けは圧巻だった。
神々から人類への最後の執行猶予は、きっと人々の口元から言葉を全て奪い去って行く氷のような恩情に満ちており、それを感じ取った人々を静かにひざまづかせて行く。

それが神々の愛であり、人類は未熟ながらもそんな神々の「恩」を誠実な思いで受け取らなければいけない。

 
2021年8月某日、夫・天野玄斎と私は二人揃って「霊質学者」の称号を名乗ることに決めた。これは私達が… ではなく、プレアデス星団のJane女史が決定したことだ。
ありがたくその命にあやかりたいと思う。

そして同じくJaneは私に「比較音楽学者」を自ら名乗るべきだと言ってくれたので、その名に恥じぬよう今後ますますの精進を心に誓った。

 

初心に戻るのではなく、初心には戻らない進化を私は目指している。
リスタートやリセットは自ら決定して行くものであり、他者の胸先三寸やご機嫌に左右されたくはない。
なので今朝のSNS内での出来事のように私の実体や格を見極めず、私の作品や人生観を安直に批評し、偉そうにふんぞり返っているような相手に対しては、公衆の面前で言語を用いたフルボッコに処すこととする。

  

人類の執行猶予 3.

昨夜と朝焼けが繋がって、空から降りて来た魂のように夏が安らかに復活する。
露に濡れたギフトが形を変えながら、尚も人類に警鐘を緩めずにそこに在る。
 

今日は昨日の続き。
一億年前からずっと地球がそうして来たように今、人類は一億年後を思い遣らなければならない。神々がそう教えてくれる。

エッセイ 『カオマンガイ』

ギフトは未だそこに在った。雨は程好く降り続いており、人々の喉や粘膜に心地好い湿度を与え続けてくれている。
この分だと今日は、ようやく咳喘息からも開放されるに違いない。予感がしたので早々と外出の支度を始めたが、その予感が10分後に的中する。  
 

「よかったらタイランチ、行きませんか?」 …

はつらつとした文字が、待ち受け画面を突き破って踊り出す。
 

段々と友人が若年化して行くことは、きっと佳きこと。
私が長くこの世に留まり、ワクチンを打った知人達は10年後には多分誰もいなくなるだろうから、なるべくクールで知的でユーモアを交えても態度が崩れ落ちない、そんな要素を備えた若い友人を私は心から求めていた。

 

23歳の彼女は今年の初春までは医療従事者の卵だったが、この世界情勢を踏まえある日いきなり結婚し、その勢いで何の躊躇もなく医師人生を投げ出して、愛する一人の青年の為に生きる将来を選択した。
(私の)夫がテレワークから日勤にシフトする日程を彼女には教えてあるので、頃合いを見て連絡が来る。今日がまさにその日だった。

 

偶然だが二人の食べたいものが一致したので、おんなじメニューを大盛りで注文する。段々と思考回路も体の細胞も同化して来るみたいだと彼女は言うけれど、そんな彼女も感覚が少しずつ開き始めているのかもしれない。 以心伝心の確率が徐々に上がって行く。

 

彼女が悪夢を見る度にLINEのメッセージが届き、話しを聞いて欲しいと懇願して来る。悪夢の主人公が、私の母親らしき人物だからだ。
母は一体これまでに何人の人達を苦しめ、さらにここからどれだけの人達を苦しめたいのだろうか‥。
私を拒絶しながら尚も、未来の私に干渉しようと企んでいるようにも見えて来る。

 

 

悪夢は私の夢でも起きており、立て続けに三日間私は「光る魚」の夢を見た。
いかにも「夢」の、あり得ないような場面設定だが、とある伊豆の海の向こう側におびただしい数の「光る体」を持つ大きな魚の群れが幾つも現れては、海岸に向かって泳いで来る夢だ。

真夜中の海、幻想的なのにどこかスリリングで冷ややかな映像は、私が寝返りを打つまで続く。 ストーリーも大体決まっているので、おそらくどこかの過去世で私は同じような経験をし、それが記憶の糸くずとなって現世の私の喉元にずっと引っ掛かったままになっているのだろう。

 

カオマンガイ

 

「ジンジャーライス、美味しいですよね。」‥

彼女は敬語を絶対に崩さない。私がどんなにラフに話し掛けても彼女は最初に会った時のまま、態度を変えない。そんな彼女の礼儀正しさが私は大好きで、彼女が未だ高校生だった頃からずっと友人関係が続いている。

 

彼女もワクチン接種を思いとどまっている。
同僚や後輩たちが次々と「職域接種」の赤紙を受け取り、集団接種会場へと駆り立てられて行く光景を彼女はきっと、苦しみながら静観していることだろう。  

「本番、最初は今年の冬ですね‥。」

私達は海外の論文を共有し、彼女はそれを翻訳し直して私に正しく説明してくれる。


「副反応じゃなく、怖いのはサイトカインストームの方なんですよね。どんなに話しても、同じ医療従事者達の方がむしろ耳を貸してくれなくて‥。」
彼女は時折泣きそうになりながら私の右手に彼女の左手を重ねるようにして、何とか号泣を止めている。  

「すみません‥、話題を変えますね。どうしてもこう、なんとなくこういう話しになっちゃってごめんなさい。」‥

 

彼女の周囲から友達が減っているのは、目に見えて私にも分かる。
意見の合わない人達と遠ざかったり、或いはワクチンを接種した同じ年の友人がある日突然帰らぬ人になったり、きっと未だ若いから心の整理も付けにくいのだと思う。
良くも悪くも諦めが悪い、でもそれが若さの象徴だから私はそんな彼女を娘のように思い、あえて何も言わない時もある。

 

同じタイミングでカオマンガイを完食した二人。一昨年ならばその後に「コーヒー、ご馳走しますよ。」と彼女が財布を握ってくれていたが、世界はそんな気楽な人と人の関わりを許さない空気で満ちている。  

私: 「続きはLINEでね。帰ったらメール入れるから。」

Zoo呑みならぬ動画なしのLINE喫茶ごっこを開始して、かれこれ90分が経過した。  

 

「今日も楽しかったです。又ご一緒して下さい、私からお誘いしますから。」

ランチのテーブルで全く同じ内容のカオマンガイを前に、各々のカオマンガイを撮影してLINEで交換したら、どっちがどっちのカオマンガイだか分からないくらい似た写真が2枚並んでしまった。  

 

私:「こっちが私(Didier)のカオマンガイよ!だってサラダとスープのお皿をこそっと引っくり返しておいたから。」  

 

来世、生まれ変わる時は姉妹がいいと彼女から頻繁に言われるようになったが、もしもそうなれたら絶対に喧嘩だけはしないように、遺産相続争いにだけはならないようにしたいわね‥ 等と色気のない能書きを垂れる私を娘のように慕ってくれる彼女との関わりが、一日でも長く続きますように‥。