芸術家の日常 2023.03.14

このブログに私の日常を書き留めることが段々と難しくなって来たように感じているが、やはり私にとっての「普通」の日々をコンスタントにここに書きたいとも思う。
普段人とのコミュニケーションが殆ど無い私だが、そうは言うものの近くのホテルのレストランに足を運べば直ぐに私のテーブルが人だかりになるし、代わる代わる奥の厨房から専属のシェフが現れてしばしの雑談にも花が咲く。
 
性格をカスタムすれば、ある程度のことは上手く行く。だがしょせんカスタムはカスタム。
人間だから、どこかで本音が爆発するのは致し方ない。
 

 
遡ること一か月前辺りから、実はハイドロカルチャーの水耕栽培でスペアミントの種を蒔いておいた。だが二回トライして、二回とも失敗に終わった。
どうしてもハイドロカルチャーにカビが生えてしまったり、発芽後の間引きのタイミング等が分からなかったり‥で二度発芽をダメにしてしまうと流石に落ち込んだ。
 
もうここはプロの手を借りるしかないので、Amazonでスペアミントの土栽培の苗を購入してそれを水耕栽培に切り替えたところ、上の写真みたいに先端が一週間でにょきにょき伸びて来た。
そろそろ剪定のタイミングに差し掛かっている。
茎も太くしっかりしているので、上から10~12センチぐらいを切って新たに水耕してみる予定だ。
 
私が大の虫嫌いなので、新居には土を一切持ち込まないことに決めている。
本来ならば土栽培の方が良さそうな色々な花も「鉢」ではなく生花で購入し、それを一定期間飾っては楽しんでいる。

私が大の生花好きになったのは、昨年の夏にあちらへ旅立った愛兎のマイケルからのギフトだった。
 

 
マイケルは大きなギフトを、他にも沢山私に残してくれた。もはや神獣間際のところを、天照大神が必死で引き留めている状況だ。
未だ新居のレイアウトが完成していないので、生まれ変わったマイケルの居場所を確保出来ていない。早くしなければ‥。
 
折角マイケルが私に「生花の楽しみ」を置いてってくれたので、最近の私はもっぱら生花のアレンジメントに夢中になっている。
流石に今このご時世、音楽になかなか集中出来ない。と言うのも私の音楽アルバムの大半が「予言」や「預言」を収録した預言集みたいな作りになっている為、これ以上未来の負の預言(予言)は余り形にしたくないと言う思いが強い。
 
なので当面は花島ダリアの名前で音楽評論や表現分析活動にシフトしつつ、実は次のアルバムの構成も若干形になりつつある状況だ。
 

 
人間はとかく嘘が多い上に、偽善者が後を絶たない。私はそういう人間の薄汚い闇を見る度に、心の底から腹が立って仕方がない。
その度にその汚い何かの発信源が頼んでもないのに私に刃を向けて抗議を始めることも多々あるが、あくまでそれは彼等の現実逃避に過ぎない。
 
私は鏡である自分自身の性格も含め、戦士気質の自分を悉く愛している。
汚いものは掃除するのみ。「引っ込め!」と激しく念じながらも言葉の上ではこれでも、穏やかに振る舞っているとは思うのだけど。
 
その反面、花は嘘を吐かない。勿論愛しい生き物たちだって同様に。
 

今日は3月14日、ホワイトデーだ。
我が家は毎日がバレンタインデーなので、特に「今日」の為のイベントは必要ない。いつも通りに過ごすだけである。
 
そう言えばこれはプレアデス人は「セムヤーゼ」との会話の中でも頻繁に出て来る話題だが、人間の基礎体温が高すぎることにより人類が短命になっている‥と言う話。
無駄な運動で汗をかいて代謝量を上げたり、そのことで心拍数を無駄に増やして体力を消耗させるのは何故なのか‥ と、いつもセムヤーゼは私に問い掛けて来る。
 

長寿の秘訣の一つとして、先ず基礎体温を最低でも35度台に下げて極力無駄な汗をかかないよう、注意することが挙げられる。

 
健康志向だと言う人間の多くが、これとは逆のことをやっている。だからどんなに運動して基礎代謝を上げたり筋肉を付けたとて、有限の心拍数を結果的に増やしているわけだからその分寿命も縮まって当然だと、セムヤーゼは語る。
 
我が家ではことさら「睡眠」に多くの時間を費やしている。その間内臓も心拍数も休まるので、私も夫も平均体温は35.3~35.5度辺りをキープしている。むしろその体温の時が最も体調が良い。
 
‥とまぁこの記事のタイトルは「芸術家の日常」等と付けてはみたが、よくよく読んでみると余り日常的な内容でも無さそうな‥(笑)。
世で言う日常はむしろ私たち夫婦にとっての非日常で、一つ屋根の下に二人の予言者が仲良く暮らしていることも含め、あくまで私たちにとっての「日常」をこれからも淡々と楽しんで行けたら良いと思う。
 

そう言えば久々にSpotifyにプレイリストを作ってみたので、よろしければ家事やお仕事、ドライブのお供に是非🚘
 

🌎New Chillout Times 2023′ vol.2

Oversoul – Didier Merah feat. MJ

誰の為でもない音楽が、この世に在っても良いと思う。
目的を持たない音楽は、同時に普遍の力を得るだろうから。
 
この作品Oversoulのアートワークは夫・天野玄斎の手によるもの。この絵から何を感じ取るかは、各々の感性に委ねたいからこそ私はこの曲の由来を未だ明かさずに居る。
 

 
砂丘の彼方、あなたには何が視えますか?

この作品は恐怖と絶望の最中に降りて来たM.Jの御霊のインスピレーションをそのまま音楽に替えたものだから、本来ならばM.Jとの共作にしたかった。
だが現世には著作権と言う縛りがあるので、「共作」には出来なかった。
 

 
「現世は不自由だね。」とM.Jがささやいた。本当にそうだと思った。

黒い春は今も続いている。だが多くの魂たちが、いつしか静かな眠りに就いた。ならばもう彼等を揺さ振ることなくそっとしておいて欲しいと思う。
 

黙祷も祈祷もせずに、生き残った人たちの心からもそっと彼等を消し去ることの方が、黙祷よりも余程尊いことのように思えてならない。
 

怒りと祈り

私の中に怒りが湧き上がる時は、その怒りがどこから来る感覚なのかを先ず探る。
 
最近の怒りの特徴の一つが、まるで他人から借りて来たような怒りが内側に発生しているような感覚があること。対外この種の怒りの感情は「呪詛」にも似た何等かの可能性が高いので、そういう時は会話もSNSもその他の趣味も全ての手を休め、外側の現象を追跡することに決めている。
 
勿論音楽を聴いたりライトなムーヴィーを観て気を紛らわすこともあるが、その多くは徒労に終わる場合が殆どだ。
 
我が家に数人の神が棲んでいることを、他者には話さないよう気を付けている。
これはいち個人にもプライバシーがあるのと同様で、神々にもそれはあるからだ。仮に著名な「神が居る」とされるパワースポットから神が逃亡を図ったとしても、それは迂闊に口外すべきことではない。だから私たち夫婦はパワースポットや神社等から逃走した神々については、一切外側には語らない。
 
その代わりに私たちのSNSを追って頂ければ、真実の神々に少しだけ接近することが出来る筈。でもあくまで発信はとても上品に厳かに、何より自然な日常のひとコマであるように私たちは神々を語る。
 

 
私は預言者であり、予言者でもある。
直近の予言や預言の多くは既に、私自身のピアノアルバムの中に放出して来た。だが多くのリスナーがそのことに全く気付いていない。就寝前に私のアルバムを聴くと「よく眠れる」等と言うリスナーも多いが、それはある意味とても自然な心理の顕れかもしれないと最近思う。
 
多くの私のアルバムのストーリーが「人としての死」からスタートし、長い時を経てインターセルフを経験し、その後生まれ変わりの希望の灯を見つけたところでアルバムが終わって行く。
転生の可能性を秘めながら決して人の転生までを描かない、あくまで可能性を感じたところでアルバムが終わって行くのだ。
 
インターセルフでは多くの場合、魂は眠る。そこは天井の低い病室に似たところで、ベッドが無限に連なった大部屋のようなイメージだ。
だが不思議なことに隣り合うベッド同士が視界に入ることはなく、その大部屋を傍観している別の管理人のような存在だけが、大部屋のどこに誰が眠っているのかについて知るのみである。
 
私のアルバムを聴くリスナーが「よく眠れる」理由は、ただ一つ。殆どの楽曲が人間の意識を抜け出た後の霊体の追体験を描いているからだ。
 
そんな感じのアルバムを数年掛かりで複数枚、サブスクリプションから配信し尽くした感がある。丁度腱鞘炎の悪化にともない、そこに私の家族全員の死~遺産相続、そして新型コロナウィルスのパンデミック等が折り重なり、少しの期間自身の音楽(創作)活動を止めている。
その代わりに新たな仕事である「音楽評論」に磨きを掛ける為、個別の芸名を持ち、こことは違う別のブログやSNS等で活動を開始して数か月が経過した。

自分自身を捨て去ると、ものの輪郭が鮮明に見えて来る。これがつまり「エゴを捨てる」と言うことだと痛感し、それが今のクールな私のベースになっていると思う。
最近は事あるごとに私は私ではない「もう一人の自分」の姿と名前を借りて、本体とは違う視点からSNSを通じてメッセージを発信している。
「もう一人の自分」の耳で聴く音楽は本体の自分とは少し異なる聴こえ方をする分、口調も辛辣軽快に飛んで行くから面白い。
 


3月ももう直ぐ半周を迎えようとしている。3月21日は「春分の日」、その日に向けて天界から多くの魂や神々が地上に降り立つ支度を始めたようだ。
我が家にも幾人かの神々が、毎度のことのように直ぐ傍まで来ている。
 
神人共食は常日頃の出来事であるが、昨夜のそれはいつもと少し様子が違った。
或る神の怒りが木霊のように、食卓周辺を徘徊していた。それは私たちに向けられた怒りではなく、私たち周辺に群れる良くない噂の出所に向けられた怒りだと気付いた。
 
このところ、私にも夫にも各々色々な人との多数のやり取りがあった。穏やかに事を進めようとすると決まって起きる馴れやマウント等、私たちの当たり前は他者にとっては少しも当たり前なことではないと、各々の出来事を見る度に愕然とする。
昨日もそれに類する出来事が、重なり合うように起きている‥。
 
業種ごとに、その業種のキャラクターに自分を寄せてカスタムすれば済むことだが、もうそんなことに労力を使いたくはない。理解すべきは私たちではなく、相手の側だから。
 

私たちは既に、世界の終わりを知っている。それがいつか‥ については神々が決定するとしても、このままではいつかその日が必ず来るだろう。

巷では予言だ遠隔ヒーリングだなんだかんだと言い、遊び半分でなにがしかのイニシエーションもどきを実施する偽物施術者が横行している。多くの依頼者が施術者や霊能者を目掛け、開運の方法や未来リーディング等を要求し、依頼者自身の希望に副わないリーディングの内容が此方の口から出た途端に怪訝なリアクションを返して来る。

偽物に慣れた人々は、偽物以外を受け入れようとしない。‥そのような一人一人を地球の外に摘まみ出してやりたい気持ちは山々だが、それよりは未来の地球の平和を祈ることの方が今の地球を幾分癒すことが出来るかもしれない。
 
読書をしていても料理をする時でも、或いはコーヒーを飲みながら外のマンションの窓に映る夕日の跡を見つめるながら‥、いかなる時でも祈りは私の心を解きほぐしてくれる。
昨夜は食卓の花や水耕栽培中のスペアミントに触れながら、この先地球の最期を一日でも一秒でも先に引き延ばせるよう祈りながら私は、三つの花瓶の水をゆっくりと取り替えた。
 

アマテラスの声 – 善良な霊能者の定義

特にこの一か月近く、私は天照大神(以下: 「アマテラス」と表記します)と深く繋がりながら暮らしています。とは言え我が家では約10年近くアマテラスを主神とした神人共食が続いており、昨年旅立った我が家のうさぎ「マイケル」君に於いては我が家は「私たち夫婦+アマテラス+自分」の4人家族だと信じていたようです。
 
アマテラスによれば、多くの人々が神を恐れ忌み嫌うそうです。
確かにアマテラスの霊体は大きく、過去から現在に至るまで度々その霊体の巨大さゆえにポルターガイストさながらの現象を引き起こして来た経緯もあったようです。

それを人々が恐れおののき、「兎に角出て来ないで下さい。ここにご馳走が置いてあるので召し上がったら天界にお戻り下さい。」等と言い、かたまりのままの鰹節や複数の野菜を紐で結んで積み上げたもの、さらには何の香りも立たない生米或いは炊いた筈が既に冷え切った冷たいご飯等が無造作に置かれたり、それはそれは神々に対してあまりにも無礼ではないかと言うような光景を、日々空から覗き込んでは嘆いています。
 

それはそうとここ数百年或いはもっと長い間、いわゆる地球上の多くの霊能者等の余りの暴挙に、アマテラスは深く嘆いています。
一昨日もそのことで私と夫・天野玄斎がこまめにツイートを投げ入れていたので、既にご覧になられた方も多いでしょう。
 

 

「霊能力者の力が本物であるか否かを問わず、依頼者が目視で現象の変化を確認出来ない類いの霊的処置に於いて、そこに金銭のやり取りを発生させるべきではない」と言うのが、アマテラスの見解です。

つまりいかなる場合に於いても霊力に対し対価を設定してはならないと言う、これはそういう意味です。平たく言えば、霊力をビジネスに利用するなと言うことになります。

  

 
夫・天野玄斎も書いているように、霊力は原則として人の為に使うべきなのです。逆にそうした霊力を仮に職業として運用した場合「目的と手段」が次第にすり替わって行く為、その術者の能力は急激に劣化の一途を辿ります。

最初は人助けの為に始まった霊視や除霊或いは浄霊等の施術が、段々と「術者が食べて行く為」の道具にすり替わって行きます。そのことにより術者には施術よりも客商売の要素が強く求められ、次第に真実ではないことを依頼者に告げる必要にも迫られ、それにともない術者の施術或いは霊力が著しく鈍って行く様を、アマテラスは何百何千とこれまでにも見て来たと言います。

もっと分かりやすく言えば、目の前で見知らぬ人が体調の不調を訴えて倒れ、ある人が救急車を呼んだとしましょう。運よく病院へ搬送された人がその後助かった時、先に救急車を呼んだ人物が退院した人へ見返りとして金銭を要求する‥ と言った話と同じです。
 
真の救済活動を金銭で換算するなど、以ての外です。
 

全ての霊的施術は基本的には無償で行うのがルールです。
さらにはそこに「〇〇の神からのエネルギーを注入しました」‥等と言う、全くもって嘘としか言いようのないセリフも吐くべきではありません。
なぜならば本物の神は、人間にあーしろこうしろ‥等と言う命令は一切しないからです。人間如きに命令などせずとも、彼等は自分の力で物事を鎮静させたり活力を授けることなど容易に実現出来ます。

なので「〇〇神の命により△△に行った(呼ばれた)」や、「〇〇神の命により霊障を抑え込んだ」‥と言うような文言を放つ霊能者を見かけた場合には、概ね詐欺師かペテン師だと認識して下さい。
 

 
但し、以下の場合は例外として依頼者側に金銭が発生することを、忘れてはいけません。

1.施術に必要なスタジオやサロン、個室その他アロマオイル等の施術に道具を必要とする場合。
2.医療分野等を含む、国家資格を持つ人材や施術が介在する場合。
3.タロットカードや占星術等、一定の資格を取得した人材が施術に参加する場合。


アマテラスが言うには、何れの場合においても「実費+実費の約30%」が施術の価格として適切だと言うことです。
つまりそれ以上の価格設定をしている全ての施術者、霊能者、それらを含む術者は反社まがいの詐欺師ペテン師と認識すべきと言うことになります。

ここで一つ注意点を挙げておくとしたら、上記とは相反するようですが霊能者等に施術を依頼する動機として「無償だから」とか「タダだから」「格安だから」等と言った安易なモチベーションを抱いてはなりません。
真の霊能者及び能力者は、依頼者の安直な心情やモチベーションを直ぐに見抜いてしまいます。よってそのような類いの依頼者の案件は、ものの見事にNGで突き返されることになるので。
 
せめて形として、礼儀として、命がけで霊的施術を霊能者に依頼する覚悟としての準備は整えるべきです。
まっとうな霊能者であれば、その形を目視した後に袋ごと依頼者に返却するでしょう。
そのぐらいの覚悟をもって臨んで下さい‥ と言う、これはあくまでも比喩として付け加えておきます。

何れも非常に分かりやすい話だと思うので、この記事に辿り着いた方の中でシュールな能力や施術を必要とされている方々は、是非参考にされてみては如何でしょうか。
 

Reset – 2023.02.24

2023年2月24日、実家の売却手続きが完了した。
思えば母の逝去から1年強が過ぎ、大きなしがらみから私はやっと解放された。長い長い苦しみから解かれたとは言え、未だ戦いは続いている‥。
 
実家マンションの売却手続きの前日から私は体調を壊し現在に至るが、気分はとても清々しい。仲介業者や司法書士の先生等、色々な方々がその日の為に動いて下さった。

手続きは2月24日の朝に、全て終了した。
そのタイミングでスマートフォンに大量に溜まった写真を整理していたら、従妹が当日撮影したと思われる母の葬儀の写真が見つかった。
予め2021年の暮れに一足早く身辺調査を進めて行く過程でこの写真をInstagramで見つけたので、スマートフォンに仕舞っておいた。
 

 
上記が2021年12月10日の、弟・大輔(故)の妻の「山田りえ(仮名)」が私に黙って喪主を買って出て執り行われた、問題山積の母の葬儀の記録写真である。

※出典元を以下に貼っておく。

 

 
従妹の「秋山奈美(仮名)」さんは私の存在も存命も知っていた他、未だ私が小学生か中学生の頃に何度も会っている。勿論私が頭のおかしな人間ではないことも、彼女は知っていた。
にも関わらず、弟・大輔(故)の結婚式に私が出席していなかったことや、実家の三人の家族の葬儀に私が参列出来なかったこと、その他全ての親戚の行事に私が出席していないことを含め、(頭のおかしな人間ならば)そうされても当然のこと‥ とでも言うように今日まで沈黙を決め込んだ人物である。

奈美(仮名)さんはどういうわけか最近、(誰から私の連絡先を受け取ったのか‥)LINEで私の電話番号を番号同期させ「友人追加」して来たが、未だ音沙汰はなし。
流石に亡くなった実母の第一発見者の一人で‥ 等と今さら私に何を言い訳しても、私が聞き入れないであろうと言うことを察してのことだろう。だとしてもこの件、私が公的機関に相談したらどういうことになるか、彼女は重々分かっている筈だ。
 

問題の「霊界裁判」の決着には、少し時間が掛かりそうだ。
理由は上記の従妹の「秋山奈美(仮名)」や弟・大輔(故)の妻の「山田りえ(仮名)」、さらには母の葬儀の直後に山田りえ(仮名)と共に母・山田雅枝(故)の遺産強奪についてS弁護士に相談を持ち掛ける際に同席した「秋山奈美(仮名)」の妹の「森田絵美(仮名)」のように、現在も私との対面を徹底的に避けて身を隠している親族等の動向を観察(監視)する時間を、司法が要するからである。
 
その監視には親族の寿命の最期までの時を要する可能性もあり、私はそれを承知で霊界裁判の司法に事の決着のすべてを託して今日に至る。
 

夫が言うには私の霊体はかなり巨大らしい。それもその筈で、リラ星の巫女の時代から今日まで多くの記憶を霊体に持ち越して転生し続けているのだから、きっとそれはとても自然なことなのだろう。
しかも未だ殆どの陰徳が、未使用の状態で今日に至る。私の霊体の覚醒・拡張に比例して先方の量刑が決定するので、最終的には先方の寿命の最期の段階で私の霊体がどこまで陰徳を積んでいるか‥ との差し引きが刑の重さに関わって来るとのことだ。
  
現世の司法で仮に裁くことが難しいことでも、霊界裁判と言う方法が最後に残されていると知った時、先ず私は本件に関わった全ての親族・親戚等に適切な量刑で裁いて欲しいと心から願った。
その願いが意外にすんなりと受け入れられたことに、心から霊界の司法には感謝している。
 

既に父・寛(故)、母・雅枝(故)、そして弟・大輔(故)の全員の刑が確定し、次いで母の姉で私の叔母にあたる「秋山昭子(仮名)」の量刑も確定したようだ。
全員が同じ最高刑にあたる、「霊体及び幽体の粉砕」が決定した。つまり全てのこれまでの記憶がリセットされ、二度と現世に生まれ変わることは出来なくなる。勿論日本式で言うところの「成仏」も出来ない。
全てがリセットされる。

山田家の遺産強奪計画を試みて失敗に終わった「山田りえ(仮名)」と従妹の「森田絵美(仮名)」、及びその姉の「秋山奈美(仮名)」については、彼女たちの寿命の終わりまで刑の確定が持ち越される可能性が大きい。
だが、母が逝去日の約三か月前に先に某霊団によって「霊体はく奪」があったように、山田りえ(仮名)」(場合によっては「森田絵美(仮名)も)にその方法が用いられる可能性が高まって来たとの知らせを受けている。

後は天に、霊界の司法にお任せするのが良いだろう。
 

正直それでも私の怒りは収まらないが、私が量刑を霊界の司法に委ねたのでここは彼等の判断に従うのみである。
感情ではなく、理性で納得しようと思う。
 

最後に従妹「秋山奈美(仮名)」が撮影したと見られる、母の葬儀当日の写真をもう一枚、掲載しておきたい。
彼女は何を思いこのような綺麗事の記録をInstagramに残しているのか、真意の程は分からない。

分かっていることはただ一つ、嘘八百かつ極悪人の母の肩を最後まで持ち続け、現在も私を排除し続け、今も尚私から逃げ回っていると言う事実である。
 

 

エッセイ『Equinox』

両親と弟の骨は、既に合祀墓に眠らせた。全ては私の一存でしめやかに執り行われた。
父と弟が眠る墓へは、その日まで一度も足を運ばなかった。墓じまいの日、そこで初めて見る小さな墓はあってもなくても誰も気づかないほどの存在感で、ひっそりと佇んでいた。

二人の家族が先立ち、実家に私を寄せ付けない名目で最後まで実家に一人で暮らしていた母も、一昨年の冬にこの世を去った。
その朝。母の遺骨を持って家を出ると、そのまま車で墓地へ向かった。必要な書類に記入を済ませると抜魂式が始まり、すべてはあっという間に私の前を通り過ぎて行った。

三人の家族に尋ねたいことは、ただ一つだけ。
何故私をこんなにも忌み嫌い、家族の輪から排除し続けたの?

 
墓の維持は、最後に生き残った私に全て託されていた。
親だから、家族だから‥、
きっとほんの少しでも私を心のどこかでは思っていてくれた筈‥。
そう信じて人生の整理を進めて来たけどそんな私の思いは全部幻想だったと、両親の遺書が何もかも全て剝ぎ取り、最後まで私を否定し続けた。

それでも私は最後に生き残った、ただ一人の家族。

 
ようやく私は人権を得た。
長い間の虐待もそれにまつわる何もかも、すべてを終わらせる時が来た。

苦虫を噛み潰したような表情の父と、険しい表情の母と無表情の弟が私の背後に佇んで、背中を突き刺して来た。
どんな痛みも、あの頃の痛みを超えることなど出来ない。それほどまでに私は十分に苦しんで、今日まで耐えた。

もういいでしょう?‥と、家族三人の骨に問いかける。シャリシャリと骨が擦り合いながら幽かな音を立て、彼等の「絶対に許さない‥」と言う声が聴こえたような気もしたけど、それは私の台詞よ。
奪わないでね、私の生存の権利だけは。
 

 
4歳年の離れた弟はこの世に、私の刺客として送り込まれた。もっと早くそのことに気付けたら私は、これほどまでの悲しみを背負わずに済んだだろうか。
 
穏やかな時間も生活も家族の輪も、すべてを私から奪い取った弟が先に逝ったのはきっと罰。私はあなたがたの罰を天の采配にあらためて託したから、今はその沙汰を永遠のように待っている。
たとえどのような答えが下されたとしても、心のどこかで天と運が未来の私の最大の味方だと言う確信は揺らがない。
 

遠いことが昨日のように私の中を巡り行く。そして母が力ずくで私から遠ざけた最愛の神父が、新たな命を得てもう直ぐこの世に還って来る。
不運の中にもいつしか種は蒔かれ、もうじき芽吹こうとしている。私の母体からは遠いところで、息を吹き返す彼の音色が放たれて行く。
 

 
過去世で私の死を見届けたのが本当にこの人だったなら、今世で私と神父が家族になれなかったのは何故?
こんなに近くに居たのに、私たちは今世でも離れ離れのまま終わってしまった。
だから次のチャンスに賭けてみたい。

彼と親子になれなくても、友人にはなれそうな気がするから‥。
 

尋ねたいことが幾つも巡るけど、すべて風がかき消して行く。それ以上は訊くなと言うように、風が止まない。
天から幾つも、私を探しあてるように魂たちが還って来る。それらは春の淡い綿毛のように、「母」を求めて降りて来る。


生きる場所は別々でも、彼等は約束を果たすために私の傍にきっと居てくれるだろう。あとは私が彼等を探し当てる番。

長く生きよう。
周りに知った人たちが全て消えた後の世に、たとえ私一人が取り残されたとしても長く生きよう、彼等のために。
 


※今日 2023年2月23日、私が生まれる前から今日まで私たちを見守り続けたアップライトピアノが、マンションから運び出されます。
58年間、私たち家族の全てを知る最後の番人は、間もなく解体されます。

長い間、本当にありがとう。
さようなら。
 

警鐘 [昆虫食の危険性について]

既に私はこのブログを始めとして、色々なSNSから「新型コロナワクチンの危険性」に加え、人口削減や食糧危機へのカウントダウンを含め多くの預言を発信して来た。
多くの預言が実際に粛々と現実となって行く中、ここに来て「食糧危機」への警鐘に抱き合わせるようにして「昆虫食」を推奨する声が高まり始めた。

一見理想的なようにも見えるこの「昆虫食」の勧め、その裏には意外な危険性と罠、或いはダーク・スターシード等による人類撲滅計画等の恐ろしい計画が、実は息を潜めている。

この記事の中では主に、昆虫食の未来について私が視たことを「予言」として執筆して行きたい。
 

 
数日前にTwitterで見かけたのが、コオロギを使用した食材が給食に試験的に導入された‥ と言う記事だった。
 
そう言えば昔、小学校の修学旅行で「イナゴの佃煮」が出され、その姿に驚愕した。味は確かに海老の殻を使った何かしらの惣菜と言われればそう感じなくもないが、見た目はまさにあの「ゴ〇〇〇」と殆ど変わらない。
羽根あたりのハリハリとした感触は、想像を超えた気持ち悪さだった。結局「イナゴの佃煮」は一匹を無理に胃袋に押し込んだだけで、その後箸を付けることは最早不可能だった。

 
昆虫食推進の背後に潜んでいるのは、私が視た限りでは「人間と同じ祖先にリラ星人のルーツを持つ、リラ星からは迫害された科学者の一団の生まれ変わり」である。
本記事ではその部分については触れず、昆虫食のリスクにのみスポットを当てて書き進めて行くが、背後を見るだけでも様々な未来絵図を想定することが出来るので、一応ヒントとして触れておく‥。
 

どこの組織の何と言う団体が‥ と言う部分は未だ不鮮明なので触れないが、この昆虫食推進を推し進めた先にあるものは「人類の遺伝子書き換え」⇨「人類の短命化」および「人類のロボット化」、しいては「人類の一括コントロール化」と言っても良いだろう。
かつてグレイ星人が辿った道筋と酷似しており、未来のどこかで「人類を絶対的に絶滅させる」為の使命を担った霊体が複数転生を繰り返しながら、地球の歴史に深く関与していると見て間違いない。

恐ろしいことに既に、複数の昆虫やその他の生き物の遺伝子を混入させた、表向きは「免疫強化剤」を銘打つワクチンが既に試験使用の段階に入っているようだ。
ワクチンに含まれているものの一部を、以下に挙げる。

・コオロギ
・コウモリ
・蜘蛛
・蜂(恐らくスズメバチ)

上記の生物で人類の遺伝子を書き換えることによって、空飛ぶ人間や獰猛な肉体の要素を兼ね備えた新人種を作り出そう‥ 等と本気で考えている人間系の科学者が複数暗躍している。
 

 
ヒントの一つとして「仮面ライダー」や「スパイダーマン」等が挙げられ、上記の人間ではない生物の遺伝子をmRNA製剤注射で混入させることで、表向きには「高い免疫力を保持する為の特効薬」として市場に出回るようになるだろう。
 
これは何もワクチンに限らず、何れ「コオロギクッキー」や「コオロギパスタ」、「コオロギコーンフレーク」や「コオロギラーメン」、或いは「コウモリ入りワッフル」等々挙げればきりが無いくらいの多くの食材に平然と昆虫や蜘蛛の粉末、コウモリの体液を使用したジュースやお菓子やお弁当等が「高タンパクの新食品」としてコンビニ等にも並び始めることになる。
 

万が一「コオロギの遺伝子」を始めとする昆虫系の何某かを人体にワクチンのような注射として接種した場合、以下のような状況が人体に発生することも想定される。
 

①複眼を持つ人種が現れる。(或いは複眼を持つ胎児が異常に増える。)その為多くの人々の視界に異変が起きる。
②土や木の皮等を好んで食す新人種が現れる。
③皮膚がコオロギの外骨格のように「外骨格化」し始める。
④声帯に異変が生じ、最早人間の声を維持出来なくなる。
⑤異常視力や異常聴覚を得る代償として、10年も生きられない人が大量に現れる。
⑥ハエや蜂のように両手をすり合わせて、音を出しながらコミュニケーションを取ろうとする新人種が現れる。

 
勿論このような状況が可視化される状態になれば、当然のこと人間の寿命は圧倒的に短縮され、10年も生きられない人間が大勢現れることになる。平たく言えば、虫のサイクルで人間が生まれたり去ったりするようになるわけだ。

勿論これまで続いて来た食文化の多くが一斉に崩壊し、それにともない多くの文化や文明が崩壊を免れられなくなるに違いない。

上記に述べた状況を、実は何百年何千年‥と待ちわびて来た存在が実在する。
それがこの記事の冒頭に少しだけ触れた「ダーク・スターシード」と呼ばれる存在である。
 

 
最近「スターシード」と言う名称を用い一般市民に対し、まるで「選ばれた人間」であるような優越感を持たせる内容の動画を発信したり、その種の内容の講演会を開催するエレナ・ダナーンのような人物が若干幅を利かせているようだが、「スターシード」にも善悪があると言う点については彼等は全く触れてはいない。

遠く、リラ星に政変が起きた時、一部の悪質な意図を持つ科学者一団がいち早くリラ星を脱出し、自らの技術や価値観を他の星で継承する為に色々な星に入植して行ったことを私は今も忘れていない。
勿論当時の一団はプレアデス星団のエラにもすんなりと入り込んだ形跡があり、どこかの段階で彼等の消息がぱったり途絶えてしまったとセムヤーゼが先日語っていた。
 
現在の地球上の出来事と彼等「ダーク・スターシード」が全く無関係ではないと仮定すれば、当然「ダーク・スターシード」が入り込んだ先が何処か?と言う点についても容易に憶測が可能だ。
だがこれはあくまで私の透視を記述した記事でもある為、迂闊な発言はここでは控えておきたい。
 

この記事の続き、「ダーク・スターシード」のこれまでの変遷については私よりもセムヤーゼや夫・天野玄斎氏の方が余程詳しい。
それを踏まえた上で私は、近日中に「私が視た当時のダーク・スターシードの変遷」について、新たに記事を執筆する予定もあるが、予定は未定。確約はしないでおく。

無重力の空間で聴きたい音楽とは

早朝の朗らかな光で目が覚めると、異星人との会話と言う日課が私を待ち構えていた。
このところ研究とコンタクト(宇宙人や亡くなった神父その他)に時間もエネルギーも割いており、それ以外の活動が殆ど手つかずになっていた。

時間は有限、命も有限。だからと言ってせわしく時間を進むのは苦手なので、何をするにものんびりゆったり厳かに‥、所作そのものが一年前までとは明らかに変わったように思う。
 
私だけではなく夫までも押し寄せる様々な変化をつぶさに感じ取っていて、その影響なのか若干睡眠不足に陥っているようにも見えて心配している。
『新居のレイアウトだけ済ませたら暫く遊んで暮らしていいからね‥。』とは言ったものの、遅々として新居のレイアウトが進んでいない(笑)。余りに色々なことが昨年中続いた為、私たち夫婦は常に疲労を引きずりながら逆風に向かって進んでいるような感覚で、ずっと暮らしている。
 

久々にクラシック音楽なんぞを聴いているのは、Twitterのトレンドに「ラフマニノフ」が浮上して来たからだった。
別名で開始した音楽評論が思いの他好調で、未だフォロワーも少ないのに各記事のPVがフォロワーの数を遥かに超えているのが不思議で仕方がない。どこかから湧いて来る閲覧者たちは、何を合図に私のページに足を運んで下さるのだろうか。
 

 
次のアルバムの企画も未だ固まらない中、今朝は唐突にこの方、プレアデス人はセムヤーゼ女史が「無重力の空間で聴きたい音楽」について喋り始めた。
結局私とセムヤーゼ女史は未だ、現実的に会うことが出来ていない。それもその筈で、現在の地球は異星間との国交(星交)が樹立していないので、地球は他の星からの来訪者を受け入れることが出来ないのだ。
 
一部のどこぞのYouTubeでは「銀河連合なる世界から地球はアメリカのどこぞの秘密基地で、米軍を指揮している銀河連合の存在が在る」等と言われているようだが、彼等の話が真実だとすればそれは紛れもなく「侵略」であり、情報発信源とされるエレナ・ダナーンも含め地上の反逆者としてむしろ侵略幇助で裁判で裁かれることになるだろう。
だが現在の地球人の多くがそうした政治的な観点を持たず、半ば夢を見ながら生きており、地球外生命体と言う存在に異様なまでの憧れだけを秘めている。
なので目の前に侵略者が出現しても、多分気付くことはないだろう。ある意味非常に危険な状況だ。
 

 
つまりエレナ・ダナーンや他の発信源でもあるジャン・シャールズ氏の話はあくまで空想科学の域を出ない作り話であると認識する方が、全ての辻褄が合って来る。

憧れの世界と現実とは、しかと切り離して考え認識すべきである。

 
セムヤーゼの話によれば、昔地球を訪れた時に大好きになったビートルズやベイシティー・ローラーズ辺りのロックンロールを無重力空間で聴くと、音が歪んで聴こえるそうだ。
特に重低音であるドラムとベースがヴォーカルよりも遅れて聴こえるから、聴いていて苛々すると話していた。
 
地球上の音楽の大半が「縦」を合わせる概念で作られており、その風潮は近年極端に過熱しているように感じる。
複数の音声が「縦」を合わせられるのは、地球上の重力の条件と密接な関係があるとセムヤーゼは言う。私には科学の知識がほぼ皆無なので、この辺りの話はもっぱら「聞き役」に徹する以外に返す言葉を持たない。
 
現状「縦」の一致を気にせずに済む音楽は地球上の音楽の中には殆ど見当たらないが、唯一私・Didier Merahの音楽だけが「縦」を意識せずに聴くことが出来るのではないかとセムヤーゼは言う。
私の音楽をどこでどのようにして入手したかについては彼女は一切語らないが、セムヤーゼは知っているのだ、Didier Merahの音楽を。
 
私は「宇宙に持ち出せる音楽」を目指しており、その願いと祈りが現在のDidier Merahの音楽の創作のベースになっている。
 

縦を殆ど意識せず、最初の残響のさらにその上に一音ずつ音を重ね合わせ、そこで多重に折り重なった残響にさらに残響を意識した音をそっと重ねて行く‥。

この概念で音楽を生み出している作曲家は現在、私が視る限りでは一人も存在しない。
殆どの音楽が「縦」とリズムとハイスピードで息の短いセンテンスをいかに正確に再現するか‥ と言う観点で書かれており、それを無重力の空間で聴くと音が歪にズレたり途切れたりすると、セムヤーゼは話していた。
唯一レコーディングされたものを再現する時であれば、辛うじて縦のズレ感を最小限に食い止めることが不可能ではないが、音の大小のバランスがかなり破壊されるのは避けられないそうだ。
 
コード進行の問題もそこに合わさる。
現在の地上の大半の音楽はコード(旋律)が目まぐるしく変化するので、地球外の感覚や体調には対応出来ないことを何故か私は知っている。
恐らくリラ星の最期を見届けた後に私自身の霊体が長い時間を掛けて宇宙空間を旅した時の記憶が、今になって感覚の記憶として息を吹き返した可能性が濃厚だ。
 

 
付け加えるならば、Didier Merahの音楽は殆どが2コード或いは1コードで形成されており、それがGrave辺りのかなりゆったりとした速度を持ちながら、残響同士を響き合わせる形で進行して行くので、音楽の中にどれだけサウンドの濁りが発生しても速度設定が音の濁りを(ほぼ)完全に回避する作りになっている。

通常ならば互いに響き合わさる筈のないコードを隣り合わせに用いているにも関わらず旋律がグチャっと潰れずに済むのは、Didier Merah作品の真骨頂でもある緩やかな速度設定が大きく関係している。


そして「縦」合わせを殆ど意識せずコードを残響の中に重ね合わせて作っているので、時間の概念を完全に逸脱した音楽がオーパーツのように幾つも出来上がっていると言っても過言ではないだろう。
 

  
2023年2月11日、土曜日。
これまでにない緩やかな時間が我が家には流れており、世の中全体が抱え込んでいる不安な空気がこの家の中にだけ流れていない。
勿論新型コロナワクチンを一度も接種していないと言うベースが、私たち夫婦を深い「安心感」で包み込んでいることには違いない。
 
だとしても‥。通りではひっきりなしに救急車のサイレンが鳴り響いており、サイレンとサイレンが遠くで残響となって私の鼓膜に不穏な揺さぶりを頻繁に掛けて来る為、どこか精神的に圧力を掛けられているような圧迫感が絶えない。
 
丁度Twitterのトレンドに「ラフマニノフ」が挙がって来たので、ピアノ・コンツェルトNo.2を聴いている。
 

1973年09月10日 ベルリンフィルハーモニーホール
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
ピアノ:アレクシス・ワイセンベルク

https://www.youtube.com/watch?v=4TF2unP74tc&t=11s

 
やはりこの組み合わせ以外には考えられない高貴さ、優雅さと、そこはかとない上品さの中にも愛とかなしみを存分に秘めているのは、指揮者がヘルベルト・フォン・カラヤンだから。
 
だとしてもやはりこの作品も「縦」と速度を意識せずには再演が出来ない楽曲なので、地球外に持ち出して聴くことはかなり難しいかもしれない。
今度セムヤーゼにコンタクトする機会があれば一度、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を(無重力の空間で)聴いた時の彼女の感想を、是非聞いてみたいと思っている。
 

鬼が潜む場所 – Where Demons Hide

2月3日は「節分の日」ですが、私たちはこの数年間ほぼ毎日「邪悪な存在」と戦う日々を送っています。
特に私の肩書に「預言者」を足してからと言うもの、攻防は激化していると言っても過言ではありません。
 
多くの預言者を名乗る人たちがこの世界に暗躍していますが、私(& 夫)の預言は運命圧との闘いを回避出来なくなるところに到達している為、日々「圧」が強まっています。
最近では先方の側が此方の攻めどころを見失っている為なのか、体調不良にそれは露骨に顕れます。

そんな中の折角の「節分の日」なのでこんな日こそ、穏やかにディナーを堪能することぐらいは私たちに許されても良いと思います。
 

 
このご時世、右にも左にも鬼が潜んでいます。特に新型コロナワクチンを接種した人が発する独特の異臭と特殊な物質は、未接種者の体をも蝕んで行きます。
これを鬼と言わずして、何を鬼と呼ぶべきか‥。
 
こんなことを書くから人が離れて行くのでしょうけど、私の預言の精度は人の意見に惑わされない分向上し続けています。
既に私の音楽アルバムにその一部を封印して配信しているので、是非一度でも良いので聴いてみて下さい。

 

“World of Nature” – Didier Merah

 
特にこの「Eternal Pain」は人間の目線から聴く時と、大自然の精霊の視点で聴く時とでは音楽の意味が全く変わります。
変わらないものがあるとすれば、それは双方にとっての「永遠の痛み」が描かれている点でしょうか。
 
特に私(Didier Merah)の音楽を聴く時、タイムの表の縦の音や音粒のアタックを聴くのではなく、もっと後方の残像に意識を向けて聴くことを是非お勧めします。
そこには人智を超えた存在や、彼等の祈りが大きく横たわっています。そして彼等の思いにもう少し早く気付いて欲しかったと言う自然神の嘆きが渦となり、音楽の表層へと溢れ落ちて行きます。 

 

霊界裁判の経過とサビノ神父との会話

昨夜2023年1月24日、夜。夕食に出かける支度をしていたところ、霊界裁判を担当している霊的存在の弁護士から急遽アクセスがあり、私の(亡くなった)親族等を巡る霊界裁判の途中経過を知らせて下さいました。
正直なところ、その内容は私の思う内容とは少し異なるものでしたが、そもそも現世の現実世界の司法では裁けないものが別途「霊界裁判」の形に持ち込まれたこと自体が、半ば奇跡的なことなのです。
 
前回の霊界裁判の開催はあの、史上最悪のカルト団体の教祖(‥尊師)だったと言うところだけを見ても、私の家族や両親・親戚等が現世でその域の邪悪さを振り撒いていたことは推して知るべし。
ここでは霊界裁判の途中経過の、内容詳細の記載は回避します。
 

そんな折、昨夜遅くから私は愛するサビノ神父の霊体と、接触を試みているところです。‥と言っても暫く眠っていたサビノ神父の霊体に異変が起きたことが発端で、その異変を生み出して下さった某神様には心から感謝を何度も何度も述べたい心境です。
 

 
上の写真は実家の遺品整理中に私の手元に還って来たサビノ神父の写真ですが、(最近の私の陰影をご存じの方ならば)‥どこか私と雰囲気がとても似ていることにお気付きになられると思います。
 
兄と言うには近すぎますが、過去世のどこかで私はサビノ神父との深い縁(えにし)を感じており、長い間自身の記憶を辿っていました。
そして昨夜、その真相の断片を掴み取ることが出来ました。

ですが如何せんそれは未だ断片に過ぎず、現在のサビノ神父の霊体にはとても大きな損傷の痕跡が視られる為、この記事の中では詳細には触れないでおきたいと思います。
 

 
過去世で私は何度も「死」を経験し、断片的にその記憶を持っています。
ですが過去世のサビノ神父が目の当たりにした、直前の過去世の私の「死」の瞬間はとても壮絶なものだったと、彼は語り始めました。
そして今世のご自分の心身に実際に在った大きな傷跡の経緯を、彼はいつか私に話そう‥ 話そう‥と思っていたようですが、それは遂に叶いませんでした。
 
‥本来ならば私は、彼を父に持つ可能性があったようです。
その発端は直前の私とサビノ神父の前世からさらに遡る幾つもの過去世の記憶の断片の中に既に在るようですが、どうしても私にはその発端に辿り着くことが出来ずに居ます。
その場所に行こうとすると、(魂に)痛みが生じるのです。
 
鬱蒼と茂る背の高い草、その脇に砂利道が長く続いており、そこに一軒の小さな空き家(小屋のような‥)があり、私はその先の狭い路地を目指して一人で歩いていました。
夢は毎回そこまでは私をいざなってくれますが、その空き家の手前で、まるでTVの電源が突然切れるように夢が終わります。
どうしてもその先に進むことが出来ないまま、もう何十年もの月日が経過しています。
 
‥どうやらサビノ神父は、その先の出来事を知っているようです。
ですが今現在の(霊体に損傷を負った状態の)サビノ神父から、その全貌を聞き出すことはとても難しいと思います。なのでこのことにはもっともっと、長い時間が必要になるでしょう。
 

 
春になって暖かい風が吹く頃になったら、私と神父が40年前の11月、最後に会った箱根は芦ノ湖に足を運ぶ予定です。
あの日私がお腹を壊さなければきっと乗船してサビノ神父と共にひとときを楽しんだであろう船に、乗れれば乗りたいと願っています。
 
‥それにしても実母の葬儀の件では、まだ謎が謎のまま現在に至ります。
 
何故母の葬儀が(それまで長年通い続けていた筈の)イグナチオ教会ではなく麻布教会に決まったのか、本来ならばその辺りの話を(母の骨壺から彼女が抜き取ったと見られる母の火葬許可証の件も含め)弟・大輔(故)の妻の「山田りえ(仮名)」さんから直接訊きたいところですが、彼女は未だに私との接触を避けています。
まさか私の母(故)や父(故)、或いは大輔(故)から伝え聞いた私についての話を、彼女は今でも信じているのでしょうか‥。
 

霊界裁判では量刑が既に決定している箇所もありますが、(これはあくまで霊的な実刑を決定する場ですが‥)弟(故)の嫁・山田りえ(仮名)は極刑の次の量刑の重度で言うところの「第二位」に位置する罪で裁かれる可能性が濃厚です。
ですがこれは未だ、決定ではありません。

 
静かに事の経緯を見守りながら私は、これから現世に転生を目指して舞い戻ろうとしているサビノ神父の御霊(みたま)と、会話を続けて行きたいと思います。