2024年5月に正式にリリースされたNewJeansの “Bubble Gum” は、日本では同年3月に某シャンプーのCM曲として世界で最初にお披露目された。
私の記憶が正しければ、日本で最初にこの楽曲が紹介された時の歌詞は大半が日本語で構成されていた。だがその後 (ヘインの怪我により) 4人でパフォーマンスされた時には、その部分がごっそり英語と韓国語に変わっていた。
この曲も冒頭はハニ (Hanni) のヴォーカルでスタートするので、楽曲が華やかに聴こえる。
そもそもこの曲に関してはさほど派手な曲ではなく、NewJeansの持ち曲としては地味な部類かもしれない。ミディアムテンポでメロディー構成は緩め。
とは言えPVのインプレッションは強く、きらきらと光る波に相反してNewJeansのメンバーが古びたフィルムに映り込んだ思い出のシーンのように表現されているので、むしろもの悲しさを感じてたまらない気持ちになる。
この独特なもの悲しさを見事に映し取ったミン・ヒジンの才能を、あらためてまざまざと感じた作品だった。
既にこの頃からADOR 対 ミン・ヒジン、ADOR (HYBE) 対 NewJeansの戦いは始まっていたが、むしろ私が気になったことと言えば、丁度この頃からミン・ヒジンもNewJeansの5人も大きなステージを意識した活動に固執し始めたことの方だった。
大舞台でスポットライトを浴びて、そこに大勢のファン (バニーズ) 等の声援が飛ぶ独特な環境は、その後の彼女たちの精神を急速に蝕んで行ったように思う。

ミン・ヒジンの海を切り取った映像は、抜群に美しい。
彼女は時を超えてここに来た存在だ。それは彼女自身すら気付いていない真実かもしれない。
だが別の映像を見た時に、私は彼女の転生に気が付いた。その事を勿論本人は知る由もないが、今のミン・ヒジンを見ているとかえって自身の魂のルーツを知らないでいる方が良さそうな気もする。
傲慢な言動、闇に堕ちたと言っても過言ではないミン・ヒジンの最近の言動は、歪んだ自信に基づくものかもしれない。その過信を脱ぎ捨ててしまえばそこに才能の輪郭だけが浮き彫りになる筈だが、もう時すでに遅し‥。
思い出ノートは全て書き終えた。
丁度この作品 “Bubble Gum” がリリースされた頃からNewJeanz (ミン・ヒジン含む) の思い出作りが加速し、東京ドームのコンサートで彼女たちはその頂点を迎えたようだ。
日本の5人と韓国の5人、‥それぞれの形で彼ら自身も終焉を間近に控え、各々の音楽業界やメディア等全てを巻き込みながら、世界が急激に変わろうとしている。
この曲の “Bubble” ~風船のように、それは高く高く上がって行くがいつかどこかで割れて壊れてしまう。その残骸はあとかたもなく波間のやわかな泡となり、押し流されて、いつかひっそりと海の底で眠りにつくのだろう。
