目次
・26/09/21 Mon. 『現代川柳と現代音楽』
・26/09/22 Tues. 『研ぎ澄ませる』
・26/09/23 Wed. 『風邪』
・26/09/25 Fri. 『月は見えない』
・26/09/26 Sat, 『浸る』
・09/27 Sun. 『痺れる』
26/09/21 Mon. 『現代川柳と現代音楽』
某句会の結果が出た、と言う某方のXを見たので見に行くと、案の定普通とは言い難い諸々が佳作~秀句にズラリと並んでいた。
私が目指す川柳とはおよそかけ離れているし、痛覚を刺激しないとまかり通らないような辛味成分だけが際立つ、所謂「現代音楽」のハチャメチャ感に通じるような破壊精神だけが突出しているように見えた。
Topに居る人の川柳が好きで参加した結社なのにその方が選に立たない仕組みになっていて、目に見えてハチャメチャ(ヤンチェ・オンテンバールみたいな?)な志向の選者がバトンを渡し合っているような危機感しか感じない。
他の会報や句会にも私は参加しているけれど、正直なところもっと普通で優雅ですぞ👊🏻
そして美しいものを美しいと思う感性がちゃんと活かされている句会として成り立っているので、段々と気持ちがそちらに動いて行くのも致し方ないわけで。
選に引いて頂く、と言うスタンスを私は好まない。
選者は此方で選ばせて頂く、音大生の時代から私は恩師を自分で選んで生きて来たわけだし、そのスタイルをまさか短歌や川柳でも貫き通すことになるとは全くねー‥。
頼みますよTさん‥🌕️
現代音楽と現代川柳はよく似てる。結局理論と様式美を破壊した形態の、片方は音楽、もう片方は文学と言う、両方共に破壊芸術の類いである点が。
流石に界外の知り合いには紹介なんて出来ません!👊🏻
芸術を痛覚でしか認識出来なくなったら、終わりだと思う。そう言う破壊志向にはくれぐれも及ばないよう、王道の表現、王道の表現者を私は志したい。
26/09/22 Tues. 『研ぎ澄ませる』
こうして外側に向けて日記を書き始めた切っ掛けは、銀色夏生の日記本だった。正直、なんてツマラない本だろう?って思ったから。
それまでは普通に時々日記をつけていたけどそれは、私に何かあった時に夫に遺すだめの言葉だったから、それはそれで味気ないものだった。
内側へ向けて書く言葉と外側に向けて書く言葉とでは、飾り付けに圧倒的な差が出るのは当然のこと。
どうせ外に出すのだからもっと作り込んでも良いかも‥ と今、はたと気が付いた。
魅せる言葉。だけど研ぎ澄ませた文字を編んで行く。そのくせ個性とか華やかさを徹底的に抑え込んだ、普遍性に満ちた言葉で書いて行く日記。
そこを目指そうと、台風一過の空を見上げながらぐるぐる思考を巡らせている。
あっちこっちで「かんたん句会」や「かんたん歌会」が開催されている。
色んな表現活動がコンビニエンスになって行く。正直やってられない。
26/09/23 Wed. 『風邪』
連休らしい連休を過ごしてはいないにせよ、ここで風邪引くか?!と言うタイミングで風邪を引く。
頭痛・やや発熱・鼻水・関節痛に加えてお腹の調子も今ひとつ。食欲なし。完璧な風邪カルテが仕上がりそうな今日の体調は、最近にしては久しぶりである。
それでも歌を編み川柳を詠み、音楽に触れる。私の日常は変わらない。
ただ一つ大きく変わった事があるとしたら、移住計画の変更ぐらいだろうか‥。詳細はここには書かないでおく(万が一内部事情通がここを覗いているかもしれないので)。
私が何を考えて生きてるか、って?
それは永遠に秘密です。
26/09/25 Fri. 『月は見えない』
相変わらず風邪が治らず、今日の作業は「ひたすら寝るだけ」に決定。よって川柳の某句会は欠席した。自分の句も抜かれてないし、気になる句が一つも無かったし。
それよりTopのTさんは、相変わらず私のプライベート用のアドレスに句会の招待状を送って来るし、メアドも周りから丸見えだからまぁ、「別に来てくれとは思ってないよ。」と言われてると解釈して、銀河君専用のアドレスをあらためて伝えることもしないでおこうかと。
川柳社のTopは大好きだし気も合うだろうなと想うけど、そこに集まる面子の感性が合わない。
セルフプロデュースの観点でも、今後余り深入りは避けた方が良いのかもしれないと思っている。自分の作風が高く評価されるスペースは、自分が一番よく分かるから。
ここは人付き合いを一旦棚に上げて、自分軸に徹するのがベターかな。
少しずつ食事の量を増やしているが、どうにもお腹のコンディションが今ひとつ。事を急く必要も無いと思うし、ゆっくり休養に専念しつつ。
熊谷冬鼓さんの句集、「雨の日は」を入手した。普通の言葉で綴られた美しい川柳句集は、今後私のお宝の一冊になりそうだ。こういう感性の人が上に立つ結社にささやかながら参加出来たことが、とてもとても嬉しい。
SNSで然り気無く人が離れている気配も背中に感じつつ、自分は誰にも迎合しないで生きているのだからこれも又必然、と割り切る。
私の住む場所は曇っているのだろう。月は見えない。

26/09/26 Sat, 『浸る』
体調は今一つではあったが少しずつ食欲が元に戻って来たので、夕食を終えてそのまま音楽の作業に入って行く。
週末の音楽探索、新譜に目立つ楽曲がなかったものの旧作をゴリゴリ漁り、古いカンツォーネやブリティッシュ系のポップス等を捲って行く。
没入。そして音楽評論ブログに評論を綴る。
あの時、教師にならなくて本当に良かったと思う。
生前の母は私に楽譜店の店員の就職をやたら勧めて来たが、何故だったのか今となってはもう分かる筈もない。ただ一つはっきりしていたことは、本当は彼女が私になりたかったと言うこと。母は晩年にかけて「写真家」を気取って、webサイトまで作っていた。数ページの写真を母の死後に捲って行ったが、全ての写真の構図が曖昧で、表現したいものを持たない人だと知った。
子にとって親は偉大な存在だからずっと私は母が作り出した「才女物語」を信じて来たが、全部母が作り出していた虚像だった。
私がジャズを弾けば彼女も真似をしたし、私がシャンソンの訳詞や訳詞コンサートを開催すれば、どういう訳か母も訳詞を始めたり‥。彼女の死後に実家から大量の訳詞メモを発掘したけれど、やはり母の写真同様にどの作品も焦点の合わないぼんやりとした翻訳が並ぶだけだった。
そして思った。母は、私になりたかったのだと。だから私が本気で表現者になろうと志しを決めた途端に、その道を全力で妨害して来たのだ。
私は生涯表現者で居続けるだろう。それが音楽であれ文字の世界であれ、短歌であれ川柳であれそれ以外であれ、私は生涯何かを表現し続けて行くだろう。
遠いリラ星の最期の瞬間、次に生まれ変わることがあるなら芸術家か表現者が良いと思った、あの時の記憶を私はずっと生き続けている。
吉田美奈子の「悲しみの停る街」を聴いている。
美奈子さんは私の過去のブログを読んできっと激怒しただろう‥、でもやはり美奈子の声は唸っていた。でもその唸り声は彼女が多くの年月を積んで来てそこに宿る苦悩や苦労や思い出が太い枝となり絡み合い、全てが美奈子の体を通して唸り合っている。それは少し耳障りな音色をともないながら、段々と激しく優しい唸りを再構築しているように思えて来る。
時に、文字は逆のことを相手に伝えてしまうようだ。吉田美奈子に、私のほんとうの思いはきっと伝わらない。
こんなにアイしているのに。こんなに彼女の音楽を私は愛していると言うのに‥。
09/27 Sun. 『痺れる』
日中の長い作業で完全なドライアイ。人工涙液をプチ込む。
日中の長い作業で完璧なまでの腰痛。タイガーバームをブチ込む🐅
目もカラダも痺れたり乾いたり色々大変だけど、伊藤亜和さんのエッセイが絶妙に面白いのでサクサク読み進めて行く。
イヤホンからは音楽を‥~、ちょっとM.H掛かってるけど過去世では私たち姉妹だったわけだから、致し方ないよね。
彼女には描いている未来があるから、その想像図に沿った未来しか描けない。そこが私と違う。私は想像図すら描かないから逆に、予期せぬ未来を産み落とす。
さてどちらが面白いでしょうか?
そんなことを考えながら、Xのプロフィールの一部をサクっと書き替えた。何を、どの表示が変わったのかは自己責任で見に行って下さい。
案外と重要な箇所が書き替えられているので、あえてここには書きません。
度重なる台風で、見事なまでに体調はガタガタです。
