中断したセムヤーゼとのコンタクト (Interrupted contact with Semjase)

ふと気づけば2024年1月1日以来、ここに足を運んでいなかった。と言うより地球内での様々な出来事が発する「念」や「圧」による影響で、私は酷く体調を壊していた。
特にブラックガーネットの残片が方々に散らばっており、それらが私の体やメンタルに強い負荷を掛けて来るので、彼等をどのようにして追い払うべきかについて私も夫(天野玄斎)もかなり労力を使い込み、正直ゆっくりと新年を楽しみ味わう時間さえも膨大に奪い取られた。
 
 

参考記事: エレナ・ダナーンを突き動かしている高次悪 “ブラック・ガーネット” の正体 – The identity of the high-order evil “Black Garnet” that drives Elena Danaann

 
一方で私は自身の本来のミッションである音楽活動を活発に再開しており、新しいアルバムの構成や断片の作曲にも精魂を込めている。その過程でまだまだ知られていない北欧のトラッドやクラシック音楽を研究すべく、楽譜等を入手して実際にそれらを奏でてみたり‥ と、兎に角時間は幾らあっても足りない。
 
芸術家の中にも作曲家と音楽評論家の両輪があり、その両輪を同時並行的に動かして行くことは人の想像を超える難しさがある。私はその難しい作業を日々欠かさず継続させ、現在に至る。
 
 

 
2024年1月31日、諸事情によりこれまで断続的に続いて来た私とセムヤーゼ女史 (プレアデス星団 次期Top) との情報交換等を一旦止めることとなった。
思えばその切っ掛けは私のリラ星時代の過去世の妹との現世での再会だったが、セムヤーゼにとってそれはとても都合の好くない出来事だったようだ。その一件の直後から少しずつセムヤーゼが私の活動から距離を置くようになり、昨日私が行った創造神的存在でもある「クリエイション」とその派閥の一人である高次の存在とのコンタクトが最後の切っ掛けとなり、私はセムヤーゼとの交信を一時的に停止することを決断した。
 

そもそもプレアデス星団は政治体制として世襲制を継続しており、セムヤーゼは次期Topの呼び声も高いことで知られた存在だ。
だがそこにリラ星最期の巫女だった私と、現世にほぼ同時期に転生して来たリラ星最期の巫女の妹の存在が明らかとなったことで、それがセムヤーゼの一党独裁の地位に大きな影を落とし始めたのではないかと言うのが私の憶測だが、その辺りに対するセムヤーゼの本心は遂に今日まで私に対して彼女が明らかにすることはなかった。
 
 

創造神 クリエイションはこう語る。
【真のもののトップに立つ存在はものの真ん中に在るべきで、集団の上位に君臨してはならない。つまりそこはスポットであり、誰からも視えない場所に居続けることに等しく、その状況に使命感を感じられる人材がそれを為す必要がある。】

 
私はこの、クリエイションの意図に深く感銘を受けた。そしてその通りだと思った。
この観点で言えばセムヤーゼは常に自身を政治体制の「主」「唯一上位の存在」であるべきだと認識しており、他にその候補者を感じる度にその相手を要領よく自身の支配下に据えようと言う心情が都度都度見て取れた。
正直常に自身を上位互換しようと必死になるセムヤーゼに対し、これ以上リラ星最期の巫女である私が関わり続けることは双方にとって余り良い結果をもたらさないのではないかと私も気付き、これまで表向きは円滑に続いて来たセムヤーゼとの情報交換を止める決断に至った。
 

後記:
先週から私は酷い胃腸炎に悩まされており、ようやく体調が回復して来た矢先のこの出来事で私はさらに疲労し、本記事はここで一旦〆。
グレイ星人(ライトグレイ星人種)のグレン氏とのコンタクトは随時継続しているので、又新しい情報があった時、それを公開出来る場合にはここで放ちたい。
 

 

 
[ Partial English translation ]
 
On January 31, 2024, due to various circumstances, I decided to temporarily stop exchanging information between myself and Ms. Semjase, which had continued on and off until now.
Now that I think about it, the trigger for this was my reunion in this world with my sister from my past life when I was on the planet Lyra Star. But that seems that this was a very inconvenient event for Semyadze.
Immediately after that incident, Semjase gradually began to distance himself from my activities.
And yesterday, my contact with “Creation,” which is also a creator god, and a higher being who is one of its sects was the final trigger, and I decided to temporarily stop communicating with Semjase.
 
In the first place, the Pleiades Cluster continues to have a hereditary system as its political system, and Semjase is known to be highly sought after as the next top leader.
However, it was revealed that I, who was the last shrine maiden on the planet Lyra Star, was in contact with the younger sister of the last shrine maiden on the planet Lyra Star, who was reincarnated at the same time in this world.
This may have begun to cast a large shadow on Semjase’s one-party dictatorship. That’s just speculation on my part, but it’s also true that there were communications with Semjase that made me think so.
However, Semjase’s true feelings regarding this matter were never revealed to me until today.
 

The creator god Creation who was named by us says this.
[The being who stands at the top of the real thing should be in the middle of things, not reigning above the group. In other words, it is a space there, and it is equivalent to staying in a place where no one can see you. Human resources who can feel a sense of mission in the situation must carry out that mission. ]

 
I was deeply impressed by the intent of this “creation.” And I thought that all right.
In this point of view, Semjase always recognized himself as the “master” or “sole superior” of the political system. And each time she sensed another candidate about it, I could see that she wanted to bring that other person under her control in a precise manner.

Honestly, I felt that if I, the last shrine maiden of the planet Lyra, continued to be involved with Semjase, who was always trying to make herself more compatible with her, it wouldn’t be very good for either of us.
I have come to the decision to stop exchanging information with Semjase, which has continued smoothly on the surface.

 
PS: I’ve been suffering from a severe case of gastroenteritis since last week, and just when I was finally feeling better, this incident made me even more tired, so I’ll end this article for now.
I’m constantly in contact with Mr. Glen of the Gray Alien (Light Gray Star Race), so if we have new information and can make it public, we would like to release it here.

 

ディストピアへの警鐘 – ‘Love wins all’ (IU with Taehyung)

諸々の事情で音楽活動を緩めていた韓国のディーヴァ IUが帰って来た。
2024年1月24日、新曲 “Love wins all” のPVも世に放たれた。

最初に綴っておくが私はこの種のレビューや音楽評論を書く際に、巷の解説や音楽ライターや映像評論家等のレビューを事前に読まないことに決めている。その為他の人たちとは若干異なる内容を書くこともあるかもしれないが、そもそも表現に回答等存在しない筈だからそれで好し。
それが私の考えなので、先に述べておく。

前述を踏まえた上で、ここからの私のレビュー(音楽評論及び表現評論)をお読み頂ければありがたい。
 


物語はディストピア世界に舞台を移し、そこで生き残った二人の男女にスポットを当てて進んで行く。
彼等の最期まで、そう長い時間は残されてはいないだろう。演じる女性はIU、男性はテヒョン(BTSの ‘V’)だ。女性は声を持たず、男は片眼が視えないと言う設定だ。その二人が廃墟と化した会場で空想上の人生最後の結婚式を挙げる。
 
黒いタイツに身を包んだ大勢の人々が途中登場し、結婚式上を盛り上げて行くが、韓国通のサイトではこれを「ネトウヨを表現したものだ」等と取り上げている。だが、私にはそういう風には視えない。
つい先日まで黒タイツの人々は生きていた、男女二人の友人や家族たちだったのだろう。
 
動画冒頭にも登場する四角い箱は、この世から自由とそれを謳歌しようとする生命と魂の全てを駆逐することをミッションとし、この世界の侵略を進めて行く存在。愛し合う男女二人も、死の箱の標的だ。
 
劇中のテヒョンの手に握られた小さなビデオデッキは、幸せしか写さない。ビデオデッキの中には色彩が生まれ、廃墟に色と光と愛し合う男女の笑顔と生気が灯る。
男女二人にとって、この世の最期を記録するやさしい相棒だ。
 


劇中テヒョン演じる男性は、視えている方の目でビデオを覗き込む。そこに彼女が写り込み、そこからPVは二人の人生最期の結婚式へと進んで行く。
 
こういう時の幸せの描写は一瞬だ。
四角い死の箱が間もなく標的の二人を捉え、箱のミッション通りに男女二人の生気を奪い取って行く。
そしてそれが二人の最期の証しのようにビデオには最期の瞬間までが写し撮られ、生気と肉体を消滅させられた後の二人の衣服だけが廃墟の衣服の残骸の山の中へと吸い込まれて物語は終わる。
 

 

“Love wins all”
singer: 아이유(IU) アイユー
作詞: 아이유(IU)
作曲 & 編曲: 서동환
映像監督: オム・テファ

 
映像及びストーリー性は一個の映画を観るような壮大さをここまで湛えているにも関わらず、一歩俯瞰して楽曲及び音楽作品単体に焦点を当てようとすると、どこか月並みで「可もなく不可もなく」しいてはわざわざIUに奏らせなくても良さそうなクオリティーであることに、誰もが気付くだろう。
 
勿論テヒョンに於いては声も出さずセリフもなく、ただ彼の表情だけが粛々と描写されるのみ。だがこの動画の中のテヒョンは繊細でか細くて情けなくて、兎に角最高だ。
勿論IUの歌唱力は申し分なく、高音の描写も際立って美しい。
にも関わらず、兎に角楽曲が良くない。それだけがただただ残念としか、もはや言いようがない‥。
 

今私はこの記事の背景にSpotifyで音を出して楽曲を何度もリプレイしているが、映像のインパクトが余りに凄いので楽曲がどうだ‥とか、もうそんなことはどうでも良くなっている。
つまりは楽曲が全く耳に入らないし、残らないのだ。
ある意味この作品はPVとしては大成功で、「その程度の楽曲」でも大きな成果を叩き出すことになるだろう。
 
でもこのブログの読者の方々ならば、そこで終わらないと私は信じたい。
このブログの読者ならばきっちりと、最後まで、一個の音楽に対する自身の熱量とジャッジメントを下し結論を出すところまで手を抜いて欲しくないと、私は願わずにはいられない。
 


さて。この動画を視た方々は恐らくお気付きだと思うが、これが単なる物語上の設定を超えて、現実世界で今現に起きていることを代弁した内容であることに震え上がったのではないだろうか。
 
勿論色々な考えがあるので私はあえて思想の統制を図る意図はないと前置きを述べた上でここに書かせて頂くと、これは現在の地球上に実際に起きている出来事ととても符合していると思っている。
 
某ワクチンの危険性を予め知らされることなく、一部の富裕層の中で方向付けられた「人類削減計画」が粛々と進められている。
地球人の大半はメディア洗脳が完成された状態なので、TVやCMで言われていることにまさか間違いなどないだろうと思い込んでおり、情報操作が個人の自由を奪い去った世界の中で出来得ることを先ず良心的に考えようとする。
その結果、これだけ多くの人々が、治験中の危険性きわまりないワクチンを「みんなで打てば怖くない」の精神で接種してしまった。
 
その結果、多くの犠牲者が出ており、2024年の現在の超過死亡数が大変なことになっている。
 

話を戻すとこの動画の最後に真っ赤に燃え上がるような「四角い死の箱」は、人類の「血」を意味する描写ではないかと私には思えてならない。
 


全てのヒントは、意外にも日常生活の近くにそっと置かれている。
エンターテイメントの中にもそれはあり、常々頭を捻りながら、日常の些細な現象に敏感かつ疑り深く生きることが身についていれば、小さな現象の変化或いは未来からのシグナルも、きっと見逃すことはないだろう。
 
勿論文学や映像、音楽の中にもシュールなヒントが沢山隠されている。

音楽家が仮に神秘主義者だったとして、それを露骨に世に放てばその表現者は世の反感を買うことにもなりかねない。場合によっては獄中に放り込まれる、そんなことにもなるだろう。いわゆる魔女狩りだ。
だから音楽家や映像作家、詩人や作詞家、画家等に及ぶ表現者やクリエイターたちは、こうした危機感をそっと作品の中へ偶然を装って投影し、その作品に触れる人たちの感性に揺さぶりを掛けて行こうと必死なのだ。
 
‘Love wins all’ も例外ではない。
なのでこの作品 ‘Love wins all‘ が楽曲として未完成だとしても、私はそれをただジャッジメントするだけに留めたくはないと思い、この記事を綴っている。
 
最後に動画本編を掲載したい。
各々の思いを心に留めながら、観て頂ければ幸いだ。
 

プラスティック・ラブ (竹内まりや) & カバー比較 – Plastic Love (by Mariya Takeuchi) cover song’s comparison

ここ数年で、竹内まりやの旧作『プラスティック・ラブ』のカバーがかなりの数増えている。
中には良作も駄作も混然一体と入り混じるがここでは、わたくし 遠矢美樹の「推し」のカバーを上位6つご紹介したい。
 
本当はTop 5. でのご紹介が収まりが良かったがやはりなかなか甲乙付け難いものがあり、一個はみ出しでTop 6.での掲載と相成った。
 

最上位はダントツで、AGA (香港) のカバーを選ばせて頂いた。とにかく解釈がシンプルでお洒落で、センスが良い。ヴォーカルもオラオラな出しゃばり感が無く、その点ではご本家 竹内まりやよりも断然良い仕上がりだと思う。
 
竹内のヴォーカルは何やら出しゃばり感満載で、その出しゃばり感にさらに追い打ちをかけて攻め立てる山下達郎のコーラスが滑稽にさえ見えて来る。
この夫婦の関係性をステージ上で表しているようで、以下に竹内まりやのステージ・パフォーマンスが冴えもキレも無いのかと言う証明動画みたいで辛くなる。
 

何はともあれ以下の動画をご覧下さい。
 

PLASTIC LOVE” My Top 6. & ご本家


[ご本家]
竹内まりや「プラスティック・ラブ」ライブ バージョン @ 日本武道館 2000年 (feat. 山下達郎)
 


以下に個人的な推しのTop.6を、下順位から順番に掲載します。
 

【第6位】
竹内まりや(Mariya Takeuchi) – プラスティック・ラブ(Plastic Love) Cover by T.Y.Kim 🇰🇷

 

【第5位】
【竹内まりや】Plastic Love(1984) – AunJi 【真夜中のドア~stay with me~ mix】by UTATAKA – 唄鷹 – 🇯🇵

 

【第4位】
Plastic Love Mariya Takeuchi Cover by Takao Tajima 🇯🇵

 

🏆【第3位】
Friday Night Plans – “Plastic Love” (Live at Studio Tanta) 🇯🇵

 

🏆【第2位】
Plastic Love – Mariya Takeuchi (Cover) – Millie Snow 🇹🇭

 

🏆【第1位】
《Plastic Love》- Cover by AGA 🇭🇰

松の内 (2024年 新春)

明けましておめでとう御座います🎍

今年もよろしくお願い致します。

 
言い得るならば、今日までが「松の内」でしょうか。
この週末は通りを行く救急車の数が激増しており、それが私の胃痛を長引かせているようです。
音楽で外界をシャットアウトしようにも、耳を塞ぐことは遂に出来ず。
 
新年最初の「世界の新譜」チェックを先程終了しましたが、全新譜389曲中私の感性にヒットしたのはたったの7曲。
この記事に、その中でも特に沁みた一曲を貼っておきます。
 

 
全体的に2023年の冬辺りからの世界の新譜は、悲しげな小品が増えたように感じます。
 
そして最近の私はブログを書く気も起きず、世界が平和であり続けて欲しいと願うばかりで、体が勝手に祈りの儀式を始めます。
それを神々が望んでいるのならば、逆に本望‥。
ですがそう楽観的にはなれないのは、私や夫 (天野玄斎氏) のネガティブな預言 (予言) の一つ一つが確実に表面化しているからでしょう。
 

世界が破滅に向かっているのではなく、むしろ破滅した世界を高次の存在等が英知を結集させながら正常な状態に立て直そうとしているように、私には見えて仕方がありません。
創造と破壊は表裏一体です。
 

この記事の最後に、何とも心を揺さぶられる新譜が少なかった2024年最初のプレイリストも載せておきます。
 
 

Christmas 2023′ (ジャンヌ・ダルクから今の私まで)

2021年12月26日を起点とすると、怒涛のような2年間が経過したように感じます。
私がかつてジャンヌ・ダルクとして生きた時、私の周囲の人々の大半が敵でした。火あぶりになる私を微笑みながら見つめていた人々の顔を私も又、見返していたように記憶しています。
その中の人々の多くが転生を繰り返し、私の実母も実父も弟も「敵」側の人たちの生まれ変わりだったと感じます。
 
世界の全てが敵ならば、どんなに心からの救いや平穏を求めても味方が現れなかった、この半生にも納得が行きます。
過去の記憶はそのまま魂に引き継がれますから、私が現世に於いても孤独である理由にも整合性が見て取れます。
 
 

 
2023年、クリスマス。
世界は光と闇に分断しているように見えますが、光のある所には同時に闇も存在します。「光だけ、闇だけのどちらか片方の世界だけが在ることの方が不可能である」‥ とは、宇宙のクリエイションからのメッセージ。
常に両者は共存する、それが宇宙の法則です。
 
争いを起こすのは常に闇の分子を多く持つエレメントだと言われますが、そうとも言えない場合もあるようです。
だから私は「闇側」「光側」と言う分類を好みません。
 
今日までに私を怪訝に感じた人たちに伝えることがあるとすれば、私が私に至るには様々な人生の変遷を経て来たと言うことです。

私が仮にジャンヌ・ダルクの生まれ変わりであると言う仮説を肯定すれば、私が朱に染まらない理由をきっとご理解頂けると思います。
黒を白と言い替えないのが私であり、悪を(その相手と親しいからと言う理由で)善に引っ繰り返さない。‥それがジャンヌ・ダルクの生き方でした。
 

‥ジャンヌ・ダルク時代の多くの魂たちがどっちみち私と関係性を当時とは全く変えたがらないのであれば、私は私の生き方を貫くのみです。
当時と異なることがあるとすれば、それは現・夫と出会ったことでしょう。
夫はそもそも人/ 属性の魂ではないので、むしろ私の人間性や霊性を客観的に理解してくれますし、私が何故こうなるのかと言う理由についても理詰めで熟知しているように感じます。
 
勿論人間と言う温かい皮膚を持つ友人が欲しくないと言うわけではないですが、それは私が妥協や癒着等と言うだらしのない価値観を許容したり、‥特に親しい人が悪人であっても「善人だ」と価値観を引っ繰り返さなければ永遠に難しいのかもしれません。
魂を悪魔に売り渡すことは、私はこの先永遠に無いでしょう。それはこの先、私のようなタイプの後輩が苦しまないように私がバイブルとなることで、少しでも歴史に貢献出来ればと言うささやかな祈りにも通じていますので。
 
何も悪いことをしていないのに「悪人だ」「嘘吐きだ」と言われた私の苦しみを私は、やり返すのではなくもっと別の方法で返して行くべきだと感じているので。
 
 

 
‥これでも私は社会性を手放してはいません。
むしろ中途半端に社会性を身につけてしまったことで、誤解が生じているのかもしれません。
なので最近はみだりに人と関わらないよう、人と親しくならないよう細心の注意を払いながら生きています。
 
2023年12月24日。
この記事を読まれている皆様にこの曲を贈ります🎄
 
 

 

恩師; 遠藤郁子さんの新譜について

私が遠藤郁子さんの弟子だったことを、未だ殆ど誰にも話してはいません。何故ならば私が遠藤先生の弟子になった年齢が、小学校2年~3年頃の約一年程だったからです。
実母があのような人だったので、私と師が急接近した頃合いを見計らって私と演奏先生を母が引き裂いたような格好に‥。
 
そうやって私はこれまで何人もの心惹かれる人たちとの別れを経験し、現在に至ります。
 
 

 
そんな恩師 遠藤郁子さんの新譜が、何と近日中にリリースされることに気付きました。いわゆる「風の便り」のように、誰かが私に天上界から知らせてくれたのです。
今さっき、Amazonで予約購入をして来ました。

 
💿 “ショパン、哀しみのジャル~2015年リサイタル・ライヴ』 遠藤郁子” : ショパン (1810-1849)
 

 
相変わらず私への霊的な圧(つまり呪詛、呪いのようなもの)は尽きず、間もなく某所へ慰霊を兼ねた旅行を控えていると言うのに奴等(高次悪)は私の内臓を直撃して来ます。
何とか夫のヒーリング施術で事なきを得ていますが、食欲が激落ちしていて油断が出来ません。
 
昨日も練習をお休みしたのですが、今日も(明日からの旅行の為)もしかすると練習は休むかもしれません。
今丁度ピアソラの「天使のミロンガ」の譜読みを開始したところなので、出来れば全身に、指先に音符を叩き込んで行きたいのですが、体調的には難しそうです。
 
戦わず、ここは慎重に行くしかありません。
 

※遠藤先生へ、是非ひと目お目にかかりたいです。
この記事をもしも読んでいて下さったならば、私の Facebookの個人アカウント ないしは “X” (旧 Twitter) からでも良いので、ご連絡をお待ちしております。

 

 

https://www.facebook.com/didier.merah.2019 

音楽探索 “Black Earth” (Composed by Fazıl Say)

昨日 2023/12/01は2021/12/01に先だった実母の三回目の命日でしたが、母の葬儀が亡くなった実弟の奥様により私には徹底的に内密にとり行われた為、私はじっと母の毒気だらけの圧から身を潜めて静かに家の中で過ごしていました。
 
周辺でざわざわと親戚等の吐息を(霊感のようなもので)感じ取ってはいましたが、兎に角家から出ないよう静かに、本当に静かに過ごしました。
 
一方私の音楽熱はかなり過熱傾向にあり、現在色々なラテンのクラシックから特に最近ハマって聴いているFazil Say(ファジル・サイ)のピアノ曲を注意深く片っ端から聴いています。

Fazilのピアノ作品の中でも特に、“Black Earth” が群を抜いて秀作と言えるでしょう。
勿論作曲者自身が奏でる “Black Earth” も素晴らしいですが、個人的にはウクライナ出身の現役音楽教師 Nataliya Tkachenko(ナタリア・トカチェンコ)が奏でる同曲の表現がとても美しいので、そのバージョンを何度も何度も聴いています。
 
 

 
名曲 “Black Earth” の中には数カ所プリペイド・ピアノで演奏しなければならない箇所があるのですが、自宅に生ピアノを持っていないので私はその箇所を通常の奏法で演奏することに決めて、昨日楽譜を取り寄せたところです。
 
短い記事ですがこの記事の最後に、Nataliya Tkachenkoが奏でる “Black Earth” の音源のリンクを貼っておきます。
この作品を聴いていると、まさに今の地球の悲鳴が随所に散りばめられているようで、少し苦しさも感じます。ですがそれより何より楽曲の美しさが、悲しみや悲痛さを凌駕して行きます。
名曲中の名曲だと思いますので、是非興味のある方は聴いてみて下さい🎵
 
 

 
折角ですので、原作者 Fazıl Say の同曲の最近のパフォーマンス動画も掲載しておきます。
此方は此方で物凄い迫力があり、個人的な好き嫌いなど挟む余地のない素晴らしい表現です。
 
 

 
“X” (旧Twitter) の埋め込みがどういうわけか反映されないので、リンクのみ貼っておきます。
ポスト内容は多岐に渡りますが、是非フォローして下さるとありがたいです。
 
📎 https://twitter.com/DidierMerah

揺らぎ世代と “揺らぐ表現” との関連性 – arabesque Choche

男女ユニットのChouchouから作曲家(男性の方)、arabesque Chocheのニューアルバム “eclogue” がリリースされたと言うので聴いてみた。

最近流行りのアップライトの蓋を全開にして、ハンマーのカタカタ音を入れた音質で全編レコーディングされている。
最新の「世界の音楽」のピアノ部門にも最近見られる、要は流行に乗った形の安易な構成だ。
これは言わばこの音質にさえセットしておけばリスナーを、往々にして「思い出」の世界観の中に誘導出来るので、余り作曲ないしは演奏が得意ではないピアニストが最近こぞって乱用している。
印象としては「過去は素晴らしかったが、今の世界は余りに絶望的だ。」と言う、陰鬱な後味が残る感じで私は好きではないし、この「思い出カタカタピアノ」が冒頭に現れた瞬間曲を変えたくなる(笑)。
 
簡単に言うところの「ピアノのLo-Fi化」であり、要はフォーマルな演奏技術を持たない演奏家の最後の砦とでも言った方が適切だろう。
その中でも例えば Stephan Moccio の新作 “The Sound of Snow” のように、楽曲スタイル自体がLo-Fi化していないしっかりした楽曲もあるが、ならば何故Stephanはこの作品を「思い出カタカタピアノ」の音質で表現しなければ居られなかったのか、わたし的には謎である‥。
 


さてarabesque氏のニューアルバムに話を戻す。
 
楽曲的には目新しいところはなく、全体的に夢の中にぼんやり佇んで居るような印象。
それにしても何故このアーティストは毎度毎度手法を変えるのだろうかと言う疑問と同時に、やはり決定的な欠点は作曲者(演奏者)自身の華の無さだろう。
やはりarabesqueが最も光って見えるのは、相方であるjuliet Heberleがヴォーカルとして参加した時の方だと言える。
     
そもそもゆとり世代の側に近いアーティストだと言うことも、arabesqueの表現や手法の揺らぎの大きな要因かもしれない。要は作風が安定せず、それが作風の一貫性の欠落に直結していると言うことに尽きる。
前作は “no go” のラインでアルバム “Dialogue / Daydreaming” をJulietのヴォーカル入りでリリースしているが、このアルバムの企画は完全に “Lo-Fi” 一択だった。
 


気になったのはJuliet Heberleの声の劣化だ。自身の音域にはない高音を無理矢理絞り出そうとするが余り(恐らくこれはarabesqueの希望によるものだろう‥)に、声が持つ本来の色艶がかなしいまでに損なわれた結果なのだろう。
作曲家とヴォーカリストが夫婦であるばかりに起こる「あるある」な現象の一つとも言えるが、それも企画者或いは作曲者がその観点をしっかり踏んでいれば未然に防げる事故とも言えるだろう。
 
彼等のリスナーを見ていると自分のコメント等を取り上げて欲しい‥ 的な欲求の強い人が多く、Chouchouの二人がウケるようなコメントが多い。ある時は詩的なコメント(レビュー)をわざと投稿したり、又ある時は若干スパイシーでarabesqueやjulietの二人が涙しそうな言葉を選んでSNSにポスティングして行く‥ と言うような。
なのでChouchouの両者は半ば反射的にそんな言葉のマジックに引っ掛かり、それらをさらにリポストして行く間に「ミイラ取りがミイラになる」と言う状況に陥っているようにも見える。

 
先日YouTubeでarabesque氏は新作『eclogue』に因んだLIVE配信を終えたようだが、ざっと見たところ楽曲の説明が大半でさらにはarabesqueはアルコールを飲みながら収録に臨んでいる。
ガチの表現者であればこういう場面で飲酒は避ける。つまり「ほろ酔い」なarabesqueのぐだぐだトークが好きなリスナーしか周りに居ないとも言える、見ていてとても怖くなるような、もしくはとてもつまらないLIVE配信だった。
 


私が最初に彼等 Chouchouを知ったのは、another dawnだった。
原曲バージョンは別にあるがそのバージョンよりも、此方のピアノ一本(ピアノの多重録音かもしれない)とjulietのヴォーカルが織りなす世界はこの世のものとも言えない程の美しさで、尚且つ哀愁漂う歌詞はまるで3.11大地震そのままの描写とも思える箇所が随所に散りばめられ、彼等がこの先大きく日本を代表するユニットになってくれたら良い‥ と心から祈ったものだった。
 


だが彼等にも段々と欲が出て来たことその他彼等の始まりとも言えるセカンドライフの色を払拭したいと言う願いが強くなり、少しずつ彼等本来の軌道をそれて行った感は拭えない。
その後リリースされたChouchouとしてのアルバム『最果のダリア』はarabesqueのメロディーセンスを上手くjulietが際立たせる好い形が反映され、透明感溢れる美しいアルバムだった。
 


だがその後の作品はarabesqueが迷走するような状況が続き、子育て期間中のjulietの露出も少なくなった。
 
arabesque Chocheも自身をクラシックピアノの演奏家に仕立て上げてみたかと思えば、突然EDMのようなダンサブルな作品を放ってみる‥ 等のどっちつかずな状況が続いており、最近は実験音楽がそのまま新作としてリリースされるような状況が続いている。
 
如何なるスタイルであっても作風が壊れない、これが名作曲家には絶対必須だ。
その意味ではarabesqueは色々な条件を変え過ぎており、その変化に作曲者 (arabesque) 自身が追い付いていない感が拭えない。
さらには「ここぞ」と言う時に必ず何かしらアルコールを比較的大量に体内に取り込む悪い癖は、もう断ち切るに断ち切れないところまで来てしまったようだ。酔っ払いのグダ巻きほど、聞くに堪えないものはない(笑)。
それはトークに於いても楽曲に於いても同様だ。真夜中に書いた手紙を翌朝読まされる読者の気持ちに立てば分かると思うが、そのような思いを絶対にリスナーにさせてはいけない。
 

新作 “eclogue” はさながら、arabesque Chocheが綴った真夜中の手紙を翌朝素面(しらふ)の受信者が読むような感じで、一度は目を通しても二度までは読みたくない‥ と言っても良い出来栄えだ。
それでもiTunesの部門チャートでは瞬時的に首位になるわけだから、彼等には相当我慢強いファンが付いているのだろう。勿論それはarabesque Chocheと言う男性ピアノ・アイドルに対するファンであり、楽曲や表現手法等を余り理解していない、かつ比較的身近に遭遇する確率の高さを逆手に利用する類いの、質の良くない方のファン層に取り囲まれているようにも見えて来る。
 
ある意味羨ましく、尚且つとても危うい現象だ。
 

藤井 風 – 花 (Official Video) – 藤井風の死生観

最近多々問題の動画を配信し続けている藤井 風が、新曲花 (Official Video) 』をリリースした。
そもそもサイババの信者ではないかと噂されている藤井 風が放つ新作動画だが、個人的にこの世界観は嫌いではない。

勿論動画全体にお線香とか「黄泉の国」の匂いが充満しているが、見方を変えると今っぽいとも言える。
よくよく考えてみれば現在の世界情勢はどうだろうか?
世界中のメディアやエンタメ業界が「俺たちゃ健在だぜ」と言う主張を色濃くしているのが現状だが、どう見てもそれが嘘臭いことは誰が見ても明白だ。
ディズニー映画等も大赤字を叩き出し続けているし、アメリカの長期ストライキで俳優たちも最近仕事を再開したかどうか‥ と言うタイミングだ。

世界は確実に破滅に向かって進んでいる。それはもう疑いようのない事実だ。
その「事実感」を堂々と臆することなく、しかもライトタッチで表現した一つの例がこのMVではないだろうか。
 


このPVを見ていたらふと、藤原 新也が1983年にリリースした写真エッセイ集『メメント・モリ』を思い出した。
 

 
書籍中身にはそれと思われるショッキングな写真も多いのであえて此方には掲載を控えさせて戴くが、今このご時世、生と死は当たり前に隣り合わせていると多くの人々がそれを感じているに違いない。
 


そう言えば遡ること2011年3月11日、忘れることの出来ない東北地方太平洋沖地震の直後に私もシュールな感性が全開になり、長い期間これに似た光景を夢にも現実にも見せ付けられ続けた。
別名で綴っていた当時のブログにもいわゆる「亡骸」を思われる写真等を掲載したこともあり、その時は多くの見知らぬ人たちに叩かれたものだったが、私の中では全てが現実であり目を伏せては通り抜けることの許されない出来事だと言う認識が強かった。
 

藤井 風の「花(Official Video)」の中でも、ある種それに似た描写がふんだんに為されているのに彼は叩かれない。
知名度と認知度の差とは言え、そういうことがあって良いと言う気にはなれない。‥と言うより、「生と死」も表現の一つと捉えるべきで、視聴者の機嫌によって表現手法を変えるような姑息な表現者の方がむしろ偽善的だと私は思っている。
 


動画中盤では棺桶に入った亡骸風の藤井 風が目を閉じたまま蘇り、花の紋様を纏った衣服で軽やかに自由に踊り始める。
時間が移動し夜間の設定に移り、遺影をバックに焚火を焚いてダンサー4人を従えて藤井が舞う。
まるで、生きている時よりも肉体を脱ぎ捨てた今の方が何もかもが自由だと言わんばかりに、観ている側にもそれが伝わって来る。
 
メメント・モリの書籍の帯に書かれてあるこの言葉が、ふと脳裏に浮かんで来る。
 

本当の死が見えないと、本当の生も生きられない。

 
人が宗教を思う時、それは自身の中の何かしらの迷い、その迷いとの葛藤の逃げ場所としてそこへ向かって行くような気もするが、往々にして人間は宗教以外の目的地を生きる為の焦点に定めることを案外許されていないのかもしれない。
それが両親であったり友人であったり、何れにせよ逃げ場所が「人」である場合程かえって逃げ場所が絶たれて行くようにも思える。少なくとも私の場合はそうだった。
哲学を得よ‥ と言われても皆小難しいことばかりをのたまう書籍や人が多く、私もそこで外側に哲学の理想を求めることには挫折した。
 

たかがJ-Popのたかだか藤井 風。
最近は少々いやらしい表現が鼻に付いていたきらいもあったが、この動画『花 (Official Video)』には好感が持てる。
但し楽曲のクオリティーは?と問われたら、「可もなく不可もないフツーのポップスですね」と迷わず回答する出来栄えだ(笑)。
 
K-Pop界隈もここ数年間は出口を失い、右往左往しながら新作のリリース(カムバック?)の淵を彷徨っている状況で、あっと人の意識を変えて行くような新作を下手に待ち望んで期待し続けると逆にメンタルがヤラれかねない。
期待も希望もほどほどに、今はこのコロナ禍(新型コロナワクチン薬害)の荒波を如何に上手く渡り抜いて行くか‥と言うところに、全人類はフォーカスすることがベターだろう。
 

「最高の安らぎが死の向こう側にしか存在しない」と藤井 風は心のどこかで感じているのかもしれないが、それはあくまで表現の極論に過ぎないと言う観点は捨てるべきではない。
生きて高みに到達する方法を知っているのは人類のごく一握りかもしれないが、それは何かしらの情報を「知る」のではなく精霊が指し示す希望地図を感じ取れるか否かの問題。
 
私もそんな、精霊と近しい人類の一人であるように‥👼
 

予言のメカニズムについて

 
予言について、多方面からご質問を頂きます。
大方の場合「あたるもはっけ あたらぬもはっけ」と言う考え方をする人たちが多く、占いと同様の扱いを受けることもしばしばあります。
ですが私が考える「予言」はそれとは全く、メカニズムが異なります。
 

先ず予言について。
私の思う予言とはしいて言えば、過去のスケジュール帳を捲って過去に起きた事実を掘り起こし、それを過去に遡りその時代に人たちに伝えることを指します。
その状態に至る過程として「預言」と言うスキルを私は使っており、情報源を間違えないよう日々探索/ 確認の努力は怠っていません。

 
如何なる生命に於いても、これは科学や証明同様 [100%] 等と言うことはあり得ません。よって同じ人が同じ内容の事柄をテレパシーを用いて私に送信して来たとしても、そこには大小含め誤差が生じることが多々あります。
これは私たちが生命体であれば、致し方ないことだと言えます。相手が宇宙の高次の存在であっても、相手がプレアデス星団のセムヤーゼであったとしても、或いは相手がライトグレイ種のグレン氏であったとしてもその同様に情報の誤差は生じます。
 
 
「未来から転生して来た人」が語る予言と、未来から時空を移動して来た人の語る予言は似て非なるものだと言っても過言ではないでしょう。
両者は全く別のプロセスに在る存在だからです。
 
私もそうですが、過去世の記憶を持ち越すことはとても難しい問題が生じるので、自力で今世以前の正確な記憶を引き出すことはとても困難です。
よって「未来から転生して来た人」の語る未来像も同様に、実際のその人が語るその人の記憶がその状況と同じである確証に乏しく、情報発信者の主観が多数描写の中に入り混じることが多いので、彼等の話しを鵜呑みにすることはとても危険です。
 
但し時空を移動して未来から過去に遡ってその場所に存在する人の語る予言は、上記の場合よりも正確性(精度)が増すと言えるでしょう。(勿論個人差は何れの場合にも生じます。)
この場合予言者がエゴを捨て、その時その場に居る人々に献身的に接することが条件であり、そうではなく予言者自身が宗教的指導者に成り上がらんと画策する場合も多々ある為、受信者側にむしろ「相手を見抜く目」が必要になって来ます。
 

 
私の場合は予言する内容と相手は選びます。
世界情勢の視点から放つ予言の場合、送信先は不特定多数に設定します。
ですがとても個人的な予言を放つ時は、送信先である相手にも私同様のミッションを持っている場合に発信を制限しています。
不特定多数の人々が多大な重責を負うような予言を知る必要はないと、私は思っているからです。

 
上記でも触れたように、私が放つ「予言」は高次的存在から受信した「預言」と連動している場合が多い為、私はあくまで機材(アンテナ)に徹しています。
そうすることで自らを律し、エゴを持たない為でもありますが、そもそも私は素の場合でもエゴ自体殆ど持たない生き物ですので、仮に私から特定の個人に予言が放たれた場合でも私が先方の思考や行動を制約したり呪縛で閉じ込めたり‥ 等と言うことが起きる確率は極めて低いとだけ申し上げておきましょう。
 

以上「予言」ないしは「預言」に対する多くの質問をこの記事にまとめました。
参考になれば幸いです。