人類の執行猶予

朝、もう消えてしまった筈の神のギフトはそのまま、地上に溶け入るようにそこに在る。
温厚な自然神を思わず仰ぎ、まさに今この奇跡の瞬間を魂に刻んで行く。

『あと少しだけ、時間をあげましょう。』
そう‥ 確かに誰かが囁く時、再び雨が降り始めた。

自然神からの伝言

涼しい夜は束の間のフェイント。コロナ禍がくれたささやかなギフト。⁡
人類が活動を止められたらここまで夏が快適になるんだと言う、自然神からの無言のメッセージ。⁡
 ⁡
未だ間に合う。人類は今すぐ、生き方の全てを修正すべきだ。⁡
 ⁡
🌎『間もなくこのギフトは消滅します。』⁡‥

緊急事態宣言下の私の夏

あっと言う間に7月も過ぎ、8月も駆け足で私の真上を過ぎて行きそうだ。

緊急事態宣言下の東京はぴりぴりしているようで居て、やはり多くの人達の気持ちが緩んでいるように見える。そういう人達が飲食店で気を抜いて、マスクを外して会話に耽るから、結果としてそれが「飲食店潰し」を生み出していると言っても過言ではない。
 
昨日も向かった先の飲食店で、私と友人2名がマスク越しにそうした見知らぬ客に声を掛け、会話をするならマスクを装着すべきとのアドバイスをすると、決まって恨み節のような眼差しを浴びせかけられるのがオチだ。
私達だって早くマスクは外したい。だが、これは現在の状況を鑑みたところにあるべきエチケット & マナーだと認識しているので、それは他の人達とも共有しなければならない最低限の意識だと言う意味でも声を掛け合うことには余念がない。

 

今週月曜日には新規開拓の美容室で髪を切って来たが、店内はかなりぴりぴりしており、勿論会話は小声で、施術中もマスクは外せないルールになっている。今はそれが当たり前だと認識しており、本来饒舌な私も無言でdマガジンの雑誌を捲りながらカットの状況を時折鏡でチラ見しつつ、担当の美容師さんともアイコンタクトで此方の心情を伝えて大人しくしていた。
 

どんな事情であれ、女性が髪を切ることには何かしらの決意のようなものが芽生えるものである。最近の私は「生き方の軸」の徹底化を試みている最中で、自分には勿論、対人関係の緩みを一切合切切り落として行く方向で人生の舵取りを大きく変更した。


 
新型コロナワクチン接種の是非を巡り、私は多くの人間関係をリセットした。その中にはずっと親しくさせて頂いていた、とても有名な女優数名も含まれているが、あえて言うならば今流行りの「自分軸」をもっと太くした生き方、考え方に完全にシフトすべきだと私は思っている。
多くの意見の一つ、ではなく、私が常々吟味して選び抜いている選択肢の精度をさらに高め、自信を付け、他者からの信頼性を高める意味でもそうするべきだと思うようになった。

 

そう言えばアルバムHeavenのレビューや感想が殆ど誰からも届かないが、そんなことも気にならなくなった。作品性や演奏技術を含め、それが最高峰の作品であると言う客観的な自負は変わらない。
音楽評論家としてこの作品を見ても、このジャッジメントはぶれることが無いのだから、本当に大した作品を生み出してしまったものだと我ながら圧巻だ(笑)。
 

Twitterにも折に触れ綴っているが、「地球人類は目下最低でも5年は謹慎(自粛)すべきだ」と言うのが、自然神の総意である。
経済主体でここまで地球環境を汚染し、このパンデミックが止まぬ最初の理由が上空汚染だったことを、人類の大半が既に忘れ去っているように見える。
 
人間は本当に「耐える」と言う機能を喪失しており、ニュース等では今回の緊急事態宣言に対し「ず~っとやってるじゃないですか。いつになったら終わるのか分からない緊急事態宣言になんて、従ってはいられませんよ。」等と図々しく喋り倒す人達も居て、彼女たちが目の前に居たら横っ面を思いっきりぶっ飛ばしかねない程私の中に強い怒りと憎悪が湧き上がる。
 
勿論私は神でも仏でも何でもないからそんな無謀なことはしないにせよ、精神は「自然神」にほど近く寄り添っていたいと思っている。とは言え、新型コロナワクチン接種推奨の動きが余り広く拡散し過ぎると、それはそれで本来巻き込まれなくて済む人達がそこに巻き込まれ、命を落とすことになりかねないから、出来れば自然神には早急にこの流れを断ち切って欲しいとも思わずにはいられない。

 
この記事を読まれる方々に、ワクチンは絶対に接種しないで頂きたい。
後々サイトカインストームで、本来の寿命が全うできなくなるので。

くれぐれも、お願いします。

 

祈りとかなしみ

人と上手く渡り合うには、多くの嘘を吐かなければなりません。

ですが私は、まるで息を吐くように嘘を言う人を好みません。
何を好まないかと言えばそれは、視えてしまったものを視えなかったことにせざるを得ない自分自身かもしれません。
 
社交辞令やSNSの中の当たり障りのない会話の多くは、虚偽と虚飾で出来ています。思ってもいないことをさも思ったかのように相手に伝えた場合、それはささやかな気持ちの好さと言う報酬となり、先に「思ってもいないこと」を相手に伝えた側へと返って行きます。
多くの人達はこの「ささやかな気持ち好さ」と言う優越感を好み、虚偽で会話を満たすことを罪とさえ思わなくなります。
 
でもそれらは私にとってはただのノイズであり、不要であり、不愉快極まりないものでしかありません。

 

とあるSNS、そしてTwitterで、今日だけで5件の人との別れがありました。
その中の2件は、新型コロナワクチンの接種を迷っている方々との会話が発端でした。他の中の1件は、先方からの営業と思われるDMに対し、私がざっくり噛み付いたことが発端でした。
 
多くの人達は水を飲むように嘘を言い、それが相手にはバレないと思い込んでいます。私はそうした先方の思い込みに対し、ざっくりとメスを入れて行きます。
 
安易な嘘がバレない人間だと相手に誤解されぬよう、視えたものを視えたまま相手に伝えて行きます。そうすると大概相手は何かを隠す為に私を「相手の思う対人関係の審査から落ちた人」と言う扱いをし、SNSでは最も安直なアクセスブロックと言う手段を講じて来ます。
 
  

 
今日はお昼間、町内の友人(兼 Didier Merahのファンでもある)とタイ料理店に出向き、リーズナブルなランチを堪能しました。
 
顔見知りのタイ人の女性店主がテーブルに近づいて来るやいなや、「◯イさんが近々ワクチンを打つらしいよ。私も打たないとタイに帰れないから打って来るかもしれない。」と、たどたどしい日本語で話し掛けて来ました。
「あぁそうですか、大変ですね。」と愛想を振り撒いていれば良いのかもしれませんが、ワクチンを接種すればその後その人に何が起きても不思議ではないし、その事が原因で美味しいタイ料理店が閉店するかもしれない(あくまで現段階では可能性でしかないのですが‥)この現状を放置すれば、多分私が後から後悔するでしょう。
 
「どうしても打つと言うなら私には止める権利は無いけれど、新型コロナワクチンが正真正銘の毒薬であることを知っていて打つのであればそれは自殺行為と一緒じゃないの?」と、思わず口を突いて出てしまいました。
自分の言葉に先ず私自身が驚き、隣のテーブルで食事をしていた知人も同様に驚いたことでしょう。
 
 
女性店員は私がお店に行く度に「来月打つ」「来週打つからクリニックに申し込みに行って来たよ」‥等と言うものの、私がワクチン接種を止めた時だけは「やっぱりあたし打たないよ。」と言って一時的に気持ちが落ち着くものの、おそらく次にお店に行けば同じことの繰り返しが起きて、彼女もいつかは周囲の流れに逆らえずにワクチンを打つ日が来ることを私は予感しています。
 
タイでは感染爆発が起きており、ワクチンを接種しなければ国内に入ることが出来ないそうです。なのでおそらくタイ料理関係者の中の、帰国を予定している人達の大半が新型コロナワクチンを接種したか、或いは近日中に接種を予定していると女性店主が話していました。
 
 

 
昨夜も夫と色んな話をしました。
私達は一緒に居る間、殆どの時間を会話に費やして生きています。そうすることが自然であり、尚且つ私達は私達にだけもたらされたミッションに全力投球をしているのですが、それらはとても困難を極めており、正直報われることの方が少ないのも又現実です。
 
 
最近私がSNS内で新型コロナワクチンの危険性について、声を大にして綴っていることも要因なのか、潮が引くように人が離れた感は拭えません。
それでも私は見たこと聞いたことを、見なかったこと、聞かなかったことには出来ないと思っています。
何より自分自身を偽ることの方が罪が大きいですし、その瞬間はその解決策で相手の機嫌を良くしたところで後々その決断に後悔するのが自分自身の方だと分かり切っています。
なので、やはり「命」を重視した言葉を置き土産になったとしても相手に送り届けることの方が誠実だと、私は信じて行動しています。
勿論夫も同じ気持ちでしょう。
 
虚偽や妄想満載な周囲のスピリチュアル系のツイート等には数十個、数百個のハートが押されているのを脇に見据えながら、真実の訴えには見向きもされないだろう‥ と分かり切って居ながらも「真実」の描写の方を選択して行く私達を、周りの方々は一体どんな思いで見つめているのでしょうか‥。
 
 
今朝某SNSで口論になりかかった方の場合は、ご親族の中に障害を持つご兄弟がおられ、その方を施設に預けているので、ご兄弟のおられる施設に行って面会をするにはどうしても新型コロナワクチンの接種が必須だとお話しされていました。
 
ですが一先ず、ここで一ヶ月間様子を見てみようか‥ と言う選択肢が思考に上らないのは、一体何故なのかと私は思います。
 
 


 
状況は日々、目まぐるしく変化しています。今日と明日では、常識そのものが逆転している可能性も大です。
勿論私には先々の未来が映像として視えているので、迷う等と言う心情そのものが存在しませんが、多くの人達には予知能力が備わっていない為「今」「この瞬間」の状況で物事を判断することしか出来ないのでしょう。
 
だとしてもです。
きちんと論文を読み、特に自分が行こうとしている価値観の「逆」を少しでも検証し、思考のアクセルとブレーキを上手に踏み分けて最善の判断をする‥ と言う、ただこれだけのことが多くの人達に出来ていないのは何故なのかと日々胸を痛めながら、私達夫婦は今の地球上の現象を静観しています。
 
 

[音楽評論] “E penso a te” – Claudio Capéo

「E Penso A Te」はイタリアのカンツォーネ、Lucio Battisti の名曲中の名曲です。

作詞: Rapetti Mogol Giulio
作曲: Lucio Battisti

 

 
そもそもYouTubeとSpotifyで曲名「E Penso A Te」を検索して色々聴いていた中で、特にこの人 Claudio Capéo 氏のPVが妙に心に突き刺さりましたが、特にClaudio氏が推しと言うわけではなく、あくまで私が「E Penso A Te」を個人的に好きだった中の一つと言った方が適切でしょう。
 
かれこれこの作品を私が最初に知ったのは、確か東京都内の今はもう無いシャンソニエの「にんじんくらぶ」(Linkを貼ろうにも存在履歴自体がGoogleに残って居ない状態です)で「階見ルイジ」さん(この方もレコーディング作品が無い為、Link出来ません)が歌っていたのを聴いた時か、或いは日仏会館で当時定期的に開催されていたシャンソンの集いでやはり階見ルイジさんが熱唱していたのを聴いた時かの何れかでした。
 

良い作品に出会った時、私は必ず作品の原曲を聴くように心がけています。


その作品が再演者によって再解釈されたことでクオリティーを増しているのか、或いはそうではなくそもそも原曲のパワーが優れているのか‥。そこは絶対に見失わないよう気を付けています。

確か階見さんが歌っていた「E Penso A Te」の原型はRafのバージョンだったと、以前聞いたことがありました。確かにRaf、この曲だけ別人が歌っているように冴えてます。
 

 

 
原曲に出会った後はもう、原曲に忠実に表現を突き詰めて行くだけです。
とは言えもう、今の私は再現音楽や再解釈ものからは完全に遠ざかり、自らの作品が「再解釈・再演される側」に在る為、2011年の秋の終わりを機に再演作業を撤退し、現在に至ります。

その記念すべき、私の再演音楽最後の共演者が「階見ルイジ」さんだったことは、何か因縁めいたものを感じずには居られません。
私の直前の過去世がイタリア人だったことは、遂に階見さんには話さず仕舞いでしたが、それを仮に彼が知っても現状が変わっていたとは思えません。

結局後世に遺るものは、オリジナルの原曲とその原曲を生み出した人の名前だけだと言うのが今の私の結論であり、現に私の過去世のJ.S.Bachも楽曲だけがこの時代の音楽史に留まっているので、きっとこの結論に間違いは無さそうですね。

さて、この記事の最後に原作者 Lucio Battisti 自らが歌う「E Penso A Te」を貼っておきましょう。
注)トピックの原曲を貼り付けたかったのですが、YouTubeの規約で有料会員にしか動画が表示されないと判明し、違う動画をセレクトしました。

注目すべきはこの作品の後半の、ハミング(スキャット)が表情を変えながらループし続けるところかもしれません。
ただ声を張り上げ、盛り上げるのではなく、最後の最後でストンと歌手もリスナーも我に返されます。人の人生も恋も、最後の最後は孤独に回帰するしか無い、人間とはいかにもかなしい生き物だと言わんばかりのこの結末は、再演者の多くが案外見逃している重要なポイントかもしれません。

原作は、自分とはいかに崇高でありながらもいかに醜く哀れな存在かと言う現実を、まざまざと見せつけられるような構成になっています。
 

 
Spotifyのリンクも貼っておきます。
 

この記事はnote記事から移動しました。

夫・天野玄斎の生誕祭

コロナ禍の最中、第4回目の緊急事態宣言が出る少し前に、Didier Merah Japanの社長でもある夫の◯◯回目の誕生パーティーをひっそりと、都内の焼き肉店でとり行いました。
夫は食材制限もある為、魚介類を扱わない店舗を選ぶ必要があります。その為、結局毎年ちょっとしたお祝い事は「肉」を主体とした店舗に限られます。

 

 

プレアデス星団のJaneとの会話がアルバムHeavenのリリース後、少しの間途絶えていましたが、先週辺りから頻度が増して、今は殆ど一日中回線(テレパシーの意味です)を繋ぎっぱなしの状況です。
 

Facebookの個人アカウントからの発信を全面停止にした後、Facebook Pageからの発信も少し縮小しました。おそらくFacebook離れが加速していることや、ここ最近ではLINEやZoom等のチャットの方に人々が吸い寄せられていること等、色々な要因が重なり合い、この結論に至りました。
 
私自身の個人的な主観として、自身が書いたものに対し「いいね」のスタンプだけで押し返されることを好まず、どんな思いで毎回文字を叩き出しているのよ‥ と言う不満も鬱積する中、これからのSNSライフについて色々考えあぐねています。

反応が無いのか、需要が無いのか、それともそれ以外の要因なのかは正直分かりませんが、おそらく発信と受信との間に齟齬が生じているのかもしれません。

 

日頃親しくされている女優や歌手、画家の方たちにお話しをお伺いすると皆一様に「大衆なんてそんなもの。都合のいい時だけ出て来て、後は無言を決め込んで殻に閉じこもるものよ。」と仰り、数名が今年に入ってSNS全般から撤退なさり、Twitterとブログだけに発信活動を制限したと話しておられました。

私の場合、過去の繋がりがここに来て災いしているような気もします。

そもそも私の過去は「カスタマイズ」された私を生き延びて来た経緯があり、私の本性を殆どの過去繋がりの人達が知らないわけですから、アヒルか神かは知らないですが何れにせよ私の現状を受け容れる前のベースが彼等に整っていないと言っても良いのかもしれません。

 

隣の花子ちゃんと和気あいあい、わちゃわちゃと過ごしていたのにある日突然「私、実は預言者なのよ。実はコンタクティーなのよ。」等と言われてもピンと来なくても致し方ありません(笑)。ならば今の私をありのまま受け容れて、そして正当に評価して下さる新たな繋がりを模索する以外の方法等ありません。

 

realistic saturn in open space

名前は明かせないのですが、いわゆる「匿名性」に特化した新種のSNSに参加しており、そこから多くのファンが増えています。
彼等の多くが最初から「今の私」と向き合っている為、私との距離が遠い分、ありのままの私をありのまま受け止めて下さる環境が整っていました。その為、私は最初から芸術家・作曲家(兼 預言者/プレアデス星団とのコンタクティー)として彼等の中に存在し、それが功を奏して多くのファンを得られたのでは‥ と思っています。

勿論私の書くものの内容によってはコメントも投稿されますから、その意味ではつい最近までのFacebookの個人アカウントや個人ページみたいな閑散とした状態ではなくむしろ、賑わって華やいでいます。

 

色々、SNSでの私の立ち位置について考えていますが、文字発信のベーシックを公式ブログに一本化して、その他のSNSはTwitterと、先程書いた「匿名性」のSNSの二本柱 + note の有料記事‥ にシフトして行くことを考えています。 

  
 

 

話が思いっきり振り出しに戻りますが、お陰様で我が家のうさぎ・マイケル君も2021年6月30日で無事、8歳を迎えました。生まれつきの神経症の後遺症で片足の膝から下が殆ど麻痺していますが、それでも彼はジャンプし、よく食べてよく寝る健康なうさぎになりました。

夫の誕生日、そして私のニューアルバムHeavenのリリース日が6月の最後から7月の初旬に接近した為、この日のパーティーはマスク会食ながらも温かく賑やかなひと時となりました。

  

新型コロナワクチン接種の是非が問われる中、私も会える人を制限しながら時々知人と会って食事をします。
 
まさかワクチン接種の是非が人と人の壁になるとは、数年前には思いもしませんでした。それでも私は自身の身を守る為、夫と家族の身を守る為にも適切な行動を取るべきだと思い、特にワクチン接種者との面会は全てお断りしています。
これは私が預言者として必要な行動であり、じきに私の一連の言動の回答がそう、遠くない未来のどこかで表面化し、それがあるべき回答として歴史にも刻印されると信じています。

 

書きたいことは山のようにありますが、今日はこの辺りで記事を閉じます。

 

そして間もなく一週間が過ぎる‥

高音高湿度の日々は粛々と過ぎて、私の住む東京は間もなく第四回目の緊急事態宣言下に突入します。
街は常に、視えない何かに急かされるように慌ただしく、そして賑やかさを通り越してノイズにまみれているようにも感じます。

幸いなのかそうでもないのか、この二週間近く私は軽い中耳炎を患っており、その影響で片方の聴力が若干鈍っています。にも関わらず大地のノイズは雨音よりも激しく私に覆いかぶさり、日々の後半は決まって偏頭痛に悩まされます。
 
 

アルバム『Heavenリリース前にSNS内の大掛かりな人払いの儀式を敢行した私は、その成果もあったのかとても静かな一週間を過ごすことが出来ました。
高飛車な性格と気位の高さは生まれ以ての気質ですが、社会生活を営む上でそれらが余り都合が良くないことを感じてからの私は本当に長い間、爪を隠して生きて来ました。
でもやがて爪は伸びて来て、私はそれを隠しきれないところまで追い詰められたようにも感じます。
 

もう、今の私は音楽家としては塔のてっぺんに居るのだから、爪を隠しながら生きることをある時からやめようと思っていました。それを実現するにはタイミングが必要でした。
そして、それが今でした。
 
 

 

世界は静寂を必要としています。増え過ぎた人口に悩まされた地球は、人間と言う害虫を駆除する為にそろそろ本気で行動を起こすかもしれません。
 

地球はまぎれもない、一個の生命です。

生命には霊体があり、魂があり、そして意識と思考の機能が備わっています。仮に地球や大地、植物、花や木々たちが言語を話せなかったとしても、彼等は深く互いを思い遣りながらコミュニケーションを交わして今日に至ります。
彼等にも時間の概念はあり、陽のあたる時間帯は活動をしつつも陽が落ちた後には眠りに就きたいと願っています。それを私達人間が長年阻み続けて来ました。
 
 

世界中の空をひっきりなりに飛行機が行き交い、各都市では人々が夜な夜な集い爆音を立てながら音楽を流し、機械的なリズムで彼等は夜通しステップを踏み続けます。
人々は年中人肌を合わせ、大声で会話をし、電飾の止まない日々が数百年間もの間続いていましたが、自然神はテクノロジーの進化がある段階に到達する日まで人類に好きにさせて来ました。
 

2021年、夏。多くの人々はインターネット越しに互いに会える距離に在り、外出をしなくても会話をし、音楽や映像や文字を共有し、SNSやチャットを通じてそれを大勢でシェア出来る、今はもうそんな時代です。

ならば地球が長年耐え続けた「静寂」を、人類はそろそろ実践しなければなりません。ですが新型コロナウィルスのパンデミックの長期化に人々は疲れ果て、その疲労を「集い、バカ騒ぎすること」でしか解消する方法を思い付かなくなってしまいました。
 

地球は人類に「陽のある時間帯だけの活動を許し、それ以外の時間はそっと休ませて欲しい。それだけを望む。」と言い続けています。ですが人類には地球の、そして自然神等のささやかな要求を呑む機能さえ失ってしまったようにも見えます。


多くの人類が「前のような日常を取り戻す為」に危険極まりない新型コロナワクチンを接種し、マスクを外し大声を出し、夜になるとDJを招いて爆音量のダンス・ミュージックを鳴らし、アルコールを浴びながら踊り狂う生活の復活に歓喜しているように見えますが、自然神は今度こそそこに大きな負荷を掛けて来るに違いありません。
 

ただじっとして、静かに家に居ることが、何故出来ないのでしょう?

ただ、それだけで良いと地球が言っている間に、人類はその生活やライフスタイルに磨きをかけておくべきでした‥。‥‥
 
 

 

パソコンの向こう側から、優しい雨の音が聴こえて来ます。その合間をアルバム『Heavenのピアノ・アンビエントがそっと覆い、いつもの日常が少し違って、絶妙な歪みとあたたかなWaveで空気が震えているのを感じます。
 

多くの人間関係を解いた理由は、私がSNSで親しくしている人達が私の音楽や生き様を全く評価しなくなり、外側に発信しなくなったからでした。
メッセンジャーでわちゃわちゃお喋りをすると、その相手が私である‥ と言うだけで多くの人達がそこで満足します。すると芸術家としての私のことを誰も、外で話題にしなくなって行きました。

私にとってそれはけっして良い状況とは言えず、ある意味致命的だとも感じるようになり、ならば私は誰に対しても完全な他人様であり、高飛車で傲慢で、馴れ馴れしくしようものなら直ぐにキレるヒステリックな芸術家で在る方が何かと音楽活動をする上では有利だと考えるようになりました。
 

※勿論お気づきになられている方も居るとは思いますが、数名だけご本人にはそうと悟られないようにこれまでの関係をそっと継続しています。

  

 

チャネラーとして、コンタクティーとして私に出来ることについて、ずっと考えていますが、自然神等や地球の心を慮る時、私が余計なお世話で多くの人達の将来に対し手を貸し過ぎることはけっして良いことではないと最近強く思っています。
 

生き残るべき人は本当にオリジナリティー溢れる感覚をもって、その道、その手段を自ら選択して行く筈です。そうでない、生き残りの集合体から外れて行く人達、外れそうになっている人々に対し、例えば「新型コロナワクチン」の危険性を訴えたところで、本来生き残る予定ではなかった人達の人生や未来に修正を加えることになるだけで、それは地球の意識や自然神等の思いとは遠くかけ離れてしまうと私は考えています。

とても奢った言い方をしていることは重々承知していますが、仮にも私は預言者として多くのことをこれまで発信し続け、自身の音楽の中にも多くのヒントを封印し、それを発信し続けて来たので、これ以上の過剰な救済活動は一切止めることに決めました。

 

人類の皆様に、もっと考えて、もっと想像を巡らせて、そして地球や神々と真剣に向き合って欲しいと思います。
それは誰にも備わった共通の能力だった筈です。「視えない」「聴こえない」と言う人達は、もしかするとこの地球にとって必要とされていない人達なのかもしれません。そういう人達には積極的に、脱落して欲しいとさえ思うようになりました。
 

私は今、自然神のマインドや意識と深くシンクロしているのかもしれません。人情とか感情とか、そういうものではないもっと普遍的な感覚の中に自身を委ねることが、とても自然に思えてなりません。
 

 

 

想定通りと言えば呆気ないのですが、私がHP上に掲載した今回のアルバム『Heaven』の製作秘話的手記 (http://www.didier-merah.jp/musicindex/Heaven/) に対しても、誰も、一言の感想やコメントさえも聞かせてはくれません。
きっと私の書くことの意味が、誰にも通じていないのかもしれません。だって私は、一連の文字を人間目線では綴っていませんから。

 

何度も言うようですがアルバム『Heavenは、やがて来る人類と地球の大きな変化と変革、そして激変した地上の様子を音楽絵巻に置き換えたものです。
ある意味ではこのアルバムは、地球及び自然神等の最後通告を音楽化した作品と言っても過言ではありません。もっと心して聴いて欲しいと願っていますが、リスナーの多くがもしもそう出来なかったとしても致し方ないのかとも思っています。
 

最早今の私には、かなしみと落胆しかありません

 

リラ星の最期が壮絶だったように、私はその最期の瞬間を見届けた者として、さらにはその巫女の生まれ変わりの自分として出来る限りのことを、今世のミッションとして受け容れ、受け止めながらしっかりと前進して行くのみです。
 

よろこびよりも哀しみの多い人生がこの先続くとしても、巫女とはそういうものだと心の中で言い含めながら、ここからの道を真っ直ぐに進んで行きたいと思います。

 

アルバム『Heaven』開放 (2021.07.04)

2021年7月4日、ニューアルバム『Heaven』がリリースされました。
製作期間中に手の負傷等も相次ぎ、そして新型コロナウィルスのパンデミックで世界中の空気がそこはかとなく陰鬱になる等の状況が続く中、それでも自らを奮い立たせながらレコーディングを粛々と続けて来ました。
アルバム企画、アートワーク作成その他(作曲・演奏以外)を、夫・天野玄斎が担当しています。
 

諸事情により、今回は音声による解説動画を省略させて頂くことにしました。その代わりにHPに特設ページを設け、アルバム解説を少しだけ掲載しました。

http://www.didier-merah.jp/musicindex/Heaven/

これを読めば、私が何故解説動画を配信出来なくなったか‥ と言う理由がきっとご理解頂けるかと思います。

 


 
オール・サブスクリプションからの開放とSNSでは綴っていますが、どうやら全各曲のTimeが10分を超えている為、[Amazon Music] のサブスクリプションからは開放されませんでした。
Amazon Musicで試聴されたい方は是非、AmazonのDL販売のLinkよりご購入下さい。

DL販売用のLinkを下記に貼っておきます。
 

iTunes Store:
https://music.apple.com/jp/album/heaven/1571238539

 

Amazon Music

 

本作品は合計3時間弱の超大作です。
是非全編を通じて、地球や宇宙、そして自然神の心の声に思いを馳せて聴いて下さい。

 

リリース前夜

間もなくニューアルバム『Heaven』がリリースされます。
 
勿論世界中のどのサブスクリプションからも一斉に開放されますが、願わくば [iTunes Music] や [Amazon Music] 等で購入頂けると有難いです。
私は音楽の性質上の理由で、一社のスポンサーも付けずに手弁当で地道に創作活動を続けておりますゆえ、ご理解・ご協力頂けると有難いです。
 


一つの仕事を終える度に、それまでの自分を見直すことが習慣として身に付いています。
ここ10年余りの私は、特にSNSでの人間関係を見直すことが増えました。
 

SNSの活動は私にとって励みになることもあれば、そうではない場合も多々生じます。
多くのSNSに於いて、参加者の大半が匿名ないしはハンドルネームを使用している為、その実体は殆どがベールに包まれた状態です。でも私は芸名に付け加え本名や学歴・職歴の中の公開出来る部分の大半を公開している為、SNSに参加されている多くの方々が私・Didier Merahの半生の流れをざっと目で追うことが出来ます。
ですが私には、私を取り囲む殆どの方々の人生の流れを目で追うことは出来ません。
 

本来私のような職種の人間は、受け身で居続けた方が何かとやりやすい事の方が多いです。でも私はどちらかと言うと「発見者」の側に居る為、私の方からお相手に(SNS内で)話し掛けて行くことの方が多かったように思います。
それをここで打ち切ることにしました。
 

SNSの中に流れる星のひとつがとても美しく瞬いて視える時、その星に私は自らアクセスして行くことがあります。ですが相手によってはそれがとても鬱陶しく感じる場合もあると分かったので、アルバム『Heaven』のリリースを切っ掛けに私も、SNSでの立ち振る舞い方を完全に受動態に切り替えることに決めました。
 

私はSNSの空に流れる多くの星の中でも、一際際立って美しい輝きを放っていなければなりません。そういう星は至って孤独であり、人々が容易く手を触れることは出来ません。
私はそうあるべきだと、或る方との会話の中で気付かされました。
 

 
さて、あと数時間でアルバム『Heaven』が遂に、産声を上げます。
 

このアルバムはけっして生易しい「癒し」ではなく、多くの生命の消滅とこの地球の転換期を、そしてこの世界の終わりまでを音楽で描いています。
各曲のタイトルで、それを表していますので、その辺りを少しだけ想像しながらお聴き頂ければ幸いです。