赤い曼珠沙華を見る度に、心臓が凍り付きそうになります。
ですが白の曼珠沙華を見る時、時間が止まったように感じます。
人が輪廻転生を繰り返し、現在に至った証しでょうか。
今年開花した多くの花たちは、何故こうもみんな物悲しい眼差しで空を見上げるのでしょう。
長く長く、長く‥
この世界が続いて欲しいと思います。
赤い曼珠沙華を見る度に、心臓が凍り付きそうになります。
ですが白の曼珠沙華を見る時、時間が止まったように感じます。
人が輪廻転生を繰り返し、現在に至った証しでょうか。
今年開花した多くの花たちは、何故こうもみんな物悲しい眼差しで空を見上げるのでしょう。
長く長く、長く‥
この世界が続いて欲しいと思います。
台風が夏の穢れを持ち去った後に、目に見えて秋が来た🍂
穢れの大半は人々の欲望と、これまでの習慣を断ち切ろうとしない怠惰な汗と。
求めてはいけないのよ、人は、人を。
孤独と自立、地球は人類にそれを課している。
宇宙に朝が訪れました。
昨夜は本当に、よく降りました。
両の手の、負傷した箇所が低気圧で痛むので、一日丸々Kindleで読書をして一食作っただけで後は殆ど休んでいました。
体を休めていても、思考はなかなか休まりません。
良からぬ事は考えないようにしていますが、視えてしまうものは少なからずあるのです‥。
『漂着者』のヘミングウェイのように、未来を変えてしまう力を授かりたい今日この頃の私です。
瞬く間に夏が往き、少し早い秋が訪れる。蝉の抜け殻も風に吹かれてどこかへ消え去り、真夜中には鈴虫の声が庭じゅうに響き渡る。
この夏、2本あるうちの片方のブルーベリーが、短い命を閉じた。
きちんと毎朝水を遣っていたにも関わらず、連日の高音高湿度には耐えられなかったのだろう。
ブルーベリーにも相性があるようだ。同時期に買った銘柄の異なるブルーベリー達だったが、年を追う度に開花のタイミングがずれて行った。
同時に開花してくれないと受粉に支障が出るので、暫くは祈る思いで樹々を毎日愛でながら水遣りをしていたが、一昨年から完全に片方が開花の時期をずらし始めた。
木や花にも個体差や性格の差があって、それは生まれ付いたものとは限らずある日突然性格を豹変させる場合もあるようだ。
今年往ってしまった「うさぎ」と名づけたブルーベリーは、5年くらい前に私が枝を少しだけ切り落としたタイミングで性格が豹変した。人間で言うところの「キツい」性格に変わり、それまでは同時に花を咲かせていた相棒をそこはかとなく毛嫌いし、開花のタイミングをあからさまにずらし始めた。

まるで私みたいな子だなと思う。
日によって性格が変わると言う訳ではないが、焦点の当て方が大きく変化する時の私は別人のようになる。
その瞬間をなるべく他人には見せないように努めているが、そうは行かなくなることもあるのが辛いところ。
だが最近は、そういう瞬間に今、自分がどういう状況なのかと言うことを余り人に話さなくなった。理由は簡単で、殆どの人達にはそのプロセスや理由が理解出来ないからだ。
最初は理解すると言う努力を皆が怠っているからだと私も頑なに思い込んでいたが、どうやらそうでもなさそうだ。
解像度の異なるカメラで同じ被写体を撮影してもけっして同じ精度では写らないように、人の理解能力もきっとそれに似ている。だから進化している側が先に相手を諦めない限り、相手はとことん気付かない。そこには飽和とか協調と言う結論は存在し得ないにも関わらず、全てが上手く進んでいると言う現実とは異なる別の現象がでっち上げられるのが関の山だ。
とあるSNSで私がよく言うことの一つが、「良くも悪くも上っ面でいい。」と言う言葉。だがそれも時間制限付きで、私の性格が長時間その状態には耐えられなくなるから、自身の我慢を言い聞かせて続けている人間関係程拗れる時は激しく拗れてしまう。
一時「倍返し」と言う言葉が大流行したが、私の善意や厚意は他のそれよりも温度が熱い。だが、受け取る人達がその熱さに気付かないふりをし、そこいらの誰かがうっかりもたらしたラッキーな落とし物のように、私の厚意を安易に受け取ることも多々ある。
先日まではそれらを我慢し、許容して来たが、数日前から私がその矛盾を許せなくなった。
肝心なツイートに限って、肝心な相手がそれをスルーする。要は見なかったことにして私の怒りが冷めやるのをじっと待ち、頃合いを見て再び姿を現しては私から大きなツキをもぎ取って行く‥ と言う姑息な計算が相手の中に、息を吸うように在るのだろう。
その小狡い先方の計算や心情に対し私は、罰を与えることに決めた。
尽きない怒りには必ず理由がある。その理由には大方正当性があるが、相手がその正当性に気付いていれば何らかの意思表示が無ければおかしい。
もしくは私の中の正当性に気付いていたとしたら、触らぬ神に祟りなしの精神が相手に働いているのかもしれない。
祟りは人に不幸をもたらすが、私の「罰」はそれとは違う。
相手が私から簡単に、何の礼の一言もなくもぎ取って行った幸運を取り返すだけだ。
その後に先方に訪れた何等かの状況が、むしろ私が先方に与えた幸運をより鮮明に顕すに違いない。
その為の儀式である。

連日の雨。夜になると夏の片鱗は街のどこからも消え去り、代わりに人恋しさに耐え切れなくなった野良猫達が家の庭に寄って来ては「ミャーミャー」と甘ったれた声で鳴き始める。
ウィルス回避の意味もあり、この1年半以上私は街じゅうの全ての生き物達との接触を絶っている。
猫や鳩、その他私に懐いていたカラスも居たが、頑なに拒絶し続けた。
昨夜ゴミ捨ての帰りに私を追って来たボス猫も、以前は密に会話をした仲だったが、猫語で言うところの「シャー!」を全身で発し追い払った。
可哀想とか、気の毒だとか、そういう感情を全て封印し、私は石になる。流石に石になった私には、どんなに人懐っこい猫でも付いては来ない。
おんなじようにして、煩わしい人間関係も全て追い払ってしまいたい。
人も猫も、「慣れ」には鈍感だ。出会った時の距離感を、長期間維持出来ない。
擬似的に共通のネタを一個見つけると、そのネタさえ振っておけば私が会話に乗って来ると勘違いしている人達が多くて、ここ最近は意図的に返信のタイミングをずらしたり外したり‥、自分の意思でもないのに冷たく相手をあしらったり‥、本当に色々な無理解には悩まされる。
雨の日は人の行動が少し鈍くなるのか、今日は色々なことがゆっくりと穏やかに過ぎて行った。毎朝続いていた煩わしいメールも途切れ、私はようやく「一人」を謳歌することが出来た。
たった一言。その一言が得られないのは、今も昔も変わらない。
人はプライドを優先し、常に自分が相手よりも優位で居ようとするが、殆どの人々はそれを絶対に認めようとしない。だから謝罪も感謝も無いが、その旨を指摘すると「人間は皆平等だ」‥ と言う戯言を言い始めるので、無言で嫌な人間を演じておく方が無難かもしれない。
春先に完治していたばね指が酷い形で再発し、夫と力を合わせて家事を分担している。
ステロイドを注射し痛みを麻痺させ、その箇所にリハビリを施し、「握力30をキープする為に毎日20キロのハンドグリップを10秒×10回握って下さい」と院長とリハビリのトレーナーが口を揃えてアドバイスしたそれを、忠実に守ったことが災いした。
先々月だったか再度同じ整形外科に再診で訪れ、前回のアドバイスの件をドクターに質問したら、「やりたきゃやればいいんじゃないですか?」と返された。
ドクターが「やれ」と言ったことを続けていて悪化したわけだから、患者である私の質問に対して正確な回答を返す責任が担当医にはある筈。‥
色んな経緯を経て該当の整形外科への通院を止め、現在は絶対安静をキープしている。
鍵盤練習が出来ない分、これまで少し疎かでテキトーになっていた「私」の生き方や在り方について、ここでしっかりとネジを巻き直そうと思っている。
Twitterのプロフィール欄には「注)とても気難しい性格ゆえ、慎重に平伏して接して下さい。」の一言を書いているが、それを忠実に守れている夫以外の第三者は今のところ、誰も居ない。
さて、この記事の最後に上の記述でも触れた「安易に私のツキを持ち去ろうとした或る人達」のトラックを幾つか削除し、完成形を見たプレイリスト「Ambient Summit 4. 2021~」を貼っておきましょう。
※お貸しした幸運は無事、回収済みです。
下記のnoteの記事リンクから是非、サポートか投げ銭で応援頂ければ幸いです。
https://note.com/didiermerah/n/n5b600162442f
2021年4月下旬に予定通り活動を終了したIZ*ONEのセンターだったクォン・ウンビが、ソロ活動を開始しました。
その皮切りとなるシングル「Door」は好調な滑り出しで、韓国各メディアの注目度も高いようです。
今回この記事のTopに添付したのは、シングル曲「Door」のレコーディング風景です。
完成形だけを紹介してああだこうだと論じている記事は他にも複数ありますが、私が注目したのはむしろバックステージで行われていた非常に繊細なレコーディングのプロセスの方でした。
昔々私が未だ業界にひっそりと出入りし暗躍していた頃から歌手のレコーディング風景をかなり多く見て来ましたが、正直なところここまで繊細で表情豊かで尚且つとても穏やかな作業を余り目にしたことがありませんでした。
特に日本の歌謡曲やPopsの歌手の多くが偽善的であり、本編の仕事よりも「気遣い」や「腰の低さ」の方がスタッフのポイントが高く、実際の作業はと言えばさしてパっとしない普通以上でも以下でもないクオリティーである場合も多いのが現状です。
中には熱心さを売りにしている歌手も居ましたが、どこか「何度も何度も果敢に挑戦する(或いは録り直す)姿勢はあくまでポーズで、実際には今もさっきも一つ後のテイクも殆ど仕事としては変化が視られない‥ なんてことも多々ありました。
ですがクォン・ウンビの上の動画を観る限り、全ての同じ個所‥ 例えば3テイク録り直した場合の全てのテイクが違う表現で歌われているところが凄いです。

IZ*ONEでセンターを努めていた頃は正直余り冴えた印象が無かったのですが、ウンビはソロで光るタイプの歌手かもしれません。
よく居るのです。例えばAKN48の前田敦子のように、グループのセンターと言うポジションだと光輝いて見えたのにソロになった途端焦点が定まらなくなってしまったような類いの歌手が。
その点、ウンビの場合は逆で、おそらく今後良い楽曲と良い振り付けに恵まれ続けることが出来れば益々、彼女は華やいで光輝く存在になるに違いないと私は予想しています。
因みに「Door」の作詞・作曲者は以下のようにクレジットされています。
作詞︰권은비、황현(MonoTree)、정호현(e.one)
作曲編曲︰정호현(e.one)、황현(MonoTree)
アルバム『OPEN』を全曲私は試聴していますが、本音を言いますとシングル曲『Door』以外の作品は余りパっとしません。
恐らくミニアルバムはアリバイであり、シングル曲一本に全てを集約したのでしょう。どっちに転がってもいいように、こういう作戦はままあるので余り驚きません。
振り付けで印象的なのは、途中で猫のような振りが三段階に分割しながら、その合間に爪を立てながら「シっ」と言ってお茶目な顔をする箇所。
⇧の動画の丁度タイムで0:45から0:51辺り(2コーラス目にも同じ個所が出て来ます)になりますが、この振り付けを考えた人はきっと天才です。

最後に「Door」のPVらしき動画を貼っておきます。
PVらしき‥ と書いたのは正式なPVが公開されておらず、動画サイトの会社らしきアカウントからのムーヴィーしか出ていなかった為です。
こういう時韓国語が理解出来たら、もっと色々すんなりと調べられるのでしょう。
と言うわけで、この記事は文字発信型SNS「note」の新着記事と同期で掲載しています。
よろしかったらそちらから投げ銭で応援頂ければ幸いです。
記事: https://note.com/didiermerah/n/n106e478321d4
コロナ禍は益々加熱し、多くの音楽行事や舞台、コンサート等が中止や延期を余儀なくされています。
犠牲を払って最近行われた「フジロックフェスティバル 2021′」、そして「NAMIMONOGATARI 2021」等、一部開催された音楽祭もあったようですが、開催後の評判は必ずしも芳しいものではありません。
そもそもこのパンデミックの背景には、マザーアース・地球とその地球の自然神、そしてそれを取り巻く古い自然神等が地球の現状を悲嘆し、よもや地上の害虫と言っても過言ではない「人間」の駆逐を意図した思いが深く根付いています。
折に触れ私は何度も幾つかのSNS上で発信していることですが、再度ここに記載します。
つまり人類は今、自然神等に執行猶予の期間を与えられた身であること。これを絶対に全人類は忘れてはなりません。その上で許される最小限の生存の権利を謳う以外の、全ての権利を一度放棄しなければなりません。その中にこの記事のタイトルでもある「音楽(特に生で演奏するもの)」や舞台芸術、人を集め収益を得る為に開催される全ての文化的なイベントを人類は無期限停止しなければなりません。
多くの人達がそのことを受け容れず、尚且つ理解もしていません。中には薄々感じ取っている人達も居るようですが、あえてその感覚をスルーし、無かったことにしたり現実逃避をしながらコロナ以前の生活習慣を継続する道だけを模索しています。
それを自然神は絶対に許さないと決めています。
その証拠に、例えば東京都で感染者数が少し右下がりになったところで又元のようにバーやライブハウス等を再開し始めた途端に、再び新型コロナウィルスの新規感染者数が急増し、結果的にはデフォルトの営業形態を再度修正し、店舗を休業したり時短営業にシフトしたり‥ と言った具合に大勢の人を一ヵ所に集め、呑んだり聴いたり歌ったり出来ない状況を自然神が必然的に突き付けて来る‥、このいたちごっこになっているのが現状です。

必ずしもプレアデス星団の各星の政策や政治が良いとは言えないところもありますし、現在のプレアデス星団には文化が存在しません。
それを踏まえながら、あえてプレアデス星団出身のJaneの予知と私の予知とをすり合わせると、未来の娯楽や音楽業界、音楽形態や舞台芸術を含む地球上の多くの娯楽はVR化して行くことになりそうです。
あくまで予知ですが、様々な現状を未来へと視野を広げて考えるととてもしっくり来ます。
これまで昭和の後期から平成と長く続いたのは、音楽を手段(武器)にしたアイドルタレントのオプション商法でした。
CDを色分けし、同じ曲目なのにジャケットを変え、シングル曲以外の楽曲を一部入れ替えたバリエーションCDを作り、そこに握手券を封入して販売する商法は主にAKB48等の大人数のアイドルグループ達の台頭によって平成の音楽営業の主流になって行きました。
思うにこれは音楽に対する冒涜の一種であり、これについては自然神「ゼウス」もけっして良くは思っていないようでした。
似たような営業形態を堂々とやってのけていたのは、韓流のガールズグループないしはボーイズグループも同じでしたが、それでも日本の音楽業界が続けて来た悪質な商法よりはまだましな方だったでしょう。
何故ならば、ベースとなる音楽商品(楽曲や歌詞、編曲を含む)のクオリティーが圧倒的に高いからです。
話を戻しますと、一ヵ所に多くの観衆を集めて行われる爆音コンサートに対し自然神も地球もうんざりしていると言う話しです。
これは大小を問わず小規模なライブハウス等で絶叫したり、或いは音楽とは言えないような稚拙で体たらくな音楽を毎晩演奏する夜店の演目等にも十分に当てはまります。
それがこのコロナ・パンデミックの延長によって完全に営業をセーヴされ、とどめの一発は「禁酒法」とも言われる「アルコール類の提供禁止条例」でした。
この通称「禁酒法」を現・都知事が声に出して打ち出した時は、私も珍しく歓喜しました。
そもそも「祈りのない音楽は絶滅すべき」だと私はずっと思っていたので、それが一歩実現に近づいたわけですから。

自宅にコンサートを持ち込む。
とても良いコンセプトです。
これまでのコンサートやライブハウスは照明や過剰な音響効果等の空間のマジックによって成り立つ要素も多く、お金を払って決まった空間に足を運んだ人は自らの出費を後々嘆きたくらはないからレビューとして、極力良い印象を公言したがります。
ですが、実際には思っていたものではなかったことの方が多いと言う話しもあります。私も実際にそういう経験をしたことが、何度もありました。
それが自宅に居ながらにして実現するコンサートや生演奏のライブとなれば、その音質やクオリティーを深く各自が問うようにならざるを得ません。大切なことはこの、条件の変化です。
そこには惰性や誤魔化しが一切挟まりませんから、その瞬間演目がつまらないからと言う理由でVRホールから黙って退室しても誰にも文句は言われません。そしてそのような思いをした同じ会場に二度足を運ぶことも少なくなり、観衆は無言のうちに自らの言動や感情に正直に向き合わざるを得なくなります。
これは音楽形態に於ける、大きな変化の要因になり得ると私は思っています。
歌舞伎等も上記のような手法での配信となれば、時折舞台でかかる掛け声やそれに強引に誘われる「さくら」の拍手等に惑わされることが激減し、視ている人本人がその演目をどう思うか‥ と言う素朴な感覚が何より優先されることで、つまらない営業型伝統芸能の舞台も必然的に減って行くことになるでしょう。
良いことだと思います。

私も昔はその日暮らしの音楽を奏でていた分際でしたけど、いつかその世界を必ず抜け出すことを心の中で決めていました。
ものの実現にはタイミングが重要です。なのでそのタイミングが来た時にいつでも泥船を抜け出せるよう、私は常日頃から準備を怠りませんでした。そしてその機は、2018年の早い春に到来しました。
でもそれよりも、今は誰もが「サブスクリプション」からの配信が出来る時代です。なのに多くの音楽家やミュージシャン等は、配信よりも「生演奏」と言う名目の「その一瞬を観客と共有する」スタイルの演奏形態から出ようとはしません。
そんなことを毎日やったところで、百年後の地球の音楽史に残る音楽等実現する筈も無いのに‥。
人類に必要なことは、何を置いても承認欲求をかなぐり捨てることです。
多くの娯楽や芸能、音楽や舞台芸術等に関わる人達に抜け落ちているのは、この、「承認欲求をかなぐり捨てる強い意志」の方かもしれません。
例えば歌手や女優等、多くの彼等の職業に在る人達はその職に就く理由として「スポットライトと拍手を生涯浴び続けていたい」と掲げます。これがいけないのです。
マザーアース・地球や自然神が切望するものがあるとすれば、祈りを持つ音や創造物の方。
元来「祈り」は人目には触れない空間で執り行うものです。なので、上に書いたようなカテゴリーの職種やその職種に関わる(堂々とふしだらな職業意識を掲げている人達)には、まとめてごっそり消えて貰った方が良いのです。
私もかなり辛辣なことを綴っているなぁと思っていますが、私は芸術家であり音楽評論家、比較音楽学者でもあり、尚且つ「チャネラー」「コンタクティー」さらには「霊質学者」の職歴を同時に掲げて生きていますので、私が言わなければ他に誰も言える人が居ないことを身をもって知っています。
なのでSNSではなく、ブログから発信し続けて行くことに決めました。
将来的にはプレアデス星団の誰か、その他の宇宙の誰かがこの地球に降り立った時の状況を踏まえ、その時にこのブログを彼等の中の誰かが見つけられるようにここに、ありのままの現状を記載しておきます。
ホワイトルームに向かうと、オリーブの樹がぐったりと倒れていた。
一体何があったのかと周囲のガーディアンに尋ねても、誰もその瞬間を視ていなかったと言う。
霊質空間で起きることは、その後必ず三次元にフィードバックされて行くと言う。
樹が倒れている。
良くない暗示だ。

星の目が開く朝、トーチの灯が揺れ動く。
夢の彼方のかなしみを地球は今、視て来たばかりだった。
ここまで守り抜いて来た者たちはその主の御心に気付くことなく、やってはいけない祭りにそそのかされて前進している。
それを止めるか己を止めるか、星は岐路の上で泣いている。

残暑の空に、風の歓声が上がる。
纏わりつくような闇を、音もなく転がり落ちる壊れた秒針。
一体誰が、この祭の始まりを歓迎すると言うのだろう。
がらんとした街角に佇む僕と、猫。
遠い始まりを懐かしむように地球がそっと目を瞑る。さざ波が止む。
全てが終わりそうな、夜の始まりに。

24時間テレビ番組にフジロック‥。
人類が緊急事態宣言下にあり、自然神からの厳しい謹慎生活ないしは自粛生活を言い渡されている最中に、なぜここまで不謹慎なイベントを開催出来るのか?
だからウィルス・パンデミックを主軸とした人口削減計画が、止まることなく進んで行くのです。
要らぬ欲望や衝動をかき立てて、『あの頃は良かった』等と悪しき過去を思い出させて、結局やりたいことは消費(浪費)衝動の煽りでは?
地球は寝不足に陥っているのです。
そんな危機的な状況に陥っている地球にロックやらジャズ等、一切不要。
祈りを持たぬ音楽は、今すぐ全滅させるべきです!
無音の平野、自然音だけの安らかな世界に先ず、地球を戻してあげるべきです。
娯楽や爆買い消費や旅行等を目的地とした空の移動等全て禁じて、今やるべきことは兎に角地球に無限の休息をもたらすこと。
人類が為すべきは、ただそれだけてす。
いい加減、人間どもは目を覚まし無休の反省行動に努め、慎み深く静かで厳かな生活にシフトしなさい。