冒頭の『Nocturne in C minor, Op. 48 No. 1』の、徹底的に自我を抑え込んだ表現は見事だ。 音質もエモーションもとことんセーヴした中で緩急をつけて行く表現スタイルはまさしくフレデリック・フランソワ・ショパン自身が望んだ音楽だと、ショパン本人が言う。 後半のフォルテの箇所もけっして打鍵をMaxに持ち上げず、一歩二歩抑えたフォルテで耐え抜いて行く辺りは圧巻だ。
『Ballade in A flat major, Op. 47』に静かに侵入し、楽譜上ではアクセントの付いている『A♭』も叩き過ぎることなく、軽やかで重量のない音楽にまとめ上げている。 又ショパン本人が言うところの『パッセージは極力テキトーに上昇して行く方が官能的に聴こえる‥』と言う言葉を実際に聞いたみたいに、ルーベンは徹底して重さを抑えたショパンを再現している。
『Polonaise in F sharp minor, Op. 44』、多くの演奏者は冒頭を過剰に緊迫させて表現したがるが、ルーベンはそれをあっさり反転させて行く。 けっして音楽に緊張を与えない、穏やかだけども適度なダイナミックを持たせたまま中間部に入って行く。この何気なさがとても良い。
その観点で言えば、『Ballade No.1 in G Minor, Op. 23』の中盤から最終章に入って行く辺りの重音の連なり部分も、殆ど力を入れずに演奏していたと言う。 G Minorのスケールの3度で重なりながら上に向かって突き上げて行く辺りに関しては、途中かなりはちゃめちゃになりながら3度でも4度でもない‥ 言ってみればジャズで言うところのアドリブの助走のように、かなり大胆にテキトーに弾いていたとショパンが語る。
さらにこれまでの藤井風の持ち曲と一線を画すものがあるとすれば、それは歌詞の内容だろう。『I Need U Back』では死の色よりも「生」とか「躍動」と言った、死生観で言うところの「生」の側が生々しく描かれている。 だが、やはり背景にはメキシコの『死者の日(ディア・デ・ムエルトス)』の影が立ち込めている辺りは、やはり藤井風の中にも捨て切れない宗教観のギリギリのラインだけは維持したいと言う、意地のようなものがあったと見るのが妥当かもしれない。
Spotifyで聴くとM-1: “Casket Girl“ からM-2: “I Need U Back“ が曲続きになっており、単体では聴かないでよ‥ と言う藤井風のアルバム試聴に対する裏の意図が見えるが、この演出が果たしてどのくらいリスナーに影響を与えているかについては判然としない。
さらにこれは偶然とも必然とも付かないタイミングだが、ふと‥ Michael Jackson の『Blood On The Dance Floor X Dangerous』の動画がこのタイミングでYouTubeのぶら下がりに浮かび上がって来たので視てみると、なになに‥ 藤井風の『I Need U Back』の動画構成とかなりかぶっているではないか!!(笑)。
最後に付け加えるとするならば私は、藤井風のファンでもアンチでもない、ただの芸術家であり音楽評論家である。なので音楽 (ないしは表現) と言う切り口で物事を分析し、粛々とそれらを評論しているに過ぎない。 その上で、藤井風の新しい動画『I Need U Back』の出来栄えを点数にするならば、百点満点の63点と言ったところだろうか‥。 この記事ではあえて藤井風 VS マイケル・ジャクソンと言う切り口で綴ってみたが、意外に分かりやすい表現分析ではなかったかと思っている💃
2曲目『Etude in C major, Op. 10 No. 1』については特に述べることもなく、普通に音大生が演奏するレッスンのエチュードと言う以外に何のインパクトもなし。
次いで3曲目『Waltz in A flat major, Op. 42』に関しては、野球に例えれば『2アウト/2ストライク/3ボール』の見せ場を迎えている状況に近いだろう。 ショパン好きの私としては、ショパンと言えば『天上界の音楽を生み出し奏でた作曲家』だと言いたい。だが、牛田のこの表情はまさしくスポーツで言うところの『もう後がない』状態のそれであり、わざわざこの表情を抜き取ったTVのADさん‥ 『グッジョブ!!』と言いたい心境だ(笑)。
さて4曲目『Barcarolle in F sharp major, Op. 60』、此方も私が大好きで得意とする『H-dur (B Major)』の曲で攻めて来る。途中何度か6度の和音のアルペジオの箇所が現れるが、その6度の最も官能的な響きを単純にスポーツ的な解釈であっさり通過して行きやがった牛田選手(笑)⚾
ことさら比較するまでもないが、Didier Merah (ディディエ・メラ) の『Happiness』が「覚醒後のショパン」だとしたら、既存のショパンの楽曲は「未覚醒のショパン」と言い替えても良いだろう。 未覚醒のショパンをどんなに丹精込めて演奏したとしても、そもそも楽曲自体の熟成が為されていない以上それを極限の状態で誰が再演したとしても、『それなり』以上の出来栄えにならなくても致し方ないと言えそうだ。