私とプレアデスと、人類の未来と – About me, Pleiades, and about the future of us

Didier Merahのニューアルバム『Heaven』が、2021年7月4日に決まりました。少し前に決定していたのですが私の手の負傷その他色々アクシデントが重なり、ダイジェストの公開が今日、2021年6月21日になりました。
今日は夏至。Didier Merahはイベント・タイミングの神々に守られています。事を起こすタイミングは概ね、彼等と夫・天野玄斎が決めてくれます。
 

Didier Merah’s new album “Heaven” will be released on July 4, 2021.
It was decided about it a while ago, but due to my hand injury and other accidents, the digest was released today on June 21, 2021.
Today is the summer solstice. Didier Merah is protected by the gods of event timing. The timing of the event is determined by the gods of the event timing and my sweety husband, Gensai Amano.


 
そしてこのところ記述を控えてはいたものの、私とプレアデス星のJane女史との対話も継続しています。
Janeは今、少しだけの期間旅に出ているようです。以前よりも音声が少しだけ遠くなりましたが、愛するガーディアン達のサポートにより私とJaneはとてもスムーズに会話が出来ています。
 
Janeは今の地球を遠隔で静観し続けています。そして彼女も又、同じリラ星の末裔として生きる私達・地球人に対し日々案じ、胸を痛めています。
 

And although I’ve refrained from mentioning it lately, the dialogue between me and Ms. Jane on the Pleiades is continuing.
Jane seems to be on a journey for a short time now. She has a slight time difference in her voice with me, but with the support of us beloved guardians, I and Jane have a very smooth conversation.

Jane continues to look at the Earth today remotely. And she also seems to be very anxious about us, the Earth people, who live as descendants of the same Lira star every day.

 

 

ニューアルバム『Heaven』のダイジェストを聴かれた方々からは、想像通りの「思わぬ反響」が寄せられています。その反響に対し、私は沈黙を続けています。
勿論直接私にDM等で音楽の感想を寄せて下さる方もいらっしゃいます。ですが多くの方々がまさか、このアルバムの企画が「この世界の滅亡までのプロセスを描いたもの」だとは思いもしないようです。ですがこれは紛れもない事実です。
 
私、そして夫はその時間までの複数の未来を模索しながら、このアルバムを完成させました。
但し人類がこのタイミングで生き方を改めれば、未来は現状よりも良い状態に変化して行く可能性を秘めています。
 

Listeners who listened to the digest of the new album “Heaven” brought me “unexpected reactions” as expected. And I don’t response for them yet. Because there is something I want them to notice by listening to this album.

Of course, there are also people who directly send me their impressions of music through DM etc. However, nobody may think that the project of this album is “a picture of the process leading up to the destruction of this world.” But this is an unmistakable fact.

I and my husband completed this album, exploring multiple futures up to that time.
However, if human beings change their way of life at this timing, the future has the potential to change to a better state more than now.
 
 


多くの人々が、常に、誰かの援助や救済を待っています。特に最近のスピリチュアル系の洗脳に深く染まった人達の多くが思考停止に陥っており、自ら能動的に思考したり行動すると言う機能の大半を喪失しています。
 
この件についてはプレアデス星のJane女史もとても驚いていましたが、最近はこの状況をただ静観することに徹しているようです。
生きる目的を持たない人々を救済する理由は、Janeには理解出来ないですし、その必要もありません。
 
酒を飲み、大声で歌を歌い、踊り、日々目的のないパーティーに耽らなければ生きている実感の持てない人達は、言ってみれば地球にとって何の存在価値すら持たないのです。自然神はその隙を巧みに利用し、ここまで地球を荒らして来た人類に最後の審判を下そうとしています。
それがこの、新型コロナウィルスのパンデミックです。

 

Many people are always waiting for someone’s help or rescue. In particular, many of the people who have been deeply affected by the recent spiritual brainwashing have fallen into a thought stop and have lost most of their ability to actively think and act on their own.

Ms. Jane who lives in Pleiades star might be very surprised at the matter, but she seems to be devoting herself to just watching the situation these days.
Jane doesn’t understand why she rescues people who have no purpose in life. And Jane doesn’t even have to bail out such people.

People who can’t feel alive without drinking, singing, dancing, and indulging in purposeless parties every day have no value to the earth, so to speak. The god of nature is taking advantage of this opportunity to give the Last Judgment to the human race that has devastated the earth so far.
That is the pandemic of this new coronavirus.

 

地上には、様々な視点から人類を「目覚め」へと誘導する動きが見られます。ですがその多くが強引であり、間違いだらけです。
でも、だからと言って私が文字や言葉を使ってそれらを正したところで、誰も耳を貸さないことはもう分かり切っています。ならば私が穏やかな音楽を放つことで、人々にこれまでの過ちに少しでも気付いて貰うことが今はベターだと私は思っています。
 
2021年7月4日。このアルバムの13曲の調べが地球の表層を温め、そして地底に潜む地球の怒りを少しでも和らげてくれるよう、私は心から祈っています。

 
On the ground, we can see movements that guide humankind to “awakening” from various perspectives. But many of them are Forcible and full of mistakes.
But I already know that no one will listen if I correct them with letters and words. Then I think it’s better now that I play gentle music and make people aware of their mistakes.

 
July 4, 2021. I sincerely hope that the 13 songs on this album will gently wrap the surface of the earth and alleviate the wrath of the earth under the ground (with Jane who lives in “Era-Star” of Pleiades).

 

未来を視る時

5月も月の半分を越えました。私は日々の作業を進めがてら、再発したばね指に時折痛みが走ることもあり、作業⇔安静 を往復しながらの生活が続いています。
どうやらこれは職業病の一種で、どうしたって練習を継続している以上なかなか治りが遅いのも又事実です。
このまま痛みが抜けないようであれば整形外科に再びお世話になろうと思っていますが、今のところ炎症箇所の引っ掛かりが発生していないので少しの間様子見になりそうです。
 
未来の話、近く訪れるであろう山暮らしのことなど、夫婦間の話題は尽きません。ですが色んなことが遅々として進まない今は、余り先々のことを空想するのはやめておきます。いざ事が進み始めた時に「こんな筈じゃなかった‥」と意気消沈するのは嫌なので。

奇跡は「望み過ぎない」ことが肝心。ご褒美は狙って頂くものではないですから、ここはじっと我慢の子です。

プレアデス星のJaneとの会話もずっと継続していますが、視えている未来が余り明るくないのでやはりここには未だ書くことが出来そうにありません。
 


一人一人の利他的な心掛けが無ければ、この先の地球の未来に無限の光が降り注ぐことはないのでしょう。
ですが現在の地球上の人々の多くは、常に全てを誰か、何かのせいにして責任を回避するような、そんな人達が多く存在しているのも又事実。又元の日常がこのウィルス・パンデミック後に戻って来ると信じている人達が大多数ですが、そんなものはもう二度と戻っては来ないのです。
 
先ず、その現実と近未来を皆が受け容れて、厳粛に清楚に、そしてもっと禁欲的に生きる術を模索しなければ、地球はもっともっと大きなトラブルを発生させることになるでしょう。
 
 
自堕落と快楽主義は、ただの悪です。
音楽にこれを例えるならば、爆音やその場凌ぎの表現、そして酒や欲情的な感覚を共にしなけば成り立たない(聴けない)ような音楽等、全てごっそりこの世から消し去るべきです。
なので私は常々そういう人や場所、現象をターゲットしては「消えて下さい」「消えなさい」と念じながら、段々と現実がそうなって行く状況を静かに見守り、なるべく早い時期に地球全体がさらなる静寂を取り戻すことを願ってやみません。

 
今日は都内某所のダッキーダックで宮崎マンゴーのズコットを2個も平らげて帰宅しました🥭
本当に美味しかったのです。
 
Janeと夫と私の三人の会話をするにあたりテレパシーをがんがん使ったので、流石に脳が熱くて疲れました。少し休んでから、夕食の支度に取り掛かるとしましょう。
 

 


宇宙の素材 – Material of Space

かれこれ数か月前の話になるだろうか。古くからの知人・友人で、唯一私の音楽活動遍歴を長く見て来た俳優と、都内の音楽スタジオを借りて長時間の雑談を楽しんだことがあった。
 
彼(彼等)にも私にもその時々の生き方があり、時代の波にしっかりとハマりこんだ生き方以外の選択肢を持つことが出来ず、溺れる寸前の体を支えるように生きて来た。
そんな私も、そんな彼等にも各々大きな転機が訪れ、私も彼等もそれぞれが「一人」ずつになって行った。

 
 
G: 曲を探してるんだけど、書いてくれたりなんかしないよね?

私: 今は専業作家的な仕事にはもう全く興味が無くなってしまったかな、私‥。
  当時は売れたくて売れたくて誰かに認められたくて仕方が無かったんだけど、もういいかな(笑)。

G: じゃ~何で今作曲とかやってるの?

私: 自分には弾けない筈の曲が宇宙からミッションとして降りて来る瞬間がたまらないのよ。
  分かるかな‥。

そんな会話をしながらこの友人にはもう少しだけ具体的に私のことを話せそうな気がして来て、何となくピアノを使って雑談が再度始まった。

 

各々が同時に通過して行った過去の時間と、現在の私とは余りにもギャップがあり過ぎたけど、そんなこと一つ人に話せないようではいけないと私も襟を但し、特にこの10年間の中で私の身に起きたことに限定して、私が思う「作曲」についてゆったりと解説を重ねて行く‥。

そもそも私と彼等が出会った切っ掛けが音楽ではなく「衣装」だったり「スケジュール管理」の分野だっただけに、こうして私が彼を相手に音楽論を熱く語ることになろうなんて、その瞬間まで予想すらしなかったけど、こうして話してみると意外に話せるものだな~と段々楽しくなって来た。

 


長く「歌」や「人の肉声」に仕事人として関わって来たものの、2011年の冬の終わりを機に私と歌との関わりも完全に終わった。最初はとても動揺し、この先どうやって音楽活動を続けて行けば良いのかと散々悩んで来たものの、答えは意外にもあっさりと見つけ出すことに成功した私は、毎週のようにピアノ(電子ピアノ)一個で即興で音楽を作ってはそれをYouTubeの自分のチャンネルから配信して行った。

そうこうするうちに私は自分の中で永遠とも思える程の時を超え、眠り続けていた私自身の音楽に辿り着いた。そして今はその先の音楽へと手が届きそうな場所に、たった一人立ち続けている。

 
真実の結論をひとつ見つけ出すことが出来れば、その結論が次の仮説へと私を導いてくれる。2009年から今の活動を開始してからもう12年目の春を越えようとしているが、今、私の中に既存の作曲技法や作曲のスタイルは全く以て存在していない。

地球上の音楽や音素材は、もう私には必要なくなったのだ。そして私は宇宙のあちらこちらに点在する音の破片やWave、或いはもっとシュールで偉大な何者か‥ からの波形から音楽を生み出すことが今は何より楽しい。

 

母は昔、度々私にこう言った。
「偉大な人に音楽を使って頂くことが、作曲家冥利に尽きるのよ。だから貴女も頑張って。」と。

ちっとも頑張る気など起きなくて、それよりなにより音楽と言うジャンルに限定した時に、私以上の知識や経験値を持つ人がこの世界に本当に存在するのかと、常に疑問を抱いていた。

そして私は数十年の月日を費やして、音楽と言うジャンルの中に居る筈の「素晴らしい人」を探し求め、その為には時間も労力も惜しまなかった。
そうこうしている間に10年が過ぎ、20年が過ぎて、もう直ぐ職歴30年目を迎えると言うある日東日本大震災のその日を迎え、これだけ探しても音楽を司る「素晴らしい人」は見付からなかったと言う結果に悶々としながら、それまでのいわゆる「専業伴奏者」の職から完全に撤退した。

 

私: ねぇ、G?私にとって発注音楽って言うのはね、さながら「マッチング」と何等変わらないのよ。
  イタリアンだったり中華だったり和食やロシア料理、その中のどのスタイルをマッチングさせるか‥。
  つまりそういう話しなの。ちっとも面白くないし、楽しくない。

  どんなスタイルでも書けちゃうのよ、私。
  ショパンでもつんく風でも、或いはユーミン風でもサザン風であってもね。

  呑んでも呑んでも酔わない人の心境に似てるかな。
 
  本当に燃える作曲って言うのはね、つまり「宇宙の素材」が私の中に降りて来た瞬間の爆発。
  それ以外は本当に、ただのマッチング。擦り合わせだし取り引きとおんなじなのよ。

G: 成る程ね。それ、何となく分かる気するワ‥。
 

そして実際に私はピアノで彼が知ってそうなメロディーを、数人の作曲家のテイストにアレンジして実演して行くと、G氏はベートーヴェンさながら髪を振り乱して「もう頼まない、ゴメンよ。」と言って、ピアノ椅子を立ち上がった私の代わりにアップライトピアノの黒い蓋をそっと閉じた。

 

日々の私の練習の素材はもっぱら基礎連用のハノンやショパンのエチュード、バッハのインベンションの3声やイタリアン・コンツェルトだったりと色々あるけれど、どの作品一つを取っても私の心を震わせてくれるものはもう何一つなくなった。

むしろ練習中に開け放つ窓の向こうから届く鳥の声や風の音、桜の花びらが舞って擦れる時の微かな音の方に心が動いて、地球上のどの音楽でさえも今の私をロックオンする力を持たない。

 

先日プレアデス星団(Era星)出身のJaneが搭乗している巨大な母船が移動する時のノイズに、妙に心が震えた。
勿論機械音と星が流れる時の音の中間のような不思議な効果音のような何かだったが、プレアデス産の宇宙船はノイズさえも洗練されており、それはさながら新たな音楽の欠片のように私には聴こえてならなかった。

 

そう言えば。2009年か2010年か。あの頃の私は中東やアラブの音楽ばかりを一日中聴いていて、少しずつ伴奏の仕事を減らして行く過程でそれが新たな刺激だった。


特に、Hüsnü Şenlendirici氏が奏でる「İstanbul İstanbul Olalı」に強く心を突き動かされ、「私、こういう音楽が演りたかったの。」と、目をキラキラさせながら夫に話し、「じゃ~何か一曲録ってみようか。」と言ってくれた夫の前でよっしゃ~!って演奏した曲が「Blessing of the Light」だった。中東でもアラブ風でも何でもない、全く逆方向のケルトミュージックとバッハのハイブリッド種の音楽が生まれ出て来たのだから、きっと私の魂とか意識とか、霊体が既に音楽を持っていたとしか言いようがない。
 

 

つまり真の作曲家はその時々に接している音楽に振り回されることがないと言う、あの時が実演になったことが私には大きな自信にも繋がった。
逆に、どんなスタイルを依頼されても私には音楽を作れてしまうから、素材には慎重になる。さしずめ私の場合は、これからは宇宙の素材で音楽を生み出すことがもっと増えて行くだろう‥ と思っている。

宇宙の素材は共有財産であるからして、そこに個性だとかキャラクター等は一切必要ないのが気持ち好い。犬も歩けば音楽に当たるわけで、私の中にはざっと10,000パターンの音楽様式のボックスが存在し、そのどれかにマッチングさせれば何かしらのメロディーやハーモニーが一個の個性を成立させて行く。

それが分かってしまうと、もうこの地上の発注音楽に心が湧き立つこともなくなった。

 

宇宙船やロケット等のテクノロジーを使わずとも、今の私はテレパシーを駆使して行きたい場所の一部にアクセスを試みることが出来る。そして向かう先に居る宇宙の人々も、そんな私のささやかなギフトを待っていれくれる。

今の私の作曲の動機はまさにそれであり、それ以上でもそれ以下でもない。至ってシンプルで、尚且つ私は日常の大半の時間を今は音楽から離れて生きている。宇宙からのギフトに敏感で居る為に。

 

追悼手記 2021年3月11日

2011年3月11日から10年が経過しました。色々なことがあり、人々は決してあの日のことを忘れることが出来ません。勿論、この私もです。

直接の被災者ではなくても、東京の片隅のあの頃の街も人々も商店街も、まるで戦時中を思わせるものでした。戦争の経験がなくても、あれは戦争だったと今も感じます。

そして2021年の3月11日。世界が新型コロナウィルスによるパンデミックに喘ぎ、もがき、出口のない迷路の中に私たちは立たされています。

余りにも危険なワクチンを積極的に打たせようとしている医療関係者たちは、ワクチンがその後何をもたらすかの可能性について知っています。でもそれを口にすることが、誰にも出来ない状況なのです。
製薬ビジネスに反旗を翻せば、ともすれば医師免許をはく奪されるかもしれません。皆、恐怖に怯え慄き、何より自身の生活を守ろうと必死です。
でもそれを誰にも責めることなど出来ません。

私は今でも東北沖の海底を覗き込むことがあります。そこには魂となった多くの人々の生活が、あたりまえの日常のように繰り返されています。

霊魂となった魂が霊体を持たない場合、その魂たちは過去の習慣を思い描き継続することしか出来ません。まさに今の東北沖の海底は、そんな光景に包まれています。

日本の神職者たちは一体、何を祈り、何を思い、その職務についてどう考えているのでしょうか。
新型コロナウィルスからの緊急事態宣言が続く中、多くの祀りが中止され、日常的に行われている祈りの儀式もどこか疎かに感じざるを得ません。

でも、私はこの世界にミッションを持って生まれ付いた芸術家として、ただ一人であってもこの地上の様々なことに対し思いを致し、祈りを捧げたいと思います。
音楽家のくせに、ただの芸術家のくせに‥。人は色々なことを私に向けて放って来ますが、そんなことは私にとってはどうでもいいことです。

リラの星が自爆を遂げた後の私は、魂と霊体だけをしっかりと抱え込み色んな時代、色んな場所を、色んな人に姿を変えながら転々として来ました。そして今があります。
今、この2021年の混乱の中を生き抜くことをもう一つのミッションとし、尚且つこれまで続いて来た霊体としての、リラ星の巫女だった私としてのミッションの両方を抱きしめ、しっかりと地に足を付けて生きて行きたいと思います。

追悼詩集『Requiem 311』より、『Oversoul』。
詩: http://requiem311.spx.jp/main/00099/

詳細は言えませんが、この詩の中にはMichael Jackson氏の熱い思いが詰まっています。
他の98編の詩も含め、是非お読み下さい。
『Requiem 311』http://requiem311.spx.jp/


原曲のYouTube ⇩

Distance in The Dark

これまでに無い感覚、そしてこれまで以上に宇宙との距離感が縮まって行った貴重な一ヶ月間。私はこの間のプロセスや感覚を一生、忘れることはないでしょう。

芸術家、音楽家、作曲家と言う現世でのミッションに重なり合うようにもたらされた、もう一つのミッション、‥コンタクティー。それは予想以上に過酷ではあるものの、逆に予想以上に楽しみをも私にもたらしてくれます。


“Who is Jane?”

こんな質問が色々な国の言語で私の、特に今はTwitterのDMに投函されていますが、必ずしもそれらの質問の主が私に好意的であるとは限りません。ですので今週半ば頃私は一旦、TwitterのDM設定を変更しました。
私をフォローした人物からのメッセージのみを受信するよう設定を変えて、私を取り巻く現状を静かに観察しています。

これまではいわゆる霊体とのコンタクトが多かった私ですが、特にこの一ヶ月間はJaneとのコンタクトに交信を限定していました。それでも日々エネルギーをMaxの状態でのコンタクトが続き、毎晩私はふらふらになって布団の中に倒れ込んでいます。
まだまだチャネリングの精度がアマいのかもしれません。もっと精度を上げて行かないと、今後もっと頻繁にJaneと話をするようになった時の自分に自信が持てません。


今月は色々なSNSの整理にも追われ、ニッチなSNSからの退会やFacebookの個人アカウントからの自己発信の停止の継続等、お喋り好きな私にとっては余り喜ばしいとは言えない整理整頓が続きました。
でも、それでも時間が足りず、作業が追い付いていません。一つには夫のテレワークが続いている環境も起因の一つで、要するに私は「社会時間」に余り上手に適応出来ないタイプの人間なのでしょう。

そこに来て花粉症が始まり、特に明け方の痒みにはもう泣くしかありません。梅がそろそろ散り始め、間もなく桜の季節が来る前触れだと前向きに捉え、毎日涙を拭いて鼻をかんで過ごしています。


特にイベントがあるわけでもなく、特にライブ等があるわけでもない今の環境下でブログを書くこと自体がとても難しい作業ですが、外側には出していない私の日常は意外にてんやわんやです。
上にも触れたようにコンタクティーとしての新たな日課が加わっただけで、日々の半分以上をそのことの為に費やしています。でも。このルーティーンにももうじき慣れる筈です。

プレアデス星は「エラ」を襲った大寒波が少し緩和し、今朝私の元に届いたプレアデスの映像の中では地下を張り巡らせている食糧供給用のベルトコンベヤーの運転が再開された模様です。
プレアデス星の一般市民が日々の食事として「食用タブレット」をメインとして摂取していることについては、前記事にも触れた通りですが、プレアデス星のそうした現状もそろそろ変化しても良いのではないかと、毎日私はJaneと色々話をしています。

 

地球は多くの惑星の中でも特に、文化や文明が発展した星です。その代わり価値観や宗教観が多様化し、戦争や口論が絶えることはありません。
ユートピアとディストピア、どちらに転んでも各々副反応は生まれます。そうだとしても私は、地球に生まれて来れて良かったと思っています。音楽や料理、娯楽のないプレアデスに私が何かを手渡せるとしたら、それは紛れもなく音楽です。

核戦争で壊滅したEdenに私が最初に料理を持ち込んだ日のことが、今も懐かしく思い起こされます。


生命(人々)は、喜びを存分に味わって生きて行くべきです。今は半ばディストピア化したプレアデス星のどこかに私が音楽を運んで行けるのは、いつの日になるでしょうか‥。
その日の訪れを心待ちに私は、これからも粛々と創作活動を続けて行きます。

さて。私は自身が芸術家・作曲家であると同時に音楽評論家や選曲家等の顔を持ちます。そんな私の最近のルーティーンの一つが「プレイリスト作成」です。
色々なテーマを決めながら、本当に多くのジャンルの音楽に触れてそれを整理して集めて、一個のプレイリストを念入りに作成して行きます。

今日は「次の春への祈り」をテーマに作成した最新のプレイリスト(未だ作成中ですが)を、この記事の最後に貼っておきます。
是非ゆったりとした春の一日を、このプレイリストと共にお過ごし下さい。

覚醒 – スターシードとして

少しだけ音楽を離れて色々なことを考えた一週間。私にとってこの一週間は、大きな変化と痛みをともなう時間でした。

そんな折、2021年2月13日の夜に起きた大地震には本当に驚きました。床ごと大きく揺さぶられるようなあの感覚は、2011年3月11日の大地震の記憶を呼び起こさせます。
ひっきりなしにスマートフォンからサイレンが鳴り響き、TVでは同じCMがずっと流れててとても不気味で不安な日々を過ごしたことを、10年後に再び思い出すことになろうとは‥。

 

コロナ禍だと言うのに地球はどこかそれ以外のことに人々の意識が駆り立てられていて、だからと言って具体的な幸福論には誰も到達出来ていないこの現実を、一体何で埋めて行けば良いのかと考えた時、やはり私は音楽に突き当たります。
言葉のない音楽。美しい残響が重なり合いながら、それは時空を超えた出会いをも引き寄せることを、私はこの一週間の多くの時間の中で知りました。

 

先ずはTwitterのプロフィール欄に「コンタクティー」の経歴を足したのも、今私の中で起きていることの断片を暗号化しながら、少しずつ表に出して行きたいと言う私の願いでもあり、それは同時に相手の願いともリンクしながら物事が大きく動いた一週間でした。


何もない音楽、争わない生き方。
大地の実りを有難く思い、食すこと。
全ての言動に祈りを捧げ、この星と宇宙に何かを遺して伝えて行くことが出来れば、今世の私は多分成功した‥ と言っても良いかもしれません。

 
チャネラーとして、コンタクティーとしての新たな一週間を終えてみたら、そこには想像を遥かに超えた痛みも同時に心や霊体に記録され、今私はそれを一旦封印しながら少しだけ泣いています。
知っていること、新たに知ったことの大半は、とてもじゃないけど私の体の外には出せないこの世の痛ましい現実でした。人が知らないことを私は又一つ、心に抱え込んでしまったようにも思いますが、これはあくまでコンタクティー Didier Merahの序章に過ぎません。

 
私のミッションはそれらを包み込んで音楽に託すこと、それに尽きます。
少し心を整理して、明日から再び出直したいと思います。泣きながら、躓きながらでも私はこの星の未来の為に、前進しなければなりません。

 

そして私に多くの情報を少しずつ、恐れるように私にもたらしてくれているJane(仮名)へ、心から感謝を送ります。
明日も、そして明後日も、そして10年後も50年後もそっと彼女と寄り添っていられたら良いと思います。
 

転職のススメ – ライブハウス関連の皆様へ

間もなく緊急事態宣言 が発令される見通しに。世界も日本もようやく、大きな静寂に包まれることになりそうです。
時短要請対象、現在分かっているところでは、以下のようになっています。
 

[時短要請有]
飲食店、キャバレー、ゲームセンター、パチンコ店、ナイトクラブ、カラオケ、マージャン店、ライブハウス、大型百貨店

 

私が注目しているのは「ライブハウス」「ナイトクラブ」です。特にライブハウス関連から日夜立ち上がる騒音を、自然神 はことのほか嫌悪しています。
未完成な演目を未熟なパフォーマーが演じ立て、それはもう言葉にならない程の騒音のかたまりとして自然神はずっと長い間耐えて来たと言います。
それももう限界に達しています。勿論私もです。
 

私と自然神の理由は複雑に交差していますが、こうなって来ると芸術に関連しない全ての音楽や演劇、そして文明の一端も含めここで一切合切消えて無くなるべきだと私は思っています。
だからと言うわけではないですが、既に私は2009年の秋に現在の表現手法にシフトし、2011年の冬にはそれまで続けて来た全ての外注演奏業務を撤退しています。
 
 
私がこの種の発信をする度に、心臓を凍り付かせながらそれを読まれている音のパフォーマーたちの横顔を思い浮かべていますが、全ては自業自得なのです。
 

この自粛期間が明けて又、元の暮らしに人類が戻ろうとすれば、再び無期限でのロックダウン要請の運びとなるでしょう。人と人とを分断させれば会話も減り、世界は静寂に包まれます。
それは人や政治とかではなく、母なる地球と自然神等の強い願いなのです。
私も彼等、自然神の願いに同調し、慎ましく厳かで上品で、尚且つ静かに音楽活動を続けて行きます。

 

 
近い将来、もしかするとヘッドホンでしか音楽を聴くことの出来ない世界が始まるかもしれません。勿論私は大歓迎です。
但しロックや演歌、歌謡曲や煩いポップス等は元々ヘッドホンで聴かせ為に始まったジャンルではないので、多くのこの関連のパフォーマー達が転職を余儀なくされることになるでしょう。

 
自然神 カール氏はこうつぶやいています。
「転職するなら今のうちです。特に音楽家や舞台俳優たちは他の職種に人が溢れ返る前に、兎に角早めの転職をお勧めします。」と。
 
 
昨夜はスピリチュアル関連のオープンチャットで、私の強気の発言で少々混乱が生じましたが、そのくらいで怯むぐらいなら私は最初から『スピリチュアル』の領域に舞い戻って、活動を始めたりはしなかったでしょう。
要は、腹をくくっているのです。
 
 
私が本気になった時には、本当に世界が変わります。とは言えこれまでの私はその瞬間、世の中にその名をお目見えさせることのない形で世の転機に手を貸して来たわけですが、これからはそうでは無くなります。
 
 
又、私が何故ここまで明確にこの種の文章を記載出来るのかと言う理由については、別の形でnoteの最新記事に綴っています。
「有料記事」と言う文字を見ると多くの方々が尻込みするようですが、記事の中には命を守る手段について、医療や科学が言及していない内容に大胆に触れていますので、是非購入を躊躇せず中身をお読み下さい。
 
 
【[新情報] 新型コロナウィルス 変異種媒体の正体 – 2021.01.06 】:
https://note.com/didiermerah/n/na4bcc22af5ba

 
皆様に、光に満ちた神々のご加護がありますように。
 

冬の音色

木枯らしの向こうから不穏がひた走って来ます。それは止まることを拒絶する猛獣のように、多くの幸運や日常を蹴散らしながら次の季節に向かって、この星の全ての生き物たちを絶望の淵へと追い込んで行くようにも見えます。


この一ヶ月と少し、私はそれまで習慣となっていたSNS中心の生活から遠ざかっていました。
見聞きするもののスイッチの一つを変えるだけで、アンテナはよりシュールに、より感度を増して行くようにも感じられます。
元々シュールなアンテナが過敏なのに、それ以上にこの星の遠い未来から降り注ぐ多くの電波のような何かを受信する度に、深い不安が全身を走り抜けて行きます。

 
思えば辛く長い2020年でした。それでも私は無事に11月3日のバースデーを迎え、可能な限り生きられるところまで長く太く生きようと、夫とも声を出し合いながら、危機的な状況を迎えてしまったこの冬をしんしんと過ごしています。

 
外出も減り、外食も最低限になり、一見楽しみの大半をコロナ禍に奪われたようにも見えますが、そもそも私は屋内派なのでそれ程窮屈には感じていません。
大好きな温泉に行けなくなったのは少々残念ではありますが、服を脱いでウィルスを浴びるようなことにはならぬよう、毎日毎日気を引き締めながら室内で筋トレをやったり鍵盤の上でトレーニングを積み重ね、そして粛々と作曲も継続しています。

 
 

 
リバースよりもチャージに多くの時間とエネルギーを注ぐことが出来たのが、思えばとてもラッキーだったと言えるでしょう。
この二ヶ月間で5つのPlayListをSpotify上に作成し、少ないながらもそれを心待ちにして下さる方々も居てくれるので、又次も頑張って音の写真室を作ろうと言う新しいエネルギーを得ることが出来ています。

 
FacebookやTwitter上では度々会話をしているのに未だ一度も逢えていない音楽関係者も多く、そんな彼等と、今直ぐにでも逢える距離に居るのに逢えないこの厳しい状況が一体いつまで続くのか‥。そんなことを思いながら、PlayListの中に、逢えない音楽家への想いも込めて幾つかそっと楽曲を忍ばせる時、私はなんとしてでもこの苦境を生き延びなければと心を引き締めます。

 

今年は多くの別れを率先して生み出し、そして受け容れた一年でもありました。
言葉にはしない別れ、逆に先方からの要望で私がその心情に至った理由を告げなくてはならないことも多々ありましたが、私の心情の多くは理解されないままだったと思います。

 

芸術家はいつも孤独です。それは恩師である三善晃氏をずっとそばで見ていた時から感じていましたが、こんなにも、そして過酷なまでの孤独を痛感しているのは、今この時期だからこそ‥ かもしれません。

 

何かを分かって貰おうとか、理解して貰おうとか、私はそういうプロセスを幼少の頃から完全に放棄していました。理解しなければいけないのは相手の方であり、私は生まれ付いた時から既に多くのことを魂が知っていたのです。
 
年齢で言えば19歳或いは20歳くらいで過去世の私の人生が終わっており、その続きから私の今世はスタートしました。なので体は赤ん坊でも、記憶の中には直前の過去世の記憶が鮮明に刻まれており、赤子の体+19歳の私(僕)から私は再生したように思います。
父に度々「可愛くない」と言われるのもやむを得ず、私が最も私らしく振る舞えば振る舞う程、人との距離は急激に遠くなって行きます。
 
そう言えばこの時期だったでしょうか。いえ、受験間近だったので、もう少し先のシーズンだったと思いますが、丁度気候的にはこんな感じの冬のある日、一晩掛かりで家出した時のことを何故か今日は鮮やかに思い出しています。
桐朋音楽教室の同じクラスの女性と交換日記をする程仲が好く、音楽教室のAクラスに入った翌週からほぼ毎回私と彼女は同じバスに乗ってわざわざ遠回りをして音楽教室に通ったものでした。
きっと生涯の友になれるだろうと思ったのもつかの間、あの時家出をした日も私は彼女と共に短い夜を過ごし、そのことが後々になり彼女と絶交する原因になったことも又忘れることが出来ません。
 

結果的に私が音楽高校の受験に受かり、彼女がその逆の結果を迎えました。それを機に、私の音楽高校生活の長い長い虐めの空気がそこはかとなく出来上がり、だけど私はそうした空気に鈍感なふりをし続けました。

 

あの夜私は彼女の家に泊めて貰うつもりで、駐輪上にあった他人の自転車の鍵をこじ開け、音楽教室に自転車で向かいました。
何故そう言うことになったのかを話すと長くなりますが、丁度当時交換日記をしていたその手記の中に私が綴った「好きな人」の名前が、母の逆鱗に触れました。別に母の彼氏でも初恋の人でもないその人の名前を見て何故母がキレたのか、未だに分かりません。
 
ですが母は何かと無理矢理ルールを作り、私を生き辛くしていたように思えてなりません。それが他愛ない交換日記だったとしても、私は「いけないことをしている」と認識させられ、それを理由に母は無限に私に暴力をふるい続けました。
私は主に顔や目を殴られ、一時視力が劇的に低下したこともありましたが、母としては私の目が視えなくなればいい‥ ぐらいの気迫で私を日夜殴打し続けられる理由が欲しかったのだと思います。
 

— (中略して話を元に戻します。) — 
 
 
あの冬の土曜日は音楽教室の日でした。なので学校から帰宅すれば母が待ち構えており、交換日記を罪状のように振りかざし、きっと「音楽教室には行かせないわよ」と言う大義名分を付けて私の顔を殴打し続けることが予測出来ました。
なので私は中学校の授業から帰宅せず700円と少しの小銭を持って仙川まで自転車を走らせ、記憶では仙川の駅前の立ち食い蕎麦店で「力うどん」を食べたと思います。

 

そのまま音楽教室で午後の3時からの合唱と午後4時から6時までの授業を受け、私は音楽教室の友人である彼女に事情を話して一旦友人の家まで自転車で向かいました。
彼女のお母様とは既に面識があったので(きっとお母様としては嫌々だったのでしょうけど)ご自宅に上がると、温かいお料理が用意されていました。それを頂いて一泊する筈が、母からの連絡で私は彼女の家から突然追い出されることになります。

 
お金を持っていなかったので千円をお借りし、それを財布に突っ込んで一先ず私は自宅のある方角に向かいますが、最低気温3度とか2度の中、家には帰らずマンションの階段の踊り場で一夜を明かすことになります。

気が付くと、私は未だ制服を着たままでコートも羽織っていませんでした。ブラウスと上着、しかも化繊なので、夜中になると余計に寒さがしんしんと身に沁みて来ました。
勿論お腹も空いて来たので、当時一人では未だ行ったことのなかった「松屋」で牛丼とサラダを食べて、余りの寒さに階段に座っていることが出来なくてゲームセンターで3時間程、デスクを占領して仮眠を摂ったことを覚えています。

 

その後マンションの階段まで戻ると、どういうわけか家族総出で私の名前を呼びながら私を探している音が聞こえたのですが、私はそれでも家族(特に母)を信じられなかったのです。
きっと私を見つけるまでは単なる小芝居で涙を流し、私を家に引き入れた途端に再び暴力・殴打が始まるだろうと思った私は、家族に見つからぬように色々な場所を移動し、朝を迎えました。

 

冬の朝は酷く冷え込みます。しかも受験まで一週間を切った時期で、このまま私が家に帰らなければ受験自体も無くなってしまうでしょう。
むしろそのことに危機感を感じ、翌日昼前に私は泣く泣く帰宅しました。流石に中学生が真冬の極寒の時期に一晩家出を実行したことに対し、家族たちも少しは驚いたのか、その日の母からの暴力は何とか免れましたが‥。

 

この時期になると私は多々の、自分の身に降り掛かった忌わしい出来事の幾つかを思い出します。これらの悪夢は一体いつになったら、私の中から出て行ってくれるのでしょうか。。
今朝も悪夢に魘され、目を覚ましました。最近家族間で話題になっていることが好くない形で夢に現れ、私は何者かに酷く叱られ驚いて飛び起きました。

 
 

 
 
既にnote上でも警告を発していたように、遂に新型コロナウィルスの変異種がその牙を剥いて来たようです。この変異種はさらに分化と変異を繰り返し、感染力と毒性を益々強めて行くことについて私は再三に渡りnoteの中で警告(予測)していたのですが、数名の熱心な読者を除き多くの人々には見向きもされませんでした。
 

予知とか預言とは、形にならなければその効力を発揮出来ないものなのでしょうか?
危険な預言(予言)は極力、現実になって欲しくないから文章にして残しておき、読者に読んで頂き心を新たにして頂きたいと願っているのですが、多くの人達は「預言=言い当てること」に焦点を置いており、その現象が形になり現実になる瞬間をどこか心待ちにしているようにも視えて来ます。
これでは預言・予知の意味は全く無くなってしまいますが、それが現実です。

 

明日、何が身に起きるのかなんて、もう今は誰にも予測すらつきません。但し出来ることは沢山ある筈です。
きちんと食事をして、手洗いや消毒を欠かさず、外出する時は暖かい衣服で身を包みマスク必須で会話少なめに‥。人の集まる場所には極力出向かぬようにし、時折小さな外食等でストレスを発散し長居はしない‥。
 

小さな努力と心配りの積み重ねが、自分と大切な人の命を守ります。今人類に、私たちに出来るのはそれが限界でしょう。
さしずめ私にはミッションがあるので、その実行の時に備え体と心とシュールな感覚を粛々と磨き込んで、自分を高みに追い込んで行きたいと思います。

 

この冬幾つかSpotifyに作ったPlaylistの一つを、下に紹介します。
是非楽しんで、リストをフォローして下さい。そして皆様がご利用になられているSNS等でシェア~拡散して、広めて下さると有難いです。

 

それは悲しい戦いだった

久し振りの知人から、Facebook メッセンジャーを経由してメッセージを頂いた。久し振りではあるけれど、正直なところ胸が痛くなるような繋がり方・別れ方をした知人だったと思う。

普段はボイス・メッセージを使う私が、今日はその気になれなかった。きっと何も話すこと等ないし、沈黙を私が埋めるような最近のボイス・メッセージの使い方にとても疲れてしまったのかもしれない。
 

「急用でもあったの?」‥と言ってしまってから、なんて不愛想な言い方をしたのだろうと自分でもびっくりする程冷淡で、先方も何かを察知したのかもしれない。
ずっと私のTwitterを覗き穴から小動物のように覗いては何も言わずに、数年間同じ動作を繰り返していたと言う。
 
口数少ない私に先方はかなり動揺しながら、それでもぽつりぽつりと会話は繋がって行った。
 
昔の私は常に「営業モード」が点灯しているみたいに、いつ誰と会っても饒舌だったと彼女は言う。それもその筈、そうでもしなきゃ仕事が繋がらなかったから、私も頑張って生きていた。
でも今はもう、その必要もなくなった。だから私は、私が頑張らなきゃ会話が持たなくなりそうな人とは、率先して会わなくなった。

 
 

 

彼女はジャズ畑の人だから、当然そっちの話題に連れて行かれた。
会話はまるで水の流れのようだと思った。無理な舵取りを私が放棄すれば、相手の気の済むように話題は迷走する。どこへ向かうでもなく、どこに戻るでもなく、私が話術を放棄すればどうにでも会話は彷徨い続けるだけだ。
 
彼女: 「そう言えば、マリーンって今どうしてるの?」
私: 「そんなこと、私が知ってるわけないじゃないのよ‥」

そう言いながら私はYouTubeをPCから検索し、マリーンの代表曲の「Left Alone」を見つけて小音量で聴いていた。 
 
それを聴いていたら、ふと‥ 昔の自分を思い出していた。

 


 
それは常に、悲しい戦いだった。
 
歌手とピアニストは決して味方同士なんかではなく、言わば敵同士と何等変わりない。私は黒子を飛び越してその日その夜の歌手をいかに叩き潰して気持ち好く帰宅するか‥ に日々命をかけていた。
 
この動画のピアノを聴いていると、兎に角饒舌で、きっと演奏者も私に似たような心情で演奏しているのではないかと感じずにはいられない。
ヴォーカルにとってのピアノ伴奏とは、おそらく料理で言うところの調味料に似ている。絶対に前に出てはいけないし、その存在を完全に消した時にこそ価値が上がって行く。だけどその瞬間の仕事は、誰の記憶にも残らないのだ。
 
伴奏とはそういう仕事だったけど、おそらく多くの伴奏者たちはその戦いを通過して、日夜どうやってその日の歌手の存在を叩き潰して帰ろうか、オーディエンスの記憶の中からいかに歌手を消してその座に自分が強く居残れるか‥ と考えながら、段々とパッセージが過度に饒舌さを増して行く。
 

時々親切心を出した歌手に、間奏等で「好きに遊んでいいから。」と言われるけど、たかだか20秒程度・16小節程度の彼等の休憩時間を私の遊びにあてがわれたところで、本気の音の遊び等出来た試しがない(笑)。
遊びは虚しい暇潰し程度で過ぎて行き、直ぐに歌手が追い討ちをかけるようにサビのリフレインに乗り出して来る。
 
むしろ私はそこで歌手を潰しにかかることが多く、歌手が歌い出すのを見計らって音量を上げてあえて素知らぬ顔でソロ演奏の続きに狂喜乱舞したりして、24年もの間多くの歌手たちを困らせて喜んで来た。
 
 
マリーンのLive動画を観ていると、私ほどではないけれどピアニストが明らかに挑んで来てるのが見て取れる。
いかに自分が伴奏以上の能力を持っているのか、オーディエンスにただそれだけをインプレッションする為だけに演奏しているようにさえ聴こえて来る。
 
    
彼女: 「ねぇ?私の話聞いてる?」
私: 「聞いてなかった‥。」‥(笑)。
 
気まずい沈黙が長く続き、私はその気まずさを埋める言葉をあえて消し去った。まるで残響の失せたピアノのように、胸の中のベーゼンドルファーは酷く寡黙に押し黙ったままだ。
 
 
かつての知人は皆、私を芸術家だとは思わない。少し話の面白い、お笑い系伴奏家だと今でもそう思って連絡して来る人も少なくない。だが、私はあえて気まずくなるような方法を選んで、人を威嚇することに夢中になるのだ。
そして徹底的に相手の気分を損ね、連絡しなければ好かったと思わせ、以後本当にそういう人との連絡は途絶えたままになるから願ったり叶ったりだ。
 
 
本当はそんなこと、したいわけではないのよ。
私本来の楽しいおばさんのまま、自由気ままに話題のロープを駆け上がって相手を笑いの渦に突っ込みたい。でもそんなことをすればたちまち、相手の(私に対する)ルックダウンを助長するだけだから私はあえて、笑いの蛇口の鍵を閉める(ここからは立ち入り禁止よ‥ と小声でつぶやきながら)。

 

私: 「で、用事はなに?」
 
場をシラけさせる言葉を選ぶのに最初は戸惑ったけれど、最近はそういうキメの一言は難なく口を突いて出せるようになった。スルースキルも段々と上達して来たものである。
 
彼女: 「急にナニよ。なんだか貴女、変わったわね。」
 
 
そうそう、その調子。早くこのボイス・チャットを終えたいのよ私は‥。

 
そして数分後、チャットが終わった。
こんな時、相手に、人の心の声が聴ける能力があったらどれだけ楽だろうかと思う。
 
時が私を変えたのでもなければ、私が冷たくなったわけでもないし、ただ‥ 余計な接客サービスを過去の同業者には使わないだけのありのままの私。そして私は芸術家であり、何よりDidier Merahであると言う事実がそこにあるだけなのだ。
 
 

今の私は本当に自由だ。
好きな音楽を好きなだけ聴いて、そして好きなだけ作曲をして、好きなだけ筋トレをして心もカラダも鍛え上げて行く。作曲だって紙に書く手間を徹底的に省略して、演奏タイムの中で完璧な作曲を完成させて配信して行く‥。
 
 
新しいアルバムのことを、ようやく真剣に考え真剣にアイディアを煮詰める作業に入った。
二週間と少し体調を崩していたのだけど、夫の看病の甲斐あって何とか鍵盤練習に少しずつ復帰出来そうだ。今日も緩々と練習を開始し、二週間休ませて少し鈍った体を余り痛めつけぬよう、優しく筋肉を動かした。

 
今の私の音楽は、今日の彼女との会話以上にとても寡黙だ。それは全て意味のある空間と空気と間で出来ており、間の中には残響と自然音と言う成分が存分に滲み出て行く、未来の音楽の片鱗を感じさせる。

 

彼女とのチャットの最後に一言、付け加えた。

私にとってあの頃は常に、悲しい戦いだったのよ。
貴女は遂に気が付いてはくれなかったみたいだけどね。
 

「え。。それってどういうことなの?」‥ と彼女が言い終わる直前を見計らい、計画通りに私はチャットを閉じた。
 
 

純白の河

これ程何もやる気の起きない木曜日は珍しい。そういう時は心身を労わるに尽きる、と思いながらも折角の木曜日、しかも快晴。
勿体ないな…。ふと口を突いて出た言葉が余りに呆気なく、風に連れ去られて行った。

これでもかと言う程照りつける太陽が、早朝の凍えるような空気を一瞬にして甘く、熱い夢に変えて行く。
木曜日。何かしなきゃと思い、13時を過ぎた頃ようやく布団から這い出して熱いシャワーを浴びて支度を始めた。

今日のランチはもう決まっている。時間を気にする飲食店のランチを避けて、フレッシュネスバーガーのクラシックマッシュルームチーズバーガーのセットのクーポンを押さえてあった。


2020年11月3日、無事に、本当に無事に56歳の誕生日を迎えた。本当に無事だったかと訊かれたら決して無事だったとは言えない程、ここのところ色々と、目には見えない圧力との戦いに明け暮れていた私と夫。
だから無事だったと言えば嘘にはなるけれど、でも怪我をしたわけでもなく事故に遭ったわけでもないからやっぱり無事だったと言う他に言葉を思い付かない。


人生は小説のようだと言うけれど、小説が人生のようだと言う人に私は未だ出会ったことがない。でも私の人生はきっと、何かが逆転したまま進んでいると言っても良いかもしれない。
私は未来からここに戻って来たようでもあり、この世の始まりからの記憶の多くを霊体に保有したまま転生を繰り返しているから、過去から未来にタイムスリップしながら生きているようでもある。普通の人が基準としているものが、私の中では全くあてにならない。

これまで何人の人達に私の生い立ちや、私の魂の長い長い物語について語り尽くしただろう。今の夫以外の殆どの知人の同意や共感は得られることなく、今でも私は大きな疎外感の中で呼吸を続けている。


疎外感で繋がって行くのがこの小説「ミッドナイトスワン」の二人の主人公、凪沙と一果、そして一果の親友のりんかもしれない。

私は未だ映画を観ていない。本当に手が届く程近くの映画館で上映されているのに、新型コロナウィルスの感染を避けるべく暫くは密閉空間には行かないと決めている。
なのでノベライズとも言うべき書籍を先に読了した。


紙の中に時間の河が流れていることを、今日まで微塵も信じていなかった。そんな私が物語が後半に進むにしたがって壊れ始め、遂には物語が巨大な生き物のように涙腺に襲い掛かり私を完全に崩壊させた。
頬を涙が伝うように、Kindleの白い画面の中に深くて熱い河が溢れんばかりに流れて、ともするとありきたりのまま過ぎてしまいそうな木曜日を全て呑み込んだ。

まるであの日の洪水のようだと思った。その日、その瞬間まで笑顔を交わして生きていた人たちと、二度と会えなくなる瞬間の苦悩。この物語りは地震とは何の関係もないのだけど、クラシックバレーに魅入られた三人が次々とその荒々しい波に呑まれ、還らぬ人になって行く過程はまるで大きな運命の逆らえぬ波をもろに浴びる感覚に似ていた。


普段私はここまで書籍にのめり込むことがないのに、この本は特別だった。勿論ジェンダーとは何か‥ とか、芸術とは何か‥ と言うあらすじに惹かれてこの書籍を何気なく手に取ったにも関わらず、これまで私の中にモヤモヤしていたものまでが気付くと綺麗さっぱりと洗い流された代わりに、そこには二度と消えぬ痛々しい私自身の魂の古傷が今にも血を吹き出さんばかりに露わになった。



何を隠そう、私も遠い昔に母親からの虐待を受けながら育った人間である。人はそんな私を見て見ぬふりをして、「それは愛の鞭よ。」等ときわめて無責任な言葉で私を諫めようとするばかりで、誰一人私を痛みの谷底から救い出してはくれなかった。


「ミッドナイトスワン」の主人公・一果は、現実逃避をしたい時になると歯型が付く程深く腕の肉を噛む。次第にそれはリストカットと言う別のやり方に変わり、最終的にそんな一果をクラシックバレーと言う芸術と彼女に生まれ付いて備わった才能とが救い出して行くようにも見える。

だが一度心に付いた傷は、永遠にそこに留まり続けるのだ。私もそう。そしてきっと先立った私の弟の胸中も、それに近いものではなかっただろうか…。


一果同様、私の半生も凄まじいものだった。その凄まじさが余りに凄くて、誰にその話をしても話半分に聞くだけで真剣に取り合い向き合ってくれた人は誰も居なかった。
最初の結婚相手も最後には愛想を尽かし、最終的には離婚を渋っていた私をその気にさせる為に生活費を殆ど入れてくれなくなったりもした。だが私はそんな苦境の中に在っても、音楽から離れることだけは考えなかった。
まるで「ミッドナイトスワン」の一果のようだと、物語を読み進めながら私は主人公の各々を自分の人生と照らし合わせていた。そして久し振りに心の底から泣いた。


絶対に泣かないと決めて生きて来た私が、過去の自分に向かって初めてと言って好い程真剣に涙を流した。



瞬く間に夕暮れが終わり、夜が来た。日に日に驚く程、夜が早く訪れる。

そして誰もがマスクの内側から、本音の悪魔を覗かせながら口では違う言葉を話している。そんな状況が無期限で継続し続けるこの世界で、一体どのくらいの人達が本音で生きているのだろうかと考える。


私は人の心を聴くことが出来る。これは悲しい能力で、実際に話している言葉とは全く違うその人の本心を、まるで同時通訳のように私は第三の鼓膜で聴き取りながら生きている。
だから最近、私は人と会わなくなった。表向きは「コロナ禍が終わるまでは人に会わない。」と言って人を遠ざけているけれど、本当は違った。


心の中に北風が吹き荒れる。それは次第に大きく強さを増して行き、今にも私自身や私を刻む時間までをも奪い取りそうな勢いだ。
でもどんな荒波に在ろうと、私は夫と共にここまでやって来た。幾つもの、色々な次元からの呪詛が私を体ごと、内臓ごと引き裂こうとしても、夫が力ずくで私を守ってくれる。

そんな私の魂の物語を共有出来る友人が、私には一人も居ない。
その時々の相手によって私は、私をカスタマイズしながら向き合い、それなりの自分を演じることが出来るだけに、気付くと私をありのままさらけ出せる相手を完全に失ってしまったようだ。

もしもそれが夫にとっての私、私にとっての夫だけならば、私は夫と時間軸を完全に合わせて同じタイミングで次の旅に向かえるよう、上手に長く生きなければならないと思っている。

少なくとも「ミッドナイトスワン」の凪沙のように、大きな手術をした後に自暴自棄になるようなことだけはしたくない。


折角自分の望む自分になれたのに、何故… 凪沙は自分の意思で「死」に向かって生き始めたのだろう。読了後に何が悲しかったって、与えられたもの全てを自分の意思で手放してしまった凪沙の描写が余りにも痛々しかったのだ。


人間は何と弱い生き物だろう‥。

かつての私もそうだった。だから凪沙の気持ち、りんの気持ちは痛い程よく分かるけど、ここに生かされていることの意味を深く、深く考えると私は死んでなど居られない。
だから映画館にも行かないし、長時間人混みの中に身を晒すようなこともしない。じっと耐えて引き籠って、自分と言う舟を丁寧に丁寧にメンテナンスしながら次のステップに進んで行くだけだ。

ここから始まる第二の人生の全てを私は、芸術と夫に捧げようと気持ちを新たに、帰途についた。