[音楽評論] “E penso a te” – Lica Cecato et Carlo Morena

毎週金曜日に世界の新譜が発信されるSpotify。私は酷く体調を壊し、数日間ずれ込んでおずおずと新譜を端から捲って行く。
 
今週は競合が音楽の軒を連ねているが、その大半が余り日本では知られていないアーティスト勢の新譜だ。
思えば9歳になるかならないか‥ と言う頃に既に私は世界の音楽に目覚め、AMラジオでその動向を追い始めてから一体今年で何十年が経過しただろう。
 
まさか50歳を過ぎてから音楽評論を始めるなどとは夢にも思わなかったがそれもこれも、きっと恩師: 三善晃氏の導きではないかと思っている。

タイトルの「E penso a te」はイタリアは Lucio Battisti が1972年に生み出した有名なカンツォーネで、カンツォーネを愛する多くの歌手たちにカバーされている。
今回はイタリア人ではなく、ブラジル人歌手: Lica Cecato のヴォーカルを背後からイタリア人ピアニスト: Carlo Morena がしっかりと支えて音楽を編み込んで行く。

歌詞は原語のイタリア語ではなく、恐らくポルトガル語辺りで訳されたものだと思われるが、小気味よく悲しげな言葉の響きが郷愁を誘う。

本国イタリアでは後に Fiorella Mannoia やカンツォーネの王者 MINA がカバーしている。
 

 

 
イタリア語から歌詞を簡単に和訳してみたので、ここに貼っておこう。
 

“A penso a te” (邦題: [ そして君を想う ]

仕事をしながら 君を想う
家に帰って 君を想う
彼女に電話していても 君を想う

どうしている? 君を想う
どこに行くの? 君を想う
視線をはずして彼女に微笑みながら 
君を想う

君が今誰といるのか知らない
君が何をしているのか知らない
でも確かに君の想いが伝わって来る

この街は大きすぎる
ぼくらのような二人には
望みはないけれど互いを探している 
探している

ごめん もう遅いね でも君を想う
君の影を追いかけながら 君を想う
ぼくは今の暮らしを 少しも楽しんでいない 
だから君を想う

闇の中で 君を想う
目を閉じて 君を想う
遂に一睡も出来ずに 君を想い続ける

 
これはあくまで私の解釈に過ぎないが、これは不倫や浮気などではなく(一見そう読み取れる箇所もあるが)‥、ひょっとすると同性愛者の苦悩を表現した作品ではないかと感じてならない。
 
本命のパートナーが居る身で「彼女」と「君」と言う別々の存在を同時に思うとすれば、それは二人の異性に対する同時恋愛ではなく、男が一人の女性と同時にもう一人の同性を愛する心情を描いた作品ではないか‥。

そう解釈しながら聴くと、この作品のこれまでとは違った側面が見えて来る。
日本人のカンツォーネ歌手の中にもこの曲をカバーして歌っている歌手をこれまでにも大勢サポート(伴奏)して来たが、上に触れたような解釈に触れながら歌唱している歌手には遂に一人も出くわさなかった。
 
音楽や歌詞は多方向からそれを見比べることで、これまでにはない新たな発見をすることがある。
だがこの作品「E penso a te」を不倫の歌詞から同性愛者の心情を切々と歌った歌詞として再解釈しながら聴き返すと、この作品の根底を脈々と流れて行く深く険しくいたたまれない表現の根源に触れることが出来るだろう。

それは言い知れない、そして目的の無いゴールに向かって走り続けている形のない魂に不意に触れてしまった後の後悔のように、リスナーの心情をも呆気なく変えてしまうかもしれない。

 
最後の「La La La La ‥」と果てしなく続いて行く言葉にならない言葉が数秒後には力尽きて行く様を私も受け止め切れずに何度も何度もこの曲を伴奏しながら、「どこで終着点を決めるべきか」について悩まされたか知れない。

それは私が演奏者から音楽評論家或いはリスナーに転じた現在も、変わらずに河のように心の奥深くにたゆたい続けている。
 

[音楽評論] “Prométeme” – Monsieur Periné

前作のYouTube動画El Caudalでは炎の中に包まれながら愛し合う男女を切々と描いていたが、この描写が何とも官能的なのにかなしさだけが後を引く‥ その感触に不安を感じてならなかった。
ただの官能描写を超えた、人間の生存本能に強くインプレッションして来る何かを感じたのはおそらく、私だけはなかっただろう。
 
そして日本時間の2023年4月28日に新たに公開されたMonsieur Perinéの新作動画Prométemeで、彼等は内なる叫びの全貌を露わにした。
これは今の全ての地球人に向けたメッセージであると同時に、環境破壊の極限がこの星に何をもたらすのかについて予言したものだとも言えるだろう。
 


動画は静かに、汚染された湖か川岸でMonsieur Perinéの二人が音楽を奏でる場面から始まる。そして場面が緩やかに移り変わり、山荘か山小屋のような場所で二人の男女が激しく愛し合う場面が脈々と長いカットで描かれて行くが、その激しさの根底は「人間の生存本能」を言い表したものだと言って良いだろう。
 
窓の外は汚染された空気と環境だけが在る世界で、それでもわずかに生き残った人々がその過酷な環境下で生き延びる為に愛し合う。
還る場所はもうどこにもない。

愛し合った後の男女の描き方が、何とも切ない。恐らく何かの使命を負った二人なのだろう、ボンベと酸素マスクを装着し愛の素を出て行く‥。
 


タイトル『Prométeme』は、和訳で『約束して』と言う意味を持つスペイン語だ。
歌詞を翻訳アプリを使い和訳した。
 

『Prométeme』(和訳)

約束して
世界が終わっても一緒にいることを
川の水が汚染された海に到達するとき
プラスチックで泳ぐ

しかし、あなたの側
約束して
君と僕が手を取り合って 政府を打ち倒すことを
そして、この地獄の中で愛を勝ち取る
翼を置く

角のあるところ
そして、私たちは夜眠ることはありません
この混沌をムダにしよう
私たちが残したキスで

燃えるジャングルで
約束よ 約束‥
約束して

あなたが決して離れないことを
約束よ 約束‥
約束して

もし人類が滅びたら、私たちは惑星を発明するだろう
気付かないうちに裸で歩き回る
ヒッピーのように
70年代の‥

そして、私たちは夜眠ることはありません
この混沌をムダにしよう
私たちが残したキスで
燃えるジャングルで

約束よ 約束
約束して‥
あなたが決して離れないことを

約束よ 約束
約束して‥
一緒に歌うこと

 
歌詞のある音楽は、歌詞のない音楽よりもリスナーに強いインプレッションを与えることが出来る。
だがその一方で楽器のみの音楽はこの点がリスキーで、注釈を付けない限りリスナーに作者の思いやメッセージが伝わりにくい側面を持つ。

Monsieur Perinéとは全くジャンルが異なるが、ピアノのみを用いて地球の未来を予言した音楽を多数作曲し、配信しているDidier Merahの場合は、人類絶滅後の地球の光景を複数のアルバムで描いている。

特に配信時のトラブルでタイトルの最後の一文字「t」がまさにホワイトアウトに至った『Whiteout』は、人類が激減の最中に在る現在の地球の光景を描いた作品だ。
 
この作品には歌詞も楽曲解説も未だ存在しない為、曲を聴いた多くのリスナーが「心地よく眠れる音楽」として楽曲の真意に到達出来ずに居る。
まさに文字通り、とても危険な意味で「眠れる」音楽なのかもしれないが、その眠りに落ちた人々が二度と眠りから覚めない状況に在ることを未だ誰も知らない。
 


人類は多くの大罪を犯して来た。
環境保全よりも娯楽施設を建設する為の土地開発や森林伐採を、何の悪びれもなくやり続けて来たし、何より静寂と静かな時間を持つべき今も尚イベントやら職業上の理由にかこつけて飛行機や高速爆音型の鉄道を止めようともしない。
その状況をを自然の神々や精霊たちは時間の許す限り黙認し、地球のテクノロジーの進化の時をずっと待ち続けて来たが、彼等・自然神たちは我慢の限界に達したようだ。

日本だけではなく世界のあちらこちらで、大地が唸りを上げている。そう遠くない未来に日本の中心の大地が割れ、この島国の臍から幾つかに島が分断するかもしれない。東京の一部が海に沈むだろう。
 
全く別件で先日外食した先の中華料理のコックが、伊勢海老や一部の魚介類などのこれまで普通に捕れていた食材が確保出来なくなった‥ と漏らしていた。その為料理のメニューを変更せざるを得ないのだと話していた。
 
じわじわと迫り来る食糧危機のみならず、例えば原発事故の影響などで汚染された水が日本を覆い尽くして行く頃。
そこにウィルス・パンデミックと殺戮兵器と化したワクチンの強制接種から発した多くの副反応による超過死亡者の急増など、これまで人間が犯して来た罪への最後の審判が下されるタイミングに差し掛かっている。
 
生き延びられる人々は、現人口のほんの一握りである。周囲の空気に振り回されない人たちだけが、パンデミック後の絶景を見ることになるだろう。
その絶景の向こう側を暗示した作品の一つとして、Didier Merahの『Whiteout』やMonsieur Perinéの新作『Prométeme』が10年後の地球上で、どのような状態で残り続けて行くのか否か、可能ならば私はそれをこの目で見届けたいと思う。
 

最後になったがMonsieur Perinéの新作『Prométeme』は、さながら古き良き地球を振り返るような曲調に仕上がっている。
ふと、あの名曲『Sabor A Mi』からインスパイアされたのではないか‥ とも思えるし、Monsieur Perinéが過去に同曲『Sabor A Mi』をカバーしている。
 


では、最後にこの記事のタイトル曲であるMonsieur Perinéの新作『Prométeme』のMVを貼ってお別れしたい。
 

会いたい人 – Memories of Lyra

Twitterに私の遠い過去世のことを書いたら、何やら周辺がざわついたようだ。
中には「自称巫女」などと言い私を罵る人や、本当は罵りたいが我慢している人たちの気配もつぶさに感じている。
 

 
多くのスピリチュアル系や霊能者などがSNS上の私の周囲にたむろしているが、その大半がとてもコンビニエンスなメンタルで特殊な能力を習得したいと願っており、それによって自分自身にツキが回って来たり唐突に幸福を掴めるのだ‥ などと信じて疑わない人たちも多いようだ。
だが現実はそんなに甘くはない。

その、けっして甘くはない現実を真っ向から受け止め受け入れられる、とても限られた人だけがスピリチュアルな限界のその向こう側へと突き抜けて行くことが出来る。その事実を先ず、私は多くの人たちに知って欲しいと願ってやまない。
 

 
私はリラ星最期の巫女だった。

私が最期と言うことは、私の他に誰もリラ星の終焉間近の光景を見た人物が居ないことを意味する。

そして私には、会いたい人が居る。それは同じタイミングでリラ星の最期に寄り添い、共にリラ星の爆発間近まで星の思いを受け止めてそれを見届けられる限り傍に居ようとする4人の中の、一人の医者だ。
 
彼は先ず先に私以外の二人のサイキックな力を持つ星の有力者たちに薬剤を打ち、彼等の遺言と最後の旅立ちとその寝顔を見届けた。
リラ星は自らの意思で、爆発の準備を始めた。色々な場所で噴火が始まり、その度に大地が激しく揺れて至るところに亀裂が生じて行った。

 
段々と温度が増して行くリラ星の真ん中にある砂丘に残された私と医者は、体力と気力の限界間近で同時に残りの薬剤を打ち、次いで双方共に苦痛を味わうことのないよう念には念を入れて錠剤と粉薬の全てを飲み込んだ。
 
どちらが先だったのかはもう記憶していない。
私が今生きて喋っている言葉とはまるで異なる響きだが、当時の記憶の最後の声は医者である彼が放った「そろそろだ」と言うような一言だったと思う。それは声になる寸前の小動物の唸り声にも似ており、私は既にそれに応える為の気力も意識も遠くなり始めていただろう。
 
見届けたのが私だったのか医者だったのかは、もう定かではない。
だがその後気付くと、果てしない空間の中にぽつんと一人取り残されたように、私の目なのか意識だけなのか、そこだけが息を吹き返したように生きていた。

 
何度も気を失っては又自分を取り戻したような感覚があり、それが果てしなく続いたような気がする。その度に私は医者を思い出しては、また忘れて‥ それを繰り返した。
 

 
ふと気が付くと、あれから色々な時代を私は「人間」として生きているようだ。
時にはジプシーであったり、時には宮廷や教会に召し抱えられた音楽家であったり、又時には某国の舞い手或いは詩人だったりもした‥。
 
その時々が真剣勝負で、命がけで戦火の中に自ら飛び込んで生きて来た。そのどれ一つを取っても各々すべてが戦いだったが、幸運なことに幾つかの過去世で私は歴史にその名と功績を遺すことが出来たようだ。
 

現世も波瀾続きである。
霊感があろうと予知能力があろうと、それは現実生活の中に活かされる機会など殆ど得られない。どれだけ「引き寄せ」などを手繰ってみたところで、甘い運命などそう簡単に引き寄せられたことは一度もなかった。
 
今世でも私はずっと戦って生きている。その過程で時折神様が私に置いて行ってくれたギフトを、素直に受け取って行く。
神様からのそれが本当のギフトだとするならば、そのギフトには「もたらされること」の理由と意味があり、そこには神様からの宿題がひっそりと書かれてある筈だ。
だがそれは文字で神様から命令されるものではなく、自ら望んで神々からの課題に向き合うこと。それそのものが神々からのギフトの真の課題であり、その課題はこの命が尽きるその瞬間まで半永久的に続いて行くものだと私は思っている。
 

巷には多くのスピリチュアル好きな人たちが、生半可では得られない能力やスキル、そうしたシュールな人生そのものを得んとばかりにたむろしている。
それはまるでコンビニの狭い駐車場に群がる「帰る場所を失ってぐれた若者」のように、そこに居れば棚から牡丹餅式に余りものの幸運が舞い込んで来ると言う期待だけを胸に、何の行動も起こさずにただその場所に流れ着いたまま群がっている。
 
そういう人間どもを見ていると、ただただ腹が立つ。
なめんなよ!と思う。
 
 

 
最近、リレ(リラ星人の総称)時代の医者のことを頻繁に思い出す。思い出すと言うより、あの瞬間に似た彼の声を確かに聴いたのだ。
それが夢や妄想でなければ、医者は今とても近くに居るかもしれない。此方側の世界に転生を試みそれが成功したとすれば、未だ成人していないような気もする。
 

若くて感性がキレる人が傍に来た時に、その人の腕をしっかりと掴めるような私がそういう人間であると先方に確実に認識させられるよう、私は地球の、日本人の、社会人としての良識と常識の線を踏み越えないよう気を付けて生きなければならない。
むしろ「不思議系」や軟なスピリチュアルに浮かれているような人間を、転生した医者の方が全く受け付けなくなっている可能性も無きにしも非ず。
 
音楽家として芸術家として、そしてリレの巫女として全ての感覚を磨き抜き、意識や感覚の切れ味を維持しながら、当面はリレ最後の医者であり、リラ星の最期を共に見届けた仲間の一人である彼の再来を祈り、今の「私」と言う箱を一日でも長く温存出来るよう努めたい。
 

波動の真偽

どうやら何かしらのイメージ上の波動を情念で操作することにより、私や夫にダメージを与えて来る者の気配を感じている。

だが夫の霊質は人間離れしており、かつ私は多くの霊的ガーディアンに守られているので、彼等は思うような攻撃を加えらずに苛々した波動だけが宙を彷徨っているようだ。
 

私は過去世にリラ星最期の巫女の時代があり、その後幾たびの人間としての人生経験を経て現在は音楽家或いは芸術家としてのミッションの遂行過程にある。

今世の職歴はバイト経験も含めて、かなり豊富だ。

ランチタイムの厨房を任されたり探偵業の断片を掠ったと思いきや、ゴーストライターとして芸能界のど真ん中を暗躍していたかと思えば、特に印象深い経験の一つとして某公的機関でそれこそ「波動」を聞き取るアルバイトなどを経て現在に至る。
 

巷のヒーラーや霊能者又は「波動家」のような人たちとは多く接して来たが、私から見れば殆どが眉唾ものだった。何故彼等の大半を「眉唾もの」だと私が言い切れるかと言うことには、明確な根拠がある。
 

波動を実践的に操作出来ることが真実だとすれば、その人は道行く無線の音声などを無線機を介さずに聞き取ることが可能だ。

波動とは時に音波にもなり得るし、身体的にそれを放つことが可能であればそれはリアルな実践として活かせる筈である。
 

私は視覚的にWaveのようなものを視ることも出来るが、それ以上に音声として波動を聴き取る方が断然得意である。

例えば自身がコンサート会場で演奏の仕事に従事しているにも関わらず、周辺で起きている死傷事件の様子をパトカー同士が無線で伝達し合っている音声を実際に耳が拾い、演奏途中に吐き気に襲われ舞台袖で10分間程度休憩した‥ などと言う実話がある。

その間会場の外側では死傷事件がまさに起きている最中で、その被害者(遺体)が丁度コンサート会場の搬入口付近を通過する際の警官の会話の無線の音声を聴きながらでは、流石の私も演奏を継続することが出来なかった。
 

無線の音声からは異臭も漂って来る。

唯一そのタイミングで会場に居る演奏者やスタッフ、聴衆の全員が会場の中に閉じ込められている状況で良かったと後から胸を撫でおろした‥ なんて言うこともあった。

病院で頻繁に使用されるPHSの音声が、機器を介さずに聴こえることなどざらだった。当然知りたくないことも私には聴こえてしまう。
 

波動を武器に体感実験のような催しが巷のあちこちで行われているようだが、私の経験則からすれば彼等の言う「ハドウ」など人の持つ情念のひとかけらに過ぎない。

確かに波動のかけらを情念操作することは可能だが、それにはかなりのエネルギーを使うことと人間の情念には波(ムラ)がある為、波動を綺麗な波動として継続させることはかなり難しい。

歪んだ波動が仮にあるとすれば、それは周辺の人々の体調は感覚・感情に幾何かの変調を来す以外に何の力も持たない。

不安定な波動もどきを受け取るぐらいなら、そんなものは無い方がましだ。当然のこと存在価値が無いし、有害だ。

 
人々を脅す為の波動を「霊力」だと自負(勘違い)して脅しのネタに使うような霊能者をもしも近くに見掛けたら、彼等にエナジーヴァンパイアにされぬよう息を潜めて早急にその場を立ち去ることをおすすめする。

ましてや歪んだ霊力や歪んだ波動を扱う霊能者に対し正確なジャッジメントを許さぬような術者が、「自身に逆らう人間について自分に通報しろ」などと通報の呼び掛けをしているようであれば、それはただの反社会的な勢力の中の人と何ら相違ない。

目を付けられる前に、兎に角静かにその霊能者やその霊能者を取り囲む集団から退避することが望ましい。
 

※私は本来音楽家(芸術家)であり、最近は音楽評論家としても活動を開始した。
なので以下のようなプレイリストの作成なども行っている。
 
このブログでは最近テレパシックなこと、スピリチュアルな著述の方が圧倒的に増えているが、基本私は音楽家で世界の音楽全般を脳内にストックしている筈(笑)。
以下のようなプレイリストを定期的に作成して発信しているので、興味のある人は是非とも耳を傾けて頂けたら幸いだ。

 

[音楽評論] Sergio Cammariere – “Una Sola giornata”

既に他界した日本のカンツォーネ歌手 後藤啓子さんよりご紹介頂いた、イタリアのシンガーソングライターのセルジォ・カンマリエーレの新譜がお目見えした。
暫く息を潜めていたのでどうしたのかと心配していたが、意外に元気そうで安心した。

良くも悪くも「変化しない」歌手(兼 作曲家, ジャズピアニスト)の新譜は、「安定」の一文字で評価出来るだろう。
この「変化しない」ことが意外に難しい。多くのシンガーソングライターや歌手が過剰なまでの変化を模索したがるが、リスナーはそれを案外望んでいないものなのだ。

その辺りを(多分彼自身は計算などしていないだろう‥)見事に突いて来る辺りに、むしろ本物を感じる。
 


王道循環コードで全編塗り潰してはいるものの、セルジォ独特の風通しの良さはむしろ彼のヴォーカル力の無さが為せる技。

下手で素人臭いからこそ醸し出せるこの、風通しの良さを今後も徹底して貫き通して欲しいものだ。
 

 

オススメはM-6: “se tu non mi amerai” ~以降の流れ。

近況報告

このところブログの更新が少し止まっているが、私は至って元気である‥ と言えるような、言えないような‥。
諸々あるが、近況の一部を以下に列挙しておく。
 

  1. 身近な友人知人の急な体調不良や訃報が増えているので、メンタルが落ち込んでいる。
  2. Twitterでの発信力を高める為に、特に今年は「相互フォロー」でFFの拡張に注力して行きたい。
  3. 音楽評論家「花島ダリア」の活動の認知度を高めるべく、noteとブログ「花島ダリアの音楽評論」の更新頻度を上げている。

花島ダリアの音楽評論: https://dahliahanashima.wordpress.com/

 
他にも色々やるべき事はあるが、当面はこの優先順位で行動が制限されそうだ。
 

それにしても特に今年に入ってから、私は度々のシェディングに悩まされている。
特に私は胃腸が余りタフではないので、拾って来てしまったスパイクタンパクの粒子がそこを攻めて来るので、外食のお約束は余りしないよう努めている。

今日も胃腸はガタガタである。だからと言って空腹にならないわけではないので、遠慮がちに、用心しながらぼそぼそと食事は摂っている。
 

 
墓じまいから家じまい(売却含む)を済ませ、ずっと手つかずだった旧宅の清掃にそろそろ入らなければいけないのだが、恐らく次の更新のタイミングには間に合わないだろう。
なので更新料を支払って、旧宅の家じまいはゆっくりと進めて行くことにした。

その間、少しばかり得たもので資産運用を試みながら、若干でも増やせたら良いと思って毎日日経平均株価のサイトには必ず足を運ぶようになった。
2年前までの自分とは、今は全く違う生き物みたいに美味しいフランス料理を頻繁に食べて、そして100グラム18,000円もするシャトーブリアンを提供してくれる肉料理店にも月一程度通ったりしながら命を温存させている。
 

 
虫は食べない。魚も産地を選んで食べている。
水は絶対ミネラルウォーターで、最近は大好きだった炭酸水から心も体も離れて日々リンゴジュースだけは欠かさない。
コーヒーや紅茶などの飲み過ぎにも注意し、ティータイムの1/3を健康茶ないしは野草茶に代えて飲んでいる。
 
本当に何もかもが様変わりした我が家だが、それでもどこかしらに慎ましさを残しながら少しだけ華やかな物を足して新居をじっくり作り上げている。
欲しかったWedgwoodのマグカップも先日違うバージョンを足したところだ。プレートや茶器を変えるだけで、気持ちも上がる。
 
創作活動や日々の著述の質も俄然向上したし、これまでの57年間の私の人生や前途が毒親・毒家族毒親族たちに妨害され続けていたことを今さらながら痛感している。

ようやく得られた等身大の自分や暮らしを先ずは大切にしつつ、これまで散々苦労を掛けて来っぱなしだった夫にもゆったりと寛ぎながら日々を穏やかに過ごして欲しいと願っている。
 

メモ書き、ラフ書きのスタイルであればDidier Merahと花島ダリアの両方のTwitterアカウントからの発信も日々続けているので、両者の日常を覗きたい方は是非そちらにも目を向けて頂ければありがたい。
 
拙いながらもフラワーアレンジメントも亜流で磨きを掛けているので、そんな他愛ない日常の断片も発信している。
 

 

幻のような人 – 坂本龍一さん

私にとってとても大切な人が、あの世に旅立ちました。
色々ありましたが、私の人生に多くの宝ものを遺してくれた人でした。
 
彼と共に今日まで生きて来たわけではありませんが、先方は何を思いながら過ごして来たのでしょう‥。
 
先日某方よりご連絡を頂き、彼がアメリカを引き払い杉並に越して来たことを知りました。
私も相続した実家に住まえばとても近く居られる距離でしたが、西荻の実家はさながら幽霊屋敷の様相を呈しており、もはや人手に渡す以外の選択肢がありませんでした。
 

 
Twitterには日々、質問形式でそれに彼が回答するようなツイートが、脈々と投稿されていました。
誰かが投稿しているのではないか‥等とも、感じていました。
 
ユキヒロさんの次は‥。
それを思わない日はありませんでした。

私にとって、サカモト氏は美しい幻のような存在でした。実音が無い部屋に木霊す残響とでも言った方が、きっと相応しいでしょう。
幻には残像がありません。私にとって、サカモト氏はそういう存在です。
 

この日が良くも悪くも、私にとって大きな転換期になると私自身は既に知っていました。勿論、クラシックの音楽業界にとっても、大きな変革の鐘が鳴り響くことになると言うことも。
 

今日まで長い闘病の日々を、本当にお疲れ様でした。
安らかに眠って下さい。

坂本龍一さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
 

動画『トランプ逮捕 ・起訴について』から見える情報の真偽の問題

YouYube配信者 Miyoko Angel2 から数時間前に配信されたトランプ逮捕 ・起訴についてで語られている内容について、TwitterのDMに数件の質問が寄せられた。
一旦回答をTwitter内にまとめたが一応、このブログにも切り抜きを出しておきたい。
※以下Twitterからの切り抜き転載。
 

 

又真偽不確かなことを現実であるかのように伝えている「Miyoko Angel2」の新動画。 実在しない宇宙人「ソーハン・エレディオン」が米軍の地上アライアンスを指揮し、勝手に宇宙プログラムを進めているとしたら、これは大問題だ。
 
つまり正体不明の宇宙人に地球が乗っ取られ始めていると言う証拠とも言えるが、恐らくここから発信されている内容の多くがデタラメであることを視聴者が認識しながら、あくまで空想世界の息抜き動画として接するには程好いストレス発散の道具ともなり得るだろう。
 

 
200年後のプレアデス人、かつ銀河連合のトップである‥ と言う設定のソーハン・エレディオンについて先日セムヤーゼ女史と少しだけ話をしたが、先ず「200年後のプレアデス」と言う設定自体かなり無理があると言う談。
 
そもそも時間設定がそこまで精密ならば逆に200年前の(現時点での)プレアデスの話を、むしろソーハン・エレディオンに問い質したいと言うセムヤーゼの話には妙に納得が行った。

西暦2023年現段階の地球から見たところのプレアデス星団の状況がソーハン・エレディオンから一切情報開示されない状況で、200年後の未来の情報が正確だと言う保証は何も無い。
或いはプレアデス星団に於いて、政治上の理由で現状をひた隠しにしておかなければならないような状況下に在ると見るのがベターか‥。

未来を語る人を見かけた時は、その人から見た現状或いは過去の現時点の開示情報の内容を精査する方が、信ぴょう性の有無を確認出来るだろう。
目くらましの未来談にはくれぐれも惑わされないよう、各々注意が必要だ。


【後記】                            
 

銀河レベルで物事を見て頂きたいなぁと思う。
そして必ず、銀河連合と地上アライアンスの作戦、共同オペレーションだって言うことも忘れないで頂きたいと思います。
YouTube 2:26~からの切り出し)

トランプ逮捕 ・起訴について(from Miyoko Angel 2)

 
この動画では彼女の思う地球の浄化・救済作戦が200年後のプレアデス星人の、しかも銀河連合のTopであるソーハン・エレディオンと地球の地上アライアンスとの共同作戦(作業)の一環として進められていると言う話だが、現在プレアデス星団と地球は正式な国交が結ばれていない。

つまり仮に彼女(佐野美代子)が思う一種の空想世界が現実だとしたら、それが「宇宙人よる地球の乗っ取り計画」である‥と言う観点が佐野美代子には一切抜け落ちていることになるだろう。
しかも彼女がその認識で一連の動画を真実の裏付けであるかのように発信し続けているとするならば、勿論彼女のみならず視聴者側にも大きな責任が生じる。

 
そもそも佐野美代子氏は映画や一般書籍の翻訳者として名前が知られているが、こういう人が何かの拍子にスピリチュアル系の陰謀論に触れると「ミイラ取りがミイラに‥」と言う状況に陥りやすい。
英語が堪能で翻訳スキルが優れていることと、物事に真偽を見分ける能力の有無は全く比例しない。
 

彼女 佐野美代子もその一例であるが、以前にそう言えば似たケースで「山川 紘矢・亜希子」夫妻の例も記憶に新しい。
特に何かしらの要因でマイナスのモチベーション時に触れた情報が、その後のその人物の人生に大きく左右すると言う点に於いては、佐野美代子や山川夫妻だけの問題ではないだろう。
たまたま知名度を持つ人がそのような状況に陥った時、周囲がそれまでの知名度だけで該当の発信者の著述を妄信過信して行く状況は、他のジャンルにも数多く発生している。
 

各々の感覚を先ずは研ぎ澄ませ、その上で批判精神を捨てず物事のジャッジメントを怠らないよう、自身も含め気を引き締めて今後放たれる多くの情報に対し目を光らせて行きたいものである。
 

芸術家の日常 2023.03.29

歯の検診の前日は決まって眠れない。やることが分かっているのに、心の何処かで「何をされるか分からない」‥的な恐怖が渦巻く。
結局昨日の前日の月曜日の夜も殆ど眠れず、ヨロヨロになりながら歯医者に行くと案の定の検診結果だ(笑)🦷
 

気分を変えたかったので検診の帰り、車からは完全に降りて夫としばしお花見を楽しむことに。
 

 
時間差で咲き誇る桜の花の半分以上が散り始めていて、それはそれで圧巻だ。
新居の近くにこんなに素敵な桜スポットがあるとは驚きで、勿論旧宅の一本桜も魅力だが今年はもういいかな‥ と言う気になった。
 
さらにその帰りに新しい花を買った。
昨年旅立った愛兎 マイケルが私に遺してくれた、尊い趣味の置き土産。次にマイケルが此方に転生して来た時に「ママ、頑張ったよ」と言えるように、亜流でフラワーアレンジメントみたいなことを研究中である。
 
とは言えあくまで趣味、あくまで下手の横好き。極めようとすると眉間に皺が寄って楽しめなくなりそうなので、兎に角趣味以上にシフトしないように気を付けている。
 
体も心も「紫」を欲しているのには、何か理由があるのだろうか‥。
わちゃわちゃしているが、その時々の気分を先ずは優先。タイトルは「尊い瞬間」
 

 
なかなか新居のレイアウトが完成せず、未だ楽器も入れてないのでトレーニング不足は否めないが、どっちみちこんなに不穏なご時世の中のんびり練習も出来まい。
先ずは執筆と音楽評論のスキルを極めたい。
 
一日の大半をTwitterやらブログやら、音楽鑑賞等に費やしている。段々と心惹かれる音楽が減っている‥。
先日epoの古いCDを再購入したので、今日はそれを聴いて過ごそうか‥。
 

 
音楽の中にロンドンの風景を感じる。ブックレットを読むと、最後のページに「U.K」の文字が浮き上がる。やはりそうだよね‥ と、自分自身のカンの良さを再認識する瞬間。
この頃(1980年代の後半から1993年の辺り)のepoが、一番好きだ。その後の彼女は中途半端にスピリチュアルを齧りセミナーの開催をする為に必要な資格等を取得して行ったが、それと同時に彼女の音楽性が崩壊したから‥。
 

最近やたらと予言とか預言を公言出来なくなった。的中率が上がっており、私が口にすると現実がその通りに動くからだ。
やはり私はリラ星最期の巫女なんだと、他のヒーラーやスピリチュアリストと同じように行動してはいけないのだと、あらためて己の中で悟りを極める。
 
音楽家の大半のメンタルから「ガチ感」が消えている今日この頃。先日とある歌手のLive(彼女は最早Live活動しかしなくなったので)を拝聴したが、声の衰えと感性に付いた「汚れ」が歌手の全体像を完全に覆い尽くしてしまった感は否めない。
 
かなしいけどこれが現実。
もっと早い段階で「歌手」が私のアドバイスを素直に受け入れていれば、結果は変わっていたのかもしれない。
だが今現在の「歌手」を見る限り、私が光を当てたとしても芸術の方向に舵を切ったかどうかは定かではない。だからこそ私は梯子を外したのだろう。
 
自身の持つ「光」を、自分自身に当てることはなぜか出来ない。だから私は夫の放つ未知の光に、全てを託して信頼している。
私が本物を捨てない限り、自身の持つ光と夫の持つ未知の光が必ず合わさる瞬間が訪れる。だから私は絶対に、ぶれてはいけないのだ。
 

[解説] “Whiteout” – Didier Merah

丁度先ほどTwitter越しにどういう風の吹き回しか、ジャズピアニストの上原ひろみ「Whiteout」と言う曲を「世界にはこんなに素晴らしい曲が沢山ありますよ。」等と言って唐突にポスティングして来た人が居た(笑)。

折角ご紹介頂いたので、一巡して聴いてみたが‥。
 

 
先方は私に対して何かの当てつけでこの曲のリンクを送って来た‥ それ以外の動機は考えられないが、作曲者同士を比較して何が楽しいのか。と言うよりDM送信者は盛んに私の「知名度」と「企業努力のなさ」等を訴えて来る。

同じDM送信者(らしき人物)はアカウントを乗り換えながら、さも多くのリスナーが私に対し上記に述べたような同様の印象を持っている‥ かのように書いておられるが、正直なところ私は、今現在の音楽シーンを下支えしている、ある種リスナーとして面を露出している人々には一切用がない(笑)。
そういうリスナーの大半がライブやコンサートの為ならば平然と飛行機にも乗り、爆音型高速鉄道にも乗車して移動を辞さないような人たちなのだから、きっとあの危険なワクチン等も接種している種族だと思われる。

何れその種の人々は、段階を追って地球からは姿を消すことになるだろう。
私はむしろその後に、それまでそっと息を潜めて生き延びて来た「静かな人々」に接近し、地球及び地球外に持ち出せる静かな音楽でそれまでの地球の音楽史を塗り替えて行きたい。
私はその為に、この困難な時代の中で一時的に活動を止めて今日に至る。
 

問題のアカウントとはその後も少しだけメールのやり取りがあり、段々と先方の嫌味が増して来たのでそこでメールを止めた。私が平伏し、客商売に徹する他のミュージシャンのように振る舞わないから、きっと不満が堰を切ったのだろう。

その後その流れでツイートした長文を、この記事にも転載しておきたい。
(以下Twitter本文より)
 

 
この作品は2021年にリリースしたアルバムHeavenに収録されている。
 
実はこの曲のタイトルがバグの影響だったのか、末字の「t」が抜け落ちたまま全てのサブスクに配信されている。
夫が最終チェックをした時は確かに「t」は抜け落ちてはいなかった。私も目視しているので、これは明らかにバグだが、それも含めてこの作品の「Whiteout」の絶妙に暗示めいたものを感じてならない。
 

ここで描いた「Whiteout」は、人類のホワイトアウトを表現したものだ。つまり「今」現在の状況を予言した作品と言える。

希望と絶望、前の見えない未来‥、まさしくホワイトアウトがこの作品で脈々と描かれている。

 
音楽的には音色の繊細さと、あるべき音やハーモニーを限界ぎりぎりまで温存させる為の長いペダリングに注目頂きたい。

楽器のアタック音のうるさい動作を一切用いずに、聴く人の心拍数を穏やかに下げて行く速度感は、この時代の音楽に相応しいだけではなく未来のクラシック音楽として長期間残り続け、そしていつか宇宙からの来訪者に向けた音のギフトとしても最適だろう。

何もかもが消え行く吹雪の風景になぞらえた、実は「消え行く人類」についての預言(予言)をそっと綴じ込んだこの一曲は、音の未来予知と言っても過言ではない。
 
本文はここまで。
最後に私 Didier Merahの「Whiteout(サブスクでは全て表記の “t” が抜けている)」を掲載しておく。