AI生成音楽 VS 藤井風

週末、音楽探索をしている過程で見つけたAI生成音楽動画に、足を取られた。
素材はSMAPの「夜空ノムコウ」(作詞: スガシカオ/作曲: 川村結花) 、それをニューヨーク・ジャズのテイストで編曲されており、そこに此方もAIと思われる黒人系ヴォーカリストの声が乗っている。
 

 
昭和~平成生まれの多くのポップス愛好家ならば、この曲を知らない人は先ず居ないだろう。
編曲も上手く出来ているし、むしろ原曲よりも此方の方が耳障りもテイストも良い。何度でも聴いていたい程の出来栄えだ。
 
‥と、この曲を聴いていると私の脳内マッチングシステムが作動し、藤井風PREMAを指さした。
 

 
明らかにAIと藤井風は接近しており、上の2曲が同じ曲のように聴こえて来る。
 
最近AI生成音楽が一気に増殖している。それ自体を高く称賛することは出来ないが、製作者サイド或いはクリエイターサイドに居る多くの人材が出口を失い窒息しているのを感じてならない。

日本の売れ曲の上位を、アニソンが占めている。
アニソンの多くはテンポの速い楽曲が多く、尺が決まっていると聞く。およそ90秒/1曲の中にAメロ、Bメロ、サビからエンディングまでを仕舞い込んで行くには、当然一曲の速度を上げる必要が生じるだろう。
だが私の周囲のポップス愛好家たちの多くが、このハイスピードの曲に疲れている。
 
そこに速度の緩いR&Bのようなテイストの音楽が侵入して来れば、当然のこと、心変わりは避けられない。
私も同様の心境だ。
 
それにしても ‘AI MUSIC BOX‘ から配信された夜空ノムコウと藤井風のPREMAの酷似性が何故生じてしまったのか‥、そこに大きな疑問を感じずには居られない。
もしもコピーが起きたとしたら、藤井風の方が夜空ノムコウにインスパイアされた結果PREMAが誕生したと考えるのが、自然の流れだろう。もっと平たく言えば、藤井風の音楽自体が既にAI生成音楽の可能性が大だと言うことになる‥。
 

 
これは昔から続いている現象だが、良い音楽、良いメロディーを生み出すクリエイターの出口を、既存のレコード会社のディレクター職の人たちが頑なに塞いで来た。
これは私が身をもって経験して来たことなので、断言出来る。中には不適切な方法で仕事を勝ち取ったクリエイターも居ただろうが、長続きしなかったと思われる‥。
そうこうしているうちに「創作」や「リスニング」の基準が移り変わり、多くの音楽リスナーたちが最近では自分の満足の行く音楽に出会えない状況が増えている。
 
毎週末に更新されるディディエ・メラ監修の「世界の音楽」(主に新譜を中心に) を集めたプレイリストを聴いている人たちから、時々メールを頂く。そこには「ゆっくりと、尺が長くてメロウな音楽に触れられるのは、ディディエさんが監修したPLの中だけな気がします。」と言う内容のメールも多数見られる。
 
思うに今、シティーポップとR&B周辺の音楽に渇望している音楽リスナーが、急増しているかもしれない。
そこには理想のメロディーとコードがパッキングされた音楽があふれて居るが、そうしたテイストの音楽が日本のメジャーレーベルからは殆どリリースされていない。
従って、良い音楽に渇いて我慢が出来なくなった、実際には音楽の再現スキルを持たない人たちが、‥だったらAIと過去の名曲をカップリングして新しいスタイルのR&Bを機械生成してやろうじゃないかと立ち上がり始めた、まさに「イマココ」の状況だ。
 

 
YouTubeチャンネル ‘AI MUSIC BOX‘ は未だチャンネル開設から間がないが、多くの過去の日本の名曲と言われるポップスが新しい形のR&Bにジャズをハイブリッド化させたAI生成音楽が配信されているが、これらが仮にボタン一個で完成させられるとしても、ある程度知識がなければこの状況を完成形として配信することは難しいだろう。
年代的には昭和の空気を存分に吸った世代が、音楽ギョーカイへのリベンジのエネルギーを煮えたぎらせながら、卓をいじり倒しているように思えてならない。
 

 
但し‥。
AIにこのまま音楽業界を侵食させておいては、とても危険な状況になるだろう。何よりAIのクリエイトスキルでは、人間の作曲スキルを越えられない。
ヒトの脳の緻密さを、侮ってはいけない。
 
良曲や才能のある人材を卵になる前の段階で見抜ける人が、ディレクター職の中に居ない現状は致命的だ。要は、その階層をゼロから育成しなければ、何れJ-Pop界隈はAI音楽生成機器に駆逐される。
音楽家としては、それだけは何としても阻止しなければならないと思っている。
 
さらに付け加えるならば、藤井風の音楽が良い‥ 等と感じる感性はあながち間違いではないと言うこと。
良質なリスナーが、AI音楽生成機器とせめぎ合っているかもしれない藤井風の周辺に群がっているとしたら、’AI MUSIC BOX‘ や ‘Funny J-POP‘ 或いは ‘TOKYO BEATZ‘ 辺りに群れているリスナーがAI音楽の毒牙にヤられる前に、元ある音楽の聴き方、感じ方を取り戻させる必要に迫られている。

このところのAI生成音楽の性能が良いだけに、それは急を要する事態だと私は見ている。
 

 

 
 
以下に、ディディエ・メラ監修の最新のプレイリストのリンクを貼っておく。
 

 

noteからの記事の移動について

SNS note から、順次記事を移動しています。
私はブログをもう一つ (ディディエメラの音楽倉庫) 持っていますが、内容と記事の性質等を考慮しながらブログ各誌に相応しい場所に記事を配置~移動しています。
 
noteのアカウントの削除等も考えていましたが、ブログに書く程のものではないエッセイは ‘note’ に、内容の重い記事はDidier Merah Blogへ、短文を添えた音楽紹介記事はディディエメラの音楽倉庫へ綴っています。
 
最近移動した記事は、’note’ 上で更新した日付をそのままに移動しています。
noteのダッシュボードで現在も上位にランキングされている主な記事のリンクを下に貼っておきますので、是非関心のある方は読んでみて下さい。
 

 

 

 

 

 

 

 

ディディエ・メラへのお仕事依頼は、info@didier-merah.jp 迄お寄せ下さい。
仕事内容はラジオ番組等の「選曲」を始め、音楽評論、コラムやライナーノートの執筆等多岐に渡ります。
尚、飲食店舗用のプレイリストの作成にも応じます。作成価格に関しましては、メンテナンス等を含み月額制とさせて頂きます。
 
各ご相談は上記メールアドレス迄お寄せ下さい。
 
『X』のメインアカウントが凍結された為、現在稼働中のSNSは、以下になります 。
Threads: https://www.threads.com/@didiermerah
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プラスティック・ラブ (竹内まりや) & カバー比較 – Plastic Love (by Mariya Takeuchi) cover song’s comparison

ここ数年で、竹内まりやの旧作『プラスティック・ラブ』のカバーがかなりの数増えている。
中には良作も駄作も混然一体と入り混じるがここでは、わたくし 遠矢美樹の「推し」のカバーを上位6つご紹介したい。
 
本当はTop 5. でのご紹介が収まりが良かったがやはりなかなか甲乙付け難いものがあり、一個はみ出しでTop 6.での掲載と相成った。
 

最上位はダントツで、AGA (香港) のカバーを選ばせて頂いた。とにかく解釈がシンプルでお洒落で、センスが良い。ヴォーカルもオラオラな出しゃばり感が無く、その点ではご本家 竹内まりやよりも断然良い仕上がりだと思う。
 
竹内のヴォーカルは何やら出しゃばり感満載で、その出しゃばり感にさらに追い打ちをかけて攻め立てる山下達郎のコーラスが滑稽にさえ見えて来る。
この夫婦の関係性をステージ上で表しているようで、以下に竹内まりやのステージ・パフォーマンスが冴えもキレも無いのかと言う証明動画みたいで辛くなる。
 

何はともあれ以下の動画をご覧下さい。
 

PLASTIC LOVE” My Top 6. & ご本家


[ご本家]
竹内まりや「プラスティック・ラブ」ライブ バージョン @ 日本武道館 2000年 (feat. 山下達郎)
 


以下に個人的な推しのTop.6を、下順位から順番に掲載します。
 

【第6位】
竹内まりや(Mariya Takeuchi) – プラスティック・ラブ(Plastic Love) Cover by T.Y.Kim 🇰🇷

 

【第5位】
【竹内まりや】Plastic Love(1984) – AunJi 【真夜中のドア~stay with me~ mix】by UTATAKA – 唄鷹 – 🇯🇵

 

【第4位】
Plastic Love Mariya Takeuchi Cover by Takao Tajima 🇯🇵

 

🏆【第3位】
Friday Night Plans – “Plastic Love” (Live at Studio Tanta) 🇯🇵

 

🏆【第2位】
Plastic Love – Mariya Takeuchi (Cover) – Millie Snow 🇹🇭

 

🏆【第1位】
《Plastic Love》- Cover by AGA 🇭🇰

発想の転換 [NewJeans(뉴진스) – Ditto / Plastic Love (Citypop ver.)]

これは恐らく二次創作にカテゴライズされる代物かもしれない‥ としても、その中でも面白いことを考える人が居るものだ。

バッキング(伴奏)は竹内まりやの「Plastic Love」のKeyチェンジされたオケ、ヴォーカルのラインがNewJeansの「Ditto」
何とも荒業なのに、これが妙にマッチするのはひとえに「Ditto」のメロディーが頑丈に出来ているからだろう。
 
「Ditto」と言えばさっき、偶然ではあるがBoysチームのダンスカバーの動画を見つけた。
動画配信者であるチームのTKBzを少し調べてみたが、詳しい情報を探し出せなかった。
 

 
男性が女性のモノマネをする時、往々にして女性的な仕草の部分だけを若干長めのTimeとオーバーアクションに転じることが多いが、彼等TKBzや最近私が推しているおじさんチームのODOOJIもそこをキュートな笑顔と手の「にゃん‥」ポーズ等で小気味好い表現に抑え込んでいる辺り、両者一歩も引けを取らないクオリティーだ。

言うなればこれは現代人の感性の兆候として、段々と感覚(感性)の男女差が縮まって来た現象の一つと言えるかもしれない。
 

 
このところ音楽紹介や音楽評論の発信が上手く出来ていないと感じているが、その要因の一つとして、特に2020年の秋以降世界の良質な新譜が激減していることが挙げられる。

それまでの過熱気味の配信が新型コロナウィルスに端を発するパンデミックや、各地で勃発したコロナ規制等の要因で、それまでコンスタントに活動していたアーティストやミュージシャン及びバンドやユニットの活動にも同時に制限が生じたからだろう。
世界各国で楽曲やダンスのカバー動画が増えた要因も、恐らくこの辺りにありそうだ。

自らものを考え生み出す思考サイクルが、私も含めこの数年間で圧倒的にかき乱された感が拭えない。
‥ならば手っ取り早く誰かが作った作品をカバーして、それをアーティスト等が生存証明代わりに代用したとしてもそれはそれで文句は言えない‥。

大のカンツォーネ好き、Dub好きの私が特に昨年初頭から良質な新曲に出会えなくなり、最近ではもっぱらNewJeans周辺の動向調査に集中している私‥。
先週も今週も、そもそも好きだったイタリア~スペイン周辺からの新譜は皆無だ。

その代りにアジア周辺が賑やかだ。
 

 
世界中が春を探し求めている、2023年。
だが、良かった頃の春はもう二度と訪れないだろう‥。

コロナが全てを変えたのではなく、そこに至るまでの人類総勢のアクティビティーに要因が潜んでいる。
私たち人類は、やりたいようにやり過ぎたのだ。だから大気が汚れ、多くの木々が伐採され、それにともない地球全体の環境のバランスが大きく乱れ、水温は上昇し四季のサイクルが壊れてしまった。

昔のような四季を再び取り戻すには、行動と祈りの両方の側面から調整を進めて行かなければならないだろう。
この両輪が揃わなければ恐らく、地球は自らの意思で破滅の未来へと進んで行く。誰かが何とかしてくれる‥のではなく、各々が自分の意思で地球の意識と向き合って対話をしながら、地球のモチベーションを再度向上させる為の手助けをする必要がある。

その為には静かな音楽、静かな時間、澄んだ空気を地球上のテクノロジーの力を借りながら創造~リサイクルし、昔の人類が地球の環境に深く励まされ癒されたように、次は人類がその逆の作用を地球の意識に向けて発信しなければならない。

さて、この記事の最後に、タイトルチューンのNewJeans(뉴진스) – Ditto x Plastic Love (Citypop ver.)の動画を貼っておく。
これはあくまで「発想の転換」とでも言うべき、人や意識の繋がりを疑似的に言い表すように、2つの楽曲を組み合わせて音源をリサイクルしている一つの例と言えるだろう。

視方を変えると非常に暗示めいた‥ とでも言うべき内容で、同じ借り物同じ二次創作でも、こういうやり方があるのだなぁと勉強させられる。

80年代の日本のシティポップと現代の若きK-POPのニューフィエイスとの、香しい遭遇とでも言うべきハイブリッド・ミュージックである。
 

 
追記:
上記の動画NewJeans(뉴진스) – Ditto x Plastic Love (Citypop ver.)を配信しているYeguguが、何と同曲を自身でカバーしている動画が配信されていた。
その空気感がとても軽やかで、何より音楽を心から楽しんでいる表情と飾り気のない歌声に好感度Max。

そちらもここに貼っておくので、是非お楽しみ頂きたい。
 

音楽評論メモ: 山下達郎(Tatsuro Yamashita) – Loveland, Island Cover by T.Y.Kim

実はずっと待っていた、韓国在住のTae Yoon Kimさんのカバー曲の更新。
やっぱり山下達郎で来たか!と言う感じで、特にこの作品は原作者の達郎よりも清々しく風通しが良い感じが私は好きです。

夏全開!と言うより、秋の始まりを思わせる新たな解釈がノスタルジックで美しいです。
どうしても原作者が演ると、どことなく暑っ苦しく鬱陶しくなって行くので、Taeさんの萌えネジを一個減らしたようなマイナス感は私のツボでした。
 

出来れば早くTae氏のオリジナルの音源が聴きたいところですが、彼の「Japanese Cityポップ愛」が深すぎて、なかなかオリジナル作品に舵が切れないでいるのでしょうか。
ちょっともどかしい‥。
 

 
実は‥。
さっき久々に藤井風の新譜damnを聴いて、何とも言えない「汚し」感が楽曲全体を不潔に染め上げてしまっていたので愕然としたばかり。
Tae Yoon Kimさんが同じ道を辿らぬようにと、ただただ祈りを捧げたくなります。
 

Taeさんには、永遠の青年で居て欲しい。
そして早くTaeさんが自身のオリジナル作品に辿り着くよう、とにもかくにも手を合わせずにはいられません。
 

 
TaeさんのYouTube: https://www.youtube.com/c/TaeYoonKim/featured

山下達郎とシティー・ポップ [前編]

2022年6月22日、かねてから大々的に告知されていた山下達郎のニューアルバムSOFTLYがリリースされた。
通常版は特典なしで3,300円から、特典付きになるとさらに価格が跳ね上がる。
 

 
勿論この人は昭和スタイルの販売ルートのみのアーティストなので、サブスクでのリリースは当然なし。なので当初私はこのアルバムを購入する予定だったが、紆余曲折を経て購入を取り止めた。
正直物理CDが手元にあっても邪魔になるだけで、当然のこと音楽として聴けるクオリティーではなかったので、このような結果に相成ったわけだ。

某動画配信チャンネルから(ほぼ)フルアルバムと言えるよう編集されたものが出ていたので、そちらを先ず聴いてみた。
恐らくラジオ等でオンエアされたものからのピックアップも含まれるであろう構成になっており、曲によってはMC(トーク)が楽曲のイントロに被ったままの状態にはなっていたが、中身が分かれば良いのでそのまま流して聴いて行く‥。

山下達郎と言えば真っ先に思い浮かぶのが「シティー・ポップ」と言う言葉だろう。勿論彼が老いた今もリスナーは、必ずそのエッセンスを期待する。私もそうだった。
だが実際に上の(ほぼ)フルアルバムが収録された動画を捲ってみると、正直内容は散々なものだった。
 

最近若手の韓国のYouTuberの中にも山下達郎そっくりで尚且つシティー・ポップのテイストを正確に、忠実に‥ と言うより原作以上のクオリティーでコピー(カバー)するアーティストも出現している。
 

 
このYouTuber、Tae Yoon Kimさんの山下達郎のカバー動画の注目すべき点は、ヴォーカルではなくバックバンドの再演のクオリティーだ。ほぼ全てのパートがTaeさんの手動で録音されているが、それが原作のクオリティーを軽々と超えている点は見逃せない。
 

ここで少しだけ話題を脱線。
「シティー・ポップ」の定義について、私はこう考える。
 

1. 日本の高度成長期の大都会(特に夜景)を彷彿とさせるサウンド感覚を持つ音楽。
2.
オープンカーやスポーツカーを運転する男性ドライバーが目に浮かび、助手席にはハイヒールを履いた女性を同乗させている‥ と言う光景を想起させる音楽。
3.
程好くハードではないドラミングやリズム体、主にStepするような緩いスウィング感のあるリズム体が体を揺さぶる音楽。
4.
ギターカッティング、或いは生ピアノよりもキーボードで「ピアノ」の音質を再現しそびれた感のある、どこか間違いがあるにも関わらずそれらしく聴こえて来る音楽。
5.
ギリギリまで声を張り上げてはいるもののけっして高音域ではなく、中低音のマイルドさを誇張したヴォーカルが特徴的な音楽。
6.
何より「風」を感じる音楽であること。

 
私が思う「シティー・ポップ」とは概ねこんな感じであるが、この解釈については別の様々な解釈があっても良いと思っている。
そして若かりし頃の山下達郎のサウンド感が、上の全ての条件にマッチしていた。

さて話を山下達郎の新譜「Softly」に戻してみると、先に書いた全ての条件を見事に逸した、何ともドン臭いアルバム(表現含む)で本当にガッカリした。
 

 
私の音程の受信感度が狂っていなければ先ず、彼の音程が酷く劣化したと言うのが強い印象だ。そもそも曲の作りが機械的なので非人間的と言うか、絶妙に正確な音程を保持していないと歌えない楽曲が大半だが、その音程がこれ又絶妙にズレている。
さらにリズムが不正確で本来のアタック箇所にヴォーカルがアタっていない為に、後ノリでヴォーカルが若干遅れて聴こえて来る。そのせいで、どうしても演歌のコブシを効かせて歌っているようにしか聴こえない。

ノリノリだった「あの頃」の山下達郎の代表曲『Ride On Time』に見られるような、キラキラしたシティー・ポップの‥ これさえあれば何が来ても怖くないと思わせるような輝きも希望も一切見られない彼の新譜『Softly』の、楽曲の全てのメロディーメイクはただただ悲惨としか言いようがなく、長い時間聴いてはいられない。
まるで回顧主義の老人の独り言みたいで、先に「シティー・ポップ」を求めてこの人の曲を聴こうとしていただけに失望感がハンパない。
 
かなしいかな、人は誰しも年を取って行く。老いは多少なりとも表現の劣化へと直結するのだが、それをカバーする方法として人生の経験値や人間性、そしてインテリジェンスの成熟等が挙げられる。
そのどれ一つとして達郎の場合は機能しておらず、何かと「恋愛」とか恋愛の思い出を振り絞るようにして歌詞にしているから、聴いていて無理な重圧がどうしても後頭部を直撃して来る。

それを本人もおそらく気付いているのか、喉に異常なまでの力(力こぶし)が入っている。その影響で全ての発音の一瞬前に「‥ンガガガ‥」みたいな助走が掛かってしまい、音程もテンポもリズムも全てがタイミングと正確性を逸している。

勿論楽曲的にも「シティー・ポップ」感は殆ど失われおり、色褪せたセピアカラーの1980年代のフィルム写真を見ているような喪失感に苛まれる。
シティーもポップも失われ、さらには発声の全てに力コブシが練り込まれたこれらの音楽は、最早聴くに値しない。なので私はこのアルバムの一曲すら、フルサイズで聴くことが出来なかった。
 

 
残念なことに今、世界的に日本の「シティー・ポップ」系のカバーが急増している(笑)。特に山下達郎の奥方の竹内まりやが1984年にリリースした『Plastic Love』が今、最注目されいるタイミング。
恐らく夫・達郎はその流れを踏んで今、ここだ!‥ やっと来たビッグウェイヴに自分も乗ろうと試みた筈だ。だが、それは失敗に終わったのではないだろうか。

山下達郎と竹内まりやの結婚は当時音楽業界を賑わせ、それを機に妻・竹内まりやは一線を退いた。あくまで夫をたてる為に表舞台から妻・まりやは姿を消し、アイドル歌手に楽曲を提供する文字通り「作曲家」に転じたわけだが、それがある種の威厳や風格を長年に渡って培わせて来たように私は感じている。
ここに来て山下達郎は、妻・竹内まりやに首‥ いや、体一個二個分先を越された形になったようだ。
 

 
山下達郎のニューアルバム『Softly』のラスト曲に収録されている『REBORN』は、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の挿入歌として既に女優の門脇麦が熱唱しているが、これが凄かった。
逆に原作者・山下達郎の原曲を聴いた時に、その余りの表現力の無さに愕然とした。むしろ門脇麦が歌唱した方の動画を視た時の感動が余りに大き過ぎたのか、何より「何も足さず何も引かず」の門脇麦の素直な表現が不幸にも、原曲(山下達郎)の不安定なメロディーラインに安定感を与えてしまった感は否めない。

この記事の最後に、圧巻の門脇麦の『REBORN』を掲載し、この記事を〆たい。
※尚この記事にはまだ続きがあるので、次記事へと続く‥。