LE SSERAFIM 新譜 ‘BOOMPALA’ OFFICIAL MV に潜む危険な状況

2026年5月22日に公開されたLE SSERAFIM の新譜 ‘BOOMPALA’ には、非常に危険なシグナルを感じずにはいられなかったので、その旨今回は本ブログに執筆したいと思う。

先ず、音楽評論ブログ「ディディエ・メラの音楽倉庫」にて、2026年5月22日の記事LE SSERAFIM (르세라핌) ‘BOOMPALA’ MV TEASERでも少し触れたように、LE SSERAFIMの新譜 ‘BOOMPALA’ の作詞/作曲両方のクレジットが判然としない点は、実際にMV及び楽曲が公開されたことによりむしろ明確になったようだ。
 

 
ル・セラフィムの新譜 ‘BOOMPALA’ とLos Del Rioの ‘Macarena’ のクレジット欄を実際に確認したところ、以下のようになっている。
 

Macarena’ (Los Del Rio) :
Antonio Romero Momge / Rafael Ruiz Perdigones:作詞 / 作曲
出典元: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%8A

‘BOOMPALA’ (LE SSERAFIM) :
Writers:Thom Bridges, Justin Tranter, Eren Cannata, SCORE(13), Megatone(13), “hitman” bang, JBACH, Celine Polenghi, Orion Meshorer & BLD
出典元: https://www.kkbox.com/tw/tc/song/4o9ECx-KtWt5m6OSoa

 

 
‘BOOMPALA’ の楽曲冒頭及び後半では明らかに Los Del Rio の ‘Macarena’ の楽曲をそのまま歌唱している箇所があるところを見れば、同曲(‘BOOMPALA’)のクレジット欄に当然のこと ‘Macarena’ の原作者である [Antonio Romero Momge / Rafael Ruiz Perdigones] 両者の氏名が記載されていなければならない筈だが、その記載は現在 (2026年5月23日) のところ見られない。
 

 

 
次いで気になった点が二点あったので、以下に列挙する。
 
・一点目は動画の随所に現れるヨガのポージングの映像と、それにともなう他の映像が、先に別のアーティストである藤井風の楽曲及びPV『It’s Alright』のテイストとかなり似ている点。
・二点目は歌詞に、「瞑想」「チャクラ」‥等のスピ系用語とも重なる、ある種の宗教性を想起させる用語が乱用されている点。

上記両方の点を重ねて見ると、やはり藤井風の『It’s Alright』の影響を強く受けた関係者がル・セラフィムの新譜 ‘BOOMPALA’ の楽曲の制作に、かなり深く関わっていると疑わざるを得ない。
 

【’BOOMPALA’ 歌詞より抜粋の和訳】

引き波に揺れる波みたいな気分
「永遠」なんてものは もう手放すの
私はちゃんと 解き放たれたの
どんどん 夢中になっていく
これ以上ないくらい 本当の自分と向き合ってるの
自己愛がママなら 私はその子ども
毎日 心を無にして瞑想するの
 
(中略)
 
胸の奥 心を叩くようにリズムを刻んでる
自分自身を愛しながら 私は進んでいくの
私の魂のチャクラは 眩しいくらい輝いてる
ナマステ ナマステ 私はこのまま目覚め続けるの
 
胸の奥 心を叩くようにリズムを刻んでる
信じるのは自分だけ 私が切り開いていくの
私の魂のチャクラは 眩しいくらい輝いてる
ワン・ツー・スリー さよなら
 
Boompala boompala boompala yeah ‥‥
 
https://mizuki87.net/k-pop/le-sserafim-boompala-lyrics/

  

【It’s Alright(藤井風)/ 歌詞】

母なる大地は私の愛し子
父なる太陽は私のまなこ
この世は私の思わく通りに
今日とて可愛く回っています
 
Come, cry ur heart, cry ur heart out
Here in my arms, in my arms like
Ah ah ah ah ah ah ah ah
God is inside, is inside us
This is our time, is our time, thus
Sooner or later, we better know that
Everything is gonna be alright

It’s alright…

It’s all, right
Give it up, kama
Bring it on, Prema
 
(英語部分 和訳)⇩
 
さあ、思いっきり泣いて、泣き尽くして
私の腕の中で、私の腕の中で
ああああああああああ
神は私たちの中にいる
これは私たちの時間、私たちの時間、だから
遅かれ早かれ、私たちはそれを知っておくべきだ
すべてはうまくいく
大丈夫… すべて大丈夫
諦めて、カーマ
さあ、プレマ
https://www.uta-net.com/song/390656/

 
藤井風と言えばサイババ二世のステルス布教で現在かなり騒ぎの元になっているが、藤井風の『It’s Alright』では実際にかなり気持ちの悪い映像が続く。
その宗教性をリスナーに強引に洗脳して行くようなテイストの映像がそのまま、ル・セラフィムの新曲 ‘BOOMPALA’ に引用されていると感じたのは、おそらく私だけではないだろう。
 
これは両楽曲共に共通して意図的に、作為的に仕組まれた「特定宗教」に於ける集団洗脳の可能性を(私は)疑わずにはいられない。
 

 
ル・セラフィムの ‘BOOMPALA’ と藤井風の『It’s Alright』、これがほぼ同時に世に放たれた現象に私は強い危機感を感じると共に、この件、藤井風がやれば大勢のアンチが同時に声を荒げて「ステルス布教」だと騒ぎ、ル・セラフィムが同じようなことをしたらファンダムが喜びKpop界が沸き立つ‥ と言うような状況をまかり通して良いのかと、個人的にはこの類似する現象に対しても大いに警鐘を鳴らさなければいけないと危機感を募らせているが、皆さまはどうお考えだろうか?
 

社会現象の観点から考察する藤井風 そしてNewJeans

2025年9月11日、午後1時からソウル中央地裁で開催された公聴会にて、NewJeans 対 ADOR専属契約を巡る訴訟はメンバー不在の中20分で終了し、双方合意に至らず決裂した。
(同日、ミン・ヒジン関連の別の口頭期日も開催されていた。)
 

 
 
彼女たちも万策尽きた状況だが、その後に判決が下ると言う実感が未だ湧いてはいないようだ。現状NewJeansの5人は、兎に角ゴネ得で外界から目を逸らせばそれでやり過ごせるとでも思い込んでいるようだが、法律はそこまでアマくない。
 

音楽も音楽業界も、共に荒れている。

 
特に私が2025年9月11日未明に更新した記事藤井風と多重人格の可能性についての記事訪問者数がとんでもないことになっている他、それまでアンチ藤井風側に一見立ち位置を取っていたように見えていた私に豪雨のような、言葉にならない不満を含めた現実的な『圧』が押し寄せた。
一度藤井風を『サイババ二世がサイババの教義をコピペした詞で音楽をリリースし、信者を増やしているのだから、どれだけ叩いてもいいではないか!』と声を荒げて叩き屋と化した藤井アンチたちにとっては、上記の記事はその後のバッシング活動をやり辛くする内容を存分に孕んでいたのだろう。
 
問題は藤井風自身の闇の深さ、その闇の周囲に立ちはだかる藤井風の父親 (つまり毒親であると推測される‥) の存在。
父親が喜ぶことをしなければ藤井風が家庭の中、世の中に居場所を失うかもしれない‥ と言う藤井風自身の危機感及び強迫観念。‥彼の強迫観念の行く先がつまりはサイババへの帰依であったことや、重度のPTSD発症とそれにともなう多重人格障害の可能性について。
藤井風は今、本当の意味での拠り所を失った状態だ。
 
ざっと目に見えている状況を列挙するだけで、これだけの (藤井風の) 闇が露出している。
 

 
昨日外出中にふと気になることがあり、外出先でスマホから音楽年表を検索してみた。

「藤井風の音楽が良い」と言うファンが、今年になって急増したように私には見える。
藤井風が『死ぬのがいいわ』を紅白で歌ったのが2022年の年末だったが丁度その年は、KPopのガールズグループ、NewJeansのデビューの年と重なっている。

NewJeansのデビュー曲『Attention』は2022年8月1日にリリースされ、瞬く間に旋風を巻き起こした。
 

 
剛腕プロデューサー/ミン・ヒジンのセンスは当初から高く評価されていた。
NewJeansはその後『Ditto』『omg』等、それまでのKpopにはないヒール色の薄い、爽やかでポップかつメロディアスな楽曲を立て続けにリリースして行った。
勿論タレント性は元々備わった彼女たちだが、それより何よりもNewJeansの楽曲は世界中のポップスの中でも際立って光っていた。
 
世界の音楽の空洞化をNewJeansの5人が見事に埋めていた期間、多くのポップス愛好者たちはNewJeansの音楽性とその音楽性を深くユニークに掘り下げて演出 (& プロデュース) に集中したミン・ヒジンの魅力に取り憑かれて行った。
その流れに乗るようにして、特に2022年~2024年の2年間は世界中がKPop一色に染まった時期だったように思う。
 

一方藤井風は2021年4月22日にきらりをリリースしており、某バイクメーカーのCMに起用されたことで一躍脚光を浴びる存在となった。
但し検索して行くとOfficial MVの公開は2022年と表記されており、正確には2021年と2022年のどちらかがやや曖昧になっている。
 
丁度その頃目に付いたのが、Vaundyの台頭と多数のアニソンが売り上げランキングの上位を占めている状況だ。
試しに2022年のヒットソングランキングを捲ってみたが、これと言って目立つ楽曲は見当たらない。翌年2023年にはYoasobiのアイドルが爆発的なヒットを遂げるが、此方はアニソン縛りと言うこともありコアな音楽ファン層の評価は低い。
 

2022年にデビューしたKPop/ガールズグループと言えばもう一組、LE SSERAFIMが記憶に新しい。(その頃から世界がKPopで溢れかえるような現象が加速して行くが) 既に韓国はHYBEでは『ミン・ヒジン率いるNewJeans 対 パン・シヒョク率いるLE SSERAFIM』の、後に言う「ヒジンの乱」の火ぶたが切られ、それが記事冒頭のニュースへと繋がっている。
丁度2022年~2025年の期間、藤井風はそれなりに音楽活動を続けて来てはいたが、2025年9月の騒動のような熱量は見られなかった。だがその間にも藤井風のPTSDと思われる症状は進行しており、それが先に私が記事に書いたような深刻な多重人格障害を発症させ、そちらも急激に病状が悪化したように見受けられる。
 
藤井風の背後には名前の上では「厳しい教育」を藤井に施す父親の強大な存在があり、いわゆる洗脳教育と藤井風のメンタル面に侵食して行ったであろう暴力のような行為が行われていた可能性を否定出来ない。
 

 
この間私はと言えば世界中の音楽を聴き漁り、それをSpotifyのプレイリストに粛々とスクラップし、それをSNS等に告知しながら音楽リスナーの底上げを試みていたが、色々な事情で露出をセーヴしている私の知名度の低さが災いし、私の活動が一部のファンに訴求した以外には大きな旋風を巻き起こすには至らなかった。
 
仕込みは万全だったが結果にコミット出来なかったこの期間、特に2024年明けの1月にはミン・ヒジン対 HYBEのトラブルが表面化し、同年11月末日のNewJeansの契約解除記者会見へと此方も又自体を一気に悪化させて行った。
 

 
一方現在の音楽シーンで目立つには、1980年代~1990年代に日本で爆発的にヒットした『シティ・ポップ』のカバーソングの台頭で、これは2025年現在も記録を更新している状況だ。
NewJeansのヘリンも2024年の6月26日/27日に東京ドームで開催された「NewJeans Fan Meeting \’Bunnies Camp 2024 Tokyo Dome\’」で、竹内まりやの『Plastic Love』を熱唱している。
 

 
近年良質な楽曲が激減している様子は私も、毎週末の「世界の音楽」の新譜をくまなくチェックしているので痛感している。
 
藤井風ファンが言う「藤井風の音楽が良い」と言う発言は方々に散見されるが、これはおそらく他に競争相手が居ない、現状は藤井ひとり圧勝の状況が招いた結果かもしれない。
確かに一見藤井風のメロディーは爽やかかつ独特のクセがあり、それがリスナーの中毒症状を引き起こす引き金にもなっている。だが多くの音楽リスナーは雑誌やメディアで持て囃されたミュージシャンの音楽しか聴いていないし、世界の音楽を探索して聴き倒すには彼らは余りにも仕事や社会に忙殺されているので、音楽を探す時間を確保出来ない状況にあるようだ。
 
世界の良質な音楽を常に耳にしていれば、藤井風如きのジャンキーな音楽を好きになる筈がないと私ならば思うのだが、手っ取り早く美味しい音楽が聴きたい層の音楽リスナーたちは「とりあえず」の感覚でメディアが紹介するところの、藤井風や椎名林檎や宇多田ヒカル辺りを聴いて周辺のリスナーとの同調を図ろうとする。
一人だけ無名のアーティストなんか応援していたらそれこそSNSや職場等で恥をかきかねないし、「とりあえず」誰もが知っているであろうアーティストの数名の新譜をごそごそと漁っているうちに、調味料で言うところの味の素をガンガン使って出来上がったカップラーメンのような藤井風のメロディーにハマり込んで行ったと見るのが妥当だ。
 

日本の教育状況や社会状況にも、大きな問題が山積している。
受験に必要な科目以外は授業内容が軽視されており、特に美術や音楽の授業は「どうでも良い科目」だと認識させるような風潮がある。
一部の合唱好きが毎週末集まるような部活がある以外、義務教育機関の中で本格的に音楽に接する機会はほぼ皆無だ。
 
そんな学生時代の日々の蓄積を経た若年層にとって、藤井風のメロディーは過剰なまでに甘美で心地好いだろう。
 

 
記事『藤井風と多重人格の可能性についてでも綴ったように、藤井風の言動や表情は誰が見ても変だ。
勿論彼がサイババ二世として活動を更新して行くことには賛同出来ないが、だからと言って心を病んでいる可能性が濃厚な藤井風を闇雲にバッシングし続けて良い理由にはならない。
むしろ今の彼を、これ以上追い詰めてはいけない。
 
問題を解決したいのか、それともアンチ活動を介して活動家たちが大勢の匿名集団を先導することで承認欲求を満たしたいのか‥。その境界線を各自が厳しく見極め、そういった一連の藤井風バッシングの波に便乗しない方が、社会的な意味での二次災害を防ぐ近道だと私は思っている。
 
寄ってたかって特定の人物を叩きのめしている輩の大半は、匿名で活動している。自分には火の粉が及ばないよう、完全防備の状態でSNSに網を張っている。
だがそこまで藤井風バッシング活動を継続したいのであれば、バッシングする側にも覚悟と責任を負う必要があるのではないか‥。
 
味の素を常習的に使用している料理人に味の素を否定するような言葉を吐いたら、当然のことその料理人は怒りキレて反撃に出るだけだ。‥ならばそこまで信仰が進んだ人々に関しては、「一人一人摘まみ上げて真実を伝える」と言うような偽善的にも見える言動は無駄に思える。
 
 
サイババ二世の藤井風が危険人物だと感じるならば、大勢で徒党を組んだりせずに各々の言葉で客観的にその旨を発信すれば良いと思う。
心ある人はその言葉に反応を示すだろうし、そうではない人たちは唾を吐くか離れるかの何れかの反応を示すだろう。それ以上を求めるべきではない。
藤井風を応援する側も応援しない人々も、反発したい人たちも、「足ることを知る」精神を胸に留め置く必要性を感じてならない。
 

 
思うに一連のトラブルは、良質な音楽家と音楽を輩出することで解決可能だ。
是非各々の意思で、良い音楽を探して吸収して欲しい。
 
世界はあなた方が思っているよりは広い。そこには未だ出会ったことのない良い音楽が静かな寝息を立てて、リスナーを待っている。
 

 

関連記事:

藤井風と多重人格の可能性について

同じ人物を立て続けに取り上げて記事を書くことは正直本意ではないが、今回は前記事【藤井風 – ニューアルバム『Prema』 表現解説】とは全く異なる視点で藤井風について検証と分析を重ねてみたいと言う心情に至った。

 
数日遅れで私もようやくTverで、徹子の部屋 – 〈藤井風〉父の教えを胸に…「努力」積み重ねた日々を試聴することが出来た。

冒頭の衣装はまさに『Hachikō』のPVでも藤井が纏っていた衣装であるが、この衣装はおそらくヒンドゥー教の最高神の一柱『シヴァ』をイメージしたものではないかと感じた。

 
シヴァ (マハーカーラ) のイメージ画像と見比べると、それは一目瞭然で分かる。
 

 
藤井の衣装の襟や袖の突起の部分が、上記の画像と重なって視えて来る。
又サングラスの黒い部分が3カ所に分かれており、真ん中の黒いレンズ部分は『第三の目』をレンズで覆ったようなイメージではないだろうか。
シヴァ (マハーカーラ) の銅像にも、第三の目はくっきりと彫られている。
 


さて、ここからがこの記事の本題である‥。
 
徹子の部屋 – 〈藤井風〉父の教えを胸に…「努力」積み重ねた日々を注意深く視ていると、藤井風の表情や目つきが話題によってコロコロ変わって行く様子がよく分かるだろう。

合計23分29秒に及ぶ映像の中には、(私の印象ではあるが) 男性が一人も出て来ない。
確かに見た目は男ではあるが、目や表情、声質、声色から仕草に至る全てが様々な女性の人格で演じられているように見える。

特に象徴的だったのが、故郷岡山や藤井風の父親の話題に触れた時だ。ここで人格が入れ替わる瞬間を、瞬時に察知することが出来る。
はっきり書いてしまうと、藤井風は多重人格者であり、彼の中には複数の人格 (主に女性) を見ることが出来る。その中の一人は明らかに女児であり、上の写真のように上目遣いになったり唇をすぼめる瞬間に女児の人格がはっきりと顔を出して来る。(写真 下 ⇩)
 

 
又、途中自身の若い頃のショパンの『革命』を演奏する映像が流れた辺り (9:44辺り) では、一瞬苦悩の表情が顔を出し、その後ベジタリアンの話題やワールドツアーの話題に触れた時と同じ、彼の中のアメリカ人女性と思われる別人格が顔を出す。
この瞬間が、人格交代の瞬間ではないかと思われる。(写真 下 ⇩)
 

 
思うに藤井風は宗教観 (サイババ教) を用いた音楽を配信すると言う意味では加害者であるが、同時に彼の父親の厳しい教育過程の中で行われた虐待 (精神的/肉体的の両面) の被害者であり、かなり重度なPTSDを発症している可能性を否定出来ない。
 
藤井風の基本人格はPTSDを発症した人格であり、おそらくその人格を守り合う別人格が複数存在すると言う仮説を立てると、一連の表情や口調、声色の変化や言動等の違和感の辻褄が合って来る。
ニューアルバム『Prema』からタイトル曲Premaの中で藤井は「私は神そのものだ」と叫びを上げているが、実は藤井風を宗教者に仕立て上げようとしているのは藤井自身ではなく、彼の父親の希望 (或いは命令に近いもの) だと考えると、一連の藤井の言動のブレに一貫性が出て来るように感じる。
 

 
Xやその他のSNS等では藤井風のサイババ二世だと言う件やステルス布教等が大きく取り沙汰されているがそれだけでは済ませることの出来ない、取返しのつかない程の大きなメンタルの傷を、実は藤井風自身が抱え込んでいるように思えてならない。
これは私自身が通って来た道とも大きく似ており、私の場合は不幸中の幸いでそもそも過去世の経験が豊富であり、尚且つ過去世の記憶や経験の蓄積が今世の私を人生の脱線から救ってくれた。
だが藤井風の場合はPTSDを抱え込んだまま日常的な人格交代を早い時期から繰り返し、それが常習的かつ長期的に行われていたのだとしたら、もはや藤井風は藤井風であって藤井風ではないと言うような状況に彼が追い込まれている可能性は濃厚だ。
 
かと言って藤井風が『ウィンディー・サイババ』として開祖したら心の傷や多重人格障害から立ち直れるのかと言われたら、もうその段階はとうに過ぎてしまったのかもしれない。
最も苦しいのは基本人格の藤井風だと思うが、第三者にはどうにも出来ないのでただただもどかしい。
 

これまでは藤井風はサイババ教を悪用したミュージシャン‥ と言う視点で見て来たが、徹子の部屋 – 〈藤井風〉父の教えを胸に…「努力」積み重ねた日々を試聴してからはそんな簡単な問題では済まされない事態が水面下で起きていたのではないかと、個人的に、藤井風が毒親の被害者ではないかと言う別の視点を心に置くに至った。
 

この記事ではここまでしか書くことが出来ないので、何かしら状況に変化や異変、進展等が見られた時に続きを書きたいと思う。
少なくとも藤井風のメンタル面や言動がこれ以上悪化しないことを、切に祈り続けたい。
 

【追記】 
そもそも藤井風 が信仰しているサイババ (サティヤ・サイ・ババ) の元は『シルディ・サイ・ババ』であり、此方は行者である。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%90

そのうち藤井が『ウィンディ・サイババ』等と名前を変えて新興宗教を立ち上げる日が来るのではないかと、ふと映像が過った。
予感が外れてくれると良いのだけど‥。