境界線


世界は絶妙なタイミングで変化し続けています。
まるで季節が夏から秋へと向かうような自然な流れを装いながら、地球人と言う赤子を沢山の自然神の面々があやしながら、あっちへ行けこっちに向かえと言って飴を鞭を使い分けるように‥。

この何とも絶妙な転機を私たち人類はどのように感じ、そしてどのように乗りこなして次の時代へとシフトして行けるのか、行けないのか‥。何もかもが手探りなのだからそこには最初から存在する明確な回答などは一つも無くて、それでも私たち人類はこれまでとは違うやり方、生き方、ものの考え方、価値観や哲学観に絶対にシフトしなければいけないと自然神は解きます。


私が度々書く「自然神」と言う単語に拒絶反応を示される方々が居ることも、私には分かっています。それはご自身がこれまで達成出来ていた筈のマウントに対する敗北感に似て、私如きの社会的な立場の弱い芸術家に負けるわけがないと言う既存の秩序が音も無く崩壊してしまうのではないかと言う不安の上に成り立つ、後先のない真の敗北を真のあたりにすることへの恐怖に似ています。

ですが私は常に、そんな横暴かつ無謀なマウントに今日までじっと耐えながら芸術活動を続けて来ました。
確かに今日まで勝ち目のない戦を延々と続けているようなところもありました。ですがこのコロナ禍が皮肉にも切っ掛けとなり、私と時代の間に長い間立ち塞がっていた壁が一気に崩れた感は否めません。
これまで高い所にあった壁が、急激にその高さを変えて私の手の届く場所まで降りて来たような、ある種の私自身の人生の見通しが立ったと言っても過言ではないでしょう。


Twitterその他Facebook等のSNSのプロフィール欄に、私はある時期から私のありのままの姿を人生及び魂の履歴の一つとして書き加えており、最近はTwitterで私の過去世 J.S.Bachについての色々な話を綴っています。
その度に味方ではないと思えるような方々からのDMがひっきりなしに舞い込んで来るようになりましたが、だったら私の説に反する先方の方々からBachの隠された逸話が聞けたのかと言われると、そうではありません。

だからと言って私はBachを武器に自分の芸術活動やその履歴を美化したいわけではなく、ただただ間違ったJ.S.Bachの説をシンプルに穏やかに軌道修正がしたいだけなのです。

それは私が今日まで音楽を続けて来れた原動力の一つでもありますし、これから世界中の音楽愛好家や音楽家の卵たちに絶対に必要となる学説や音楽理論の新たなベースともなり得るものだと、私は確信しています。
 

色々な意味で、世界は転換期を迎えています。既にその旨私は1990年の湾岸戦争の頃から予期しており、いつか世界は逃れようのない時代の境界線に立たされる時が来ることを知っていました。
だからと言って自分の生活を一気に変えて行くこと等出来ない、私にとっては闇の数十年が経過し、最後の最後で夫や日本神界の神々によって救われたと感じています。

夫と初めて会った日のことを、私は今でも忘れることが出来ません。
あの日は丁度薄曇りの朝。前日の疲労が祟り、その日は夜中から酷い腹痛と偏頭痛と吐き気に見舞われ、本当ならばそんな日に人と会う約束などあっさりキャンセルする筈がどうしても夫との約束だけは守らなければならないのだと、私の本能がそう叫び続ける朝でした。

そして朝っぱらから一本1,500円ランクのユンケルと胃薬と正露丸、そして頭痛薬を服用し、一時間予定よりも前倒しで支度を始めました。

途中如何なるアクシデントが起きてもいいように、先ずは心のゆとりを持つことが大切。そして予定は意外にサクサク進み、結果的に私は50分も早く約束の場所に到着することが出来ました。
自宅を出発する時は不具合だらけだった体調も段々と時間を経て快方に向かい、現地に到着した時にはかなり好くなっていたのが不思議でした。


あの時私が無理を押して夫に会っていなければ、今の私は居なかったでしょう。あの時も私は、人生の大きな大きな境界線を何とか乗り越えたことを強く実感しました。


今私たち人類は色んな意味で、これまでには無いくらいの大きな境界線に立たされています。
境界線には好い境界線もあれば、そうではない境界線もあります。まさしく今、人類は後者の境界線上に立たされていると言っても過言ではないでしょう。この境界線から先には、キャンセルが利きません。乗り越えて先に進むしか、他に方法が無いのです。

色々書きたいことを整理せずに、又もや多くの思い出話をしてしまいましたが、今私が聴いているのはCesare Piccoの比較的新しいアルバムです。
Cesare氏の比較的初期の香りが漂う、不穏で神秘的な作品がずらりと並ぶ秀作です。




今日も即興ブログを最後までお読み頂き、ありがとう御座います💛

Eternal Pain – 2020 Spring

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2020年、春。今年の桜の木々や花々の嘆きを、私は一生忘れないと思います。

 

こんな写真を投稿したら「何暢気に写真など撮っているのですか?!」と読者からお叱りを受けそうですが、これは重装備をした上で誰もいない公園を選んで静かに撮影した中の一枚です。
周囲には誰一人いなくて、折角咲いた桜の花たちがそのお披露目の終わりを感じてひしひしと私に訴えて来たので、本当に短い時間の中で余り調整もせずに撮りました。

なのでPCでよく見るとピントが合っていませんけれど、彼女たちの必死の思いだけは確かに伝えられるのではないでしょうか‥。

 

2011年の3月11日から10年も経たないうちに、世界中がこんな危機的な状況に見舞われること等誰が予測したでしょうか‥。
いえ、予測したとか予言したとか言う人が本当に居るのであれば、もっと早期にその具体的な話がネット上に上がって来たことでしょう。それ程人間の予測とか予言などと言うものは、遊びと夢の境界線を彷徨うままごとのような領域を超えていないのです。
でも、それは致し方のない事。私でさえ2011年3月11日から遡ること半年前にその不確かな予兆を感じていたにも関わらず、それは前代未聞の出来事だったので理解すら出来ぬままその日を迎えたのですから。

 
でも、神様たちは確かに、私たちにその前兆を感じて信号や暗号を送って来たと思います。

 

世界が混乱を来す中、それでも私は何とか平常心を維持しながら創作活動を続けています。

そう、確か2011年3月のあの頃、スタジオジブリでも同じような状況があったと記憶しています。彼等は映画の制作の手を休めることなく、仕事を継続していました。その状況がネットやSNS等で酷い誹謗中傷の火種となり、厭と言う程非難された事が思い出されます。

私もあの時は言葉にはしなかったものの、非難をする側の心境にありましたが、今私はジブリの当時の社員たちと同じ行動を取っています。

 

創作家・芸術家はこのような時にも、けっしてその手を止めてはいけないのだと思います。

なぜならば起きることの全てが歴史の一部であり、創作家自身の人生の一部だからです。喜怒哀楽全てを含めた創作が、即ち芸術なのですから。いいとこばかりを前面に押し出すだけでは、作品としての深みを増すことが出来ません。

 

この記事のタイトル「Eternal Pain」、私は既にこのタイトルの曲を前アルバム「Mother Earth」の中で描いていました。こんな瞬間が来ないように本当に強く願い、祈りながら演奏した作品でしたが、神様はそんな小さな願いを聴き入れることなく人類に大きな課題を提示して来たように感じます。

生き残るべき人間と、そうではない人間とに、神様は大きな篩を回しながらその選択の時に入ったのかもしれません。

 

 

Twitterにも綴ったのですが、神様が思う「生き残るべき人間」とは即ち、人間が本来あるべき感覚を研ぎ澄ませ生き抜く為の仕事を怠らず、危機意識能力に長けた種と言うことになるように感じます。

穿った伝わり方をしてはいけないので言葉をかなり選ぶ記述になりますが、おそらくそういう事だと思います。

 

音楽家で言えば、これは私が長年危惧して来たこととも重なりますが、必要にて最低限の音のエッセンスを着実に生み出して届けられる人と言うことになります。
勿論現代音楽や破壊的な音楽は上記のカテゴリーには入りません。人が穏やかにそれを受け止め、そして普遍的に理解されるエッセンスだけが、この地上に留まり続けることが出来るのです。

そうしたメロディーのエッセンスを定期的に、そして継続して生み出し続けるには、オーソドックスな基礎教育を受ける事が必須であり、そうなれば今売れている音楽家や作曲家たちの大半がその条件に当てはまらないことになります。

こんな記事を書いたら四方八方に多くの敵を作ることになると分かってはいますが、それが厳しい試練であり、音楽家が音楽家として、芸術家が芸術家として生き残る為のベーシックな条件なのです。

 

かつての多くの同業者たちが今苦境に立たされていますが、ベースが間違っているからこういうことになってしまったのかもしれません。
所詮コピー音楽と呼ばれるものを作者に無断で再演して糧を得る ⇦ この考え方が間違っているのです。
ミュージシャン、音楽家と言う肩書で糧を得るならば、最低限自分自身で作り出した素材で糧を得るべきなのですから。

その意味で私はライブ系ミュージシャンの多くの方々の苦境や苦情に対しては、一切共感も同情もしていません。これまでモノマネ音楽でお金を得て生きて来られたことの方が偶然であり、奇跡であっただけで、それが当たり前で正しい行為とは到底言い難いからです。

 

私はメディアには一切の露出をせず、それもこれも作品のクオリティーを維持する為には必須の事だと思って覚悟を決めて今日に至ります。
何より私の信条は、「私の死後でも誰でも扱えるシンプルで普遍的なメロディーを確実にこの星に刻むこと」なので、その一点だけを目指して今後も多くの作品をコンスタントに産み続けて行きたいと思っています。