Eternal Pain – 2020 Spring

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2020年、春。今年の桜の木々や花々の嘆きを、私は一生忘れないと思います。

 

こんな写真を投稿したら「何暢気に写真など撮っているのですか?!」と読者からお叱りを受けそうですが、これは重装備をした上で誰もいない公園を選んで静かに撮影した中の一枚です。
周囲には誰一人いなくて、折角咲いた桜の花たちがそのお披露目の終わりを感じてひしひしと私に訴えて来たので、本当に短い時間の中で余り調整もせずに撮りました。

なのでPCでよく見るとピントが合っていませんけれど、彼女たちの必死の思いだけは確かに伝えられるのではないでしょうか‥。

 

2011年の3月11日から10年も経たないうちに、世界中がこんな危機的な状況に見舞われること等誰が予測したでしょうか‥。
いえ、予測したとか予言したとか言う人が本当に居るのであれば、もっと早期にその具体的な話がネット上に上がって来たことでしょう。それ程人間の予測とか予言などと言うものは、遊びと夢の境界線を彷徨うままごとのような領域を超えていないのです。
でも、それは致し方のない事。私でさえ2011年3月11日から遡ること半年前にその不確かな予兆を感じていたにも関わらず、それは前代未聞の出来事だったので理解すら出来ぬままその日を迎えたのですから。

 
でも、神様たちは確かに、私たちにその前兆を感じて信号や暗号を送って来たと思います。

 

世界が混乱を来す中、それでも私は何とか平常心を維持しながら創作活動を続けています。

そう、確か2011年3月のあの頃、スタジオジブリでも同じような状況があったと記憶しています。彼等は映画の制作の手を休めることなく、仕事を継続していました。その状況がネットやSNS等で酷い誹謗中傷の火種となり、厭と言う程非難された事が思い出されます。

私もあの時は言葉にはしなかったものの、非難をする側の心境にありましたが、今私はジブリの当時の社員たちと同じ行動を取っています。

 

創作家・芸術家はこのような時にも、けっしてその手を止めてはいけないのだと思います。

なぜならば起きることの全てが歴史の一部であり、創作家自身の人生の一部だからです。喜怒哀楽全てを含めた創作が、即ち芸術なのですから。いいとこばかりを前面に押し出すだけでは、作品としての深みを増すことが出来ません。

 

この記事のタイトル「Eternal Pain」、私は既にこのタイトルの曲を前アルバム「Mother Earth」の中で描いていました。こんな瞬間が来ないように本当に強く願い、祈りながら演奏した作品でしたが、神様はそんな小さな願いを聴き入れることなく人類に大きな課題を提示して来たように感じます。

生き残るべき人間と、そうではない人間とに、神様は大きな篩を回しながらその選択の時に入ったのかもしれません。

 

 

Twitterにも綴ったのですが、神様が思う「生き残るべき人間」とは即ち、人間が本来あるべき感覚を研ぎ澄ませ生き抜く為の仕事を怠らず、危機意識能力に長けた種と言うことになるように感じます。

穿った伝わり方をしてはいけないので言葉をかなり選ぶ記述になりますが、おそらくそういう事だと思います。

 

音楽家で言えば、これは私が長年危惧して来たこととも重なりますが、必要にて最低限の音のエッセンスを着実に生み出して届けられる人と言うことになります。
勿論現代音楽や破壊的な音楽は上記のカテゴリーには入りません。人が穏やかにそれを受け止め、そして普遍的に理解されるエッセンスだけが、この地上に留まり続けることが出来るのです。

そうしたメロディーのエッセンスを定期的に、そして継続して生み出し続けるには、オーソドックスな基礎教育を受ける事が必須であり、そうなれば今売れている音楽家や作曲家たちの大半がその条件に当てはまらないことになります。

こんな記事を書いたら四方八方に多くの敵を作ることになると分かってはいますが、それが厳しい試練であり、音楽家が音楽家として、芸術家が芸術家として生き残る為のベーシックな条件なのです。

 

かつての多くの同業者たちが今苦境に立たされていますが、ベースが間違っているからこういうことになってしまったのかもしれません。
所詮コピー音楽と呼ばれるものを作者に無断で再演して糧を得る ⇦ この考え方が間違っているのです。
ミュージシャン、音楽家と言う肩書で糧を得るならば、最低限自分自身で作り出した素材で糧を得るべきなのですから。

その意味で私はライブ系ミュージシャンの多くの方々の苦境や苦情に対しては、一切共感も同情もしていません。これまでモノマネ音楽でお金を得て生きて来られたことの方が偶然であり、奇跡であっただけで、それが当たり前で正しい行為とは到底言い難いからです。

 

私はメディアには一切の露出をせず、それもこれも作品のクオリティーを維持する為には必須の事だと思って覚悟を決めて今日に至ります。
何より私の信条は、「私の死後でも誰でも扱えるシンプルで普遍的なメロディーを確実にこの星に刻むこと」なので、その一点だけを目指して今後も多くの作品をコンスタントに産み続けて行きたいと思っています。