Tomoharu Ushida vs Didier Merah – B Major 楽曲と表現の比較検証

ショパン国際ピアノコンクール 2025’、一次予選を通過した日本の演奏者の中で黒一点の牛田智大さんの一次予選の演奏を聴いてみる。
 

 
冒頭曲は私も大好きな『Nocturne in B major, Op. 62 No. 1』であり、さらに私/ディディエ・メラ (Didier Merah) が最も得意とするKey (調) でもある『H-dur (B Major)』の一曲だ。
大好きな曲だけにダンボの耳で演奏を聴き進めて行くが、‥どこか牛田の演奏の中に汗臭さと労働もしくは体育会系の気配がチラチラとするので、集中力が維持出来ない。
 
この曲自体がそこはかとなく西洋音楽以外に、中東~アラビックなモードが立ち込める構成になっており、その意味でもショパンの中では珍しく『モード音楽』の様相を呈しているのではないだろうか。
その肝心要のモードの部分 (動画 6:58~7:10付近) のパッセージがいとも簡単なスケールやアルペジオと言った解釈で、ただ、粒を揃えているだけのつまらない表現になっていて、個人的にはかなりの残念ポイントだと言わざるを得ない。

まぁこれはピアノ競技の審査会であるわけだから、表現よりもミスタッチの有無や演奏者の正確性の密度だったりスタミナだったり、言ってみれば表現解釈度外視でも運動性に依存した演奏解釈の方が審査員の印象が良いのかもしれない‥ としても、果たしてショパン本人がそれを目論んでこの楽曲を生み出したのかと言われると、巫女体質の私としては『多分違うと思いますよ。』と回答せざるを得ない。
 
 

 
2曲目『Etude in C major, Op. 10 No. 1』については特に述べることもなく、普通に音大生が演奏するレッスンのエチュードと言う以外に何のインパクトもなし。
 

次いで3曲目『Waltz in A flat major, Op. 42』に関しては、野球に例えれば『2アウト/2ストライク/3ボール』の見せ場を迎えている状況に近いだろう。
ショパン好きの私としては、ショパンと言えば『天上界の音楽を生み出し奏でた作曲家』だと言いたい。だが、牛田のこの表情はまさしくスポーツで言うところの『もう後がない』状態のそれであり、わざわざこの表情を抜き取ったTVのADさん‥ 『グッジョブ!!』と言いたい心境だ(笑)。

各パッセージは確かに正確で粒は揃っているが、表現に到達出来ていない。これだったらむしろ、自動演奏で十分だ。下手にヒトの顔が無い分、音楽に集中させてくれるに違いない🤖
 

 
さて4曲目『Barcarolle in F sharp major, Op. 60』、此方も私が大好きで得意とする『H-dur (B Major)』の曲で攻めて来る。途中何度か6度の和音のアルペジオの箇所が現れるが、その6度の最も官能的な響きを単純にスポーツ的な解釈であっさり通過して行きやがった牛田選手(笑)⚾

ほぼ全てのパッセージが『俺、ミスなく正確に弾いていますよ』とでも言わんばかりの、正真正銘のただの運動性依存の演奏に終始している。
確かに審査員にとっては遠目でも分かりやすいだろうが、これはショパンでも何でもない。
途中の転調 (19:31~付近) に至る最もショパンらしさが書かれている筈の箇所も、まるで階段を上り下りするリハビリみたいに通過して行く‥。
もうたまったものじゃ~ない。
 

ここで少しだけ動画を止めて、私/Didier Merahがショパンをオマージュして作って配信したアルバムEdenの冒頭曲、Happinessに移動して試聴してみる。
この作品も、私が大好きな『H-dur (B Major)』の楽曲だ。
 

 
先ずこの作品は ベーゼンドルファー (Bösendorfer) の音源を用いて、即興演奏の手法で演奏されている。
ベーゼンドルファーは残響に特徴があり、その特徴である残響の効果を存分に発揮させるには、楽曲のテンポをうんと落とす必要が絶対的に生じる。
私は実際に都内各所でベーゼンドルファーの生楽器を演奏しているが、それらのどの楽器もかなりのじゃじゃ馬気質を持っており、特に高速のパッセージの速度を間違うと残響が濁ってしまうのが悩みの種だった。
 

Happinessの作曲を開始する上で重要だったのは、『60歳のショパン、もしくはそれ以後の覚醒したショパン』をオーパーツとして再現することだった。
既に亡くなったフレデリック・ショパンの御霊と何度も交信を重ね、完成したのがこの作品であり、この曲は完全に一発録音の即興演奏で収録している。
 
ことさら比較するまでもないが、Didier Merah (ディディエ・メラ) のHappinessが「覚醒後のショパン」だとしたら、既存のショパンの楽曲は「未覚醒のショパン」と言い替えても良いだろう。
未覚醒のショパンをどんなに丹精込めて演奏したとしても、そもそも楽曲自体の熟成が為されていない以上それを極限の状態で誰が再演したとしても、『それなり』以上の出来栄えにならなくても致し方ないと言えそうだ。
 

クラシック音楽の起承転結は、私から言わせて頂ければ「不要」な箇所である。
覚醒した魂には普遍性がともない、ヒトが思うエモーションは徹底的に弾き飛ばされる。ショパンが目指していたのはその世界観であり、それゆえに「天上界の音色」を日夜彼は追い求め続けたと言える。
選手/ 牛田智大は日本国内では既にプロの演奏家として活動しており、多くのリスナーを抱え込んだ状態での今回のショパン国際ピアノコンクール 2025’へのエントリーである。勿論運営サイドも、既にファンを獲得しているこういった出場者には期待を寄せるだろうし、そこそこ演奏技術を兼ね備えていればある程度の点数を叩き出して行くと思われる。
 

クラシック音楽が芸術を踏み越えて「商品」になることは絶対にあってはならないと、私は考える。だが、多くの既存のクラシック音楽関係者等には、その観点がない。
いかに見栄え良く、いかに稼ぎいかに集客を達成し、いかに食って行けるか‥。その技能を持つ人材を、クラシック音楽関係者等は血眼になって探しているに違いない。
その観点で言えば、男性演奏者で尚且つ日本国内に多くのリスナーを抱え込んでいる (半分以上は事務所の采配) 牛田選手が、今後同コンクールで上位に食い込んで来る可能性は否定出来ないが、彼が表現者になることは未来永劫ないだろう‥ と、先に予言しておきたい。
 

 

最後に付け加えるならば、既存のクラシック音楽の、特にピアノ曲のミックスのエフェクトがからっからに乾いてしまっている点が残念だ。

レコーディングされた音源のエフェクトが乾き切った肌みたいにかさついているから、多くのクラシック音楽のリスナーは『やっぱり生演奏がいいよね。』と勘違いするのも頷けるが、これはミックスとマスタリングの技術と感性の致命的な欠落が原因だと思われる。
何故実際の会場に近い環境の、もっと深いエフェクトを掛けてミックスしないのかと、常々疑問に感じている。
その観点から、クラシック音楽の生演奏が突出して優れている訳ではない‥ と言う点は最後にお伝えして、この記事を締めくくりたいと思う。

覚醒の兆候

ここ一ヵ月近く、色々なことがあった。
「色々なこと」をくまなく調べて行く過程で、精霊や神々から彼らに視えている世界を伝え聞くことも多々あった。怖いことに、現実で起きている事 (視えている範囲で) と神々や精霊が見た世界の情報とを突き合わせると、そこには微妙に矛盾が生じていたりする。
 
幼い頃から私は、両方の世界を行き来していた。現実の世界と、現実を視ている神々や精霊から伝え聞く現実は、必ずしも一致していなかった。
両方の世界は常に共存している。だが片方は肉眼と現実の世界、もう片方は人の内面や精神の中、そこで思う世界だ。
 
現実は、そこに現象が起きなければそれを現実と言うことは出来ない。だが私は未然の現実をいち早く察知し、人生の多くをそれ (察知したこと) に基づいて計画し、行動して来た。
言ってみれば、二度目の結婚もそれにともなう行動計画もそれに基づいて予定を立てた。
‥そして今がある。
 

 
正確な日付は定かではない (‥こんな時、小保方晴子さんの時間記憶の才能が羨ましくなる‥) が、多分2008年の2月13日だ (アレっ、覚えているじゃないの!!!)。
現在の夫と初めてデートをする前日の午後、必死でデート場所となるカフェを探し歩いた。普段さほど運動なんてしない私だったがその頃とても親しくしていた或る神が私に、「これは人生の一大事に繋がる密会になる。だからコーヒーの旨い場所を探せ。」と指令して来た。
 
何故「人生の一大事」と「コーヒーの旨い場所」が直結するのかは、その時の私には正直よく分からなかった。と言うより私は、コーヒーなんて好きでも何でもなかった。だって私は大の紅茶党だったから。
 
京王井の頭線の渋谷駅で下車し、先ずは文化村に足を運んだ。そこに行けば何かしら、コジャレたカフェぐらいあるだろう‥ と、今にして思えばかなり高を括っていた。だが、歩けど歩けど感覚にフィットするカフェは見つからなかった。それどころか、各カフェの入り口に立ち込めるコーヒーの焦げた臭いが、私にはとても辛かった。
 
そう、この「にがくて辛かった各カフェの入り口のコーヒーの臭い」と言う感覚が、実はあながち間違ってはいなかったことを後になって知ることになるとは‥。
 

夫は毎日、美味しいコーヒーを淹れてくれる。夫の感性でブレンドを考案し、勿論コーヒー豆は浅煎りが条件なので必然的に彼が淹れるコーヒーは美味しく完成するわけだ。
そう、2008年の2月13日の午後にデート場所のカフェを探す際に感じた「各カフェの入り口のコーヒーの焦げた臭い」を、浅煎り派の夫が好むわけがなかったのだ。
 

2008年の2月14日、私たちは初対面を果たし、今日に至る。交際期間ほぼゼロだったのは、神/タケちゃんのお陰としか言いようがない。
 

話がとてつもなく脱線したので元に戻るが、最近身の回りに起きていることについて実際に関係者に聞くことと神々から伝え聞くことに齟齬 (そご) が生じている。
昔っからずっとそうだったが夫に話す時に現実とシュールの双方の情報が嚙み合わないので、大丈夫かと時々困惑する。
 

 
此方も日付は定かではないが、年で言うと恐らく2007年か2006年の春先頃だったと思う。一度だけ叔母の昭子 (仮名) さんと電話で、母について話をしたことがあった。
私が最も闇を生きていた時期と重なった。住居を借りるのに苦戦したのは、不動産管理会社のルールに沿った緊急連絡先のサインの欄が埋まらなかったからだった。
 
後になって母の遺書には、私を絶対に実家に近付けない旨の意図を含めた直筆のメモが見つかったが、当時の私は色々な現象をほぼ直感で感じ取り、突き止め、それを言葉にして人に話していた。
私の家庭外排除は現実として粛々と、親族全員はおろかその関係者まで巻き込んだ形で現実となっていたが、それを言葉にして私に伝えて来た人は確かに誰も居なかった。
当時昭子 (仮名) さんとの電話の中で私は叔母に何度も、これまで私が母にされて来た幾多の暴力や虐待、そして両親や弟が私を酷く恨んでいること等を切々と訴えた。だが昭子さん (叔母) はそれを一切合切撥ねつけて、私の訴えや心情があたかも私の思い過ごしであるかのように私を宥め抜いた。
 

⇧ これは亡くなった弟の嫁の「りえさん」が山田家の遺産を取得したい旨を弁護士に相談した時の書類だが、それによれば叔母の昭子さんは私が叔母と電話をした翌年に亡くなっている。
最後まで昭子さんは母/雅枝を庇い、私の家庭外及び親族外排除に加担したことになると見て間違いないだろう。
 
そういうことが親族内で実際に起きていることを、私は既に知っていた。だがそれらは言葉にして伝えられたことではなかった為、親族等全員が私の気の迷いだとか錯覚、気がふれたせいだ‥ と言うことにし、誰一人心を改める者は現れなかった (それは現在も継続している)。
 

勿論全ての現象を精霊や神々から伝え聞くわけではないが、ここ最近そういう現象が以前よりも増えている。その度に私は、「現実ではどうなのだろうか?」と言う突き合わせを必ず行い、逐一日記に記録している。
比率としては現実に起こる前に私が未来をシュールな存在から伝え聞くことの正確さが増しており、的中率85パーセントまで確率が上がっている。
Kポの件も、それに当てはまる。なので私はあえてこのブログに、NJの件を赤裸々に書き残している。後から私のカンや預言がどうだったのか‥ と言うことを知りたい人たちの為にも、それは書いておく必要性を感じるから。
 
 

今世でイタリアにこそ行くことは出来なかったし、預言通り私は飛行機での移動は今後一生しないつもりで居るし、車の運転免許も諦めた。
若かった私に母が振るった暴力の後遺症が、最近になって出始めたからだ。先端恐怖症は車道を俯瞰する時にも表れ、車道で前方を見る時に頻繁に身がすくむ。その状態では絶対に後方の車との衝突事故の危険が避けられないので、タケちゃん (神) から「免許を諦めるように」と言われそれに従うことに決めた。
 
それでも生きるバイタリティーは年々増しており、今後の私はこれまでの不可能の常識を必ず打ち破ることになるだろう。
その夢と目的だけはぶれずに、今も私の背骨をしっかりと支えている。
 
 

⇧ 此方は最新のプレイリスト。
毎週末の度に世界の新譜から選りすぐりの楽曲を集め、我が子のように育てている音楽データ。
 
最近はメインブログよりもサブブログディディエ・メラの音楽倉庫の更新の方に力を入れているが、それもこれも未来の音楽史を修正すると言う目的の為の一環だ。
是非「リラ星最後の巫女」として、音楽家及び音楽評論家、表現解説者としてのディディエ・メラ (Didier Merah) も応援頂けるとありがたい。

地球の怒り

10日ほど前から続いていた目眩は、ベッドで眠っている最中にも頻繁に起こっていた。 それが今朝の地震の後にピタっと止んだ。
並行して続いていた頭痛はむしろ重くなって、今もズキズキと前頭部で、まるで秒針を動かしているようだ。

2025年7月30日 早朝、カムチャッカ半島を震源とする大きな地震があった。丁度その最中、私は案の定悪夢に魘されていた。
昔深く関わっていた男性アイドルの一人が、凄まじい謝罪を繰り返す夢。その夢に対し私は、厳しい説教をたたみかけて行く。

自身の謝罪を相手に受け入れて欲しければ、大切な何かを引き換えに失うことになる‥ と言う話。
夢とは言え、これは実体験に基づく私の哲学だ。
男性アイドルは目にいっぱいの涙を浮かべて、元通りになりたい‥ と言う。
そんな虫のいい話はないのよ‥ と私が返す。
 

その押し問答の最中に、どうやら地震はあったらしい。
 

震源が遠かったので、今回はウーパールーパーの足音は聞こえなかった。だが前兆はあった。
その前兆が何を意味するのかについて考えることを、私が完全に忘れていた。
 


地球が怒りを露わにしている。
それはどこかへ向かう怒りとは違う、もっと内向的で力強いものだ。

地球は失望と絶望を感じている。
それをどうにかして欲しいと言う願望よりも、一刻も早く自身に起きた火のような違和感を鎮めたいと願っており、祈りのような念の一部が私の体を通り抜けて行く。

騒音と臭いで気がおかしくなりそうだと、地球の意識が私に訴えかけて来る。

ふと、「Requiem 311」を書いた頃を思い出す。
今私が感じているこの感覚は、あの時とよく似ている。収まりようのない怒りと不安と失望と‥、それをどこへもぶつけるあてもなく胸の中に抱え続けたあの時の感覚に。
 

色々なことがあった水曜日。
頭痛は止まないが、少なくとも音楽で祈りを形にすることは出来た。

理解し合えない怒りと苦悩を、地球も又抱え込みながら覚醒している。

明日がどんな一日になるかなんて、誰にも分からない。そして地球の営みを、いち人間が制することなど出来る筈がない。

[世の霊能者や予言者未満の某等は、驕りや承認欲求等の一切合切を捨てて欲しい (祈) 。]
 
 

 

Info. (固定記事用)

おすすめ

氏名: Didier Merah (ディディエ・メラ)
職業: 芸術家, 作曲家, 音楽評論家, 企業戦略アドバイザー、預言者, コンタクティー, テレパシスト 他。祈る人
音楽家/ 芸術家としてこの星の転生した、リラ星最後の巫女。

芸術家 Didier Merahとして活動。ネット配信を主軸とし、自作曲を多数配信。
自身のポリシーによりコンサートやライブ活動は一切行っていませんが、近い将来生演奏の機会が訪れるかもしれません。
数年以内に自作曲をまとめた楽譜を出版する予定あり。書き譜曲の出版も予定しています。
 

コンタクティーとしては主にプレアデス星人やグレイ星人達と、交流を深めています。コンタクトの過程で知り得た情報は非公開だが、文字の代わりに音楽で預言を多数残しています。
Spotify/ 各サブスク~YouTubeのアーティストチャンネルより、私の音楽を辿って下さい。

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岩戸が開く時

直感に勝るものはない。特に私の場合はいつも、それを痛感する。

『建御雷神 (タケミカヅチ)』と知り合ったのは、前職で茨城県の海沿いのホテルのディナーショーでタンゴの伴奏を務めた時だった。
建御雷神が激しく、尚且つ少しハードボイルドな音楽を好まれるとは私もつゆ知らず、リハーサル中から鎧全体で地面を踏み鳴らすような音が会場全体に木魂した時は興奮したし、驚いた。あの日の歌手も霊感はないとは言え、流石に彼の足音には気が付いたらしく、ブルブル震えながらマイクを握りしめる手が汗ばんでいた。
 

古代の森の精霊等との共作として私は、『Ancient Forest』を配信している。丁度あれは3.11大地震の直前だった。
 


そしてこの作品が生まれる経緯については今日、正式にはここで初めて話すことだが、2015年1月30日にイスラーム過激派 ISILに殺害された後藤健二氏の御霊を思いながら作曲した曲が、『Vesper』だ。
この曲は私のアルバムWheel of Fortuneに収録されている。
 


他にも私は神々や死後の御霊等と交信しながら、多くの楽曲を生み出し、そして自ら演奏して配信して来た。
そんな大切な私の子供たちとも言える楽曲を、近々生のピアノで演奏する時が来るのを感じている‥。
 

私は大の人間嫌いだ。私が接近すると、皆壊れて行く。
彼らになくて私にだけあるものを皆、欲しがる。あいにく私は見た目が不美人なので、殆どの普通の人たちは私が「リラ星最後の巫女」だと言うことにも、私が持つ特異な人脈や人間関係のことを信じない。皆勝手に、そして頑固なまでに、私の見た目なりの低い評価を課して、ルックダウンに執着する。
 

だが少し話せば私が、他の人とは全く違う人間だと言うことを多くの場合感じるようだ。その途端、そこに居合わせた人の多くが壊れて行く。
なので私は前職を退いてから今日までの長い時間、人前で全く演奏しなくなった。だが、そんな引き籠りの私を外側に連れ出そうとしているのは、皮肉にもこれまで私の創作活動や人生そのものを支え、助けてくれた神々等だ。
 

私の生演奏が何をもたらし、どんな変化を起こして行くのか、神々は既に知っているらしい。

ならば、何を演奏すれば良いのか。しかもどんな場所で?‥
今は未だ何も分からない。なので大曲ではなく、コンパクトな楽曲を選んで、或いは大曲を少し小品に編曲し直しておかなければいけないと思い、この一週間でセトリを作る予定だ。
 

怪我 (ばね指が何度も再発して) で暫く練習を休まなければいけない期間が長引いたが、ようやくサポーターなしでもトレーニングが出来る状態に体も整って来た。
だが如何せん、数年前と比べると感性がかなり変化している。そもそもテンポの速い楽曲は得意ではなかったが、さらに減速の度合いが増している。

だが、それが今の私。よく言う「巨匠の速度」だと自分自身に言い聞かせながら暫し、生演奏のその時の為に楽曲を温めて行きたいと考えている。
 

破壊芸術としての現代音楽への考察

日々、なるべく美しい音楽だけを吸収するよう努めているので、今回久々に破壊芸術とも言うべき汚染された音楽を耳にし、胃の痛む数時間を過ごしている次第である。

現代音楽 ‥

何と汚い音楽だろうか。

事の発端はと言えば、第72回「尾高賞」に作曲家の権代敦彦の作品が選ばれたと言うニュースを小耳に挟んだことが切っ掛けだった。
権代氏は私の一つ下の学年であり、彼の音楽も人柄も実は知り尽くしている。人間的にはとても温厚で上品であるが、その時代から権代氏の音楽は無秩序で破壊的であり、数十年を経てもそれは変わることなく健在だと言う点が個人的にはとても残念だ。
 

 
そもそも現代音楽とは何か‥。
思うにこれは様式美を離脱した無秩序かつ破壊的な楽曲スタイルを総称する名詞であり、とてもじゃないが食事中は勿論接待の席にもおいそれと聴くことなど出来ない。

実際に私も何十~百曲近くはこの現代音楽と言う手法の音楽を書いており、その数曲は実際に初演もされている。
学生時代にはピアノ科に籍を置きながら私は、実際には毎日音楽コンクールの「作曲部門」に何度もエントリーしたものだった。恩師は三善晃氏だったので必然的に調性音楽の作曲は敬遠され、仕方なく現代音楽の手法でかなりの数の作曲に携わったが、大学卒業後に私は自身が書いた全ての現代音楽手法の楽曲を廃棄処分した。
 

当時の話を始めたら終わりが見えなくなる程ネタは尽きないが、今になってざっくり振り返ってみても現代音楽界隈からは一つも名曲が生まれていないことには、何の疑問も感じない。
あえて名曲を挙げるとするならば、ジョン・ケージが作曲した「4’33”」ぐらいだろうか‥。
 

 
確かにこれは名曲だ。なぜならば4分33秒間無音だからである(笑)。
 

話を権代敦彦氏に戻すが、折角なので権代氏の作品を幾つか聴いてみた。‥だが、偶然私が耳にした全ての楽曲が悲観的で暴力的で尚且つ様式美不在の破壊性以外の何も感じない。
そもそも様式美を完全に蔑視する現在の現代音楽と言う防空壕はむしろ、多くの作曲家の不勉強と才能の無さを余りに擁護し過ぎたのではないだろうか。

調性音楽が書けない人に、その先の音楽が書ける筈がない。私が桐朋音楽大学に在籍していた時代から脈々と続く調性音楽蔑視の念はもはや、呪いと化しているように見える。
書けないことへのコンプレックスを大いに抱え込んだ作曲家もどきが卵一つ生み出せない現実から、命からがら逃げ込む為の現代音楽業界と言う防空壕そのものが防空壕として機能していないのだから、そこから生まれ出て来る人材に作曲スキルの機能不全が起きても不思議はあるまい。
 

 
リラ星最後の巫女の視点で申し上げるならば、早ければ百年後には現代音楽は消えてなくなっているだろう。
まして地球外生命体がその頃地球に入植して来た場合には、ビートルズでもマドンナでもマイケル・ジャクソンでもない、かと言って癒し系と言う偽善音楽とも異なる、美しい空気のように穏やかで鼓膜を叩き割ることのない、静寂と音楽の中間の調和の取れた美しい調性音楽を愛するだろう。
 

 
調性音楽は出尽くした‥
等と言う作曲家の卵たちは既に1980年代には大勢私の周囲を取り囲んでいた。その要因として挙げられるものがあるとすれば、JOC ことヤマハ・ジュニアオリジナル・コンサートの台頭だったと思われる。
JOCには私も参加し、当時順位の付け替え騒動でかなり騒ぎになったことについては、同じ回のJOCにエントリーした参加者であれば誰もが知るところだ。
 
確かにあのイベントは後の偽善的とも思える癒し系ミュージックの悪しき土台となったと私も思うが、JOCが世に台東し一世を風靡したことで「調性音楽が出尽くした」とは私は思わない。
それは何年、何十年~と富士山を見ていても富士山見物が終わらないことと同様で、自然はその星が滅びない限り永遠に終わらない。
調性音楽をあえて言うならば、「終わらない音楽」だと私は思っている。
 

だが現代音楽は破壊音を用いなければ開始することも不可能であり、そんなものを地球外生命体が愛好するわけがない。権威至上主義の音楽業界は、早く消えてなくなるべきだ。
 

大気が薄く、視界も曖昧な星に静かに鳴り響く音楽の存在を既に、私は知っている。地球上が一刻も早く静寂の音色に深く包まれることを、切に祈り続けたい。
 


壁の内側と外側

本来ならば何カ所か旅行をする筈だった今年、私達夫婦は春先から一気に体調を崩した。夫婦共々そう若い方ではないので遂に、今年は冒険はやめよう‥ と言う話になり、私は風邪の次に足の爪周りを酷く化膿し始めたので現在整形外科に通院中の身である。 

医師と弁護士は、どこか似ている。味方のようで居て、両者はけっして患者や被告の味方ではない。尋問する側 (医師、弁護士) とされる側 (患者、被告) にそもそも分かれているのだから、致し方ないと思う。

私は子供の頃から、両親家族の次に医者の目が嫌いだった。患者の患部を睨み付けるようなあの目つきと、尋問しながら此方の言葉の穴を探して突っつき回すような、あの物言いが。

今回の整形外科の医者はかなりクセがある。クセはあるものの熱心で良い医者だが、時折私の言葉にミサイルでも打ち込むような反撃が為され、少々辛い。

 

数日間一日置きに整形外科に通院したが、特に昨日は帰宅後ぐったりと倒れ込んだ。車を出してくれた夫まで、体調を壊してしまった。

クリニックのある場所との相性の問題もありそうだが、その話は夫にはしていない。わざわざ言わなくてもきっと、彼も同じことを考えているだろう。

 

 

今朝は雨。気持ちも鬱ぐし、頭痛もキツい。

毎朝多摩川の写真を掲載しているXのアカウントの今朝の多摩川を見ながら、自分は海よりもやっぱり川が好きだと実感している。

 

そう言えばここ数日間、私のブログの藤井風関連の記事に訪問者が集中しているが、何かあったのだろうか?

 

 

音楽的には良い素材を秘めている人なだけに、藤井の宗教観は正直残念だ。

Xでこれを発信したら色々騒がしくなるのでコソっとブログでつぶやくに留めるが、(音楽とか歌と言った) 聴き手の精神性に深く入り込む類の素材に宗教観を乱用するのは、法と同格のレベルでルール違反だ。

まして彼が崇高している対象が世界三大宗教でも何でもないペテン師さながらのサイババだから、「宗教の自由」と言う盾をもって放置して良いとは私も思わない。

 

 

(スマホから投稿 📱)

週末の度に私は‥

3月半ばから長期的な風邪に見舞われており、5月に入った現在も未だ微熱が引かない。そんな体調の中でもブログを更新したい日もあるので、最近は時々スマホからSNSサイズの記事を投稿することが増えているが、この記事はPCから書いている。
 

毎週末に音楽の各サブスクリプション上で更新される新曲を欠かさず聴き、チェックし、良曲だけをSpotifyに作成したプレイリストにスクラップしている。
自身が音楽家であり作曲もするのになぜ他の人の音楽にここまで夢中になるのか‥ と時折抗議のDMも頂くが、私にとって今の地上の良曲をコレクションすることは「祈り」の一環である。自分の作品だけを宣伝したり販売している音楽家は大勢居るが、仲間でも同業者でもない第三者とも言うべき他の音楽家の作品をここまで数多く紹介している芸術家は稀だ。

サブブログディディエメラの音楽倉庫にも綴ったように、今週末は良曲が酷く少ない週だった。

今や多くの音楽家が職業として音楽をやっており、食べる目的で新作をリリースしているようにも見える。納期に間に合わせなければならないのに、聞くところによると各々のミュージシャンは手持ちのストックが少ないとの話もちらほら‥。
世の中の流れが速すぎるのだ。あくせくと働いてただ、ひたすら稼ぐ。音楽家になろうと思い立った最初の自分にもはや戻ることすら出来なくなってしまったミュージシャンも、きっと大勢居ることだろう。
 


クラシック音楽は既に、予定されていた音楽の歴史から脱輪した。
ロマン派の時代は戦争によって破滅し、その後に近現代音楽の歴史が始まった。そうなると地上で最も美しかったロマン派の音楽は過去の産物となり、2025年の今でも現代音楽の時代が細々と続いているようだ。
音楽界は現在二分しており、「クラシック音楽現代音楽」と言う構図になっている。それぞれの音楽には欠陥があり、多くのクラシック音楽の中にはその時代の空気が丸ごと封印されている為、クラシック音楽を好きになれないリスナーもまだまだ多い。
一方で現代音楽は理論体系自体が崩壊しており、各作曲家の衝動とその場の思い付きと「奇をてらう」精神で作曲されている為、映画音楽等の特定のシーンに音楽を当てる以外の使い道が存在しない。勿論現代音楽を食事中に聴くことも不可能だから、普及する筈もない。
 

私 (Didier Merah) は上記のどちらでもない音楽を生み出している。
戦争や時代の事情で破滅した、この世で最も美しいロマン派のエレメントを継承しており、私の多くの楽曲は、どの時代にも存在し得ないオーパーツをふんだんに内包している。
 


最近早朝に目が覚めることが増えている。気が向くとSNS (Xのサブアカウント, Threads等) に文字を書き込んで放ったりする、そのついでにここに来て、Threadsから投稿した記事をリライトして短文投稿することもあり、そのちょっとした時間が私にとっては癒しの一つになりつつある。
 
今朝は悪夢で目が覚めた。悪夢が多いのもきっと長引く微熱の影響だと思うけど、この連休中はあの世からの来訪者も多い。
実母は現自宅からそう遠くない合祀墓に眠っているが、母は私を酷く嫌い、殺意さえ持っていただろうと見られる多くのメモが母の死後、遺品整理の際実家から見つかっている。
 
今日は起き抜けに頭痛もあった。だがいつもの頭痛とは質が違っていて、今朝の頭痛は頭部の右側と右目の上辺りに痛みが集中していた。丁度母が、私の幼少期から大人になるまで日夜殴っていた箇所と重なっており、母の念が近くを徘徊しているのを感じた。
私は日々当たり前のように母の暴力を受け入れて、思春期を生き延びて来た。彼女は毎日何かと理由をつけては私の右側から彼女自身の利き手を使って殴りかかり、私の顔や体は常に痣だらけだったが誰も助けてはくれなかった。
 

30代で渡米した後に脳に詳しい医者に出会い、医師の診断を仰いだことがあった。それによると現在私を悩ませている乱視の要因の一つが、母の暴力だった可能性が浮上した。
悪いのは目ではなく、脳に障害があるのでは‥ と言うのが彼の見立てだった。それは年々後遺症として体に現れる可能性はあるが、改善する見込みはないとの話。
還暦になった私は、マンションや駅の階段さえも手すりにつかまらなければ歩くことが出来ない。遠近感がおかしい。既に30年も前にそのことは医者に忠告されていたので、今はそんな体調とも向き合いながら何とか生活をやり繰りしているが‥。
 


現在私たち夫婦は富士山の見える場所への移住 (正確には東京と別宅の二拠点生活になるが‥) を予定しており、その為の人脈作りと住宅探しを開始した。‥その途端に微熱の引かない風邪に見舞われたわけだが、それもこれも「圧」だと認識し、体に過剰な負担を掛けないような生活サイクルの中で出来ることを出来るだけ消化するよう努めている。
 

何度も書いているが、私はリラ星最後の巫女だった。リラ星が自爆したことを知る人は、多分私以外には存在しない。これは記憶を持っている人でもその記憶に触れることが難しく、私もその記憶を10年前頃に復活させたばかりだ。
その後色んな「人」として私は地上に転生を繰り返し、現在に至る。
 

数時間かなりの分量の音楽を聴いたり整理したり‥ 色々やっていたので、もっと文字を書きたい気持ちは山々だが体力的には限界だ。
更新したプレイリストは冒頭のサブブログのリンクからも辿れるので、この記事の最後は自分の音楽で締めくくる。活動初期に古い楽器で演奏しているので音質には若干問題はあるが、この作品は私自身の葬儀を棺の中から見上げている時の風景を音楽にした一曲だ。
 

尖がって生きる (例えばDJ. Hiroko Yamamuraのように)

DJ. Hiroko Yamamura

2025年1月18日 早朝。私のメインのXのアカウントがいきなり制御不能になりました。アカウント復活を祈る思いで何度か異議申し立てをしていますが、おそらく今後の復活は厳しいかもしれません。
アカウント凍結の当初の理由は『偽装行為によりAIが自動的にアカウントを凍結した』と言うものでしたが、全く身に覚えがありません。その後Topページの表示が変わり、『厳正な審査の結果‥ 云々』と言うメッセージに変化。

正直少し凹んだことは事実でしたが、その後私が『隣国の或る団体』の標的にされていた (私のアカウントを通報するよう呼び掛けていた) 事等を知り、私のような尖がった人間はSNSの枠を必然的にはみ出してしまうのだと気付かされました。
 

普段はとても穏やかな音楽を生み出している私 Didier Merah (ディディエ・メラ) ですが、外装と内面はかなり異なります。
それもそのはず、そもそもがリラ星最後の巫女 (シャーマンとも言う) だったわけですから、普通である筈がありません。その記憶と複数の転生の経験の蓄積を現世に持ち越していれば、一般的な『普通の人』のそれと私の『普通』の概念に差があっても致し方ないでしょう。
 

実はひっそりと、世界の音楽のデータベースのようなブログを立ち上げました。
題してディディエ・メラの音楽倉庫
 

 
世界中の音楽をここ一カ所に集めて行く為の、いわば音楽のAmazonのようなルームです。
Xのアカウント凍結が切っ掛けでそれまでXで行っていた『世界の音楽』の新譜紹介が出来なくなったので、‥だったら人と関わらなくても済む自由空間をweb上に立ち上げようと思い立ち、現在音楽を粛々と集めている最中です。
 

 
さて話をDJ. Hiroko Yamamura に戻して。
現在以下のトラックをリスニング中🎧
 


上の動画はDJ会場の記録とは違うみたいですが、選曲を聴くとDJ名がなくてもHiroko Yamamuraのセレクトだと分かります。
いわゆるテクノ、或いはアッパーテクノと呼ばれる楽曲が静かにグラデーションしながら繋がって行く構成ですが、これが意外に私の癒しになっています。
 
私自身が生み出す音楽とはまさに180度違う経路のジャンルですが、それが良い。展開が読めないところがツボで、Hiroko Yamamuraの脳内を旅しているような一種のトランス感覚が心地好いのですよ。

Hiroko氏の選曲は一見ガツガツに攻めているように見えますが、実は手堅さも感じ取れます。楽曲のつなぎ目にクセがあり、一旦低音を抜きながら次の曲へ、次の曲へと楽曲が移って行くあたり、めちゃめちゃ好きです。
でも全体を繋ぐと「かなり攻めた作り」になっていて、それが一定時間のリスニングを超えたところでほぼ音楽から環境自体に定着して行く辺りは、まさにHirokoマジックと言っても過言ではないです。
 

真に尖がって生きている人って、実は手堅く足元を固めているものです。だからちょっとやそっとじゃ崩れ落ちない。
確かにメンタルの落ち込みが激しい日もありますが、それは単純に「にわか雨」みたいなものだと分かっているから、兎に角やり過ごす方法を心得ている。
私もそういう生き方を突き進んで行きたいと、最近思っています。
 

いい人、優しい人はこの際返上します。


あなた方の前に居る私は、もはや昔とは別人だと思って下さい。黒は黒、白には引っくり返さない。黒は黒と言い、闇を暴いて生きて行く所存です。
但しモラルや法の観点も捨てません。その上で、言葉や思考の刃物の先端をさらに磨き込んで行きたいと思います⚔️
 

 

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還暦 (60 ans), 私と『Mother』

2024年11月3日、私は還暦を迎えた。単語に書いてしまえば何とも呆気ない二文字だが、とても孤独でエキセントリックで、尚且つ少し苛々するような不思議な感覚を覚えている。
誕生日付近に旅行を計画し某所に向かったが、案の定私の雨オンナパワーが炸裂した。三泊四日の旅に出たものの中二日目で滝のような大雨に見舞われ、室内で滝の音を聴きながら過ごすことと相成ったが、私たち夫婦はそれでも一向に構わなかった。
 
滝のような雨音は音楽だった。自然音と言う最高の恵みに鼓膜はむしろ癒され、少し疲れた心身を温泉に浸して空を見上げるだけの何ってことのない時間はただただ至福のひと時だった。
 

50代最後の年、私は神々に多くのミッションを授かることとなった。元・人の神も在ればそうではない、宇宙自然神のような存在も在る。各々の神々が私に少しだけハードルの高い課題を提示して来たが、それが私の得意分野ならばただ続けて行けば良いだけだ。
リラ星の頃から、自然神と音楽は私の最高の友だった。今でもそれは何一つ変わらないのだから、後は私の魂や霊体にその旨を余すところなく刻印し、私の死後に神々にそれを手渡すだけだ。
 
気付けばブログも前回の更新から三か月近くが経過した。幸いなことに私がここを留守にしている間にも沢山の来訪者があり、何かしらの記事を捲って読んでいる。それが好意か悪意かなんてことはこの際どうでもいいことだ。
私の部屋を訪ねて来た人たちには各々それなりの理由や動機がある。ただそれだけのことだから。
 

 
ブログの更新が空いてしまった唯一の理由を挙げるとしたら、私に話せることに制約が増えてしまったことだろう。
人や神々との繋がり全てに於いて、私はMAXレベルの秘密主義者だ。それもこれも仕方のないことで、かつてジャンヌダルクとして生きた時代を含め記憶にある中で私は二度、火炙りで死んでいる。もう火炙りは懲り懲りだ(笑)。
ダークサイドは私の食、財布、生命導線のありとあらゆるところを狙って突いて来るから、私は多くを隠して行動しなければならない。幸いなことに夫が召喚してくれた心優しきガーディアンズたちも頑張ってくれるので、こうして何とか無事に還暦を迎えることが出来た。
 
心優しき夫にも、ただただ感謝の一念しかない。
 

書きたいことが山のようにあるにはあるが、いざ書き始めたらおそらく一冊分の本になるだろう。それだけ私のこの10年は余りに濃厚だった。だからと言って「濃厚だ、濃厚だ」と言えばただの安っぽい嫌味みたくなり兼ねないので、無数の思いを霊体に封印した。
 

人として色々な心配事も絶えないが、その内容さえもここには書けないのがもどかしい。相手もあることが大半なので、これも又致し方ないと諦める。
 

 
音楽のみならずスピリチュアルなことその他に於いては、実は随時追跡や調査を続けている。
声高に「不思議だ不思議だ」と言われることの大半が、私にとっては然程不思議でも何でもない実に他愛のない出来事だったりする。
 

いずれ地球の半分以上が廃墟となること。
いずれヨーロッパの大地の一部が水没したり、人が消えていなくなったりすること。
いずれ地球の公式言語の一つが日本語になること。
霊質文明の最初の樹立が地球時間で数百年後に控えていること。

 
知っていることは他にも多々あるが、現在の「有名人にしか関心を寄せない考えの人々が主流」の地球上で預言の全貌を明かすには未だ早過ぎる。
リラ星の時代から23万年以上が経過したが、地球もプレアデス星も或いは双方の関係性も余り変わっていない。リラ星人とて一枚岩ではないわけだから、善人と悪人の両方が混然一体と共存する。当然虚偽もまん延して行くが、私一人の預言の力でそれを止めることなど出来ないし、止める必要もなさそうだ。
その前に地球が一度空っぽになるから。
 

空っぽの世界に残り続ける残響のような音楽を、私はどの世界に在ってもせっせと放ち続けて行くのみだ。その目的の為に私は日々神々や自然神、精霊たちと対話を続けており、その過程で地球や宇宙の未来の一部をそっと覗かせて頂き、それを預言として音楽の中に封印して解き放っている。
人の為の音楽ではなく、もっとそれ以外の目的を持つ音楽だから、人々の琴線に刺さらなくても余り心配はしていない。それより何より私は、自身の中の『Mother (マザー)』の存在を今は大切にしたいと思って生きている。