岩戸が開く時

直感に勝るものはない。特に私の場合はいつも、それを痛感する。

神『建御雷神 (タケミカヅチ)』と知り合ったのは、前職で茨城県の海沿いのホテルのディナーショーでタンゴの伴奏を務めた時だった。
建御雷神が激しく、尚且つ少しハードボイルドな音楽を好まれるとは私もつゆ知らず、リハーサル中から鎧全体で地面を踏み鳴らすような音が会場全体に木魂した時は興奮したし、驚いた。あの日の歌手も霊感はないとは言え、流石に彼の足音には気が付いたらしく、ブルブル震えながらマイクを握りしめる手が汗ばんでいた。
 

古代の森の精霊等との共作として私は、『Ancient Forest』を配信している。丁度あれは3.11大地震の直前だった。
 


そしてこの作品が生まれる経緯については今日、正式にはここで初めて話すことだが、2015年1月30日にイスラーム過激派 ISILに殺害された後藤健二氏の御霊を思いながら作曲した曲が、『Vesper』だ。
この曲は私のアルバム『Wheel of Fortune』に収録されている。
 


他にも私は神々や死後の御霊等と交信しながら、多くの楽曲を生み出し、そして自ら演奏して配信して来た。
そんな大切な私の子供たちとも言える楽曲を、近々生のピアノで演奏する時が来るのを感じている‥。
 

私は大の人間嫌いだ。私が接近すると、皆壊れて行く。
彼らになくて私にだけあるものを皆、欲しがる。あいにく私は見た目が不美人なので、殆どの普通の人たちは私が「リラ星最後の巫女」だと言うことにも、私が持つ特異な人脈や人間関係のことを信じない。皆勝手に、そして頑固なまでに、私の見た目なりの低い評価を課して、ルックダウンに執着する。
 

だが少し話せば私が、他の人とは全く違う人間だと言うことを多くの場合感じるようだ。その途端、そこに居合わせた人の多くが壊れて行く。
なので私は前職を退いてから今日までの長い時間、人前で全く演奏しなくなった。だが、そんな引き籠りの私を外側に連れ出そうとしているのは、皮肉にもこれまで私の創作活動や人生そのものを支え、助けてくれた神々等だ。
 

私の生演奏が何をもたらし、どんな変化を起こして行くのか、神々は既に知っているらしい。

ならば、何を演奏すれば良いのか。しかもどんな場所で?‥
今は未だ何も分からない。なので大曲ではなく、コンパクトな楽曲を選んで、或いは大曲を少し小品に編曲し直しておかなければいけないと思い、この一週間でセトリを作る予定だ。
 

怪我 (ばね指が何度も再発して) で暫く練習を休まなければいけない期間が長引いたが、ようやくサポーターなしでもトレーニングが出来る状態に体も整って来た。
だが如何せん、数年前と比べると感性がかなり変化している。そもそもテンポの速い楽曲は得意ではなかったが、さらに減速の度合いが増している。

だが、それが今の私。よく言う「巨匠の速度」だと自分自身に言い聞かせながら暫し、生演奏のその時の為に楽曲を温めて行きたいと考えている。
 

破壊芸術としての現代音楽への考察

日々、なるべく美しい音楽だけを吸収するよう努めているので、今回久々に破壊芸術とも言うべき汚染された音楽を耳にし、胃の痛む数時間を過ごしている次第である。

現代音楽 ‥

何と汚い音楽だろうか。

事の発端はと言えば、第72回「尾高賞」に作曲家の権代敦彦の作品が選ばれたと言うニュースを小耳に挟んだことが切っ掛けだった。
権代氏は私の一つ下の学年であり、彼の音楽も人柄も実は知り尽くしている。人間的にはとても温厚で上品であるが、その時代から権代氏の音楽は無秩序で破壊的であり、数十年を経てもそれは変わることなく健在だと言う点が個人的にはとても残念だ。
 

 
そもそも現代音楽とは何か‥。
思うにこれは様式美を離脱した無秩序かつ破壊的な楽曲スタイルを総称する名詞であり、とてもじゃないが食事中は勿論接待の席にもおいそれと聴くことなど出来ない。

実際に私も何十~百曲近くはこの現代音楽と言う手法の音楽を書いており、その数曲は実際に初演もされている。
学生時代にはピアノ科に籍を置きながら私は、実際には毎日音楽コンクールの「作曲部門」に何度もエントリーしたものだった。恩師は三善晃氏だったので必然的に調性音楽の作曲は敬遠され、仕方なく現代音楽の手法でかなりの数の作曲に携わったが、大学卒業後に私は自身が書いた全ての現代音楽手法の楽曲を廃棄処分した。
 

当時の話を始めたら終わりが見えなくなる程ネタは尽きないが、今になってざっくり振り返ってみても現代音楽界隈からは一つも名曲が生まれていないことには、何の疑問も感じない。
あえて名曲を挙げるとするならば、ジョン・ケージが作曲した「4’33”」ぐらいだろうか‥。
 

 
確かにこれは名曲だ。なぜならば4分33秒間無音だからである(笑)。
 

話を権代敦彦氏に戻すが、折角なので権代氏の作品を幾つか聴いてみた。‥だが、偶然私が耳にした全ての楽曲が悲観的で暴力的で尚且つ様式美不在の破壊性以外の何も感じない。
そもそも様式美を完全に蔑視する現在の現代音楽と言う防空壕はむしろ、多くの作曲家の不勉強と才能の無さを余りに擁護し過ぎたのではないだろうか。

調性音楽が書けない人に、その先の音楽が書ける筈がない。私が桐朋音楽大学に在籍していた時代から脈々と続く調性音楽蔑視の念はもはや、呪いと化しているように見える。
書けないことへのコンプレックスを大いに抱え込んだ作曲家もどきが卵一つ生み出せない現実から、命からがら逃げ込む為の現代音楽業界と言う防空壕そのものが防空壕として機能していないのだから、そこから生まれ出て来る人材に作曲スキルの機能不全が起きても不思議はあるまい。
 

 
リラ星最後の巫女の視点で申し上げるならば、早ければ百年後には現代音楽は消えてなくなっているだろう。
まして地球外生命体がその頃地球に入植して来た場合には、ビートルズでもマドンナでもマイケル・ジャクソンでもない、かと言って癒し系と言う偽善音楽とも異なる、美しい空気のように穏やかで鼓膜を叩き割ることのない、静寂と音楽の中間の調和の取れた美しい調性音楽を愛するだろう。
 

 
調性音楽は出尽くした‥
等と言う作曲家の卵たちは既に1980年代には大勢私の周囲を取り囲んでいた。その要因として挙げられるものがあるとすれば、JOC ことヤマハ・ジュニアオリジナル・コンサートの台頭だったと思われる。
JOCには私も参加し、当時順位の付け替え騒動でかなり騒ぎになったことについては、同じ回のJOCにエントリーした参加者であれば誰もが知るところだ。
 
確かにあのイベントは後の偽善的とも思える癒し系ミュージックの悪しき土台となったと私も思うが、JOCが世に台東し一世を風靡したことで「調性音楽が出尽くした」とは私は思わない。
それは何年、何十年~と富士山を見ていても富士山見物が終わらないことと同様で、自然はその星が滅びない限り永遠に終わらない。
調性音楽をあえて言うならば、「終わらない音楽」だと私は思っている。
 

だが現代音楽は破壊音を用いなければ開始することも不可能であり、そんなものを地球外生命体が愛好するわけがない。権威至上主義の音楽業界は、早く消えてなくなるべきだ。
 

大気が薄く、視界も曖昧な星に静かに鳴り響く音楽の存在を既に、私は知っている。地球上が一刻も早く静寂の音色に深く包まれることを、切に祈り続けたい。
 


壁の内側と外側

本来ならば何カ所か旅行をする筈だった今年、私達夫婦は春先から一気に体調を崩した。夫婦共々そう若い方ではないので遂に、今年は冒険はやめよう‥ と言う話になり、私は風邪の次に足の爪周りを酷く化膿し始めたので現在整形外科に通院中の身である。 

医師と弁護士は、どこか似ている。味方のようで居て、両者はけっして患者や被告の味方ではない。尋問する側 (医師、弁護士) とされる側 (患者、被告) にそもそも分かれているのだから、致し方ないと思う。

私は子供の頃から、両親家族の次に医者の目が嫌いだった。患者の患部を睨み付けるようなあの目つきと、尋問しながら此方の言葉の穴を探して突っつき回すような、あの物言いが。

今回の整形外科の医者はかなりクセがある。クセはあるものの熱心で良い医者だが、時折私の言葉にミサイルでも打ち込むような反撃が為され、少々辛い。

 

数日間一日置きに整形外科に通院したが、特に昨日は帰宅後ぐったりと倒れ込んだ。車を出してくれた夫まで、体調を壊してしまった。

クリニックのある場所との相性の問題もありそうだが、その話は夫にはしていない。わざわざ言わなくてもきっと、彼も同じことを考えているだろう。

 

 

今朝は雨。気持ちも鬱ぐし、頭痛もキツい。

毎朝多摩川の写真を掲載しているXのアカウントの今朝の多摩川を見ながら、自分は海よりもやっぱり川が好きだと実感している。

 

そう言えばここ数日間、私のブログの藤井風関連の記事に訪問者が集中しているが、何かあったのだろうか?

 

 

音楽的には良い素材を秘めている人なだけに、藤井の宗教観は正直残念だ。

Xでこれを発信したら色々騒がしくなるのでコソっとブログでつぶやくに留めるが、(音楽とか歌と言った) 聴き手の精神性に深く入り込む類の素材に宗教観を乱用するのは、法と同格のレベルでルール違反だ。

まして彼が崇高している対象が世界三大宗教でも何でもないペテン師さながらのサイババだから、「宗教の自由」と言う盾をもって放置して良いとは私も思わない。

 

 

(スマホから投稿 📱)

週末の度に私は‥

3月半ばから長期的な風邪に見舞われており、5月に入った現在も未だ微熱が引かない。そんな体調の中でもブログを更新したい日もあるので、最近は時々スマホからSNSサイズの記事を投稿することが増えているが、この記事はPCから書いている。
 

毎週末に音楽の各サブスクリプション上で更新される新曲を欠かさず聴き、チェックし、良曲だけをSpotifyに作成したプレイリストにスクラップしている。
自身が音楽家であり作曲もするのになぜ他の人の音楽にここまで夢中になるのか‥ と時折抗議のDMも頂くが、私にとって今の地上の良曲をコレクションすることは「祈り」の一環である。自分の作品だけを宣伝したり販売している音楽家は大勢居るが、仲間でも同業者でもない第三者とも言うべき他の音楽家の作品をここまで数多く紹介している芸術家は稀だ。

サブブログ『ディディエメラの音楽倉庫』にも綴ったように、今週末は良曲が酷く少ない週だった。

今や多くの音楽家が職業として音楽をやっており、食べる目的で新作をリリースしているようにも見える。納期に間に合わせなければならないのに、聞くところによると各々のミュージシャンは手持ちのストックが少ないとの話もちらほら‥。
世の中の流れが速すぎるのだ。あくせくと働いてただ、ひたすら稼ぐ。音楽家になろうと思い立った最初の自分にもはや戻ることすら出来なくなってしまったミュージシャンも、きっと大勢居ることだろう。
 


クラシック音楽は既に、予定されていた音楽の歴史から脱輪した。
ロマン派の時代は戦争によって破滅し、その後に近現代音楽の歴史が始まった。そうなると地上で最も美しかったロマン派の音楽は過去の産物となり、2025年の今でも現代音楽の時代が細々と続いているようだ。
音楽界は現在二分しており、「クラシック音楽 対 現代音楽」と言う構図になっている。それぞれの音楽には欠陥があり、多くのクラシック音楽の中にはその時代の空気が丸ごと封印されている為、クラシック音楽を好きになれないリスナーもまだまだ多い。
一方で現代音楽は理論体系自体が崩壊しており、各作曲家の衝動とその場の思い付きと「奇をてらう」精神で作曲されている為、映画音楽等の特定のシーンに音楽を当てる以外の使い道が存在しない。勿論現代音楽を食事中に聴くことも不可能だから、普及する筈もない。
 

私 (Didier Merah) は上記のどちらでもない音楽を生み出している。
戦争や時代の事情で破滅した、この世で最も美しいロマン派のエレメントを継承しており、私の多くの楽曲は、どの時代にも存在し得ないオーパーツをふんだんに内包している。
 


最近早朝に目が覚めることが増えている。気が向くとSNS (Xのサブアカウント, Threads等) に文字を書き込んで放ったりする、そのついでにここに来て、Threadsから投稿した記事をリライトして短文投稿することもあり、そのちょっとした時間が私にとっては癒しの一つになりつつある。
 
今朝は悪夢で目が覚めた。悪夢が多いのもきっと長引く微熱の影響だと思うけど、この連休中はあの世からの来訪者も多い。
実母は現自宅からそう遠くない合祀墓に眠っているが、母は私を酷く嫌い、殺意さえ持っていただろうと見られる多くのメモが母の死後、遺品整理の際実家から見つかっている。
 
今日は起き抜けに頭痛もあった。だがいつもの頭痛とは質が違っていて、今朝の頭痛は頭部の右側と右目の上辺りに痛みが集中していた。丁度母が、私の幼少期から大人になるまで日夜殴っていた箇所と重なっており、母の念が近くを徘徊しているのを感じた。
私は日々当たり前のように母の暴力を受け入れて、思春期を生き延びて来た。彼女は毎日何かと理由をつけては私の右側から彼女自身の利き手を使って殴りかかり、私の顔や体は常に痣だらけだったが誰も助けてはくれなかった。
 

30代で渡米した後に脳に詳しい医者に出会い、医師の診断を仰いだことがあった。それによると現在私を悩ませている乱視の要因の一つが、母の暴力だった可能性が浮上した。
悪いのは目ではなく、脳に障害があるのでは‥ と言うのが彼の見立てだった。それは年々後遺症として体に現れる可能性はあるが、改善する見込みはないとの話。
還暦になった私は、マンションや駅の階段さえも手すりにつかまらなければ歩くことが出来ない。遠近感がおかしい。既に30年も前にそのことは医者に忠告されていたので、今はそんな体調とも向き合いながら何とか生活をやり繰りしているが‥。
 


現在私たち夫婦は富士山の見える場所への移住 (正確には東京と別宅の二拠点生活になるが‥) を予定しており、その為の人脈作りと住宅探しを開始した。‥その途端に微熱の引かない風邪に見舞われたわけだが、それもこれも「圧」だと認識し、体に過剰な負担を掛けないような生活サイクルの中で出来ることを出来るだけ消化するよう努めている。
 

何度も書いているが、私はリラ星最後の巫女だった。リラ星が自爆したことを知る人は、多分私以外には存在しない。これは記憶を持っている人でもその記憶に触れることが難しく、私もその記憶を10年前頃に復活させたばかりだ。
その後色んな「人」として私は地上に転生を繰り返し、現在に至る。
 

数時間かなりの分量の音楽を聴いたり整理したり‥ 色々やっていたので、もっと文字を書きたい気持ちは山々だが体力的には限界だ。
更新したプレイリストは冒頭のサブブログのリンクからも辿れるので、この記事の最後は自分の音楽で締めくくる。活動初期に古い楽器で演奏しているので音質には若干問題はあるが、この作品は私自身の葬儀を棺の中から見上げている時の風景を音楽にした一曲だ。
 

尖がって生きる (例えばDJ. Hiroko Yamamuraのように)

DJ. Hiroko Yamamura

2025年1月18日 早朝。私のメインのXのアカウントがいきなり制御不能になりました。アカウント復活を祈る思いで何度か異議申し立てをしていますが、おそらく今後の復活は厳しいかもしれません。
アカウント凍結の当初の理由は『偽装行為によりAIが自動的にアカウントを凍結した』と言うものでしたが、全く身に覚えがありません。その後Topページの表示が変わり、『厳正な審査の結果‥ 云々』と言うメッセージに変化。

正直少し凹んだことは事実でしたが、その後私が『隣国の或る団体』の標的にされていた (私のアカウントを通報するよう呼び掛けていた) 事等を知り、私のような尖がった人間はSNSの枠を必然的にはみ出してしまうのだと気付かされました。
 

普段はとても穏やかな音楽を生み出している私 Didier Merah (ディディエ・メラ) ですが、外装と内面はかなり異なります。
それもそのはず、そもそもがリラ星最後の巫女 (シャーマンとも言う) だったわけですから、普通である筈がありません。その記憶と複数の転生の経験の蓄積を現世に持ち越していれば、一般的な『普通の人』のそれと私の『普通』の概念に差があっても致し方ないでしょう。
 

実はひっそりと、世界の音楽のデータベースのようなブログを立ち上げました。
題して『ディディエ・メラの音楽倉庫』。
 

 
世界中の音楽をここ一カ所に集めて行く為の、いわば音楽のAmazonのようなルームです。
Xのアカウント凍結が切っ掛けでそれまでXで行っていた『世界の音楽』の新譜紹介が出来なくなったので、‥だったら人と関わらなくても済む自由空間をweb上に立ち上げようと思い立ち、現在音楽を粛々と集めている最中です。
 

 
さて話をDJ. Hiroko Yamamura に戻して。
現在以下のトラックをリスニング中🎧
 


上の動画はDJ会場の記録とは違うみたいですが、選曲を聴くとDJ名がなくてもHiroko Yamamuraのセレクトだと分かります。
いわゆるテクノ、或いはアッパーテクノと呼ばれる楽曲が静かにグラデーションしながら繋がって行く構成ですが、これが意外に私の癒しになっています。
 
私自身が生み出す音楽とはまさに180度違う経路のジャンルですが、それが良い。展開が読めないところがツボで、Hiroko Yamamuraの脳内を旅しているような一種のトランス感覚が心地好いのですよ。

Hiroko氏の選曲は一見ガツガツに攻めているように見えますが、実は手堅さも感じ取れます。楽曲のつなぎ目にクセがあり、一旦低音を抜きながら次の曲へ、次の曲へと楽曲が移って行くあたり、めちゃめちゃ好きです。
でも全体を繋ぐと「かなり攻めた作り」になっていて、それが一定時間のリスニングを超えたところでほぼ音楽から環境自体に定着して行く辺りは、まさにHirokoマジックと言っても過言ではないです。
 

真に尖がって生きている人って、実は手堅く足元を固めているものです。だからちょっとやそっとじゃ崩れ落ちない。
確かにメンタルの落ち込みが激しい日もありますが、それは単純に「にわか雨」みたいなものだと分かっているから、兎に角やり過ごす方法を心得ている。
私もそういう生き方を突き進んで行きたいと、最近思っています。
 

いい人、優しい人はこの際返上します。


あなた方の前に居る私は、もはや昔とは別人だと思って下さい。黒は黒、白には引っくり返さない。黒は黒と言い、闇を暴いて生きて行く所存です。
但しモラルや法の観点も捨てません。その上で、言葉や思考の刃物の先端をさらに磨き込んで行きたいと思います⚔️
 

 

関連記事:

還暦 (60 ans), 私と『Mother』

2024年11月3日、私は還暦を迎えた。単語に書いてしまえば何とも呆気ない二文字だが、とても孤独でエキセントリックで、尚且つ少し苛々するような不思議な感覚を覚えている。
誕生日付近に旅行を計画し某所に向かったが、案の定私の雨オンナパワーが炸裂した。三泊四日の旅に出たものの中二日目で滝のような大雨に見舞われ、室内で滝の音を聴きながら過ごすことと相成ったが、私たち夫婦はそれでも一向に構わなかった。
 
滝のような雨音は音楽だった。自然音と言う最高の恵みに鼓膜はむしろ癒され、少し疲れた心身を温泉に浸して空を見上げるだけの何ってことのない時間はただただ至福のひと時だった。
 

50代最後の年、私は神々に多くのミッションを授かることとなった。元・人の神も在ればそうではない、宇宙自然神のような存在も在る。各々の神々が私に少しだけハードルの高い課題を提示して来たが、それが私の得意分野ならばただ続けて行けば良いだけだ。
リラ星の頃から、自然神と音楽は私の最高の友だった。今でもそれは何一つ変わらないのだから、後は私の魂や霊体にその旨を余すところなく刻印し、私の死後に神々にそれを手渡すだけだ。
 
気付けばブログも前回の更新から三か月近くが経過した。幸いなことに私がここを留守にしている間にも沢山の来訪者があり、何かしらの記事を捲って読んでいる。それが好意か悪意かなんてことはこの際どうでもいいことだ。
私の部屋を訪ねて来た人たちには各々それなりの理由や動機がある。ただそれだけのことだから。
 

 
ブログの更新が空いてしまった唯一の理由を挙げるとしたら、私に話せることに制約が増えてしまったことだろう。
人や神々との繋がり全てに於いて、私はMAXレベルの秘密主義者だ。それもこれも仕方のないことで、かつてジャンヌダルクとして生きた時代を含め記憶にある中で私は二度、火炙りで死んでいる。もう火炙りは懲り懲りだ(笑)。
ダークサイドは私の食、財布、生命導線のありとあらゆるところを狙って突いて来るから、私は多くを隠して行動しなければならない。幸いなことに夫が召喚してくれた心優しきガーディアンズたちも頑張ってくれるので、こうして何とか無事に還暦を迎えることが出来た。
 
心優しき夫にも、ただただ感謝の一念しかない。
 

書きたいことが山のようにあるにはあるが、いざ書き始めたらおそらく一冊分の本になるだろう。それだけ私のこの10年は余りに濃厚だった。だからと言って「濃厚だ、濃厚だ」と言えばただの安っぽい嫌味みたくなり兼ねないので、無数の思いを霊体に封印した。
 

人として色々な心配事も絶えないが、その内容さえもここには書けないのがもどかしい。相手もあることが大半なので、これも又致し方ないと諦める。
 

 
音楽のみならずスピリチュアルなことその他に於いては、実は随時追跡や調査を続けている。
声高に「不思議だ不思議だ」と言われることの大半が、私にとっては然程不思議でも何でもない実に他愛のない出来事だったりする。
 

いずれ地球の半分以上が廃墟となること。
いずれヨーロッパの大地の一部が水没したり、人が消えていなくなったりすること。
いずれ地球の公式言語の一つが日本語になること。
霊質文明の最初の樹立が地球時間で数百年後に控えていること。

 
知っていることは他にも多々あるが、現在の「有名人にしか関心を寄せない考えの人々が主流」の地球上で預言の全貌を明かすには未だ早過ぎる。
リラ星の時代から23万年以上が経過したが、地球もプレアデス星も或いは双方の関係性も余り変わっていない。リラ星人とて一枚岩ではないわけだから、善人と悪人の両方が混然一体と共存する。当然虚偽もまん延して行くが、私一人の預言の力でそれを止めることなど出来ないし、止める必要もなさそうだ。
その前に地球が一度空っぽになるから。
 

空っぽの世界に残り続ける残響のような音楽を、私はどの世界に在ってもせっせと放ち続けて行くのみだ。その目的の為に私は日々神々や自然神、精霊たちと対話を続けており、その過程で地球や宇宙の未来の一部をそっと覗かせて頂き、それを預言として音楽の中に封印して解き放っている。
人の為の音楽ではなく、もっとそれ以外の目的を持つ音楽だから、人々の琴線に刺さらなくても余り心配はしていない。それより何より私は、自身の中の『Mother (マザー)』の存在を今は大切にしたいと思って生きている。
 

桜と私

暫く体調を壊して休養していました。
その間に世の中が粛々と変化して行く様を、寝室の中で感じながら悶々としていました。
通りをひっきりなしに疾走する救急車の数が日増しに増えるその度に、世界から一つまた一つと消えそうな命の叫びが聴こえるようで、胸が痛みます。
 

ずっと桜の季節が嫌いでした。それは毒親の影響が大きいのでしょう。
毎年お花見とは名ばかりのイベントが計画され、その時その前日になる度に私は母親の不当な暴力を受けました。
目や腕の皮膚を母親の握り拳が激しく殴打し続け、お花見当日の朝になる度に私は全身痣だらけになりました。当然そんな姿でお花見など行ける筈もなく、否応なく私は留守番をすることに‥。
それが私以外の三人の家族にとって、ベストな状態だったのです。
 
毎年そんな状況が続き、私は最初から家族の中に存在しなかったように私以外の家族三人が、何食わぬ顔でお花見を楽しんで帰って来ます。
千円程度のお金がテーブルの上に置かれ、それで何か食べてね‥ とにこやかな顔で母に言われ、マクドナルドでハンバーガーセットを買ったり松屋で牛めしを買って、家で一人で食べました。
 
私は家族の中で、最初から存在を許されない人でした。
 
 

 
そもそも大のカメラ好きだった父の趣味を奪うように、私が家を出る頃になると母は (本来ならばそんなお金など無い筈なのに) どこかからか資金を捻出して高額のカメラを買い始めたことを、今でも覚えています。
特に桜が好きと言うわけでもないのに、このシーズンになると母は井の頭公園に行っては桜を撮って楽しんでいました。そしてマウントするのです、私や父に対して。
母は人に「先生」とか「アーティスト」等と呼ばれたかったのではなかったかと、今になるとそう感じるのです。
 
私が大学を卒業し24歳で家を出る頃には、すっかり桜が嫌いになりました。桜と母の虐待が記憶の中でセットになり、私を苦しめるからでした。
そんな私が今では大の桜好きに変貌し、それもこれも最愛の夫のお陰だと感謝しています。
 

2022年に前の家から転居し、それまで一人で桜を撮っていた隠れスポットを離れてしまったので、去年は殆ど桜の写真を撮ることが出来ず今年。
掲載している写真の桜は各々とても細く花付きもそれほど豊かではないのですが、構図次第では大木の桜の樹のようにも見せることが出来るところがカメラの不思議なトリックです。
上達したのは私の腕ではなくて、スマートフォンのカメラの性能(笑)。文明の利器を利用しない手はありません。
 
 

 
昨年実家を売却する際に遺品の整理をし、その最中に母が撮った花の写真を大量に見つけましたが、どの写真も焦点のぼやけたものばかり。写真と呼ぶに相応しくないものでした。
結局全部処分しました。
忌わしい記憶や思い出と完全に決別しなければ一歩も前進出来ないと思い、母自身が写っている写真も殆ど処分しました。でも、だからと言って私の中に在る辛い記憶と決別出来るかと言われたらそうではなくて、私の中には未だ両親や弟からの虐待や嫌がらせの記憶が息づいているのが苦しいです。
 
四方八方が敵だらけだった私の半生。
夫に「私は間違っているのかな?」と訊ねてみたのですが、彼は頑として「一つも間違ってないよ。」と言います。それは恐らく彼の本心であり、真実だと私も確信しています。
 
私がこのブログで、亡くなった弟の奥方 (Eri Y.さん) を含め親族の過ちについて綴り始めると、すぐさま Eri Y.さんの知人を名乗る誰かしらからInstagramにメールが寄せられました。その人物は私に、自分は知っているけれど私が知らない多くのことがある‥ と告げて来ましたが、実家の真実の最も近くに居たのは私であると言う確信は物理的な証拠として手元に今も在ります。
家族も親族も、私に知られては困る何かを私に探られることを懸念したから、私を実家から早々に追い出し一歩たりとも実家に近づけさせぬようにして、徹底的に親族の輪から排除したのでしょう。
 
 

 
上記の書類も、その証拠の一つと言えます。
 
今このタイミングでこのメモを読むと、母の話していた「家にはお金がないのよ。」と言う口癖が全くの嘘であることは明白です。
ですが母はどういう訳か清貧思想を深く心に持っていて、音楽高校に進学した私が経済的には豊かではない人を友人に持つように仕向けられました。それが私はたまらなく嫌で仕方がなかったので、その頃から私は親に内緒の収入を得る為にレコード会社にデモテープを持ち込むようになりました。
その夢さえも折に触れ母は妨害し、当時爆発的に売れた「爆風スランプ」のディレクターに無理矢理私を会わせましたが、感性の合わない人とは上手くやって行ける筈がありません。
 
[ 中略 ]
 

私は「暴きの星」を持っています。多くの虚偽が私を捉え、虚偽の側からそれを私にを暴いて欲しいと嘆く時、私の「暴きの星」が疼きます。
遠い過去世で私はジャンヌ・ダルクとして生きました。最終的にジャンヌは異端審問にかけられ、火あぶりの刑に処せられて最期を迎えています。その時周囲はほぼ敵だらけだったと記憶しています。
でもそんな中にも時折影の助っ人が現れ、彼等は自身が私の助っ人だとはバレないように私を何度も助けてくれました。
 

色々な記憶が渦巻き、それが自分の過去世だと分かるまでには数十年の月日を要しました。そして私自身を知る旅は困難を極めましたが、現在の夫が私を私自身に引き合わせてくれたのだと思っています。
 
今年はそう遠くない場所の桜のスポットでお花見を二人で楽しんで来ましたけど、いつかもう少し田舎に出向いて桜のシーズンを満喫したいと思っています。
 
桜と言えば、私の中では「木花咲耶」を連想します。何故かは分からないのですが、今日のお花見の最中も天界からずっと私たち夫婦を見守っていて下さいました。そして天照大神も‥。
自然神と大の仲良しの私は、日々の折々で彼等にとても救われているように感じます。
 
穏やかな日々がこれからも続きますように。そう祈らずには居られません。
 
 

Christmas 2023′ (ジャンヌ・ダルクから今の私まで)

2021年12月26日を起点とすると、怒涛のような2年間が経過したように感じます。
私がかつてジャンヌ・ダルクとして生きた時、私の周囲の人々の大半が敵でした。火あぶりになる私を微笑みながら見つめていた人々の顔を私も又、見返していたように記憶しています。
その中の人々の多くが転生を繰り返し、私の実母も実父も弟も「敵」側の人たちの生まれ変わりだったと感じます。
 
世界の全てが敵ならば、どんなに心からの救いや平穏を求めても味方が現れなかった、この半生にも納得が行きます。
過去の記憶はそのまま魂に引き継がれますから、私が現世に於いても孤独である理由にも整合性が見て取れます。
 
 

 
2023年、クリスマス。
世界は光と闇に分断しているように見えますが、光のある所には同時に闇も存在します。「光だけ、闇だけのどちらか片方の世界だけが在ることの方が不可能である」‥ とは、宇宙のクリエイションからのメッセージ。
常に両者は共存する、それが宇宙の法則です。
 
争いを起こすのは常に闇の分子を多く持つエレメントだと言われますが、そうとも言えない場合もあるようです。
だから私は「闇側」「光側」と言う分類を好みません。
 
今日までに私を怪訝に感じた人たちに伝えることがあるとすれば、私が私に至るには様々な人生の変遷を経て来たと言うことです。

私が仮にジャンヌ・ダルクの生まれ変わりであると言う仮説を肯定すれば、私が朱に染まらない理由をきっとご理解頂けると思います。
黒を白と言い替えないのが私であり、悪を(その相手と親しいからと言う理由で)善に引っ繰り返さない。‥それがジャンヌ・ダルクの生き方でした。
 

‥ジャンヌ・ダルク時代の多くの魂たちがどっちみち私と関係性を当時とは全く変えたがらないのであれば、私は私の生き方を貫くのみです。
当時と異なることがあるとすれば、それは現・夫と出会ったことでしょう。
夫はそもそも人/ 属性の魂ではないので、むしろ私の人間性や霊性を客観的に理解してくれますし、私が何故こうなるのかと言う理由についても理詰めで熟知しているように感じます。
 
勿論人間と言う温かい皮膚を持つ友人が欲しくないと言うわけではないですが、それは私が妥協や癒着等と言うだらしのない価値観を許容したり、‥特に親しい人が悪人であっても「善人だ」と価値観を引っ繰り返さなければ永遠に難しいのかもしれません。
魂を悪魔に売り渡すことは、私はこの先永遠に無いでしょう。それはこの先、私のようなタイプの後輩が苦しまないように私がバイブルとなることで、少しでも歴史に貢献出来ればと言うささやかな祈りにも通じていますので。
 
何も悪いことをしていないのに「悪人だ」「嘘吐きだ」と言われた私の苦しみを私は、やり返すのではなくもっと別の方法で返して行くべきだと感じているので。
 
 

 
‥これでも私は社会性を手放してはいません。
むしろ中途半端に社会性を身につけてしまったことで、誤解が生じているのかもしれません。
なので最近はみだりに人と関わらないよう、人と親しくならないよう細心の注意を払いながら生きています。
 
2023年12月24日。
この記事を読まれている皆様にこの曲を贈ります🎄
 
 

 

近況報告

このところブログの更新が少し止まっているが、私は至って元気である‥ と言えるような、言えないような‥。
諸々あるが、近況の一部を以下に列挙しておく。
 

  1. 身近な友人知人の急な体調不良や訃報が増えているので、メンタルが落ち込んでいる。
  2. Twitterでの発信力を高める為に、特に今年は「相互フォロー」でFFの拡張に注力して行きたい。
  3. 音楽評論家「花島ダリア」の活動の認知度を高めるべく、noteとブログ「花島ダリアの音楽評論」の更新頻度を上げている。

花島ダリアの音楽評論: https://dahliahanashima.wordpress.com/

 
他にも色々やるべき事はあるが、当面はこの優先順位で行動が制限されそうだ。
 

それにしても特に今年に入ってから、私は度々のシェディングに悩まされている。
特に私は胃腸が余りタフではないので、拾って来てしまったスパイクタンパクの粒子がそこを攻めて来るので、外食のお約束は余りしないよう努めている。

今日も胃腸はガタガタである。だからと言って空腹にならないわけではないので、遠慮がちに、用心しながらぼそぼそと食事は摂っている。
 

 
墓じまいから家じまい(売却含む)を済ませ、ずっと手つかずだった旧宅の清掃にそろそろ入らなければいけないのだが、恐らく次の更新のタイミングには間に合わないだろう。
なので更新料を支払って、旧宅の家じまいはゆっくりと進めて行くことにした。

その間、少しばかり得たもので資産運用を試みながら、若干でも増やせたら良いと思って毎日日経平均株価のサイトには必ず足を運ぶようになった。
2年前までの自分とは、今は全く違う生き物みたいに美味しいフランス料理を頻繁に食べて、そして100グラム18,000円もするシャトーブリアンを提供してくれる肉料理店にも月一程度通ったりしながら命を温存させている。
 

 
虫は食べない。魚も産地を選んで食べている。
水は絶対ミネラルウォーターで、最近は大好きだった炭酸水から心も体も離れて日々リンゴジュースだけは欠かさない。
コーヒーや紅茶などの飲み過ぎにも注意し、ティータイムの1/3を健康茶ないしは野草茶に代えて飲んでいる。
 
本当に何もかもが様変わりした我が家だが、それでもどこかしらに慎ましさを残しながら少しだけ華やかな物を足して新居をじっくり作り上げている。
欲しかったWedgwoodのマグカップも先日違うバージョンを足したところだ。プレートや茶器を変えるだけで、気持ちも上がる。
 
創作活動や日々の著述の質も俄然向上したし、これまでの57年間の私の人生や前途が毒親・毒家族毒親族たちに妨害され続けていたことを今さらながら痛感している。

ようやく得られた等身大の自分や暮らしを先ずは大切にしつつ、これまで散々苦労を掛けて来っぱなしだった夫にもゆったりと寛ぎながら日々を穏やかに過ごして欲しいと願っている。
 

メモ書き、ラフ書きのスタイルであればDidier Merahと花島ダリアの両方のTwitterアカウントからの発信も日々続けているので、両者の日常を覗きたい方は是非そちらにも目を向けて頂ければありがたい。
 
拙いながらもフラワーアレンジメントも亜流で磨きを掛けているので、そんな他愛ない日常の断片も発信している。
 

 

2022年10月7日 ツイートのまとめ

久々に恩師・三善晃氏にまつわるツイートや、私の過去世の断片を綴ったツイートが連発しました。
記録がてら、この記事に一旦まとめておきます。