[Coisas da Paixão (ブラジルの情熱)] feat. Leila Pinheiro by TOYONO

ブラジル系シンガーソングライター・ボーカリスト、音楽プロデューサーのTOYONOが、ご本家のSSW/Leila Pinheiro(レイラ・ピニェイロ)をフューチャーして放った新譜「Coisas da Paixão (ブラジルの情熱)」が美しい。
 

 
丁度私自身が現在音楽の仕事を遠く離れて短歌や川柳を詠み始めたところ、ふと「Saudade / サウダージ」に心を留めていた時期とも重なり、だからこそ響き合う心の弦が際限なく震える。
 

 
PVではTOYONOとレイラ・ピニェイロがそれぞれ単独で映し出され、その合間をブラジルの至るところの風景が包み込んで行く。
TOYONOとレイラが二人同時に絡む箇所は見当たらず、両者が音楽と言うたった一本の美しくも細い線だけで繋がっていることがよく分かる。
 
個人的な話にはなるが私自身、かなり長い期間多くのブラジル音楽の歌手や楽器奏者たちと絡んで来た。その多くがブラジル音楽のリズムやビートを強く意識し過ぎる余りに旋律や音節を小刻みに切って再現している為、音楽本来の輪郭が全く掴めない二次創作の劣化版へと転がり落ちていた。なのでこれまで、和製が絡むブラジル音楽を極力聴かないようにしていた。だって苛々するだけだから‥(笑)。
そんな、日本人が歌うブラジル音楽をこれまでどこか馬鹿にしていた私をこの一曲がビシーー!っと正してくれた。
 
むしろTOYONOの表現はリズムを殆ど意識せず、かつ日本人独特の「平たい顔族」の声質を持った文字通り平たい歌唱表現に徹しているように見えるが、それがかえってブラジル音楽の「サウダージ」に深く絡みついて行き、聴いていて言いようのないスリルを感じる。
日本でもサンパウロでもない、一体ここは何処なのかと言うある種のスリルが全身を通り抜け、その先に悲嘆ではなくむしろ希望のサウダージの感覚だけが澄んで広がって行く。
 

TOYONOの過去のアルバム「黒髪のサンバ」がSpotifyのオススメに上がって来たので、そちらも聴いてみるとこれがなかなか面白い解釈が為されており、後日もう少しゆっくりと全曲を通して聴かなければいけないと思っている。
この記事では先ず、「garota de ipanema(イパネマの娘)」のYouTubeのリンクを貼っておく。
 

 
コード・プログレッションが実に絶妙で、通常この曲の冒頭のメロディーはルートに対して「9」の音で突いて行くところを、マイナー・トニック (C#マイナー)をギターに打たせて「4」(F#)を旋律で噛ませて来る辺りに、絶妙なセンスの良さを感じる。
ギタリスト等のラインナップを調べてみたいので、此方は後日CDを購入してみようと思っている。うっかりここで何か私が余計なことを口走って、その相手が知り合いのギタリストだったりすると何かと後が面倒になるので(笑)、ゆっくり取材をしてからあらためて記事をしたためたいと思う。
 
さて、この種の記事は通常サブブログにしている「ディディエ・メラの音楽倉庫」の方にアップしているが、あちらはどちらかと言うとヒューマニティーを嚙ませないただの音楽評論ブログに特化している為、今回はそれとは若干内容の質が異なる為此方のメインブログから放つことにした。
 
この記事の最後に、記事のタイトル通りの楽曲(Spotify/YouTube)のリンクを貼っておく。
 
最近私は歌人及び川柳家/俳柳家として20代以来の執筆の忙しさで脳が沸騰しそうな日々を送っており、当面音楽の作業は止まりそうである。目指すからには自身の上限を目指したいので、日々読書と作歌/作句~出詠/投句に追われまくっている。
(詳細はBluesky及びXの「七澤銀河」のアカウントをご参照あれ。)

Bluesky: https://bsky.app/profile/ginga-nanasawa.bsky.social
X: https://x.com/Ginga_Nanasawa
(メインのSNSはBlueskyにて。)
 

 

ブラジルから風が吹く – “Boca Cheia De Frutas” by João Bosco

ブラジルから御年77歳の新譜が届く。João Boscoのニューアルバム “Boca Cheia De Frutas” を、私にしては珍しく全編聴いている。
 
楽曲も編曲も申し分ないが、気になるのはヴォーカルのリミックス。バックの楽器の音質 (加工処理やエフェクト等) が良いだけに、声のホワイトノイズとモノラル感が酷く気になって所々音楽に集中出来なくなるが、これは仕様なのだろうか‥。

特にM-4: “E Aí?” 辺りのヴォーカルが、異様にモノラルに聴こえて仕方がないのだが。

一方でM-8: “Sobretom” にはヴォーカルが無い分音質がまとまっているので、音楽に没入出来る。

M-10: “O Cio Da Terra” の前半の声の低音部分は、ちょっと面白い。だがやはり年齢の事情なのか、声質がしゃがれたカラスみたいなので鼓膜にシャリシャリ刺さって来て途中音量を下げないと (私の超聴力だと) 聴けないのが難点だ。

(※若干音程が悪く聴こえるが、これも仕様だろうか?)
 

 
言い方は悪いかもしれないが、ありきたりなブラジル音楽はあまり好きではない。このアルバムもうっかりすると “ありきたりなブラジル音楽” に聴こえるが、随所に散りばめられた甘口ショーロがぎりぎりのところで “ありきたり” を回避してくれる。
やはり作り手自らが表現するブラジル音楽の威力はハンパない。
 
日本に居るとどうしても借り物のブラジル音楽に接する事の方が多いので、段々とブラジル音楽を嫌いになって行く。だが、偽物や借り物を聴いて音楽の本質を見失っている場合ではない。そんなのは私らしくもないしね。
 

冒頭の “Dandara” はどこか、Dori Caymmi のヴォーカリーズや彼が生み出すメロディーラインにも通ずる底の見えない悲しみを彷彿とさせるし、さらにグっと来たのがM-7: “Buraco” の、優しく甘いメロディー & コードだ。
ご本人の音程の悪さは一旦棚上げした上で、心を無にしてアルバム全編をもう一度聴き直してみようと思う。