発想の転換 [NewJeans(뉴진스) – Ditto / Plastic Love (Citypop ver.)]

これは恐らく二次創作にカテゴライズされる代物かもしれない‥ としても、その中でも面白いことを考える人が居るものだ。

バッキング(伴奏)は竹内まりやの「Plastic Love」のKeyチェンジされたオケ、ヴォーカルのラインがNewJeansの「Ditto」
何とも荒業なのに、これが妙にマッチするのはひとえに「Ditto」のメロディーが頑丈に出来ているからだろう。
 
「Ditto」と言えばさっき、偶然ではあるがBoysチームのダンスカバーの動画を見つけた。
動画配信者であるチームのTKBzを少し調べてみたが、詳しい情報を探し出せなかった。
 

 
男性が女性のモノマネをする時、往々にして女性的な仕草の部分だけを若干長めのTimeとオーバーアクションに転じることが多いが、彼等TKBzや最近私が推しているおじさんチームのODOOJIもそこをキュートな笑顔と手の「にゃん‥」ポーズ等で小気味好い表現に抑え込んでいる辺り、両者一歩も引けを取らないクオリティーだ。

言うなればこれは現代人の感性の兆候として、段々と感覚(感性)の男女差が縮まって来た現象の一つと言えるかもしれない。
 

 
このところ音楽紹介や音楽評論の発信が上手く出来ていないと感じているが、その要因の一つとして、特に2020年の秋以降世界の良質な新譜が激減していることが挙げられる。

それまでの過熱気味の配信が新型コロナウィルスに端を発するパンデミックや、各地で勃発したコロナ規制等の要因で、それまでコンスタントに活動していたアーティストやミュージシャン及びバンドやユニットの活動にも同時に制限が生じたからだろう。
世界各国で楽曲やダンスのカバー動画が増えた要因も、恐らくこの辺りにありそうだ。

自らものを考え生み出す思考サイクルが、私も含めこの数年間で圧倒的にかき乱された感が拭えない。
‥ならば手っ取り早く誰かが作った作品をカバーして、それをアーティスト等が生存証明代わりに代用したとしてもそれはそれで文句は言えない‥。

大のカンツォーネ好き、Dub好きの私が特に昨年初頭から良質な新曲に出会えなくなり、最近ではもっぱらNewJeans周辺の動向調査に集中している私‥。
先週も今週も、そもそも好きだったイタリア~スペイン周辺からの新譜は皆無だ。

その代りにアジア周辺が賑やかだ。
 

 
世界中が春を探し求めている、2023年。
だが、良かった頃の春はもう二度と訪れないだろう‥。

コロナが全てを変えたのではなく、そこに至るまでの人類総勢のアクティビティーに要因が潜んでいる。
私たち人類は、やりたいようにやり過ぎたのだ。だから大気が汚れ、多くの木々が伐採され、それにともない地球全体の環境のバランスが大きく乱れ、水温は上昇し四季のサイクルが壊れてしまった。

昔のような四季を再び取り戻すには、行動と祈りの両方の側面から調整を進めて行かなければならないだろう。
この両輪が揃わなければ恐らく、地球は自らの意思で破滅の未来へと進んで行く。誰かが何とかしてくれる‥のではなく、各々が自分の意思で地球の意識と向き合って対話をしながら、地球のモチベーションを再度向上させる為の手助けをする必要がある。

その為には静かな音楽、静かな時間、澄んだ空気を地球上のテクノロジーの力を借りながら創造~リサイクルし、昔の人類が地球の環境に深く励まされ癒されたように、次は人類がその逆の作用を地球の意識に向けて発信しなければならない。

さて、この記事の最後に、タイトルチューンのNewJeans(뉴진스) – Ditto x Plastic Love (Citypop ver.)の動画を貼っておく。
これはあくまで「発想の転換」とでも言うべき、人や意識の繋がりを疑似的に言い表すように、2つの楽曲を組み合わせて音源をリサイクルしている一つの例と言えるだろう。

視方を変えると非常に暗示めいた‥ とでも言うべき内容で、同じ借り物同じ二次創作でも、こういうやり方があるのだなぁと勉強させられる。

80年代の日本のシティポップと現代の若きK-POPのニューフィエイスとの、香しい遭遇とでも言うべきハイブリッド・ミュージックである。
 

 
追記:
上記の動画NewJeans(뉴진스) – Ditto x Plastic Love (Citypop ver.)を配信しているYeguguが、何と同曲を自身でカバーしている動画が配信されていた。
その空気感がとても軽やかで、何より音楽を心から楽しんでいる表情と飾り気のない歌声に好感度Max。

そちらもここに貼っておくので、是非お楽しみ頂きたい。
 

私が伴奏を辞めた理由 2. – 原曲との対峙

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2011年の11月の第三水曜日。私が歌の伴奏から完全撤収することを決意した日なので、私はその日のことを今も忘れることが出来ない。
ふとしたことが切っ掛けで、それまで私がなるべく見ないようにして来たもの、触れないようにして来たこと、そのことに対する配慮などが一切合切抜け落ちた瞬間、私は自分がもうこれ以上この世界に居るべきではないことを悟った。

 

歌舞伎の場合では「黒子」とか黒装束を来た「お弟子さん」にあたるのが、和製シャンソン業界の伴奏者だとするならば、私は余りにもぞんざいな扱いに甘んじ過ぎていたことをあの瞬間に気付いたのかもしれない。
本来音楽の中に歌やトップ奏者が居る場合、勿論トップ奏者が花形であることには変わりないとしてもそれはあくまで音楽の中の立ち位置の問題であると私は思って居る。
なので私は常に2トップの立ち位置に留意し、仮にそれを歌手が望んで居なかったとしても私自身の仕事としてそのスタンスを日々まっとうして来た。

 

伴奏や伴奏者は黒子でも何でもなく、歴とした音楽の主役であるべきだ。

私はずっとそのことだけを考えて、23年余の伴奏生活を継続し、2011年の11月の第三水曜日のカンツォーネの伴奏を最後に和製舶来コピー音楽業界をそっと立ち去った。

 

 

当時を振り返る度に思うことは、多くの歌手が楽器編成が変化した時にも原曲の呪縛から逃れられないと言う、ある種の歌手としての致命傷の数々…。

 

原曲がドラムやベース、リズムセクションの多いポップスだったとしても、それを別のセッティングで再現する時、その現場の状況によっては原曲のようには楽曲の再現が出来ないと言う可能性について、多くの歌手があまりに無理解で無知だった。

 

私は演奏家でもあり編曲家でもあるので、その素材が演奏する楽器によってどのように変化させて行くべきかを歌手よりもずっと深く知って居た。なので色々な提案を仕掛けて行くが、多くの場合は歌手の「原曲通りに…」と言う最も無謀な要求を呑まざるを得なかった。

それがLiveであれば当然のように楽曲はぐっちゃぐちゃになる。だが歌手の脳内では原曲のイメージが妄想プレイバックされているから、もうその段階で伴奏者や伴奏者が奏でる世界観や哲学など介在する余地すら残って居ないことが大半だった。

 

仮に原曲がハードなロック調で表現されていたとしても、それが一本のピアノ伴奏に変化すればロックではなくバラードに…。音楽は常に流動的であり、Live演奏であればその時々の環境に最もフィットしたジャンルやリズムを選択することが望ましいが、23年余の伴奏活動の中でそれが出来たのは両手に数えられる程しかなかった。

特に「小屋」と呼ばれる小さなライブハウスやシャンソニエに設置されたピアノは、メンテナンスが最悪だった。

調律の施されていない、場合によっては店内で出されるフードを調理する際に湧き出る油の粒子で楽器の状態が完全に変質している、そんな状況下でも私はまるでそのピアノがスタンウェイのフルコンであるかのように魔法をかけながら、極めて扱いの好くない伴奏者と言う一個のキャラクターを23年余もの間演じ続けて来たのかもしれない。

 

━ 『私が伴奏を辞めた理由 3.』 に続く。