私が伴奏を辞めた理由 2. – 原曲との対峙

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2011年の11月の第三水曜日。私が歌の伴奏から完全撤収することを決意した日なので、私はその日のことを今も忘れることが出来ない。
ふとしたことが切っ掛けで、それまで私がなるべく見ないようにして来たもの、触れないようにして来たこと、そのことに対する配慮などが一切合切抜け落ちた瞬間、私は自分がもうこれ以上この世界に居るべきではないことを悟った。

 

歌舞伎の場合では「黒子」とか黒装束を来た「お弟子さん」にあたるのが、和製シャンソン業界の伴奏者だとするならば、私は余りにもぞんざいな扱いに甘んじ過ぎていたことをあの瞬間に気付いたのかもしれない。
本来音楽の中に歌やトップ奏者が居る場合、勿論トップ奏者が花形であることには変わりないとしてもそれはあくまで音楽の中の立ち位置の問題であると私は思って居る。
なので私は常に2トップの立ち位置に留意し、仮にそれを歌手が望んで居なかったとしても私自身の仕事としてそのスタンスを日々まっとうして来た。

 

伴奏や伴奏者は黒子でも何でもなく、歴とした音楽の主役であるべきだ。

私はずっとそのことだけを考えて、23年余の伴奏生活を継続し、2011年の11月の第三水曜日のカンツォーネの伴奏を最後に和製舶来コピー音楽業界をそっと立ち去った。

 

 

当時を振り返る度に思うことは、多くの歌手が楽器編成が変化した時にも原曲の呪縛から逃れられないと言う、ある種の歌手としての致命傷の数々…。

 

原曲がドラムやベース、リズムセクションの多いポップスだったとしても、それを別のセッティングで再現する時、その現場の状況によっては原曲のようには楽曲の再現が出来ないと言う可能性について、多くの歌手があまりに無理解で無知だった。

 

私は演奏家でもあり編曲家でもあるので、その素材が演奏する楽器によってどのように変化させて行くべきかを歌手よりもずっと深く知って居た。なので色々な提案を仕掛けて行くが、多くの場合は歌手の「原曲通りに…」と言う最も無謀な要求を呑まざるを得なかった。

それがLiveであれば当然のように楽曲はぐっちゃぐちゃになる。だが歌手の脳内では原曲のイメージが妄想プレイバックされているから、もうその段階で伴奏者や伴奏者が奏でる世界観や哲学など介在する余地すら残って居ないことが大半だった。

 

仮に原曲がハードなロック調で表現されていたとしても、それが一本のピアノ伴奏に変化すればロックではなくバラードに…。音楽は常に流動的であり、Live演奏であればその時々の環境に最もフィットしたジャンルやリズムを選択することが望ましいが、23年余の伴奏活動の中でそれが出来たのは両手に数えられる程しかなかった。

特に「小屋」と呼ばれる小さなライブハウスやシャンソニエに設置されたピアノは、メンテナンスが最悪だった。

調律の施されていない、場合によっては店内で出されるフードを調理する際に湧き出る油の粒子で楽器の状態が完全に変質している、そんな状況下でも私はまるでそのピアノがスタンウェイのフルコンであるかのように魔法をかけながら、極めて扱いの好くない伴奏者と言う一個のキャラクターを23年余もの間演じ続けて来たのかもしれない。

 

━ 『私が伴奏を辞めた理由 3.』 に続く。