新しい距離感

あれから優しく穏やかで、実は険しい時間が流れている。毎朝届いていた『ヒミ』からのメールはもう、三日間届いていない。間に知人が三人挟まっているので、彼等からは間接的に様子を伝え聞くものの、私と『ヒミ』との沈黙の時は今も続いている。
それでも私の日々は冷淡に過ぎて行き、私も緊張で心身が少し疲れているので昨日は半日休養した。
 

宇宙からのシグナルを受信したかと思えば過去世はリラ星時代の家族の生まれ変わりに遭遇したり、このところ色々と目まぐるしい。
私が気をつけるべきことがあるとすれば、どれだけ魂の近い過去世の家族と遭遇したとしても、ある一定の距離以上にはその相手に接近してはいけないと言うこと。
 
 
Since then, things have been gentle and calm, but in reality, times have been rough for us. The email from “Himi” (her younger sister who was a shrine maiden during the Lyra era) that she received every morning has not arrived for three days.
There are three acquaintances in between me, so although I can indirectly tell them about the situation, the silence between me and Himi has been continued.
Still, my days passed by indifferently, and I was feeling a little tired both mentally and physically, so I took a half-day rest yesterday.
 

Lately, things have been hectic, such as receiving a signal from space and then encountering the reincarnation of a family from the Lyra era in my past life.
If there is one thing I should be careful about, no matter how close I am to a family member from a past life, I must not approach them any further than a certain distance.
 
 

Clear Blue sea water in ocean with sunbeams

 

昨日よりも今日、今日よりも明日‥。前へ前へ、上へ上へと前進を止めずに居た私の結果が今世で少しずつ実り始めているが、それとは逆に過去世リラ星時代の妹『ヒミ』とは全く音信不通になってしまった。
彼女にとって全ては奇跡で夢、そのままにしておきたかったのだと或る人物を通じて間接的に『ヒミ』の声を聴いた。本当はもっと近づいて抱きしめたい気持ちもあるけれど、このままの距離で居る方がきっとお互いの為かもしれない。
 
私に出来ることは、このまま『ヒミ』の作り出すものを優しく、時に厳しく静観する、それだけかもしれないと思った。
 

昨日は新居の掃除や整理を進めながら、私自身の気持ちも整理して行った。

今世で知った過去世の繋がりの多くを私は失った。
バッハの時代の二番目の妻との出会いは、私が若い頃に実現した。でもその出会いはとてもバッドな要素が重なり合い、その出会いを温めることも成長させることも遂に出来なかった。

忍びの時代に当時の私の首を撥ねた敵方の「忍び」とも再会し、一時期は友人としての再開を期待したがそれも駄目だった。

私が相手に関わることで、どうしても相手の側が壊れてしまう。今回もその兆しが見えたので、今以上彼女を壊さないように私はそっと人生の軌道修正を試みている最中だ。
 
 

Today is better than yesterday, tomorrow is better than today. The results of my continued progress are starting to bear fruit little by little in this life, but on the other hand, I have completely lost contact with my younger sister Himi from my past life when I was on the planet Lila.
She heard Himi’s voice indirectly through a certain person, saying that for her everything was a miracle and a dream, and she wanted to leave it as it was. Actually, I want to get closer and hug you, but maybe it’s better for both of us if we stay this distance.
 
I thought that the only thing I could do was to continue to observe what Himi was creating, both gently and sometimes harshly.
 
Yesterday, while cleaning and organizing my new house, I also sorted out my own feelings.

I lost many of my past life connections on my this life.
My first encounter with Bach’s second wife occurred when I was young on my this life. But that encounter had so many bad elements that I was unable to warm up or grow it.
And then, I was reunited with the enemy “ninja'” who beheaded me during my time as a ninja, and at one point I hoped we would become friends again, but that didn’t work either.

When I get involved with the other person, the other person inevitably breaks down. I saw signs of this happening again this time, so I’m quietly trying to correct the trajectory of her life so as not to destroy her any further.
 
 

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光る魚たちが教えてくれること

【序文】
子供の頃からずっと見続けて来た「光る魚」たちの夢。その夢の彼方に在る記憶の渦が一つ一つ解れて行き、或る現象と検証に辿り着く。これは相手の在ることなので、余り多くを話すことが出来ない。
単なるお伽噺ではないかと言う好奇の目に自分自身を、そして相手を晒すことがあってはならないから。
 
但し私の放つ言葉が魂の妹『ヒミ』を呼び覚まし、逆に『ヒミ』の生み出す美しい映像の数々が私と『ヒミ』を繋ぎ止めてくれるのだとしたらそれは、言葉よりも尊い暗号や記憶として私達の心にもう一つの現実を描いてくれるのではないかと私は信じて止まない。
 
新たにカテゴリー『再会 – 光る魚の夢』を作り、時折ここに唐突に私と魂の妹『ヒミ』のことをそれとなく書き綴るかもしれない。それは常に『光る魚』の夢や記憶と連動しながら揺れ動く記憶や現実と折り重なって行く為、本当に唐突な通り雨のようにここに現れては消えて行く。
 
海の泡のように、そして月夜(実際には月ではない古代の惑星)で満ち潮の真夜中にだけ海面に現れる巨大な古代の魚たちの身体に、暗号のように現れる光の泡の紋様のように私の感覚も時々ここに現れては消え、それを繰り返しながらもう一つの歴史を紡いで行けたら本望だ。

 

Clear Blue sea water in ocean with sunbeams

 

青の世界と『光る魚』の夢の全貌については、未だ誰にも話せない、話したくない、話すべきではない段階。魂の妹『ヒミ』にさえも、全貌は話していない。

昨夜ヒミに音楽の事で質問をされたので全身全霊で回答したら、その後から音信不通になった。
『口は災いのもと』だったとは少しも思わない。

彼女には真実だけを話したいと思ったから尾鰭は鰭は付けずにありのままを述べたのだが、その回答の一言一句を聞いた彼女から『さっきまで同じ夢の中に居た人とは思えない程厳しい意見に凍り付いた。一気に夢から醒めた。』と言われた。
 

或る件以降毎朝毎日のようにメッセンジャーに届いていたヒミからのメールが、今朝以降ぷっつりと途絶えた。ここで終わりなら今世はこれまでだ。でも彼女との魂の繋がりが本物ならば、絶対にここで終わる筈が無い。

15万年ぶりの再会が、そんな薄っぺらい出来事で終わる筈が無い。15万年ぶりの再会を、こんな薄っぺらい出来事で終わらせてはいけない。

15万年もの間空白無言だった私とヒミ。一日二日の音信不通が仮に今後私たちのどちらかがこの世を去るまで続いたとしても、15万年もの間の離れ離れの魂の旅に比べたら何ってことの無い話だろう。私はその間、長い長い間このストイックな魂から突き放されず、突き放さずにここに居る。ここに来れた。

ヒミが再び青の光の世界に戻って来てくれるまで、私は一人でここを離れずに居る。

リラ星の最期の満月(実際には月ではない別の惑星)の夜に二人で見た『光る魚』たちの霊体の一人が今私の傍に居て、私たちの様子を静観している。彼(彼女)は既に巨体な霊体を持ち、それを維持した神獣となったまま私たちの行く末を見守ってくれている。
 

現実的には私は暫くの間海へは行って居ないが、感覚や霊体だけをその世界やその場所に移動させることが出来る。だが『光る魚』の神獣は私に場所を指定して来ない。

私の居る場所、私とヒミの居る場所こそが、『光る魚』の神獣の思う『場所』なのだ。そこに神獣はどこからともなく現れる。

私とヒミがリラ星で見た最後の満月(実際には月ではない別の惑星)の満ち潮の深夜のあの時のように、『光る魚』たちは本当は私たちに会う為に危険をおかして崖の傍まで泳いでたどり着こうとした、あの時のことをヒミが忘れる筈はないと信じている。
 

(※雑記と暗号を兼ねて残すメモ)
 
 

会いたい人 – Memories of Lyra

Twitterに私の遠い過去世のことを書いたら、何やら周辺がざわついたようだ。
中には「自称巫女」などと言い私を罵る人や、本当は罵りたいが我慢している人たちの気配もつぶさに感じている。
 

 
多くのスピリチュアル系や霊能者などがSNS上の私の周囲にたむろしているが、その大半がとてもコンビニエンスなメンタルで特殊な能力を習得したいと願っており、それによって自分自身にツキが回って来たり唐突に幸福を掴めるのだ‥ などと信じて疑わない人たちも多いようだ。
だが現実はそんなに甘くはない。

その、けっして甘くはない現実を真っ向から受け止め受け入れられる、とても限られた人だけがスピリチュアルな限界のその向こう側へと突き抜けて行くことが出来る。その事実を先ず、私は多くの人たちに知って欲しいと願ってやまない。
 

 
私はリラ星最期の巫女だった。

私が最期と言うことは、私の他に誰もリラ星の終焉間近の光景を見た人物が居ないことを意味する。

そして私には、会いたい人が居る。それは同じタイミングでリラ星の最期に寄り添い、共にリラ星の爆発間近まで星の思いを受け止めてそれを見届けられる限り傍に居ようとする4人の中の、一人の医者だ。
 
彼は先ず先に私以外の二人のサイキックな力を持つ星の有力者たちに薬剤を打ち、彼等の遺言と最後の旅立ちとその寝顔を見届けた。
リラ星は自らの意思で、爆発の準備を始めた。色々な場所で噴火が始まり、その度に大地が激しく揺れて至るところに亀裂が生じて行った。

 
段々と温度が増して行くリラ星の真ん中にある砂丘に残された私と医者は、体力と気力の限界間近で同時に残りの薬剤を打ち、次いで双方共に苦痛を味わうことのないよう念には念を入れて錠剤と粉薬の全てを飲み込んだ。
 
どちらが先だったのかはもう記憶していない。
私が今生きて喋っている言葉とはまるで異なる響きだが、当時の記憶の最後の声は医者である彼が放った「そろそろだ」と言うような一言だったと思う。それは声になる寸前の小動物の唸り声にも似ており、私は既にそれに応える為の気力も意識も遠くなり始めていただろう。
 
見届けたのが私だったのか医者だったのかは、もう定かではない。
だがその後気付くと、果てしない空間の中にぽつんと一人取り残されたように、私の目なのか意識だけなのか、そこだけが息を吹き返したように生きていた。

 
何度も気を失っては又自分を取り戻したような感覚があり、それが果てしなく続いたような気がする。その度に私は医者を思い出しては、また忘れて‥ それを繰り返した。
 

 
ふと気が付くと、あれから色々な時代を私は「人間」として生きているようだ。
時にはジプシーであったり、時には宮廷や教会に召し抱えられた音楽家であったり、又時には某国の舞い手或いは詩人だったりもした‥。
 
その時々が真剣勝負で、命がけで戦火の中に自ら飛び込んで生きて来た。そのどれ一つを取っても各々すべてが戦いだったが、幸運なことに幾つかの過去世で私は歴史にその名と功績を遺すことが出来たようだ。
 

現世も波瀾続きである。
霊感があろうと予知能力があろうと、それは現実生活の中に活かされる機会など殆ど得られない。どれだけ「引き寄せ」などを手繰ってみたところで、甘い運命などそう簡単に引き寄せられたことは一度もなかった。
 
今世でも私はずっと戦って生きている。その過程で時折神様が私に置いて行ってくれたギフトを、素直に受け取って行く。
神様からのそれが本当のギフトだとするならば、そのギフトには「もたらされること」の理由と意味があり、そこには神様からの宿題がひっそりと書かれてある筈だ。
だがそれは文字で神様から命令されるものではなく、自ら望んで神々からの課題に向き合うこと。それそのものが神々からのギフトの真の課題であり、その課題はこの命が尽きるその瞬間まで半永久的に続いて行くものだと私は思っている。
 

巷には多くのスピリチュアル好きな人たちが、生半可では得られない能力やスキル、そうしたシュールな人生そのものを得んとばかりにたむろしている。
それはまるでコンビニの狭い駐車場に群がる「帰る場所を失ってぐれた若者」のように、そこに居れば棚から牡丹餅式に余りものの幸運が舞い込んで来ると言う期待だけを胸に、何の行動も起こさずにただその場所に流れ着いたまま群がっている。
 
そういう人間どもを見ていると、ただただ腹が立つ。
なめんなよ!と思う。
 
 

 
最近、リレ(リラ星人の総称)時代の医者のことを頻繁に思い出す。思い出すと言うより、あの瞬間に似た彼の声を確かに聴いたのだ。
それが夢や妄想でなければ、医者は今とても近くに居るかもしれない。此方側の世界に転生を試みそれが成功したとすれば、未だ成人していないような気もする。
 

若くて感性がキレる人が傍に来た時に、その人の腕をしっかりと掴めるような私がそういう人間であると先方に確実に認識させられるよう、私は地球の、日本人の、社会人としての良識と常識の線を踏み越えないよう気を付けて生きなければならない。
むしろ「不思議系」や軟なスピリチュアルに浮かれているような人間を、転生した医者の方が全く受け付けなくなっている可能性も無きにしも非ず。
 
音楽家として芸術家として、そしてリレの巫女として全ての感覚を磨き抜き、意識や感覚の切れ味を維持しながら、当面はリレ最後の医者であり、リラ星の最期を共に見届けた仲間の一人である彼の再来を祈り、今の「私」と言う箱を一日でも長く温存出来るよう努めたい。
 

Dream of Falling

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何度も何度も繰り返し見る悪夢。それは雲の隙間から遥か遠くの地上に向かって、急降下する夢。
しかも私は誰か、何者かの手の中を完全に転がされている。

体は完全に宙に浮いたまま、もう直ぐ落下して行く迄の数分間雲の上で停止する。いっそこのまま気を失ってしまいたいと願うも虚しく、私は覚醒したまま空中からどこにあるかも分からない陸地を見据えてる。

夫曰くそれが、転生直前に目的の母体を決める最終決断の瞬間ではないかと言う話。魂が空から一気に押し出され、誰かが決めた母なる肉体へと物凄い勢いで押し出されて行く瞬間の記憶…。

 

日常生活の中、ありふれた午後のテーブルを夫以外の誰かと挟んで向き合って、アイスコーヒーをストローですすりながらこんな話の出来る友人に、私は未だ巡り逢わない。至ってフツーの笑顔を浮かべ、ありきたりな話をずいずい進めて行く私は仮の姿、その瞬間だけ「普通の人」を演じているそれは偽りの顔でしかない。

何人かの友人や知人にティータイムのお誘いを頂くけれど、私はそれらの全てをお断りして居る。一言で言うと、どうしても今の私が抱えていること、アナザーワールドとこの世界を同時に生きて行く私を相手が心底理解してくれる気がしないから、誰かと会う度に「フツー」の仮面を逐一かぶり直すことに私は疲れ果ててしまった。

 

人と人は、一度出会った後はもうそれ以前に戻ることが出来ない。するとどんなことになって行くのだろう…。
最初は刺激が歓びを生み、虹色バラ色の浮遊感・多幸感に満たされる(相手が)が、次第に「慣れ」にそれは変わってしまう。やがて慣れは目の前の相手である私の粗探しへの欲求へと変化し、相手の悪いところを探してそれを矯正してあげよう…と言う偽善を生み出す。

 

あなただって同じ人間でしょう?

(その思いにはなぜか憎しみが籠もっている。私の才を相手は、自分の才と天秤に掛けて、ジャンルの異なる「優れた人」を豪語し始める。)

何度このセリフを言われただろう…。仮にそう相手が言わなくても心の中の声が私には全て聴こえて来る。
随分高飛車な人ね、たかだか音楽の才能だけが人よりちょっと進んでるだけでしょう?それが何だって言うの?みんな何かしらの才能を持って生まれているのだから、プラマイゼロでしょ(嘲笑)…。

 

この世界に使命を授かって何度も何度も生まれ直し、その使命を達成するまでしぶとく何百年・何千年も生き続け、古い記憶を全て保有している人はどのくらい居るのだろうか?
少なくとも私は未だそういう相手とは、夫以外誰とも会って居ない。

いつかそんな人が夫以外に、私の前に現れてくれるだろうか…。

 

先日、未だリアルでは全く逢ったことのない人と、私の音楽観について少しだけチャットで話をした。そう、ツムツム関連のグループチャットの中でのこと。

多くのミュージシャンは人気者になりたくて、音楽を始めたままやめられなくなる…。その結果音楽を仕事として成立させて行く過程で色々な境遇に振り回され、気付くと無謀な発注を黙々とこなすだけの専業作家になって居た…と言う話。

 

私は自己愛が殆どない。

━ 音楽活動や創作活動は、私にとって現世の修行みたいなもの。奉仕の精神で続けています。

そんな言葉がふと、気付いた時にはチャットのTLに乗っかって居た。意外にその相手はそんな私の、ともすると「コノヤロ!」と相手を奮い立たせそうな言葉をすんなりと受け入れてくれたのが、逆に私には意外だった。

 

私の直前の過去世はイタリア人だった。音楽家を目指す過程で料理に目覚め、気付くと料理人になる為の修行を積んで居た。
それは運命を司る「Brain」から見た場合には完全に「軌道を外れた状態」であり、ある日私はトスカーナの或る場所でトラックに撥ねられて命を落とす。

 

空を飛べない筈の私はその後、再び空の上に居た。それは丁度プールの飛び込み台の上に居るような状況に似て、真っ青な水面の在る場所には霞む陸地とそこで妊娠を控えた「母」の存在が在った。
私は「Brain」なる存在によってその母体に一気に押し込まれ、元々そこに居た未だ小さな弟を弾き飛ばした。

 

同じ悪夢を何度も何度も見る理由が分かった今でも、その悪夢に魘されて目が覚めた後の私の心臓はこれでもかと言う速さで波打っている。
ああ、又同じ夢を繰り返し彷徨ってしまったわ…。

 

今朝も私は、再び空の上に居た。

 

 

この記事を書きながら聴いていた今日のBGMは此方 ⇩

 

 

若干内容を更新しました。
是非是非フォローして下さいネ✨

 

Monday and the smell of rain

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いつもと少し違う朝の匂い。いつもこの時期は窓を全開にして新緑の香りを存分に体に取り入れるシーズンなのに、今年は既に雨の匂い、梅雨の匂いが街全体を包み込んでいる。

雨の匂いは私を憂鬱にするだけでなく、あの怠重い偏頭痛を連れて来る。昨夜半から既に頭痛が来ていたが、あえて頭痛薬を呑まずに眠りに就いた。目が覚めてからの好い状態を期待したがその期待は呆気なく裏切られ、今まさにこうしている時も頭内に心臓がもう一つ増えたような痛みと「ズシン、ズシン」と言う音が木霊し続けているので、致し方なく頭痛薬を呑んだ。

 

昨日 日曜日は丸一日布団と台所の往復で過ぎて行った。日中ハニーレモン(温)を飲んだ時のあの感動が忘れられず、この記事を書き終えたら再びハニーレモンを入れて飲む予定である🍋

 

いつもと少し違う朝、それは私が大嫌いなリストを何故か急に聴く羽目に陥ったからそう感じているのかもしれない。

 

遂に学生時代、私はリストを一曲もものにすることが叶わなかった。

そもそも右手の一部の腱が人より短く、或る時実技の教師にその腱を修正する為の手術を勧められたが私はそれを拒否した。
私の目指す音楽は「速弾き、高速回転のパッセージ」の先に無いことを、私は生まれた時既に知っていた。それは私がかつてJ.S.Bachだった頃の記憶に基づくもの(と言うことは現在の夫と結婚してから分かったことであるが)であり、天井の高い教会で奏でる美しい音楽とその残響がけっして「速弾き、高速回転のパッセージ」から生まれるものではないことを、魂が記憶していたからに違いなかった。

 

Twitterのプロフィールには「私の過去世がJ.S.Bachであった」ことを、そっと書き添えている。それは余りに普通のことのように綴られたものだから、その一文を目にした音楽ファンの目にはきっとそれが冗談のように映っているのかもしれない。

でもそれで好かった。バッハの生まれ変わりが今ここに居ることよりも、その生まれ変わりが今何を求め、何をしているか… のことの方が余程大切なのだから。

 

 

2018年 春。Didier家は結婚10周年を迎える。

その為私たち夫婦は今年の前半は恒例の「大型連休レコーディング」等の作業の手を全て止めて、ただただ普通の夫婦のようにそっと結婚記念日の為のイベントを考えている。

派手に旅行に行くでもなく、派手にセレブ的お茶会に興じるでもなく、私も夫も大好きなステーキを静かに頂く。たったそれだけのことがこの数年間全く出来ていなかったので、今回はいつもよりはグレードの高いお肉を堪能したいと思って予定を組んでいる。

 

 

それより…。
段々とエチュードが不足して来た。例えばChopin、ラフマニノフその他色々。何が不満かと言うと楽曲構成。特に、全編を通じて感情的なパッセージと場面展開に演奏者を翻弄する構成になっている古今東西のエチュードに、段々腹が立って来た。

既存のエチュードを練習しても、インナーマッスルが少しも鍛えられないことに私は気付いている。だったらもうDidier Merahのエチュードを書くしかないと言うことで、実は今月中旬辺りに既にその一曲目の構想に着手している。

 

同時にあと2・3個の企画が脳内で同時に進行している為、今の私の脳ミソは常に熱く燃えている。
今この記事を書いている最中も、冷房をパワフルにして脳のクールダウンに勤しんでいる。まるでデータセンターの如く、考える物事が増えて行く毎に私の小さな脳がフル稼働するので、兎に角暑くて暑くてたまらない(笑)。

 

それにしても、リストってなんでこう… 賑やかしばかりなんだろう。
綺麗な箇所が幾つもあるのに、それが長続きしない。「ガーーー!」っといきなり感情的な強打音が出て来るから、ホント心臓に好くない。

 

全編ピアニッシモの美しいパッセージだけで好いのに。