NewJeans (뉴진스) ‘Ditto’ [sideB] MV評論

韓流若手ガールズグループ NewJeans (뉴진스) が、YouTubeに新譜「Ditto」のMVを公開した。このMVは私が知る限り2種類存在するが、両方共にとてもダークで内容が重い。
勿論見方や各々の心情解釈にもよるが、どう見ても明るい表現がされたものとは言い難い。
映像全般がMVと言うより、むしろホラー映画を彷彿とさせる構成(或いは映像の質感)になっている。
 


左腕に太い包帯を巻いた少女がホームビデオを片手に、クラスメイトがダンスを楽しむ様子を撮影して行く。その合間合間に一人の男性がクローズアップされ、その男性も少女の存在を意識している。
 


軽快で無機質なパーカッションが楽曲全体を先導し、極めて明るいメロディーとコードプログレッションで楽曲が進行して行く。

MVはと言えばNewJeansの5人が高校生に扮し、制服姿で学生生活をエンジョイする姿が包帯少女のホームビデオに収められて行く進行になっているが、高校生に扮するNewJeansの5人は殆ど少女とは目が合わない。
 


場面場面が日常生活にはあり得ないようなアングルを絶妙に捉え、ともするとそれは生きることへの絶望をも意味しているのではないか‥ と言う明確な表現へと突き進んで行く。
 


楽曲はとても明るくリズミカルだが、映像の空気はどこかこの世のものではないような匂いが立ち込めている。
ヒントがあるとすれば、楽曲冒頭から断片的に表れる女性の裏声のハミングではないだろうか‥。黄泉の世界から届くシグナルのようにその声はとても濡れて切なく、木霊を放つ亡霊のようでもの悲しい。
 


生命のよろこびとは真逆の世界を、NewJeansと言うハイティーンの女の子たちが無頓着に歌う様は、どこかお気に入りのマニキュアを乾かしている時の危険な風の匂いに思えて、途中からめまいがして心が重くなる。
気を失いそうになりながら、何度も何度も画面に触れながら動画を見進めて行く‥。

むしろこれまでに感じたことのないシュールな感覚‥ 例えばいきなり霊感が開花するような恐怖を沸き立たせ、中盤以降のMVの意味が各々の中で全く別のものにすり替わって行くように思えてならない。
 


そしてこの、壊れたホームビデオ機器の映像は一体何を言い表しているのだろうか‥。絶対に声にしてはいけない何かが、この映像の最も強烈なインパクトとなって動画全体を埋め尽くして行く。
 
少女にとって将来を絶たれた瞬間か、失恋のショックを表す心情なのか、或いは絶望か、それとも包帯の少女がこの世には既に存在しないことを表すこれは、ひじょうにネガティブなメッセージのように思えて、それがやがて確信を帯びて心を押し潰そうとするのだ‥。
 

 
アングルは益々ダークな内容へと加速し、草の陰から5人の内緒話を見つめるようなこの瞬間にまで到達すれば、恐らく誰もが良からぬメッセージを心に受け取り息を呑むに違いない。
 


最後の最後に登場するこの鹿だけが、真っすぐに少女と目が合っている。
日本では鹿は「神の使い」として象徴されるが、恐らくその辺りをこのMVでも間接的に表現したかったのではないだろうか‥。

このご時世。物騒な記述にはなるが今、ここに来て多くの人々の心身に異変が起きている。明日が全く見えなくなって来た。
若い世代の人たちが未来の見えない世界を生き抜くことは、これ以上の苦痛がないほどのあまりに悲しいサバイバルだ。
 
もういいよ、一緒においで‥。そう言っているように一匹の鹿と一匹の猫が現れ、少女の心を少しだけ解きほぐすのだが‥。
 

 
動画3:12辺りから、楽曲のないシネマ仕立ての後編が始まる。
少女の左手には包帯はなく、誰もいない部屋で少女は一人思い出のビデオを見始める。
その時のこの目が何とも言えず、重苦しい時間を飲み込んでそのまま凍り付いたように動画を見ている。

4:03から後は、恐らく亡霊が思い出を見つめる設定で撮影されたのではないだろうか‥。
思い出はいつもキラキラと輝いて、この世界に希望を感じられない者の心を締め付け、さらに人を絶望へと追い詰めて行く。
 

 
もしかするとこのMVは近日中に、問題作として広くメディアに取り上げられることになるかもしれない。

‥必ずしも楽しくワクワクする表現だけが作品とは言えず、言葉を持たない者の心を代弁するような、まさにこの動画のような作品があってもいいと私は思うのだが‥。
 

この記事の最後には、NewJeansの新作 ‘Ditto’ のMV – sideBの方を貼っておきたい。
映像監修はシン・ウソク (Wooseok Shin) 氏。
 

[音楽評論] INI – “Password” / 衰退を始めたK-Popとそれを真似るJ-Pop

かねてから超絶なダンス力で日本国内をブイブイ言わせていた男性韓流式EDMユニット「INI」が、3rd シングルPasswordをリリースした。

既に2022年4月にリリースされているCALL 119で圧倒的なパフィーマンスに次いで、優れた楽曲(勿論音楽陣営の力)に注目していた私は半ば楽しみに3rd シングル「Password」のPVを拾いに行ったが、正直なところお話しにならないぐらい表現が緩く怠く、アウトラインがブレたようなような印象を持った。
 

 

どうしても韓流EDMユニットと言えば思い付くのが東方神起。
印象的な一曲を挙げるとすればやはり、Why? [Keep Your Head Down]一択だろう。この作品については楽曲・構成・速度・振り付けから演出まで全てが秀逸で、ブレがない。
 

  
勿論両者は見比べるものではないことなど重々承知だが、楽曲やコンセプトがかなり類似しているので、プロジェクトとしては「どうぞ見比べて下さい。」と言う暗黙のメッセージ(企業戦略)が込められているように見えて仕方がない。
むしろそうやって「INI」と言うユニットのイメージを東方神起のパワーにあやかって印象操作をし、視聴者やファン層に混線を引き起こすことを「INI」のブランディングに利用したかったと見て間違いない。
 

だが如何せん、東方神起は韓流男性EDMユニットの中で超越している。ダンスを例に取れば、動きが止まった時のストップモーションのBodyのアウトラインは、マイケル・ジャクソンに引けを取らない。
ダンスに於いて最も難しいのがこの、ストップモーションのポージングだ‥ と言うことは、私がかつて深く関わっていた5人組のダンス・レッスンでも滾々と聞かされたので今でも忘れることが出来ない。

その意味では「INI」は全てに於いて、緩すぎる。と言うよりだらしがない印象が強い。
生活自体が恐らく緩慢で、普段の動作に於ける注意力が散漫なのかもしれない。それがダンスやヴォーカル力、全体の印象に悪い意味で見事に反映しており、楽曲のシャープさが冴えれば冴える程露骨に欠点として表れてしまう。

プロデュース陣はこの事に、おそらく気が付いていないだろう。もし気が付いているとしたら3rd シングルPasswordは明らかに選曲・企画ミスであり、万が一この楽曲をシングル化・PV化するのであればもっと彼等の全てをシェイプアップする必要が生じた筈だ。
 

  
この、何をやっても何処を見ても、何処から切り取っても「ポワン」とした線の緩さを修正しない限り、「INI」がどんなにアクロバティックなダンスを今後披露したとしても売れ線には乗っては来れないだろう。
メンバーの誰一人がけして肥っているわけではないのに、正直これは見ている側が頭を抱え込む程の残念感・倦怠感しか印象に残らない。

売れたいから歌を歌い、ダンスを踊る。これではダメなのだ。
 
何に向かって語り掛け、何に問題意識を感じ、何を祈りながらその課題に取り組むべきか、何よりがむしゃらさが「INI」から全く感じられないのに背景だけをシャカリキに作り上げたところで、全ては逆効果だ。
 

何より彼等は生粋の日本人であり、韓流風に寄せて真似て作り上げているところが大問題だ(笑)。
そうでもしなければ今の日本のポップスでは勝負が出来ないのか、むしろ韓流に企画や演出を寄せれば寄せる程日本の音楽シーン或いは芸能界自体の劣化を世界に露出することになりかねないので、運営陣はその辺りにもかなり注意を払って今後の企業戦略を練る必要があるだろう。
 

とは言え、そもそもが韓国のオーディションで開拓された日本人による韓流風男性EDMユニットなわけだから、最初っから「物マネ」を使命に背負って生み出された模造品には違いない‥。
 
 

IVE Rei

  
若干話題から脱線するが、最近私が注目しているのが韓流女性グループ「IVE」のラップを担当しているReiさんだ。
彼女も生粋の日本人だが、日本語は勿論韓国語と英語の合わせて三ヶ国語で華麗な今どきのラップを披露してくれる。そのラップのリズム感がシャープでタイトでよどみがなく、ラップに合わせた体の線や動きが悉く美しい。

この記事の〆に、彼女のラップのショート動画「Hiiigh (English ver.)」と、同じ曲の三ヶ国語バージョンの両方を貼っておく。
 

  

K-Pop “Heize”と音楽のソコヂカラ

以前から大好きでウォッチしていた韓国のシンガー・ソングライター “Heize” が、新曲『일로 (Undo)』をリリースした。
『일로 (Undo)』シングル曲アルバムタイトルの両方で更新され、特にシングル曲の『일로 (Undo)』は楽曲として秀逸と言っても過言ではないだろう。
 
タイトル『일로 (Undo)』は和訳すると、どうやら「なかったことに」と言うような意味になるようだ。
偶然アメブロに和訳を見つけたので、歌詞の意味を日本語で読みたい方は是非そちらを参考にして頂けたらと思う。
 

https://ameblo.jp/sullun114/entry-12751060771.html
 

 
PVを見ると一瞬「ルックス主義」のカワイ子ちゃん系韓流歌手かと勘違いしそうになるが、それは間違いだ。
さり気なく正確な音程に依存せず、細やかな表現を随所で巧みに使い分けながら、尚且つそれをけっして売りにはしないのは彼女がそれ以上の潜在的な能力を秘めているからだ。
 

多くの歌手や表現者が現れては消えて行くその境界線は、「自ら作品を生み出せる者」と「既に誰かの手によって生み出された作品を再現する者」。そこには大きな段差があり、後世に自身の名と作品を共に残せるのは前者一択と言って良いだろう。
 

私が度々「ライブ」を否定している理由も、ここにある。
勿論「生み出せる人」が奏でる再現音楽は、「生み出さない人」の再現音楽とは全く質が違う。なので私は前者「生み出せる人」があえて挑む再現音楽に於いては、一切否定も拒絶もするつもりはない。
だが作品が生まれるエネルギーは出産時の赤子同様に、羊水から空気の世界に旅立つ瞬間にのみ放たれる特別な力を持つ。なので厳密には作品がレコーディングされた時のエネルギーを、後のライブが超えることはほぼ皆無と私は思っている。

その意味で「ライブ」、いわゆる再現音楽を私は特殊な例を除き、殆ど否定し、拒絶するスタンスを今も変えていない。
 

 
Heizeは新曲『일로 (Undo)』と言うある種のダンス系要素の高い作品を、マイク一本「歌のみ」で勝負に挑むように様々な番組で歌唱している。
勿論バックバンドは打ち込みだが、声は生声で、その都度都度でエフェクトも演出も変えてパフォーマンスに挑んでいる。
 
ダンス・ミュージックをあえてダンスで魅せない、ある種の勝負心を彼女の中に感じる度に、私の評論家魂に呆気なく火が着いて行くのを感じる。
 

 
「生み出せる人」は表現に於いて、いつも限りなく自由で居ることが出来る。
何が正解で何が不正解なのか‥ と言う枠にがんじがらめに囚われることが無いから、いつ、どのタイミングでアドリブを仕掛けようが全ては自分自身の気分でどうにでも料理が可能だから。
 
さながらモーツァルトがコンツェルトの最後の「カデンツァ」の音列を楽譜上では指定しなかったように、モーツァルトは常にその時々の気分や状況に応じて内容の異なるカデンツァを自由に演奏していた。
‥つまりそれこそが即興演奏の醍醐味であり、そうした完成度(創作性も失わない)と即興性の高いライブこそが価値のあるライブだと言うのが、私のライブ美学だ。
つまり完成度も即興性も、まして創作性のどれもが全く当てはまらないライブは、存在価値すらないと言っても過言ではない。
 

 
誤解して欲しくないのは、ここで私がある種「ライブ」の存在価値の有無を説いている真の理由についてである。
 
最近「音楽とビールは生が一番だ」等と言う人達が増えており、どんなにアレンジが悪くても、どれだけ歌唱力が酷くても、それが「生演奏(Live)」であると言うだけで視聴者が勝手に脳内変換で目の前の質の良くないパフォーマンスのグレードを過大評価してしまう。
そういう視聴者の脳内誤動作を出来る限り少なくする為、良いものとそうではないものの理由と境界線を明示する必要を私は強く感じて、こうした記事を書き続けているわけだ。
 

 
さて、この記事の最後に、私が大好きなHeizeの2017年リリースの作品You, Clouds, Rainの美しいLive動画を貼っておきたい。
動画冒頭がその作品である。

どこか小田和正にも通ずるノスタルジーを感じさせる、とても美しいメロディーラインとパフォーマンスを是非ご堪能頂ければ幸いだ。
 

 

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