世界の音楽プレイリスト更新に関する雑感

毎週末欠かさず世界の音楽の各PLを更新していますが、このところの戦争の影響もあるのか‥ 大作が少なくなったような気がします。
これは日本国内も世界的にも両方共に‥ と言う意味で。
 
先週末は南米、特にブラジルからの新譜のリリースがめざましい印象がありましたが、どういうわけかブラジル音楽は飽和状態から今ひとつ抜け出せないような印象があります。
 

 
あくまでこれは憶測の域かもしれませんが、アマゾン河流域の火事の頻発その他河自体の枯渇状態が進んでいることも、音楽文化の停滞の大きな要因になっているのではないかと私は見ています。
 
そう言えば私は2020年に『Amazon River』と言う曲を配信していますが、この作品はまさしく私が当時感じ取ったアマゾン河流域ないしはブラジル全体~地球全体の水と自然の枯渇を予知した作品でした。
 


 

2026年5月、第三週目の「世界の音楽」の新譜にはブラジルからの新作がかなりの数並んでいたにも関わらず、全体的に音楽性の硬直を強く感じ、躍動に欠けるような印象を強く受けました。
 
又、とても楽しみにしていたイタリアのSSW/Monica Saenelli(モニカ・サルネリ)の新譜『Duemilaventisei』(邦題: 2026年)に見られるモニカの声質の劣化には、かなり落胆を感じずにはいられませんでした。
おそらく女性特有の要因が重なった末の状況だとは思いますが、であればもう少しミックスに工夫を凝らすか或いは声質の劣化が目立たないような楽曲構成や歌唱表現を誰かが提案する等、対策の可能性は幾つかあったようにも感じますが‥。
 

比較的安定しているのがスペイン勢。
勿論音楽的な躍進は見られないものの、彼らの中で存分に温まったものが必然的に外側に出て来たような印象を受ける楽曲が多く、此方は安心して聴いていられます。
 

 

 
日本からはChouchouの作曲担当であるArabesque Chocheの新譜Three Quiet Peices、或いはRakiaのInner Feelings等の積極的なEPやアルバムのリリースもありましたが、何れも小品が小奇麗に並んでいる印象を越えることはなく、プレイリストにスクラップするには至りませんでした。
 

最近私は「七澤銀河」と言う筆名で色々な短歌や川柳(現代川柳)を編みながら過ごしていますが、それも含めて一つ強く感じていることがあるとすれば、現代の人たちの多くが「悩む」「苦悩する」ことから上手に逃げて生きている点かもしれません。
度々巷で見られる「ポジティブシンキング」の捉え方を間違えているのか、痛みや苦悩、苦痛を「なかったこと」にしようとしているような節が見られ又、そういう現実逃避術を助長するような文言を多く発信している一部のインフルエンサーの悪影響をここに見て取ることも出来ます。
 
文筆面で言えば特にそれは現代川柳の領域に多く見られ、人生を深く感じる前に目の前の何ってことのない題材をあげつらってそれを面白おかしく17文字に斬って行く‥ と言うような、駄洒落でも句でもない日記メモのような状況で比較的安易にネット上に放ってしまうような状況がそこに在るように思えてなりません。
 

これはこの記事に書くべきかどうか、とても悩んだのですが、折角なので書籍のご紹介がてら書き残しておきたいと思います。

先日、卒寿記念に出版された川柳家、鈴木節子さんの句集『無重力圏』を読ませて頂きました。
  

 
これが凄まじく、節子さんのご年齢だからこそ詠むことの出来る迫力の句が当然のような顔で(適切な表現が見当たりませんでした‥)、ぞろぞろと軒を連ねて詠まれているのです。
 
その日まで駄洒落とも、或いは俳句なのか無季俳句なのか或いは川柳なのか現代川柳なのかが判然としない句に多く触れて来たので、私が青春期に参加していたクラブ「川柳部」の、あの「粋さ」ともどこか違うピンボケしたような句に紋々としていた私の視界がようやく正常値に戻ったような、ある種の呼吸と躍動感に触れて、この句集に出会えて本当に良かったと思っています。
(この句集をするりと入手に漕ぎ付けて下さった川柳社「満天の星」月波与生には、この場をお借りして心より深く感謝を申し上げます。)
 

あたかも音楽とスピリチュアル、スピリチュアルと地球環境、或いは地球環境と文字世界が無関係に動いているように一見見えますが、人の営みに無関係なものなど一つもありません。
全てが同期して、連携して成り立っていることを最近痛感しています。
なのでまるで音楽の作業を蔑ろにして文屋の世界に埋没しているように一見、見られている私かもしれませんが、文字の中にも音楽があり、音楽の中には歌(ことば)と生命があり、歌のセンテンスの中には節があり、その節の中には祈りがある‥、全ては私の中で連携しています。
 

さて、世界の音楽の今後の予測ですが、KPopの衰退~敗退もさることながら、フランスをはじめとする色々な音楽文化が一時的に衰退の道を辿ることになりそうです。
世界的な「あの」ワクチン強制接種の遅効性の後遺症等もその要因の一つでしょうし、それによる人口減少が今後の一時的な文化の衰退に拍車をかけて行くことにもなるでしょう。
 
その側面で、例えば私のように「世界の音楽」の紹介や分析、さらには音楽評論と言う形で無形文化財の記録を日夜更新しているような人材は、今後何かしらの切っ掛けで要の人材になるように感じています。
 

先週末に更新した世界の音楽の各ジャンル別のPL(プレイリスト)については、音楽評論ブログ『ディディエ・メラの音楽倉庫』の以下の記事に掲載していますので是非、最新の良質な音楽に触れてみる切っ掛けとして聴いてみて下さい。
 

 
 
※現在「X」のメインアカウントの凍結状態が続いている為、日々のつぶやき及び音楽関連の発信はSNS/Blueskyをメインの公式SNSとして稼働しています。
 

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関連記事:

https://note.com/didiermerah/n/n3e9cd4a3bb0d?app_launch=false


危うさと凶暴性の共存 – Coexistence of danger and ferocity

表面的にはこの二か月間以上、「世界の音楽」の新譜チェックとプレイリストの更新を止めていますが、水面下では色々と動きが活発で若干忙しくなっている私です。
 
私自身の音楽の今後を見据えている時期と重なるように、各方面のタレント系或いはパフォーマンス系の裏方からのアクセスも増えています。
ですが私は自身の創作活動を最優先している為、今後「裏方」の仕事に絡む気が全くないことを、一先ずここで公言しておきたいと思います。
 

世界が負のエネルギーに強く揺さぶられ、明らかにマイナスの方向へと突き進んでいる現状に比例するように、ネット上に更新されて行く音楽も「負」の面を表にしながら後退しているように私には見えて仕方がありません。
特にピアノ・インストゥルメンタル系やLo-Fi系の新作の多くが音質及び楽曲構成に「歪み」を生じさせていて、何故そのような方向性に多くの同系統の音楽家たちが一気に突き進んで行こうとするのか、私はその状況に一種の恐怖を感じます。
 

 
最近知ったのですが、昭和のニューエイジ・ミュージックの先頭を切って走っていたカナダのアーティスト、アンドレ・ギャニオンが2020年12月3日にひっそりとこの世を去っていました。
残念なことに日本国内に、彼ほど良質なニューエイジ・ミュージックを生み出すアーティストが存在しません。
ですが類似品や模造品のようなものを作り続けているアーティストは若干居て、この「誰もが対等なスタンスで音楽配信の出来る」今の環境下で彼らは競うように切磋琢磨しながら、歪みの深い不可解かつ不快な音楽が多く配信されています。
 
特にアカデミックな教育を受けた人材が一度道を踏み外すと、ある種の自信や自負の念が悪い意味での拍車となりどこまでも転がり落ちて行ってしまうのは、傍から見ていて胸が詰まります。
自身が持つ「アカデミック」がつまらなく見えて来る瞬間があるのか、元々持っている秀逸な才能を破壊衝動の側に向けてしまう人たちが後を絶ちません。
 
ですが忘れてはいけないことを一つ挙げるとすれば、たった一曲の作品と百万曲の商材音楽とでは数の上では後者が有利だとしても、最終的に後世に受け継がれて行くのが圧倒的に前者であると言うことです。
その「たった一曲の芸術作品」を生み出す人の人間性もおそらく寡黙で頑固な故に、多くの商材音楽を生み出す人の「華」に圧されて負けてしまうような錯覚に瞬時的には陥るとしても、最後の最後は亀の速度で全ての小走りなうさぎたちを圧倒して行きます。
 

 
上の動画は亡くなったアンドレ・ギャニオンの作品の中で私が最も好きな一曲『Épilogue』ですが、原曲のリリースが古い為、サブスクリプションからの配信が遅れているようです。
 
アンドレ・ギャニオンのヒット作品と言えばめぐり逢い明日等が挙げられると思いますが、あくまで上に挙げた2曲は「商品」であり、「作品」と言うには出来栄えが悪すぎます。
にも関わらず、いかにも目立ってメディアや広告業界が推している作品の方へとリスナーを誘導して行く流れは相変わらず止まることが無く、いずれそれがどこかの時点で決定的な音楽文明の消滅の引き金を引く日が来ることを、私はとても危惧しています。
 
多くの人々は目に見える「滅び」に直面しなければ、のらりくらりとそれまでの物事の流れを維持出来ると思っているようです。

私自身、こうして自分以外のアーティストの作品を紹介したり評論したり‥ と言うアクティビティーで、衰退の一途を辿って行く音楽文化の維持に手を貸している一人なのかもしれません。
ですが少なくとも「正しい音楽」或いは「良質な音楽」の紹介や、それらの見分け方のヒントを丸ごと公開しており、少しでも良い感覚を持ったリスナーが自信を持って他の人たちに胸を張ってその旨を伝えられるよう、沈み行く音楽文化の下支えの一端を担えれば良いと考えています。
 

 
先日、少しだけプレアデス星のセムヤーゼ女史と「音楽」の話になりました。
彼女こそ地球上で当時最もヒットを飛ばしていたビートルズのロックンロールに傾倒した一人でしたが、或る件で長い長い眠りに落ちてそこから目覚めた時に最も聴きたい音楽がビートルズでも何でもなかったと、私に話してくれました。
先日崩御されたエリザベス女王に関してはと言えば、女王の中で今も生前の記憶として残っているものを挙げるならば「パイプオルガン」と「クラリネット」の音色だそうです。

両女性共に単旋律を聞き取る力は備わっているものの、コード(和声)やコード・プログレッションを聞き取るには至らないようです。
 
つまり人間の場合(プレアデス人も含む)、一個の音楽を聴く時に最初で最後に心と記憶に残るものは歌詞でもコードでも表現者の声色でもなく、単旋律の美しさのみだと言っても過言ではないようです。
 
いつか訪れるその日があるならば私は、是非プレアデス星のセムヤーゼに自身の音楽を届けたいと言う夢を抱いています。
それは私の創作の目下の課題の一つであり、今世で辿り着く可能性のある最終ゴールとなるかもしれません。
揺れる黄色いテープを目指し、これからも預言や予言、或いは自然神の声をそっと封印しながらの私の音楽作りの人生は止むことなく続いて行くでしょう。