シリーズ『ショパンを読み解く』 1. ショパンをリーディング(霊視)する – Spiritual Channeling of CHOPIN

【前書き】
2021年10月2日~10月23日までワルシャワで開催されたショパン・コンクールは、2度の延期を跨いだコロナ禍の開催と言うこともあり、各々が熱い思いで熱戦を見守ったことだろう。
そのショパン・コンクールをこのブログでは特設カテゴリーとして企画を組み、Didier Merah独自の音楽評論をシリーズ化して展開して行こうと思う。
 
Didier Merahが最も拘る「霊質」を起点に、この記事ではショパンの奥の奥まで覗き込み、ショパンが今現在何を思い、どこを目指してこの世界を視ているのかについての独自の見解を綴って行く。

(以上 前書きにて。)

 

 

ショパンが祖国ポーランドでどのような人生を歩んだか‥ 等については既に多くの文献で書き尽くされているので、本記事では割愛したい。
ここではショパンが切望し、尚且つ実現し得なかったショパンの世界観を、霊質学の観点から解いて行く。

 

厳しく過酷でかなしい現実の中で、ショパンはそこからの精神的な逃避を日夜試みたことだろう。だが満足の行く現実逃避はなかなか叶わなかった。
現実逃避にも集中力は必要だ。ショパンにはその集中力が圧倒的に欠けていた。一つにはもともと体が余り強くなかったことが原因だろう。もう一つの理由として、性格的な気の短さが挙げられる。

とても移り気で気の多いショパンは、一個のモチーフを思い浮かべている間に別のモチーフの展開を同時に考え始める。だがそうこうしている途中で、いきなりその世界観の探求に飽きてしまう。すると三つ目のモチーフに逃避先を移しながら、最初のモチーフから逃げ出そうとするが、それも結局は余り上手く行かない。

そうこうするうちにモチーフでも展開部でもない、全く違うメロディーを先に生み出した幾つかのモチーフから新たに産み落とし、それらをミックスしながら幻を追い掛けるようにして、心は次第に音楽から離れて行こうとする。その象徴として、彼の音楽に無意味な転調が多く見られるので、シュールな感覚を持つ人にはおそらく私の言わんとすることが直ぐに伝わるだろう。

 

常に集中力を欠いたショパンの作曲手法は良く言えば「即興的」であり、悪く言えば「気が散った子供のいたずら弾き」のようにも聴こえて来る。だが如何せん全ての彼の音楽がそれなりの形で黒玉の楽譜となって刻印されているので、それがショパンなのだと言われたら後世に生きている私たちはもはや頷く以外の手段を持たない。

 

陽のあたる世界を嫌い、夜を常に待ち続けながら生きていたショパン。全てが闇に包まれるその世界こそがショパンのもう一つの現実であり、そこでは自分の思うように夢を投影するひとり遊びが許された。
だがそこには具体的な風景や人物はなく、ショパンは常に「薄闇の黄泉の世界」を空想し続けた。誰もいない黄泉の世界に在るのは、永遠に少年で在り続けたいと言うショパンの強い願望だった。
白い馬に颯爽と跨り、呼吸を乱すことさえもなく、枯れない花々が乱れ咲く草原を駆け回る。馬の鼓動と自身の鼓動をピタリと合わせ、ショパン自身がそこでは人間から完全に離脱して行くのだ。
 
ショパンのハイテンポのパッセージは一見怒りを持つ精神性や心のほとばしりのように視えるが、それは彼の極一部であり、あのパッセージの滑走の中に私は、本当は馬の体を持ち無限に広がる草原を駆け回るもう一人のショパンが視えて来る。

  


多くの演奏家たちがショパンの作品を弾く時、言いようのない怒りや苦悩を表現しようとするが、正確にはそれはショパンが言わんとする世界からはほど遠い。
苦悩と言うより、不毛と言う方が近いだろう。望んでも望んでもその思いが叶わないことを、ショパンは生まれついた時から知っていた。そして彼の内面にある夢や理想が叶わぬことを又ショパン本人も受け容れて生きていたからこそ、そこには怒りや葛藤の欠片も生まれなかったとも言えるだろう。
 
だが、多くの演奏家たちが眉間に皺を寄せしかめっ面をして、さも‥ ショパンの葛藤を再現してる風な変顔の演出が途中から繰り広げられるが、それについてはショパンはけっして快くは思っていない。
かと言って訂正したり否定する気力も、もはや彼は持たない。

 

数年前からショパンは、この現実世界に舞い戻ったままそこを動いた形跡が見られない。なぜなら彼は、彼自身の霊体を保持しながら、本当に生きたい音楽家としての新たな自分を、もう一度やり直したいと思っているからだ。
それにはフレデリック・フランソワ・ショパンとしての自身ではない、別の構造を持つ肉体と別の感性を取得する必要がある。
その新たな宿主を長い間、ショパンは探し続けている。
 
出来れば男性ではなく、女性に生まれ変わりたいと願っているようにも見える。男性として生きた過去世の彼はこれでもかと言うほど辛酸をなめた為、似た構造の肉体に対し若干嫌悪感を持っているのを感じる。
もっと弱弱しい性に生まれ変わり、長い間望んでいた「夢の世界」を彼の思う最もやわらかくてあたたかい形で再現したいと願っているのだ。

  

『言葉にできない』ー JUJU その他の面々 [音楽評論]

本当に言葉に出来ない程、誤魔化しの効かない音楽がこの世には沢山ある。この記事で取り上げたこの作品言葉にできない(作詞/作曲: 小田和正)もそんな一曲と言えるだろう。

既に作者本人である小田和正氏が2019年?にセルフカバーしているが、やはりそれでも原曲のメタリックなメロディーラインはゆらゆらと陽炎のように揺らめきながら崩壊し始めている。
だがやはりここは作者本人とあって、程好い崩れ感を大きく損なわないよう上手く誤魔化せていると言えるかもしれない。

 

 

だが肝心な「違う、きっと違う‥」の辺りから「一人では生きて行けなくて‥」の辺りはサクサクと慌てて歌い過ぎて行くので、何だか夜道で誰かに後を追けられている女性が小走りに追手から逃げているように聞こえてしまい、聴いていてどうにも落ち着かない。
歌が上手くならないまま年老いたシャンソン歌手の余興に当てられたみたいに、心拍数だけが上がって上がって私の方が息が切れそうだ。
 

原曲度外視でこれは良い!と思ったのが、EXILEAtsushiさんの同曲のカバーだった。
この歌手、顔やいで立ちに若干崩れ感、汚れ感はあるが、この作品『言葉にできない』の解釈は至ってシンプルでナイーブで清潔感に溢れており、無駄なアドリブや歌手が誇張したがる「クセ」を最小限に抑え込んだ表現がとても好印象だった。

 

 

色々調べて行くと、なんと最近はお昼のワイドショーではお馴染み(私は余り好きじゃない、この人‥)のAHN MIKA(アン・ミカ)がカバーしているではないですか。

偽善臭がプンプンしているかと思いきや、意外にそうではなかったのが驚きだった(笑)。
でもあの独特な「嫌味」なコブシは健在。本当にアン・ミカのこの嫌味感はもう一生このまま、治らなそうですけど。

 

 

そしてこれはもう音楽のルール自体を完全無視して平然と歌い切っているのが、クリス・ハートさん(笑)。一体この歌手のルーツはどこにあるのか、ここまで何でも歌ってしまう歌手ともなると何が何だか判然としない。
 

小田和正の持つメタリックなメロディーラインのエッセンスを、何だかどこか分からない国とか世界観に完全に持ち去っている。
クリスマスの教会で、美しく青い目をした青年に誘拐された子供が初めて覚えた英語の曲みたいに、別の楽曲と言ってもいい程むしろ完成されているから『言葉にできない』と言うより言葉が出ない

 

 

そして何よりアン・ミカよりもムカっ腹が立って気持ち悪かったのがこの人、JUJUの解釈。
そもそもJUJUの発声は声量の無い人が「いかにも歌える人」に見せ掛ける為の嫌味な細工が施されたものであり、声帯で一旦発声した声を声帯から浮かすように力を抜いた瞬間に振り幅の深いビブラートを掛けることで、往年のジャズ歌手みたいに聴かせるとても狡い手法を用いている。

しかもレコーディング版では冒頭の、かなり長いタイムをアカペラで堂々攻めて来る。大した度胸だ。
エンジニアの人選にもお金を掛けているのか、私が先に指摘した「狡い発声」は上手に誤魔化されていて、どこか儚げなJUJUの色合いを全面に出しているが、ミックスはけっして良いとは言えない。
この作品の持つ独特の「濡れ感」が失われており、パッサパサの髪をさらにパスパスにドライヤーで乾かし過ぎてチリッチリになった、大昔の人形の髪みたいで薄気味悪い。

 

JUJUの、ヴォーカルの音と音の継ぎ目に発声時に新たに生まれる「要らない音」がクッションとして挟まっているから、それが本来のメロディーラインを見事に叩き壊してしまっている。
おそらくこれは日本人がブラック系にメロディーを寄せて再構成する時、「それっぽく聴かせる」時に使う発声の手法で、余り上手ではないのにそれらしく聴かせようとする歌手の中では比較的当たり前に用いられている発声の技法の一つと言えるだろう。

 

小田和正 作詞・作曲『言葉にできない』の解釈の中で最も場末のスナック的で不快感満載のJUJUの音源をレコーディング版とLive版(途中で他の歌に変わってしまうので一部のみ)の両方を、この記事の最後に掲載しておく。

ようこそ、言葉にできない夜の新宿、スナックの世界へ!

 

 

 

※noteの新着記事と同期投稿です。よろしければ是非、note記事から投げ銭 or サポートで応援頂ければ幸いです。

https://note.com/didiermerah/n/nf92aa749a1e0

プレイリストを作ると言う作業

当面怪我の治療の為アウトプットを無期限で休止し、現在はインプットと言う名のアウトプットに集中している。
自身の音楽を送り届けるにとどまらず、他のアーティストの音楽を心地好く並べて数多くの「プレイリスト」をSpotifyの中に作り込み、それを一個の作品や番組のようにして世界に解き放つ作業はどこか、子育てにも似ている。

 

15歳の半ばに芸能界と言う荒々しい世界に飛び込んだ。さながら高層ビルから果てしなく長い地上までの旅に出る時の恐怖に似たものがあったが、その先にはただただ目映い輝きに満ちた世界を私は見ていた。
じきにそれが単なる幻想だったことに気が付くが、それまでの時間はまるで怪しい飲み物を呑んでほろ酔いした時のあの感覚に似て、夢はキラキラと眩しく回転して行った。

 

伴奏業と言う裏方の世界に埋没する片方で私は、裏方として芸能界のど真ん中に大型ドリルのように回りながら突き進んで行った。
衣装選びや多数のアイドルのシングル曲のデモテープ選びに始まり、コーヒーを買いに行ったりその日の収支報告書を作ったり、歌手がレコーディングの合間に摂るラーメンの出前を注文したり、頼まれれば何でもやった。

何をやってもむしろ楽しかった。だって依頼主は有名歌手や有名なアイドルだったりするのだから、そんな彼等の日常生活の片隅に居られるだけで私は本当に幸せだったから。

 

 

最近になって、古い知人からあらためて「芸能界の裏方」の仕事のお誘いが舞い込むようになった。よくよく話しを聞いてみると、当時は当たり前のように実在していた「デキる裏方」が居なくなったのだと言う。
私はどうやら彼等が言うところの「デキる裏方」の一人に、何となくラインナップされているらしい。

だが、私はそれらのオーダーへは全て、お断りを入れている。なぜならば私はもう、裏方ではなくソリストとして、唯一無二の道を歩んでいるからだ。

 

そもそも私の本職は「芸術家」「作曲家」である。
当時シャンソンやカンツォーネ、タンゴやサルサのピアノ伴奏やライブ用のアレンジ業に携わっていた頃の私は言わば「世を忍ぶ仮の姿」であり、当時のどの職歴を摘まみ上げてもそれらは私の本性でも何でもない。
そのことに最近になって気付いた人たちが多いらしく、中途半端な詫びを入れながら「ギョーカイ」の仕事と言う彼等にとっては美味しい餌をチラチラさせながら、私の頭上にプラチナの糸を垂らして来る。
 

正直お腹いっぱいだ。なので話しの中身を訊かずに門前払いを喰らわせるが、敵もなかなかしぶといし、しつこい(笑)。
何れにせよ私には「裏方」になる気は全くないので、最近は届いたメッセージに返信すらしないで放置するようになった。

 

世界中の音楽を聴いていると、今どこにスポットが当たっているか‥ 等つぶさに分かる。これは「世界中の音楽を理論解析出来るスキル」が無ければ分からないことであり、おそらく多勢の音楽ジャンルを各々専門的に分析し続けて来た私以外に、このスキルを持つ人材は居ないだろう。
自身が作曲家であると同時に、私自身が既に音の博物館なのだ。
 

そんな「歩く博物館」がシーズン毎のプレイリストを作ると、物凄い数の音楽の分量と物凄い数のジャンルが当たり前のように乱立するチャンネルが完成する。
既に私のSpotifyアカウントをフォローしている方はご存じのように、どれ一つとしてハズレのプレイリストが無いのはなぜか‥ と言う疑問すら湧かない程、「Didier Merah博物館」は日進月歩で拡張・膨張し続けている。

 

プレイリストを一個作ると言う作業に、私は兎に角子供の頃の部活のようなトキメキを感じている。
毎週末にSpotifyには新譜が到着し、新譜たちは私の試聴の時を待っている。大体週末になると一気に200曲近くの新譜が私のチャンネル (Release Rader) に勢揃いし、私はそのすべての楽曲を漏らすことなくチェックして行く。

ざっとイントロからAメロ~Bメロ~サビから間奏へと斜め聴きするに必要なタイムが30秒から60秒、そこからリフレインを確認するのに大体一曲多くても90秒で仕事が進む。
気に入った曲はそこで一旦メモに保存し、後からフルサイズで再度試聴する。

 

各々のアーティストやミュージシャンの「現在」を知ることが出来るだけでなく、時代の全体図が新着の音楽から読み解くことが出来る。言わば「音楽科学」に似た構図が私の中に拡がって行くが、あえてそこは学術的には処理しないでおく。
音楽を聴く時には、極力屁理屈屋にならないよう気を付けている。理論武装は後からいつでも出来るから、せめて音楽自体に触れている時はいちリスナーに徹して、心ゆくまで音楽に深く心身を浸して居たいのだ。

 
最近作成中のプレイリストが複数あるが、その中でもオススメは以下の2つ。
是非フォローして聴いて頂けたら幸いである。

 

 

KWON EUN BI “Door” レコーディング風景と解説

2021年4月下旬に予定通り活動を終了したIZ*ONEのセンターだったクォン・ウンビが、ソロ活動を開始しました。
その皮切りとなるシングル「Door」は好調な滑り出しで、韓国各メディアの注目度も高いようです。

 


今回この記事のTopに添付したのは、シングル曲Doorのレコーディング風景です。


完成形だけを紹介してああだこうだと論じている記事は他にも複数ありますが、私が注目したのはむしろバックステージで行われていた非常に繊細なレコーディングのプロセスの方でした。

昔々私が未だ業界にひっそりと出入りし暗躍していた頃から歌手のレコーディング風景をかなり多く見て来ましたが、正直なところここまで繊細で表情豊かで尚且つとても穏やかな作業を余り目にしたことがありませんでした。

特に日本の歌謡曲やPopsの歌手の多くが偽善的であり、本編の仕事よりも「気遣い」や「腰の低さ」の方がスタッフのポイントが高く、実際の作業はと言えばさしてパっとしない普通以上でも以下でもないクオリティーである場合も多いのが現状です。
中には熱心さを売りにしている歌手も居ましたが、どこか「何度も何度も果敢に挑戦する(或いは録り直す)姿勢はあくまでポーズで、実際には今もさっきも一つ後のテイクも殆ど仕事としては変化が視られない‥ なんてことも多々ありました。

ですがクォン・ウンビの上の動画を観る限り、全ての同じ個所‥ 例えば3テイク録り直した場合の全てのテイクが違う表現で歌われているところが凄いです。



IZ*ONEでセンターを努めていた頃は正直余り冴えた印象が無かったのですが、ウンビはソロで光るタイプの歌手かもしれません。

よく居るのです。例えばAKN48の前田敦子のように、グループのセンターと言うポジションだと光輝いて見えたのにソロになった途端焦点が定まらなくなってしまったような類いの歌手が。
その点、ウンビの場合は逆で、おそらく今後良い楽曲と良い振り付けに恵まれ続けることが出来れば益々、彼女は華やいで光輝く存在になるに違いないと私は予想しています。

因みに「Door」の作詞・作曲者は以下のようにクレジットされています。

作詞︰권은비、황현(MonoTree)、정호현(e.one)
作曲編曲︰정호현(e.one)、황현(MonoTree)


アルバムOPENを全曲私は試聴していますが、本音を言いますとシングル曲Door以外の作品は余りパっとしません。
恐らくミニアルバムはアリバイであり、シングル曲一本に全てを集約したのでしょう。どっちに転がってもいいように、こういう作戦はままあるので余り驚きません。

振り付けで印象的なのは、途中で猫のような振りが三段階に分割しながら、その合間に爪を立てながら「シっ」と言ってお茶目な顔をする箇所。

 

 

⇧の動画の丁度タイムで0:45から0:51辺り(2コーラス目にも同じ個所が出て来ます)になりますが、この振り付けを考えた人はきっと天才です。

 

 

最後に「Door」のPVらしき動画を貼っておきます。


PVらしき‥ と書いたのは正式なPVが公開されておらず、動画サイトの会社らしきアカウントからのムーヴィーしか出ていなかった為です。
こういう時韓国語が理解出来たら、もっと色々すんなりと調べられるのでしょう。

と言うわけで、この記事は文字発信型SNS「note」新着記事と同期で掲載しています。
よろしかったらそちらから投げ銭で応援頂ければ幸いです。

記事: https://note.com/didiermerah/n/n106e478321d4

 

音楽紹介: Afgan – M.I.A (feat. Jackson Wang) (Official MV)

Afganはインドネシアのシンガーソングライターです。

このPVを観ていたら、ふと‥ 三浦春馬さんの最後のシングル曲Night Diver にとても雰囲気が似ているような気がして、思わず胸が熱くなって途中で二回も動画を止めてしまいました。

三浦春馬さんの、あの繊細さとAfganの一種の表現のナイーブさに共通項を見い出したのは、もしかしすると私だけではないのかもしれません。

歌詞を翻訳してみたのですが、どうしても私にはタイトルにもなっている「M.I.A」の意味が分かりませんでした。
それでもこの作品が何か、叶いようもない愛、恋‥ 等に対する報われない思いを表現しているように思えてなりません。

現在のJ-Popにこういう曲があるでしょうか?
何か全てが回答ありきの音楽で、私には最近のJ-Popがとてもつまらなく思えます。

物事は、特に人間関係の機微を表現する時、そこに出し切れない回答が幾つあっても好いのでは‥ と私は考えます。
答えが無いから、人はその答えに向かって人生を賭けて走り続けて行くのですから。

※この記事はnoteと同期投稿です。是非、noteの記事から応援・サポート等よろしくお願い致します。