暑気払い

昨日は暑気払いをかねて、久々に焼き肉を堪能して来ました。
数年前に比べると食欲が若干低下したのか、予定していた皿数を消化出来なかったのはショックでした。
 

色々なことを考える今日この頃。
つい半年前くらいまでは兎に角同業者や芸術方面の人達と繋がりを持つことを考えて来たのですが、音楽家の多くが自己愛が激しく、殆どの音楽家たちが他の人の音楽を正確に聴くことが出来ないと言う壁に何度もぶち当たりました。
なのでこれからは異業種の人達との繋がりに、着目して行きたいと感じています。その方が、良い人間関係を築けるので。
 
又、別の意味でも私の音楽を異次元級の音楽として、又私を音楽家・芸術家として向き合ってくれると思いました。
 

 
本来、音楽家が他の音楽家の作品を正確に評価出来ないことは、きわめて致命的です。
仲間同士を褒めちぎり合うのではなく、双方の人間的価値を正確に見極めると言う意味で、同業者にそれが出来ない人達がこれ程までに多いから、今の堕落した音楽業界に至ったとも言えるでしょう。
 
 
何度も言いますが、私はバッハ(J.S.Bach)でした。
過去世バッハの私にはバッハとしての人生の蓄積とその記憶があり、音楽の父・バッハが考える次世代の音楽のいろはが私の中には既に詰まっています。
 
「格の違い」を双方認識し合いながら、適切な人間関係を持ちたいと願うばかりです。
  
 

心を射抜く音 – Merodies through somebody’s heart

 

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2019年。年が明けて1月に一度だけブログを更新して、気が付いたら2月も半分をとうに過ぎてしまった。
目だったアクティビティーはなかったものの実は水面下で色々準備を重ね、収録の時を持ち、番組のジングルや背景音まで録音していたにも関わらず、ある事情で私は全ての企画を中止することに決めた。

いわゆる「ちゃぶ台を引っ繰り返す。」と言うアレだが、いざ「Didier Merah Talk(未公開YouTube番組)」の収録未修正分を聴いた私はただただ愕然とし、ありのままを夫に伝えることしか出来なかった。

夫は番組の為にこの数か月間色々計画を練り、そして実際に収録した45分弱の修正に時間を費やし、そしてジングルと番組用のBGMの録音に労力を遣ってくれたのだが、どうにもこうにも私はその出来上がりに納得が行かなかった。

 

やり直すと言う選択肢も考えなくはなかったがこれはあくまで私個人的な理由で、仮に収録を全部やり直したとしてもそれが上手く行く確証が全く持てず、だったらそんなに苦労しても余り上手く行かないと分かっていることを何度も何度もやり直すよりは、もっと私らしく、私が兎にも角にもポジティブに楽に出来る作業のスタイルを優先させた方が良いのでは‥ と思うようになって行った。

 

YouTubeトーク番組「Didier Merah Talk」に関してはその事前の告知で番組の内容が殆ど明かされていなかったが、番組への質問や要望をハッシュタグ「#DDMRtalk」を添えてTwitterでリプライを送って欲しい旨、さり気なくPRは続けていた。

だが残念ながら私の力不足ゆえ、質問や要望が一件も寄せられることはなかった。中には私のLINE宛てに「楽しい、メラさんらしいおもろい番組を期待しています。」等のメッセージが届くこともあり、私を知る人たちにとっての私の「おはなし」とは「おもろい話なんだなぁ‥。」と若干落胆することが続いていた。

 

私の中に決めている大きな軸のようなものがここのところ、真っ直ぐな樹の幹のように形をととのえながら、天空に聳え立っていた。

ずっと「ピアニスト」や「作曲家」「編曲家」「訳詞家」「詩人」‥ 等の肩書をプロフィールに提示し続けて来た私が「芸術家」を強く意識し、それを口にし始めたのが確か、恩師 三善晃氏がこの世を去った頃からだった。
一時は「とある事情」で音信を絶たざるを得なくなり、私はそのまま桐朋の研究科を退いたまま、遂に三善氏がこの世を去るまで会うことが出来なかったことが、ただただ悔やまれる。

 

今の私を三善氏が見たら、何と言うだろうか、何を想うだろうか‥。

私の中に三善晃氏の骨格は鉄骨のように凛と根を張り、私に「芸術家とは何か?」の答えをまざまざと今さらのように見せつけてくれるこの数年。夫の観察により私が過去世でJ.S.Bachであったことが判明してからは、私はその当時の自身の家族の一人がこの世界に私と同世代の同業者として生き続けていることをも思い出し、そうした色々なことが私の精神をとても安定させてくれる今だからこそ出来る音楽を粛々と生み出し続けられる今の環境を、自分と同様に愛している私。

それが自分の理想とする芸術家の象徴であること、それを自分の人生として生きられることをとても大切に想う私はやはり、公的な電波に戯言のようにペチャクチャと自分自身のあれこれを、或いは私が今世で構築完成間近でもある統一音楽理論のうんちくを語ることが何だかとてつもなく安っぽいことのように思うようになり、YouTubeトーク番組「Didier Merah Talk』に関わる全ての企画中止へと至った。

 

 

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今年は夏の終わりに少し大きな出費を控えている我が家は今、とても慎ましい暮らしを余儀なくされている。だがそんな中でも外に出てカフェと言う異空間に身を任せ、この先のDidier Merahの活動についてのあれこれを夫と話し合う時間を、私も彼もとても、とても大切にしている。
カフェでミルクティーやコーヒーを飲む時間は同時に人間観察を含む、色々な観察にはうってつけの時間でもある。
そしてそんな空間に流れる音楽についても私たちは細かな観察を重ね私は、「心を突き抜ける旋律」についての「ある結論」に近づきつつある。

 

和製シャンソン・カンツォーネの世界では「黒子」「影のお手伝いさん」のような扱いを受け続けた闇の時代、でもそんな闇の中にも細い光があり、その光の先には理想とする自分が存在した。
何より幼少期から私のテーマでもあった「残響の美しい音楽」を粘り強く押し通して行ける環境がそこには在り、「音が汚い」とか「もっとシンプルにしてよ」等の無謀な注文を殆ど無視しても仕事が途絶えなかったのは、それが和製シャンソンの闇の世界だったからだと言っても過言ではないだろう。

 

そして私は闇の世界を飛び出て文字通り、本当に一人になり、ピアノ以外の音を全く介在させない音楽の世界を頑固に押し通し続けている。
それは今後も変わることがなく、Didier Merah Japanの社長も同じ思いで「その先」の世界をある程度見通しながらの活動が、生きて行く限り続いて行くに違いないと確信している。

 

 

公的な場所ではシュールな話題を避けているので、この半年間の私が一体何に見舞われ何を苦労し続けているのか‥ については、私を(前身の活動期から)既に知っている人たち以外はきっと何も伝わらないだろう。

私は昨年の夏から、本当に苦労し続け、シュールなトラブルに巻き込まれ、死にかけた。だが幸い、こうして無事に生きている。
まさに奇跡だと思っている。夫への感謝も尽きない。

 

 

話がかなり脱線してしまったが、まぁそういうわけでDidier MerahのYouTubeトーク番組「Didier Merah Talk』のオンエアはなくなった 笑。

それより、Twitter上で「聴き放題系アプリ」についてのアンケートを実施した結果、Didier Merahのファンの半分近くがSpotifyもApple Musicも使用していないことが判明した。

 

 

この半年間の実質的なアルバムの売り上げが(聴き放題系アプリの台頭により)激減している中、それでもファンの方たちは「アルバムを聴きました。」と仰って下さるので、皆さん一体どのようにして私のアルバムを聴いて下さっているのか、それについては本当に心から知りたいと思っている。

このブログをお読み頂いた方へ是非、わたくしのアルバムをどのようにして聴いて下さっているのかについて、TwitterでもFacebook Pageでも好いのでお知らせ頂けると有難い。

Twitterの場合はハッシュタグ #DDMRListening ⇦ を添えてツイート頂けると有難い。
よろしくお願い致します <(_ _)>

 

最後に最近私がSpotifyで作成したPlayListを公開し、ブログを〆たいと思います。
Didier Merahの作品も、さり気なく収めています🎵 ⇩