音楽から読み解く世界情勢 [2022.01.19]

かれこれ私は10代半ばから音楽の仕事に携わっているが、これ程までに音楽界全体が迷走している様を見たのは人生初かもしれない。
1991年に勃発した湾岸戦争や、2011年の春に始まったシリア内戦の時でさえ、ここまで音楽界全体が衰退しなかった。だが、今一連の世界的なコロナ・パンデミックがこの世の全ての流れをせき止め、人々の精神や文化の発展を大きく阻害している。
 

こんな時でさえ、あれほど「地球を救済しに行くぞ」と息巻いていたとされるプレアデス星人等の地球への救済は為されず、人類は最早自力でこの難局を乗り越えて行く他の全ての道を絶たれた状態に在る。

特に2021年から現在に至る音楽情勢は危機的であり、世界的に多くの音楽家達が活動の場を追われている。主に舞台表現を得意とするミュージシャン達の前途は暗い。
例えば韓流女性ユニットの IZ*ONE は2021年4月29日で約3年間の活動を終了し、同じ韓国では最強のユニット 東方神起 も2019年以降の目だった活動は無い。
 

 

イタリアはカンツォーネ歌手の Andrea Sanninoオルネラ・ヴァノーニ が比較的インターネット配信での活動に華が見られる他は、全体的に活動や配信に翳りが見られる。
 

フランスはシャンソン歌手の Patricia Kaas(パトリシア・カース) も最近のアクティビティーは無く、唯一 Danny Brillant が昨年 Charles Aznavour(シャルル・アズナブール) の楽曲ばかりをセレクトしたフルアルバムを一枚リリースしている‥ と言う具合に、全体的に見ると一部の、インターネット配信に強いアーティストだけが断続的に楽曲を配信している印象が強く、音楽界全体としてはエネルギーがかなり弱まっている感が否めない。
 

 

フランスで私が長年注目している女性歌手 Enzo Enzo(エンゾ・エンゾ)が2021年に、久々にアルバムEau calmeをリリースしている。アルバム全体がヴォーカル+ギターのみで構成されており、一見シンプル・シャンソンにも視えるが全体を通して聴くとかなり地味で楽曲も冴えない印象だけが後に残る。
 

 

南米でアクティブな活動が見られるのは、意外にもメレンゲ (Merengue) 業界界隈ではあるものの、ラテン全般で見ると以前程の華が見られない。

中でも Elvis Crespo(エルヴィス・クレスポ) 辺りがブイブイ言わせながらメレンゲ界隈の華やかさを高めているようにも見えるが、楽曲の配信数に見合わず作品の質が明らかに落ちている。
 

 

そして最も私が気掛かりだったのは、Sufi(スーフィー)界隈のアーティストの活動が殆ど見られなくなった点だ。

Omer Faruk Tekbilek(オマール・ファルク・ テクビレクMercan Dede(メルジャン・デデ)Burhan Ocal(ブルハン・オチャル)、‥等、Sufiを代表する多くのアーティスト等の活動が2019年以降止まっているように見える。
 

 (⇧の動画、舞台中央の白髪の男性がオマール・ファルク・テレビレク。)
 

カッワーリ界隈からの音も途切れており、Fareed Ayaz(ファリード・アヤズ)Sabri Brothers(サビール兄弟)Rahat Fateh Ali Khan が2021年にかなり音質の悪いアルバムが2枚リリースされる以外のアクティビティーが見られない‥ 等、全体的に活動が低迷している様は否定出来ない。
 

 

クラシック音楽に視点を動かすと、2021年はかのショパン国際ピアノコンクールが1年遅れで開催されたことで若干賑わいを取り戻したものの、入賞した演奏家等のアクティビティーも然程目立っているとは言えず、それもその筈で彼等はオリジナルの作品を生み出して演奏する音楽家ではないので、結局のところは「舞台表現型」の表現手法以外の活動手段を持たないのだからそれも致し方ないのだろう。

ショパン好きはショパンと言う作曲家の音楽を聴きたいのであり演奏家と言う肩書きのパフォーマーに寄り付きたいわけではないのだから、「コンクール」と言うお祭り事が終わった後にはそこに静寂しか残らないわけだ。
 

それ以外のクラシック音楽は、主流を未だに現代音楽から動かしていない。
この物騒な時代にガチョーン!ガビーン!‥ 等と言う破壊芸術的な意味合いを多く含む、激しく痛々しい無調の音楽はもはや無用の長物であるだけに、ほぼ「見向きもされなくなっている」と言っても過言ではない。
クラシック音楽の専門家である私自身がそもそも現代音楽が嫌いなので、一部の現代音楽関係者以外はほぼノータッチと思って間違いないだろう。
 

 

現代音楽からは少し外れるが、私はこの人 Samuel Barber(サミュエル・バーバー)“Adagio for Strings” が大好きで、ベネズエラの指揮者 Gustavo Dudamel(グスターボ・ドゥダメル)の指揮で演奏される以下のトラックを時々聴いている。
 

 

話題が多岐に渡り過ぎるとかえって混乱するので、これでもかなりセーヴしながら記事を書いているが、やはりここのところ活動が活発に見えるのは台湾のポップス関連と、一部の(ジャンルとしての)ブラジル音楽界隈かもしれない。

特に台湾ポップスは全体的に粒が揃っており、業界全体の質が底上げされている感じに視えて来る。
 

 

 

一方ブラジル出身ではないがブラジル音楽にかなり近い表現スタイルをキープしているこの人 Didier Sustrac(ディディエ・シュストラック)[フランス人] も2021年9月に、愛娘をゲストに招いて新作PVを出しており、音楽のクオリティーも比較的高い状態で維持されている。
 

 

フランスから少し視点を動かして「スペイン」の音楽情勢を観てみるが、此方も余り目立った動きが見られない。

女性フラメンコ歌手 Argentina がキューバン・サルサとフラメンコを見事に融合させた新作IDILIOを2020年2月にリリースしている。この作品を中心としたアルバムが近くリリースされると言う噂があったので心待ちにしていたが、結局今日現在までアルバムはリリースされていない。
 

 

こうして全体を見渡してみると多くの「舞台表現型」のミュージシャン達が息を潜めており、諸々の事情で活動自体を停止しながら次の機会を狙っているようにも見えて来る。
 

そんな中、あえてヴィジュアルを出さずに音楽だけをサブスクリプション等から粛々と配信し、ある種の凄みを見せているジャンルの一つとしてLo-Fiミュージックが挙げられる。

 

「Lo-Fi」とは音像をあえてクリアにせず、若干の汚しを入れた音楽作品を指す。ジーンズで言うところの「ウォッシュド」の状態に近く、ある種のヴィンテージ感を出すことで楽曲に古めかしさ等を添え、アナログ感をもたせた作品が多い。

以下は私がSpotifyにスクラップした昨年版の「Lo-Fi」のプレイリストになる。
 

 

書こうと思えばまだまだ多くのジャンルに跨って行くことも可能だが恐らく私が地上ほぼ全体の音楽ジャンルを網羅しているだけに、読む方々の中に混乱が生じる懸念もあるので、本記事はこの辺りで一旦記事をお開きにしようと思う。

本記事の最後に、わたくし Didier Merah の作品を一つ添えておきます。
 

 

 

公式ブログ
Twitter
Linktree

内容を限定し、お仕事の依頼を受け付けております。音楽評論、レビュー or ライナーノート執筆、ラジオ番組用のBGM選曲、雑誌連載執筆及びYouTube出演や対談等、諸々用件・案件は、TwitterのDMないしは 📨[info@didier-merah.jp] ⇦ までお寄せ下さい。
オーダーを遥かに上回るクールで奇想天外な記事を、筆者の豊富な脳内データから導き出して綴ります!

情熱のソングライター “Alejandro Sanz”

日本ではおそらく余り馴染がないだろう。だが、私はアジアの片隅からずっと注目し続けているのがこの人、スペインのシンガー・ソングライターのAlejandro Sanz(アレハンドロ・サンス)だ。
 

先ずスペインのポップスを語る時に必要になるのが、フラメンコと言うジャンルだ。
日本人にとってフラメンコと言うと「オレーイっ」等と掛け声を掛けながら歌ったり踊ったりする、むしろ商業フラメンコの方だ。だがフラメンコと言っても奥が深い。
近年では音楽のジャンルとしては珍しいケースで、2010年にはユネスコによってスペインの無形文化遺産に登録されている。
 

『フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインにおけるロマ、いわゆるジプシー)が重要な役割を果たしている。』とWikipediaにも記載されているように、主にこのジャンルはロマによって演奏されたり歌唱されることが多く、そのロードムーヴィーとして有名な作品をあえて挙げるとすれば、映画監督 トニー・ガトリフ が監督を務めたラッチョ・ドロームを私はここに挙げたい。
 

 
さて本当ならばここでフラメンコについての記述をもっと突き進めるよう、我が社「Didier Merah Japan」の社長から通達があったのだが、フラメンコのうんちくを書き始めるとフラメンコの紹介なのかそれともこの記事の主役である Alejandro Sanz(アレハンドロ・サンス)の紹介なのかが本当に分からなくなるので、やはり悩んだ末ここは主役を Alejandro Sanz(アレハンドロ・サンス)に譲り渡し、内容をシンプル化したいと思う。
 

一つだけ書き添えるとしたら、民族音楽的なフラメンコの源流は楽器「ギター」に始まる。大元はクラシックギターに民族的なモードが合わさったもの、それがいわゆる「フラメンコ」の原点であり、今多くの人たちがそのジャンルの名前を聴いて連想する「ダンス主体」「リズム主体」のフラメンコは観光産業を発展させる過程で商業的に発展を遂げた形の、一種の商業フラメンコであり、そもそものこのジャンルの源流に在ったテイストとは異なるジャンルと言っても良いだろう。
 

さらに元を辿れば、フラメンコの発祥は「アラブ地域」とする説がある。


『複数の移民同士が旅の途中で出会い触れ合い‥寝食を共にし、モード色の強いアラビック音楽とクラシックギターの奏でる和声(コード進行)が見事なまでに合体した音楽がフラメンコの発祥である‥』、とは誰も言っていない(笑)。
だがなぜか私はその源流発祥の光景をまるで昨日見て来たことのように知っている。

まぁ余りシュールなことを書き過ぎると古いタイプの音楽学者に呪われそうなので、この話しの文字起こしはここで一旦止めておく。
 

 
さて、肝心要のこの記事の主役 Alejandro Sanz(アレハンドロ・サンス)が2021年冬に、アルバムSanzを世に放った。
彼の場合はもともとスペインの民族的なモードを起点としたメロディーメーカなので、正確には彼の音楽を王道「フラメンコ」と呼ぶことは出来ない。だがしいて言うならば「ネオ・フラメンコ」と言った方がそれに近いだろう。

1968年12月18日生まれの Alejandro Sanz(アレハンドロ・サンス)は、今年で52歳になる。まさに油の乗り切った世代の、王道の音楽を生み出す音楽家である。

 

 
アルバムSanzでは「ネオ・フラメンコ」的なテイストを持つ作品の他に、やはりここは営業を兼ねた意味合いなのか、M-2 “Iba のようなアメリカンテイストを持つ楽曲等も登場する。
正直アメリカに迎合するタイプの音楽をこのようなアルバムの中に見る度に、私は少しだけモチベーションが落ちてしまうのだ(笑)。

そもそもその民族にしか持ち得ないものを何故手放してまで、アメリカ万歳型の「売れ線」を狙わなければならないのかと、情けなくなるからね‥。
  

だがその次 M-3 “Yo No Quiero Suerte で、まるでいきなり目が覚めたみたいに Alejandro が拳を振り上げて立ち上がる。
王道のフラメンコのテイストの楽曲と歌唱表現の奥に、これまた王道クラシックの失われた歴史の中の「ロマン派」のコード進行の断片が浮かび上がると、多くのリスナーの中にその当時の微かな記憶が呼び覚まされ、胸をかきむしられるようなノスタルジーに身も心も包囲されて、きっと誰もがそこから一歩も動けなくなるに違いない。
 
M-4 “Rosa ではアフリカ音楽にも通ずるリズムを刻んだ打楽器とコーラスに始まり、それはまるで人々が互いに行き交う旅の途中の光景のように次第にスペインのコードやモードと折り重なりながら、そこにしか生まれ得ない一個の音楽を形成し、成長して行く。
そして歌手 Alejandro はけっして、他の経験値の浅い歌手たちのようにヒステリックに絶叫するような愚かな歌唱表現には及ばず、朝起きてシャツを着てズボンのベルトをしめて歯を磨く為に洗面台に立つかのように、きわめて普通に生活するように楽曲を最後まで歌い切って行く。
 
そして M-6 でようやく、アルバムリードのMares De Miel がお目見えする。まるでアルバム全体が舞台を見ているような鮮やかな構成になっており、この曲がアルバムの中心をしっかりと支えているのがよく分かる。
 

 

上手く日本語翻訳に至ることは難しいが、歌詞も印象的だ。
 
人は何度も行き来し、生まれ変わり再びここに戻って来る。
私はあなたに戻り、あなたになった私は再び出会う。
それは輝きの瞬間。
僕は毎日美しい女性と出会い、その中に魂の友を見つけて歓喜するだろう。
あなたが私を導き、昨日までの私を変えて行くに違いない‥。

 

ま、ざっと言えばこんなことが綴られている。それが上のPVを見てもよく分かる。

このアルバムSanzの中で最もフラメンコらしい一曲は、おそらく M-10 に収録されいるGeometríaだろう。
勿論冒頭に書いたような「オレ~イっ」等と掛け声を掛けるようなリズム体ではなく、いわゆる「バラード・フラメンコ」と言ってもよい素晴らしい一曲だ。

そしてこのアルバムのオオトリは、フルオーケストラが楽曲全編を包み込んで抱きしめて行くY Ya Te Quería。この曲で、アルバムSanzが静かに幕を下ろす。
 

M-10Y Ya Te Queríaを翻訳にかけてみると、まるで神々の人類への愛を感じさせる内容であることに気付く。
タイトルは「そして、私はすでにあなたを愛していた」と言う意味。
「わたしたちの中に、既に神々は種として宿っている、私は既に愛されていたのだ‥」と言う意味のセンテンスがリフレインで繰り返され、これは人類への新たな目覚めを呼び掛ける内容のバラードの大作だと言わざるを得ない。

 

 

既に目覚めた人たち、既に覚醒を始めた人たちが音楽家の中にこうして存在することに、私は歓びの涙を流さずにはいられない。
日々の小さなことに腹を立てている暇はないのだ。地球を想い、自然神を想い、地球の外の生命体に思いを馳せ、彼等と心から繋がる為の方法を模索し、その傍らで私も私自身の音楽を完成させて行く為の旅を止めてはならないと、今あらためて神に誓いを立てた。

 

アルバムSanzを聴き終えた時、思わず感謝の念があふれ出る‥。それは深いため息とともに全身を下から上に駆け上がり、太陽を目指して放たれて行った。
 
私の心の深い場所と幾つもの惑星や、星々の自然神等との繋がりを得る度に、私は自身が音楽家であることを心から祝福する。そして小さな自分の存在の全てを、いつまでも愛し続けたいと願って止まない。
 

🎀 🎀 🎀

公式ブログ
Twitter
Linktree 

内容を限定し、お仕事の依頼を受け付けております。音楽評論、レビュー or ライナーノート執筆、ラジオ番組用のBGM選曲、雑誌連載執筆及びYouTube出演や対談等、諸々用件・案件は、TwitterのDMないしは 📨[info@didier-merah.jp] ⇦ までお寄せ下さい。
オーダーを遥かに上回るクールで奇想天外な記事を、筆者の豊富な脳内データから導き出して綴ります!