“Nino” (EP) – by Chouchou

 
数日前からいきなりのタイミングでX上で告知を開始した日本のポスト・エレクトリック・ユニットのChouchouが、2曲 (voc.入り) + 2曲 (Inst. ) の計4曲のEP『Nino』の配信を開始した。

最近のChouchouの音楽性 (商品性) に不安定感が否めず、紹介や評論の対象から彼らを外していたが、今回の新譜はなかなか良い出来栄えになっている。
かなりKPopの流れを意識している辺り (特に韓国の電子系プロデューサー/250 イオゴン) が目立ってはいるが、さしずめ日本発信のアナザー/KPopとでも言うべきか、それはそれで作品としてはかなり洗練されて来たような気がする。
 
やはり juliet Heberle の蜉蝣系ヴォーカルと詞の世界観が、arabesque Choche のメロディーメイクを一層際立たせているように感じる。julietも本作品では低音域に徹しており、それが人の話し声の声域をはみ出さない分安心して聴いていられる。
本作品では arabesque Choche もコーラスで参加しているが、彼の声質はどこか楠瀬誠志郎を想起させる。彼はコーラス向きの声質だと思う。
 
彼らの一時のポスト・エレクトリックのゴリ押し感が軽減されたことに加え、今回はMVにリアルの人物や風景が一切登場しない、とてもメルヘンな絵図に仕上げていることで、かえって音楽やjulietの声に集中出来るのが良い。
 
EP2曲目『Jelly Jelly』は彼らの旧作最果のダリアのM-3: “Lovers & Cigarettes” の上位互換と言える良作で、全体的にまとまり感が高まったように感じる。
 

 

 
Chouchouの新譜『Nino』はこれまでの彼らの作品と比較すると、ユニットとしての統一感が出て来たところが大きな変化だろう。
julietの声とarabesqueのメロディーとの分離感がそれによってかなり軽減されたのは、大きな前進だ。『Jelly Jelly』ではよく聴くと所々にarabesqueの声がエフェクトの中からかぶって来る辺りに、隠し味的な工夫が見られる。
こういう小ワザは、ほんのり見えるぐらいが丁度いい。ハイスペックなヘッドホンで聴いた人だけが気付く‥ 程度の演出の方が、楽曲が長持ちするから。
 
何ったってChouchouの新譜が、人物や風景と言う生々しい映像を一切使って来なかったところを、音楽の専門家として、あらためて称えたい。
 

 
※是非、日本語バージョンも追加でリリースして欲しい🎧

Reiwa has begun

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新しい元号、令和が始まった。とても賑やかな平成の終わりとは打って変わって、令和の始まりはとても静かで昼間なのに夜の彼方へと弾き飛ばされたような静寂は際限がなく、果てしなく気が遠くなりそうだった。

 

私たち夫婦は連休の始まりから強い疲労感に苛まれ、二人とも各々が体の特定の箇所に不具合が続き、結局それは連休の最後まで私たちを捕えて離してはくれなかった。
だが、長い10連休の間兎に角睡眠を優先させて体も心も休め抜いたからなのか、今朝10日振りに鍵盤に触れてみると小さいけれど新たな感覚が体の奥底に芽生えていることに気が付いた。

感覚の新芽はこれから始まる長い雨の前触れを感じ取り歓喜する草木のように、初々しく青々とその羽根を拡げる寸前だった。恐る恐るその葉先に触れると、彼等は私の指先をすり抜けて空へ、風へ、その矛先をしっかりと向けて遠くを見つめ、見知らぬ歌を口ずさみ始めた。

 

私は彼等の奏でる新しい旋律に耳を澄ます。

 

美しいものの奥には常に、悲しみと不安が同居する。それが美しければ美しい程両者は熱く纏わり付いて来る。だから私はマイナーコードの音楽を奏でない。
究極の美の先端に瞬時に宿る光の帯を絶対に見失わぬよう、あえて明るいものにだけ焦点を合わせて音を紡ぐ為の、それは密かな技術のようなもの。

 

本当に描きたいもの、それは昨日までの悲しみでも後悔でもなく未来への祈りの方。

これからはその一点だけを確実に見据えて私は、人類が未だ知らぬ美の世界を限りなく追い求めて行きたい。但しそこには終生終わることのない祈りだけがあり、私の創作活動は最早作曲を飛び越えて祈ることに始まり、祈ることでその作業を終える… その連続になるに違いない。

 

☆ ☆ ☆

そしてあっと言う間に連休が終わり、再びいつもの日々が始まった。

ある時から私は色々な生命たちとの会話が出来るようになり、今このブログを書いている間も庭の木々たちがひっきりなりに私に話し掛けて来る。

さながらそれは緑が織りなすミュージカルのようでもあるが、木々たちが歌い上げるミュージカルはとても厳かでゆっくりで、そして一曲一節のスパンが長いのが特徴だ。

 

それに比べヒト科の音楽家たちが生み出す音楽の大半が何ともせわしくて、私はその殆どをミュートした状態で暮らしている。

 

何はともあれ、新しい時代が始まった。色々なことが既に起きていたし、或いはこれから起きるのかもしれないけれど、その一瞬一瞬を深く味わい噛みしめながら、ここからの道をゆっくりと静かに進んで行きたいと思う。

 

 

さて、今日この記事を書きながらのBGMは、平成の最後に私が作ったSpotifyのPlayListだ。
私自身何度も繰り返し聴いているが、なかなかの出来栄えだと思っている。

このブログを読んで下さっている皆様へ、是非Spotifyを広告なしで聴けるよう有料登録をしてみては如何だろう?
そして私のSpotifyアカウントをフォロー頂き、同時に私が随時発信して行くSpotifyのPlayListも含めて愛して頂けたら本望である。

 

 

My Season will come soon

 

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さながら枯葉のように燃え尽きながら、私は一足先にこの夏を彷徨い続けていた。
色々なことが立て続けに私の身に起きたが、それは他言の出来ない出来事ばかりで目まぐるしく私の生活を包囲した。

だが私には夫が付いている。私の身に起きる多々の悪しき出来事を彼は誰よりも早く察知し、そして確実に私を救い出してくれる。常に冷静で、尚且つ頼もしい人だ。

 

アルバム『Wa Jazz』が無事にリリースの時を迎えられたのも、彼が居てくれたからこそ、である。

今回『Wa Jazz』についての文字解説や音楽解説の補足は、一切出して居ない。音楽は説明書きで理解するのではなく、先ず感覚に降りて来るイメージをリスナーには大切にして頂きたいと言う、これも私の密かな願いであり意図でもあるとご理解頂ければ幸いだ。

 

冒頭にもお伝えした通りこの夏の私は悉く体調と気分の不調に見舞われ、殆どブログも書けずSNSにも余り顔を出せず、時折知人とこじんまりとメッセージのやり取りをする以外の多くの時間を眠って過ごした。

眠っている間の私にも、ミッションは付き纏う。むしろ眠っている間、感性が他の世界にスイッチしている時の私のリアリティーの方がとても強いと言っても過言ではないが、かと言ってそういう話を知人とは共有しないことに決めているので、このブログを書くタイミングも大幅に遅れてしまった。

 

Wa Jazz』を注意深く聴いて頂いている方々は既にお気づきだろうと思うが、これまで世界には一つと存在しない和の音楽の新しいかたちがあのアルバムの中で実現した。
日本人の音楽家として必ず為さなければならないこと、日本のモード、和声その他編曲面で、『Wa Jazz』の中に託された可能性は無限大である。

 

勿論アルバム全体には一つのストーリーが流れているが、それは文字で補足するよりもリスナー各々の中に降りて来る映像やインスピレーションに委ねたい。

 

 

溶け落ちるような夏がもう直ぐ終わり、やがて私の季節がやって来る。
それまでの時間をこれまでよりももっと静かに厳かに、そして慎重に過ごして行きたいと今強く願って止まない。