新しい元号、令和が始まった。とても賑やかな平成の終わりとは打って変わって、令和の始まりはとても静かで昼間なのに夜の彼方へと弾き飛ばされたような静寂は際限がなく、果てしなく気が遠くなりそうだった。
私たち夫婦は連休の始まりから強い疲労感に苛まれ、二人とも各々が体の特定の箇所に不具合が続き、結局それは連休の最後まで私たちを捕えて離してはくれなかった。
だが、長い10連休の間兎に角睡眠を優先させて体も心も休め抜いたからなのか、今朝10日振りに鍵盤に触れてみると小さいけれど新たな感覚が体の奥底に芽生えていることに気が付いた。
感覚の新芽はこれから始まる長い雨の前触れを感じ取り歓喜する草木のように、初々しく青々とその羽根を拡げる寸前だった。恐る恐るその葉先に触れると、彼等は私の指先をすり抜けて空へ、風へ、その矛先をしっかりと向けて遠くを見つめ、見知らぬ歌を口ずさみ始めた。
私は彼等の奏でる新しい旋律に耳を澄ます。
美しいものの奥には常に、悲しみと不安が同居する。それが美しければ美しい程両者は熱く纏わり付いて来る。だから私はマイナーコードの音楽を奏でない。
究極の美の先端に瞬時に宿る光の帯を絶対に見失わぬよう、あえて明るいものにだけ焦点を合わせて音を紡ぐ為の、それは密かな技術のようなもの。
本当に描きたいもの、それは昨日までの悲しみでも後悔でもなく未来への祈りの方。
これからはその一点だけを確実に見据えて私は、人類が未だ知らぬ美の世界を限りなく追い求めて行きたい。但しそこには終生終わることのない祈りだけがあり、私の創作活動は最早作曲を飛び越えて祈ることに始まり、祈ることでその作業を終える… その連続になるに違いない。
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そしてあっと言う間に連休が終わり、再びいつもの日々が始まった。
ある時から私は色々な生命たちとの会話が出来るようになり、今このブログを書いている間も庭の木々たちがひっきりなりに私に話し掛けて来る。
さながらそれは緑が織りなすミュージカルのようでもあるが、木々たちが歌い上げるミュージカルはとても厳かでゆっくりで、そして一曲一節のスパンが長いのが特徴だ。
それに比べヒト科の音楽家たちが生み出す音楽の大半が何ともせわしくて、私はその殆どをミュートした状態で暮らしている。
何はともあれ、新しい時代が始まった。色々なことが既に起きていたし、或いはこれから起きるのかもしれないけれど、その一瞬一瞬を深く味わい噛みしめながら、ここからの道をゆっくりと静かに進んで行きたいと思う。
さて、今日この記事を書きながらのBGMは、平成の最後に私が作ったSpotifyのPlayListだ。
私自身何度も繰り返し聴いているが、なかなかの出来栄えだと思っている。
このブログを読んで下さっている皆様へ、是非Spotifyを広告なしで聴けるよう有料登録をしてみては如何だろう?
そして私のSpotifyアカウントをフォロー頂き、同時に私が随時発信して行くSpotifyのPlayListも含めて愛して頂けたら本望である。