私が病院に行かない理由

かれこれ一ヶ月以上~二ヶ月近く、微熱と向き合っている。

最初は風邪の症状に似て、39℃近くの高熱に加えこれまで経験したことのない喉の痛みに見舞われた。その後徐々に喉の激痛も緩和し熱も下がって来たが、体温が37℃~37.2℃辺りをウロウロし始めたまま微熱が引かない。

時々思い出したように36℃台をマークするものの、又直ぐに37.0℃まで戻る。

その様子を時々SNSでつぶやくと一定数、「病院には行きましたか?」とか「検査はしましたか?」等のリプライが来る。

基本的に私は他人の人生に口は挟まない。どんなに親しい間柄であったとしても、相手の人生の責任を負う関係性が生じない限り、他人の人生に口出しはしない主義だ。つまり今の私は夫のこと以外、関心を持たないことに決めている。 

 

何を隠そう、私は新型コロナワクチンを接種していない。これからも接種するつもりはない。

あれは人口削減計画を具現化する為のワクチンであり、生物兵器と同類であることを私は、2021年のワクチン接種が強制され始めた頃から知っていた。それは各メディアや医療従事者の発信やブログからではなく、カビの自然神から直接聞いて内情を把握していたからだ。

だから製薬会社の派出所もどきの現在の医療機関にも、当然足は運ばない。自分の体に何を打たれるか分からないような場所へは、自ら出向かないことに決めている。

代替案として、今は漢方薬で体調を調整している。当然新薬よりは改善までの道のりは長くなるが、副作用はかなり軽減されるし何より成分説明が明瞭だ。

 

SNSは自由空間の筈。誰がいつ、何をつぶやこうが双方が現実的な知り合いでもない限り、匿名名乗りの何者かが他人に深く干渉するのはルール違反だ。‥が、ここ数日複数ヶ所で、私の微熱発言に苦言を呈する人たちが現れて困っていた。

あなた方は土台私に会ったことも話したこともないわけで、私の日々の何を知っているの?無責任なことを言わないで欲しい。病院に行って万が一ナノグラフェンやらmRNA某が混入された注射を打たれたら、私は確実に数年以内で死にます。

遠隔操作で私を殺す気ですか?

 

ふと、「微熱が引かない‥」とつぶやいた私のポストを見掛けた時に限って、親切そうに「検査だけでも‥、ダメですか?」などと、どの口が言うの?!

ハッキリ言って、あなたはただの偽善者です。

人の病気にかこつけて口出しして来る人って、そういうネタを普段から探し歩いている人だと言うことを私は知っている。なぜって、それは困ってそうな第三者に恩を売って感謝の言葉を生涯に渡り引き出す為だ。

一種のマウンティングとでも言うべきだろう。彼らはこぞって教祖様になりたい人たち。匿名教祖だから、まったくタチが悪い。

二度と現れないで頂きたい。

 

(スマホから投稿 📱)

[インフォメーション 2. ] 2Blog 統合 – 一部修正


上記のブログにてX凍結後のメインSNSについて書きましたが、一部修正があります。
 

今後の主なSNSの拠点を ①Bluesky ②Threads ③Facebook (個人アカウント) と表記していましたが、よくよく考えてみたところ特に ③Facebook はあくまで個人的な連絡用に使っており、氏名表記が実名になっている為、メインのSNSとしては使用しないよう事務所より通達がありました。
 
①Bluesky に於きましてはサイトが現在かなり不安定で、スマホ/ PC共にタイムラインが読み込めない時間が断続的に起こり、流石にアカウントの設置をお薦めすることが出来かねる状況です。
②Threads に関しては主に写真や映像、或いは店舗営業関係者が使いやすい仕様となっている為、此方も積極的な利用は推奨しかねる状態です(笑)。

どのSNSに於いても「帯に短し襷に長し」の状況で、私自身もかなり困惑しています。
 

今後Xのメインアカウントが凍結を解除されたとしても、人間嫌いの私にとっては余り居心地の良さと将来性を感じなくなっているのが心情で、現在はXのサブアカウントをあくまで「つぶやき」として運行しています。
此方は先に凍結されたメインアカウントと同様の使い方は出来ない為、以前のようなシュールなつぶやきは今後永久的に出来ないことになる見通しです。
 

現在一つアイディアがあるとすれば、音楽評論雑記の部分を現ディディエ・メラの音楽評論(ブログタイトルを後日変更の予定) の中で継続することでしょうか‥。
日常的なつぶやきはサブアカウント内で時たま‥ と言うスタンスに移行する予定です。
 

ディディエ・メラの音楽評論のドメインの変更が未だ完了していないのですが、此方も少々お時間を頂戴出来れば幸いです。
なるべく近い将来、ドメインを変更する予定で現在準備を進めております。
 

又カテゴリー03. 音楽評論 / 音楽紹介にもかなり記事が集まって来ました。
ディディエ・メラの音楽評論からPVの多かった記事を抜粋して、当ブログに移動しています。上記ブログに雑記帳の体 (てい) で綴った記事は、もしかするとそのまま移動しない状態で此方には移動せず、ディディエ・メラの音楽評論上に残しておくかもしれません。
 

両ブログが今後、Didier Merahのメインスタジアムになる予定ですので、これまでのSNSでちまちまつぶやくことはかなり少なくなるでしょう。
その上で、もう少しだけ各SNS (Facebookを除く) の状況を鑑みつつアカウントを温存し、たまに生存確認がてらつぶやきを投げ込むかもしれません。
 

近況報告

このところブログの更新が少し止まっているが、私は至って元気である‥ と言えるような、言えないような‥。
諸々あるが、近況の一部を以下に列挙しておく。
 

  1. 身近な友人知人の急な体調不良や訃報が増えているので、メンタルが落ち込んでいる。
  2. Twitterでの発信力を高める為に、特に今年は「相互フォロー」でFFの拡張に注力して行きたい。
  3. 音楽評論家「花島ダリア」の活動の認知度を高めるべく、noteとブログ「花島ダリアの音楽評論」の更新頻度を上げている。

花島ダリアの音楽評論: https://dahliahanashima.wordpress.com/

 
他にも色々やるべき事はあるが、当面はこの優先順位で行動が制限されそうだ。
 

それにしても特に今年に入ってから、私は度々のシェディングに悩まされている。
特に私は胃腸が余りタフではないので、拾って来てしまったスパイクタンパクの粒子がそこを攻めて来るので、外食のお約束は余りしないよう努めている。

今日も胃腸はガタガタである。だからと言って空腹にならないわけではないので、遠慮がちに、用心しながらぼそぼそと食事は摂っている。
 

 
墓じまいから家じまい(売却含む)を済ませ、ずっと手つかずだった旧宅の清掃にそろそろ入らなければいけないのだが、恐らく次の更新のタイミングには間に合わないだろう。
なので更新料を支払って、旧宅の家じまいはゆっくりと進めて行くことにした。

その間、少しばかり得たもので資産運用を試みながら、若干でも増やせたら良いと思って毎日日経平均株価のサイトには必ず足を運ぶようになった。
2年前までの自分とは、今は全く違う生き物みたいに美味しいフランス料理を頻繁に食べて、そして100グラム18,000円もするシャトーブリアンを提供してくれる肉料理店にも月一程度通ったりしながら命を温存させている。
 

 
虫は食べない。魚も産地を選んで食べている。
水は絶対ミネラルウォーターで、最近は大好きだった炭酸水から心も体も離れて日々リンゴジュースだけは欠かさない。
コーヒーや紅茶などの飲み過ぎにも注意し、ティータイムの1/3を健康茶ないしは野草茶に代えて飲んでいる。
 
本当に何もかもが様変わりした我が家だが、それでもどこかしらに慎ましさを残しながら少しだけ華やかな物を足して新居をじっくり作り上げている。
欲しかったWedgwoodのマグカップも先日違うバージョンを足したところだ。プレートや茶器を変えるだけで、気持ちも上がる。
 
創作活動や日々の著述の質も俄然向上したし、これまでの57年間の私の人生や前途が毒親・毒家族毒親族たちに妨害され続けていたことを今さらながら痛感している。

ようやく得られた等身大の自分や暮らしを先ずは大切にしつつ、これまで散々苦労を掛けて来っぱなしだった夫にもゆったりと寛ぎながら日々を穏やかに過ごして欲しいと願っている。
 

メモ書き、ラフ書きのスタイルであればDidier Merahと花島ダリアの両方のTwitterアカウントからの発信も日々続けているので、両者の日常を覗きたい方は是非そちらにも目を向けて頂ければありがたい。
 
拙いながらもフラワーアレンジメントも亜流で磨きを掛けているので、そんな他愛ない日常の断片も発信している。
 

 

虹とシュールレアリスムとランチ

木曜日。本当ならば週一回の自由日、安息日の今日だが、予定では自宅で静かに読書でもする筈だった。
だがこういう日に限ってLINEがポンポン鳴り始め、私はAKB48全盛期の前田敦子のように、町の知人・友人達とランチのご相伴の取り合いになる寸前だった。

誰にも会いたくない日があれば、誰かと会ってこの瞬間を分かち合いたい日もある。
今日は後者だった。

少し眠って体力も戻っていたので、若干重たい話題でも何とか心身耐えられそうだと考えていると、その「重たい話題」をふんだんに持っている人物(A氏)からLINEが入り、「霊の話で申し訳ないのだが付き合ってはくれまいか?」とメッセージ。
他に二人からLINEが折り重なって届く中、最も話題が重たくなりそうな人物を私は選ぶことにした。

 

話題は重たいが、冗談抜きで財布はかなり軽くなっていたので、幾つか安い価格のランチをセレクトして現地に向かう。
第一候補の店舗にどうやら新型コロナ肺炎の陽性者が出たようで、その店舗は今月一杯臨時休業の看板が出ていたので、直ぐに先方に連絡して待ち合わせ場所を駅ビルに変更した。
そして第二候補の店舗がランチタイムに開店している状況を確認して約束の場所にむかおうとしたところで、申し合わせたように待ち人来たるでそのまま目的の店舗に直行した。

 

 

私はあいにく見逃してしまったのだが今日、早朝の空に圧巻の虹が出現したようだ。その様子を写真で見せてくれるA氏。

━ 最近やたらと虹が多く出るには理由があってな、コロナ禍で多くの旅人が出る時にあちらの世界へ行く橋が滞らないようにと、自然神が気を利かせるらしい。
それで空に、例年よりも多くの虹の橋が架かるそうだよ。


彼の話しも私に負けず劣らずシュールで、尚且つ生粋の霊能力が彼をそうさせるのか彼の話しには妙な説得力がある。

今朝、私も妙な時間にある珍事に振り回され、そのまま目が冴えて眠れずに居たところに窓からいきなり真っ赤な光が射し込んで来た。
いつもならばスマホを抱えて外に出て写真を撮りに行くのだけど、私は油断をしていない。どんな時にも新型コロナウィルスの変異株は身近にあることを意識しており、迂闊に外出はしないことに決めている。

無事に生き延びられれば、明日も来年も空を見上げる機会はふんだんに訪れるだろう。そう思い、軽く冷水を浴びて体を冷やして布団に入ったその後に、どうやら大きな虹が空に架かったようだ。

 

心眼が機能し始めると、途端に周囲の色々な現象の緩さを感じ、自分だけが少し秒針の早い時の流れの中に生きているかのような苛立ちに苛まれるようになる。
今朝起こった珍事も、そんな私の少し速い時の流れと相手との微妙な日常のズレ感が引き起こした事故のようなものだった。だが、今朝の私は「闇のカン」が異常に冴え渡っていた。

 
湧き上がる怒りを解き伏せることはせずに、私はその相手が二度と私に関われないよう、SNSの中の一個のネジをきつく締めてアクセス拒否を施した。

 


霊能者の彼も、そして芸術家の私も、各々の生活は実に慎ましいものである。
包み隠さず書くならば、今日のランチはコーヒー付きの中華で価格は650円だった。その650円を大の大人がそれぞれPayPayで支払い、それでもその瞬間会える奇跡を噛みしめ合っている。
 

年齢で言うならば私はもう、一般的には役職に就く年代に入っている。だが私は生粋の芸術家。
タレント活動もせず、スポンサーも付けず、日々を音楽と祈りと色々な世界の住人や神々との交信に、人生の全てを捧げ尽くして生きている。それはおそらく多くの人達には理解出来ない真の私の姿であり、それゆえに私は度々人に蔑まれ、差別を受け、偉そうに私の作品や生き方を批評(主に否定や拒絶)する輩も後を絶たない。

 
多くの音楽愛好家たちは、芸術家とアーティスト、アーティストとタレント音楽家の区別がついていない。それを彼等に教え諭す職に在る人達が、ある時期からごっそりと姿を消してしまったからだ。
だから私はそのようなおかしな常識(非常識とも言えるだろう)を正すべく、これからは自身のファンと言えども「ものの格」「ものの見極め方」をしっかり教育して行く必要性と危機意識を同時に感じている。
その為には先ず、私が手本を示さなければならない。
 

 

極力優雅に高飛車に、そしてクールに嫌味ったらしく相手をひざまづかせるまで、私は問い掛けの手を緩めぬことに決めた。

 

人の何倍もの人生を瞬時に生き、最近では色々な神々との交信に多くの時間を割いている。そしてその過程と経緯を全て含めて、自身の音楽に刻印している…、そんな作曲家が他に居るだろうか?
少なくとも私は未だ、そのような芸術家を見たことがない。
 

未だ誰も視たことのない、誰も知らない、誰も触れたことのない価値観や世界観を作品化する、それが私の今世の最大のミッションかもしれない。
理解出来ない相手には、とことん理解を促すか或いは互いの傷が浅いうちにそっと距離を置いて関わりを絶つか、何れかの二択である。
 

 


今朝の朝焼けは圧巻だった。
神々から人類への最後の執行猶予は、きっと人々の口元から言葉を全て奪い去って行く氷のような恩情に満ちており、それを感じ取った人々を静かにひざまづかせて行く。

それが神々の愛であり、人類は未熟ながらもそんな神々の「恩」を誠実な思いで受け取らなければいけない。

 
2021年8月某日、夫・天野玄斎と私は二人揃って「霊質学者」の称号を名乗ることに決めた。これは私達が… ではなく、プレアデス星団のJane女史が決定したことだ。
ありがたくその命にあやかりたいと思う。

そして同じくJaneは私に「比較音楽学者」を自ら名乗るべきだと言ってくれたので、その名に恥じぬよう今後ますますの精進を心に誓った。

 

初心に戻るのではなく、初心には戻らない進化を私は目指している。
リスタートやリセットは自ら決定して行くものであり、他者の胸先三寸やご機嫌に左右されたくはない。
なので今朝のSNS内での出来事のように私の実体や格を見極めず、私の作品や人生観を安直に批評し、偉そうにふんぞり返っているような相手に対しては、公衆の面前で言語を用いたフルボッコに処すこととする。