木曜日。本当ならば週一回の自由日、安息日の今日だが、予定では自宅で静かに読書でもする筈だった。
だがこういう日に限ってLINEがポンポン鳴り始め、私はAKB48全盛期の前田敦子のように、町の知人・友人達とランチのご相伴の取り合いになる寸前だった。
誰にも会いたくない日があれば、誰かと会ってこの瞬間を分かち合いたい日もある。
今日は後者だった。
少し眠って体力も戻っていたので、若干重たい話題でも何とか心身耐えられそうだと考えていると、その「重たい話題」をふんだんに持っている人物(A氏)からLINEが入り、「霊の話で申し訳ないのだが付き合ってはくれまいか?」とメッセージ。
他に二人からLINEが折り重なって届く中、最も話題が重たくなりそうな人物を私は選ぶことにした。
話題は重たいが、冗談抜きで財布はかなり軽くなっていたので、幾つか安い価格のランチをセレクトして現地に向かう。
第一候補の店舗にどうやら新型コロナ肺炎の陽性者が出たようで、その店舗は今月一杯臨時休業の看板が出ていたので、直ぐに先方に連絡して待ち合わせ場所を駅ビルに変更した。
そして第二候補の店舗がランチタイムに開店している状況を確認して約束の場所にむかおうとしたところで、申し合わせたように待ち人来たるでそのまま目的の店舗に直行した。

私はあいにく見逃してしまったのだが今日、早朝の空に圧巻の虹が出現したようだ。その様子を写真で見せてくれるA氏。
━ 最近やたらと虹が多く出るには理由があってな、コロナ禍で多くの旅人が出る時にあちらの世界へ行く橋が滞らないようにと、自然神が気を利かせるらしい。
それで空に、例年よりも多くの虹の橋が架かるそうだよ。
彼の話しも私に負けず劣らずシュールで、尚且つ生粋の霊能力が彼をそうさせるのか彼の話しには妙な説得力がある。
今朝、私も妙な時間にある珍事に振り回され、そのまま目が冴えて眠れずに居たところに窓からいきなり真っ赤な光が射し込んで来た。
いつもならばスマホを抱えて外に出て写真を撮りに行くのだけど、私は油断をしていない。どんな時にも新型コロナウィルスの変異株は身近にあることを意識しており、迂闊に外出はしないことに決めている。
無事に生き延びられれば、明日も来年も空を見上げる機会はふんだんに訪れるだろう。そう思い、軽く冷水を浴びて体を冷やして布団に入ったその後に、どうやら大きな虹が空に架かったようだ。
心眼が機能し始めると、途端に周囲の色々な現象の緩さを感じ、自分だけが少し秒針の早い時の流れの中に生きているかのような苛立ちに苛まれるようになる。
今朝起こった珍事も、そんな私の少し速い時の流れと相手との微妙な日常のズレ感が引き起こした事故のようなものだった。だが、今朝の私は「闇のカン」が異常に冴え渡っていた。
湧き上がる怒りを解き伏せることはせずに、私はその相手が二度と私に関われないよう、SNSの中の一個のネジをきつく締めてアクセス拒否を施した。

霊能者の彼も、そして芸術家の私も、各々の生活は実に慎ましいものである。
包み隠さず書くならば、今日のランチはコーヒー付きの中華で価格は650円だった。その650円を大の大人がそれぞれPayPayで支払い、それでもその瞬間会える奇跡を噛みしめ合っている。
年齢で言うならば私はもう、一般的には役職に就く年代に入っている。だが私は生粋の芸術家。
タレント活動もせず、スポンサーも付けず、日々を音楽と祈りと色々な世界の住人や神々との交信に、人生の全てを捧げ尽くして生きている。それはおそらく多くの人達には理解出来ない真の私の姿であり、それゆえに私は度々人に蔑まれ、差別を受け、偉そうに私の作品や生き方を批評(主に否定や拒絶)する輩も後を絶たない。
多くの音楽愛好家たちは、芸術家とアーティスト、アーティストとタレント音楽家の区別がついていない。それを彼等に教え諭す職に在る人達が、ある時期からごっそりと姿を消してしまったからだ。
だから私はそのようなおかしな常識(非常識とも言えるだろう)を正すべく、これからは自身のファンと言えども「ものの格」「ものの見極め方」をしっかり教育して行く必要性と危機意識を同時に感じている。
その為には先ず、私が手本を示さなければならない。
極力優雅に高飛車に、そしてクールに嫌味ったらしく相手をひざまづかせるまで、私は問い掛けの手を緩めぬことに決めた。
人の何倍もの人生を瞬時に生き、最近では色々な神々との交信に多くの時間を割いている。そしてその過程と経緯を全て含めて、自身の音楽に刻印している…、そんな作曲家が他に居るだろうか?
少なくとも私は未だ、そのような芸術家を見たことがない。
未だ誰も視たことのない、誰も知らない、誰も触れたことのない価値観や世界観を作品化する、それが私の今世の最大のミッションかもしれない。
理解出来ない相手には、とことん理解を促すか或いは互いの傷が浅いうちにそっと距離を置いて関わりを絶つか、何れかの二択である。

今朝の朝焼けは圧巻だった。
神々から人類への最後の執行猶予は、きっと人々の口元から言葉を全て奪い去って行く氷のような恩情に満ちており、それを感じ取った人々を静かにひざまづかせて行く。
それが神々の愛であり、人類は未熟ながらもそんな神々の「恩」を誠実な思いで受け取らなければいけない。
2021年8月某日、夫・天野玄斎氏と私は二人揃って「霊質学者」の称号を名乗ることに決めた。これは私達が… ではなく、プレアデス星団のJane女史が決定したことだ。
ありがたくその命にあやかりたいと思う。
そして同じくJaneは私に「比較音楽学者」を自ら名乗るべきだと言ってくれたので、その名に恥じぬよう今後ますますの精進を心に誓った。
初心に戻るのではなく、初心には戻らない進化を私は目指している。
リスタートやリセットは自ら決定して行くものであり、他者の胸先三寸やご機嫌に左右されたくはない。
なので今朝のSNS内での出来事のように私の実体や格を見極めず、私の作品や人生観を安直に批評し、偉そうにふんぞり返っているような相手に対しては、公衆の面前で言語を用いたフルボッコに処すこととする。