河を渡る

1998年、かつてメキシコを横断した時に現地の占い師に言われたことは「貴女のホロスコープは53歳目前で消えている。」だった。その言葉がその後ずっと脳裏を駆け巡り、確かに三人の占い師に言われた通り10年前の私の体はもうボロボロだった。

その、ボロボロの体を夫がまるで「元ある状態に戻す」みたいに、完全に治してくれた。いわゆる「ヒーリング」と言うその方法で私の不整脈その他心臓を巡る色んな不具合はほぼ完治し、その後不整脈に悩まされずに済むようになった私の演奏法にも大きな変化を及ぼした。

 

それまでの私は伴奏家として生計を立てていたのだけど、私が当時最も悩んでいたことは「人の心拍数に自分の心臓が同期してしまうこと」、そして人の心拍音がとてもリアルに聴こえる為に自分自身の体調にそれが異変をもたらすことだった。
その悩みがある日全く消えてなくなり、私の鼓膜までがクリアになったように周囲の音の世界が激変した。

 

53歳へのカウントダウンは既に10年前から始まっていた。その2017年11月3日、先ずその日を越えなくてはならない。次に2018年4月25日の結婚記念日に向け、第二のカウントダウンを開始し、無事にその日を健康な状態で迎えて越えることが出来た。

こんなおめでたい記念を祝わずには居られないと言うことで、昨日2018年5月1日はずっと行きたいと願っていた都下は吉祥寺のステーキハウス さとうに出向き、極上のステーキで夫を労い神々に感謝し、そしてそっと自分自身へのご褒美のリブロースを頬張った。

 

 

 

 

何もかもが順調そうに見えるが、案外そうでもなかった。

私が過去の自分からDidier Merahへと変身した当初は私は名無しのミュージシャンであり、インターネット上からそれまでの全ての経歴を抹消し、各々のタイミングを切っ掛けに少しずつヴェールを脱いで行った。
そして2018年2月、Cathy ClaretさんとのJ-WAVEスタジオライブの共演を機に私の仕事の顔がインターネットの一斉に公開され、その後私は生まれて初めてプロフィール用の顔写真の撮影に踏み切った。

いざ顔を世界にお披露目してしまうと、もう怖いものなどなにもなくなりそうな気がして来る。勿論この世界にはまだまだ怖いものがきっと沢山あるのだろうけど、少なくとも分厚い壁を無事に突破した感は否めない。

 

こんな風に私を導いてくれた夫への恩返しは未だ何も出来て居ないし、私に楽器の資金を遺して旅だって行った父への恩返しも同時に殆ど出来ては居ない状況ではあるものの、一つ一つ見えない重たいヴェールを脱いで居る感触はしっかりと手応えとして私の背中を押してくれる。

 

今、私は追い風に乗っている。この追い風に逆らわず、尚且つ調子に乗り過ぎぬように一つ一つの課題を丁寧にこなしながら、既に次のアルバムの構想~作曲の作業に入って居る。

 

 

前作「Mother Earth」は偉大な母なる地球の意識との共鳴・共振、そしてクリエイションからのZip.のサポートを得ながら完成させた。

次は宇宙。
私の遠い遠い故郷の星「リラ」の記憶から物語はスタートする。

 

 

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