私の半生と苦痛 – ①生まれた時の記憶と両親

とても珍しいケースだと思いますが、私は圧倒的な記憶力を持って現在に至ります。それが魂とか霊体の影響なのかそれとも現在の肉体自体の素質なのかは判然としませんが、日時以外の印象的な光景に於ける映像記憶が突出しています。
なので過去世に見た景色や風景、関わった人達の顔や名前、その人達との歩みを始め、同じように現世の全ての記憶が色褪せません。
 
他愛ないことからそうではないことの一瞬まで鮮明に記憶し続けるので、むしろそれが私の精神を蝕むことさえ起こります。
思い出したくないことを時折ふとした弾みで思い起こし、それが既に過去の出来事であるにも関わらず私の中では永遠に継続して行くような感覚に苛まれます。
 

 

私が(直前の)過去世を終えて生まれ変わるまで、感覚的には一瞬でした。ですが母の母体に着床してから外界に出るまでの時間を考えた場合、それが一瞬と言うことはなさそうです。少なくとも一年近くの時間が流れていたかもしれません。
 
過去世で私は、イタリアのトスカーナ地方に今も存在する小さな農道で本来ならばそこを通らない規約になっている筈の大型車と遭遇し、その車に轢かれて即死しています。
痛みよりは大型車とぶつかった時の衝撃と衝撃音の方を強く記憶しており、大地と空が逆さまになって行く一瞬が少し長い時間に思えるような不思議な景色を記憶しています。
 
そこで私の過去世は一旦終了し、瞬時の眠りを経て次の私が始まります。
 
私の魂は何故か、空の物凄く高いところから大きな手のひらに突き飛ばされるようにして、地上へと落下し始めます。実際に生きている人間がそのような体験をすることはあり得ないのですが、それが魂(霊体)ならば大いにあり得ます。
何千フィートもの距離を長い時間をかけて落下し、その間気を失うことさえも出来ない映像と身体感覚の恐怖は今も頻繁に夢の中に現れます。
ですが使命を決めて生まれ変わって来る人と言うものは多かれ少なかれ、このプロセスを経るのだと「或る神様」が話していました。
 

そうやって私は感覚的には一瞬で空から地上に落下し、母体に着床し、着床してからはあっと言う間の9ヶ月余りを過ごし、とある病院で産声を上げました。


※どこのどの病院と言う記録と記憶については個人情報の都合上、ここでの記載は省略します。

 

 

過去世で私が事故死した年齢は推定20代前半くらいだったでしょうか‥。勿論過去世の私も音楽を奏でていましたが、何を間違えたのか20歳を過ぎた辺りからの私は料理人を志すことを心に決めて生きていました。
それがいけなかったのです。
 
人は、約束した使命を変更した場合にはそれなりの制裁を受けることが魂のルールで決まっているらしく、私の事故死は私が一時的にでも料理人の道を目指し始めたことが原因だったと、後から分かりました。
 
そして次に授かった命が今の私でした。
 
顔の真ん中に「裂傷」を持つ私を、数人の大人たちが覗き込んでいました。彼らはそれまでの私を温かく包み込んで愛してくれたイタリア人の青い目をしたグランマとは全く異なり、黒い髪、黒い眼をした二人の男女がその中に居ました。
 
傷だらけの私を見た父の第一声は、「なんだこれは。」(棒読み)‥ でした。
まるで壊れた家電でも見るような冷たい目で私の顔を覗き込み、不快極まりないと言う感情を表情と声に出してもう一度、「なんだこれは一体!」と母に向かって大声で叫んだ時の声を私は今も忘れることが出来ません。
 
父は、そのまま立ち去って行きました。
母は、私を抱き上げようともしませんでした。

 
代わりに少し肉付きの良い女性が私を抱き上げ、あやしてくれたのを覚えています。
 

本来とてもおめでたい瞬間の私達家族の光景は、冷たく凍り付き硬直し始めました。殺伐とした家族の関係が始まり、それは現在に至ります‥。
 

 
この世界に生まれ落ちてからたった一日で、私は家族の中での人権を失いました。
両親にとって、顔に傷を持つ女児は人間ではないのです。

私はまるで渋々飼われることになった生き物のように扱われ、私が言葉を話せるようになってからは益々彼らの差別感情が過熱して行きました。
 
遠い過去世 ~ リラ星の巫女だった私から数えると、そこには膨大な時間が経過していました。現在に至るまでには多々の人生の経験があり、それが霊体を拡張させ魂をさらに成熟させ、その流れを止めることなく現世の私が始まったのですから、生まれ出て来た女児は既に老人の精神年齢を持つ大人のようだったと思います。
そんな女児が子供らしい、可愛くあどけない言葉を発する筈がありません。
 
顔に裂傷のある生意気な女児は、まるで絵に描いた家族の中に登場するフランス人形のような女児とはおよそ違った大人びた言葉を容赦なく発したでしょうし、記憶では母の弾くピアノに手厳しいジャッジメントを下したこともありました。
確かあの時母が弾いていた曲は、当時大ヒットした歌謡曲「ゆうべの秘密(小川知子)」のピアノ伴奏でした。
その伴奏のコードが完全に間違っていたので、まだ喋れない赤子だった私は「あうぅぅ~~!」と言ってギャン泣きした途端、母に「ピシャ!」っと顔を叩かれたことを覚えています。
 
でも、違うものは違うのです。それを感じる感性に子供も大人もありません。正しいか否か、美しいか否か‥、きっと私はそこだけを考えながら母の弾くピアノを聴いてギャン泣きしたのでしょう‥(笑)。
 

母の殴打の始まりはあの時だったと思います。でも子供の私はその意味がよく分からず、そこから数年の時を経たある日、(原因は忘れたのですが)母の手の関節が私の目を激しく殴打した時、もしかしたらこれは虐めとか虐待の類いではないのか‥ ということに薄々気付き始め、母や父の言動に疑いを持ち始めました。
 
 
to be continued…

私の半生と苦痛 – 序文

昨年2021年12月26日から今日までに起きたことを、今日は静かに振り返っていました。実家の遺品の整理をしながら、私を排除し続けた実家の家族や親戚、そして亡き弟の嫁についても出来る限りの手を尽くして調査をした結果、色々なことが分かって来ました。
 
特に未だ一度も会ったことのない弟(故)の嫁が私にした色々な仕打ちは到底許しがたいことであり、彼女の陰影(写真)を含め私はその全てをしっかりと心に焼き付けました。
 
とてつもない怒りが体じゅうから湧き上がり、そのことを複数の神々に相談したところ、「それ程までの貴女への仕打ちの側が悪。我慢の必要はない‥」 との見解を神々から得ることが出来ました。
なので私はこれを一つの区切りと切っ掛けとして認識し、今日まで私が親族や親戚、弟(故)の嫁を含む家族の関係者が私にして来た様々な仕打ちについて、このブログから発信して行くことに決めました。
 
私は顔の真ん中に傷「裂傷」を持って生まれました。世が世ならばそういう子供は抹消されたのでしょう。だからと言って、抹消せずとも苛め抜いて家族の輪から排除して良いと言う理由にはなりませんが、私の両親、生前の弟等は私をそういう風に扱い続けました。
そしてそれが現在は弟(故)の嫁と二人の私の従妹へと、脈々と受け継がれているのが現実です。
 
私は裂傷を持って生まれて来たものの、内面は過去世J.S.バッハ、そして妓生「ファン・ジニ」の気質を持っていますから、生き方やものの考え方は既に成熟しており、子供時代からどこか年老いたものの考え方をしていたことも又事実でした。
その為、父からは度々「可愛くない子だ」‥ 等と言われた事を、今も忘れることはありません。
 
但し現実はもっと複雑でした。
ただ、顔に裂傷を持って生まれて来ただけなのに、私が感情もあやふやで怒ることやものを考えることが出来ず、認識機能に障害を持つ人間だ‥ 等と言う尾鰭が付き、私は徹底的に家族や親戚たちから排除され、現在に至ります。
 
 
彼らが私を、精神障害を持つ人‥ 等と周辺に吹聴し続けて来た今日までのことや、弟(故)の嫁が私と言う存在を知っていたにも関わらず私を意図的に排除した状態で彼女が私に無断で母を火葬したこと、その火葬や葬儀に関わっていた二人の親戚のことも含め、可能な限り具体的な人物名を出してここに綴りたいと思います。
 

麻布教会

 


実母は年に一度だけ、クリスチャンに化ける人でした。

クリスマス・イヴから翌日のクリスマスの日以外は日常的に私に暴力をふるい、私を風呂にも入れず体じゅうが痣だらけになるまで爪でつねり、殴り、時には刃物で私の顔や体を切り付けたり、気分が激昂すると水風呂の中に私の顔を息が止まりそうになるまで突っ込んだまま溺れ(死に)させようとした‥等、それらの行為を『英才教育』と言う名の元に周囲の親戚や知人等を巻き込んで承知させ、虐待の手を一切緩めませんでした。
 

私の住んでいたマンションで、母は多重のキャラクターを使い分けながら人と接していた為、多くの人達は母がそのような凶暴な人格を持つ人だと言うことを知らなかったかもしれません。
なので私はある時期から母の虐待が始まった時にはそれだと周囲に分かるよう、意図的に大声で鳴き声を上げ助けを求めましたが、誰も私を助けてくれませんでした。
皆、我が家のことを知りつつ触れたくなかったのかもしれません。
 

昨年12月1日に母が永眠し、私はその事実を同じ年の12月26日まで知らずにいました。
その間に弟(故)の嫁が私の存在を全く知らなかった素振りを決め込んで、母を彼女の勝手な独断で火葬し、喪主を買って出て葬儀を済ませたことを昨年の12月26日に母の携帯に出て来た弟(故)の嫁から直接、まるでそのプロセスが当然の事のように聞かされ、驚きました。
 
さらにもっと驚いた事は、弟(故)の嫁と私の従妹にあたる女性一人 [えみさん(仮名)] が弟の知り合いの弁護士に、法定相続人である私には秘密裏に母の遺産を相続する件について相談していた事と、その経緯で私達夫婦の事も含め丹念に調査をしていた事でした。
彼女たちは法定相続人である私を「不在のもの」とした上で母の遺産を家探しの末調べ上げ、母の所持品や預金通帳等を漁って中身を見て金額を計算し、実家の墓じまいの件まで弁護士に相談していた旨の書類を目にし、そこから私の怒りはマグマのように吹き上げたまま現在に至ります。‥
 
 

糸島の海

 

弟(故)の嫁は自宅で倒れていた母の第一発見者となったようですが、そこに二人の従妹が同席していたと、彼女から私の実家の郵便受けに投函された差出人住所不記載の手紙には書かれていました。
考えてみれば妙な話しです。彼女の周りで、私の四人の家族の中の二人が亡くなったのですから。

問題は弟(故)の嫁が私に、頑ななまでにご自身の居場所や連絡先を伏せ続けている現実がある事。
私との実家の件(母の死亡の件も含む)の連絡手段として亡くなった母の携帯電話を私に指定し、2回の電話連絡の後私から彼女に連絡をしても一切電話に出なくなった理由には一体何があったのか、今でも不審を抱かずには居られません。
 
何より母を、私に無断で火葬し葬儀まで済ませ、周囲に私の不在を印象付けて行った真の理由も知りたいです。
もしかすると弟(故)の嫁は、私が認識能力のない精神の病んだ人だと勘違いしている(或いは周囲に意図的に勘違いを誘導している)可能性もあり、彼女を始め弟や母から私についてそのように吹き込まれたであろう多くの人達に、それが私の親族の吐いた虚偽である事を伝え、尚且つ事実修正する必要を強く感じています。
  

Olive


弟(故)の嫁の [りえさん(仮名)] は実家のかなり近くに住んでいるであろうにも関わらず、私達夫婦の挙動を息を潜めて監視しているような状況が続いていますが、私は弟(故)の嫁が今どういうマインドにあり、どういう状況に置かれているのか‥ について薄々知っています。
それは亡くなった弟本人が、彼に出来る方法を使って私に知らせてくれるからです。
 

一つ付け加えるならば、2015年の11月に他界した弟の実名をネーミングした「大輔塾」と言うセミナーを、2019年頃には開始当時とは全く異なるお茶会スタイルで運営している旨、全く本意ではないと弟が私に伝えて来ました。
本当に弟を思う心があるならば、そのような緩いお茶会形式へ弟の名前を使って「大輔塾」に人を集客するような行為は、今直ぐやめて頂きたいです。


さらに弟の実名の「大輔塾」と言う名称で運営されているFacebookの非公開グループの継続や、その中ででわちゃわちゃ投稿したりコメント等をする行為も、弟・大輔は全く望んではいません!
 

 
私は数名の実弟の知人に、これまでの経緯や今起きていることの断片(私が家族や弟の嫁から排除され続けて来たこと、弟の嫁が私に無断で母を火葬した事、等)を母の永眠の件に添えて手紙やメールで伝えましたが、今のところ全員が無視しています。
本来無視すべき内容ではないのに無視し続けると言う事は、そこに私への悪意や敵意が在ると言う確たる証拠です。
 
この件を私は心の中に仕舞っておくつもりで今日まで黙っていたのですが、それをする必要が無くなりました。
それよりも私は表現者として、静寂の音色の底に何を本当は封印して来たのか‥ についても、これまで私の身に起きたことをありのまま、ファンと共有する必要に迫られています。
 
但し、痛みや苦痛ばかりの文章の羅列は、読む方々をさらに苦しめる事にもなるかもしれません。
なのでこの「序文」以降は私の半生と苦痛と言う新しいカテゴリーを作り、そこにシリーズ化してこれまでの私の身に起きたことをありのままエッセイタッチで綴って行こうと思います。
  


このブログは今日まで主に音楽評論をベースに執筆を続けて来た経緯がありますが、それを止めずに新たなカテゴリーに私の半生と苦痛を加え、私自身に長年降り掛かっていた虐待や両親の私に対する過激な虐め・家族排除を含め、私の職歴や半生をそこに織り交ぜながらフィクションのように、ある意味他人事のように少しだけ俯瞰した視点で実話を綴ろうと思います。
 

思えば遠い過去、リラ星の巫女だった頃から魂は少しも休むことなく何度も何度も転生し続け、気が付いたらこのような私になっていました。
途中J.S.バッハや妓生「ファン・ジニ」、そしてジプシーとしてトランシルバニアに生まれ落ちたり或いは茶人「千利休」につかえる「くのいち」としての人生を経験したり‥、一つの魂が今日に至るまでには多々の過酷な変遷を経て来ました。
 
先程夕食の時間に、夫がこんな名言を言いました。

━ 強く深い怒りは悲しみをともなう。それは必ず祈りに昇華する。 ━

私は表現者として、今、心にある怒りを美しい表現に昇華させることを考えています。それを多くの人達とシェアする為には先ず、私が今心の中に燃え上がる怒りを書き記さなければなりません。
 
綺麗ごとではない、もっと生々しい私をここに書き記して行くことに決めました。
恐らくこれを、私を長年平然と排除し続けて来た親戚(二人の従妹)たちも見ていることでしょう。是非、私がこれまで経験して来た血の滲むような痛みとかなしみをご覧下さい。
それらを読んで、それでも私を家族から排除し暴力をふるい続けて来た両親の振舞いを肯定したり、私に心身への暴力の手を一切緩めようとしない両親を陰で滾々と支え続けた叔母を称賛する気持ちが変わらないならば、あなたがたは間違いなく悪魔の化身です。

さらには真実に気付きながらもそこからあえて目を伏せて、生前の両親や弟の虚言を肯定し続けている、私の親族・親戚以外の方々に於いても同様、同罪とみなします。

 
序文なのに長くなりましたが、以後はもっとライトなタッチで赤裸々に現実を書いて行きます。
私の音楽を愛して下さる方には、出来れば末永くお付き合い頂ければ幸いです。
 

イタリアンポップスの名曲『ABBRACCIAME』を比較・分析する

2022年2月18日の未明から私は急々と、Spotifyの新譜チェックを開始した。すると上から3曲目に現れたのがこの作品『ABBRACCIAME』だった。
アーティスト表記は『MONICA SARNELLI feat. MAURO SPENILLO』となっている。
 

 
この作品は初演歌手が [Andrea Sannino] で登録されているが、作曲者が判然としない状態で色々なサブスクリプション内には [Andrea Sannino] が作曲者として記録されているものを私は多数見ており、この機会にあらためて調べてみたところ、上の動画ABBRACCIAME – MONICA SARNELLI feat. MAURO SPENILLOでキーボードを演奏している男性 Mauro Spenillo がどうやら正式な作曲者であることが判明した。
 

上記動画は再演(cover)にあたるが、私は原曲として公開されている [Andrea Sannino] の初演バージョンよりも此方の方が、作曲者の意図が強く表れているような気がしてとても好きである。
 

 

[Andrea Sannino] についてもあらためて調べてみると、「イタリアの歌手、カンターテナー」と表記されているページも遭遇した。だが Andrea Sannino は妻も子供も居ると言うことが分かっており、単純に彼がユニセクシャルな声質を持つ歌手だからと言う理由で「カンターテナー」と表記されているページの記事には若干違和感を感じずにはいられないが‥。


この作品『Abbracciame』は名曲がゆえに、世界の多くの歌手たちの心を虜にしている。YouTubeにも多数のカバー動画が上がっているが、中でも最も腹が立ったのは日本のカンツォーネ歌手と肩書を公表している加藤ジュンコ(旧 加藤順子 こと かとりーな)の此方の動画だ。⇩
 

 

そもそもこの作品『Abbracciame』の歌詞を手掛けたのは初演歌手でもある(& 夢想家を公言している) Andrea Sannino でもあり、彼はこの作品をディズニー映画からインスピレーションを得て執筆したと多くのメディアで語っていることは有名な話しである。

以下は Andrea のインスタグラムに掲載されていた言葉。⇩
 

Chi crede nei sogni è solo a metà del percorso;
Who believes in dreams is only halfway through the journey;
夢を信じる人は旅の半ば

all’altra metà ci arriva chi crede nell’impossibile.
the other half arrives to those who believe in the impossible.
残りの半分は不可能を信じる人に訪れる

Viva i Sogni!
Long Live Dreams!
夢よ、万歳!

 

何と哲学的な言葉だろう‥ とただただ感嘆するばかりであるが、この美しく哲学的な歌詞を日本のカンツォーネ歌手である加藤ジュンコは以下のように翻訳して歌っている。⇩
 

『Abbracciame』(加藤ジュンコ: 訳詞)

理想のタイプ語っていた あの日の私は
まだ 本当の恋のときめき 知らずにいた
今二人きり 誰もほかにいないこの部屋で
この気持ちを 勇気出して打ち明けたい

あなたが好き
好きで 本気で好き
恥じらい 照れてうつむく私に
キスしてくれた

☆ [サビ]
お願い 強く抱きしめて
すべてを忘れ
過ぎ去った過去も未来も
ひとつに重なる瞬間

強く抱きしめて
目覚めた時 あなた
離れてしまわぬように
強く抱きしめていて

加藤ジュンコのカバー動画より抜粋。
 

 
流石にお粗末で話しにならないので、和製カンツォーネ歌手の話しはこの辺りで止めておくが、イタリア人の語る「愛」をここまで安っぽく貶められると流石に腹を立てずにはいられないのが真のイタリアンポップスファンであり、その一人として一先ず酷評の筆を添えておきたいと思った(笑)。

 
この作品の原題である『Abbracciame』の音をよくよくしみじみと聴いて行くと、そこには一つの普遍性をともなう祈りとかなしみが浮き上がって来るのが分かるだろう。
一部のイタリアンポップス好きの日本人女性が勘違いに陥るスキンシップ執着型の恋愛模様ではなく、イタリア人はそこにひとすじのかなしみを描いている点は見逃せない。
 

その愛が成就しようがしまいが、一人の人間を愛すると言うこと、それを告白したところで成就する可能性等稀薄ではあるものの、「ただ思う」「ただ、愛する」と言う大きな期待と失望とを全身で背負いながら、自身の思いを「祈りの境地」へと高めて行くところにあるものが「真の愛」である。
この作品『Abbracciame』の中ではその片鱗が歌詞のみならず、音楽、メロディーの中でも存分に描かれている。
 

作曲者であるこの作品のもう一人の立役者である Mauro Spenillo が辿って来た人生の片鱗、音楽への深い愛がこの作品をさらに際立たせて行く。特にAndrea Sannino とMauro Spenillo の二人だけで即興録音された以下の動画が、兎に角素晴らしい。
 

 

「愛」とはただ甘美でせつないだけではなく、そのせつなさの伏線として多くの波瀾や不運をも背負い込んで行く覚悟や決意のようなものが、上の動画では強く引き出されているように感じてならない。
 

この動画の中で二人が表現しようとした「抱擁」‥ つまり日本語で言うところの「強く抱きしめて」の本当の意味が、一瞬先には壊れてしまう夢の中の抱擁のシーンのようで、それは加藤ジュンコが言うような、男と女の薄っぺらい肉体の接触とは全く意味が異なるのではないだろうか。

 
私がかつて従事していた和製シャンソン & カンツォーネ界の人で在り続けたら、この作品を是非インストゥルメンタルでカバーしたいところだが、もうそれは出来ない。
なので自宅で時々練習用に弾くに留めておこう。

 
さて、この記事の最後にこの作品のLive版の動画を掲載して、記事を終わりにしよう。
 

 
 

よ~く Andrea を見ていると、時々あの、リッキー・マーティンに見えて来る(笑)。
どこかしらにマイノリティーの香りを感じずにはいられないのだが、それが Andrea Sanninoカンターテナーとも言われる理由の一つだと言われたら、何となく頷ける。
 

 

[Info.]
内容を限定し、お仕事の依頼を受け付けております。
音楽配信を目的とした楽曲作成のオーダーの他、音楽評論、レビュー or ライナーノート執筆、ラジオ番組用のBGM選曲、雑誌連載執筆及びYouTube出演や対談等、諸々用件・案件は、TwitterのDMないしは 📨[info@didier-merah.jp] ⇦ までお寄せ下さい。

音楽評論に関しては、世界中(演歌とヘヴィメタル以外)の音楽を分析・検証し、語り尽くします。
オーダーを遥かに上回るクールで奇想天外な記事を、筆者の豊富な脳内データから導き出して綴ります!

蜜のようなアンビエント – “hard Romantic”の世界

年代日付は不正確ながら、私の中に和製アンビエントの走りとなる音像が今もくっきりと蘇る。
記憶では1995年以降から2000年に差し掛かる頃にTVのCMの頂点に躍り出た和製アンビエントが、このグループ “hard Romantic”だった。当時知的系CMとして音楽業界で話題になったのが、ONWARDの「23区」のCM。そこでBGMとして流れていたのが “hard Romantic” Romanzaの優しいアンビエントだった。
 

 

正直今聴くと若干おもちゃのようなアンビエントに聴こえるが、当時は日本全国‥ アジアのCM業界を騒がせた一曲でもあり、これが現在の和製アンビエントの走りとなったことは否めない。

私が本家「アンビエント」と日本のアンビエントとを分けることには理由がある。いわゆる私が思う「和製アンビエント」の定義は、以下のようなものである。
 

①メロディーラインが良くも悪くも幼稚であり、童謡のテイストをふんだんに取り入れている。
②音像が本家本元とは異なり、どこかギクシャクしていてぎこちなく作り物の様相を呈している。
③コード展開が単調で、余り音楽の教育を受けていない人でも何となく分かった気になれる程度にシンプルな構成になっている。
④基本的には4/4拍子、或いは緩い速度の8ビートで出来ており、頭を横に揺らせば音楽に乗って拍子を取ることが出来る平易な音楽である。

 
こうやって書いてしまうと明らかにKamalQuiet Earth や坂本龍一 & アルヴァ・ノトの二人が奏でるGlass等の楽曲とは比較すら出来ない程のレベルの差を感じることも又事実ではあるが、和製アンビエントの中では “hard Romantic” は良質な作品を量産しているアーティストだと言えるだろう。
 

 

“hard Romantic” の特徴を存分に醸し出している少年ヴォーカリスト “Liam O’Kane” リーアム・オケーン を発掘しこのユニットの企画の中枢を担うのが、大橋宏司と言うユニークなヒーリングの使い手だ。
『和製アンビエント』イコール「大橋宏司」と言っても過言ではないくらい、彼の和製アンビエント界への貢献は大きい。

“hard Romantic” の出現の直ぐ後に “Libera” と言う少年合唱団が『Libera』と言う楽曲で大ヒットを飛ばし、その後にわかに合唱団アンビエント・ブームが到来する切っ掛けとなった。
 

 

さて話しを “hard Romantic” に戻すと、このユニットの中枢をしっかりと牛耳っている大橋宏司氏は、独特の音楽観・アンビエント観を持ったプロデューサーであり、どの作品を聴いても直ぐに「彼」だと分かる明確な表現手法を維持している。
 

“hard Romantic” のアルバムに関して言えば私はやはり、このアルバムSplendore・・・天使の歌声』がピカイチだ。
このアルバムでも少年ヴォーカリスト “Liam O’Kane” リーアム・オケーン の歌声は随所に現れ、深い森で戯れる妖精のようにアルバムの要所要所に魔法をかけては消えて行く。
 

 
特にオススメは M-2 “Piercing The Cloude {Splendid Version] だ。
 

2022年2月13日 日曜日の昼間にほんの少しだけTwitterのTLにもツイートしたが、今回 “hard Romantic” を深堀りするにあたり、iTunes Storeから数枚のアルバムを購入した。その中に “hard Romantic” も参加しているコンピレーション・アルバム『Beautiful Gift』も含まれる。

https://music.apple.com/jp/album/beautiful-gift/220384209

 

この中の M-6 “After The Storm” はクレジットこそ英文字で「Hiroshi Ohhashi」と書かれてあるものの、サウンドはまさに “hard Romantic” そのもので、“Liam O’Kane” の美しいヴォーカルが炸裂する。

‥ところで1990年代は少年ヴォーカリストだった “Liam O’Kane” リーアム・オケーン も今は立派な大人になっているだろうと思いSpotifyを検索してみたところ、現在は何ともありきたりなフォークロックを歌うつまらない歌手に成長していたことを知り、愕然とした私だったが‥(笑)。

 

 
“hard Romantic” の活動は2003年7月23日にリリースされたオリジナル・フルアルバムNew Life以降は、目立ったものが見られない。又サブスクリプションに登録されているフルアルバムの数も未だ少なく、Spotifyには2022年2月13日現在、3枚のアルバムのみが配信されるに留まっている。
 

“hard Romantic” こと大橋宏司氏のコード・プログレッションには大きな特徴がある。それはサブコードの使い方だ。
特に「sus4」の当て方が個性的であり、本来ドミナントを当てるところをあえてワンクッション置いて「sus4」でじりじりとコード感を抑え込み、あえてドミナントに移行せずトニックにもつれ込む、この手法がしつこくて粘着質で私は大好きである。
 

https://music.apple.com/jp/album/new-life/1452791070
 

 

さて “hard Romantic” +ONWARD と言えば、私の記憶が合っていればこの作品もそうではなかったか。
この作品には、少年ヴォーカリストの “Liam O’Kane” の歌声は収録されていない代わりに、サンプリングと思えるフランス語の人間のささやき声が収録されて、とてもお洒落な仕上がりになっている。
 

 

この記事の最後に、上記の楽曲が収録されているコンピレーション・フル・アルバムMeditation & Sleeping Deeplyのリンクを貼っておきたい。
 
アルバムを聴く上で注意したいことが一つある。
それは「音楽作品」に意固地なまでに「癒し」「メディテーション」や「スピリチュアル」‥等をくっつけ過ぎるとどうしても、作品としてのクオリティーが怪しくなる点だ。
音楽が偽善的になり、誰からも愛されようとする作者のエゴが全面に出過ぎて、作品が下品になって行く点はどうにも避けられないのが難点だ。

それも踏まえ、以下のアルバムが良くも悪くも各々のサンプルとなることを祈りながら、この記事を終わりにしたい。
 

 

მუსიკა იმედია (Music is Hopeful) – დუეტი ჯორჯია (Duet Georgia)

昨年末からの個人的な諸々で暫く遠ざかっていたジョージアのポップスチャンネルを、久々にスイッチしてみたら、めちゃめちゃご機嫌なポップスがLiveで更新されていた。

ジョージア語が読めないのがこういう時悔しくなりますが、それでも何とか翻訳ソフトに頭を下げながら色々調べて行くと、辛うじてこの作品 მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)のメイン & サポートメンバーの概要が分かって来た。

 

მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)
Composer: Rati Durglishvili
Lyricist: Salome Chitadze

 

意外にも作詞家の欄に、上記Live動画のコーラスメンバーの名前がクレジットされているので、ついつい彼女の活動履歴も追ってみる。(その話しは記事の後半で)。
 

この作品მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)の作曲者は動画の右側でイケメンぶりを堂々と発揮しているこの人、Rati Durglishvili であり、本当に良い作品だ。
 

 

Rati Durglishvili は歌手・ソングライターと掲載されているが、私の推測ではこの動画に関してもプロデュース等を兼任したのではないかと思われる。

イケメンの外装とは裏腹に、表現自体はどこか控え目な印象を受ける。と言うのも真横に座って歌っている Basia 似の Maka Zambakhidze の眼圧がそもそも強烈だから、ついつい比較しながら動画を眺めてしまうのは私の悪い癖。
治さなきゃ(笑)。
 

歌手としてクレジットされている Maka Zambakhidze に関してはプロフィール等の資料が殆ど見けられていないが、相方の Rati Durglishvili が39歳前後と考えると多く見積もっても40代(アラフォー世代)ではないだろうか。
若過ぎず老い過ぎず、程好く脂っぽくてくどくてそのくせ爽やかな良い声を持っている。
 

Spotifyに彼女の音源を探してみたところ、最初英語表記ではヒットしなかったが名前のジョージア語表記(მაკა ზამბახიძე)で検索したら見事にヒットした。これはファンとしてはめちゃめちゃ嬉しい。
 

 
似たところでは Swing Out Sister 或いはイタリアの Dirotta su Cuba、ポーランド出身の歌手 Basia 辺りを参考にして頂けると、音楽的な共通項が多々見つかるかもしれない。
 

 

 

さて、この記事のメインの作品მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)で作詞を担当しているのが、動画内ではコーラスを担当している女性 Salome Chitadze だ。
 

彼女の経歴を追って行くと、この動画からはおよそ想像が付かないパワフルなヴォーカルで観客を魅了しているコンテスト動画が、幾つかヒットするが、正直私は Salome Chitadze のパワフルなヴォーカルには余り好感を持てなかった。
 

 

意外に大声を出すことの方がソフトリーな表現よりも簡単で月並みで、声量さえ鍛えれば誰が歌っても同じ音楽になってしまう辺りが何とも没個性的であり、表現手法としても上品とは言えないし洗練されているわけでもない。
つまり中途半端に上手いヴォーカルなんてこの世にごまんとあるから、2曲も聴けばうんざりして来る(笑)。

その意味で、Live動画მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)の中の彼女の表現は洗練されており、控え目ながらも必ずリスナーの鼓膜に届くシルキーヴォイスはむしろ個性を帯びて感じ取れる。

コーラスのタイミングも程好い。断続的に忍び寄る彼女の声には時折深いエフェクトが掛けられており、このLive動画の音源監修をした人の洗練された力量には私でさえも完敗だ。
こういう控え目ながら洗練された歌唱表現がもっともっと、世の中に高く評価されるべきではないかと私は強く願わざるを得ない。
 

 

さて、この作品მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)の主役である Rati Durglishvili は自身のYouTubeチャンネルを持っている。
何曲か英語で歌われている作品もあるが、此方も上のSalome Chitadze 同様に可もなく不可もなく‥ の楽曲を安全圏から歌っているので、聴いていて全くそそられない(笑)。
ノーアメリカナイズ!
もっとアメリカンポップスを意識しない、ジョージアらしさを大切にして欲しい。

やはり音楽も表現も、冒険をしなければ人の心を打てないのかもしれない。その意味では不完全で未完成な良作にもっともっと取り組むべき‥ と言う課題がこの人にも山積しているように見えるが。
 

 

さて。この記事の最後に、今回だけはLive音源とレコーディング音源の悪い意味での比較検証の素材として、音源(Spotify版)を貼っておきたい。

されこれを聴いて、レコーディングとは何か、Liveとは何か‥ と言う永遠の課題の一部を皆様も是非考えてみる切っ掛けとなれば、筆者としては幸いである。
  

 

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“Mare Nostrum III, JazzBaltica 2019 Official Live”から読み解くアカデミック・ジャズの在り方

その昔私は “和製 シャンソン & カンツォーネ” なる業界に平然と君臨し、分不相応とも知らずにかなりの鼻息で威張り散らしながら生きていた。
たかだか伴奏者の端くれだと言うにも関わらず、当時はその業界では全ての老舗に出番を確保した‥ と言うだけで、天下を取ったみたいな勘違い甚だしく、今となってはとても恥ずかしい限りである(笑)。

だがその時代は私にとって闇と空白の時代でもあり、仕事中の休憩時間になると寸暇を惜しんで近くのCDストアーを駆け回り、その日その週その月にリリースされた多くの海外の音楽の見本盤を聴き漁り、気に行ったCDは必ず購入して行った。
 

Verginメガ・ストアーズ 新宿店、渋谷は世界の民族音楽を扱っていた “エルスール・レコード“、HMV渋谷店TOWER RECORDS 渋谷店新星堂 吉祥寺店、新星堂 新宿店‥、この他にもまだまだ沢山のCDストアーを駆け回り、伴奏が本業だったのかそれともCD探しが本業だったのかすら分からなくなる程音楽と言う音楽にのめり込んでは片っ端から聴き倒して行ったものだった。
 

 

和製ジャズ業界が当時から余りに体たらくだったことが原因なのか、私は兎に角ジャズが大っ嫌いだった(笑)。
何でもかんでもテキトーにスイングさせればそれで良し‥ みたいな馴れ合い感覚にどうしてもついて行けず、少しずつジャズとは距離を置くようになった。
シャンソニエでジャズ歌手と出番がアタってしまう時程憂鬱なものはなく、兎に角一曲が最短のタイムで終了すれば良いとさえ思っており、アドリブパートも極力短く最低限の長さで終えられるよう歌手に「私、アドリブが出来ないので‥」と嘘を言いソロパートを回避出来る限り回避したものだった。
 

業界の中に居るとどうしてもその世界の欠点だけが目立って視えるようになってしまうもので、当時の私もそうやって多くの音楽を拒絶しながら生き長らえて来たのだろう。

その業界を離れてしまえばなんってことのない些細な粗がどうしても許せなくなり、結局キューバン・サルサもタンゴもボサノヴァもジャズもシャンソンも、何一つ愛せないサポート・ピアニストに進化したまま2011年の冬の或る日、同業のカンツォーネ歌手にこの世界に入って最大の嫌がらせを受けたことが原因で業界を完全撤退した。
  

 
折角シャンソンと言う世界に深く入り浸っていたのに、その業界でかなり身近に居たボタン・アコーデオン奏者の 桑山哲也 氏とも余り上手く交流が出来ないまま今日に至るが、その理由がこの記事のテーマとなるYouTube Mare Nostrum III (Paolo Fresu, Richard Galliano, Jan Lundgren) – JazzBaltica 2019 Official Liveを聴いた時にようやく理解出来た。
 

 

彼等3人の紡ぎ出す芳醇で上品な音色を前に、日本の全てのアコーデオン奏者の存在は簡単に吹き飛んでしまうだろう。
あれだけ嫌いだったアコルデオンの音色がこんなに美しく心に響く日が来ようとは、想像すらしなかった。

Richard Galliano(リシャール・ガリアーノ)のシンプルかつ上品なコニャックのようなアコルデオンの音色は、私の古傷を少しだけかすりながらその傷跡の上に「希望」と「癒し」のテーピングを施して行く。
 

 

Mare Nostrum III (Paolo Fresu, Richard Galliano, Jan Lundgren) – JazzBaltica 2019 Official LivePaolo Fresu, Richard Galliano, Jan Lundgren の3人で奏でられるシンプルなジャズ・コンサートを収録した動画だが、私は彼等の音色をあえて『アカデミック・ジャズ』と命名したい。
 

楽曲の全体をヨーロピアン・ジャズの空気が覆っているが、それは最早ジャズと言う喧噪の生み出す産物を超えて、超絶なアカデミズムに裏打ちされた品行方正なクラシカル・ジャズと言っても過言ではないだろう。

そういう正統派のジャズが日本には殆ど見られなかったことで、恐らく私のようなジャズ嫌いが多く現れたのではなかろうかとさえ思われる。
『ジャズ=煙草と夜と喧噪と迷いと葛藤が生み出すアンダーグラウンドな音楽』‥ 等とは思いたくないのだが、どうしてもそのようなイメージが付き纏わずにはいられない大衆音楽のいちジャンルと言う歪んだ価値観は、彼等 Paolo Fresu, Richard Galliano, Jan Lundgren の音楽の前ではかなぐり捨てなければならない。
 

 

そもそも「スウィング」と言う、ジャズ独特の演奏形態の定義がとても曖昧であり、日本人ジャズ奏者の多くが「ダウンビート」の亡霊に日夜悩まされ続け、結局ダウンビートがネイティブに感じられないコンプレックスとの戦いに明け暮れる羽目に陥っているようにも見て取れる。
だが、この考えこそが現在の和製ジャズ業界含む世界のジャズ観を歪めている大きな要因であり、表ビートのスウィングであってもそれは紛れもないスウィングだと言って、ジャズの神様の誰かがその概念を是非赦すべきだと私は思っている。
 

スウィングとはそもそも「揺れる」と言う語源を持つ言葉であり、その揺れ方を一個の表現スタイルに限定した価値観が蔓延している方こそ変なのだ。
縦に揺れようが横に揺れようが、斜めに揺れようが‥ その人の感ずるままに揺れれば良いだけの話しだ。
だが、これが「ジャズ」と表現形態が限定された途端に2拍目と4拍目にアクセントを持たせなければならないと言う制約が生じる為、ネイティブの英語圏以外のジャズ奏者たちがダウンビートの、まるで舟が沈みそうな揺れ感覚に共感出来ずにどんなに苦しんだことか‥(笑)⛵
 

 

それにしても Paolo Fresu の何とも上品な音色と相反する、どこかチーターを思わせる野性味にはタジタジするばかりである。
まさに「役者が揃う」とはこのことで、他の、何となく舞台に演奏者が揃って「カッコよくジャズってやろう」等と言う無駄な野心が全く見られない。
まるで大学で講義でも始める前の独特の静寂が彼等と会場を包み込み、授業の代わりのように「正しい音楽」「正しいジャズ」が厳かに始まる光景は見ていてただただ神がかっている‥ としか言いようがない。

薬品も音楽も「正しく取り扱う」に限る。

 
ところで彼等が放つ “Mare Nostrum” はシリーズで音源化されており、全部で3枚のアルバムがリリースされている。
折角なのでここにその3枚を一気に貼り付けておきたい。

 

 

 

 

この際「どれが一番良いですか?」等と言う野暮な質問はなしにして(笑)、時間の許す限り全部のアルバムを是非聴いて頂ければと思う。
 
兎に角どれも良いが、最もシャンソンを感じるのは Mare Nostrum III ではないだろうか。
ま、私がフランス音楽が大好きなので、Mare Nostrum IIIを聴いているとどこか古巣に帰って来たような、 懐かしさを感じてならないのかもしれないが。
 

 

最後に。

音楽も薬も、定められたとおりの用法・用量を守りましょう。

と言うことで、宝塚の劇歌にもあるように私も「清く正しく美しく」をモットーに、これからの創作活動及び音楽評論活動を継続して行きたいものである。

 

  

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音楽とスピリチュアル

ここのところの急激な寒さで体調が若干優れず、今日(2022年1月24日)月曜日は朝からほんの少しだけ部屋の掃除を済ませた後はこのSNS 【note】を巡っていた。
音楽評論、そして音のライターとして今後の自分のスタンスをもう少し明確にしたい‥ 等と考えながら、次のアルバム制作のことやその原案、そして音楽評論家及び比較音楽学者としての執筆のスタンス等についても思いを巡らせ、そうこうしている間にあっと言う間に朝は過ぎて行った。

考え事をしたい時に限って、人からのお誘いが絶えない(笑)。だが今日会える人とは今日会っておきたいと最近は考えるようになり、極力お誘いにはお断りは入れないようこれでも努めている。
 

そんな折、待ち合わせ場所に先に到着した私はやはりスマホをポチポチと触りながら、ふと‥ 気になっていたワード「スピリチュアルジャズ」について調べてみると、どことなくそれらしい文献を書いている人の記事に遭遇したが、どうにも記事の内容には納得が行かなかった。

https://note.com/elis_ragina/n/n17f9a89aeae0

 

それもその筈で、私は芸術家とスピリチュアリストを兼ねて仕事をしている、恐らく日本ではただ一人の人材ではないかと思う程スピリチュアルには深く精通しているのだから、上記の記事に異論を感じても致し方ないのだ。

 
そもそも【スピリチュアル】と音楽とを掛け合わせるには両方のスキルを習得している必要が生じるが、未だ私はそのような人を見たことが無い。
なんちゃってスピリチュアルの域に在る人ならば数名見聞きしたことはあるが、それもあくまで「なんちゃって」のレベルを出ない(有名人含む)人達なので、ここでの名前の列挙は控えておきたい。
良からぬ霊的な呪詛を仕掛けられても割に合わないので‥(笑)。
 

音楽は音楽、スピリチュアルはスピリチュアル。仮にその両方を掛け合わせて行くのであれば、私はその人達に両方のスキルをそれぞれ確認したい‥ と思う。
ムードやイメージ、印象操作のレベルのスピリチュアルで音の聴き手を威嚇するような音楽家に限って、ろくなものではない‥ と私は思っている。
 

あ。。あの黄色い髪をした人や、大食い系霊能者のことではないですよ(笑)

 

記事スピリチュアルジャズって何? – カマシ・ワシントン以降、多用されるキーワード”Spiritual Jazz”のこと に書かれていた「スピリチュアルジャズ」の定義はあくまで音楽そのものの話しではなく、その名称を立ち上げた人達の言葉が綴られているに過ぎない。
既存の文献の文字を追ってそれを二次創作し、それらしく綴った記事なので、読んでいてピンと来なかった。

少なくとも「スピリチュアルジャズ」と言うのであれば、そこに何かしらのシャーマンにも通ずる要素があれば良いのだが、該当記事に掲載されているYouTube等を端から捲って行っても全てが「ただのジャズ」にしか聴こえないし、ジャズと言うだけあって都会的なノイズの洪水と行き当たりばったりなアドリブだけが展開される、音楽としては未熟としか言いようのない音源ばかりが掲載されている。
 

🐬
 

ところでKamalと言う、(多分ドイツ出身だと記憶しているが)スピリチュアル系のアンビエント・ミュージックを多く手掛けるアーティストをご存じだろうか?
1990年の後半から日本でも「精神世界」や「スピリチュアル」熱が過熱し、日本中の至るところで「すぴこん」(現在は「スピマ」に改名)が開催され賑わいを見せていた頃、私もそんな奇妙な世界の一員として音楽家とは別の名前でその界隈をブイブイ言わせて活動した時期があった(笑)。

当時は度々表参道や渋谷辺りの天然石店やアロマオイルの店舗や、或いはオーラソーマショップ等に足を運んだものだった。
そんな折、オーラソーマのワークショップ中に出会ったのがKamalQuiet EarthReiki Whale Song等で、その頃流行っていたビート系の音楽とは一線を画していたので直ぐにのめり込んだ。
 

LAと東京を諸事情で度々往復していた時期とも重なり、私自身がPTSDを患っており心を深く病んでいた。
視えない世界に未だ経験が余り無かった私が唯一音のスピリチュアルに傾倒し、中でもこの人Kamalの生み出す癒しの音色がとても好きで、CDでさえ傷だらけになる程何十回も何百回も聴き込んだものだった。
 

 

基本的に「音楽」に「スピリチュアル」をくっつけて活動する人に対しては私は懐疑的であり否定的だが、Kamalに関しては彼の持つ潜在的なスピリチュアルの力を信じるに至った。
彼の音楽がそれを物語っており、あえてここでは分かりやすく「スピリチュアルな人」を Kamal と言うアーティストをリンクさせて記載してみたが、彼の作品に「スピリチュアル」の文字が仮に無かったとしても十分に、彼の音楽からは尽きることのないスピリチュアルを感じ取ることが出来る。

 
ところで私の思うスピリチュアルジャズについて一つだけ補足するが、そもそも「ジャズ」とは、迷いと葛藤と反骨精神が生み出す音楽(ジャンル)であり、とても現世的な音楽だと私は認識している。
酒、タバコ、夜の店‥ 等を連想しやすく、スピリチュアルが提唱するところの不確定要素の共通項を探すとしたら、それは際限のない「アドリブ」に集約されるだろう。

だがそのアドリブもヒトの脳内の迷いが音楽に転じた信号に過ぎず、えっとえっと‥ え~~っと‥ と言う結論に到達出来ない音符のループ以上でも以下でもない。
出来ることならジャズからアドリブが無くなったらどんなにすっきりするだろうかと、私はいっつもジャズを聴く度に苛々したものだった。

料理に例えると分かりやすいが、料理とは予め完成形があるところからスタートするから、その料理が完成する。
調理を開始してから暫くして炒めて、煮て‥ と言う過程でもしも完成形に変更が生じてそれでも優れた料理に辿り着くとしたら、それはかなりの料理の達人の域に在る人に限定されるだろう。
音楽も同じである。
 

ジャズとは現場の再現性に多くを託される音楽ジャンルであり、上記で少しだけ触れたシャーマンと「ジャズと言う現実」とが合わさることは通常殆ど無いと言っても良いだろう。

仮にアンビエント・ジャズ‥ と言う定義をここに持ち出せばその可能性はゼロではないが、記事スピリチュアルジャズって何? – カマシ・ワシントン以降、多用されるキーワード”Spiritual Jazz”のこと で書かれている「スピリチュアルジャズ」の音楽(説明含む)自体は普通のジャズ以上ではないので、これ以上の解説は割愛する。
 

 

さて、この記事の最後に Kamal の作品の中でもう一つ、私が好きな作品を貼ってこの記事を終わりにしよう。
アルバムShamanic Healingは1999年にリリースされており、私は最初このアルバムを恐らく当時頻繁に往復していたL.A.の、メキシコ人が経営するタロットカードやワンド、天然石等を販売しているショップの中で聴いたと記憶している。

不可思議なお香の匂いと煙が立ち込める店内と言う、現実離れしたシチュエーションが功を奏したのかそれとも否か‥、兎に角このアルバムの醸し出すシャーマニックな音色が当時の私の心の病(闇)に深く刺さった。
今でもあの瞬間の衝撃を、私は忘れることが出来ない。
とても良い思い出として、今は当時の自分を穏やかに語れるようになり、同時にこのアルバムを当時とは又違った視点で聴くことも出来るようになった。
 

本当に素晴らしいアルバムなので、是非リラックスして聴いて頂ければ幸いである。
 

 

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音楽文化 [Balkan Brass] の今を読み解く

ずっとリリースを待ちかねていたルーマニアのジプシー・ブラス・ユニット Fanfare Ciocarlia(ファンファーレ・チョカルリア)が2021年9月に、あの  グローヴァー・ワシントン・ジュニア が1980年に生み出し大ヒットした名曲Just The Two Of Usを、見事なBalkan Brassスタイルにカバー & アレンジし、新譜をリリースした。
 

 

2016年にリリースされたアルバム20以降殆ど活動が見られなかったFanfare Ciocarliaだが、コロナ禍のど真ん中で彼等のバイタリティーをアピールするように、元気な姿を見せてくれた。

私が最初に彼等 Fanfare Ciocarlia(ファンファーレ・チョカルリア) を聴いたのは確か、2001年にリリースされたこの作品Iag Bariだったと記憶している。
未だSpotifyもYouTube Musicも無い時代に辛うじてYouTubeの中にそのムーヴィーを見つけたが、その映像が余りにもシュールだったのでかえってこの作品Iag Bariが私の中に深く焼き付いて離れなかった。
 

(※後にこのムーヴィーは何度か配信⇔削除を繰り返し、現在残っているのが以下のYouTubeになる。)⇩
 

 

私には昔々ロマとして何度かトランシルヴァニアに生まれ落ち、主に踊り子として各々短い生を終えた記憶があるが、そもそもロマには戸籍のようなものが存在せず、人権も無い。その為私には決まった名前が無く、あだ名でルーマニア語で『O altă fiică』(よその娘)を意味する、通称『タフィカ』のような名前で呼ばれていたことだけを記憶している。

とても寒い地域なので人々は体を温める為に楽器を演奏し、踊り、アルコールを嗜んで夜を凌いだ。
気質としては男性は責任感は強いが移り気な一面を持ち、短時間の労働をこなす以外は殆どの時間を飲酒とパーティーで紛らわせて過ごしていた。一方女性は別の家族の女性達と手を取り合いながら年中家事や料理に追われ、それ以外は主に刺繍や編み物等で家計を助けて生きていた。

 
そもそも [Balkan Brass] とはセルビアの軍事音楽とフォークミュージックの融合としてバルカン地域で生まれた独特の音楽スタイルだが、最近では北マケドニア、ブルガリア、モルドバ、ルーマニア‥等の国々で飛躍的な進化を遂げている。
 

その [Balkan Brass]の発展と普及に一役買ったのが彼等「ロマ」、いわゆるジプシーの存在だった。

※ジプシーはグループを率いながら寄り添って移動生活をし、すれ違う別のグループとの交流手段として音楽や舞踏等を駆使しながら、互いに意思の疎通を図った。言語の異なる集団が多い為、彼等は会話よりも音楽や舞踏等で親睦を深めて行ったと思われる。
やがてそれらの蓄積が、一つの文化を形成して行った‥ と言う経緯があるようだ。

 

Fanfare Ciocarlia(ファンファーレ・チョカルリア) よりも若干古い世代としては Fanfara Transilvania と言うユニットが実在するが、3~4年前から活動が更新されなくなった。
勿論古いユニットなのでサブスクリプション等への登録は未だ為されておらず、私は彼等のサブスク登場を心待ちにしている。

代表曲はこの作品ではないだろうか‥🌹
 

 

上記の作品が収録されたCDを探してみたが、やはり見つからない‥(笑)。恐らく日本国内では見つけられない‥ と言うことなのだろう。
懲りずに探してみようと思っている。

 
さて、話題を Fanfare Ciocarlia(ファンファーレ・チョカルリア)  に戻すと、2005年にこの作品007 James Bond Theme』をリリースした時に世界が彼等をあらためて注目している。

 

 

どこかコミカルにも聴こえるが、これも歴としたバルカンブラスである。

なにせそもそもが大所帯のブラスバンドなので、それをここまで一曲にまとめ上げる辺りに並々ならぬ意気込みを感じずには居られない。
 

🎺 🎺 🎺


バルカンブラスの他のユニットに少し視点を動かしてみると、色々と面白いブラス・ユニットに出会うことが出来る。
例えばこのグループ『Boban Markovic Budapest』(ハンガリーはブダペストのバルカン・ブラス・ユニット)も数年前までは活発に活動していたが、Liveが多い割には楽曲の配信は少ない。

 

 

アルバムが最後にリリースされたのは、2012年のČovek I Trubaまで遡る。
 

 

王道Balkan Brassからは少しだけ離れるが、個人的に私はユニットÄl Jawalaのハイブリッド・バルカン・サウンドも気に入っている。

Äl Jawalaはドイツ生まれのバルカン・ブラス・ユニットだが、彼等のHPにもあるようにユニット名の『Äl Jawala』はアラビア語で、英訳すると「The Wanderers」と言う意味になる。
 

 

王道のバルカンブラスから飛躍し、インドや中国、ヨルダン等への演奏旅行から得た各国々のモードをバルカンブラスに練り込んで合わせて生み出したハイブリッド・バルカンを独自のスタイルとして作品をリリースしている。

(※だが彼等も又、2018年にリリースしたアルバムLovers以降、活動が更新されていない。)
 

 

🎺 🎺 🎺
 

 

 

さらにエレクトリック寄りのバルカンブラスを探ってみると、私が大好きなユニットMahala Rai Banda(ルーマニア)も2009年にリリースされたアルバムGhetto Blasters』を最後に、此方もアクティビティーが更新されていない。

だがこのアルバムGhetto Blasters』はなかなか聴き応えのある一枚で、暫くはこのアルバムを聴きながら彼等の新作リリースを待ちたいところである。
 

 

と言うわけで、ここのところ各々活動の更新が見られない [Balkan Brass] 界隈だが、この記事の最後に私が今も時々聴きながら踊っている此方のコンピレーション・アルバムBalkanBeatsのリンクを貼って、記事を〆たいと思う。
 

正直なところ、この数年間の色々な世界情勢の中で、音楽家達はかなり翻弄されている。諸事情で活動がままならない状況に追い込まれたミュージシャンやユニットも多数存在し、多くの音楽家達が次の切っ掛けを息を潜めながら待っているに違いない。
何卒無事な彼等の再登場を、私もそっと物陰から見守っていたいと思う。
  

音楽から読み解く世界情勢 [2022.01.19]

かれこれ私は10代半ばから音楽の仕事に携わっているが、これ程までに音楽界全体が迷走している様を見たのは人生初かもしれない。
1991年に勃発した湾岸戦争や、2011年の春に始まったシリア内戦の時でさえ、ここまで音楽界全体が衰退しなかった。だが、今一連の世界的なコロナ・パンデミックがこの世の全ての流れをせき止め、人々の精神や文化の発展を大きく阻害している。
 

こんな時でさえ、あれほど「地球を救済しに行くぞ」と息巻いていたとされるプレアデス星人等の地球への救済は為されず、人類は最早自力でこの難局を乗り越えて行く他の全ての道を絶たれた状態に在る。

特に2021年から現在に至る音楽情勢は危機的であり、世界的に多くの音楽家達が活動の場を追われている。主に舞台表現を得意とするミュージシャン達の前途は暗い。
例えば韓流女性ユニットの IZ*ONE は2021年4月29日で約3年間の活動を終了し、同じ韓国では最強のユニット 東方神起 も2019年以降の目だった活動は無い。
 

 

イタリアはカンツォーネ歌手の Andrea Sanninoオルネラ・ヴァノーニ が比較的インターネット配信での活動に華が見られる他は、全体的に活動や配信に翳りが見られる。
 

フランスはシャンソン歌手の Patricia Kaas(パトリシア・カース) も最近のアクティビティーは無く、唯一 Danny Brillant が昨年 Charles Aznavour(シャルル・アズナブール) の楽曲ばかりをセレクトしたフルアルバムを一枚リリースしている‥ と言う具合に、全体的に見ると一部の、インターネット配信に強いアーティストだけが断続的に楽曲を配信している印象が強く、音楽界全体としてはエネルギーがかなり弱まっている感が否めない。
 

 

フランスで私が長年注目している女性歌手 Enzo Enzo(エンゾ・エンゾ)が2021年に、久々にアルバムEau calmeをリリースしている。アルバム全体がヴォーカル+ギターのみで構成されており、一見シンプル・シャンソンにも視えるが全体を通して聴くとかなり地味で楽曲も冴えない印象だけが後に残る。
 

 

南米でアクティブな活動が見られるのは、意外にもメレンゲ (Merengue) 業界界隈ではあるものの、ラテン全般で見ると以前程の華が見られない。

中でも Elvis Crespo(エルヴィス・クレスポ) 辺りがブイブイ言わせながらメレンゲ界隈の華やかさを高めているようにも見えるが、楽曲の配信数に見合わず作品の質が明らかに落ちている。
 

 

そして最も私が気掛かりだったのは、Sufi(スーフィー)界隈のアーティストの活動が殆ど見られなくなった点だ。

Omer Faruk Tekbilek(オマール・ファルク・ テクビレクMercan Dede(メルジャン・デデ)Burhan Ocal(ブルハン・オチャル)、‥等、Sufiを代表する多くのアーティスト等の活動が2019年以降止まっているように見える。
 

 (⇧の動画、舞台中央の白髪の男性がオマール・ファルク・テレビレク。)
 

カッワーリ界隈からの音も途切れており、Fareed Ayaz(ファリード・アヤズ)Sabri Brothers(サビール兄弟)Rahat Fateh Ali Khan が2021年にかなり音質の悪いアルバムが2枚リリースされる以外のアクティビティーが見られない‥ 等、全体的に活動が低迷している様は否定出来ない。
 

 

クラシック音楽に視点を動かすと、2021年はかのショパン国際ピアノコンクールが1年遅れで開催されたことで若干賑わいを取り戻したものの、入賞した演奏家等のアクティビティーも然程目立っているとは言えず、それもその筈で彼等はオリジナルの作品を生み出して演奏する音楽家ではないので、結局のところは「舞台表現型」の表現手法以外の活動手段を持たないのだからそれも致し方ないのだろう。

ショパン好きはショパンと言う作曲家の音楽を聴きたいのであり演奏家と言う肩書きのパフォーマーに寄り付きたいわけではないのだから、「コンクール」と言うお祭り事が終わった後にはそこに静寂しか残らないわけだ。
 

それ以外のクラシック音楽は、主流を未だに現代音楽から動かしていない。
この物騒な時代にガチョーン!ガビーン!‥ 等と言う破壊芸術的な意味合いを多く含む、激しく痛々しい無調の音楽はもはや無用の長物であるだけに、ほぼ「見向きもされなくなっている」と言っても過言ではない。
クラシック音楽の専門家である私自身がそもそも現代音楽が嫌いなので、一部の現代音楽関係者以外はほぼノータッチと思って間違いないだろう。
 

 

現代音楽からは少し外れるが、私はこの人 Samuel Barber(サミュエル・バーバー)“Adagio for Strings” が大好きで、ベネズエラの指揮者 Gustavo Dudamel(グスターボ・ドゥダメル)の指揮で演奏される以下のトラックを時々聴いている。
 

 

話題が多岐に渡り過ぎるとかえって混乱するので、これでもかなりセーヴしながら記事を書いているが、やはりここのところ活動が活発に見えるのは台湾のポップス関連と、一部の(ジャンルとしての)ブラジル音楽界隈かもしれない。

特に台湾ポップスは全体的に粒が揃っており、業界全体の質が底上げされている感じに視えて来る。
 

 

 

一方ブラジル出身ではないがブラジル音楽にかなり近い表現スタイルをキープしているこの人 Didier Sustrac(ディディエ・シュストラック)[フランス人] も2021年9月に、愛娘をゲストに招いて新作PVを出しており、音楽のクオリティーも比較的高い状態で維持されている。
 

 

フランスから少し視点を動かして「スペイン」の音楽情勢を観てみるが、此方も余り目立った動きが見られない。

女性フラメンコ歌手 Argentina がキューバン・サルサとフラメンコを見事に融合させた新作IDILIOを2020年2月にリリースしている。この作品を中心としたアルバムが近くリリースされると言う噂があったので心待ちにしていたが、結局今日現在までアルバムはリリースされていない。
 

 

こうして全体を見渡してみると多くの「舞台表現型」のミュージシャン達が息を潜めており、諸々の事情で活動自体を停止しながら次の機会を狙っているようにも見えて来る。
 

そんな中、あえてヴィジュアルを出さずに音楽だけをサブスクリプション等から粛々と配信し、ある種の凄みを見せているジャンルの一つとしてLo-Fiミュージックが挙げられる。

 

「Lo-Fi」とは音像をあえてクリアにせず、若干の汚しを入れた音楽作品を指す。ジーンズで言うところの「ウォッシュド」の状態に近く、ある種のヴィンテージ感を出すことで楽曲に古めかしさ等を添え、アナログ感をもたせた作品が多い。

以下は私がSpotifyにスクラップした昨年版の「Lo-Fi」のプレイリストになる。
 

 

書こうと思えばまだまだ多くのジャンルに跨って行くことも可能だが恐らく私が地上ほぼ全体の音楽ジャンルを網羅しているだけに、読む方々の中に混乱が生じる懸念もあるので、本記事はこの辺りで一旦記事をお開きにしようと思う。

本記事の最後に、わたくし Didier Merah の作品を一つ添えておきます。
 

 

 

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プレイリスト “Snow of Hope(希望の雪)- 2022 ①”

毎週末にSpotifyに通知される数百曲の新譜を中心に、少しレアな作品に着目しながらスクラップしている私のプレイリストも日々、進化を遂げています。
ジャンルに分けたPL(プレイリスト)と、その瞬間の空気をランダムにスクラップして行く総集編的なPLに分けながら、同時並行的に複数のPLを作り進めている今日この頃です。
 

現在主となっているPLは此方、プレイリスト Snow of Hope(希望の雪)- 2022 ①” です。此方は総集編的な構成になっており、ジャンル分けをせずに良質な作品を世界中から集めています。
 

 

先週~今週と続いて、どちらかと言うとダークモードな作品が増えているように思いますが、それもこれもこの、世界的なウィルス・パンデミックの止まない波による影響がそうさせているのでしょう。

特にミュージシャンの世界は飲食関連以上に厳しく、ナイトクラブやライブ活動、劇場表現型の活動を継続していた表現者たちは軒並みその活動の場を追われ、中には転職する人たちの悲痛な声も多く聞かれます。
 

ここ最近の私のツイートの内容に眉をひそめる人たちの思いを背中に感じつつ、私はこの流れをむしろ吉報と捉えています。
人類は娯楽と言うものについて、ここで完全に考え方を改める必要性に迫られています。与えて貰う娯楽、その場に行って表現者と一体になって擬似的快感を得る手法の娯楽にはもうそろそろ、見切りを付けるべきです。
勿論表現する側も、それを鑑賞する側も両方共に、です。
 

本当に素晴らしい娯楽や表現作品、ポップス等がそこにあればそれは特異な光を放ち、作品として必ずwebの河を縦横無尽に渡り歩く力を得る筈。そうではなく、その場に人を運ばなければ成り立たない表現は、ここで終焉を受け容れるべきだと私は考えます。

本物の創作或いは作品には、そこに「祈り」が込められています。神に捧げる思いが作品となり、創作者の手のひらを飛び立ち、作品は誰とも知らない人たちの手元にそっと降り立って行きます。
それが「拡散」と言う言葉の神髄ではないでしょうか。

 
そんな思いを込めて私は毎週末、眠気や疲労が溜まっていたとしても世界の新作に触れて、それをスクラップして私なりの感性のこもったPLを作って発信しています。
 

 

ダークモードに包まれた今週の新作の中で、一際目を引いたのがこの作品 “Drawer” (by SUMIN) でした。
 

 

YouTube等では「서랍」と表記されているようですが、和訳すると「引き出し」と言う意味を持つタイトルだと分かります。

歌詞を捲ってみたのですがとても抽象的な表現が続いており、意味を咀嚼するよりはニュアンスを感じ取る方が逆に楽曲の意味に近づけるような気がしました。

https://lyricstranslate.com/ja/sumin-seolab-lyrics.html
 
 

現在私が直面している「生死」や「生死観」が美しく表現されているようにも見えますし、呆気なく通過してしまった過去の自分を老後の自分が静かに振り返っているような歌詞にも読み取れます。
何れにせよ、美しさの中にけっして消せない痛みがこの歌詞や作品の中に綴られていると言う私の憶測は、当たらずとも遠からず‥ でしょう。

この作品の痛みは、マイナーではなくこの曲がメジャーで表現されているからこそ、リスナーに迫り来るものなのかもしれません。
 

 

このPLに Snow of Hope(希望の雪)- 2022 ①” と命名したのは、やはり2022年早々の私にとってはとても悲しい雪がその動機でした。
たった4人の家族の3人全員が、昨年の冬に全てあちら側に旅立って行ったことになります。

その最後の肉親であった実母の最後を見送り、火葬したのは、亡くなった実弟の奥様でした。私への連絡が出来ない状況だった‥ と言う彼女の言葉が真実だったのかどうか、その後の彼女の行動が物語っているように思います。
私はその経緯をこの先二度と忘れることはないでしょう。
もしも彼女にも幾ばくかの善意があるのだとしたら、それを是非、私の目を見て彼女の肉声で事の経緯を全て聞かせて欲しいと思います。
 

現在色々調査中にて、ここには余り多くのことを書けないのが辛いのですが、もしも亡くなった実弟の奥様がこの記事を読まれていたら、今の私をご自身に置き換えて考えて頂ければ私の気持ちや立場、けっしてこれまで人様には見せて来ずに来た私の本当の胸の内、心の痛みをご理解頂けると思います。
 

そしてこの作品 “Drawer” (by SUMIN) のように、ご自身の中の出来事にそっと光を当てて欲しいです。
 

音楽で結ばれ、そして小さな家に「過去世をJ.S.バッハとして生きた私」が生まれたことで、この家族を音楽が引き裂いて行ったように思います。
なのでせめて私は我が家を引き裂いた「音楽」をもって、この先の人生を長く生き続け、砕け散ったピースを一つずつ元の場所に戻すことで亡くなった三人の家族を供養したいと願っています。



話しが少し脱線しますが、この記事の最後に亡き弟と私とを最後に繋いでくれた、この作品を貼っておきます。