音楽の日 – Day of Music

毎週金曜日は私にとっての「音楽の日」。その月その週の世界の音楽の新譜を粛々とチェックして行く。その中で気になる曲をストックし、プレイリストへと突っ込んで行く。
私にとって趣味であり、仕事でもあるこの作業をもうかれこれ数十年、私は止めることなく続けている。

さしずめ頭の体操でもあり、しいては比較音楽学のベーシックともなる知識を収集する時間でもあり、私にとってこれ程趣味と仕事を程好く兼ねた作業は無いだろう。

気質的には排他的な感性を持つ私だが、音楽だけは例外だ(笑)。如何なる国、如何なる民族、如何なるジャンルの音楽も余すところなく吸収して行く。

 
昔某アイドルグループ等のシングル曲のセレクトに携わっていた時、どう見ても私の仕事の実質的なタイムとデモテープのタイムが全く矛盾していることについて会議のテーブルに「問題案件」として持ち上がった。
勿論私にとってそれは何の問題もないことだったが、会社としては大きな問題だったようだ。

仕事は闇雲に真面目にやれば良いと言うものではない。要領の良さと時短の知恵があれば、その分多くの仕事を進めることが出来る。

 
私の場合の音楽の見極め方として(もうこれは時効なのでネタバレ含む)のコツは、先ずイントロのコード~Aメロの駆け上がり方を視る。ここで大体の楽曲のインプレッションや音速(これは私が思う感覚を用語化した単語)を見極める。
次にAメロの解決を視ずに先にBメロ~「サビ」を聴く。次に1コーラス目のラストを確認したら、次は概ね曲の中間部に出て来る間奏前の「中サビ」に突っ込んで行く。

概ねここで曲の全容を把握出来るので、仮に一曲3:45のタイムの楽曲を診断するに必要な全タイムは何と30秒から多くても60~80秒で済む。
例えばこのプロセスで100曲のデモテープをチェックするのに真面目に聴いていたら「300min (about 5時間) 」のタイムが必要な作業を、私なら90min~120min、つまり多く見積もっても2時間弱でこなして作業場を引き上げることが出来る。

要はこの分量のミスマッチが社内の会議で問題となった‥ と言う話し。だが如何せん当時の私の仕事(社員ではなくアルバイトの分際ではあったけど)はほぼ完璧だったので、結果的に誰も私に「お咎め」を刺すことが出来なかった。
めでたしめでたし‥ じゃなくて(笑)‥。

 

勿論心底気になった楽曲のみ、フルサイズで試聴する。さらに好きになって惚れ込んだ曲であれば、何度も何度も聴き返して行く。
映像記憶のみならず音の記憶が私の場合、超越している為、大体2回から3回も聴けば楽曲全体を記憶し保管することが出来る。難点を挙げれば「飽き」が早々に訪れてしまうことだろうか。

 


音楽の日。今日、新しくプレイリストを立ち上げた。
本当は「秋」、つまり9月から11月までの楽曲で一つのプレイリストに仕上げる予定だったが、それが不可能になるくらい多くの楽曲が手元に集まってしまった為、前プレイリストから新プレイリストに内容を引き継ぎながら振り分けた。

 

前プレイリストは此方 ⇩

 

先々週辺りから新譜全体がとてもダークな色合いへと、変化し始めた。それは「秋」を意識していると言うよりも、先行きの見えない不安を抱えたミュージシャン等が表現の矛先や方向性を見失った現象とも一致しているように感じる。

比較的ブライト感(陽気さ)を維持しているのがイタリアン・ポップスだったりブラジリアン・ミュージックだったりする。
中でも私が好きだったのが、Didier Sustracの “L’ Amour ça nous travaille“、そして Ornella Vanoniの “Tu Me (con Virginia Raffaele)” だった。

 

 
良い音楽は時空を超える。だが悲しいことに、歌詞、声のあるものの命は短いのも又事実だろう。

地球人は同じ地球人の声質にノスタルジーを感じるし、プレアデス人はやはり同じ種の声質に郷愁を感じるだろう。そう考えると「声」を用いた音楽が時空を超えて拡散して行くことは、想像以上に至難の業である。
だから私は「声」の世界を退き、「音」に全てを賭けて生きている。

 
そう言えば二週間程遡るだろうか。とあるSNSのメッセンジャー経由で私が粛々と進めている「民族音楽の研究」について、質問のメールが寄せられた。あらたまったご挨拶の無い簡略的な、言ってみれば「今どきの若者」のメールと言った感じで質問も大雑把で、何より私に興味が全く無さそうな内容であった(笑)。
そういう無礼な人間に対しては、私も無礼な対応で返すことに決めている。相手がガチ(真剣)で私に興味があれば、私がどれだけ無礼な返信を返したとしても相手の方が食い下がって来るだろうし、此方の無礼な返信で途絶えるメールであればそれ以上引き延ばす必要も無いだろうし。

 

権威に全く縁のない私の研究、と言っても私が突き進んでいる道の後に人は誰も居ない。
クラシック音楽と民族音楽、~アンビエント・ミュージックやDub Techno、Lo-Fi Chill Music等の全ての音楽をクラシック化し、糸で輪っかにして繋げて理論化して行く作業を他に誰がやっているだろうか?
前人未踏の研究に権威等、必要ないのである。

だが多くの若い人たちは内容よりも「権威」の方を必要としており、中身が薄っぺらであってもそのことには気付かないのだから手に負えない。

 

何れ世界中の音楽人口が激減する時が来るだろう。その時になって、あれがない、これがなくなった‥ 等と言って私に泣き付かれても、今この瞬間の私をルックダウンしている人々に掛ける言葉を私は持ち合わせていないし、その必要もない。
その時が来たら是非とも、存分にお困りあそばせ。

 

と言うわけで、この記事の最後に今日出来たてほやほやの新プレイリストを貼って、〆とさせて頂きます。
ご清聴ありがとう御座います。

 

Change The World – 秋分と言う分岐点

沢山の音楽を聴きながら、星の人々を思う。

私が「星」を出す時、それは地球以外を意味する場合が多い。今この瞬間も私は、地球よりもプレアデス星団の幾つかの星の人々を思う。

世界は歪みながら、次第に崩れ落ちて行く。その隙間に人々が音もなく次元を渡り、それらは誰にも知らされることのないままにひっそりと進んで行く。
やがて何もかもが消えてしまっても、人々は暫くの間そのことには気付かないかもしれない。

この世界にもしも「アカシックレコード」が存在すると仮定して、この現状がそこに記録されていたならなぜ、誰も現在の地球を予測出来なかったのだろう。
おそらくアカシックレコードは存在しない。なぜならば、未来は書き換えることが出来るから。

書き替わった未来と書き替わる前の未来を同じ平面に並べたところで、それは予言にも警鐘にもならない。

 

改めることで未来を選び取ることが出来るのだとしたら、それを今やらずしていつやるの?‥

「アセンション」と言う魔の呪文がじわじわとこの星の未来を変えてしまったのだとしたら、私たちは元の場所まで一度引き返せば良いだけのこと。

進め過ぎてしまった駒をたった一個戻すだけで、新しい未来へと書き換えることは可能だ。その代わりこれまでの習慣の大半を手放して、新たに得た感覚で生き直すことが必須。

あなたにはそれが出来る筈。

 

While listening to a lot of music, I think of you of people of the stars.

When I put out a “star,” it often means something other than Earth. At this very moment, I think of people living in the Pleiades cluster rather than the Earth.

This world is distorted and gradually collapses. In the meantime, people cross dimensions silently, and the reality goes quietly without anyone knowing.
People may not notice it for a while, even if everything disappears.

Assuming that there is an “Akashic Record” in this world, why could no one have predicted the present earth if this situation was recorded there?
Probably no “Akashic Records” exist. Because everyone may be able to rewritten our future.

Even if the rewritten future and future before rewriting are arranged on the same plane, it will not be a prophecy or a warning.

 

If people can choose the future by changing their way of life, when will they do it instead of doing it now? ‥

If bad magical words “Ascension” changed the future of this planet, we might have to go back to where it was.

It’s possible to rewrite a new future by returning just one puzzle that has gone too far. Instead, it is imperative to let go of most of your habits and relive with your new feeling.
You should be able to do that!

I’ll continue to pray for the future peace of our planet.

 

2021.09.22 [一進一退]

昨夜の月を遂に愛でることが出来ず、朝起きてみれば空一面の雲。
それでも季節も時も刻々と巡り、庭や街の秋の花たちも今この瞬間を惜しむように甘い香りを放ちます。
 
いつもの日常。
両手の負傷に無理を掛け過ぎない程度に、昨日から軽い筋トレを足しています。
本当に軽い、絹一枚分の筋トレです。
 
音楽を聴くだけで、その音楽とシンクロするみたいに全身の筋肉が動くので、サポーターは常に装着必須。
少しずつ少しずつ、時の巡りと共に心身の傷も癒えて行くと信じて‥。

今日も穏やかな一日でありますように。

 

2021.09.21 [曼珠沙華]

赤い曼珠沙華を見る度に、心臓が凍り付きそうになります。
ですが白の曼珠沙華を見る時、時間が止まったように感じます。

人が輪廻転生を繰り返し、現在に至った証しでょうか。

今年開花した多くの花たちは、何故こうもみんな物悲しい眼差しで空を見上げるのでしょう。
長く長く、長く‥
この世界が続いて欲しいと思います。

 

🍂2021.09.18 [台風一過]

宇宙に朝が訪れました。
昨夜は本当に、よく降りました。
 
両の手の、負傷した箇所が低気圧で痛むので、一日丸々Kindleで読書をして一食作っただけで後は殆ど休んでいました。
 
体を休めていても、思考はなかなか休まりません。
良からぬ事は考えないようにしていますが、視えてしまうものは少なからずあるのです‥。
 
『漂着者』のヘミングウェイのように、未来を変えてしまう力を授かりたい今日この頃の私です。

 

ブルーベリーと9月の雨

瞬く間に夏が往き、少し早い秋が訪れる。蝉の抜け殻も風に吹かれてどこかへ消え去り、真夜中には鈴虫の声が庭じゅうに響き渡る。
 
この夏、2本あるうちの片方のブルーベリーが、短い命を閉じた。
きちんと毎朝水を遣っていたにも関わらず、連日の高音高湿度には耐えられなかったのだろう。
ブルーベリーにも相性があるようだ。同時期に買った銘柄の異なるブルーベリー達だったが、年を追う度に開花のタイミングがずれて行った。
同時に開花してくれないと受粉に支障が出るので、暫くは祈る思いで樹々を毎日愛でながら水遣りをしていたが、一昨年から完全に片方が開花の時期をずらし始めた。

 
木や花にも個体差や性格の差があって、それは生まれ付いたものとは限らずある日突然性格を豹変させる場合もあるようだ。
今年往ってしまった「うさぎ」と名づけたブルーベリーは、5年くらい前に私が枝を少しだけ切り落としたタイミングで性格が豹変した。人間で言うところの「キツい」性格に変わり、それまでは同時に花を咲かせていた相棒をそこはかとなく毛嫌いし、開花のタイミングをあからさまにずらし始めた。

 

 
まるで私みたいな子だなと思う。
日によって性格が変わると言う訳ではないが、焦点の当て方が大きく変化する時の私は別人のようになる。
その瞬間をなるべく他人には見せないように努めているが、そうは行かなくなることもあるのが辛いところ。
 
だが最近は、そういう瞬間に今、自分がどういう状況なのかと言うことを余り人に話さなくなった。理由は簡単で、殆どの人達にはそのプロセスや理由が理解出来ないからだ。
最初は理解すると言う努力を皆が怠っているからだと私も頑なに思い込んでいたが、どうやらそうでもなさそうだ。
 
解像度の異なるカメラで同じ被写体を撮影してもけっして同じ精度では写らないように、人の理解能力もきっとそれに似ている。だから進化している側が先に相手を諦めない限り、相手はとことん気付かない。そこには飽和とか協調と言う結論は存在し得ないにも関わらず、全てが上手く進んでいると言う現実とは異なる別の現象がでっち上げられるのが関の山だ。
 
とあるSNSで私がよく言うことの一つが、「良くも悪くも上っ面でいい。」と言う言葉。だがそれも時間制限付きで、私の性格が長時間その状態には耐えられなくなるから、自身の我慢を言い聞かせて続けている人間関係程拗れる時は激しく拗れてしまう。
 
 
一時「倍返し」と言う言葉が大流行したが、私の善意や厚意は他のそれよりも温度が熱い。だが、受け取る人達がその熱さに気付かないふりをし、そこいらの誰かがうっかりもたらしたラッキーな落とし物のように、私の厚意を安易に受け取ることも多々ある。
先日まではそれらを我慢し、許容して来たが、数日前から私がその矛盾を許せなくなった。

 


肝心なツイートに限って、肝心な相手がそれをスルーする。要は見なかったことにして私の怒りが冷めやるのをじっと待ち、頃合いを見て再び姿を現しては私から大きなツキをもぎ取って行く‥ と言う姑息な計算が相手の中に、息を吸うように在るのだろう。
その小狡い先方の計算や心情に対し私は、罰を与えることに決めた。

尽きない怒りには必ず理由がある。その理由には大方正当性があるが、相手がその正当性に気付いていれば何らかの意思表示が無ければおかしい。
もしくは私の中の正当性に気付いていたとしたら、触らぬ神に祟りなしの精神が相手に働いているのかもしれない。
 
祟りは人に不幸をもたらすが、私の「罰」はそれとは違う。
相手が私から簡単に、何の礼の一言もなくもぎ取って行った幸運を取り返すだけだ。
その後に先方に訪れた何等かの状況が、むしろ私が先方に与えた幸運をより鮮明に顕すに違いない。
その為の儀式である。

 


連日の雨。夜になると夏の片鱗は街のどこからも消え去り、代わりに人恋しさに耐え切れなくなった野良猫達が家の庭に寄って来ては「ミャーミャー」と甘ったれた声で鳴き始める。
ウィルス回避の意味もあり、この1年半以上私は街じゅうの全ての生き物達との接触を絶っている。
 
猫や鳩、その他私に懐いていたカラスも居たが、頑なに拒絶し続けた。
昨夜ゴミ捨ての帰りに私を追って来たボス猫も、以前は密に会話をした仲だったが、猫語で言うところの「シャー!」を全身で発し追い払った。
 
可哀想とか、気の毒だとか、そういう感情を全て封印し、私は石になる。流石に石になった私には、どんなに人懐っこい猫でも付いては来ない。
 
おんなじようにして、煩わしい人間関係も全て追い払ってしまいたい。
 
人も猫も、「慣れ」には鈍感だ。出会った時の距離感を、長期間維持出来ない。
擬似的に共通のネタを一個見つけると、そのネタさえ振っておけば私が会話に乗って来ると勘違いしている人達が多くて、ここ最近は意図的に返信のタイミングをずらしたり外したり‥、自分の意思でもないのに冷たく相手をあしらったり‥、本当に色々な無理解には悩まされる。
 
雨の日は人の行動が少し鈍くなるのか、今日は色々なことがゆっくりと穏やかに過ぎて行った。毎朝続いていた煩わしいメールも途切れ、私はようやく「一人」を謳歌することが出来た。
 
 
たった一言。その一言が得られないのは、今も昔も変わらない。
人はプライドを優先し、常に自分が相手よりも優位で居ようとするが、殆どの人々はそれを絶対に認めようとしない。だから謝罪も感謝も無いが、その旨を指摘すると「人間は皆平等だ」‥ と言う戯言を言い始めるので、無言で嫌な人間を演じておく方が無難かもしれない。
 
  
春先に完治していたばね指が酷い形で再発し、夫と力を合わせて家事を分担している。
ステロイドを注射し痛みを麻痺させ、その箇所にリハビリを施し、「握力30をキープする為に毎日20キロのハンドグリップを10秒×10回握って下さい」と院長とリハビリのトレーナーが口を揃えてアドバイスしたそれを、忠実に守ったことが災いした。
先々月だったか再度同じ整形外科に再診で訪れ、前回のアドバイスの件をドクターに質問したら、「やりたきゃやればいいんじゃないですか?」と返された。
ドクターが「やれ」と言ったことを続けていて悪化したわけだから、患者である私の質問に対して正確な回答を返す責任が担当医にはある筈。‥
 
色んな経緯を経て該当の整形外科への通院を止め、現在は絶対安静をキープしている。
鍵盤練習が出来ない分、これまで少し疎かでテキトーになっていた「私」の生き方や在り方について、ここでしっかりとネジを巻き直そうと思っている。
 
Twitterのプロフィール欄には「注)とても気難しい性格ゆえ、慎重に平伏して接して下さい。」の一言を書いているが、それを忠実に守れている夫以外の第三者は今のところ、誰も居ない。

 

さて、この記事の最後に上の記述でも触れた「安易に私のツキを持ち去ろうとした或る人達」のトラックを幾つか削除し、完成形を見たプレイリスト「Ambient Summit 4. 2021~」を貼っておきましょう。
※お貸しした幸運は無事、回収済みです。

 


下記のnoteの記事リンクから是非、サポートか投げ銭で応援頂ければ幸いです。
https://note.com/didiermerah/n/n5b600162442f

KWON EUN BI “Door” レコーディング風景と解説

2021年4月下旬に予定通り活動を終了したIZ*ONEのセンターだったクォン・ウンビが、ソロ活動を開始しました。
その皮切りとなるシングル「Door」は好調な滑り出しで、韓国各メディアの注目度も高いようです。

 


今回この記事のTopに添付したのは、シングル曲Doorのレコーディング風景です。


完成形だけを紹介してああだこうだと論じている記事は他にも複数ありますが、私が注目したのはむしろバックステージで行われていた非常に繊細なレコーディングのプロセスの方でした。

昔々私が未だ業界にひっそりと出入りし暗躍していた頃から歌手のレコーディング風景をかなり多く見て来ましたが、正直なところここまで繊細で表情豊かで尚且つとても穏やかな作業を余り目にしたことがありませんでした。

特に日本の歌謡曲やPopsの歌手の多くが偽善的であり、本編の仕事よりも「気遣い」や「腰の低さ」の方がスタッフのポイントが高く、実際の作業はと言えばさしてパっとしない普通以上でも以下でもないクオリティーである場合も多いのが現状です。
中には熱心さを売りにしている歌手も居ましたが、どこか「何度も何度も果敢に挑戦する(或いは録り直す)姿勢はあくまでポーズで、実際には今もさっきも一つ後のテイクも殆ど仕事としては変化が視られない‥ なんてことも多々ありました。

ですがクォン・ウンビの上の動画を観る限り、全ての同じ個所‥ 例えば3テイク録り直した場合の全てのテイクが違う表現で歌われているところが凄いです。



IZ*ONEでセンターを努めていた頃は正直余り冴えた印象が無かったのですが、ウンビはソロで光るタイプの歌手かもしれません。

よく居るのです。例えばAKN48の前田敦子のように、グループのセンターと言うポジションだと光輝いて見えたのにソロになった途端焦点が定まらなくなってしまったような類いの歌手が。
その点、ウンビの場合は逆で、おそらく今後良い楽曲と良い振り付けに恵まれ続けることが出来れば益々、彼女は華やいで光輝く存在になるに違いないと私は予想しています。

因みに「Door」の作詞・作曲者は以下のようにクレジットされています。

作詞︰권은비、황현(MonoTree)、정호현(e.one)
作曲編曲︰정호현(e.one)、황현(MonoTree)


アルバムOPENを全曲私は試聴していますが、本音を言いますとシングル曲Door以外の作品は余りパっとしません。
恐らくミニアルバムはアリバイであり、シングル曲一本に全てを集約したのでしょう。どっちに転がってもいいように、こういう作戦はままあるので余り驚きません。

振り付けで印象的なのは、途中で猫のような振りが三段階に分割しながら、その合間に爪を立てながら「シっ」と言ってお茶目な顔をする箇所。

 

 

⇧の動画の丁度タイムで0:45から0:51辺り(2コーラス目にも同じ個所が出て来ます)になりますが、この振り付けを考えた人はきっと天才です。

 

 

最後に「Door」のPVらしき動画を貼っておきます。


PVらしき‥ と書いたのは正式なPVが公開されておらず、動画サイトの会社らしきアカウントからのムーヴィーしか出ていなかった為です。
こういう時韓国語が理解出来たら、もっと色々すんなりと調べられるのでしょう。

と言うわけで、この記事は文字発信型SNS「note」新着記事と同期で掲載しています。
よろしかったらそちらから投げ銭で応援頂ければ幸いです。

記事: https://note.com/didiermerah/n/n106e478321d4

 

音楽・舞台芸術に於ける未来予知

コロナ禍は益々加熱し、多くの音楽行事や舞台、コンサート等が中止や延期を余儀なくされています。
犠牲を払って最近行われた「フジロックフェスティバル 2021′」、そして「NAMIMONOGATARI 2021」等、一部開催された音楽祭もあったようですが、開催後の評判は必ずしも芳しいものではありません。

そもそもこのパンデミックの背景には、マザーアース・地球とその地球の自然神、そしてそれを取り巻く古い自然神等が地球の現状を悲嘆し、よもや地上の害虫と言っても過言ではない「人間」の駆逐を意図した思いが深く根付いています。

 

折に触れ私は何度も幾つかのSNS上で発信していることですが、再度ここに記載します。

つまり人類は今、自然神等に執行猶予の期間を与えられた身であること。これを絶対に全人類は忘れてはなりません。その上で許される最小限の生存の権利を謳う以外の、全ての権利を一度放棄しなければなりません。その中にこの記事のタイトルでもある「音楽(特に生で演奏するもの)」や舞台芸術、人を集め収益を得る為に開催される全ての文化的なイベントを人類は無期限停止しなければなりません。

 

多くの人達がそのことを受け容れず、尚且つ理解もしていません。中には薄々感じ取っている人達も居るようですが、あえてその感覚をスルーし、無かったことにしたり現実逃避をしながらコロナ以前の生活習慣を継続する道だけを模索しています。

 

それを自然神は絶対に許さないと決めています。
その証拠に、例えば東京都で感染者数が少し右下がりになったところで又元のようにバーやライブハウス等を再開し始めた途端に、再び新型コロナウィルスの新規感染者数が急増し、結果的にはデフォルトの営業形態を再度修正し、店舗を休業したり時短営業にシフトしたり‥ と言った具合に大勢の人を一ヵ所に集め、呑んだり聴いたり歌ったり出来ない状況を自然神が必然的に突き付けて来る‥、このいたちごっこになっているのが現状です。

 


必ずしもプレアデス星団の各星の政策や政治が良いとは言えないところもありますし、現在のプレアデス星団には文化が存在しません。
それを踏まえながら、あえてプレアデス星団出身のJaneの予知と私の予知とをすり合わせると、未来の娯楽や音楽業界、音楽形態や舞台芸術を含む地球上の多くの娯楽はVR化して行くことになりそうです。
あくまで予知ですが、様々な現状を未来へと視野を広げて考えるととてもしっくり来ます。

 

これまで昭和の後期から平成と長く続いたのは、音楽を手段(武器)にしたアイドルタレントのオプション商法でした。
CDを色分けし、同じ曲目なのにジャケットを変え、シングル曲以外の楽曲を一部入れ替えたバリエーションCDを作り、そこに握手券を封入して販売する商法は主にAKB48等の大人数のアイドルグループ達の台頭によって平成の音楽営業の主流になって行きました。
思うにこれは音楽に対する冒涜の一種であり、これについては自然神「ゼウス」もけっして良くは思っていないようでした。

 

似たような営業形態を堂々とやってのけていたのは、韓流のガールズグループないしはボーイズグループも同じでしたが、それでも日本の音楽業界が続けて来た悪質な商法よりはまだましな方だったでしょう。
何故ならば、ベースとなる音楽商品(楽曲や歌詞、編曲を含む)のクオリティーが圧倒的に高いからです。
 
 
話を戻しますと、一ヵ所に多くの観衆を集めて行われる爆音コンサートに対し自然神も地球もうんざりしていると言う話しです。
これは大小を問わず小規模なライブハウス等で絶叫したり、或いは音楽とは言えないような稚拙で体たらくな音楽を毎晩演奏する夜店の演目等にも十分に当てはまります。

 

それがこのコロナ・パンデミックの延長によって完全に営業をセーヴされ、とどめの一発は「禁酒法」とも言われる「アルコール類の提供禁止条例」でした。
この通称「禁酒法」を現・都知事が声に出して打ち出した時は、私も珍しく歓喜しました。

そもそも「祈りのない音楽は絶滅すべき」だと私はずっと思っていたので、それが一歩実現に近づいたわけですから。

  


自宅にコンサートを持ち込む。
とても良いコンセプトです。

これまでのコンサートやライブハウスは照明や過剰な音響効果等の空間のマジックによって成り立つ要素も多く、お金を払って決まった空間に足を運んだ人は自らの出費を後々嘆きたくらはないからレビューとして、極力良い印象を公言したがります。
ですが、実際には思っていたものではなかったことの方が多いと言う話しもあります。私も実際にそういう経験をしたことが、何度もありました。

 

それが自宅に居ながらにして実現するコンサートや生演奏のライブとなれば、その音質やクオリティーを深く各自が問うようにならざるを得ません。大切なことはこの、条件の変化です。
そこには惰性や誤魔化しが一切挟まりませんから、その瞬間演目がつまらないからと言う理由でVRホールから黙って退室しても誰にも文句は言われません。そしてそのような思いをした同じ会場に二度足を運ぶことも少なくなり、観衆は無言のうちに自らの言動や感情に正直に向き合わざるを得なくなります。

これは音楽形態に於ける、大きな変化の要因になり得ると私は思っています。

 

歌舞伎等も上記のような手法での配信となれば、時折舞台でかかる掛け声やそれに強引に誘われる「さくら」の拍手等に惑わされることが激減し、視ている人本人がその演目をどう思うか‥ と言う素朴な感覚が何より優先されることで、つまらない営業型伝統芸能の舞台も必然的に減って行くことになるでしょう。
良いことだと思います。

  


私も昔はその日暮らしの音楽を奏でていた分際でしたけど、いつかその世界を必ず抜け出すことを心の中で決めていました。
ものの実現にはタイミングが重要です。なのでそのタイミングが来た時にいつでも泥船を抜け出せるよう、私は常日頃から準備を怠りませんでした。そしてその機は、2018年の早い春に到来しました。

 

でもそれよりも、今は誰もが「サブスクリプション」からの配信が出来る時代です。なのに多くの音楽家やミュージシャン等は、配信よりも「生演奏」と言う名目の「その一瞬を観客と共有する」スタイルの演奏形態から出ようとはしません。
そんなことを毎日やったところで、百年後の地球の音楽史に残る音楽等実現する筈も無いのに‥。

 

人類に必要なことは、何を置いても承認欲求をかなぐり捨てることです。

多くの娯楽や芸能、音楽や舞台芸術等に関わる人達に抜け落ちているのは、この、「承認欲求をかなぐり捨てる強い意志」の方かもしれません。

例えば歌手や女優等、多くの彼等の職業に在る人達はその職に就く理由として「スポットライトと拍手を生涯浴び続けていたい」と掲げます。これがいけないのです。
マザーアース・地球や自然神が切望するものがあるとすれば、祈りを持つ音や創造物の方。

元来「祈り」は人目には触れない空間で執り行うものです。なので、上に書いたようなカテゴリーの職種やその職種に関わる(堂々とふしだらな職業意識を掲げている人達)には、まとめてごっそり消えて貰った方が良いのです。

 

私もかなり辛辣なことを綴っているなぁと思っていますが、私は芸術家であり音楽評論家、比較音楽学者でもあり、尚且つ「チャネラー」「コンタクティー」さらには「霊質学者」の職歴を同時に掲げて生きていますので、私が言わなければ他に誰も言える人が居ないことを身をもって知っています。
なのでSNSではなく、ブログから発信し続けて行くことに決めました。

 

将来的にはプレアデス星団の誰か、その他の宇宙の誰かがこの地球に降り立った時の状況を踏まえ、その時にこのブログを彼等の中の誰かが見つけられるようにここに、ありのままの現状を記載しておきます。
 

 

横たわるオリーブ [夜活]

ホワイトルームに向かうと、オリーブの樹がぐったりと倒れていた。
一体何があったのかと周囲のガーディアンに尋ねても、誰もその瞬間を視ていなかったと言う。

霊質空間で起きることは、その後必ず三次元にフィードバックされて行くと言う。

樹が倒れている。
良くない暗示だ。