日記まとめ 2026/08/16 ⇨ 2026/08/23

【26/08/16(日)『送り火』】

 あちらこちらで送り火が焚かれ、自宅のマンションの換気扇を伝って微かな火の匂いが侵入して来る。
 私はと言えば特にこの二日間は、複数の連作の作歌に集中していた。集中が一度始まるとそれは際限なく続き、途中で休息を挟むとぷつんと糸が切れるように集中力が折れてしまう。だから一度エンジンを掛けたら止められない。
 
 短歌連作の作歌は全部で三作、内二作は〆切まで余り日数が無い。夏休みだと言うのに外出も外食も全部後回しにして、朝から晩までひたすら書籍を読み音楽を聴き、合間にちょこちょこと作歌をして行く。
 今月は川柳の「或るコンテスト」へのエントリーも決めており、二句詠とは言えじっくりじっくり練って行く。

 結社の一部をお休みしようと思っていたのだが、どういうわけか堰を切ったように湧き出て来るものがあるので、結社出詠用の作歌も同時並行で進めて行く。
 全体的には好調である。

 数時間前に大文字焼きが点灯され、そして先ほど「終わったよ。」と言うメールが知人から届く。

 静寂。
 一人、又一人とお帰りになられる方々は今、何を思っているだろう。
 祈りは無休だから、私はことさら手を合わせることはしていない。形より大切なものがあることを日々感じ、日々念じて生きているので。

 いつかは私も送り火に見送られる日が来る、それまではしっかりと地に足を着けて生きて行こうではないか。
 

 
 

【26/08/17(月) 『観察と監視』】
 

 

【26/08/18(火) 『出詠三昧』】

 何となく良いことが続いているような、そんな手応えを感じる日。短歌『ゆに 8月「今月の風」ー会員作品を読む』で、励みの一票を頂いた。投句のステージを変えれば目にする人も変わり、それによって評も大きく変わる。色んなことが少しずつ開花している。
https://x.com/uni5752021/status/2089536853586358688

 併せて一気に「カクヨム」と次号の「うたそら」への出詠と一評の提出を済ませ、合間に来月出詠予定の「塔」の原稿を練って行く。合間に日々のお題への回答歌もポストし、さらにその合間に「日記のまとめ」をメインブログ「Didier Merah Blog」とnoteに同期で投げ込む。
 
(※諸事情にて日記の後半を省略します。)
 
 

【26/08/19(水)『壊れた言葉』】

 抜け殻のような一日を過ごす。昨夜複数の出詠/投句を終えて、まるで戦い直後の兵士のようなメンタルに落ちてしまった。そのタイミングで某句会に投句された他の柳人の面々のおかしな句にアテられ、気が狂いそうになった。
 
 現代川柳が悪いとは言わない。柳人によってはとても良い句を生み出しているし、美しい日本語も維持されていると思う。だが皮肉にも私が最初に参加した結社が、最近怪しい。日本語が崩壊しており、それを現代的だ‥ と勘違いしていることに気付いていない。
 現代音楽と現代川柳のネガティブは、どこか似ている。基本を踏まないらんだむ性を「現代性」と勘違いしており、その勘違いの句を結社のTopが引き続ける限り負の連鎖は止まらないだろう。そしてそれを「お洒落だ」と勘違いする後輩が後に続く。
 そろそろ引き時かもしれないと、心の声が響く。実際にそうするかどうかは分からないが、居心地の良い別の居場所にそっと移動するかもしれない。

 そんなこんなで気持ちが塞いている時に、Amazonの配送員が郵便受けではなくエントランスの台にとても大切な荷物を放置して立ち去ったとの一報。その部屋に住む人の個人名が外に漏れた形だ。保安上、とても危険な状況が起きてしまった。
 直ぐにカスタマーセンターに連絡をして、該当の営業所とドライバーにペナルティーを課すよう要求した。勿論これは正当な要求でありご丁寧にドライバーは写真を残してくれたので、その通りになるだろう。

 色々うんざりしている。
 
 

【26/08/22(土)『ベラルーシの林檎』】

 毎週末は世界の新譜チェックに追われ、Spotifyのプレイリストに良局を足して行く作業に追われる。未だサカモトリュウイチ氏がそれをやってなかった頃から私は、iTunesやYouTube等を通じて世界の良曲をセレクトして発信していた。
 今週末もその作業を継続しているものの、特に夏以降は良曲に出会わなくなった。良いなぁと思うと途中からRapが侵入し、良曲が突如ジャンクフードと入れ替わる。Rapは「ジャンク」に分類しており、それは音楽としての意味を為さなくなると私は思っている。

 人口の大幅な現象と同期して、世界から文明の一部が消えるだろう。その中には良美しい文化や文明もある筈で、私はその中の特に音楽のエレメントを選んで霊体に深くインプットし、死後に霊界に持って行くと決めている。だから毎週末の「世界の新譜チェック」が欠かせない。

 食事もそこそこにほぼ半日近くを書斎で過ごすと、当然のこと翌日~翌々日は身体が使い物にならない状況に。なので一晩か二晩は、兎に角しっかりと睡眠を取るようにしている。脳の粗熱が冷めるまで、ね。

 岸惠子さんの「ベラルーシの林檎」の中古をAmazonで購入したら、なんとサイン本だったので驚いた。大切に読まねば。
 

 
 

【26/08/23(日)『想うチカラ』】

 深夜(早朝)のけたたましい地震のサイレンで飛び起きて、かなり揺れた体感があったものの震度そのものはさほどでもなかった事に、少しだけ違和感を覚えつつ‥。

  明けて朝。りくりゅうこと三浦璃来と木原龍一婚約のニュースが世界を一周も二周もして、私も心から嬉しくなった。
 その一方でふと、頭の片隅に高橋成美選手の顔がちらつく。三浦璃来との違いは何だったのか?と一瞬考える間もなく、璃来さんのあの決断力と察知能力、それを包み込む情熱とメンタルの強さがりくりゅうをここまで引っ張って来たことを思うと、高橋成美選手は今心の半分で悔しさを噛みしめているように思えてならない。

 相手を想うチカラ。これは音楽、強いては短歌や川柳にも通じるマインドで、想いのないところには物は育たない。想いのチカラとは願望成就への意地とは異なる未来の確約の無い、もっと祈りに近い場所にある。人の多くは「祈り」と「願望成就」を同一線上に捉えているだろうから、心に「祈り」を持つ人はとても希少な存在だ。

 ふと最近の短歌や川柳に目を移す。
 勿論各々に悪意も敵意も無いことは重々承知してはいるものの、そこに並んでいるものはごく一部を除いて「想いの無いらんだむな破壊言語」の行列。そんな印象を深くした。

 昔々ヤマハJOCの時代から、私の生き方、流れ着く先は変わっていない。往々にして「様式美」の整った世界に流れ着く。
 人の棲まない場所へ行きたい訳ではなく、人が蠢く場所に間違いが多過ぎて私は呼吸困難に陥る。だから空気の澄んだ場所を求めてアクションを起こして行くとそこは誰も居ない場所だった、と言うだけで何ひとつ間違ってはいない。

 群れて生きるグループが群衆だとすれば当然、私は一匹狼のグループに属する生き物だろう。多くの人たちは一匹狼を指さす傾向にあり、きっと私も人に指を指される側の人間だ。それで構わないと思っている。

 白黒は、はっきりさせたい性格。むろんそれを相手には求めないが、グレーなタイプの人からは少しずつ遠ざかるようにしている。そのタイプの人たちは、私のメンタルを悉く引っかき回すだけの存在だと知っているから。

 居心地の良い場所を探し求めることは、家探しにもよく似ている。殆どの場合家探しは人生で一度っきりだと思うから、その意気込みは音楽活動に於いても短歌や川柳の活動に於いても共通すると思っている。

 多少の紆余曲折はあるかもしれないが、その空間に澱みを感じた時には躊躇無く移動する。
 さて来月からはどのように活動して行こうかと、少しずつタイムスケジュールを立てている。
 

【noteバージョン】
https://note.com/didiermerah/n/n5a67896a56b1

日記まとめ 2026/08/09 ⇨ 2026/08/15

【26/08/09(土)】『まさか業務用オゾン清浄機?』
 多分‥ だけど、同じマンションの何処かの部屋で業務用のオゾン清浄機を使用しているらしく、強力過ぎるオゾン臭で昨夜から吐き気と頭痛に悩まされています。
 短歌も川柳も、音楽すらも手に付かずほぼ二日間死んでます💀

 身体が一度拒絶反応を示したものは、それが微量であっても過敏に反応するから余計に辛い。

 一先ず不動産管理会社に連絡を入れて、明日調査してくれるとのこと。夏休み中に室内を浄化しようと、強力な脱臭除菌器を入れた部屋がありそうです。

 おそらく普段住居としては使用していない部屋‥ だとしたらこれ、いつまで続くのか分からないだけに不安です💧
 

【26/08/10(火) 『ある歌集を読む』】
※此方はnoteに個別に記事を書いたので、noteのリンクを貼っておきます。
https://note.com/didiermerah/n/n88d804935098
 

 
 
【26/08/13(木)『短歌とサプリの日々』】
 塔短歌会の冊子をポストから無事受け取り、自分の作品がどんな風に掲載されているのか確認する。
 全10首中、掲載されていたのは7首。コレって良いことなのかそうではないのか、今一つ判然としない。だって3首は省かれている訳だから。

 但し選者の評価は悪くはなかったので、やはり「良し」なのか‥。出詠は今年の5月だったことを考えると、やはり実力的にはまだまだと言う感触の方が強い。この二ヶ月で、実はかなり力を付けたように感じている。やはり「あの」連作の苦労がここに来て、ジワジワと実を付け始めたかな。
 
 あまり色々狙い過ぎるのも何だけど既に来年エントリーを予定している短歌の連作に加え、或る川柳のコンテスト用にも作句中で、連作 on 連作で遂に六十肩が再発した(笑)
 笑えないですねコレは。

 肉の万世からハンバーグをオーダーして一先ず脳にアミノ酸をチャージするも全然足りないので、サプリメントで追アミノ。
 酒とバラの日々ならぬ、短歌とサプリの日々をばく進中ー。

 最近夜になるとやたら目が霞むわ爆弾低気圧で頭痛が続くわで、粉薬‥ じゃなくてサプリメントの量が増えている。食事量がかなり減った分栄養が上手く摂取出来ないので(病気じゃなくてダイエット)、これも致し方ないと半ば諦めモード。

 少し休んだら、週末恒例の音楽チェックを始めなきゃいけない。その前に全く予定に無かった塔短歌会の11月号分の出詠を済ませなきゃ。これが又色々と面倒で、指定の原稿用紙にボールペンでチマチマ清書しなきゃいけなくて、切手を貼ったりコピーを取ったりで結構緊張を強いられます。
 

 

【26/08/14 (金) 『忙殺される』】
 このところどこか体調がスッキリしないので、週末は休養に充てる予定が完全に逆になった。
 普段は短歌だ川柳だと言いながら実のところ私は音楽家なので、毎週末は新譜チェックに忙殺される。
 昨日がその日だった。

 しかも早朝に作歌と出詠の両方に手書きの清書が加わったので、神経がピリピリして結局気付けば丸一日仕事をしていた。
 何とかホリックかな私は‥。

 音楽の作業の合間にKindleで読書。戻ってYouTubeで最近噂のaespaの「スシロー」をリプレイしながら息抜きをして、又音楽チェックを再開。
 作業もあと1/3を残す段階で、YouTubeにお料理動画を視に行く。主にフレンチかイタリアンのレシピ動画が、最近のマイブームである。難しい料理をさも簡単に視せるのは、一流の料理人のテクよねーとか思いつつ、いつかは絶対作ってみたいレシピ動画はお気に入りにストーーーック!

 流石にそろそろ寝ようーって、朝の4時を過ぎてるじゃないですか🕓️
 

【26/08/15(土) 『サヨナライツカ』】
 X、Blueskyにそれぞれ「メイン」「短歌/川柳用」「毒吐き用」の3種のアカウントを敷いており、それぞれの人間関係が重複しないように運転している。
 私は頭に「超」が付く程の秘密主義者なので、特にメインのアカウントでは出来る限りフォロワーとのリプでのやり取りを避けている。アンチがどこかで必ず此方を見ており、私の人間関係から切り崩しに来る事が分かっているので、最近ではメンタルの弱い人との繋がりも徹底的に回避するようになった。

 SNSでの片想いも、可能な限りノーサンキュー。‥と言う訳で、週末の合間を利用してXとBlueskyの片想いを若干整理した。先方が此方を見てないなぁと感じた時はおおよそそうなので、私も先方を見ない。
 これは親しかろうが親しくなかろうが、最近は思い切って視界から外して行くことに決めている。その代わり、先方が思い立って手を伸ばして来た時には、その手をそっと受け容れる。
 とは言えこれも、ケースバイケースだが。

 多くの人たちは、相手の一面しか見ていない。その相手が多面的な生き方をしていたとしても、例えば私の場合なら、音楽家か歌人か或いは柳人か‥ の片方だけを選んで相手ご向き合っていることが大半だ。
 なので私も相手に因んで、片側の私だけ繋げて相手が見て居なさそうなもう片方の私を相手から外して行く。

 本当はそういうことはやりたくないのが本音だがそうして行かないと私の場合、SNSのF/Fのバランスが偏ってしまうので。

 サヨナライツカ。
 人の記憶に香りだけを残して生きて行きたい。
 

 

【さて‥。某所Aも某所Bも呑気に色んな(偽)情報を発信しているようですが、近日中にこのブログで大きな発表があります。
覚悟を決めてお待ち下さい🛸】

 

 
【noteバージョン】
https://note.com/didiermerah/n/n25923eeb5611

2026年7月前半の日記まとめ

【26/07/09 (木)】
或る短歌コンテストへの出詠を済ませたのが7月1日、そこからやや燃え尽き症候群のような状態に陥る。
そりゃそうでしょ、半年強温めて育てて途中何十回も推敲を重ねてようやく仕上がった50首だから。

体調不良がなかなかに長引いていて、その不調の箇所が若干嫌な場所なので精神的にオチている。
でもこういう時こそ気丈さも必要。
余り深く大袈裟に考えないことも大切なので、睡眠の力を借りて思考をリセットして行くことに決めた。

友利新さんの美容チャンネルが面白いので時々視ていると、そこで紹介されたローション等が欲しくなる。
でも顔は一つしかないわけだから、今使っているローションと美容液を一先ず使い切るまで我慢我慢。

今年に入ってからはエンビロン推しに転じた私。兎に角肌質が劇的に変わる。
レチノールが肌に合っているのだろう。
エンビロンの製品は他社製品を混ぜない方が効果が出やすいので、朝/晩にスキンケア商品を二分して使っている。
朝は主にSK-Ⅱ、夜にエンビロンその他少々。

眠る前に歌を詠まないことに決めてから、少し寝付きも良くなりつつある。
やはり歌詠みは緊張を強いられるからだろうか、眠れなくなるので、作歌や作句は朝が良い。

 

【26/07/10 (金)】
月一、歯の定期健診。歯では幼少期から悩まされ歯並びに障害を抱えている為、年々具合が悪くなる。
それでも今の担当医の粘り強さで救われている部分もあり、いつかはどうにかなることを踏まえた上で日々徹底的に磨き込んでいるので、悪いなりに成果が出ている。

担当医が私のストイックな性格を最近はよく理解してくれるので、まあまあ‥ いい感じですよと宥めてくれる。

体調不良は真っ先に歯を攻めて来るから、最近は兎に角無理はしないと決めている。
ちょっとでも不調を感じたら、直ちに布団に潜り込む。

健診の帰りに久々の空腹が訪れたので、最寄りの焼き肉店に寄って肉を焼く。
味も香りもたまらない。想定以上は食べただろうか。
ついでにケーキもお腹に放り込む。
完璧な一日であった。

 

【26/07/12 (日)】
予定していた作業の2/3を済ませたところで、残り1/3の予定を変更して川柳家/八木千代さんの「椿抄」を読み進めて行く。
最近手の感触からの読書にハマっているので、鍵ブログに同時に書写をする。

黙読、音読、そして書写。この連携で自身の中に独特の感覚が備わって行く。これは作詞も訳詞も同じで、書いてみたものが歌ってみた時に壊れてしまうことも多々あり、その残骸を拾い集めながら再構築される歌もある。
同じことが短歌や川柳にも言える。

八木千代さんの句は、先に触れた鈴木節子さんの句集とはまた違った趣きと破壊力があり、両者各々潔く美しく高貴な印象を受けた。

ここ半月程続いている体の一部の痛みが、衣服の接触によって引き起こされている可能性に付け加え、サプリメントの一部が体内でバグを引き起こしている可能性を何となく突き止める。
一先ず一時的にそのサプリの服用を止めることに決めた。

 

【26/07/14 『居ない人』】
7月13日はフランス革命記念日だが、私の過去職の同業者たちは間もなく始まる「パリ祭」のリハーサル真っ最中だ。
今年は例年になく革命記念日の当日から少し経った7月22日/7月23日に、文京区で開催されるとの話。
日本のシャンソン界を牽引して来た大御所たちは皆あちら側に旅立ち、和シャンソン二世が頂点に君臨する今のシャンソン業界には華々しさと威厳が欠けているように見える。

友人の高木椋太氏もパリ祭の常連歌手だったが、今年はあちらの世界からそっとコーラスで参加しているのだろうか。
連日私の夢枕で歌っている彼も、お盆を過ぎたら再び眠りに就くのかもしれない。それまでの短く熱い夏を存分にこちらの世界で謳歌して欲しい。

彼の為に詠んだ歌は正直何のひねりもない歌になったが、祈りとは本来そういうものだ。
直球で心を込めて世に放った。
川柳「満天の星」のweb句会、今回はスルーする予定だったが或る人のアドバイスもあり、用意しておいた歌を放流した。
此方も何のひねりもない句だが、分かる人には分かる川柳にはなっていると思う。
 

 

【26/07/16 『霊能者と歌人の両輪を動かずことについて』】
真夜中にふと火星をモチーフにした歌を詠みながら思う。
七澤銀河のプロフィールにあえて「霊能者」と「祈る人」を持ち出したことの理由について、あらためて考察する。
そういう人種を忌み嫌う人たちが一部存在することを知りながら、あえてその経歴を歌人のプロフィールに付け足すことの理由について。

私に出来ることがあるとすれば、その一つとして霊的な世界やその世界観を可視化して伝えることが挙げられるだろう。
宇宙観や心霊世界を「視る側」ではなく『視せる側」の視点で歌う短歌や川柳、そういうものがこの世に一つぐらいあってもいいのではないか?

私はあらゆる宗教を否定はしないが、その宗教の根幹に在るものは見極めるし見逃さない。
テロリストを増産している宗教にはそれなりの認識と危機意識を持たなければいけないし、表向き「緩さ」を謳っていても心臓部分には何が潜んでいるのか?等の分析も含めて、直感と理論或いは思考や分析の全輪を働かせたところに本物の霊感が初めて作動すると思っている。

この観点は絶対に外さない、だからこそ持てる視点で歌を紡ぎたい。
それは七澤銀河にしか出来ないことだと、正直自負しています。
 

 

関連記事:

https://note.com/didiermerah/n/n93192e5b1071?app_launch=false

New Life, Next Life

前記事の更新から早くも一ヵ月弱が経過したことになりますがその間、私は第二の生活の準備を慎重に進めていました。
頻繁に体調を壊し高熱と微熱の乱高下に悩まされながら今日に至りますが、その理由がシュールな(つまり霊的な)ものが要因だと今朝判明し、むしろ少し気持ちが楽になりました。
 
既に実家の家族全員がこの世を去り、私の旧姓でもある「山田家」は私一人がこの世に生きていることになります。それを快く思わない人たちが親戚や実母や実弟に関わった人たちの中にも複数いることは重々承知していますが、それは私の非ではなく先方の大いなる誤解に基づいた行動と歪んだ判断、排除意識の側にあったと私は認識しています。
私の今の人生の運行を考えると、それらはさして大きな問題でも障害でもないと感じています。それはこの数年間で私が、少しだけ成長した証しかもしれません。
 
最愛の夫、そして愛する神々や神獣たちに囲まれた日々は、人に話すには突飛なことも多々ありますがとても穏やかで豊かで、何よりスピリチュアルな観点で様々な学びを得られることが本当に幸せです。
 

 
新居への引っ越しの準備は少しずつ、少しずつ進んでいる最中ですが、なにせこの戦争、このご時世の中での挑戦的な行動は慎重にならざるを得ません。
 
特に今年は短歌、俳柳、そして現代川柳界への進出に忙しくしています。
「詠む」と言う名の執筆、その数は日々膨大です。一句、一首を生み出すにあたり数十から数百の言葉の帯を叩き出し、それを数日間寝かせてから放って行きます。
特にこの夏には50首連作の出詠を控えているので、殆どの時間を書斎で過ごしています。
 
某所からのご質問のメールを頂戴していますのでこの記事に、あえて記しておきます。
 
私は「予言(預言)」の大半を既に自作のピアノアルバムに録音の上配信している為、今後当面の期間の新譜のレコーディングを予定していません。
自分が放った予言の流れ、その結果の片鱗を先ずはこの目で確認したいと考えているので、世界の次の大きな転換期に差し掛かるまでは音楽作品を作らない方向性で気持ちが固まっています。
それ程に、世界は今後混沌とした時代に入って行くので、その過程で起きる様々な(時代の)闇を音楽に残すことには余り乗り気ではないからです。
 

・世界の混乱、それにともなう異常気象による人口減少、さらには国家の消滅等(一部欧米文化の衰退を含む)。
・既に当ブログでも告知していたK-Popの衰退(これは現行で形になりつつあるようですが)。
・宇宙系陰謀論に関連する嘘が暴かれ、その一部が実世界に刻まれること(これについては某銀河連合の特使を名乗る人物の、ある意味いい加減なでっち上げが形になりつつあります)。
 
そして何より私が自身のアルバムに収録した曲『Empty Throne』、つまり『空(から)の玉座』が複数個所で近い将来、現実のものとなるでしょう。
此方は余り喜ばしいこととも言えないので当記事でのこれ以上の言及は控えますが、上記に記載しただけでも推測した段階では全く影も形もなかった現象が現在では、誰でも見えるニュースとしてこの地球上で確認することが出来るようになりました。
 

 
人の世界を動かして行くのは、マンパワー以外には考えられません。
ですがそのマンパワーの原動力として、スピリチュアルな感覚が絶対必須です。
スピリチュアルは現実と必ず同期して現象として表れることが「正確性」の条件であり、そこに「たら」「れば」を挟む余地等ありません。
逆説すればそれは「祈り」に形を変えた念とも言えるわけで、こうなって欲しい、こう在るべきだと思うこと、それを祈り続けることで現実をそこに近付けることが可能だと言えます。
なので、祈る人自身の重責は計り知れず重いのです。
 
多くの現在のスピリチュアルやスピリチュアリストの言葉や発信は、上記の「正確性」「現実性」の条件を満たしていないのも又現状です。
現実の現象と無関係な観点で「どう思うのか、どう感じるのか‥」 に固執し依存しているから、むしろ目の前に示されているサインや暗示を個々が完全に見逃しているとも言えるでしょう。
 
多くのスピリチュアル関連の人たちは、現実と感覚を切り離して考えているのかもしれません。スピリチュアルなことが現実であってはいけない‥ と言うような歪んだ空想に強く固執している原因は、人生スキルの取得やその厳格なプロセスを回避したことに他なりません。
職業スキルや学歴等、何一つ取得した経験すらない人にスピリチュアルを語れるはずがありません。ましてや人の人生に干渉するなど、もっての外です。
現実は過酷です。何をするにも人の目、人の審査を経る必要性が生じます。もしも人の審査を経ずにその先を急ぐのであれば、それは生まれつきの天才か或いは複数の過去世の経験から成る陰徳を積み重ねて持っていることが、条件として求められると私は思っています。
 

私は上記の条件の両方を持って生まれて来た為に、今世の半生は散々な目に遭い人の世界を排除され、実際に死を考えたこともありました。
ですが持って生まれた才能とも言える「音楽」が形を変え手を変え、私を常に助けてくれました。さり気ない形で私の前途に道を切り開いてくれただけでなく、親族の家庭外排除の期間中ずっと私を支えてくれたのが「音楽」だったと言っても良いでしょう。
そしてもう一つ、夫に出会うまでの私を支えてくれたのは「言葉を持たない動物」の存在でした。カラスのミーナ、猫の「ともや」を始め最近ではウサギの一代目「桃樹」、そして二代目の「マイケル」とそれは続きました。
 
二代目のマイケルの最期は実母の不自然死の時期とも重なり、元々神経症を持って生まれて来たマイケルに私はむしろ普通のウサギであるように自然に育てて来たつもりが、最後の最後で母の霊体が私の宿敵であることをマイケルが察知し、母の霊体を粉々に粉砕した直後にマイケルは永眠しました。
 

 
私に出来ることは何か‥。それは何も音楽に限定することはないと、最近感じています。
作詞家として、訳詞家としてのやり残しもあり、今のところはそのエネルギーを短歌や現代川柳、そして自ら立ち上げた新ジャンルである「俳柳」に全振りで注ぎ込んでいます。
最初はSNSをその主な発信媒体と考えて毎日かなりの分量の短歌や川柳をX等に放って来たのですが、やはりそのままでは先には行けないことをある時から痛感し、そろそろネット歌人/ネット柳人を終了しなければいけない時期が到来しているのを背中にひしひしと感じています。
 
私は人の審査を好まないので、これまでの音楽活動同様に私特有の路をここからさらに歩んで行くことになると思います。
私の霊体が持っている情報、知っていることや経験値と同じだけの経験を積んだ人は、他に居るとは思えないからです。
 

今後暫くはSNSでの発信は激減すると思います。
ただでさえXのメインアカウントが凍結されたまま現状も改善されないので、当面のメインのSNSはBlueskyに限定して活かして行くことになります。

音楽家・芸術家/ディディエ・メラ、そして歌人・柳人/七澤銀河共にBlueskyで検索出来ますので、興味のある方は是非そちらまで足を運んで下さい。

ディディエ・メラ: https://bsky.app/profile/didiermerah.bsky.social
七澤銀河(短歌/俳柳/川柳): https://bsky.app/profile/ginga-nanasawa.bsky.social
 

最近作業用BGMにブラジル音楽を聴くことが多く、自身のPLにそのカテゴリーを追加しました。
まだ現在育てている最中のPLにはなりますが、よろしければ是非使ってみて下さい。
 
『🌴Saudade 2026’』:

2026年 始まる

あけましておめでとうございます🐎 

今年もよろしくお願いいたします🎍
 

 
2026年元旦、私たち夫婦はイタリア料理を堪能して来ました。文字通り、神人共食の幕開けです。
昨年某自然神を介して新しく出会うことが出来た古い自然神お二柱も参加され、私たち夫婦それぞれの霊団も交えて和やかで厳かなひと時を堪能しました。
 

 
昨年末にSNSを大幅縮小したこと。
筆名「七澤銀河」で短歌詠みを再開したこと。
手の負傷が落ち着いて来た頃合いを見計らって、鍵盤練習を再開したこと。
そして何より昨年年女の2025年に、とても懇意にさせて頂いている某所で私の音楽が物理的に鳴り響いたこと、その他諸々。
振り返れば2025年は、私にとっては怪我や圧等の障害を除けばとても良い一年でした。
 
今年はどうでしょうか‥。
予想としてはかなり波乱の年になると感じていますが、私個人の歩みはとても穏やかになるものと予測しています。
 
未だ本格的なレコーディング迄には時間を要しますが、その間に新たな音のエッセンスを熟成させ、次回作では私の新しい一面を音楽に代えてお届け出来ると思っています。
 

 
より良い神人共食を堪能するには、健康面の管理は必須です。
二年前頃から若干甘いものに体が反応するようになり、特に糖質の高いフードを食した後に神経痛を発症するようになりました。
恐らく成人病の前兆と思わしき状態なので、自発的に糖分を注意深くコントロールするよう気を付けています。
 
年がら年中、神人共食をしている訳ではないので、それ以外の日は大好きな果物のジュースを徹底的にカットし、ペリエ等の無糖の炭酸水や、逆に体を温めるハーブティー等を積極的に取り入れるようにしています。
 
霊的な面では特に昨年は複数個所からの「圧」(呪詛とも言う) に見舞われ、その対応に追われたことが印象的でした。
ですが、感覚のアンテナは以前にも増して冴え渡っており、それと並行して段々と言えないことが増えて来ました。
別に誰彼構わず人の注目を集めたいわけではないので、秘密は徹底的に守りながらその隙間の情報だけを拾って当ブログ上に発信して行くことになりそうです。2026年は私の感覚の「可視化」が、さらに顕著になるものと思われます。
 
私にとっての「見える化」は逆に、人々にとっては逆の現象を指します。何を知り、何を伏せているのかと言う事自体を、人の目から遠ざけると言う、これはそういう意味です。
 

 
さて余談ですが、SNSの公式アカウントをBlueskyに決めました。⇩ ⇧

https://bsky.app/profile/didiermerah.bsky.social


XからもThreadsからも一旦半撤退し (アカウントは温存し、一旦そのまま放置します‥)、ブログやSpotifyのプレイリストの更新通知は全て上記のBlueskyより放ちます🦋
是非、Blueskyをフォローして下さい。
──尚、上記アカウントは「公式のSNS」として利用する為、質問事項以外の雑談には応じません。その旨何卒ご理解下さい。
 
日常的な言葉は別の場所に既に用意し、そこでの発信活動も再開していますが、タイムラインを見て立ち去るだけの方々へは扉を解放しないことにしました。
創作活動及び音楽評論等の著述活動を加速させ、質を向上させる為の措置であることを是非ともご了承下されば幸いです。
 

2026年も、皆さまにとって良い一年になりますよう、お祈り申し上げます🙏🏻
 

‘Eternal Pain’が意味を持つ時

私のような「祈り手」にとっては、クリスマスも平日もやることは余り変わらない。一心不乱に祈り続ける、ただそれだけである。
昨日は相方と霊質学について、一歩考察を深めることが出来た。
 
「上」と繋がると、膨大に気力と体力を消耗する。「上」と言う漠然とした単語は余り好まないが、やはりここでは「上」と言う、あえて漠然とした言葉を用いる方が適切だと感じる。
「上」にも個人情報は存在し、守らなければならない秘密も同時に在る。私がそれを守り抜く限り、「上」の存在は多くのことを語ってくれると信じている。
私はそこから得た情報を自分自身、そして夫と共にさらに考察し、噛み砕き、それをまとめて死後に神界に提出し保管する。その情報を自身の霊体にも格納し、さらにあらためて現世に立ち返って人生を再出発させる‥。
 
私の周りには既に神上がりした存在が複数在るが、私はあえてその道を選ばずに今後も何度となく此方の世界に帰って来るだろう。
 

 
かれこれ2011年の冬までの約24年間強もの間、私は毎年この時期を都心のシャンソニエやライブハウスで過ごして居た。
讃美歌を歌った時もあり、オルガン等も弾いて居た。クリスマス期間の絶頂期は概ね12月24日のクリスマス・イヴであり、翌12月25日はどこか掃き捨てられたような街並みの侘しさが苦しかった。
散々クリスマスソングを演奏し、23時半過ぎに都心を離れる際に見た光景はそれまでの楽しい時間がなかったことのように渇いて、寂しかった。
何もかもがかりそめの世界。イベントを支える職業人の性が、常に付いて回った‥。
 

私は12月25日の深夜から翌年元旦までの数日間を、いつも抜け殻のようにやり過ごして居た。
何もやる気が起きないが、高波のように押し寄せて来る仕事だけはきっちりこなして、おせち料理を買う資金を調達した。
 

今の夫と2008年に出会い、それまでの仕事を2011年の冬に全て辞めた。
和シャンソンの世界なんぞ、結局カバーソングのなれの果て。盗っ人が善人面をして、他人の作品を堂々と盗み合う業界。
「そんな業界に居たところで、まともな音楽家としては誰も扱ってはくれないよ。」と言う手厳しいアドバイスは、悔しかったけれど的を得ていた。
丁度2011年3月に大きな地震を経験し、和シャンソン業界はあのタイタニック号の如く業界ごと沈みかけていたタイミングとも重なった。そのタイミングを狙って、そしてそこに様々な要因も重なって、かなりの無礼を重ねながら私は和シャンソンの伴奏者と言う職から足を洗った。
 
スピリチュアルとか、霊的な、そしてコンタクティーとしての活動が興に乗って来たタイミングでいわゆる「荒らし」が身辺を嗅ぎ回るようにもなっていたし、丁度良いタイミングだった。
 
和シャンソン業界から撤退する時、同業者たちは口々に頓珍漢な助言を私に投げつけた。それは暴力さながらの偽善であり、それまで24年と少しの期間業界に世話になった私の胸をチクチクと痛めつけたが、私は振り返らなかった。

思えば私は、誰にも育てられては来なかった。勿論親や親族にも同様に。
食事だけは与えられたが、家庭に人権はなかった。
家族も親族も、私を排除することで団結し、それは私を除く三人の家族全員がこの世を去るまで続いた。
勿論和シャンソン業界の誰彼に、私は育てられたこともなかった。だが同業者は口々に自分が私を育てた‥ と言い、私に執拗に感謝を求めたがそれにも私は一切応じなかった。

 

元々私はジャンヌダルクであり、バッハでありファン・ジニでもあり、そして忍び‥等と色々変遷を経て来た。遠い過去ではリラ星最後の巫女であり、リラ星の自爆を見届けた最後の四人の中の一人として炎の中で星の最期に寄り添った。
 

現世、私は無事に還暦を越えて、61歳の芸術家として今を生きている。
そしてこれからも、誰よりも長く生きてこの星の行く末を見届けながら、クリエイション (宇宙の創造神) からの音楽のZipを一個一個紐解いて、新しい音楽を産み出して行くだろう。
 

2026年は大きな節目の年になり、既にのろしが上がったようだ。
どこぞの誰かが言うような、ポジティブな時代は当面訪れることはない。人類は多くの苦悩と苦痛の変遷を辿り、霊的に優れた人々がまるで何者かに選ばれるように長寿の種を手にするだろう。
だがその種がどこで、誰がこの世界にもたらすのかは今は未だ話せない。
 
 
緩い時代がそろそろ終わりを迎え、暴きと淘汰の新年が間もなく明ける。
 

発電するような熱量で‥

毎年10月から年末にかけては、どう足掻いても足掻ききれないような時間が続く。
特に実母の死後にその状況が悪化し、そのシーズン中に私の誕生日がうっかり挟まっているので最近、毎年誕生月付近に体調を壊す。
そこに来て今年はKポの騒動がさらにサンドイッチで挟まり、想定外の状況に見舞われている。
だがそんな中にも安らぎがあり、これでも今までの人生の中で今が一番幸せだと言い切る自信だけは失っていない。
 
スピリチュアルやら心霊やら、そんなことがどうでも良くなる程膨大な音楽の作業に追われている。
勿論随所随所の神人共食は欠かせないが、先日はちょっとしたアクシデントに見舞われた。その内容についてはここでは明かせないが、幾ばくかの油断と隙が私の中にあったのだと思う。
やはり驕りは危険だ。(猛省中。)
 

 
3I/ATLASの接近と共に、若干めまいと空気圧のような感覚が負荷のように体にのしかかっているのを感じている。
どこぞの誰かが言うような‥ 3I/ATLASの生命体説に関しては私は一切肯定していないが、鉱物の特性である「情報の搭載」の性質については概ね肯定している。
鉱物にも性格や性質があり、3I/ATLASが好奇心旺盛な性質を持つ彗星の一つであることは、私の感覚がそれを裏付けていると言っても良いだろう。その辺りの線引きはとても難しく、尚且つ未だ分からないことが沢山あるので結論は保留と言うことにしておきたい。
 
 
話は変わって‥ 特にこの一年間、私はどれだけの音楽に触れただろう。まさしく世界中の音楽に当たり前のように触れており、それもこれも私が死後に一旦神界に立ち寄ってそれらの情報を神界に渡すミッションを持っているからこそ、音楽の作業は一瞬たりとも止めることが出来ない。
 
このところこのブログの訪問者も落ち着きを見せているが、逆に音楽評論ブログディディエ・メラの音楽倉庫の方に読者が若干移動しているようだ。
これはとても喜ばしいことでもあり、両輪を上手く動かしながら私らしい音楽 (スピリチュアル含む) 活動が今後も継続し、さらに活発化して行くことをただただ祈るのみだ。
 
もう一つ、今年は私の音楽作品が現実世界で響き渡ると言う現象があり、それがのろしとなってその後私の身に色々良いことが起きている。感覚的にも、現実的な意味合いに於いても、これまでのような亡霊にとことん活動を妨害され続けるような現象もこの辺りで止まってくれると信じている。
 
一方SNSライフに付いて補足すると、現在稼働しているXのサブアカウントへの投稿を少しずつ Bluesky‘ 🦋 に移動したいと思っている。
理由はXのアルゴリズムがとても不安定かつ不鮮明であり、私の思うようなポストのスタイルがアカウントを危険に晒す行為に直結する可能性を危惧しているからである。
現在noteや ‘Threads‘ 等にもXの焼き回しのようなものを書いて更新しているが、そもそも私は交流下手なので余り多くのSNSに手を広げ過ぎない方が良いように思っている。
‘note’ はあくまでメインのブログ2誌の更新通知を兼ねたメモとして運用し、チャットはLINEのみとし、SNS上では雑談を控えようと考えている。
 

昨日~今日とでドッサリ新曲を足したPLはコチラ🎧
 

 

 
最近XのDM経由で仕事の打診のメール等を頂くが、事のついでみたいなオーダーには対応出来ないので、私へのお仕事の依頼は是非、以下のメールアドレスを通して頂きたい。

📧info@didier-merah.jp

歌いたい人と歌うだけの人 (People who want to sing and people who just only sing)

先日の神人共食の疲れがなかなか癒えず、週末の日曜日は全ての作業を放り出してほぼ18時間近く床に伏していた。その間、色々な情報が静止画像と化した私の上を通過して行った。

日付が変わり、2025年10月6日 (月)。
先ず吉報として、サブスクリプション “Spotify” にロスレス音源が実装されたことを知り、書斎のパソコンの設定を思い切り変更し、ディディエ・メラ (Didier Merah) のアルバムを粛々と聴き進めて行く。
昨日までは聴こえて居なかった新たな世界が、目の前に開けて行く。
嬉しい瞬間が到来。ほぼ10年遅れで時代が追い付いて来た。
 

その流れでYouTubeを開けて、取り遅れていた情報を片っ端から拾って行く。
ふと目に入ったのが、(ショパン・コンクールの近影と中森明菜をすっ飛ばして‥) LE SSERAFIMのインタビュー ~ 歌唱動画だった。
 

 
嗚呼又この人「Kポ」ばっかり視てるのね‥ と思った人も多いと思うが、私はただそれだけの観点でこういった動画を視ているわけではない。

たった5人‥ と言えばそろそろ (預言通りに) 消え始めたNewJeansのことも頭の片隅に無いわけではないけど、今回はLE SSERAFIMの5人に焦点を当ててみる。

向かって視聴者から左端がユンジン、隣にチェウォン、中央がカズハ、並んで宮脇咲良ウンチェ‥。実際に歌唱している動画を視れば一目瞭然だが、特に中央カズハから右側3人には表現したいものを体の中に持っていない。
与えられたパートをおシゴトとして歌うだけで、体から、感性から湧き上がるものが何も無い様子が伝わって来る。
だが、特に左二人には歌いたい熱い何かが体の中に燃え滾っており、与えられたパートの中にはそれを収め込むことが難しそうに見える。
一見ただのKポップ。だが「ただのKポップ」でも表現は十人十色で、私には視覚的に左側二人が炎の色に映り込む。特に左端のユンジンは、グループの中にそもそも収まり切れていない程の熱量で攻めて来るので、振付等がないこのようなシーンだと声が前のめりにリスナーに届いて来るから不思議だ。
 

 
一方最近何かとお騒がせ状態の藤井風関連を追って行くと、ふと、こんな記事に目が留まる。

藤井 風『Prema』評 哲学者・柳澤田実:音楽の根底にある“終わり”=“死”の感覚
https://realsound.jp/2025/10/post-2175246.html
 

筆者は柳澤田実 (やなぎさわ たみ) さん、日本の哲学者とプロフィールに記載された人である。 
 

 
SNS “X” でも一部藤井風フリークとアンチが対立しており、私は中庸のスタンスを貫いているがそのスタンスに対して物申して来る輩が断続的に現れる。

私は昭和のど真ん中の世代なので、シティ・ポップも昭和の往年のアイドルの面々も含め、業界のど真ん中で業界を一望し、関わって来た一人である。
勿論私自身が音大出身者であり尚且つ一時的に作詞家でもあったので、昭和世代の人たちの中にはかつての私を知る人も大勢居るだろう。
 
そんな世代の私から見て、藤井風がZ世代や悟り世代が大騒ぎする程の大物にはとうてい見えない。だが彼ら (Z世代~悟り世代) は良くも悪くも大騒ぎしており、メディアの悪しき戦略にまんまとハマっているのだから、学が足りないと言うか教養が足りてないと言うか‥。
ただただ言葉を失い落胆するだけで、特に何とも思わないと言うのが本音であるが。
 
それよりもむしろお隣韓国から250 (イオゴン)FRNK (Jinsu Park) 等が出現し、NewJeansの背後から業界を突き動かして来た時の方が脅威だった。
 

 
話を記事『藤井 風『Prema』評 哲学者・柳澤田実:音楽の根底にある“終わり”=“死”の感覚』に戻して、記事自体はとても詳細に藤井風を熱弁しており、調査も細かく書かれていると感じた。
だが、藤井風の死生観の観察については筆者の感動や興奮が先に立つばかりで、冷静さを欠いているように見受けられた。

特に章『“死”を起点として眺める現在』に至っては、藤井風の急激な世界進出がコロナ禍を起因とするものであることや、藤井の音楽に大きくまたがる『死』の概念がリスナーに大きく響いたのではないか‥ と言うような記述も見られるが、それは私個人の見解とは全く異なる内容であり、驚きも物珍しさもなかった。
 

そもそも音楽と死生観を発見として捉える感性が、私には全くないのだろう。
生まれてからずっと私の中には、宇宙の真ん中の無音空間を漂流した記憶が当たり前のように根付いており、死は常に隣り合わせに存在していた。
毒親の暴力に耐え抜くことよりも、もしかしたらその毒に当たって命を落とせたらどんなに楽だろうか‥ と、実際にそれを模索した時期もあった。確か一度目は高校生の時で、二度目はホームレスになりかけた時期と重なるが‥。
 

Xでは藤井風のサイババ布教 (ステルス布教とも言われているが) の危険性を切々と訴えかける声も多く散見されるが、正直そこに共鳴する人は何を見ても逆の情報には共鳴しないだろう。
生きたいと願う人は生きることに真剣な人の文字を追うだろうし、逆に死にたいと願う人たちはその結果に直結しそうな文字に心酔するのだと思う。
 

 
藤井風がカルトか‥? と言われると、正直微妙だ。何故って、彼はファンに出家を強制しているわけでもないし、藤井風が書いたとされるサイババ教義の切り抜きを音読しろとも言ってなければ、歌詞の暗唱を強要しているわけでもない。
その微妙なスタンスを「カルト」と言う位置づけで確定するのであれば、世に蔓延る多くのカソリック圏の音楽や某創価学会信者の音楽も同様だ。
 
だが如何せん音楽は、歌詞よりも音楽の方が先に耳に届く。
これは多くの音楽ライターが意図的に外して書いているようだが、現実問題音楽 (メロディーライン) は言語よりも鼓膜への到達が速いから、むしろサイババ教義なんかよりも中東の音楽のような、コーランの音節をそのまま音符化した楽曲の方が余程人への浸透が高速だと言えるだろう。
 
私はそちらの方がサイババ某よりも危険だと認識しており、それゆえ自身が監修する音楽のプレイリストには最近中東関連の音楽をスクラップしていない。
これは私のPLを聴いて下さるリスナーへの配慮を含め、私の宗教的 (自身は無宗教である) スタンスの意思表明も兼ねている。
 

他の記事にも綴ったかもしれないが藤井風の音楽はジャンクフードと同様であり、音楽の基礎が彼には備わっていない。
確かに藤井は近所のピアノ教師にピアノの弾き方くらいは教わったかもしれないが、後は亜流であり、近年藤井自身が接して来た音楽のメロディーやコードの切れ端を分解して再編集したような音楽が主であり、それ以上でもそれ以下でもないただの「音声」に過ぎない。
 
確かに料理でもマクドナルドを好む人も居るだろうし、二郎ラーメンのような背脂ゴッテゴテの危険な食べ物をこよなく愛する人も居るだろう。
私だって時にはマクドナルドの月見バーガーを食べるし、油多めの味噌ラーメンを食べる日もあるが、あくまでそれは多忙時に空腹を満たす為の目的に限定される。それらの料理をけっして好きにはならないし、ファンになることもない(笑)。
 

藤井風の音楽を「素晴らしい」と思う人たちは、概ねそれ以外の世界中の良曲を知らないのだろう。勿論言葉の問題もあるかもしれないが、良いものを知ったらそれ以前に人は絶対に後戻りすることが出来なくなる。
だったら藤井某のジャンク・ミュージックを飛び越えて、もっと良い音楽に接すれば良いだけの話だと私は思っている。
そういった良曲に触れる機会の少ない音楽リスナーの為に私は、毎週せっせと世界の音楽から良曲だけをピックアップして、自身監修のPL (プレイリスト) にスクラップしているので、是非そちらを聴いて頂くことをお勧めしたい。
 

 

 
LE SSERAFIMからNewJerans、そして藤井風‥ とネタがかなり広範囲に広がって行ったが、要はこの記事を簡単にまとめるとこうなる。
 
上記お三方の中に、表現者は一人も存在しないと言うことだ。
LE SSERAFIMの中に若干表現したい側の人と「ただ歌っているだけの人」とに分けてはみたが、大きく括れば全てが『自身のアイコンを売って糧にしているだけの人』にカテゴライズされる。
 
本物の音楽とは、自分以外の物事や人々の為に一心不乱に思いを致しながら生み出されたものだと私は思っている。

当然のこと、それらは自身の利を度外視して生み出されたものでなければならない。

 
それはとても難しい高みの領域に在るように一見見えるが、意外にとても身近に、世の中の切れ間や世の中心域からは少し離れたところにぽつんと点在している。人を嫌い、ひとけのない場所を好んで棲息している。
出来ればそういった良い音楽に自力で到達して欲しいと、私は願って止まない。
 
仮に世界にどれほどの数の宗教があり、それがどれだけ身近に襲って来ようが、良いもの、正しい価値観を自身の軸に置いておけば振り回されること等ないだろう。

藤井風と多重人格の可能性について

同じ人物を立て続けに取り上げて記事を書くことは正直本意ではないが、今回は前記事【藤井風 – ニューアルバム『Prema』 表現解説】とは全く異なる視点で藤井風について検証と分析を重ねてみたいと言う心情に至った。

 
数日遅れで私もようやくTverで、徹子の部屋 – 〈藤井風〉父の教えを胸に…「努力」積み重ねた日々を試聴することが出来た。

冒頭の衣装はまさに『Hachikō』のPVでも藤井が纏っていた衣装であるが、この衣装はおそらくヒンドゥー教の最高神の一柱『シヴァ』をイメージしたものではないかと感じた。

 
シヴァ (マハーカーラ) のイメージ画像と見比べると、それは一目瞭然で分かる。
 

 
藤井の衣装の襟や袖の突起の部分が、上記の画像と重なって視えて来る。
又サングラスの黒い部分が3カ所に分かれており、真ん中の黒いレンズ部分は『第三の目』をレンズで覆ったようなイメージではないだろうか。
シヴァ (マハーカーラ) の銅像にも、第三の目はくっきりと彫られている。
 


さて、ここからがこの記事の本題である‥。
 
徹子の部屋 – 〈藤井風〉父の教えを胸に…「努力」積み重ねた日々を注意深く視ていると、藤井風の表情や目つきが話題によってコロコロ変わって行く様子がよく分かるだろう。

合計23分29秒に及ぶ映像の中には、(私の印象ではあるが) 男性が一人も出て来ない。
確かに見た目は男ではあるが、目や表情、声質、声色から仕草に至る全てが様々な女性の人格で演じられているように見える。

特に象徴的だったのが、故郷岡山や藤井風の父親の話題に触れた時だ。ここで人格が入れ替わる瞬間を、瞬時に察知することが出来る。
はっきり書いてしまうと、藤井風は多重人格者であり、彼の中には複数の人格 (主に女性) を見ることが出来る。その中の一人は明らかに女児であり、上の写真のように上目遣いになったり唇をすぼめる瞬間に女児の人格がはっきりと顔を出して来る。(写真 下 ⇩)
 

 
又、途中自身の若い頃のショパンの『革命』を演奏する映像が流れた辺り (9:44辺り) では、一瞬苦悩の表情が顔を出し、その後ベジタリアンの話題やワールドツアーの話題に触れた時と同じ、彼の中のアメリカ人女性と思われる別人格が顔を出す。
この瞬間が、人格交代の瞬間ではないかと思われる。(写真 下 ⇩)
 

 
思うに藤井風は宗教観 (サイババ教) を用いた音楽を配信すると言う意味では加害者であるが、同時に彼の父親の厳しい教育過程の中で行われた虐待 (精神的/肉体的の両面) の被害者であり、かなり重度なPTSDを発症している可能性を否定出来ない。
 
藤井風の基本人格はPTSDを発症した人格であり、おそらくその人格を守り合う別人格が複数存在すると言う仮説を立てると、一連の表情や口調、声色の変化や言動等の違和感の辻褄が合って来る。
ニューアルバム『Prema』からタイトル曲Premaの中で藤井は「私は神そのものだ」と叫びを上げているが、実は藤井風を宗教者に仕立て上げようとしているのは藤井自身ではなく、彼の父親の希望 (或いは命令に近いもの) だと考えると、一連の藤井の言動のブレに一貫性が出て来るように感じる。
 

 
Xやその他のSNS等では藤井風のサイババ二世だと言う件やステルス布教等が大きく取り沙汰されているがそれだけでは済ませることの出来ない、取返しのつかない程の大きなメンタルの傷を、実は藤井風自身が抱え込んでいるように思えてならない。
これは私自身が通って来た道とも大きく似ており、私の場合は不幸中の幸いでそもそも過去世の経験が豊富であり、尚且つ過去世の記憶や経験の蓄積が今世の私を人生の脱線から救ってくれた。
だが藤井風の場合はPTSDを抱え込んだまま日常的な人格交代を早い時期から繰り返し、それが常習的かつ長期的に行われていたのだとしたら、もはや藤井風は藤井風であって藤井風ではないと言うような状況に彼が追い込まれている可能性は濃厚だ。
 
かと言って藤井風が『ウィンディー・サイババ』として開祖したら心の傷や多重人格障害から立ち直れるのかと言われたら、もうその段階はとうに過ぎてしまったのかもしれない。
最も苦しいのは基本人格の藤井風だと思うが、第三者にはどうにも出来ないのでただただもどかしい。
 

これまでは藤井風はサイババ教を悪用したミュージシャン‥ と言う視点で見て来たが、徹子の部屋 – 〈藤井風〉父の教えを胸に…「努力」積み重ねた日々を試聴してからはそんな簡単な問題では済まされない事態が水面下で起きていたのではないかと、個人的に、藤井風が毒親の被害者ではないかと言う別の視点を心に置くに至った。
 

この記事ではここまでしか書くことが出来ないので、何かしら状況に変化や異変、進展等が見られた時に続きを書きたいと思う。
少なくとも藤井風のメンタル面や言動がこれ以上悪化しないことを、切に祈り続けたい。
 

【追記】 
そもそも藤井風 が信仰しているサイババ (サティヤ・サイ・ババ) の元は『シルディ・サイ・ババ』であり、此方は行者である。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%90

そのうち藤井が『ウィンディ・サイババ』等と名前を変えて新興宗教を立ち上げる日が来るのではないかと、ふと映像が過った。
予感が外れてくれると良いのだけど‥。

覚醒の兆候

ここ一ヵ月近く、色々なことがあった。
「色々なこと」をくまなく調べて行く過程で、精霊や神々から彼らに視えている世界を伝え聞くことも多々あった。怖いことに、現実で起きている事 (視えている範囲で) と神々や精霊が見た世界の情報とを突き合わせると、そこには微妙に矛盾が生じていたりする。
 
幼い頃から私は、両方の世界を行き来していた。現実の世界と、現実を視ている神々や精霊から伝え聞く現実は、必ずしも一致していなかった。
両方の世界は常に共存している。だが片方は肉眼と現実の世界、もう片方は人の内面や精神の中、そこで思う世界だ。
 
現実は、そこに現象が起きなければそれを現実と言うことは出来ない。だが私は未然の現実をいち早く察知し、人生の多くをそれ (察知したこと) に基づいて計画し、行動して来た。
言ってみれば、二度目の結婚もそれにともなう行動計画もそれに基づいて予定を立てた。
‥そして今がある。
 

 
正確な日付は定かではない (‥こんな時、小保方晴子さんの時間記憶の才能が羨ましくなる‥) が、多分2008年の2月13日だ (アレっ、覚えているじゃないの!!!)。
現在の夫と初めてデートをする前日の午後、必死でデート場所となるカフェを探し歩いた。普段さほど運動なんてしない私だったがその頃とても親しくしていた或る神が私に、「これは人生の一大事に繋がる密会になる。だからコーヒーの旨い場所を探せ。」と指令して来た。
 
何故「人生の一大事」と「コーヒーの旨い場所」が直結するのかは、その時の私には正直よく分からなかった。と言うより私は、コーヒーなんて好きでも何でもなかった。だって私は大の紅茶党だったから。
 
京王井の頭線の渋谷駅で下車し、先ずは文化村に足を運んだ。そこに行けば何かしら、コジャレたカフェぐらいあるだろう‥ と、今にして思えばかなり高を括っていた。だが、歩けど歩けど感覚にフィットするカフェは見つからなかった。それどころか、各カフェの入り口に立ち込めるコーヒーの焦げた臭いが、私にはとても辛かった。
 
そう、この「にがくて辛かった各カフェの入り口のコーヒーの臭い」と言う感覚が、実はあながち間違ってはいなかったことを後になって知ることになるとは‥。
 

夫は毎日、美味しいコーヒーを淹れてくれる。夫の感性でブレンドを考案し、勿論コーヒー豆は浅煎りが条件なので必然的に彼が淹れるコーヒーは美味しく完成するわけだ。
そう、2008年の2月13日の午後にデート場所のカフェを探す際に感じた「各カフェの入り口のコーヒーの焦げた臭い」を、浅煎り派の夫が好むわけがなかったのだ。
 

2008年の2月14日、私たちは初対面を果たし、今日に至る。交際期間ほぼゼロだったのは、神/タケちゃんのお陰としか言いようがない。
 

話がとてつもなく脱線したので元に戻るが、最近身の回りに起きていることについて実際に関係者に聞くことと神々から伝え聞くことに齟齬 (そご) が生じている。
昔っからずっとそうだったが夫に話す時に現実とシュールの双方の情報が嚙み合わないので、大丈夫かと時々困惑する。
 

 
此方も日付は定かではないが、年で言うと恐らく2007年か2006年の春先頃だったと思う。一度だけ叔母の昭子 (仮名) さんと電話で、母について話をしたことがあった。
私が最も闇を生きていた時期と重なった。住居を借りるのに苦戦したのは、不動産管理会社のルールに沿った緊急連絡先のサインの欄が埋まらなかったからだった。
 
後になって母の遺書には、私を絶対に実家に近付けない旨の意図を含めた直筆のメモが見つかったが、当時の私は色々な現象をほぼ直感で感じ取り、突き止め、それを言葉にして人に話していた。
私の家庭外排除は現実として粛々と、親族全員はおろかその関係者まで巻き込んだ形で現実となっていたが、それを言葉にして私に伝えて来た人は確かに誰も居なかった。
当時昭子 (仮名) さんとの電話の中で私は叔母に何度も、これまで私が母にされて来た幾多の暴力や虐待、そして両親や弟が私を酷く恨んでいること等を切々と訴えた。だが昭子さん (叔母) はそれを一切合切撥ねつけて、私の訴えや心情があたかも私の思い過ごしであるかのように私を宥め抜いた。
 

⇧ これは亡くなった弟の嫁の「りえさん」が山田家の遺産を取得したい旨を弁護士に相談した時の書類だが、それによれば叔母の昭子さんは私が叔母と電話をした翌年に亡くなっている。
最後まで昭子さんは母/雅枝を庇い、私の家庭外及び親族外排除に加担したことになると見て間違いないだろう。
 
そういうことが親族内で実際に起きていることを、私は既に知っていた。だがそれらは言葉にして伝えられたことではなかった為、親族等全員が私の気の迷いだとか錯覚、気がふれたせいだ‥ と言うことにし、誰一人心を改める者は現れなかった (それは現在も継続している)。
 

勿論全ての現象を精霊や神々から伝え聞くわけではないが、ここ最近そういう現象が以前よりも増えている。その度に私は、「現実ではどうなのだろうか?」と言う突き合わせを必ず行い、逐一日記に記録している。
比率としては現実に起こる前に私が未来をシュールな存在から伝え聞くことの正確さが増しており、的中率85パーセントまで確率が上がっている。
Kポの件も、それに当てはまる。なので私はあえてこのブログに、NJの件を赤裸々に書き残している。後から私のカンや預言がどうだったのか‥ と言うことを知りたい人たちの為にも、それは書いておく必要性を感じるから。
 
 

今世でイタリアにこそ行くことは出来なかったし、預言通り私は飛行機での移動は今後一生しないつもりで居るし、車の運転免許も諦めた。
若かった私に母が振るった暴力の後遺症が、最近になって出始めたからだ。先端恐怖症は車道を俯瞰する時にも表れ、車道で前方を見る時に頻繁に身がすくむ。その状態では絶対に後方の車との衝突事故の危険が避けられないので、タケちゃん (神) から「免許を諦めるように」と言われそれに従うことに決めた。
 
それでも生きるバイタリティーは年々増しており、今後の私はこれまでの不可能の常識を必ず打ち破ることになるだろう。
その夢と目的だけはぶれずに、今も私の背骨をしっかりと支えている。
 
 

⇧ 此方は最新のプレイリスト。
毎週末の度に世界の新譜から選りすぐりの楽曲を集め、我が子のように育てている音楽データ。
 
最近はメインブログよりもサブブログディディエ・メラの音楽倉庫の更新の方に力を入れているが、それもこれも未来の音楽史を修正すると言う目的の為の一環だ。
是非「リラ星最後の巫女」として、音楽家及び音楽評論家、表現解説者としてのディディエ・メラ (Didier Merah) も応援頂けるとありがたい。