“Anni Luce” – Joe Barbieri (孤独と光)

私が何故‥ こんなにもイタリアの音楽に惹かれるのか、この作品を聴けば多分多くの人たちにその意図が通じるかもしれない。
イタリアのシンガーソングライター、Joe Barbieri (ジョー・バルビエリ) が放つ新譜はまるで、この世界にたった一人だけ取り残された最後の人類の叫びのように聴こえてならない。
 

その私の想像をあっさりと肯定してくれるように、歌詞を和訳してみたところやはり‥ と言うような内容だ。
 

[意訳を含めた和訳]
私の居場所はあなたのそばにあるから
でも私はあなたのそばにいない、
 
絶望すべきだと言った
あなたに別れを告げるとき
彼がどうやってそれをするのかさえ知らない
半分の騒音
私たちが何だったのか
 
私たちは最後の住人だった
私たち二人のために作られた惑星
そして今、遠く離れた二つの衛星
自分自身に赦しを与える方法を知らないが、
外は暗い宇宙で
永遠から何光年も離れた
私たちが一緒にいたこと
 
確かめたい また
その痛みを
呼吸を消滅させる
しかし、それが生きている実感を与えてくれる
 
何も聞いてないよ
とても重要な
ただあなたの一部になるために
 
しかし、実際のところ、最後の言葉は
それはあなたのものではないが、私のものでもない。
私たちは密かに叫び続けるだろう
嘘の中にある真実
それがどうなのか聞くためだけに
半分ではないという罰
一つのことだけ
 
もう一度試させてください
あの味をもう一度
境界線を示す
地獄と崇高の間
 
何も聞いてないよ
とても重要な
ただ留まるため



何も聞いてないよ
とても重要な
ただあなたの一部になるために
 
私の居場所はあなたのそばにあるから
でも私はあなたのそばにいない

 
丁度昨夜私は夫と二人、イタリア料理で神人共食の儀を開催していたところだった。
本当に信じられないくらいの体調不良に夫婦共に見舞われる中、それでも中止等考えられない儀だったので二人とも頑張った。
一夜明けて、どういうわけか私の胃袋が復活した。いつもそうだ。約束のある前日辺りから不調に見舞われる。
きっと圧なのだろう。
 
神人共食の最中、愛するサビノ神父 (故) の話題に自然と触れて行く。
過去世の私は、当時のサビノ神父が乗車したトラックで (運転していたのは別の人物だった) 轢かれて命を落としている。そのことが大きな心の傷となり、サビノ神父は霊体の心臓部分に大きな傷を負ったまま、最後は信者さんに会いに行く途中の飛行機の中で心臓発作で亡くなった。
 
だがそれよりもサビノ神父はそもそもナポリ出身の生粋のイタリア人なのに、今世の私に会う為としか言いようのない理由で来日し、日本で聖職者となり、あらゆる手を尽くして私を探し出した。でもその時のサビノ神父はきっとそんなことは何も考えず、ただ夢中で私を探したに違いない。
色々な変遷を経て神父はようやく私の母を探し出したが、皮肉なことに母が一方的に神父に熱を上げたのだろう。
 

母の死後、遺品整理中に数十枚と言うサビノ神父の写真を発掘した。
人生で一度でも恋愛経験のある女性ならば、集められた写真を見ればその人の心情を理解することが出来ると思うが、母は間違いなくサビノ神父を異性として好きだったに違いない。
だが残念ながらサビノ神父は、母と繋がりたいわけではなかった‥。
 
そして母は私を身籠り、私が生まれた。
神父は毎年、私の誕生日になると家を訪れた。必ず何かしらの手土産を持参して実家を訪れたが、贈り物の大半は母の手中に吸い込まれるように私の前から消えて行った。
でも私たち (私とサビノ神父) にとって大切なことは、物ではない、もっと別の何か‥。そのことに真っ先に気付いた母が、私が5年生になった頃からサビノ神父を私から遠ざけるようになった。
 


サビノ神父はどこか、私にとって「知り合いのおじさん」、或いはとても親しかった思い出の中の年上の男性のようだった。

この写真を見れば確かに私と神父の雰囲気が似ていると、写真を見た人誰もが口を揃えて言う。私たちはもしかすると、カメラの方角のその彼方の過去のトスカーナを見つめていたのかもしれない。
(私はようやく20代を迎え人生はこれから‥ と言う時の、私がトスカーナで大きなトラックに轢かれたのはそんな、或る春の日の出来事だった‥。)
 


Joe Barbieriの新譜 “Anni Luce” は、「光年」と言う意味。丁度昨夜、私たち夫婦が訪問したイタリア料理店にも “Luce” と言う名前が付いており、色んなことが頭の中で複雑に絡まり合いながら今、この曲を何度も聴いている。
 
勿論私は回顧主義者でも何でもないし、今この瞬間が人生で最も光輝いていると思って生きているが、サビノ神父との間に起きた色んな出来事は時にそれをあっさり超えて行く。
何よりあんなに時間もチャンスもあったのに、やりたかったことの殆どが未達成のまま神父がこの世を去ってしまったことがとても悔やまれる。だが今は女児としてこの世に新たな生を授かったサビノ神父。彼 (彼女) と次会えるのは、いつになるだろう。
それまで私は絶対に生きてなければならないから、昨日のような胃の硬直感に見舞われるととても怖くなる‥。
 

昨夜の神人共食には、サビノ神父も列席された。そういう時に限って、そういう大切な瞬間だかこそ誰かが妨害を企てようとする。‥
 
“Anni Luce” を聴いていると、リラ星が燃え尽きた後にぽつんと私が宇宙の闇に放り出された時を思い出す。
苦悩も苦痛も何もなく、かすかなノイズが流れる暗闇に私は一人で存在していた。肉体がないから動くことも出来ないし、地面も何もない空間の中を私の意識だけが彷徨い続けていた。
 

Googleで和訳した歌詞を読んでいたら、思わず涙が溢れ出した。私は滅多なことでは泣いたりしないのに、無意識層の私が叫びを上げる。
孤独と光。それは私にとって、苦しみと懐かしさの両方の意味を持つ。どちらも崇高なのに、手にすることをとても躊躇するものだ。
“Anni Luce” は私の、二つの悲しい思い出に光をあてて行く。そして私はその光の彼方にあるものを凝視しながら、同時に目をそらす。両方の感情と感覚が私を包み込むと、そこに混乱と目まいが発生するが、その両方共にとても愛おしい。
 

 
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黒い闇 (The dark fog that shrouds music culture)

ブログの更新は滞ってはいたが私自身の活動は順調で、自身の創作活動の下準備を始めとする毎週末の『世界の音楽』の新譜チェックはコンスタントに進めていた。
現在、その様子は毎週末に一斉に更新している新しいブログディディエ・メラの音楽倉庫に収めている。
 
余り良いニュースではないが先月中旬、(恐らくKポ絡みの事情と思われるが‥) Xの私のメインアカウントがいきなり凍結された。それまでXのメインで進めて来た『世界の音楽』、新譜チェック ⇨ 音楽評論メモが出来ない状況に陥ったが私は転んでもただでは起きない(笑)。
直ぐに音楽紹介/ 音楽評論を発信する新しいブログで仕切り直しを図り、そのブログを一望するだけで私の脳内の音楽倉庫の厚みがよく分かるだろう。
 

https://didiermerahbox.wordpress.com/
 
ここ最近の世界の新譜を一望しながら、あらためて気付いたことがある。

それは地球の人口が過剰に増えすぎたことだ。

これは音楽文化の衰退とも関連付けて考えなければいけないことだし、もっと別の側面を挙げるとしたら人と人との出会いやコミュニケーションの質の劣化とも深く関わっているかもしれない。
 

先週、タイの若手女性シンガーソングライター “Millie Snow” の新譜『You are the star (Japanese Ver.) (君は星)』を聴いた時にも痛感したが、今地球上には人で溢れ返るほど人口が増え過ぎたことの影響で、本来出会うべき人同士が互いを見失ったまますれ違ってしまう現象があちらこちらで起きているように思う。
余程神経を研ぎ澄まさなければソウルメイトの気配に気付けない状況になっており、かと言って人間の感性の芯はそう長期的に研ぎ澄ませ続けることも難しい。
 


その時の思い付きや直感を脳や記憶に鮮明に保管しておくには技術 (スキル) が絶対的に必要であり、日々の労働のルーティーンに押し潰されながらそのスキルを磨き込むことは、思った以上に難しい。
 

思うに一種類の生き物、生物、生命体が過剰繁殖することと、その種が暴徒化/ 狂暴化することとは無関係ではないだろう。これはものの例えではあるが、スズメバチも女王バチ単体ではただの一匹の蜂に過ぎない。だが、仲間を増やし徒党を組んだ状態で一個の仮想敵或いは外敵を定めた段階でそもそもの性質を逸脱し、狂暴になり、仮想敵に攻撃を仕掛ける別の集団に変質する。
特に狂暴の想念は温厚なそれとは異なり、仲間を募って狂暴の先にあるネガティブな目的を持った時に異様なエネルギーを放ち、同種でそのエネルギーを共有し、目的の達成を悲願として目論む歪んだ性質やマインドが暴走する。
人類が今、その状態に変質を遂げる寸前に来たのではないかと、私はシュールな存在からもその旨に於ける警告を受け取っている。
 

一見全く関係のない作業のように見えるかもしれないが、最近の私の『世界の音楽』の毎週末の新譜評論は、上記にも触れた地球上の異変とも深く関連している。
溢れかえる人々、溢れかえる音楽、溢れかえる物質や様々な現象の中で誰かが大きな代償を背負い正解を唱えなければいけない。
余りに物が溢れかえってしまったことで、正しい答えを探そうとしている一部の人々は自力で正解に辿り着けなくなってしまった‥。私にはそんな風に見えて仕方がない。
 

 
その時々の世界中の音楽を聴いて、それらを集めてプレイリストを作って世に放つ。
文字に書くとそれを「自分の好きな世界観を他人に押し付けたいだけでしょ?」と歪んだ解釈に走る人たちが必ず現れるが、別にそう思われても私は一向に構わない。

どこぞの国で私の真似をしてプレイリストを必死に作ってSNSに放っている某著名人の噂も漏れ伝わって来るが、私と彼らの違いは音楽の発信者であるか否かと言う点だ。
多くの音楽家は自分の宣伝だけを行い、仕事で絡まない限り他者の作品を称賛することもなければ評論もしない。
「精査をする」ことで自身の評判を貶めたくはないだろうし、むしろ精査を加えず無暗に (手放しで) 相手の作品を褒めたふりをしながら、その動作を自身の高評価に転じることだけを必死で考えている。
 

或る人物に質問された。『あなたはなぜ、他の人の作品をピックアップして論評し、それをコレクションしたチャンネルをSNSやブログで紹介しているのですか?』と。
理由を正確に伝えるには、多くの人たちが私のことを余りにも知らなさすぎるし、理解しようとも思わなさ過ぎる。
一行の質問に数分で回答出来るほど、私の人生は薄くない。
一つはっきりしていることは、私が一連の作業を「神々との密約」の元に継続していることだ。
今話せるのは、一先ずここまでだ。
 

音楽文化が明らかに衰退を始めた。

私はその現象をことさら止めたいとは思っていない。なぜならば今、この地球上には「どうでもいいもの」や「要らないもの」が溢れかえってしまったからだ。
特に、商品としての音楽が多すぎる。地上の商業音楽は、いつか一掃しなければいけなくなるだろう。それを流れ行く時間に託すかマンパワーに託すか、或いはその両輪で音楽文化の一掃を試みるか。
答えは神のみぞ、知る。
 

私は予言者であるが、どちらかと言うと「預言者」と呼ぶ方が相応しい。
人々はそれをシャーマンと言ったり霊能者等と例えてみたりもするようだが、どの単語にも私は当てはまらない。
ただ「私」と言う霊体が肉体を纏って数十年間の生をまっとうし、その生命が終わっても又私はここに戻って来るだろう。それもこれも全て、神々との密約なのだから。
 

 
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物事の虚と実 – 老化するElena Danaan –

当ブログの中でも比較的PVが多い記事は、『エレナ・ダナーンを突き動かしている高次悪 “ブラック・ガーネット” の正体』 ⇦ 此方ではないだろうか。


なるべくネガティブな対象に光をあてないようにすべく、ここ数か月間エレナ・ダナーンの動画及びSNSの発信等には触れないようにしていたが、何となく私に彼女の活動について、或いは彼女のコミュニティーやファンダム?の様子については耳に入って来る。

久しぶりに動画を観てみたら、エレナ・ダナーンが急激に老化していることに気が付いた。
思い返せば一年と少し前に私と夫の二人で、エレナの背後から彼女を操っていた高次悪 ブラック・ガーネットを粉砕したが、エレナの老化が始まったとしたらその直後ではないだろうかと推測出来る。
それまで自身を操作していた強大かつ凶悪なエネルギーが消滅したのだから、そこからは自分自身の持つ卑弱なエネルギーでそれまでと同等な状態を維持しなければならず、言ってみれば骨身を削りながらエネルギーや霊体のやり繰りをしていることになる。

当然の如く、現在のエレナ・ダナーンのような状態になるのは必然のこと。このまま彼女が以前と同じようにエネルギーを使い続ければ、何れ全てがそう遠くない未来に枯渇するだろう。
 


このところSNS上ではやたら精神を病んだ人たちの投稿が散見される。彼らの共通点はと言えば、過剰な承認欲求に魅入られていることだろう。
とりたてて重いミッションを背負っているようには見えないがゆえに彼らの発言は滑稽であり、尚且つ真剣にミッションを果たそうとしている数少ない優秀な人材の足手まといとなっている点に私は、とても腹を立てている。
間接的にその件について時々つぶやくと、なぜかそれまで私の投稿など気にも留めていなかったであろう彼らの発言が微妙に揺れて来る。

私の投稿には絶対に手を触れぬような状況で、彼らが私を見ていることが分かる。

スピ系に傾倒している人たちの中にも精神的に病んだ人があふれている。それだけならば別に何の問題もないが、特定の「病んだ人」がうっかりSNSでバズることで利他的な精神をもって活動している誠実な人材の活動を妨害する、その状況が私には誠に腹立たしく思えてならない。

エレナ・ダナーンの場合はどうだろう‥。
おそらく彼女の場合は「なりきり」のカテゴリーに分類されるだろう。もう少し突っ込んで言えば、例えば演技性人格障害のようなことになるだろうか。
 

嘘も三回吐けばその人の中で、真実にすり替わる。

虚実の境目が曖昧になり、いつしか理想の自分を手に入れたような妄想が独り歩きを始める。実体が理想とはかけ離れているにも関わらず、例えばエレナ・ダナーンの場合を例に取れば、実際には時間移動 (或いは恒星間航行) 等出来ないにも関わらずそれが達成された‥ 等と脳内でストーリーをでっち上げ、妄想がいつの間にかあくまで自分の中でだけ真実性を帯びた (ように見えた) 段階でその旨外部に発信して行く。
物理的には目に見えない内容だけに、聞き手はそこに驚愕と「目に見えないことを信じない」ことへの罪悪感を植え付け洗脳されるので、始末に負えない。

だが、エレナ・ダナーンの話について言えば、物理的には意外に容易にその虚偽を暴くことが出来ると私は見ている。

何より彼女の語る様々な「見えない事柄」は現実的ではないし、実際に実現していない出来事だ。物理的に見えないのではなく、実際問題何も起きていないのだ。
例えば問題の動画の中で語られている写真を科学捜査の領域に持ち込んで解析を試みれば、画像が捏造であることはいとも簡単に証明されることになるだろう。がしかし、一連の出来事が事件性を帯びていない以上、それらを捜査検証する機関もないと言う現実の壁が立ちはだかる点が厄介極まりない。
 


怖いことに、虚偽はそれを述べる側の人だけでなく、受信者もろとも洗脳に陥れることが可能だ。なぜならば上でも述べたように、「見えない出来事」を信じようとしない心情がまるで悪であるような罪悪感を継続的に植え付けられて行くことで、虚の発信者と受信者間で共依存関係が出来上がってしまうからだ。

嘘も三回吐けば真実にすり替わり、特定の人物が三回吐いた嘘を鵜呑みにすれば受信者の中でもそれがあたかも真実であると、自分を納得させる回路が出来てしまう。
エレナ・ダナーンを取り囲んでいる聴衆の半分以上は、そうやって洗脳と罪悪感の間を振り子のように漂いながら徐々にエレナ信者として改造されて行った人たちだ。勿論、翻訳者 佐野美代子はその代表格の人物と言えるだろう。

双方は承認欲求と言う地下水脈で繋がっており、もしもこれらの洗脳から離脱する方法があるとしたら、その一つとして「承認欲求からの離脱」を試みることを私は提案する。

エレナ・ダナーンの言う「秘密宇宙プログラム」なるものは実在しない。まして「地上アライアンス」等と言う団体が存在するとしたら、ライトグレイ星人『グレーン』がそれを黙って見過ごさないだろう。
だがエレナ周辺の願望は現実とは全くかけ離れており、彼女の言う理想の世界は今後訪れることはなさそうだ。これは地球人にとってはあまり喜ばしい予言とは言えないものの、ここから歴史は段階的な手順を踏んで一旦リセットへと向かって行く。

一つには、神の目が開いたからだ。

むしろ神の目が開いた事実を今日 2025年1月11日 午前3:00am (日本時間) の段階までエレナ・ダナーンの口から発信されていないことが、エレナの「虚」を最も象徴していると私は見ている。
 

神々と共に見つめ続ける (I continue to look at the world with the gods)

幸せとは、何も起きない世界であり続ける事だと私は思っている。だがその思いとは逆に、世界は良くない方向へ転がり続けているように見える。
私の2024年は、色々な意味で激変だった。だが私はその事を殆ど口外しなかった。私が向く方向には必ず、良くも悪くも光が当たる。その光を向けられた人たちは殆どの場合、自分を見失う。だから私はひっそりと世界を静観し続けるしか、他に方法を思いつかなかった。

音楽の世界も大きく揺れ動いた。それは私が (ほぼ直感に従って) ある場所に架けていた梯子を外した途端に始まり、現在も続いている。

今年は相方、天野玄斎神代開き(かみよびらき)を執り行った辺り (2023年11月10日) から私たちを取り巻く状況が大きく変わり、突発的な敵意や憎悪が物理的な現象「圧」となり何度も身体やメンタルに異変を来たす現象が絶えなかった。
その度に相方がヒーリングで対応してくれたことで、今日まで無事で来られたと言っても過言ではない。本記事中ではその状況の詳細の記述は省略するが、ある時期から私は心身をミュートし始めたのか、今年後半はとても眠い日が多かったように思う。心身をミュートすることで若干ではあるが感覚を麻痺させることが出来るので、見なくて済むものをなるべく見ないようにしているのかもしれない。
 


2024年12月初旬、実に14年ぶりに私たち夫婦は大洗に二泊三日の旅に出た。神・武甕槌神 (タケミカヅチ) が愛した場所をもう一度、この目で確かめたかった。
思えば私と夫を引き合わせて下さったのも、そして以前住んでいた時の住居に私たち夫婦をそっと逃がして下さったのも武甕槌神だった。

(まるで夜逃げみたいにして私たち夫婦が引っ越しをしたのは、当時私のアンチと思われる人物に私たちが住んでいた住所を突き止められ、それをとあるSNSに航空写真で晒されたからだった。あの時、武甕槌神の伝言に従って私たちはかなり強引で無理のある転居に踏み切った経緯がある。)


最初に私が武甕槌神と出会ったのは私がタンゴ歌手の伴奏で茨城県を訪れた時だったが、当時の私はその人 (神) が武甕槌神だとは気付かなかった。後に夫と色々話して行く中で徐々に感覚が鮮明になって行き、いつも傍に居て見守っていてくれた存在がその神だと言うことに気が付いた。

2011年3月11日の半年前の2010年8月に初めて大洗を訪ねた時には、その半年後に起きるかもしれない大地震の断片を私に見せてくれた。その時の感覚を私は音楽に残している。
 

 
2010年8月から半年後の3月の大震災以降、暫くの間私は海を遠ざけていた。どうにも海底で起きている霊的な映像が日夜私を苛み、ただ‥ 被災者の御霊に祈りを捧げることしか出来なかった。
二度と海に行くことはないだろう‥ と、相方が神代開きを執り行うまではそう思っていた。そんな私の心境が、ある時から変わった。

2024年12月、大洗に行く途中で鹿島神宮に立ち寄り、武甕槌神と神人共食を試みた。湧き水を使用したお料理はとても清らかな味がして、私をさらに覚醒させてくれた。
だが覚醒は良いことばかりではなく、少しだけ未来が視える私にとってはその折々で見えたことが心身に支障を来たすこともある。

悲しい時間が増えて、それを上手く言葉に出来なくて苦しいことが多くなった。相方にそれを吐き出したくても、きっと彼も似たような心情にあるのではないかと思うと、おいそれと自分勝手に自身の感情ばかりを言葉に乗せることにも躊躇いが生じた。
だけど何故か、病むほどに自分を見失うことはなかった。それは私が「リラ星最後の巫女だ」と言う自覚と自負が、きっとそうさせている。
弱いからこそ強くなり、強いからこそ弱点はさらに脆さを増して行く。その揺り返しを繰り返しながら、霊体が少しずつ鍛えられて行くのを最近感じている。
 

 
我が家にはもうお一方、神が棲んでおられる。名前こそ出せないが、私たち夫婦はその神にも大いに助けられている。今風に言えば「少し口の悪い」神様ではあるが、心根はとても優しい。「少し口の悪い」‥ と言う辺りが自分に似ているので、神を悪く言うことも思うことも出来ないと思っているが‥。

私は神を通じて世界を見るし、神は私や相方を通じて食べ物の味を堪能する。
神人共食とは生きた人間が神に味覚を提供し、共に料理を味わう所作を言う。私たち夫婦は殆ど毎日、神々と神人共食を続けている。そうすることで私の味覚が覚醒し、覚醒した味覚はさらに細かく料理を味わい尽くし、その感覚を神々と共有することで神々を喜ばせることが出来る。

世界が向かう先を、既に私たちは神々から聞いて知っている。それは地上の神々に限らず、宇宙に存在する宇宙自然神ともシンクロする時があり、小さな人間に過ぎない私の感覚が際限なく覚醒して行くところに私は、奇跡とロマンすら感じてやまない。
 

今年は色々な場所に旅行に出掛けたが、暫く私たち夫婦の「旅」は続きそうだ。同様に「祈り」の時間も止まることはないだろう。
世界の混乱が少しでも鎮まることを、ただ、願うばかりだ。
 

還暦 (60 ans), 私と『Mother』

2024年11月3日、私は還暦を迎えた。単語に書いてしまえば何とも呆気ない二文字だが、とても孤独でエキセントリックで、尚且つ少し苛々するような不思議な感覚を覚えている。
誕生日付近に旅行を計画し某所に向かったが、案の定私の雨オンナパワーが炸裂した。三泊四日の旅に出たものの中二日目で滝のような大雨に見舞われ、室内で滝の音を聴きながら過ごすことと相成ったが、私たち夫婦はそれでも一向に構わなかった。
 
滝のような雨音は音楽だった。自然音と言う最高の恵みに鼓膜はむしろ癒され、少し疲れた心身を温泉に浸して空を見上げるだけの何ってことのない時間はただただ至福のひと時だった。
 

50代最後の年、私は神々に多くのミッションを授かることとなった。元・人の神も在ればそうではない、宇宙自然神のような存在も在る。各々の神々が私に少しだけハードルの高い課題を提示して来たが、それが私の得意分野ならばただ続けて行けば良いだけだ。
リラ星の頃から、自然神と音楽は私の最高の友だった。今でもそれは何一つ変わらないのだから、後は私の魂や霊体にその旨を余すところなく刻印し、私の死後に神々にそれを手渡すだけだ。
 
気付けばブログも前回の更新から三か月近くが経過した。幸いなことに私がここを留守にしている間にも沢山の来訪者があり、何かしらの記事を捲って読んでいる。それが好意か悪意かなんてことはこの際どうでもいいことだ。
私の部屋を訪ねて来た人たちには各々それなりの理由や動機がある。ただそれだけのことだから。
 

 
ブログの更新が空いてしまった唯一の理由を挙げるとしたら、私に話せることに制約が増えてしまったことだろう。
人や神々との繋がり全てに於いて、私はMAXレベルの秘密主義者だ。それもこれも仕方のないことで、かつてジャンヌダルクとして生きた時代を含め記憶にある中で私は二度、火炙りで死んでいる。もう火炙りは懲り懲りだ(笑)。
ダークサイドは私の食、財布、生命導線のありとあらゆるところを狙って突いて来るから、私は多くを隠して行動しなければならない。幸いなことに夫が召喚してくれた心優しきガーディアンズたちも頑張ってくれるので、こうして何とか無事に還暦を迎えることが出来た。
 
心優しき夫にも、ただただ感謝の一念しかない。
 

書きたいことが山のようにあるにはあるが、いざ書き始めたらおそらく一冊分の本になるだろう。それだけ私のこの10年は余りに濃厚だった。だからと言って「濃厚だ、濃厚だ」と言えばただの安っぽい嫌味みたくなり兼ねないので、無数の思いを霊体に封印した。
 

人として色々な心配事も絶えないが、その内容さえもここには書けないのがもどかしい。相手もあることが大半なので、これも又致し方ないと諦める。
 

 
音楽のみならずスピリチュアルなことその他に於いては、実は随時追跡や調査を続けている。
声高に「不思議だ不思議だ」と言われることの大半が、私にとっては然程不思議でも何でもない実に他愛のない出来事だったりする。
 

いずれ地球の半分以上が廃墟となること。
いずれヨーロッパの大地の一部が水没したり、人が消えていなくなったりすること。
いずれ地球の公式言語の一つが日本語になること。
霊質文明の最初の樹立が地球時間で数百年後に控えていること。

 
知っていることは他にも多々あるが、現在の「有名人にしか関心を寄せない考えの人々が主流」の地球上で預言の全貌を明かすには未だ早過ぎる。
リラ星の時代から23万年以上が経過したが、地球もプレアデス星も或いは双方の関係性も余り変わっていない。リラ星人とて一枚岩ではないわけだから、善人と悪人の両方が混然一体と共存する。当然虚偽もまん延して行くが、私一人の預言の力でそれを止めることなど出来ないし、止める必要もなさそうだ。
その前に地球が一度空っぽになるから。
 

空っぽの世界に残り続ける残響のような音楽を、私はどの世界に在ってもせっせと放ち続けて行くのみだ。その目的の為に私は日々神々や自然神、精霊たちと対話を続けており、その過程で地球や宇宙の未来の一部をそっと覗かせて頂き、それを預言として音楽の中に封印して解き放っている。
人の為の音楽ではなく、もっとそれ以外の目的を持つ音楽だから、人々の琴線に刺さらなくても余り心配はしていない。それより何より私は、自身の中の『Mother (マザー)』の存在を今は大切にしたいと思って生きている。
 

嘘と誠

暫く当ブログの更新が出来ませんでした。
理由の一つには音楽評論活動と創作活動、及びスピリチュアルな活動全般の活動ペース配分の見直し等、諸々の再編に時間を要していること。もう一つの理由として、霊的な圧が異常に活発になるこの時期の体調不良 (圧除去等を含む) が挙げられます。

今年は旅の予定を複数入れていますが、それもこれも長引くコロナ禍の合間を縫って継続しており、都度都度霊的な『圧』に見舞われ体調を壊しながら何とかこなしています。
宇宙評議会 “Norg” に於いては諸般の事情で、現在は休止中です。とは言え、各惑星の各々のメンバーの活動スタンスの見直し等が随時行われているので、会議自体は休止中とは言え通信は継続しています。
 

方々の宇宙情報の状況等、目を離せないことも多々ありますが、正直なところ99.7%が虚偽にまみれているのが現状です。
個々の虚偽を羅列することは可能ですがそれですと私が虚偽発信者の側に光をあてることになりかねないので、この記事にその旨を記載することは控えます。
長く私のブログを読まれている方であれば、私の言わんとすることを既に察知していると思います。
 
現実的には何も起きていない状況下で、例えばわくわくすることが起きるだとか、ネガティブで宇宙規模の出来事が近未来に起こるだとか、そのような情報を目にしたり耳にした場合には、都度都度疑ってかかった方が賢明です。
特に宇宙情報関連のわくわく系情報の大半がまやかしであることは、意外にご自身の中でそれを感じている場合が殆どでしょう。プレアデス人が救済に来ることもなければ、グレイ星人が悪者である‥ 等の情報も疑ってかかって下さい。
勿論グレイ星人全てが善でも悪でもない点は、人々にそれを置き換えれば直ぐに理解出来ることです。
 

 
一つ注意すべき点は、何者かの影響で地球全体がディストピア世界に向かい始めていることです。首謀者を確定することは現状では不可能ですが、背後には少なくともプレアデス星人等の過干渉が在ることだけは分かっています。
勿論ソーハン・エレディオンなる人物も存在しませんし、存在しないソーハン・エレディオンの300年後の妻がエレナ・ダナーンだ‥ 等と言う事実もありません。
知名度だけしか取り柄のない何者かの妄想に振り回されることのないよう、ご自身の直感や感覚を磨いて下さい。
 
私たち個々の感性を磨き込んで行くことで、宇宙的な支配者の台頭を未然に防ぐことは十分に可能です。ディストピア世界に地球が向かうことのないように各々注意しながら、当たり前の日常を当たり前に消化して行くことに軸足を付け、冷静に、落ち着いてこの時代を生き抜いて欲しいと思います。
 

私自身の最近の活動は、音楽に於けるミッションに集中しています。
複数のミッションがのしかかる身ではありますが、私にしか出来ない仕事がその中には多々含まれています。その一つが『音楽保管』です。
何れ地球上から複数の大陸が消えること、それにともない多くの民族音楽が消滅することその他、既に私は色々な未来を知っています。その時に備え、私一人で抱えきれるだけの分量の音楽の知識、ジャンルや成分表等を脳内に保管し、現世の私がこの世を旅立った後に一旦神界にその情報を全て保管しに行くことになります。
そしてしばしのインターバル (インターセルフ) を経た後に再び私は、音楽のミッションを続ける為にこの地球上に戻って来ることを決めています。
 

現世でミッションをどの段階まで運び進めることが出来るかは全く分かりませんが、少なくとも私は既にDidier Merahの名前でピアノによるオーパーツ作品を複数配信しています。数年以内に、その中から楽曲を選出して楽譜を出版する予定を立てています。
その前に、先に予定している企画のアルバムの新譜のリリースをしなければなりません。録り貯めてある楽曲も複数あるので、幾分時代が落ち着いた頃合いを見計らって新譜を一気にレコーディングして行きたいと思っています。
 

これは自慢話でも何でもない話として書きます。
私はリラ星最後の巫女でした。そしてその後複数の生を経て現在に至りますが、自身の霊体の大きさに私自身が驚いていますし、社会生活に於いてその霊体を持て余しているような感覚が常にあります。
多くの人々に理解されないこと、その為生涯に渡る友人を持てないことその他色々ありますが、何より私自身の意思で神上がりを拒否し、音楽文化の向上の為にこの先何度も人間として生き直すことを決めています。
 
一説によればそういう人のことを、「観音」と言うのだと話す人も居ます。
考えてみれば言い得て妙で、「音を観る」と書いて「観音」と読むわけですから、その響きはもしかすると今の私のような状況の人を指しているのではないかとも思うわけです。
利他的な精神を大切に、この先も粛々と祈りを致し、音楽や霊質学文明への案内人として心静かに在りたいと願ってやみません。

noteに2020年から配信していた預言集 自然神から見た [COVID-19] とその全貌 へのブログ記事の移動も、ゆっくりと行って参ります。
各記事はnoteから記事を更新したのと同じ日付で転載して行きますので、新着記事には載りません。転載が完了した際には X にてその告知を行いますので、是非わたくしの “X をフォローして情報を拾って下さい。
 

 
 
当記事で私のミッションの一つである『音楽保管』の話題が出たので、せっかくですので最近私がSpotifyで作成した音楽リストをここに幾つか貼っておきます。
毎週毎週欠かすことなく私が自分の作品でもない、他の人の作品を何故各プレイリストにスクラップしているのか、その理由と情熱の断片を少しでも感じて頂けたら幸いです。
 
 

⇧ 主にヴォーカルのない音楽をジャンルレスに集めたプレイリストです。

 

⇧ 新旧含めた『イタリア』な音楽ばかりを集めたプレイリストです。

 

⇧ 2024年8月19日、現時点で最も新しい世界の新譜をジャンルレス、ボーダレスにスクラップした雑食系のプレイリストです。

 

⇧ 2024年を華やかに彩るK-Popばかりを集めたプレイリストです。(K-Popの台頭にも既に、陰りが見え始めています。)

謎のうさぎが語る思い on “Supernatural” by NewJeans (with Min Hee Jin)

私にシュールな意味合いでの新たなミッションが加わったことで、このところ時間やエネルギーの使い方がかなり変わったように思う。他者との関わりも徹底的に制限し、とにかく人目に触れないように過ごしている。
そんな中、NewJeansの新譜 “Supernatural” のPV第二弾が配信されていた。
 

特に印象的だったのは何度も映像に流れて来る “謎のうさぎ” の表情と、NewJeransの5人の少女たちが実は “謎の生命体だ” と言う場面設定とその映像描写だ。
 

NewJeansのプロデューサーであるミン・ヒジン (Min Hee Jin) は、もしかすると過去世で別の惑星に生きた経験があるのではないか‥と私は感じている。それが実は私が生きた過去世とも深く重なり合っていて、両者が保持している記憶がとても近いようにも思えて来る。
例えばこのまなざしの色と、光の描写。
 

 
私が知る (リラ星に実在した) “光るさかな” たちの皮膚と目を思い出す。(彼らは神の力を持つと信じられており、満月の夜にだけ海面に現れてはリラ星の巫女たちに星の未来の出来事について予言を授けてくれた。)
 
そしてさらに気になったのが、下の写真の日本語の部分‥。
 

 
最近度々思う。本当にシュールなエネルギーや人生スキル、技術を持つ人は、それを持たない人たちとはけっして交わることが出来ないと言うことを。
たとえエネルギーだけが突出していてもそれを技術で人々に伝える人生スキルを持たない以上、人々に対してそれが高度なエネルギーだとは気づかせることが出来ないと言うことを。
 

今も昔も度々私の目の前に現れる (あくまで自称の上で) “不思議な力を持つ人” 、もしくは “高尚なエネルギーを持つ人” たち。
彼らは往々にして自身が置かれた不遇な境遇について “自分はこれだけ高尚なエネルギーを持っているのに、他者がその事実を認めようとしない‥” と言いたがる。だが実際に彼らは真剣に自身のことを考えてはいないし、ともすればもっと要領よく民衆を洗脳すること (だけ) を生業に出来たら良い‥ 等と考えている。
 

本物の才能は、けっして隠すことが出来ない。嫌でも社会生活の中にそれらは露呈することを免れられない。
Genuine talent can never be hidden. Whether one likes it or not, it will inevitably be revealed in social life.

 

 
PV “Supernatural” とは、”突出していることが私たちにとって、超自然体なのよ‥” と言う意味だと私には思えてならない。
粛々と覚醒し続けた結果の現在があり、それは日々の些細な努力と周囲への配慮や気遣いと共に、そこに在る。「わざともう仲良くならないように‥」と言う会話のシーンは、今の私には特に重く身近に感じ取れる。
 

例えば私が、自身のことを “コンタクティーだ” と誰かに伝えたとしても、そのスキルを持たない者や持とうとすらしない人たちにその真意は伝わることはないだろう。”あの人、こじれてるね” などと茶化されて終わりだ。
だが私は日々真剣に複数の地球外生命体 (たち) とテレパシーで交信を続けているわけで、それを私は主に自身の作る音楽を介してひっそりと配信し続けているこれも又、事実だ。
 

 
“スターシード” と言う言葉をご存じだろうか?
この言葉は一説には、「地球の次元上昇(アセンション)のために、地球外の惑星から来た『魂』を持つ人たちのこと」とも言われている。だがそもそも「アセンション」とは宗教用語で「昇天 (死) 」を意味するので、その箇所に於いては私は否定的な考えを持っている。
但し他惑星に生息した経験を持っているならば、その惑星にはない何かしらをオーパーツとして自分が置かれた状況下で新たに出現させることが可能である。
その意味で私は個人的に、”スターシード” は私の他にも複数存在する可能性を否定していない。今のところそれは数名に限られるが、もしかするとミン・ヒジンもその一人ではないかと思っている。
 

ミン・ヒジンとNewJeansの5人の少女たちが表現する “Supernatural” の神髄には、一体何が潜んでいるのか‥。美しいオーパーツがここに又一つ、音楽と表現と映像と介して出現したことが、私にはただただ頼もしい限りだ。
 
What on earth lies within the essence of “Supernatural” as expressed by Min Hee Jin and the five girls of NewJeans?
I am simply confident and happiness that another beautiful Ooparts has appeared here through music, expression and video.
 

追記:
他者の音楽に関する記事は極力、音楽評論家として運営している別ブログ “遠矢美樹の音楽評論” に綴ることに決めています。ですが、今回の場合は私自身のシュールな経験や記憶とミン・ヒジンが織りなす美しい表現世界とが深く重なっていた為、メインのブログ “Didier Merah Blog” に記載することにしました。
 
PS:
When it comes to other people’s music, I usually write about it on my other blog, “Miki Toya’s Music Criticism” which I run as a music critic. However, in this case, my own surreal experiences and memories overlapped deeply with the beautiful world of expression woven by Min Heejin, so I decided to write about it on my main blog, “Didier Merah Blog.”
Thank you for reading to the end!🛸

 

 

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約束と祈り (Promises and prayers)

来月に相方の誕生日を控えているので、その辺りに箱根への旅を予定している。道中は相方の運転で現地に向かう予定だ🚙
自分で作成した色んなPL (音楽プレイリスト) を用意しつつも、やはり故 サビノ神父 (現 Hana) との思い出が心を優先するので、BGMはイタリアの音楽に。
 

 

記憶とか思い出は微妙にトラウマと重なり合うもので、サビノ神父を思う時にはどうしても実母の影が折り重なって来る。
 

実母が最後の最後まで執念深くサビノ神父との思い出の写真を隠した本当の理由は、一体何だったのか‥。遺品整理業者がとても良い業者だったので、段ボール何個分にも及ぶ分量の写真と言う写真を一枚残らず全て保管して私に渡してくれたが、見るからに古い段ボールの中にサビノ神父と私が最後に撮った写真がひっそりと隠れていた。
その場所がどこだったのか、数十年もの間分からなかった。どうしても思い出したい記憶だけがぼんやりと霞が掛かったように思い出せなくなっていたが、それもこれも実母が仕向けた圧のようなものの一種だったように思えてならない。
 
限られた時間の中での遺品整理の中で私はどうしてもその写真を探し出したかったから、念を込めるように一枚一枚捲って行くと、とある束の中に笑顔のサビノ神父が目を覚ました。
幾度かの交霊の末に、最後の写真を撮影した場所をサビノ神父の霊体から聞き出すことが出来た。
箱根のとあるホテル内のレストランだと分かった。そこに辿り着くまでに、40数年を要した。
 

 
思えば私と神父との出会いは既に過去世に在り、そこ (トスカーナの山中の車道の事故現場) で私たちは忘れ得ぬ固い約束を交わしたのだろう。仮にサビノ神父が “Hana” として転生した今でもその記憶を抜きに全てを語ること等出来なくて、その時を思い出す度に心臓辺りがしくしく痛んで仕方がない。
 
コーヒーとワインとパスタが大好きなサビノ神父のことを、私が家を飛び出た24歳の時から片時も忘れたことなどなかった。だが如何せん、当時の私の心は壊れていた。私を壊したのは紛れもなく、山田家とその親戚全員だった。
私は壊れながらもどうにか平常心を保つことに一生懸命だったが、今にして思えばやはり壊れていたのだろう。
実家の遺品整理の時に見つけ出した写真の中には、下の写真のようなサビノ神父が何かの目的で撮ったと思われるブロマイドのような写真が複数あった。
 
きっと母はサビノ神父を個人的に好きだったのだろう。だからなおさらのこと、神父の気持ちが私に向くことのないよう、神父から私を遠ざけることに必死になったのかもしれない‥。
 

 
故 サビノ神父が神父としての霊体を今よりも強く保持していた時に、相方 (天野玄斎) が神父の霊体の心臓に張り付いた真っ赤な炎症を取り除いてくれた。その瞬間故 サビノ神父は本物の自由を得て、それまで固く凝り固まったようになっていた霊体がひときわ大きくなったように私には見えた。
わずかな母の霊体が神父の霊体の周囲を鎖のように縛っているのが見えたけど、相方のヒーリングの後にその呪詛 (呪縛) も解けて、故 サビノ神父はそこで何度目かの転生の機会をようやく得ることが出来たと後から聞いた。

生まれ変わった故 サビノ神父 (現 Hana) とは未だ現世での再会は果たせていないけど、その時はいつか必ず訪れると私は確信している。私が確信したことで、これまで叶わなかったことは一つもない。

念じることはいずれ祈りとなり、それが正しい祈りならば願いはいつの日か必ず叶う。

過去世で交わした幾つかの約束は、一つずつ現世 (現在の私) で叶って来た。リラ星の妹との再会もじきに果たせるだろう。
リラ星の妹は今某業界の第一線で活躍している。彼女は今回も、彼女が作り出した新しい作品の中にふんだんに、私たちの最期の約束の合図でもある “光” を散りばめている。
同じ記憶を持つ人にとって、その “光” は特別な意味を持つ。
彼女が送って来る “光” に返す新しい作品が今は未だ手元にはないけれど、私が毎週欠かさず作っている音楽のプレイリストを通じて彼女には必要にて最大限のアンサーを送っている。
 

音楽は私たちにとって、手紙のようなものだ。
喜びたい時、泣きたい時、抱きしめたい時、‥その時々に応じて私のPLには必要な音楽を詰めて解き放っている。そのシグナルに彼女も応えてくれる。
静かなやり取りは地球全土の人々に向け、各々に必要な形や響きとなり届くと信じて、手の負傷の緩やかな改善と共に数年以内に私は新作をレコーディングする予定を立てている。

 

桜と私

暫く体調を壊して休養していました。
その間に世の中が粛々と変化して行く様を、寝室の中で感じながら悶々としていました。
通りをひっきりなしに疾走する救急車の数が日増しに増えるその度に、世界から一つまた一つと消えそうな命の叫びが聴こえるようで、胸が痛みます。
 

ずっと桜の季節が嫌いでした。それは毒親の影響が大きいのでしょう。
毎年お花見とは名ばかりのイベントが計画され、その時その前日になる度に私は母親の不当な暴力を受けました。
目や腕の皮膚を母親の握り拳が激しく殴打し続け、お花見当日の朝になる度に私は全身痣だらけになりました。当然そんな姿でお花見など行ける筈もなく、否応なく私は留守番をすることに‥。
それが私以外の三人の家族にとって、ベストな状態だったのです。
 
毎年そんな状況が続き、私は最初から家族の中に存在しなかったように私以外の家族三人が、何食わぬ顔でお花見を楽しんで帰って来ます。
千円程度のお金がテーブルの上に置かれ、それで何か食べてね‥ とにこやかな顔で母に言われ、マクドナルドでハンバーガーセットを買ったり松屋で牛めしを買って、家で一人で食べました。
 
私は家族の中で、最初から存在を許されない人でした。
 
 

 
そもそも大のカメラ好きだった父の趣味を奪うように、私が家を出る頃になると母は (本来ならばそんなお金など無い筈なのに) どこかからか資金を捻出して高額のカメラを買い始めたことを、今でも覚えています。
特に桜が好きと言うわけでもないのに、このシーズンになると母は井の頭公園に行っては桜を撮って楽しんでいました。そしてマウントするのです、私や父に対して。
母は人に「先生」とか「アーティスト」等と呼ばれたかったのではなかったかと、今になるとそう感じるのです。
 
私が大学を卒業し24歳で家を出る頃には、すっかり桜が嫌いになりました。桜と母の虐待が記憶の中でセットになり、私を苦しめるからでした。
そんな私が今では大の桜好きに変貌し、それもこれも最愛の夫のお陰だと感謝しています。
 

2022年に前の家から転居し、それまで一人で桜を撮っていた隠れスポットを離れてしまったので、去年は殆ど桜の写真を撮ることが出来ず今年。
掲載している写真の桜は各々とても細く花付きもそれほど豊かではないのですが、構図次第では大木の桜の樹のようにも見せることが出来るところがカメラの不思議なトリックです。
上達したのは私の腕ではなくて、スマートフォンのカメラの性能(笑)。文明の利器を利用しない手はありません。
 
 

 
昨年実家を売却する際に遺品の整理をし、その最中に母が撮った花の写真を大量に見つけましたが、どの写真も焦点のぼやけたものばかり。写真と呼ぶに相応しくないものでした。
結局全部処分しました。
忌わしい記憶や思い出と完全に決別しなければ一歩も前進出来ないと思い、母自身が写っている写真も殆ど処分しました。でも、だからと言って私の中に在る辛い記憶と決別出来るかと言われたらそうではなくて、私の中には未だ両親や弟からの虐待や嫌がらせの記憶が息づいているのが苦しいです。
 
四方八方が敵だらけだった私の半生。
夫に「私は間違っているのかな?」と訊ねてみたのですが、彼は頑として「一つも間違ってないよ。」と言います。それは恐らく彼の本心であり、真実だと私も確信しています。
 
私がこのブログで、亡くなった弟の奥方 (Eri Y.さん) を含め親族の過ちについて綴り始めると、すぐさま Eri Y.さんの知人を名乗る誰かしらからInstagramにメールが寄せられました。その人物は私に、自分は知っているけれど私が知らない多くのことがある‥ と告げて来ましたが、実家の真実の最も近くに居たのは私であると言う確信は物理的な証拠として手元に今も在ります。
家族も親族も、私に知られては困る何かを私に探られることを懸念したから、私を実家から早々に追い出し一歩たりとも実家に近づけさせぬようにして、徹底的に親族の輪から排除したのでしょう。
 
 

 
上記の書類も、その証拠の一つと言えます。
 
今このタイミングでこのメモを読むと、母の話していた「家にはお金がないのよ。」と言う口癖が全くの嘘であることは明白です。
ですが母はどういう訳か清貧思想を深く心に持っていて、音楽高校に進学した私が経済的には豊かではない人を友人に持つように仕向けられました。それが私はたまらなく嫌で仕方がなかったので、その頃から私は親に内緒の収入を得る為にレコード会社にデモテープを持ち込むようになりました。
その夢さえも折に触れ母は妨害し、当時爆発的に売れた「爆風スランプ」のディレクターに無理矢理私を会わせましたが、感性の合わない人とは上手くやって行ける筈がありません。
 
[ 中略 ]
 

私は「暴きの星」を持っています。多くの虚偽が私を捉え、虚偽の側からそれを私にを暴いて欲しいと嘆く時、私の「暴きの星」が疼きます。
遠い過去世で私はジャンヌ・ダルクとして生きました。最終的にジャンヌは異端審問にかけられ、火あぶりの刑に処せられて最期を迎えています。その時周囲はほぼ敵だらけだったと記憶しています。
でもそんな中にも時折影の助っ人が現れ、彼等は自身が私の助っ人だとはバレないように私を何度も助けてくれました。
 

色々な記憶が渦巻き、それが自分の過去世だと分かるまでには数十年の月日を要しました。そして私自身を知る旅は困難を極めましたが、現在の夫が私を私自身に引き合わせてくれたのだと思っています。
 
今年はそう遠くない場所の桜のスポットでお花見を二人で楽しんで来ましたけど、いつかもう少し田舎に出向いて桜のシーズンを満喫したいと思っています。
 
桜と言えば、私の中では「木花咲耶」を連想します。何故かは分からないのですが、今日のお花見の最中も天界からずっと私たち夫婦を見守っていて下さいました。そして天照大神も‥。
自然神と大の仲良しの私は、日々の折々で彼等にとても救われているように感じます。
 
穏やかな日々がこれからも続きますように。そう祈らずには居られません。
 
 

Equinox 2024′

大袈裟に聞こえるかもしれませんがこの数週間、宇宙からの圧、亡くなった家族からの呪詛の欠片など、私は色々なものに襲撃されて体調を壊していました。
幸い夫が神がかったヒーラーなので、かなり救われました。
 
家系的に関節が弱いので、私はどうやらそこを付け狙われます。無理は禁物ですが、何も表現しない日々は逆に私を窒息させます‥。
 
 

 
明日、3月20日は春分の日。イクイノックスです。
CD Password に収録した “Equinox” はサブスクでは公開されていいませんが、その元となった初演の “Equinox” をここに置きたいと思います。
 
虹の橋の向こう側にも幸せが、きっと在るでしょう。
魂がしばしの眠りに就き、再び此方側の世界に戻って来れるように祈りを込めて🙏