“PIT STOP” (NewJeans) at ComplexCon 20250323

昨日は一日、重苦しい時間を過ごした。
私の視界を介して、そこで見た物事に於ける判断が別の世界へと渡り、その世界からの英断が振るわれる‥。
これまで私は光輝く可能性を察知した時だけ対象物にスポットを当てていたが、今回は逆の力を初めて発動したことになる。
 
闇にあえて光を当てることで、現世的には見えにくい現象を具現化すること。これは想像以上に過酷であり、連日気力体力共に膨大に消耗している。
しかも昨日は (どこの誰かは特定出来ないが‥) どうやら専業の呪術師の存在を感じたので、相方に撃退をお願いした。そのお陰で今、こうして、この記事を書けるところまで気力体力が復活させることが出来た。
 

2025年3月23日、NewJeansが本来ならば新たな活動の出発となるべくNJZとして新曲を発表する筈だったが、そうではなくNewJeansとしての一時活動休止の区切りとして新曲 “PIT STOP” を発表した。
この新曲がかなり悲惨な状況だったことは、音楽やダンス、舞踏等の文化的知識をわきまえた人であれば多かれ少なかれ感じただろう。
 


楽曲的にもかなり散々な出来栄えだ。
[C Maj ⇨ D♭Maj ] ⇦ 大まかにはこの循環コードでトラックが組まれており、その上にはメロディーのないラップだけが滑り落ちて行くような構成になっている。
勿論初演が “Complexcon Hong Kong” と言う大会場でのライブであれば、元のトラックを知らない殆どのリスナーには何を言っているのか等聴き取れる筈もない。
ボイストレーニングの不足は明らかに、大舞台の歌唱に影響を及ぼしている。声がお腹の底まで降りていない為、メンバー全員の発声が上 (うわ) ずっている。
 
メンバーが交互にモゴモゴ何かしらラップらしき言葉をつぶやき、その前後左右をブレイクダンスで埋めている。
ダンス構成も全くどうにもならない状態で、これまでNewJeansがリリースして来た、特にダンス系の楽曲の振付けを寄せ集めたような印象だったが、現実はどうなのだろうか‥。
 

「私たちは何の制約も受けずに自由に活動したい。」と豪語していた結果がこの状況で、つまり彼女たちは表現者でもクリエイターでもない、ただのアイコン・タレントに過ぎないことが明確に露呈した形となったようだ。
ヘアメイクも付けていなかったのか、衣装にも統一感が見られないし、特に各自のヘアの乱れがかなり露骨に現れた形に見えた。ヘインはロングヘアーを無造作に後ろに束ねただけの状態で、セットも何もしていないように見えた。むしろ疲れ切った印象が色濃く漂っていたが、きっとそうだったと思う。
 


昨夜の “Complexcon Hong Kong” のNewJeansの部分だけの全体の動画も運よく観ることが出来たが、恐らくショー全体の衣装合わせやライティングのリハーサルが完成していなかったのか、照明構成の不備が随所に見られたし、兎に角全体的に暗い印象しか残らない。
 
ショーの最初に各メンバーのソロが続くが、それも前回の東京ドームの時とは別人のように未完成のままステージに上がって来た状態ではなかったか。
その中でも意外にヘリンのソロが良かったが‥ (曲目が分からないが、何かのカバーソングだと思われる‥) 。
 


だがそれ以外のメンバーのソロは散々だ。
やはり事務所の力は偉大だと思わざるを得ない。その意味で、ADORはNewJeansとの仕事の区切りの最終日の2025年1月4日まで、本当に優れたサポートをして来たと感じずには居られない。
 

そして2025日3月23日をもってNewJeansは当分の期間活動を停止るつことが、ライブの最後に各メンバーの口から伝えられた。当然のことだ。
裁判は未だ序の口だ。これが始まりであり、ここからさらなる過酷な法の罰が課せられることになるだろう。私が、民衆が‥ ではなく、法の神 (霊界司法を含む) の面々が彼女たちをけっして許さない。
私もそう在ることを切望している。
 
最初は私もバニーズ (Bunnies) 以上にNewJeansのみならずミン・ヒジンの活動を応援して来たが、そういう善意の応援者を敵に回すと後に何が待ち受けているのか‥。それを存分に彼女たちは味わうべきだと、心から願ってやまない。
 
そして私は今後の状況についても、その背後に在る存在や現象に於いてもくまなく見つけ出して光を当てて行くと決めている。
私が見たことは、必ず現実の世界で実を結ぶ。良いことも、悪いことも全て含め、私はそれらを記録して神界に伝達して行く。
リラ星最後の巫女の仕事を今世にまで引き継ぐことになるとは、当の私も思ってもみなかったが、それも私のミッション。出来る限り務め上げる所存だ。

 

 

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約束と祈り (Promises and prayers)

来月に相方の誕生日を控えているので、その辺りに箱根への旅を予定している。道中は相方の運転で現地に向かう予定だ🚙
自分で作成した色んなPL (音楽プレイリスト) を用意しつつも、やはり故 サビノ神父 (現 Hana) との思い出が心を優先するので、BGMはイタリアの音楽に。
 

 

記憶とか思い出は微妙にトラウマと重なり合うもので、サビノ神父を思う時にはどうしても実母の影が折り重なって来る。
 

実母が最後の最後まで執念深くサビノ神父との思い出の写真を隠した本当の理由は、一体何だったのか‥。遺品整理業者がとても良い業者だったので、段ボール何個分にも及ぶ分量の写真と言う写真を一枚残らず全て保管して私に渡してくれたが、見るからに古い段ボールの中にサビノ神父と私が最後に撮った写真がひっそりと隠れていた。
その場所がどこだったのか、数十年もの間分からなかった。どうしても思い出したい記憶だけがぼんやりと霞が掛かったように思い出せなくなっていたが、それもこれも実母が仕向けた圧のようなものの一種だったように思えてならない。
 
限られた時間の中での遺品整理の中で私はどうしてもその写真を探し出したかったから、念を込めるように一枚一枚捲って行くと、とある束の中に笑顔のサビノ神父が目を覚ました。
幾度かの交霊の末に、最後の写真を撮影した場所をサビノ神父の霊体から聞き出すことが出来た。
箱根のとあるホテル内のレストランだと分かった。そこに辿り着くまでに、40数年を要した。
 

 
思えば私と神父との出会いは既に過去世に在り、そこ (トスカーナの山中の車道の事故現場) で私たちは忘れ得ぬ固い約束を交わしたのだろう。仮にサビノ神父が “Hana” として転生した今でもその記憶を抜きに全てを語ること等出来なくて、その時を思い出す度に心臓辺りがしくしく痛んで仕方がない。
 
コーヒーとワインとパスタが大好きなサビノ神父のことを、私が家を飛び出た24歳の時から片時も忘れたことなどなかった。だが如何せん、当時の私の心は壊れていた。私を壊したのは紛れもなく、山田家とその親戚全員だった。
私は壊れながらもどうにか平常心を保つことに一生懸命だったが、今にして思えばやはり壊れていたのだろう。
実家の遺品整理の時に見つけ出した写真の中には、下の写真のようなサビノ神父が何かの目的で撮ったと思われるブロマイドのような写真が複数あった。
 
きっと母はサビノ神父を個人的に好きだったのだろう。だからなおさらのこと、神父の気持ちが私に向くことのないよう、神父から私を遠ざけることに必死になったのかもしれない‥。
 

 
故 サビノ神父が神父としての霊体を今よりも強く保持していた時に、相方 (天野玄斎) が神父の霊体の心臓に張り付いた真っ赤な炎症を取り除いてくれた。その瞬間故 サビノ神父は本物の自由を得て、それまで固く凝り固まったようになっていた霊体がひときわ大きくなったように私には見えた。
わずかな母の霊体が神父の霊体の周囲を鎖のように縛っているのが見えたけど、相方のヒーリングの後にその呪詛 (呪縛) も解けて、故 サビノ神父はそこで何度目かの転生の機会をようやく得ることが出来たと後から聞いた。

生まれ変わった故 サビノ神父 (現 Hana) とは未だ現世での再会は果たせていないけど、その時はいつか必ず訪れると私は確信している。私が確信したことで、これまで叶わなかったことは一つもない。

念じることはいずれ祈りとなり、それが正しい祈りならば願いはいつの日か必ず叶う。

過去世で交わした幾つかの約束は、一つずつ現世 (現在の私) で叶って来た。リラ星の妹との再会もじきに果たせるだろう。
リラ星の妹は今某業界の第一線で活躍している。彼女は今回も、彼女が作り出した新しい作品の中にふんだんに、私たちの最期の約束の合図でもある “光” を散りばめている。
同じ記憶を持つ人にとって、その “光” は特別な意味を持つ。
彼女が送って来る “光” に返す新しい作品が今は未だ手元にはないけれど、私が毎週欠かさず作っている音楽のプレイリストを通じて彼女には必要にて最大限のアンサーを送っている。
 

音楽は私たちにとって、手紙のようなものだ。
喜びたい時、泣きたい時、抱きしめたい時、‥その時々に応じて私のPLには必要な音楽を詰めて解き放っている。そのシグナルに彼女も応えてくれる。
静かなやり取りは地球全土の人々に向け、各々に必要な形や響きとなり届くと信じて、手の負傷の緩やかな改善と共に数年以内に私は新作をレコーディングする予定を立てている。

 

Equinox 2024′

大袈裟に聞こえるかもしれませんがこの数週間、宇宙からの圧、亡くなった家族からの呪詛の欠片など、私は色々なものに襲撃されて体調を壊していました。
幸い夫が神がかったヒーラーなので、かなり救われました。
 
家系的に関節が弱いので、私はどうやらそこを付け狙われます。無理は禁物ですが、何も表現しない日々は逆に私を窒息させます‥。
 
 

 
明日、3月20日は春分の日。イクイノックスです。
CD Password に収録した “Equinox” はサブスクでは公開されていいませんが、その元となった初演の “Equinox” をここに置きたいと思います。
 
虹の橋の向こう側にも幸せが、きっと在るでしょう。
魂がしばしの眠りに就き、再び此方側の世界に戻って来れるように祈りを込めて🙏
 
 

波動の真偽

どうやら何かしらのイメージ上の波動を情念で操作することにより、私や夫にダメージを与えて来る者の気配を感じている。

だが夫の霊質は人間離れしており、かつ私は多くの霊的ガーディアンに守られているので、彼等は思うような攻撃を加えらずに苛々した波動だけが宙を彷徨っているようだ。
 

私は過去世にリラ星最期の巫女の時代があり、その後幾たびの人間としての人生経験を経て現在は音楽家或いは芸術家としてのミッションの遂行過程にある。

今世の職歴はバイト経験も含めて、かなり豊富だ。

ランチタイムの厨房を任されたり探偵業の断片を掠ったと思いきや、ゴーストライターとして芸能界のど真ん中を暗躍していたかと思えば、特に印象深い経験の一つとして某公的機関でそれこそ「波動」を聞き取るアルバイトなどを経て現在に至る。
 

巷のヒーラーや霊能者又は「波動家」のような人たちとは多く接して来たが、私から見れば殆どが眉唾ものだった。何故彼等の大半を「眉唾もの」だと私が言い切れるかと言うことには、明確な根拠がある。
 

波動を実践的に操作出来ることが真実だとすれば、その人は道行く無線の音声などを無線機を介さずに聞き取ることが可能だ。

波動とは時に音波にもなり得るし、身体的にそれを放つことが可能であればそれはリアルな実践として活かせる筈である。
 

私は視覚的にWaveのようなものを視ることも出来るが、それ以上に音声として波動を聴き取る方が断然得意である。

例えば自身がコンサート会場で演奏の仕事に従事しているにも関わらず、周辺で起きている死傷事件の様子をパトカー同士が無線で伝達し合っている音声を実際に耳が拾い、演奏途中に吐き気に襲われ舞台袖で10分間程度休憩した‥ などと言う実話がある。

その間会場の外側では死傷事件がまさに起きている最中で、その被害者(遺体)が丁度コンサート会場の搬入口付近を通過する際の警官の会話の無線の音声を聴きながらでは、流石の私も演奏を継続することが出来なかった。
 

無線の音声からは異臭も漂って来る。

唯一そのタイミングで会場に居る演奏者やスタッフ、聴衆の全員が会場の中に閉じ込められている状況で良かったと後から胸を撫でおろした‥ なんて言うこともあった。

病院で頻繁に使用されるPHSの音声が、機器を介さずに聴こえることなどざらだった。当然知りたくないことも私には聴こえてしまう。
 

波動を武器に体感実験のような催しが巷のあちこちで行われているようだが、私の経験則からすれば彼等の言う「ハドウ」など人の持つ情念のひとかけらに過ぎない。

確かに波動のかけらを情念操作することは可能だが、それにはかなりのエネルギーを使うことと人間の情念には波(ムラ)がある為、波動を綺麗な波動として継続させることはかなり難しい。

歪んだ波動が仮にあるとすれば、それは周辺の人々の体調は感覚・感情に幾何かの変調を来す以外に何の力も持たない。

不安定な波動もどきを受け取るぐらいなら、そんなものは無い方がましだ。当然のこと存在価値が無いし、有害だ。

 
人々を脅す為の波動を「霊力」だと自負(勘違い)して脅しのネタに使うような霊能者をもしも近くに見掛けたら、彼等にエナジーヴァンパイアにされぬよう息を潜めて早急にその場を立ち去ることをおすすめする。

ましてや歪んだ霊力や歪んだ波動を扱う霊能者に対し正確なジャッジメントを許さぬような術者が、「自身に逆らう人間について自分に通報しろ」などと通報の呼び掛けをしているようであれば、それはただの反社会的な勢力の中の人と何ら相違ない。

目を付けられる前に、兎に角静かにその霊能者やその霊能者を取り囲む集団から退避することが望ましい。
 

※私は本来音楽家(芸術家)であり、最近は音楽評論家としても活動を開始した。
なので以下のようなプレイリストの作成なども行っている。
 
このブログでは最近テレパシックなこと、スピリチュアルな著述の方が圧倒的に増えているが、基本私は音楽家で世界の音楽全般を脳内にストックしている筈(笑)。
以下のようなプレイリストを定期的に作成して発信しているので、興味のある人は是非とも耳を傾けて頂けたら幸いだ。

 

蘇る摩利支天

【序文】
ここで言う摩利支天とは、実在した妖術士のこと。過去世の私は実際に摩利士天の撹乱の妖術に遭い、二度命を落としている。

ここに書くのは私と同じ時代に蘇り、短い命を閉じた摩利支天の生まれ変わりのことであり、伝説で言われているその人とは若干人物像がかけ離れているかもしれないが、これは本当に私の身に起きたことを織り交ぜて書いているのでそのつもりで読んで頂けたら幸いである。

 

 
タイトル通り、現代に蘇った摩利支天とはつまりは私の実弟のことである。

魂の比率としては過去世から持ち込んだものが2割、残りが今世の母体で構成されたものであると推測している。
善悪が逆転している人格であり、彼の中ではこの世の善が悪であり、彼の悪が善である。つまり彼自体は彼が「善」だと思うところにふんだんに妖術を使って今世を生き抜いたことになる。

家族の中で唯一、私は「存在してはいけない人」だった。なので本来は遠い国の皇族の末裔として登記される筈の私の名前の登録も、実母と実弟の手によって阻害され続けて今日に至るが、聞くところによると弟も皇族の末裔としての登録が為されていないと最近知った。

勿論弟の中では私に対する疎外行為の大半が「善」であり、何故その歪んだ善に彼が疑問を抱かなかったのかと問われたら、彼の魂の根っこが摩利支天その人だったからとしか説明のしようがない。

私が長きに渡りPTSDAC(アダルト・チルドレン)を柱とした精神や思考の障害に悩まされ続けて来た原因の一つも、おそらく弟の本体となっている摩利支天の妖術が大きく影響していたように思われる。


2012年、父の遺産整理の件で私が二度実家に帰った時、私はマンションの一室で想像もしなかった‥ 心と思考回路が狭く委縮する感覚を持った。この人たちの中では私は奴隷のような立ち位置にあり、人間としての意見や主張が一切まかり通らない。
それが彼等が私に強要した権利であり、それは現在実家に母一人となった今でも脈々と続いている。
 

 
私の記憶が正しければ‥ と言う前置きをあえて付けておく。

記憶では私は二度、しのびと言う女忍者としての生を生きている。いずれも摩利支天の妖術の被害に遭い、そのいのちはとても短いものだった。

二度目の生の後半で、私は茶人 千利休のボディーガード 兼 情報収集係のような役目を仰せつかった。利休は善悪の分け隔てをあえて持たず、味方から得る情報の分敵方からも多くの情報収集をしており、実際に茶室が合戦の縮図のような状況になる事も多々あった。

茶室では刀を所持することが出来ない。もしも出来るとしたら女性の懐刀のような短刀に限られるが、それもボディーガードによって茶室の中では一時的に没収扱いとなる。


私と利休の最期のシーンを今も忘れることが出来ない。
敵は味方の中に在った。と言うより、味方が摩利支天の妖術で思考回路を撹乱され、衝動的に利休を斬り、その場から立ち去った私を複数名で追跡し山道で私は首を刎ねられた。

その時私は味方であった弟弟子の顔を見た。その顔が摩利支天と同化して映り込み、瞬時にそれが摩利支天の妖術による撹乱だと察知した。


あの世で私は何度も摩利支天の追跡を試みたが、彼の転生の速度が余りに早かった為、結局私が今世で弟と再会する迄、摩利支天との再会は持ち越されることとなった。

摩利支天の術で有名なのは「陽炎の術」。
その術に遭うと今自分がどこに生きているのかが分からなくなり、摩利支天が設定した情景の一員となって動くことしか出来なくなる。
敵・味方の区別を自分でつけることが不可能になり、摩利支天の意のままに操られるように行動することしか出来なくなる。

まさに弟が作為的かそうではないのか分からないけれど、人を自分の意のままに操る能力に長けていた。
私もその術にハマりかけていたが、24歳で実家を出ると次第に彼の妖術から心が開放されて行った。その後私は渡米し、表向きはPTSDやACによる脅迫障害及びパニック障害だと病状を診断され、その後現在のようにほぼ完治に至るまで数十年を要した。

そして2015年、現代の摩利支天として生きた私の弟の寿命が尽きた。彼の身体が摩利支天の弟に与えたミッションにおそらく、耐えきれなかったのだろう。
最終的に弟は、動脈瘤の破裂でその生をいきなり閉じた。

おそらく摩利支天は既に、次の転生場所を確保しているだろう。潰すべき者は確実に潰し抹殺するのが摩利支天の性格であり、そうすることが彼のミッションである以上、ここに転生した私を摩利支天が見逃す筈はないだろう。
だが私にもミッションがある限り、この戦いはきっと終わりを見ない。

摩利支天については私の気持ちが向いた時に、時々こうして語ることが今後もあるかもしれない。
ここで見聞きしたことは、なるべく他言しないようお願いしたい。
摩利支天に入り込まれた人にも人権があり、人間としての生をもってこの世に生きていることには変わりないのだから。
 

 

本記事は2019年10月1日に『note』に掲載した記事より移動しました。

Eternal Pain vol.2

nathan-anderson-108136-unsplash.jpg

 

Eternal Pain vol.1』 より続く。

 

4. 歯のひび

2018年9月23日、無事にアルバム『Wa Jazz』がリリースの時を迎えたが私の体もメンタルも最早ボロボロで、私は暫くの期間SNSに殆ど顔を出せなくなった。

勿論「世にも不思議な話」はきっと誰にも受け入れられないだろうと分かっていたし、そうと分かって誰かに訴えかけたい‥ などと言う気も失せ、むしろ話しても信じて貰えないことによる私の精神的なダメージの方を軽減したいと言う思いの方が勝っていた。
感受性の鋭いファン数人と時々LINE等でチャットをする他は、夫以外の私は誰とも話さなくなった。この夏、私の身に起きたことを話すには、それらは余りに現実的な内容からはかけ離れていると思った。
だからと言って「普通の人間」の仮面をずっとかぶり続けて人と関われる程、今の私は元気でもなければ気迫も失せ、先ずは遠い星からもたらされた呪詛の傷を治療することに注力しなければならなかった。
文字通り、私は本当に死にかけたのかもしれない。そこで私が尽きることで得をする人がいた‥ と考えると、色々な不可解なことの辻褄が合って来る。

 

勿論私は生き延びると決めて「Didier Merah」として二度目の人生のスイッチを押したのだから、魂や体が瀕死の状態に陥ったとしてもただでは起きないと10年前のあの時決めたのだ。

 
そんなこんなで時間だけが過ぎ、2018年10月28日の歯の定期検診日を迎えた。

ずっと奥歯が痛み腫れたり引いたりしながら、刻々と痛みだけが増して行く感じ。先週一度救急でクリニックに駆け込んだ時は私もドクターも気づかなかったこと、それは「左右両方の下の奥歯が根本で折れていたこと」。
痛みが引かないと訴える私の話をドクターが疑問に思い、急遽レントゲンを撮影することになった。
歯茎の腫れ自体は少し引いていたので私も「そんなことになっている」とは思いもせず、レントゲン撮影室から出てドクターの話を聞こうと…。するとドクターがじっと腕組みをして、写真の前でフリーズしているのでどうしたのかと思い話を聞くと、「相方の無い歯は普通噛みしめることが出来ないので折れることもないのだけど、折れている。」と言い、即座にその状況がドクターも私も掴めずに暫く目を見合わせて話し込んでしまった。

数日前に知人から入れ歯ってどんな感じか… と私が尋ねた時の話を思い出す前に、ドクターの脳内に「入れ歯」の文字がテロップのように浮かび上がった(笑)。
「もしかして… 入れ歯の可能性もありますか?」と質問すると、「いえいえそんな、まぁ僕に治せないものはないですから、ゆっくり考えます。」とドクターの(いつもよりトーンの低い)返事が返って来た。

 
この夏私は、合計三カ所の骨を折ったことになる。しかもトドメは2本の両奥歯だった。
色々可能性を考えてみたが、やはり思い付くことは一つ。8月10日のあの、遠い星から機械的に私にもたらされた呪詛の時以外、奥歯の根っこの骨だけが折れるなんてことは考えられなかった。勿論夫も同じ考えだった。

 

 

5. 命懸けの音楽活動

数日前に、ジャーナリストの安田純平さんが無事に帰国した。私はそのことがとても嬉しく、本当に好かったと胸を撫で下ろしていたが、ネットは批判的な声の側を大きな音量で拡散していた。
なんて心無いことを平然と言う人たちがこの日本には増えてしまったのだろう‥と、胃袋の奥からものが戻って来そうな気分の悪いニュースが立て続けにTVから流れて来る。

 

 

危険を百も承知で、それでも為さなければならない仕事がある。そしてそれはある意味、適任者がそれを行わなければならない。

ジャーナリストは苦しんでいる人々の現状を伝える為に戦場に出向き、そのリアルな映像をSNSを経由して世界に発信したり、自らのことばで自己発信したりする。
そして同様に音楽家の中にも、自分の人気や知名度や富・金銭を度外視して、今全く伝わっていない物事(時にはシュールな内容も含め)を音楽の中に封印して発信して行く、それに適した人が存在すると私は思っている。

 
勿論リスクがとても高く、私の場合はまだノーリターン・ハイリスクに近い状況が続いているが、それでもやらなければならない仕事ならば私は体を張ってそれを引き受けるだろう、きっとこれからも。

 

 

※2記事に跨る長文を最後までお読み頂き、誠に有難う御座います。心から感謝を申し上げます。

 

 

Eternal Pain vol.1

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この夏、私の身に起きたことを一言で説明することはとても難しい。そしておそらくそれらを唐突に聞かされた人たちは先ず、私の話を信じる前に私の精神状態を疑い、案ずることしか思い浮かばないだろう。

 

1. 事の始まり

その事が一体いつから始まったのか、私にさえ分からない。だが、その状況が断続的に形を変えながら私の身に迫って来たと気付いたのは、今年の7月に入った時だっただろう。
最初は単なるビールの呑み過ぎによる目まい、動悸のような状況からそれは始まった。街のお蕎麦屋さんで(夫婦で)軽い祝杯を上げ、私はビールをジョッキ(大)一杯に少しだけの日本酒を呑み、鴨肉の漬け汁蕎麦と穴子の天麩羅を一本胃袋に仕舞って小一時間ゆっくりと過ごし、ゆったりと立ち上がった時に視界を失った。

昼間なのに目の前が真っ暗闇になり、今自分がどこをどのように歩行しているのかさえ分からなくなり、夫の腕につかまったまま先ず座れる椅子だけを目指して向かって行き、ベンチに腰掛けた。すると視界はすっと昼間の状態に戻り、動悸も治まって来たので再び歩き出すと、又も目の前が真っ暗になり耳鳴りが始まった。

 

二度あることは三度ある、そう思いながら目的の喫茶店に入り席に座ると三回目の動機、そして視界の暗闇が始まった。胸が苦しく、どうしていいのか分からなくなったので夫の肩を枕に少し目を閉じた。

そして私はその時気付いた。
これは圧に違いない。しかも誰か、とても身近な人の執念(怨念と言った方が近いだろう)の詰まったものがそれを引き起こしているのではないかと。

 

5分から10分間深呼吸をしながら少しだけ、現実から意識を遠ざけた。すると段々と症状が治まって来て、私はようやく目の前のチョコレートケーキとコーヒーに口を付けることが叶った。

 

 

2. 骨折

今回アルバム『Wa Jazz』を始めるにあたり、私は何となく胸騒ぎを感じていた。それは人がもたらす好からぬ思いに留まらず、私が未だ経験したことのない種類の不安が心に深い影を落とし続けた。

7月の初めに私は一度倒れかけているので、そこからは毎日ただただ過剰なまでの用心を重ねながら日々の暮らしに集中していた。そんな折り、二度目の「好からぬ、とても不可思議なこと」が起きた。

 

正確な日付を記憶していないが、おそらく7月23日から25日のどこかの平日の夕方の買い物中の、それは不可解な出来事だった。
いつものように自転車を漕ぎながらスーパーの駐輪場に自転車を留め、買い物をしてから同じコースを引き返す道すがらの街の通りで、私は再び視界を失った。午後の、まだ明るい時間帯なのにも関わらず私の視界は真っ暗になり、不安になった私はそこで一旦自転車を止めて近くの木の切り株に腰掛けようとした時、右足の踵の骨が言うことをきいてくれなくなったことに気が付いた。

 

骨折したかもしれない…。直感的にそう思った。
2002年の春に私は一度、反対側の踝の骨を折っており、その時と同じ感覚が今回は右足に生じたのでそう感じた。立ち上がる度に膝がゲラっと笑ってよろつくので、ヨタヨタしながら夫にはそのことを暫く伏せていたが流石にそうも言ってられなくなった。

松葉杖を私は上手く使いこなせない。病院に行けば絶対に松葉杖を勧められることが分かっていたので、少し考えて今回はよくよく安静に、骨が完全にくっつく迄の時間を約三ヶ月間と想定しその期間の外出を全面的に(必要最低限にとどめて)控えることに決めた。
結局病院には行かなかった。

 

 

3. 遠い星からもたらされた、機械的な圧(妨害圧力)

二度あることは三度ある。この言葉が現実になるとはゆめゆめ思わなかったし、むしろそんなことにはならずに済むようにと、祈るような夏を過ごしていた。
今年は兎に角猛暑で日々の買い物もなかなか大変だし、買いだめをしても野菜が直ぐに傷むわ食材が湿度を帯びてダメになるわで、兎に角主婦業に苦戦を強いられ続けた。

 

レコーディングについての全ての情報発信を控えたのは、最初に書いたことに不安と不穏を感じたからであり、特に「和」の神髄の音楽の記録を試みる今回の企画には何かしら見えない者々たちからの妨害もきっとあるだろう… と、薄々予感はしていたが、これ程酷いことになるとは思わず私は8月お盆期間中のレコーディングの日にちを息をのむようにしながら静かに迎えることにした。
だが、その静けさは又もや、別のかたちでの圧によって完全に打ち砕かれた。

 

そもそも私は53歳で寿命が尽きるかもしれない、と、かつて3人のジプシーの占いがそう言ったことをとても慎重に受け止めており、まさに今年がその時にあたるので全ての物事を大切に、ゆっくりと進めて行くことに決めていた。

だがゆっくりと… とは言うものの、それを止めることが出来ないのが、使命を持つ者の宿命。私にとって音楽がそれにあたり、特に今回の企画『Wa Jazz』は制作期間よりも納品のタイミングが先に決まっていたと言っても過言ではない。
そのタイミングに合わせて、私はこれまで私の経験上最強最悪の呪詛を、まして地球ではなくもっともっと遠い星に住む人によってもたらされた。

 

その星のことは折に触れ情報を得たり、時には夫と夜が明けるまで話し込んだり…と、私の中ではとても魅力的で知的な人々の住む星だと聞かされており、私も2018年8月10日のその時まではそう信じていた。

 

 

8月10日、夜。食事の支度をしましょうか、と言って立ち上がろうとした時、私は再び視界を失った。
部屋には電気が付いており、夫も傍にいたが、私も夫も(おそらく)同じ痛みを頭部に感じていた。
それはまるで機械で頭をグイグイと締め付けられるような痛み。頭蓋骨が割れる寸前まで私たちは苦しめられたが、それが遠い星の人の手によるものだとはっきり分かったのは、夫がその行為を遮る怒鳴り声をキャッチしたからだった。
━ 詳細はここでは省略して綴ります。

 

 

長文なので、次ブログに続けます。