覚醒の兆候

ここ一ヵ月近く、色々なことがあった。
「色々なこと」をくまなく調べて行く過程で、精霊や神々から彼らに視えている世界を伝え聞くことも多々あった。怖いことに、現実で起きている事 (視えている範囲で) と神々や精霊が見た世界の情報とを突き合わせると、そこには微妙に矛盾が生じていたりする。
 
幼い頃から私は、両方の世界を行き来していた。現実の世界と、現実を視ている神々や精霊から伝え聞く現実は、必ずしも一致していなかった。
両方の世界は常に共存している。だが片方は肉眼と現実の世界、もう片方は人の内面や精神の中、そこで思う世界だ。
 
現実は、そこに現象が起きなければそれを現実と言うことは出来ない。だが私は未然の現実をいち早く察知し、人生の多くをそれ (察知したこと) に基づいて計画し、行動して来た。
言ってみれば、二度目の結婚もそれにともなう行動計画もそれに基づいて予定を立てた。
‥そして今がある。
 

 
正確な日付は定かではない (‥こんな時、小保方晴子さんの時間記憶の才能が羨ましくなる‥) が、多分2008年の2月13日だ (アレっ、覚えているじゃないの!!!)。
現在の夫と初めてデートをする前日の午後、必死でデート場所となるカフェを探し歩いた。普段さほど運動なんてしない私だったがその頃とても親しくしていた或る神が私に、「これは人生の一大事に繋がる密会になる。だからコーヒーの旨い場所を探せ。」と指令して来た。
 
何故「人生の一大事」と「コーヒーの旨い場所」が直結するのかは、その時の私には正直よく分からなかった。と言うより私は、コーヒーなんて好きでも何でもなかった。だって私は大の紅茶党だったから。
 
京王井の頭線の渋谷駅で下車し、先ずは文化村に足を運んだ。そこに行けば何かしら、コジャレたカフェぐらいあるだろう‥ と、今にして思えばかなり高を括っていた。だが、歩けど歩けど感覚にフィットするカフェは見つからなかった。それどころか、各カフェの入り口に立ち込めるコーヒーの焦げた臭いが、私にはとても辛かった。
 
そう、この「にがくて辛かった各カフェの入り口のコーヒーの臭い」と言う感覚が、実はあながち間違ってはいなかったことを後になって知ることになるとは‥。
 

夫は毎日、美味しいコーヒーを淹れてくれる。夫の感性でブレンドを考案し、勿論コーヒー豆は浅煎りが条件なので必然的に彼が淹れるコーヒーは美味しく完成するわけだ。
そう、2008年の2月13日の午後にデート場所のカフェを探す際に感じた「各カフェの入り口のコーヒーの焦げた臭い」を、浅煎り派の夫が好むわけがなかったのだ。
 

2008年の2月14日、私たちは初対面を果たし、今日に至る。交際期間ほぼゼロだったのは、神/タケちゃんのお陰としか言いようがない。
 

話がとてつもなく脱線したので元に戻るが、最近身の回りに起きていることについて実際に関係者に聞くことと神々から伝え聞くことに齟齬 (そご) が生じている。
昔っからずっとそうだったが夫に話す時に現実とシュールの双方の情報が嚙み合わないので、大丈夫かと時々困惑する。
 

 
此方も日付は定かではないが、年で言うと恐らく2007年か2006年の春先頃だったと思う。一度だけ叔母の昭子 (仮名) さんと電話で、母について話をしたことがあった。
私が最も闇を生きていた時期と重なった。住居を借りるのに苦戦したのは、不動産管理会社のルールに沿った緊急連絡先のサインの欄が埋まらなかったからだった。
 
後になって母の遺書には、私を絶対に実家に近付けない旨の意図を含めた直筆のメモが見つかったが、当時の私は色々な現象をほぼ直感で感じ取り、突き止め、それを言葉にして人に話していた。
私の家庭外排除は現実として粛々と、親族全員はおろかその関係者まで巻き込んだ形で現実となっていたが、それを言葉にして私に伝えて来た人は確かに誰も居なかった。
当時昭子 (仮名) さんとの電話の中で私は叔母に何度も、これまで私が母にされて来た幾多の暴力や虐待、そして両親や弟が私を酷く恨んでいること等を切々と訴えた。だが昭子さん (叔母) はそれを一切合切撥ねつけて、私の訴えや心情があたかも私の思い過ごしであるかのように私を宥め抜いた。
 

⇧ これは亡くなった弟の嫁の「りえさん」が山田家の遺産を取得したい旨を弁護士に相談した時の書類だが、それによれば叔母の昭子さんは私が叔母と電話をした翌年に亡くなっている。
最後まで昭子さんは母/雅枝を庇い、私の家庭外及び親族外排除に加担したことになると見て間違いないだろう。
 
そういうことが親族内で実際に起きていることを、私は既に知っていた。だがそれらは言葉にして伝えられたことではなかった為、親族等全員が私の気の迷いだとか錯覚、気がふれたせいだ‥ と言うことにし、誰一人心を改める者は現れなかった (それは現在も継続している)。
 

勿論全ての現象を精霊や神々から伝え聞くわけではないが、ここ最近そういう現象が以前よりも増えている。その度に私は、「現実ではどうなのだろうか?」と言う突き合わせを必ず行い、逐一日記に記録している。
比率としては現実に起こる前に私が未来をシュールな存在から伝え聞くことの正確さが増しており、的中率85パーセントまで確率が上がっている。
Kポの件も、それに当てはまる。なので私はあえてこのブログに、NJの件を赤裸々に書き残している。後から私のカンや預言がどうだったのか‥ と言うことを知りたい人たちの為にも、それは書いておく必要性を感じるから。
 
 

今世でイタリアにこそ行くことは出来なかったし、預言通り私は飛行機での移動は今後一生しないつもりで居るし、車の運転免許も諦めた。
若かった私に母が振るった暴力の後遺症が、最近になって出始めたからだ。先端恐怖症は車道を俯瞰する時にも表れ、車道で前方を見る時に頻繁に身がすくむ。その状態では絶対に後方の車との衝突事故の危険が避けられないので、タケちゃん (神) から「免許を諦めるように」と言われそれに従うことに決めた。
 
それでも生きるバイタリティーは年々増しており、今後の私はこれまでの不可能の常識を必ず打ち破ることになるだろう。
その夢と目的だけはぶれずに、今も私の背骨をしっかりと支えている。
 
 

⇧ 此方は最新のプレイリスト。
毎週末の度に世界の新譜から選りすぐりの楽曲を集め、我が子のように育てている音楽データ。
 
最近はメインブログよりもサブブログディディエ・メラの音楽倉庫の更新の方に力を入れているが、それもこれも未来の音楽史を修正すると言う目的の為の一環だ。
是非「リラ星最後の巫女」として、音楽家及び音楽評論家、表現解説者としてのディディエ・メラ (Didier Merah) も応援頂けるとありがたい。

文字の重力

逆光

 

今年の桜は早かった。あっと言う間に咲き、そしてあっと言う間に天界へと旅立って行った。
この「あっと言う間」の何もかもが辛くて、若かりし頃の私は桜の季節が好きになれなかった。何故人々があんなに透明な目をして儚い桜の樹々を見上げては物思いに耽るのか、本当に理解出来なかった。と言うより、理解すること自体を私が拒否していたのかもしれない。

 

2018年4月5日 木曜日、兎に角一人で居たかった。LINEやFacebookメッセンジャーから送られて来る全てのお誘いを丁寧にお断わりして、全く一人でランチを胃袋に放り込み、そして読書に集中した。
読書は何ヶ月ぶりのことだろう。

 

レコーディングが昨年末に終わり、その後間もなくCathy ClaretさんとのJ-WAVEセッションの準備に追われた今年の1月、2月。ようやく3月に入ったものの3月25日に私自身のアルバム『Mother Earth』のリリースを控え、緊張が続いた。

やっと肩の力が抜けそうだと思ったタイミングで恒例の酷い花粉症に完全に体を蝕まれ、毎日痒みとぼわんとしたおかしな感覚の中に拘束された。
いつもならば桜の花が散る頃には症状が緩和する筈が、今年はむしろ酷くなっている。それもその筈、ヒノキとケヤキの花粉が現在町中を駆け巡っているらしい。私を悩ませているのはこの、2種類の花粉たち。

 

でもそんなことはもうどうでもいい程、昨日の私は読書がしたかった。

 

小保方晴子日記

 

選んだ本が本当にこれで好かったのかどうか… 一瞬目を疑いたくなる程の言葉の重み。それはいきなり鉄の鎧を着せられたみたいに私を苦悩のどん底へと突き落とす勢いで、これでもかと言う勢いで後頭部に殴り掛かって来た。

こめかみが痛み出して、瞼の奥を熱い洪水が襲った。とめどなく溢れる涙で頬が痒くなり、何度も何度もファミレスのナプキンで涙を拭ううちにひりひりと皮膚が痛くなった。

 

才能あふれる若い科学者(研究者)をここまで追い詰めたものに、再び強い憤りを感じた。そして同時に私は、病んでいた頃の自分自身を思い出し、青い書籍の文字の一つ一つにそれを重ね合わせた。当時はそれでも私は必死に生きていたが、そんな私がなぜあんなにも不完全な暴走を止められなかったのかと言う理由や事情を、結局誰も理解してはくれなかった。

小保方さんは今、どんな胸中に在るのだろう…。何か私に出来ることはないだろうかと色々思いを巡らせて居ると、時間がおかしな感じに歪み始めて進んだり戻ったりしながら私から「あるべき時間」の概念と感覚を完全に奪い取って行った。

 

何もしないで過ぎて行く木曜日は、毎回足早に過ぎてしまう。今日もそうだった。
気付くとテーブルの上に温いアイスクリームがどろんとカップの半分を埋めており、慌ててスープでも飲むみたいにしてそれを呑み込んだ。失われた活力…。でも今の私はそれを瞬時に取り戻せるだけの人生スキルを習得した。

何もかもを夫が私に思い出させてくれる。生きること、考えること、反発することやそれを穏やかに行う方法まで、兎に角何もかも。

 

 

花粉の襲撃が止まらない。特に真夜中から明け方は最悪だ。
睡眠の最中に何度か洗面所に立って目を洗うので、ここのところ眠りが浅い日が続いている。

 

 

 

http://www.didier-merah.jp/musicindex/MotherEarth/

Red & Merah

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生まれて初めて本格的な「プロフィール写真」と言うものを、撮影しました。
今はほぼストレートで髪を伸ばしているのですが、よく見ると私の毛ってクセっ毛なのです(笑)。なのでパァーーっと上にかき上げるとこんな感じに、意外に綺麗にまとまってくれます。

 

知人にはとても有名な女優さんやアイドルの面々が居るのに私は、自身がこうしてプロフィール写真を撮影する… と言う話を誰にもしませんでした。

桜が満開の週末でなければ撮れないこの写真、実はもっとうんと暗い明け方にDMJ(Didier Merah Japan)の社長でもある夫が、これまた大して高額ではないデジカメで一生懸命連写しています。

 

 

前日 3月30日 金曜日。色々な色のオーガンジーを求めて都内某所のユザワヤへ行って、一先ず目ぼしい5色のオーガンジーを購入したのですが、予想に反してパステルカラーではなく赤がベストマッチだったと言う顛末。
他の色を、私の顔と目ヂカラが完全に撥ねて押し潰してしまうので、結局私の名前の「Merah」の赤をベースカラーにまとめた写真が記事冒頭の写真。

※「Merah」はインドネシア語で「」を意味する言葉です。

 

この写真を撮影する気負いの影響なのか、実は先週水曜日の夜中から私は完全にお腹を壊してしまい、三月ラストの週は殆ど何も出来ず何も食べられず、そのまま金曜日を迎え慌ててユザワヤへ行ったりその他切らしていたお化粧品を買いにデパートに行ったり… と、フラフラになりながらも気力だけで撮影日の朝を迎えました(笑)。

その気力が「目」に、よく表れているように思います。

 

 

前日殆どお腹に何も入れない状態であっちこっち出掛けて歩き回って、結局劇的な空腹を避けられず少し足を伸ばして西国分寺の「クルミドコーヒー」でパンケーキを頂いて来ました。

 

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以前からずっと行ってみたかったのですが不運にも、私とお店の定休日が重なってしまっててなかなか行くことが出来ずに数年が経過。
「今日行かずしていつ行くの!?」と半ば強引に自分を奮い立たせながら、普段乗ったこともないような電車に乗ってゆらゆら30分ぐらい揺られて西国分寺へ🚃

 

パンケーキの周囲にはクルミがびっしり敷き詰められて、乗っているアイス左(グリーン)が「ヨモギ」のアイスクリーム、右(白)が「塩ミルク」のアイスクリーム。これは数種類のアイスクリームから自分でチョイス出来るタイプになっていて、丁度その日の気分がこんな感じだったので🍨

 

 

その後隣の国分寺まで足を伸ばして、書店でまったり小一時間。

小保方晴子日記」を買って帰宅しました。

 

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