日記まとめ 2026/09/07 ⇨ 2026/09/13

目次

・26/09/07(月)『一難去って』
・26/09/09(水)『歯ブラシを変える』
・26/09/10(木)『出詠等の見直し』──省略
・26/09/11(金)『インプット』
・26/09/12(土)「世界の雑音』
・26/09/13(日)『慌てる』
 

26/09/07(月)『一難去って』

先週の後半の事はリアルな知人が絡むことだったこともあり、日記を公開出来なかった。先方もそこそこネットリテラシーが高そうなので、きっと私の書くものを目にするだろうし。

新居をサポートして下さる人の件では色々心配なこともあるし、前提から若干ストーリーが(先方の中で)変わっているような断片を直接見聞きしたこと等も含め、話したいことが山のようにあるけど、未だ新居の箱すら無い訳だし話せることも限られる。
とは言え早めに話しておいた方が良いこともあり、あらためて茶会を催したいと考えているが‥。

そんなこんなで相方も疲れていたのか、今日の歯科検診の後の外食でいきなりお腹を下した。丁度食後のコーヒーを飲み始めたところで急に相方が体調を崩したので、会計を待たずに先に帰宅を促した。
後から私が会計を済ませて相方の背中に追い付くと、相方の顔色が酷く青い。タブ先日の件で気疲れしたのだと思う。

我が家は二人とも多眠族なので、先週後半のような睡眠不足は私も彼も正直かなりキツかった。未来のお手伝い候補の方へはその件は、早いうちに話しておいた方が良さそうだ。
反省‥。

戦争もなかなか終わらないし、円高その他の要因で株価が安定しない。よって資産がかなり目減りしていて、なかなか新居巡りにステップ出来ずに居る。
苛々しても仕方がないので、先ずは私たちの体調に良く無さそうな要因を外して行くことが先決だろう。
 

26/09/09(水)『歯ブラシを変える』

歯周病等とはとんと縁が無い‥ 等と高をくくっていた若かりし頃の自分に、もっと厳しくしておけば良かったと言う後悔‥。
過剰歯だった私はこの10年で何本も歯を抜いたり、或いは歯が抜けたりして、もう後が無いところに差し掛かっている。

先日の歯の検診でドクターに「歯ブラシのあて方が強すぎて、歯が削れていますよ。」と言われ、複雑な個所以外の歯磨きを見直すことにした。
私の歯は本っ当にふっくざつな感じになっているのでやわらかい歯ブラシだと直ぐに毛先が傷んでしまうのだけど、そこをあえて「やわらかい歯ブラシ」に一旦持ち替えてみることにした。
複雑な部分だけタフトブラシを当てて細かく磨いて、後はとことんやわらかい歯ブラシを使う。

まぁ還暦から間もなくプラス2歳になるわけで、色々とカラダが不調を訴えて来るお年頃。
とは言え最近服用を開始したオルニチンのサプリが思いのほか効いていて、行動の立ち上がりが大分早くなった気がしている。
どんだけ「しじみ」が足りてなかったのか‥(笑)🦪
 

26/09/10(木)『出詠等の見直し』

──諸事情にて記事は省略致します。
 

26/09/11(金)『インプット』

最近外側に出す文章は改行の度に最初の一マスを空けて書いていたのだけど、一先ずそれをやめてみようと思う。特に公式の文章でもない限り、見た目に改行ばかりが目に付いて文字が視界に入りづらくなるのを感じたから。
ブログも同様、ワンセンテンス毎の改行の度にマスを空けると、それだけで目がチラチラして肝心な文章の内容が飛んでしまう。

今日はインプットの日。色んな書物‥ つまり積ん読本をサクっと片付けた(笑)
栄えある積ん読本に選ばれた書籍陣には大変失礼な話しだが、時間的にもタスクの分量を考えてもこれはどうにもならない話しなのでありのまま。

‥とは言え、実は最近真剣に読んでいる書籍の話しはここではしない。ネタバレの危機感もあるし今後のコンテスト等の仕込みの件は極力漏らさない主義だから。
なので今日の日記に登場する書籍(積ん読本)は、実は二軍選手と言うことでオケ?‥😄

一番面白く読めたのは「GOAT」の紙媒体雑誌。久々に紙の感触を楽しめた雑誌だが一つだけ難点があるとすれば、文字の色が読みにくかったこと。
色インクは目に鈍く刺さる為、文字の輪郭が揺らぐから読みにくい。やっぱりインクは黒がベストだと思う。

そして先日購入した天野慶さんの歌集。って実はこれは三冊め。先の二冊は一冊めがコーヒーをこぼして大破、二冊めは引っ越しの際の行方不明で各々手放し、今回やっと三冊めを入手したけれど、此方はすでに新品が絶版らしく古書の扱いの貴重な一冊。今回こそ大切に保存したいものである。

その他積ん読本は複数冊に及ぶが、一先ずこの日記には冒頭の二冊だけを記録しておこう。
 

 

26/09/12(土)「世界の雑音』

毎週末の世界の新譜チェック‥ 今週末は散々な結果に。
単曲200曲を始めのべ870曲を視聴した結果、メインのプレイリストに足した新譜は何と11曲。歴代の悲惨結果の上位に輝きそうな散々っぷりでした。

戦争の影響でインフラがガタガタになった地域からの新譜が激減してたり、フランスからの新譜が目立って減っている。
きっと何処も音楽どころじゃないのだろう。

日本では地上波でお馴染みの芸人やタレントが、ごっそり体調不良だと言うニュースも飛び交っている。辻希美ちゃんもその一人‥?

数年前の予言が形になりそうで、正直怖い。
 

26/09/13(日)『慌てる』

かしこまった外食の度に胃痛に悩まされるコレ、いい加減やめて欲しい(笑)
呪詛とか圧の類いだと分かりきったその、アレ、やめませんか母?

念願の「モンサンミッシェル産ムール貝のワイン蒸し」をたっぷりひと皿食べて、後はいつものフルコース。
久々に満腹を堪能して帰宅‥ と、川柳『ゆに』の投句が未だだったので慌てた。

パソコンデスクに行く気力がどうにも湧かず、既にスマホに作句メモを保存しておいたのでそこから抜き出して投句完了。
Gmailをスマホから操作するとどう言う訳だか、署名欄の段差がズレるのは何故?

句には影響なさそうなので、そのまま送信完了。
バっタバタ、ヨっタヨタな日曜日の夜だった。
 

 

追記:
先週末の「世界の新譜」チェックは想定外に散々な状況だった為、サブブログ「ディディエ・メラの音楽倉庫」の更新が出来なくて、ファンの皆さま本当にごめんなさい。

note版: https://note.com/didiermerah/n/n564f76340f02

かがやき(吉田美奈子さん)

 月が変わって9月。決まっていたところに、先に出詠した諸々が順次掲載されて行く。「選」が立たないところには煙も立たない。誰からの評もない代わりにとても穏やかに物事が進んで行く。
 
 昔から「審査」だとか「選」のシステムが嫌いだった。往々にして無駄に技巧に走る人が上に立ち、表現世界よりも技巧の隅をネチネチといじくり回し始め、結果表現者の思考を徹底的に彼らはかき乱そうとする。それを楽しみとしている人が「選」に立つと、段々と流れは悪い方向へと向かい始め挙句の果てには、そもそもその企画が立ち上がった元の形を変質させて行く。多くの歌会や句会が現状、その状態になりつつあるように私には見えて仕方がない。
 
 そもそも表現を見る目とは、教養と知識、深い思慮や豊富な経験値が求められる。多くの歌会や句会等を見ているととかく承認欲求の強い人が「選」をやりたがり、自己顕示欲をむき出しにしながら参加者の頂点に他党とする姿は見ていて辛くなる。
 あなたにそれだけの審美眼がありますか?と言いたくなるのをグっと堪える代わりに、この秋からは句会や歌会、それにともなうイベントを私が選び抜かなければいけないと感じている。当然出詠数は減るだろうが、その分没句や没歌を極力抑え込む手法を磨いて行くことになるだろう。
 
 好きな選者が立たない句会には、出詠(投句)をしない。この姿勢をさらに強化することになるだろう。
 

 
 そう言えば深夜、キーボーディストの森俊之さんのCDが無事手元に到着した。聴きたかったのは吉田美奈子さんの「悲しみが停まる街」(ラスト曲)だった。最近ジャズに転向した美奈子さんの新譜をSpotifyで見つけ、勿論今回は作曲が森俊之さんではあるものの吉田美奈子さんの「節」が帰って来た。
 
 私は彼女に、SNS上ではアクセスブロックされている(笑)。自分でも理由がよく分からないのだけど、私の言動が彼女の逆鱗に触れたのだろう。そう思っている。私のこの性格と吉田美奈子さんの性格がぶつかり合えば当然起こり得ることだと分かっているので、特に恨んでも憎んでも居ない。

 私には彼女に対する揺らがぬ愛があり、彼女自身の音楽を尊敬している。美奈子さんにもきっと色んな変遷があり、多くのご苦労もあったことだろう。私が辛かったことがあるとすれば、吉田美奈子さんが一時的にでもご自身の音楽を完全に棚に仕舞ってしまったことだった。ジャズとはわたし的には「使い回しの音楽」であり、そこにオリジナリティの期待は皆無。ダラダラとミュージシャンの「回し」と言う名のアドリブが続き、それはこの世の終わり以上に退屈で体たらくだ。私はそういう「ジャズ」と言うジャンルが好きではない、その好きではないジャンルに美奈子さんが転向したことが辛かったが、先日やっと彼女の古巣とも言える彼女のバラードが聴けたことが心から嬉しかった。

 今週は色々ざわつきながらのスタートではあるが、粛々と私は私を生きて行く。
 

 
 
 記事の最後に、今月の短歌冊子うたそらに掲載されているわたくし、七澤銀河の歌/計8首のスクショを貼っておく。
 

 
同記事 note版:
https://note.com/didiermerah/n/n50b0db04afc4

日記まとめ 2026/08/16 ⇨ 2026/08/23

【26/08/16(日)『送り火』】

 あちらこちらで送り火が焚かれ、自宅のマンションの換気扇を伝って微かな火の匂いが侵入して来る。
 私はと言えば特にこの二日間は、複数の連作の作歌に集中していた。集中が一度始まるとそれは際限なく続き、途中で休息を挟むとぷつんと糸が切れるように集中力が折れてしまう。だから一度エンジンを掛けたら止められない。
 
 短歌連作の作歌は全部で三作、内二作は〆切まで余り日数が無い。夏休みだと言うのに外出も外食も全部後回しにして、朝から晩までひたすら書籍を読み音楽を聴き、合間にちょこちょこと作歌をして行く。
 今月は川柳の「或るコンテスト」へのエントリーも決めており、二句詠とは言えじっくりじっくり練って行く。

 結社の一部をお休みしようと思っていたのだが、どういうわけか堰を切ったように湧き出て来るものがあるので、結社出詠用の作歌も同時並行で進めて行く。
 全体的には好調である。

 数時間前に大文字焼きが点灯され、そして先ほど「終わったよ。」と言うメールが知人から届く。

 静寂。
 一人、又一人とお帰りになられる方々は今、何を思っているだろう。
 祈りは無休だから、私はことさら手を合わせることはしていない。形より大切なものがあることを日々感じ、日々念じて生きているので。

 いつかは私も送り火に見送られる日が来る、それまではしっかりと地に足を着けて生きて行こうではないか。
 

 
 

【26/08/17(月) 『観察と監視』】
 

 

【26/08/18(火) 『出詠三昧』】

 何となく良いことが続いているような、そんな手応えを感じる日。短歌『ゆに 8月「今月の風」ー会員作品を読む』で、励みの一票を頂いた。投句のステージを変えれば目にする人も変わり、それによって評も大きく変わる。色んなことが少しずつ開花している。
https://x.com/uni5752021/status/2089536853586358688

 併せて一気に「カクヨム」と次号の「うたそら」への出詠と一評の提出を済ませ、合間に来月出詠予定の「塔」の原稿を練って行く。合間に日々のお題への回答歌もポストし、さらにその合間に「日記のまとめ」をメインブログ「Didier Merah Blog」とnoteに同期で投げ込む。
 
(※諸事情にて日記の後半を省略します。)
 
 

【26/08/19(水)『壊れた言葉』】

 抜け殻のような一日を過ごす。昨夜複数の出詠/投句を終えて、まるで戦い直後の兵士のようなメンタルに落ちてしまった。そのタイミングで某句会に投句された他の柳人の面々のおかしな句にアテられ、気が狂いそうになった。
 
 現代川柳が悪いとは言わない。柳人によってはとても良い句を生み出しているし、美しい日本語も維持されていると思う。だが皮肉にも私が最初に参加した結社が、最近怪しい。日本語が崩壊しており、それを現代的だ‥ と勘違いしていることに気付いていない。
 現代音楽と現代川柳のネガティブは、どこか似ている。基本を踏まないらんだむ性を「現代性」と勘違いしており、その勘違いの句を結社のTopが引き続ける限り負の連鎖は止まらないだろう。そしてそれを「お洒落だ」と勘違いする後輩が後に続く。
 そろそろ引き時かもしれないと、心の声が響く。実際にそうするかどうかは分からないが、居心地の良い別の居場所にそっと移動するかもしれない。

 そんなこんなで気持ちが塞いている時に、Amazonの配送員が郵便受けではなくエントランスの台にとても大切な荷物を放置して立ち去ったとの一報。その部屋に住む人の個人名が外に漏れた形だ。保安上、とても危険な状況が起きてしまった。
 直ぐにカスタマーセンターに連絡をして、該当の営業所とドライバーにペナルティーを課すよう要求した。勿論これは正当な要求でありご丁寧にドライバーは写真を残してくれたので、その通りになるだろう。

 色々うんざりしている。
 
 

【26/08/22(土)『ベラルーシの林檎』】

 毎週末は世界の新譜チェックに追われ、Spotifyのプレイリストに良局を足して行く作業に追われる。未だサカモトリュウイチ氏がそれをやってなかった頃から私は、iTunesやYouTube等を通じて世界の良曲をセレクトして発信していた。
 今週末もその作業を継続しているものの、特に夏以降は良曲に出会わなくなった。良いなぁと思うと途中からRapが侵入し、良曲が突如ジャンクフードと入れ替わる。Rapは「ジャンク」に分類しており、それは音楽としての意味を為さなくなると私は思っている。

 人口の大幅な現象と同期して、世界から文明の一部が消えるだろう。その中には良美しい文化や文明もある筈で、私はその中の特に音楽のエレメントを選んで霊体に深くインプットし、死後に霊界に持って行くと決めている。だから毎週末の「世界の新譜チェック」が欠かせない。

 食事もそこそこにほぼ半日近くを書斎で過ごすと、当然のこと翌日~翌々日は身体が使い物にならない状況に。なので一晩か二晩は、兎に角しっかりと睡眠を取るようにしている。脳の粗熱が冷めるまで、ね。

 岸惠子さんの「ベラルーシの林檎」の中古をAmazonで購入したら、なんとサイン本だったので驚いた。大切に読まねば。
 

 
 

【26/08/23(日)『想うチカラ』】

 深夜(早朝)のけたたましい地震のサイレンで飛び起きて、かなり揺れた体感があったものの震度そのものはさほどでもなかった事に、少しだけ違和感を覚えつつ‥。

  明けて朝。りくりゅうこと三浦璃来と木原龍一婚約のニュースが世界を一周も二周もして、私も心から嬉しくなった。
 その一方でふと、頭の片隅に高橋成美選手の顔がちらつく。三浦璃来との違いは何だったのか?と一瞬考える間もなく、璃来さんのあの決断力と察知能力、それを包み込む情熱とメンタルの強さがりくりゅうをここまで引っ張って来たことを思うと、高橋成美選手は今心の半分で悔しさを噛みしめているように思えてならない。

 相手を想うチカラ。これは音楽、強いては短歌や川柳にも通じるマインドで、想いのないところには物は育たない。想いのチカラとは願望成就への意地とは異なる未来の確約の無い、もっと祈りに近い場所にある。人の多くは「祈り」と「願望成就」を同一線上に捉えているだろうから、心に「祈り」を持つ人はとても希少な存在だ。

 ふと最近の短歌や川柳に目を移す。
 勿論各々に悪意も敵意も無いことは重々承知してはいるものの、そこに並んでいるものはごく一部を除いて「想いの無いらんだむな破壊言語」の行列。そんな印象を深くした。

 昔々ヤマハJOCの時代から、私の生き方、流れ着く先は変わっていない。往々にして「様式美」の整った世界に流れ着く。
 人の棲まない場所へ行きたい訳ではなく、人が蠢く場所に間違いが多過ぎて私は呼吸困難に陥る。だから空気の澄んだ場所を求めてアクションを起こして行くとそこは誰も居ない場所だった、と言うだけで何ひとつ間違ってはいない。

 群れて生きるグループが群衆だとすれば当然、私は一匹狼のグループに属する生き物だろう。多くの人たちは一匹狼を指さす傾向にあり、きっと私も人に指を指される側の人間だ。それで構わないと思っている。

 白黒は、はっきりさせたい性格。むろんそれを相手には求めないが、グレーなタイプの人からは少しずつ遠ざかるようにしている。そのタイプの人たちは、私のメンタルを悉く引っかき回すだけの存在だと知っているから。

 居心地の良い場所を探し求めることは、家探しにもよく似ている。殆どの場合家探しは人生で一度っきりだと思うから、その意気込みは音楽活動に於いても短歌や川柳の活動に於いても共通すると思っている。

 多少の紆余曲折はあるかもしれないが、その空間に澱みを感じた時には躊躇無く移動する。
 さて来月からはどのように活動して行こうかと、少しずつタイムスケジュールを立てている。
 

【noteバージョン】
https://note.com/didiermerah/n/n5a67896a56b1

2026年7月前半の日記まとめ

【26/07/09 (木)】
或る短歌コンテストへの出詠を済ませたのが7月1日、そこからやや燃え尽き症候群のような状態に陥る。
そりゃそうでしょ、半年強温めて育てて途中何十回も推敲を重ねてようやく仕上がった50首だから。

体調不良がなかなかに長引いていて、その不調の箇所が若干嫌な場所なので精神的にオチている。
でもこういう時こそ気丈さも必要。
余り深く大袈裟に考えないことも大切なので、睡眠の力を借りて思考をリセットして行くことに決めた。

友利新さんの美容チャンネルが面白いので時々視ていると、そこで紹介されたローション等が欲しくなる。
でも顔は一つしかないわけだから、今使っているローションと美容液を一先ず使い切るまで我慢我慢。

今年に入ってからはエンビロン推しに転じた私。兎に角肌質が劇的に変わる。
レチノールが肌に合っているのだろう。
エンビロンの製品は他社製品を混ぜない方が効果が出やすいので、朝/晩にスキンケア商品を二分して使っている。
朝は主にSK-Ⅱ、夜にエンビロンその他少々。

眠る前に歌を詠まないことに決めてから、少し寝付きも良くなりつつある。
やはり歌詠みは緊張を強いられるからだろうか、眠れなくなるので、作歌や作句は朝が良い。

 

【26/07/10 (金)】
月一、歯の定期健診。歯では幼少期から悩まされ歯並びに障害を抱えている為、年々具合が悪くなる。
それでも今の担当医の粘り強さで救われている部分もあり、いつかはどうにかなることを踏まえた上で日々徹底的に磨き込んでいるので、悪いなりに成果が出ている。

担当医が私のストイックな性格を最近はよく理解してくれるので、まあまあ‥ いい感じですよと宥めてくれる。

体調不良は真っ先に歯を攻めて来るから、最近は兎に角無理はしないと決めている。
ちょっとでも不調を感じたら、直ちに布団に潜り込む。

健診の帰りに久々の空腹が訪れたので、最寄りの焼き肉店に寄って肉を焼く。
味も香りもたまらない。想定以上は食べただろうか。
ついでにケーキもお腹に放り込む。
完璧な一日であった。

 

【26/07/12 (日)】
予定していた作業の2/3を済ませたところで、残り1/3の予定を変更して川柳家/八木千代さんの「椿抄」を読み進めて行く。
最近手の感触からの読書にハマっているので、鍵ブログに同時に書写をする。

黙読、音読、そして書写。この連携で自身の中に独特の感覚が備わって行く。これは作詞も訳詞も同じで、書いてみたものが歌ってみた時に壊れてしまうことも多々あり、その残骸を拾い集めながら再構築される歌もある。
同じことが短歌や川柳にも言える。

八木千代さんの句は、先に触れた鈴木節子さんの句集とはまた違った趣きと破壊力があり、両者各々潔く美しく高貴な印象を受けた。

ここ半月程続いている体の一部の痛みが、衣服の接触によって引き起こされている可能性に付け加え、サプリメントの一部が体内でバグを引き起こしている可能性を何となく突き止める。
一先ず一時的にそのサプリの服用を止めることに決めた。

 

【26/07/14 『居ない人』】
7月13日はフランス革命記念日だが、私の過去職の同業者たちは間もなく始まる「パリ祭」のリハーサル真っ最中だ。
今年は例年になく革命記念日の当日から少し経った7月22日/7月23日に、文京区で開催されるとの話。
日本のシャンソン界を牽引して来た大御所たちは皆あちら側に旅立ち、和シャンソン二世が頂点に君臨する今のシャンソン業界には華々しさと威厳が欠けているように見える。

友人の高木椋太氏もパリ祭の常連歌手だったが、今年はあちらの世界からそっとコーラスで参加しているのだろうか。
連日私の夢枕で歌っている彼も、お盆を過ぎたら再び眠りに就くのかもしれない。それまでの短く熱い夏を存分にこちらの世界で謳歌して欲しい。

彼の為に詠んだ歌は正直何のひねりもない歌になったが、祈りとは本来そういうものだ。
直球で心を込めて世に放った。
川柳「満天の星」のweb句会、今回はスルーする予定だったが或る人のアドバイスもあり、用意しておいた歌を放流した。
此方も何のひねりもない句だが、分かる人には分かる川柳にはなっていると思う。
 

 

【26/07/16 『霊能者と歌人の両輪を動かずことについて』】
真夜中にふと火星をモチーフにした歌を詠みながら思う。
七澤銀河のプロフィールにあえて「霊能者」と「祈る人」を持ち出したことの理由について、あらためて考察する。
そういう人種を忌み嫌う人たちが一部存在することを知りながら、あえてその経歴を歌人のプロフィールに付け足すことの理由について。

私に出来ることがあるとすれば、その一つとして霊的な世界やその世界観を可視化して伝えることが挙げられるだろう。
宇宙観や心霊世界を「視る側」ではなく『視せる側」の視点で歌う短歌や川柳、そういうものがこの世に一つぐらいあってもいいのではないか?

私はあらゆる宗教を否定はしないが、その宗教の根幹に在るものは見極めるし見逃さない。
テロリストを増産している宗教にはそれなりの認識と危機意識を持たなければいけないし、表向き「緩さ」を謳っていても心臓部分には何が潜んでいるのか?等の分析も含めて、直感と理論或いは思考や分析の全輪を働かせたところに本物の霊感が初めて作動すると思っている。

この観点は絶対に外さない、だからこそ持てる視点で歌を紡ぎたい。
それは七澤銀河にしか出来ないことだと、正直自負しています。
 

 

関連記事:

https://note.com/didiermerah/n/n93192e5b1071?app_launch=false

基本と破壊、そしてジャッジメント

この頃は、短歌や川柳の作句や出詠の締め切りにかなり追われているわたくしです。当ブログの更新がなかなか進まず、申し訳ありません。

早速今週末の「世界の音楽」、新譜チェックを進めている最中ですが、最近「壊れた音楽」が異常なまでに増えた気がします。
ここで言う「壊れた音楽」とは、基本を踏まずに破壊行為に走ったものを意味します。これは短歌や現代川柳にも同じことが言えるかもしれません。
勿論現代音楽はその最たるものと言えるでしょう。様式美を逸脱したのではなく、そもそも様式も基本も無視した表現ですから、概ね冒頭に「現代〇〇」‥ と付くものに触れる時には注意が必要です。

基本を踏まずに壊れたものは、ただのガラクタだと私は思っています。ガラクタにはガラクタの価値があると言う人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。
利用価値がなくなったものを「ガラクタ」と言うのであり、この世にガラクタ同様に生み出されたものには悲壮感と絶望しか感じない、これは正常な感覚ではないでしょうか。生まれた時に既にガラクタである状態が、完成形なのですから‥。
 

 
言ってみれば、SNSはガラクタの温床と言っても過言ではないでしょう。そんなSNSにかつては私も埋没し、情報の多くをSNSで受信し、その真偽を確認することもせずに勢いにまかせてシェアや発信をし続けて居たことを思えば、人の事は言えません。
 
ですがその危険性に気付いた今だからこそ、過去からの学びを発信するのも又責任と言うものでしょう。
自身の過去の反省点は、必ずあるべき形に戻す為の回収をする、これが私のポリシーです。
 

スピリチュアルも音楽も政治も、そして短歌や川柳のみならず現代詩の世界も美術家界隈に渡る隅々までガラクタは蔓延しており、それもこれも各業界に於ける評論家が激減したことも大きな要因かもしれません。
医療業界や美容業界を見てもこれは同様で、法整備に抜け穴だらけの法や薬機法等に縛られた専門医が自由に発信出来ない反面、美容ライターのような存在が「好みと合うもの」を良品として紹介する記事を書いている状況があります。
 
勿論音楽業界でも同じことが多発しており、発信者自身の好みを問わず目の前の作品を虎視眈々と評価する行為に及んでいるようには見えない、虚実混交とも言える情報が蔓延しています。
多くの人たちは真実を知りたいと思うが余りにヒステリックに、或いは衝動的に目前の情報にうっかり同調したり反撃や罵詈雑言に及んだり、そういう状況が当たり前に私の視界に広がって行きます。
 
最近は現代川柳の句会等を頻繁に覗いてみたりもしているのですが、川柳の原点とも言える「粋さ」の無いただのダジャレの文字列合わせに奔走している柳人(川柳作家)がやたら目に付きます。
ですが彼らの多くは、それが川柳としての基本を踏んでいないことを知りません。上手に言葉を捻っておけばその句は成功だと言う勘違いをしており、そういう自称柳人(比較的若い層に多いかもしれません)が「選」を担当し、句会に出詠された多くの句に点数を付けて良質な句を捨て句に追いやって行く現象に、私はある意味失望を感じています。
 
音楽も同様、美術界隈も舞踏も皆一緒かもしれません。本物とガラクタの見分けが付かない人たちが、ふとした弾みで「プロ」や「専門家」を名乗れてしまう時代が、まさに今の悪しき状況でしょう。
 
今週末はリリースされた音楽の質が低いものが多く、各々が自力で良質な作品に出会う道筋をガラクタ作品が完全に塞いでいるように感じました。
なので私はなるべく、そのガラクタをどけた良い状態に整地した音楽環境を各プレイリストに提示しています。
自作品でもないのにここまで力を入れて活動しているには私なりの理由と、リラ星最後の巫女としての責任を感じていることの両方がその理由です。

SNSやこのブログ、そしてサブブログディディエ・メラの音楽倉庫からの進捗がなかなか捗らない現状ではありますが、水面下で私は実生活の充実と立て直し(転居等を含む)を試みている最中です。

未だ作成段階で温めている最中のPLを、下に貼っておきます。今週末の更新は終わっていないので、時々PLを覗いてみて下さい。
 


2026年 始まる

あけましておめでとうございます🐎 

今年もよろしくお願いいたします🎍
 

 
2026年元旦、私たち夫婦はイタリア料理を堪能して来ました。文字通り、神人共食の幕開けです。
昨年某自然神を介して新しく出会うことが出来た古い自然神お二柱も参加され、私たち夫婦それぞれの霊団も交えて和やかで厳かなひと時を堪能しました。
 

 
昨年末にSNSを大幅縮小したこと。
筆名「七澤銀河」で短歌詠みを再開したこと。
手の負傷が落ち着いて来た頃合いを見計らって、鍵盤練習を再開したこと。
そして何より昨年年女の2025年に、とても懇意にさせて頂いている某所で私の音楽が物理的に鳴り響いたこと、その他諸々。
振り返れば2025年は、私にとっては怪我や圧等の障害を除けばとても良い一年でした。
 
今年はどうでしょうか‥。
予想としてはかなり波乱の年になると感じていますが、私個人の歩みはとても穏やかになるものと予測しています。
 
未だ本格的なレコーディング迄には時間を要しますが、その間に新たな音のエッセンスを熟成させ、次回作では私の新しい一面を音楽に代えてお届け出来ると思っています。
 

 
より良い神人共食を堪能するには、健康面の管理は必須です。
二年前頃から若干甘いものに体が反応するようになり、特に糖質の高いフードを食した後に神経痛を発症するようになりました。
恐らく成人病の前兆と思わしき状態なので、自発的に糖分を注意深くコントロールするよう気を付けています。
 
年がら年中、神人共食をしている訳ではないので、それ以外の日は大好きな果物のジュースを徹底的にカットし、ペリエ等の無糖の炭酸水や、逆に体を温めるハーブティー等を積極的に取り入れるようにしています。
 
霊的な面では特に昨年は複数個所からの「圧」(呪詛とも言う) に見舞われ、その対応に追われたことが印象的でした。
ですが、感覚のアンテナは以前にも増して冴え渡っており、それと並行して段々と言えないことが増えて来ました。
別に誰彼構わず人の注目を集めたいわけではないので、秘密は徹底的に守りながらその隙間の情報だけを拾って当ブログ上に発信して行くことになりそうです。2026年は私の感覚の「可視化」が、さらに顕著になるものと思われます。
 
私にとっての「見える化」は逆に、人々にとっては逆の現象を指します。何を知り、何を伏せているのかと言う事自体を、人の目から遠ざけると言う、これはそういう意味です。
 

 
さて余談ですが、SNSの公式アカウントをBlueskyに決めました。⇩ ⇧

https://bsky.app/profile/didiermerah.bsky.social


XからもThreadsからも一旦半撤退し (アカウントは温存し、一旦そのまま放置します‥)、ブログやSpotifyのプレイリストの更新通知は全て上記のBlueskyより放ちます🦋
是非、Blueskyをフォローして下さい。
──尚、上記アカウントは「公式のSNS」として利用する為、質問事項以外の雑談には応じません。その旨何卒ご理解下さい。
 
日常的な言葉は別の場所に既に用意し、そこでの発信活動も再開していますが、タイムラインを見て立ち去るだけの方々へは扉を解放しないことにしました。
創作活動及び音楽評論等の著述活動を加速させ、質を向上させる為の措置であることを是非ともご了承下されば幸いです。
 

2026年も、皆さまにとって良い一年になりますよう、お祈り申し上げます🙏🏻
 

‘Eternal Pain’が意味を持つ時

私のような「祈り手」にとっては、クリスマスも平日もやることは余り変わらない。一心不乱に祈り続ける、ただそれだけである。
昨日は相方と霊質学について、一歩考察を深めることが出来た。
 
「上」と繋がると、膨大に気力と体力を消耗する。「上」と言う漠然とした単語は余り好まないが、やはりここでは「上」と言う、あえて漠然とした言葉を用いる方が適切だと感じる。
「上」にも個人情報は存在し、守らなければならない秘密も同時に在る。私がそれを守り抜く限り、「上」の存在は多くのことを語ってくれると信じている。
私はそこから得た情報を自分自身、そして夫と共にさらに考察し、噛み砕き、それをまとめて死後に神界に提出し保管する。その情報を自身の霊体にも格納し、さらにあらためて現世に立ち返って人生を再出発させる‥。
 
私の周りには既に神上がりした存在が複数在るが、私はあえてその道を選ばずに今後も何度となく此方の世界に帰って来るだろう。
 

 
かれこれ2011年の冬までの約24年間強もの間、私は毎年この時期を都心のシャンソニエやライブハウスで過ごして居た。
讃美歌を歌った時もあり、オルガン等も弾いて居た。クリスマス期間の絶頂期は概ね12月24日のクリスマス・イヴであり、翌12月25日はどこか掃き捨てられたような街並みの侘しさが苦しかった。
散々クリスマスソングを演奏し、23時半過ぎに都心を離れる際に見た光景はそれまでの楽しい時間がなかったことのように渇いて、寂しかった。
何もかもがかりそめの世界。イベントを支える職業人の性が、常に付いて回った‥。
 

私は12月25日の深夜から翌年元旦までの数日間を、いつも抜け殻のようにやり過ごして居た。
何もやる気が起きないが、高波のように押し寄せて来る仕事だけはきっちりこなして、おせち料理を買う資金を調達した。
 

今の夫と2008年に出会い、それまでの仕事を2011年の冬に全て辞めた。
和シャンソンの世界なんぞ、結局カバーソングのなれの果て。盗っ人が善人面をして、他人の作品を堂々と盗み合う業界。
「そんな業界に居たところで、まともな音楽家としては誰も扱ってはくれないよ。」と言う手厳しいアドバイスは、悔しかったけれど的を得ていた。
丁度2011年3月に大きな地震を経験し、和シャンソン業界はあのタイタニック号の如く業界ごと沈みかけていたタイミングとも重なった。そのタイミングを狙って、そしてそこに様々な要因も重なって、かなりの無礼を重ねながら私は和シャンソンの伴奏者と言う職から足を洗った。
 
スピリチュアルとか、霊的な、そしてコンタクティーとしての活動が興に乗って来たタイミングでいわゆる「荒らし」が身辺を嗅ぎ回るようにもなっていたし、丁度良いタイミングだった。
 
和シャンソン業界から撤退する時、同業者たちは口々に頓珍漢な助言を私に投げつけた。それは暴力さながらの偽善であり、それまで24年と少しの期間業界に世話になった私の胸をチクチクと痛めつけたが、私は振り返らなかった。

思えば私は、誰にも育てられては来なかった。勿論親や親族にも同様に。
食事だけは与えられたが、家庭に人権はなかった。
家族も親族も、私を排除することで団結し、それは私を除く三人の家族全員がこの世を去るまで続いた。
勿論和シャンソン業界の誰彼に、私は育てられたこともなかった。だが同業者は口々に自分が私を育てた‥ と言い、私に執拗に感謝を求めたがそれにも私は一切応じなかった。

 

元々私はジャンヌダルクであり、バッハでありファン・ジニでもあり、そして忍び‥等と色々変遷を経て来た。遠い過去ではリラ星最後の巫女であり、リラ星の自爆を見届けた最後の四人の中の一人として炎の中で星の最期に寄り添った。
 

現世、私は無事に還暦を越えて、61歳の芸術家として今を生きている。
そしてこれからも、誰よりも長く生きてこの星の行く末を見届けながら、クリエイション (宇宙の創造神) からの音楽のZipを一個一個紐解いて、新しい音楽を産み出して行くだろう。
 

2026年は大きな節目の年になり、既にのろしが上がったようだ。
どこぞの誰かが言うような、ポジティブな時代は当面訪れることはない。人類は多くの苦悩と苦痛の変遷を辿り、霊的に優れた人々がまるで何者かに選ばれるように長寿の種を手にするだろう。
だがその種がどこで、誰がこの世界にもたらすのかは今は未だ話せない。
 
 
緩い時代がそろそろ終わりを迎え、暴きと淘汰の新年が間もなく明ける。
 

Tomoharu Ushida vs Didier Merah – B Major 楽曲と表現の比較検証

ショパン国際ピアノコンクール 2025’、一次予選を通過した日本の演奏者の中で黒一点の牛田智大さんの一次予選の演奏を聴いてみる。
 

 
冒頭曲は私も大好きな『Nocturne in B major, Op. 62 No. 1』であり、さらに私/ディディエ・メラ (Didier Merah) が最も得意とするKey (調) でもある『H-dur (B Major)』の一曲だ。
大好きな曲だけにダンボの耳で演奏を聴き進めて行くが、‥どこか牛田の演奏の中に汗臭さと労働もしくは体育会系の気配がチラチラとするので、集中力が維持出来ない。
 
この曲自体がそこはかとなく西洋音楽以外に、中東~アラビックなモードが立ち込める構成になっており、その意味でもショパンの中では珍しく『モード音楽』の様相を呈しているのではないだろうか。
その肝心要のモードの部分 (動画 6:58~7:10付近) のパッセージがいとも簡単なスケールやアルペジオと言った解釈で、ただ、粒を揃えているだけのつまらない表現になっていて、個人的にはかなりの残念ポイントだと言わざるを得ない。

まぁこれはピアノ競技の審査会であるわけだから、表現よりもミスタッチの有無や演奏者の正確性の密度だったりスタミナだったり、言ってみれば表現解釈度外視でも運動性に依存した演奏解釈の方が審査員の印象が良いのかもしれない‥ としても、果たしてショパン本人がそれを目論んでこの楽曲を生み出したのかと言われると、巫女体質の私としては『多分違うと思いますよ。』と回答せざるを得ない。
 
 

 
2曲目『Etude in C major, Op. 10 No. 1』については特に述べることもなく、普通に音大生が演奏するレッスンのエチュードと言う以外に何のインパクトもなし。
 

次いで3曲目『Waltz in A flat major, Op. 42』に関しては、野球に例えれば『2アウト/2ストライク/3ボール』の見せ場を迎えている状況に近いだろう。
ショパン好きの私としては、ショパンと言えば『天上界の音楽を生み出し奏でた作曲家』だと言いたい。だが、牛田のこの表情はまさしくスポーツで言うところの『もう後がない』状態のそれであり、わざわざこの表情を抜き取ったTVのADさん‥ 『グッジョブ!!』と言いたい心境だ(笑)。

各パッセージは確かに正確で粒は揃っているが、表現に到達出来ていない。これだったらむしろ、自動演奏で十分だ。下手にヒトの顔が無い分、音楽に集中させてくれるに違いない🤖
 

 
さて4曲目『Barcarolle in F sharp major, Op. 60』、此方も私が大好きで得意とする『H-dur (B Major)』の曲で攻めて来る。途中何度か6度の和音のアルペジオの箇所が現れるが、その6度の最も官能的な響きを単純にスポーツ的な解釈であっさり通過して行きやがった牛田選手(笑)⚾

ほぼ全てのパッセージが『俺、ミスなく正確に弾いていますよ』とでも言わんばかりの、正真正銘のただの運動性依存の演奏に終始している。
確かに審査員にとっては遠目でも分かりやすいだろうが、これはショパンでも何でもない。
途中の転調 (19:31~付近) に至る最もショパンらしさが書かれている筈の箇所も、まるで階段を上り下りするリハビリみたいに通過して行く‥。
もうたまったものじゃ~ない。
 

ここで少しだけ動画を止めて、私/Didier Merahがショパンをオマージュして作って配信したアルバムEdenの冒頭曲、Happinessに移動して試聴してみる。
この作品も、私が大好きな『H-dur (B Major)』の楽曲だ。
 

 
先ずこの作品は ベーゼンドルファー (Bösendorfer) の音源を用いて、即興演奏の手法で演奏されている。
ベーゼンドルファーは残響に特徴があり、その特徴である残響の効果を存分に発揮させるには、楽曲のテンポをうんと落とす必要が絶対的に生じる。
私は実際に都内各所でベーゼンドルファーの生楽器を演奏しているが、それらのどの楽器もかなりのじゃじゃ馬気質を持っており、特に高速のパッセージの速度を間違うと残響が濁ってしまうのが悩みの種だった。
 

Happinessの作曲を開始する上で重要だったのは、『60歳のショパン、もしくはそれ以後の覚醒したショパン』をオーパーツとして再現することだった。
既に亡くなったフレデリック・ショパンの御霊と何度も交信を重ね、完成したのがこの作品であり、この曲は完全に一発録音の即興演奏で収録している。
 
ことさら比較するまでもないが、Didier Merah (ディディエ・メラ) のHappinessが「覚醒後のショパン」だとしたら、既存のショパンの楽曲は「未覚醒のショパン」と言い替えても良いだろう。
未覚醒のショパンをどんなに丹精込めて演奏したとしても、そもそも楽曲自体の熟成が為されていない以上それを極限の状態で誰が再演したとしても、『それなり』以上の出来栄えにならなくても致し方ないと言えそうだ。
 

クラシック音楽の起承転結は、私から言わせて頂ければ「不要」な箇所である。
覚醒した魂には普遍性がともない、ヒトが思うエモーションは徹底的に弾き飛ばされる。ショパンが目指していたのはその世界観であり、それゆえに「天上界の音色」を日夜彼は追い求め続けたと言える。
選手/ 牛田智大は日本国内では既にプロの演奏家として活動しており、多くのリスナーを抱え込んだ状態での今回のショパン国際ピアノコンクール 2025’へのエントリーである。勿論運営サイドも、既にファンを獲得しているこういった出場者には期待を寄せるだろうし、そこそこ演奏技術を兼ね備えていればある程度の点数を叩き出して行くと思われる。
 

クラシック音楽が芸術を踏み越えて「商品」になることは絶対にあってはならないと、私は考える。だが、多くの既存のクラシック音楽関係者等には、その観点がない。
いかに見栄え良く、いかに稼ぎいかに集客を達成し、いかに食って行けるか‥。その技能を持つ人材を、クラシック音楽関係者等は血眼になって探しているに違いない。
その観点で言えば、男性演奏者で尚且つ日本国内に多くのリスナーを抱え込んでいる (半分以上は事務所の采配) 牛田選手が、今後同コンクールで上位に食い込んで来る可能性は否定出来ないが、彼が表現者になることは未来永劫ないだろう‥ と、先に予言しておきたい。
 

 

最後に付け加えるならば、既存のクラシック音楽の、特にピアノ曲のミックスのエフェクトがからっからに乾いてしまっている点が残念だ。

レコーディングされた音源のエフェクトが乾き切った肌みたいにかさついているから、多くのクラシック音楽のリスナーは『やっぱり生演奏がいいよね。』と勘違いするのも頷けるが、これはミックスとマスタリングの技術と感性の致命的な欠落が原因だと思われる。
何故実際の会場に近い環境の、もっと深いエフェクトを掛けてミックスしないのかと、常々疑問に感じている。
その観点から、クラシック音楽の生演奏が突出して優れている訳ではない‥ と言う点は最後にお伝えして、この記事を締めくくりたいと思う。

Info. (固定記事用)

おすすめ

氏名: Didier Merah (ディディエ・メラ)
職業: 芸術家, 作曲家, 音楽評論家, 企業戦略アドバイザー、預言者, コンタクティー, テレパシスト 他。祈る人
音楽家/ 芸術家としてこの星の転生した、リラ星最後の巫女。

芸術家 Didier Merahとして活動。ネット配信を主軸とし、自作曲を多数配信。
自身のポリシーによりコンサートやライブ活動は一切行っていませんが、近い将来生演奏の機会が訪れるかもしれません。
数年以内に自作曲をまとめた楽譜を出版する予定あり。書き譜曲の出版も予定しています。
 

コンタクティーとしては主にプレアデス星人やグレイ星人達と、交流を深めています。コンタクトの過程で知り得た情報は非公開だが、文字の代わりに音楽で預言を多数残しています。
Spotify/ 各サブスク~YouTubeのアーティストチャンネルより、私の音楽を辿って下さい。

YouTube: https://www.youtube.com/@Didier-merahJp
Spotify: https://open.spotify.com/intl-ja/artist/6bOxfoX8SPLsgRYFAVRlbQ?si=g3fFX0ueRFC632SXBhh0Hw
YouTube Music: https://music.youtube.com/channel/UCZGzoyz82MP6QKhpV8oFnrg?si=QriCpKH80ouGUGpq

 

ディディエ・メラへのお仕事依頼は、info@didier-merah.jp 迄お寄せ下さい。
仕事内容はラジオ番組等の「選曲」を始め、音楽評論、コラムやライナーノートの執筆等多岐に渡ります。
尚、飲食店舗用のプレイリストの作成にも応じます。プレイリスト作成価格に関しましては、メンテナンス等を含み月額制とします。
各ご相談は上記メールアドレス迄お寄せ下さい。

『X』のメインアカウントが凍結された為、現在稼働中のSNSは、以下になります 。(Facebookは連絡用に稼働しており、現在投稿は停止中。)

Threads: https://www.threads.com/@didiermerah
note: https://note.com/didiermerah
Facebook: https://www.facebook.com/didier.merah.2019

 

岩戸が開く時

直感に勝るものはない。特に私の場合はいつも、それを痛感する。

『建御雷神 (タケミカヅチ)』と知り合ったのは、前職で茨城県の海沿いのホテルのディナーショーでタンゴの伴奏を務めた時だった。
建御雷神が激しく、尚且つ少しハードボイルドな音楽を好まれるとは私もつゆ知らず、リハーサル中から鎧全体で地面を踏み鳴らすような音が会場全体に木魂した時は興奮したし、驚いた。あの日の歌手も霊感はないとは言え、流石に彼の足音には気が付いたらしく、ブルブル震えながらマイクを握りしめる手が汗ばんでいた。
 

古代の森の精霊等との共作として私は、『Ancient Forest』を配信している。丁度あれは3.11大地震の直前だった。
 


そしてこの作品が生まれる経緯については今日、正式にはここで初めて話すことだが、2015年1月30日にイスラーム過激派 ISILに殺害された後藤健二氏の御霊を思いながら作曲した曲が、『Vesper』だ。
この曲は私のアルバムWheel of Fortuneに収録されている。
 


他にも私は神々や死後の御霊等と交信しながら、多くの楽曲を生み出し、そして自ら演奏して配信して来た。
そんな大切な私の子供たちとも言える楽曲を、近々生のピアノで演奏する時が来るのを感じている‥。
 

私は大の人間嫌いだ。私が接近すると、皆壊れて行く。
彼らになくて私にだけあるものを皆、欲しがる。あいにく私は見た目が不美人なので、殆どの普通の人たちは私が「リラ星最後の巫女」だと言うことにも、私が持つ特異な人脈や人間関係のことを信じない。皆勝手に、そして頑固なまでに、私の見た目なりの低い評価を課して、ルックダウンに執着する。
 

だが少し話せば私が、他の人とは全く違う人間だと言うことを多くの場合感じるようだ。その途端、そこに居合わせた人の多くが壊れて行く。
なので私は前職を退いてから今日までの長い時間、人前で全く演奏しなくなった。だが、そんな引き籠りの私を外側に連れ出そうとしているのは、皮肉にもこれまで私の創作活動や人生そのものを支え、助けてくれた神々等だ。
 

私の生演奏が何をもたらし、どんな変化を起こして行くのか、神々は既に知っているらしい。

ならば、何を演奏すれば良いのか。しかもどんな場所で?‥
今は未だ何も分からない。なので大曲ではなく、コンパクトな楽曲を選んで、或いは大曲を少し小品に編曲し直しておかなければいけないと思い、この一週間でセトリを作る予定だ。
 

怪我 (ばね指が何度も再発して) で暫く練習を休まなければいけない期間が長引いたが、ようやくサポーターなしでもトレーニングが出来る状態に体も整って来た。
だが如何せん、数年前と比べると感性がかなり変化している。そもそもテンポの速い楽曲は得意ではなかったが、さらに減速の度合いが増している。

だが、それが今の私。よく言う「巨匠の速度」だと自分自身に言い聞かせながら暫し、生演奏のその時の為に楽曲を温めて行きたいと考えている。