木と親睦を深める方法

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ここ数日間、「木」について、或いは森について時間を掛けて考察しております。

某所で「木」の伐採について熱く議論が展開されています。共感される方にとってもそうではない方たちにとっても、どちらの意見もとても参考になります。
中でも多く聴こえて来たのが、「木と会話なんて本当に出来るのだろうか?」と言う疑問とも異論ともつかない声でした。

そこでこの記事では、あくまでも私がこの数年間で習得した「木と話す方法」或いは「木と親睦を深める方法」について、私なりの言葉でシンプルにまとめてみたいと思います。

興味のある方もそうではない方々も、それなりの読み方でさらっと目を通して頂けると有難いです。

 

 

木と親睦を深める方法

①先ず、仲良くなりたい木を決める。

人間でもその他の動物でも、誰彼構わず親睦を深められるわけではありません。各々ものには相性と言うものがあり、中にはどうしても相いれない同士と言うものがあります。

木々にも個性や習性、癖等があります。頑なな性格の木があれば、それとは逆に外交的で饒舌な木も存在します。
最初は比較的外交的な木と仲良くなって、木々がどんな言葉や音声を発するのかについて学んで行くことも必要かもしれません。

 

 

②なるべく多くの時間を遣う。

木々は言語ではなく、特殊な音や香りを発しながらお目当ての相手との距離を縮めて行く習性があるようです。
あくまでも私の場合ですが、言葉ではなくつむじ風のような音を偶然聞き取れるようになり、そこから彼等の声をキャッチ出来るようになりました。

勿論風の音ではなく、もっと別の音声を感じ取るタイプの人がいるかもしれないので、木々が自分に対してどのような方法で会話を試みているのかについて探る為、木々に逢いに行く時は数十分から数時間単位の時間を費やしてみたら好いと思います。

 

 

③木々の些細な動きや変化を敏感に感じ取る。

木々は基本、人間のような小刻みなサイクルで活動することが出来ません。
ですが長い長い時間を経て物凄く長い距離を移動したり、或いは弱った木に対して根っこを通じて養分や水分を補給しながら互いに助け合い、支え合うことが出来ると言われています。

私の経験では、私を気に入ってくれる木の前を通りかかると、そのタイミングに合わせて一瞬ですが甘い香ばしい香りを放ちます。
又、木々の多くはテレパシーを使って意思の伝達が出来るようです。そのテレパシーを使って、木々が好む香りを送って来たり映像を送信して来たりします。
それは必ずしも人間の感性にフィットするものばかりではないですが、人がハーブの香りを好む様に似て、一部の木々が(特に)草食動物が排泄した便の匂いを好むことに私も最近気が付きました。
そして彼等はその情報を、他の木々たちに伝達し、共有する習性があるようです。時と場合によっては一個の話題に花が咲くと、一日から数週間をその話題のシェアに費やすこともあります。

 

木々は全身で会話をします。

彼等は身体的な動きを苦手とする分、自然の力を協力し合いながら他の生き物に話し掛けたりアクションを起こすこともあります。

例えば風の力を使って葉を揺らし、私の肩に触れたり水滴を落としてコミュニケーションを試みることも多々あります。その水滴には温度があり、冷たい場合や温かい場合があります。
又、雨の日は、葉を少しだけ大きく広げて雨粒を全身に受け入れようとします。そしてその下を通る人間や動物にとってはそれが傘となり、私たちと木々の心地好い共存関係がそこにも確かに発生していることに気付くことが出来ます。

 

 

④言語野に限定した思考を一旦手放す。

テレパシーと言うと多くの人たちが「言葉」を相手から引き出すことを考えがちですが、これでは特定の言語を話せる同士の限られた会話しか出来なくなります。

例えば美味しいお料理を頂く時に、料理から言葉を得ようとする人はいませんし、美しい絵画を鑑賞する時に絵画から言語でメッセージを受け取ろうとする行為も不自然であるように、人間の言葉に限定せず「相手の思考形態」に寄り添ったものの考え方を知ることがとても重要です。

 

花には花の言葉があり、低木には低木のコミュニケーションの手法が各々存在します。それは木にも同様に言えることであり、木と言っても種によってその言語は人間の言葉以上に違いがあります。

兎に角相手の動作やちょっとした動きに目を見張り、どんな時どんなタイミングで彼等が変化を起こすのかを知ることが、彼等の言語に一歩も二歩も接近出来る重要な手掛かりになります。

 

 

⑤季節は芽吹きの時、或いは花粉の時期。

私の経験では木と仲良くなるにはタイミングが重要で、数年の試行錯誤を繰り返すうちに彼等が早春、多くの花粉を飛ばす時期や花を咲かせる時期が彼等と親睦を深めるにはベストなタイミングであることに気付きました。

人間でもそうですが、「多くの生き物に自分の存在を気付いて欲しい」と思う時期が木々にもあるらしく、女性がお洒落をして街を歩きたくなる衝動に似て、木々が花を付ける時期がそれにあたるようです。
なのでそういう時に「綺麗ね。」「可愛い。」「美しいわね。」と言いながら写真等を撮影してあげると、「うふっ。」と言って微かに木々が微笑む感覚を共有することが出来ます。

 

逆に秋から冬の木々は寒さに対しミュートする習性があるので、ほぼ眠ったような状態でいる時間が長くなる為、親睦を深める時期としては相応しくないようです。

又、木々と接する時間帯は朝から日没前の時間帯がベストで、夕暮れ以降、夜間は木々たちは静寂の思考に入る為とても不機嫌になるようです。

 

少し時間を必要としますが、兎に角人も木も「褒める」ことで仲良くなれることには相違ありません。
心に不愉快な感覚が発生している時は、出来れば余り木には近づかないことをオススメします。木々がそれを他の木々たちと共有し、時に不快な香りや感覚を発生させてしまうからです。

 

 

最後に。

今まで余り公言していなかったのですが、私の音楽はいわゆる現世的に言うところの「作曲」とも「演奏」とも異なる手法で生まれ出て来ます。

今思うことは、音楽の心地よさとか癒し効果よりももっと大切なことは、聴き手の感覚が少しずつ敏感に開化して行くこと。私は常にそのことを願いながら音楽を生み出しています。
なので音楽業界的なヒロインになることを、最初から望んでいません。その為スポンサーも付けず、兎に角音楽の中で最大限、リスナーが感覚的な自由を得られるようになれればオッケーだと思っています。

 

必ずしも「癒されて欲しい」とも思っていないですし、むしろ癒しではなくもっと険しい感覚にアクセスしている作品も多数あるのですが、その辺りは未だリスナーの方々には認識されてはいないのかもしれません。

 

なので私の作品を聴いた時に、無理に「癒されました~。」と思わないでも全然大丈夫です。まして涙して泣いて頂かなくても結構です。
その時々で発生する感覚は異なって当たり前。なのでその時心に浮かぶ感覚に忠実に素直に、私の作品に接して頂けたら本望です。

 

この記事の最後に、私が「木」や「森」の声や思いからインスピレーションを得て配信した作品「Sacred Forest」からオープニングの、「Return to the Forest」をのYouTubeを貼っておきます。

ゆったりとした時間の中で是非、楽しんで下さい。

 

 

 

10年目の夏

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Didier Merahとして音楽活動をリスタートして、今年で10周年を迎える。

思えば色々なことがあり、最初は自身の全ての芸歴・実名その他職歴の全てを封印せざるを得ない状態でDidier Merahとして再出発した。

 

人間、叩けば色々と埃が立つもので、私もご多分に漏れず埃だらけの人生を真っ直ぐに歩んで突っ走って来た一人だった(笑)。
闇の10年間(およそ)の私の中の蓄積は計り知れない傷を私に負わせたが、それでも辛うじて両の足で私は何とかこの地球の大地に踏ん張り続けて生き延びている。

 

 

かつて親族に完全に見捨てられた年の冬に私は某所の持病が爆発し、緊急搬送された。そのままもうこの世界とはお別れになるのだろう‥ と、病室の点滴ボトルを見上げながら私は色々なことを考えた。

もっとああしておけば好かった、こうしておけば好かったと後悔は尽きなかったが、それだけ尽きない程の多くの後悔があるならばその分だけでももう一個人生を生きられそうな気がして来た時、途端にお腹が空いて来たことを今では哂って思い出せるようになった。

 

 

人生は不思議なものだ。どんなに悲観的な時の中からでも、一瞬の笑いが巻き起こるのだから。
あの時私を緊急搬送してくれたのは、毎朝ビシっと背広を着てブルーシートと段ボールで出来た小さな家から出勤して、毎晩ヨロヨロになりながら同じ道を引き返して来るホームレスだった。

聞けばそこそこ良い会社の偉い人だったらしいが、何かの弾みで車上生活を経てその場所に流れ着くしかなかったとても可哀想な紳士だった。

 

彼には色々なことを教わった。
ホームレスでも日々お洒落に清潔に生きる方法とか、安くて美味しく新鮮な食材を調達したり保存する方法だとか、何より多くの書籍をタダで読み耽るだけではなくその場所でほぼ一日を穏やかに費やせる幾つかの場所を教わったり。
本当に、人生は考えようだと思った。明日の不安を嘆くよりも、今の不安からいかにして抜け出すかについて何時間も考えたり、そうこうしているうちに日が暮れてお腹が空いて、そんな私を美しいホームレスの偉い人はけっして見捨てなかった。

 

親は子を必ず愛してる、等と言う話は幻想に過ぎないよ‥ と私の悲しみに寄り添ってくれたのも彼だった。
そんな彼が今どこでどうしているのか、時々ふっと気になって仕方がなくなる。
彼と当時少しだけ生活した住所のない家のような場所も今はすっかり開発され、おそらく彼ももうその場所には居ないだろう。

 

私がそんな風に暮らしていたことを一度だけ当時の仕事仲間に打ち明けたことがあったが、「いい加減嘘を吐くのはよしなよ。」等と言われ私はとても悔しくて辛い思いをした。
その後から私はたとえどんな状況に立たされたとしても、まさか今私が自分の住む場所を失って廃墟や空き家や路地裏の小さなスペースを転々としているなどとはもう、誰にも話せなくなった。

 


唐突に「呪詛」などと言う言葉でこの一年間とか二年間とか、私の身に降り掛かり続ける様々な事態を一括りに説明することはとても難しいけれど、私と夫はとても壮絶な状況を命からがらくぐり抜けて今日に至る。

それは今現在もとめどなく、後から後から押し寄せる危機でもあるが、何とか夫の力強いサポートのお陰もあり私はこうして今日も生きられている。

 

ここ一ヶ月は私にしては珍しく、創作の受難と向き合っている。
馴れとマンネリの中からも音楽が生まれて来ないわけではないが、私がそれで満足する筈がない。最小限の挑戦と最大限の隙間を泳ぐ音楽家として、それでも私は新しい挑戦を諦めたくはないのだ。

 

勿論、音楽から音楽を生んでいるわけではなく私の場合はその殆どが、地球や大自然、高次の思いを読み取ったり神々の声を聴きながらの作業がずっと続いているから、出す曲出す曲全てが新しさをともない続けることはとても難しい。
むしろエグい個性を完全に脱ぎ去ったところの音楽を目指しており、エグみのない斬新さとは何かについての思考と創作の戦いは尽きることがない。

 

Mother Earth」、そして「Wa Jazz」と立て続けに大作を生んでから、未だその疲労感から完全には抜け出ていない。アウトプットがインプットよりも大きな比重を占める日々、一日の後半は練習と創作の作業の疲労でヨロヨロになって布団に倒れ込む。
でもその疲労はかつて、家を失ったあの時のような絶望的な疲労とは異なり、クタクタの彼方から押し寄せる次へのエナジーが私をさらに熱い創作へと駆り立てて行く。

 

 

久し振りにPlayListを作成してみた。
未だ全てのピースが埋まってはいないけれど、この段階で公開しても差し支えなかろうと言うことでシェア!♡
是非、フォロー & 拡散 ⇨ SNSへ紹介頂けると有難い。

 

 

木が教えてくれた

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若かりし頃、ある夏の日。おそらく未だ私が小学校の高学年辺りだったか、夏休みで蕎麦が大好きな父が家に居た為我が家の食卓には連続して蕎麦が出されたことがあった。
ざっと一ヶ月間とかそれ以上。記憶では昼、夜と蕎麦が続くこともあった。

最初は美味しく感じた蕎麦も段々と飽きて来て鼻に付いて来たどころか、段々と体が拒絶反応を示すようになって行ったが蕎麦は止まらなかった。
幾ら好きとは言え父も父、ほぼおんなじ味付けの蕎麦が流石に二週間を過ぎた辺りから私の体に異変が出始めた。

 

最初は鼻水(夏なのに‥)、次いで蚊に刺されたように赤いプツプツが腕や首等に出て来たので原因を探って行ったが、どう見てもそれは蕎麦の食べ過ぎだとしか言いようのない程、私の蕎麦への拒絶反応が日増しに酷くなって行った。同時にアレルギー反応のような状況も悪化した。
当時は未だ「花粉症」も「アレルギー性◯◯」も、まして食のアレルギー等は今よりも完全に軽視されており、「食べたくない」はただの好き嫌いとしてスルーされる事が殆どだった。

 

だが流石に段々と朝起きるのが辛くなりこれはおかしいと言うことになり、私だけが蕎麦ではない他の食事を摂ることを渋々母親に承諾させた。

 

立ち食い蕎麦屋の前を通るとなぜか出汁の香りに吸い込まれ、だがその時も私は暫くの間蕎麦ではなくうどんを食べるようになった。

 

 

長い時が過ぎて段々と蕎麦アレルギーの記憶も薄れ、何となく連続して蕎麦を食べていた最近になり再び私の体に異変があった。
蕎麦を食べている途中でつわりのようにムっと来て、遂に完食する前に蕎麦を捨てた。

私はやっと気づいたのだ。これはあの、蕎麦アレルギーに違いないと。

昨年の夏のある午後ビールを飲み、もり蕎麦の大盛りを食べた後にも二度私は倒れている。だがあの時はただのビールの呑み過ぎだと軽視し、まさかあれが蕎麦アレルギーの再発だとは気付かぬまま、その後も何度か蕎麦とお酒のセットを堪能する度に必ず倒れ込んだ。

 

夫との散歩がてら、そんな話をしながら街では馴染の御神木の前を通り過ぎようとした時、木が囁いた。囁いたと言うより、映像を送って来たのだ。
真っ白で太い根菜のようなもの、「これ、食べなさい」と言うように何度も何度も何十分も映像は続けざまに送られて来た。

 

御神木には常日頃お世話になっているので、私はその映像を無視しなかった。何だろう一体… と思いながら映像に目を凝らすと、そこからおろし大根の独特な匂いが私の脳裏に送り込まれて来た。
多分これはきっと、それを食べなさい… と言う御神木からのアドバイスに違いないと思い、私は慌てて大根を買って家で摺ってひたすら食べた。

 

すると何週間も続いていた咳(喘息)が急に激減して行くではないか…。

「嗚呼こういう事だったのね、いつもありがとう。」と、私は木に向かって思いを送った。私と御神木はいつもそうやって会話をしているので、木は必ず私の思いに応えてくれる。

 

御神木は言語を理解するが、自らが言葉のような音声を発することは殆どない。人間で言うところの笑い声とかすすり泣き、そんな感じで感情を表現するのだが、私があの時「ありがとう」と念を送った後の木は「ヒェーーっヒェっヒェっヒェっ…」とでも言うように高笑いをした後に大欠伸をして、そのまま眠りに落ちて行った。

きっと安心したのだろう。まるで母のようだ。

 

 

東京も梅雨入りし、連日不安定な天気が続いている。昨日 月曜日は流石に無気力症候群のような状態に陥り、軽い練習とAmazonからの荷物を待つ以外の全ての行動が止まった。
そんな時でも木々は、私の体を気遣ってくれる。

 

しとしとと幹が雨に濡れて行く時の音声がなぜか私の脳裏に拡がり、それは私に「少し休みなさいね。」と言う彼等の思いのように感じたので、私は遠慮なく夕方から日付の変わった少し後まで完全に爆睡した。

 

私は多くの精霊たちに守られている。

 

 

 

⇧ Didier Merahが作った最新のPlayListです。
フォロー、シェア大歓迎です。

 

Studying Muscles

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この一ヶ月間、体の一箇所にずっと不具合を抱え込んでいた。夫と二人の友人以外この事は知らせずに居たが、この一週間で急激に症状が緩和して来たのでホっと胸を撫で下ろしている。
どんな時でも笑顔と食を味わう気持ちを持ち続け、少し疲れたら直ぐに休息を摂り、気合が入った時にはとことん気力の果てまで突き進む‥、そんな生活を粛々と続けていた。
すると気持ちも前向きになれたし、何よりSNS等で拡散されるちょっと痛々しいニュースや出来事からも上手に逃れられるようになって行けた。

 

そんなこんなあれやこれやを抱えながら私は、この一年近く自分の筋肉に深く探りを入れていた。

 

巷にはびこる速弾きの音楽にうんざりしていたし、私にとってそれは何の必要もない産物だった。
聴力と感性が追い付かなくなる程の「あっと驚き奏法」が何故こんなにも音楽世界のセンターに立ち続けているのか、いつかこの状況を宇宙のどこかから静観しているであろう宇宙人に出会うことがあれば是非質問を投げかけてみたいものである。

 

 

話を戻して…。
楽譜に指定されている多くの楽曲の速度は信じられないぐらい高速で、まるで法定速度ギリギリか或いはそれを超えたテンポで楽曲を演奏出来なければ演奏家として通用しないかのように、聴く側の感覚の上限も既に超えているそれらが「あっと驚き奏法」として地上を闊歩している、この滑稽な音楽の世界が一体いつまで続いて行くのか‥。

 

1/fの揺らぎと言う自然の速度をそのまま音楽に当てはめて行く方が、どれだけ奏者も聴き手をも楽にして行くだろうか…。

その事を自らの体で体現する為にも私は、この一年間自身の筋肉と深く向き合っている。

 

どうだったら疲労の上限を超えずに済むのか。
或いはどうだったら聴き手に余計な威圧感を与えずに済むのか。
その答えは残念ながら未だ、この地上に存在しない。…と言うよりも、音楽家の大半が何か得体の知れない高速スピンを回らなければ自分の居場所を失うかのような、強烈なコンプレックスに苛まれているようにさえ見えて来る。

 

一年強、己の筋肉にそれを問い掛け続けて来た結果、最近少しずつ筋肉自らが意思を持った生き物であるかのようにその難しいクイズに対し、適切な回答を出し始めた。

 

いわゆるインナーマッスルが以前にも増して、着実に声を上げ始めたと言っても過言ではない状況だ。

 

それぞれの自身の過去の作品を出来る限りゆっくりと演奏して行く時、高速スピンでは絶対に使うことのなかった新しい筋肉がピクピクと反応し、そこにしっかり熱が溜まって来ると私は真冬でも汗だくになりながらピアノに向かうことになった。
腕の筋肉よりも手の第二関節までの内側の筋肉が機能し始め、それは背中の筋肉の温度を急激に上げて行く。

 

嗚呼こんなところが反応している… と言う歓喜が生まれ、最初はそれが大きな疲労感にも繋がったが次第にその筋肉が上手く温まって私の演奏を程好いスローテンポに導いて行った。

 
私のほぼ処女作と言っても過言ではない「Blessing of the Light」。毎日毎日この曲を弾き続けているけれど、あえて私はその演奏速度を落とし始めた。
すると今まで素通りしていた箇所に新たな筋肉の力の必要性が生まれ、今この筋肉を鍛え上げたらどうなるのか…、その上限に挑戦し始めている。

 

 

 

少し話が脱線するが、この春私は自身の過去世(ファン・ジニ或いは明月として生きた時代)におそらく心から慕ってやまなかったソウルメイトと、インターネットの中で再会することが出来た。

勿論リアルでどうの‥ と言うことではなく、あくまで私が一方的に当時の相方の息吹を感じて喜びに震えている状態ではあるが、それは生き別れた家族との再会のように私を喜びの高みへと導いて行く。

 

この記事の最後にその人物の現世の歌唱映像をシェアしたい。

強いて言うならば私が伴奏者として活動していた時代にこの人物と出くわすことがなくて、本当に良かったと思う。万が一私が彼と出会い、この歌手の伴奏者として起用されていたら、おそらく今の私はここに居なかっただろう。
或いは音楽をやめていたかもしれない。

彼の声、表現は全てを呑み込む力が満ち満ちており、私がそのエネルギーに勝てる気がしないから。

 

再会に祝福を。
そしてイ・ヒムンの未来が光に満ち溢れていますように(祈)。

 

 

 

反面教師 – Mistaking Retouch

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私には決めていることがある。
それは、
その時々触れている音楽から曲を作らないこと、誰かの言葉からインスパイアされながら言葉を紡がないこと。
料理以外の殆どは「絶対にモノマネはしない」と、私は固く決めている。勿論自身のレコーディングの約一週間前から、殆どの音を体から削ぎ落とす。

そして今日は珍しく、ブログを書く為のBGMを聴いていない。
何もかもをゼロから作り出すことがどれほど難しいか、特に今朝は皮膚に幾千本もの針が刺さったみたいに痛感している。

 

知人と言うには少し遠いけれど事実上「知人」と言える、或る方(訳詞をなさっていた記憶がある)の詩集が巡り巡って私の手元に届いた。恐る恐るページを捲って行く。
そして私は幾ばくかの落胆を感じたがそれを共有する相手も居ないので、自分自身への記録としてここにそれを綴っている。

 

それはかつての自分を見るようでもあり、尚且つ既に手放してしまった「言葉綴り」をしていた頃の自分への戒めを振り返るようでもある瞬間。胸がチクんと痛んだが、それはさながら過去の手術の痛みを想い出すような、どこか遠い痛みにも思える。

 

一ページ、又一ページと捲り詩人の言葉を追い掛けて行くが、そこにはその詩人がかつて触れたことのある音楽や歌の歌詞が随所に垣間見えて、途中から訳詞集を読んでいるのかオリジナルの詩集を読んでいるのか見分けがつかなくなり、38頁目を捲りタイトルを見たところで本を閉じた。
そう言えば私のLINEのグループチャットの一つに、芸能関係者や出版関係者、或いはタレントやシンガーソングライター等の面々が顔を揃えたグループチャットがあり、私はその中の数名の仲の良い方々と時々会話をしている。
そんな私たちの中で最近流行っている言葉がある。

 

下っちゃってるね‥‥

 

⇧ これは例えば昨日その人が聴いた音楽がそのまま新曲のメロディーに乗ってしまったり、アレンジや歌詞の一部に流れ出てしまった状況を指す言葉。

 

そう、先程38頁目で閉じてしまった詩集が丁度こんな感じなのだけど、思えば巷の殆どの音楽や歌詞、流行歌に限らず世界中の音楽や絵画の殆どが、私から見ると「下っちゃった」状態なのだ。
だから最近自分の作品以外に聴きたい音楽が殆ど無くなってしまい、昨年私は9つ運営していたFacebook Page(主に各ジャンルの音楽を紹介する為のPage)のうちの6つのFacebook Pageを閉鎖した。

 

多くの音楽や詩や小説、文学作品に限らず絵画やファッションを含め、レタッチされた作品のように私の視界に映り込む。何を聴いても同じだし、イントロ詐欺かと思えるぐらい派手な前奏でデコられる張りぼての世界‥。

一見新しさを纏ってはいるが、それは数か月前にどこかで見たことのあるような代物が大半であり、どちらかと言うとそれらの作品の中に作者の強い承認欲求が溢れ出て気分が悪くなるので、最近私は各SNSの情報を迷うことなく整理し始めた。

 

自身の中に潜む「勿体ない精神」をかなぐり捨てて、要らないものは徹底的に自分自身から追い払って行く作業は、その対象にされた相手にとってはただ迷惑行為以外のなにものでもないだろう。
でも私にとってそれはとても重要な作業であり、知り合いだから、とか親しいから‥ と言う贔屓目線も全て手放しながら色々なものをゴッソリ整理して行くと、そこにポッカリと空いた空間は人の念の染みのようなものでベッタリと脂ぎって汚れが纏わり付いていた。
好きな本、大切にしたい書籍には必ずカバーをかけることに、私は決めている。私の手の中の詩集にもその小さな愛を施す予定でいたが、やめた。
藍色のブックカバーが涙のように見えて仕方がないのは、ある種の瞬時の過去のきらめきが現実に戻った瞬間の証し。それを私はありのままの現実として、そっとそっと、この胸の中に受け入れる。

 

 

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スッキリとした気分の中に少しだけむしゃくしゃ感が混ざり合う、情けない朝を払拭したかったので、今日初めてトライする八角とローリエをしっかり煮出したチャイを作ってこの記事を書いている。
最近「茶」ものにハマっているが、どうやら私はコーヒーよりも葉ものを駆使した飲み物を好む。コーヒーよりは紅茶派で、最近は緑茶を深めたい欲求をどうにか抑え込みながら生活している 笑。

茶にハマり込んだ人たちの多くが葉ものに浪費を惜しまない傾向が強いことは、Twitter等で痛い程よく知っているが、私は「葉ものの浪費家」になりたいわけではなく、自分でカスタムした美味しいお茶を家で飲みたいだけなのだ。

 

 

下っちゃってるね‥‥

 

「折り曲げ厳禁」と書かれた袋の中に仕舞い込んだ詩集の栞がふと、そうつぶやいた気がした。勿論そんなことはないと分かっているのに、書籍に挟んだ栞が空に向かって叫び続けているように思えて仕方がない。

 

私には決めていることがある。
それは、
その時々触れている音楽から曲を作らないこと、誰かの言葉からインスパイアされながら言葉を紡がないこと。

 

それは自分自身への戒律であると同時に、おそらく私が今後そのような手法で音楽を生み出すことはないであろう‥ と言う希望的観測を含んだ、私の掟。

 

 

心を射抜く音 – Merodies through somebody’s heart

 

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2019年。年が明けて1月に一度だけブログを更新して、気が付いたら2月も半分をとうに過ぎてしまった。
目だったアクティビティーはなかったものの実は水面下で色々準備を重ね、収録の時を持ち、番組のジングルや背景音まで録音していたにも関わらず、ある事情で私は全ての企画を中止することに決めた。

いわゆる「ちゃぶ台を引っ繰り返す。」と言うアレだが、いざ「Didier Merah Talk(未公開YouTube番組)」の収録未修正分を聴いた私はただただ愕然とし、ありのままを夫に伝えることしか出来なかった。

夫は番組の為にこの数か月間色々計画を練り、そして実際に収録した45分弱の修正に時間を費やし、そしてジングルと番組用のBGMの録音に労力を遣ってくれたのだが、どうにもこうにも私はその出来上がりに納得が行かなかった。

 

やり直すと言う選択肢も考えなくはなかったがこれはあくまで私個人的な理由で、仮に収録を全部やり直したとしてもそれが上手く行く確証が全く持てず、だったらそんなに苦労しても余り上手く行かないと分かっていることを何度も何度もやり直すよりは、もっと私らしく、私が兎にも角にもポジティブに楽に出来る作業のスタイルを優先させた方が良いのでは‥ と思うようになって行った。

 

YouTubeトーク番組「Didier Merah Talk」に関してはその事前の告知で番組の内容が殆ど明かされていなかったが、番組への質問や要望をハッシュタグ「#DDMRtalk」を添えてTwitterでリプライを送って欲しい旨、さり気なくPRは続けていた。

だが残念ながら私の力不足ゆえ、質問や要望が一件も寄せられることはなかった。中には私のLINE宛てに「楽しい、メラさんらしいおもろい番組を期待しています。」等のメッセージが届くこともあり、私を知る人たちにとっての私の「おはなし」とは「おもろい話なんだなぁ‥。」と若干落胆することが続いていた。

 

私の中に決めている大きな軸のようなものがここのところ、真っ直ぐな樹の幹のように形をととのえながら、天空に聳え立っていた。

ずっと「ピアニスト」や「作曲家」「編曲家」「訳詞家」「詩人」‥ 等の肩書をプロフィールに提示し続けて来た私が「芸術家」を強く意識し、それを口にし始めたのが確か、恩師 三善晃氏がこの世を去った頃からだった。
一時は「とある事情」で音信を絶たざるを得なくなり、私はそのまま桐朋の研究科を退いたまま、遂に三善氏がこの世を去るまで会うことが出来なかったことが、ただただ悔やまれる。

 

今の私を三善氏が見たら、何と言うだろうか、何を想うだろうか‥。

私の中に三善晃氏の骨格は鉄骨のように凛と根を張り、私に「芸術家とは何か?」の答えをまざまざと今さらのように見せつけてくれるこの数年。夫の観察により私が過去世でJ.S.Bachであったことが判明してからは、私はその当時の自身の家族の一人がこの世界に私と同世代の同業者として生き続けていることをも思い出し、そうした色々なことが私の精神をとても安定させてくれる今だからこそ出来る音楽を粛々と生み出し続けられる今の環境を、自分と同様に愛している私。

それが自分の理想とする芸術家の象徴であること、それを自分の人生として生きられることをとても大切に想う私はやはり、公的な電波に戯言のようにペチャクチャと自分自身のあれこれを、或いは私が今世で構築完成間近でもある統一音楽理論のうんちくを語ることが何だかとてつもなく安っぽいことのように思うようになり、YouTubeトーク番組「Didier Merah Talk』に関わる全ての企画中止へと至った。

 

 

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今年は夏の終わりに少し大きな出費を控えている我が家は今、とても慎ましい暮らしを余儀なくされている。だがそんな中でも外に出てカフェと言う異空間に身を任せ、この先のDidier Merahの活動についてのあれこれを夫と話し合う時間を、私も彼もとても、とても大切にしている。
カフェでミルクティーやコーヒーを飲む時間は同時に人間観察を含む、色々な観察にはうってつけの時間でもある。
そしてそんな空間に流れる音楽についても私たちは細かな観察を重ね私は、「心を突き抜ける旋律」についての「ある結論」に近づきつつある。

 

和製シャンソン・カンツォーネの世界では「黒子」「影のお手伝いさん」のような扱いを受け続けた闇の時代、でもそんな闇の中にも細い光があり、その光の先には理想とする自分が存在した。
何より幼少期から私のテーマでもあった「残響の美しい音楽」を粘り強く押し通して行ける環境がそこには在り、「音が汚い」とか「もっとシンプルにしてよ」等の無謀な注文を殆ど無視しても仕事が途絶えなかったのは、それが和製シャンソンの闇の世界だったからだと言っても過言ではないだろう。

 

そして私は闇の世界を飛び出て文字通り、本当に一人になり、ピアノ以外の音を全く介在させない音楽の世界を頑固に押し通し続けている。
それは今後も変わることがなく、Didier Merah Japanの社長も同じ思いで「その先」の世界をある程度見通しながらの活動が、生きて行く限り続いて行くに違いないと確信している。

 

 

公的な場所ではシュールな話題を避けているので、この半年間の私が一体何に見舞われ何を苦労し続けているのか‥ については、私を(前身の活動期から)既に知っている人たち以外はきっと何も伝わらないだろう。

私は昨年の夏から、本当に苦労し続け、シュールなトラブルに巻き込まれ、死にかけた。だが幸い、こうして無事に生きている。
まさに奇跡だと思っている。夫への感謝も尽きない。

 

 

話がかなり脱線してしまったが、まぁそういうわけでDidier MerahのYouTubeトーク番組「Didier Merah Talk』のオンエアはなくなった 笑。

それより、Twitter上で「聴き放題系アプリ」についてのアンケートを実施した結果、Didier Merahのファンの半分近くがSpotifyもApple Musicも使用していないことが判明した。

 

 

この半年間の実質的なアルバムの売り上げが(聴き放題系アプリの台頭により)激減している中、それでもファンの方たちは「アルバムを聴きました。」と仰って下さるので、皆さん一体どのようにして私のアルバムを聴いて下さっているのか、それについては本当に心から知りたいと思っている。

このブログをお読み頂いた方へ是非、わたくしのアルバムをどのようにして聴いて下さっているのかについて、TwitterでもFacebook Pageでも好いのでお知らせ頂けると有難い。

Twitterの場合はハッシュタグ #DDMRListening ⇦ を添えてツイート頂けると有難い。
よろしくお願い致します <(_ _)>

 

最後に最近私がSpotifyで作成したPlayListを公開し、ブログを〆たいと思います。
Didier Merahの作品も、さり気なく収めています🎵 ⇩

 

楽しいことだけ – enjoying life –

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色々あった2018年、明けて2019年。しょっぱなから再び色々あり、ブログの更新がすっかり遅くなりました。

遅ればせながら、あけましておめでとう御座います🎍

年明け早々世間的にも色んなことがあり、私のLINEがひっきりなしにその話題の報告やら相談事のメールが行き交う中、実は私はそれらの殆どを(申し訳ない…)既読スルーしていました。

やらなきゃいけない事が山積しているのになかなかその「やらなきゃいけない事」に着手出来ず、日々のちょっとした筋トレでふぅふぅ言いながらの毎日を何とかやり繰りする中ようやく昨日、予告(予定)していたDidier Merahのラジオトーク『Didier Merah Talk(仮) 第一回放送分』のトーク部分の収録を終えました。

 

『Didier Merah Talk(仮) 』はDidier Merah 初のYouTubeの番組で、本当は昨年末に収録を予定していたのですが私が酷い風邪に見舞われた為、延び延びになっていました。

 

未だ色々なことが手探りで、尚且つ私はトークと言う動作が余り得意ではない為、流石にこの一週間色々考え過ぎて気持ちが滅入ってしまい、一旦はこの企画自体をやめてしまおうかと思っていました。

そんな折、夫が「肉でも食べに行こうか。」と近くのステーキハウスに誘い出してくれたお陰で何とかモチベーション ゼロから75まで上昇し、昨日の収録に辿り着けました。

 

最近はすっかりTwitterでのショートな投稿がメイン化しているわたくし。これではいけないと思い、今日のオフを利用して今年最初のブログを何とか投稿出来た‥ と言うわけです 笑。

 

色々書きたいこともありますが、今は無理をせず。今年は『緩く、楽しいことだけ』をモットーに、極力楽しいことだけに目を向けて、ストイックを捨てて少し怠け気味に過ごすことに注力しようと思っています。

 


2019年 元旦にApple Musicのアカウントを作りました。
もしもApple Musicをお使いの方は是非、フォローして下さい。

https://itunes.apple.com/profile/didiermerah

 

Spotifyのアカウントも実名からアーティスト・ネームに表記名を変更出来たので、どこからでも私を追跡できる状況になっています。
此方も是非、フォロー & 拡散 & シェア、よろしくお願い致します🎧

https://open.spotify.com/user/didiermerah?si=mnmEyhjUTI2VCma3A2ecSw

 

 

最後に今日の音楽はコチラ。
昨年大ヒットした「USA」のインド・パロディーです。笑えます🇮🇳🤣

 

 

2019年に向けて – My thought for 2019

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色々諸々かなしいニュースの多かった2018年でしたが、わたくし Didier Merah は何とか無事にアルバム2枚をリリースし、いよいよ2019年にはDidier Merahは10周年を迎えます。

Many sad news continued in 2018. However, Didier Merah managed to release 2 albums safely and finally Didier Merah will celebrates 10th anniversary in 2019.

 

思えば波乱万丈な9年間を過ぎ、アルバム『Wa Jazz』に於いては世界初の日本の国歌や童歌の新しい解釈と演奏に挑むことが叶い、さてここから新しい次の一歩に踏み出す第二のスタートラインに立ちました。

The time has passed 9 years ago, and in the album “Wa Jazz” I have come true to challenge the world’s first interpretation and performance of national anthems and children’s songs in Japan. And here I am on the second start line to take a new next step from here.

 

スタートが大幅に遅れているYoutube番組『Didier Merah Radio(仮)』の収録間際に、嗚呼やっちゃいました‥ と言う感じで酷い風邪を引き、現在未だ布団の中で丸一日を過ごす状況ですが、心はウキウキ、頭はグルグルと次の構想の企画が巡りっぱなしです 笑。

Before recording the scheduled Youtube program “Didier Merah Radio (Tentative)”, I got a terrible cold and I’ve been resting now. However, my heart is exciting and in my mind the plan of the next concept is going around.

 

 

2019年も皆さまにとって、良い一年となりますように。 ただそれだけを心から祈りながら、私も次の一歩を踏み出したいと思います。

これからもDidier Merahを宜しくお願い致します🎍

I wish you a very good year for everyone in 2019. Just as I pray from the bottom of my heart, I also want to take the next step. Please cheer Didier Merah from now on, anytime! Thank you!🎍

 

📿Written by Didier Merah

 

 

 

カフェ巡り

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2018年11月3日、私は生誕54年目を迎えた。本当に無事にこの日を迎えられたことは奇跡のようでもあり、私の体(霊体含む)はボロボロの状況であることには変わりないが、幸い気力は上々だ。

 

誕生日を過ぎてから、母校の旧友(或いは同業者でもあった)の女性と今年新たに友人となった女性の二人、そして急遽予定変更で現れた大女優の三人の女性と逢瀬を楽しんだ。
各々の土地に普通にあるカフェやレストランを巡り、珍しく幾つかの女子会を堪能することが出来た。

 

カフェとひと口に言っても千差万別であり、奥が深い。

びっくりしたのは千歳烏山に在る南蛮茶館のケーキだった。名称をメモしておけば好かった…、ケーキの名前をド忘れしたが、アーモンドとラム酒をベースとした上品な味わいが口の奥で煙のように広がって行く様は、まるで淡いクリーム色の雲海を端から舐めて行くような高揚感をもたらしてくれた。
又、別の場所で頂いた金萱茶(きんせんちゃはどこかセイロンティーにも通ずる上品さを兼ねており、口の中でまだ見ぬ異国の香りを存分に放ってくれる。
Twitter等でお茶好きさんと絡むことが多々あったけれど、おそらく私は未だ本物の中国茶の味を知らなかったのだろう…。あの美味しさには、本当に心から感動した。

 

別の日。
急遽予定を変更して私の住む町まで足を運んで下さった女優Pさんとは、私自身も初めてのお店に向かったが、これは失敗だった(笑)。

私の中には「ランチに対する強い拘り」とか「食に対するポリシー」のようなものがあり、『ランチとは働き手のお腹をしっかり満たすことが何より重要な条件だ』と私は確信しているが、最近その条件を気持ち好く満たしてくれるお店が少なくなったように思う。

主役は店だったり店のオーナーだったり…で、客はさながらお店と言う空間を飾るデコレーションのような存在だと錯覚している経営者やオーナーが増えているような気がしてならない。
メインディッシュの分量が極端に少ないランチや、立地条件その他に見合わない価格を設定しているショップを多々見掛けるようになった。

 

要は、料理愛を感じられないオーナーが増えた、と言うことなのだろう…。

 

 

食は人生のベーシック。私にとっては音楽の次に大切なものだ。

勿論私は外食だけではなく、自宅で作る料理のレパートリーも着々と広げている。最近のマイブームは魯肉飯(ルーローハン)を始めとする、台湾料理の数々。
先にタピオカミルクやタピオカ・ココナッツミルク(温・冷)のレシピを完成させたことに端を発して、台湾屋台風焼きそば、そして先日魯肉飯のレシピのベースを完成させたところだ。

 

 

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前記事、及び前々の記事にも綴ったように、現在の私の体調は必ずしも万全とは言えない。両側奥歯2本が完全に折れているし、圧の影響でメンタル・気力(霊体含む)の回復がかなり遅れているので、日々の睡眠時間をかなり増やしながら体調回復に努めている。

だが、厄介な病気を発症していないことは幸運であり、睡眠で治せる間に昏々と眠ることで体調回復を図りたいと思っている。

 

そんな中、時々カフェ巡りで気晴らしをしながら、陽のあたるカフェの窓辺で読書や音楽鑑賞を楽しむ‥ そんな小さな幸福時間を大切にしたい。

 

 

 

Eternal Pain vol.1

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この夏、私の身に起きたことを一言で説明することはとても難しい。そしておそらくそれらを唐突に聞かされた人たちは先ず、私の話を信じる前に私の精神状態を疑い、案ずることしか思い浮かばないだろう。

 

1. 事の始まり

その事が一体いつから始まったのか、私にさえ分からない。だが、その状況が断続的に形を変えながら私の身に迫って来たと気付いたのは、今年の7月に入った時だっただろう。
最初は単なるビールの呑み過ぎによる目まい、動悸のような状況からそれは始まった。街のお蕎麦屋さんで(夫婦で)軽い祝杯を上げ、私はビールをジョッキ(大)一杯に少しだけの日本酒を呑み、鴨肉の漬け汁蕎麦と穴子の天麩羅を一本胃袋に仕舞って小一時間ゆっくりと過ごし、ゆったりと立ち上がった時に視界を失った。

昼間なのに目の前が真っ暗闇になり、今自分がどこをどのように歩行しているのかさえ分からなくなり、夫の腕につかまったまま先ず座れる椅子だけを目指して向かって行き、ベンチに腰掛けた。すると視界はすっと昼間の状態に戻り、動悸も治まって来たので再び歩き出すと、又も目の前が真っ暗になり耳鳴りが始まった。

 

二度あることは三度ある、そう思いながら目的の喫茶店に入り席に座ると三回目の動機、そして視界の暗闇が始まった。胸が苦しく、どうしていいのか分からなくなったので夫の肩を枕に少し目を閉じた。

そして私はその時気付いた。
これは圧に違いない。しかも誰か、とても身近な人の執念(怨念と言った方が近いだろう)の詰まったものがそれを引き起こしているのではないかと。

 

5分から10分間深呼吸をしながら少しだけ、現実から意識を遠ざけた。すると段々と症状が治まって来て、私はようやく目の前のチョコレートケーキとコーヒーに口を付けることが叶った。

 

 

2. 骨折

今回アルバム『Wa Jazz』を始めるにあたり、私は何となく胸騒ぎを感じていた。それは人がもたらす好からぬ思いに留まらず、私が未だ経験したことのない種類の不安が心に深い影を落とし続けた。

7月の初めに私は一度倒れかけているので、そこからは毎日ただただ過剰なまでの用心を重ねながら日々の暮らしに集中していた。そんな折り、二度目の「好からぬ、とても不可思議なこと」が起きた。

 

正確な日付を記憶していないが、おそらく7月23日から25日のどこかの平日の夕方の買い物中の、それは不可解な出来事だった。
いつものように自転車を漕ぎながらスーパーの駐輪場に自転車を留め、買い物をしてから同じコースを引き返す道すがらの街の通りで、私は再び視界を失った。午後の、まだ明るい時間帯なのにも関わらず私の視界は真っ暗になり、不安になった私はそこで一旦自転車を止めて近くの木の切り株に腰掛けようとした時、右足の踵の骨が言うことをきいてくれなくなったことに気が付いた。

 

骨折したかもしれない…。直感的にそう思った。
2002年の春に私は一度、反対側の踝の骨を折っており、その時と同じ感覚が今回は右足に生じたのでそう感じた。立ち上がる度に膝がゲラっと笑ってよろつくので、ヨタヨタしながら夫にはそのことを暫く伏せていたが流石にそうも言ってられなくなった。

松葉杖を私は上手く使いこなせない。病院に行けば絶対に松葉杖を勧められることが分かっていたので、少し考えて今回はよくよく安静に、骨が完全にくっつく迄の時間を約三ヶ月間と想定しその期間の外出を全面的に(必要最低限にとどめて)控えることに決めた。
結局病院には行かなかった。

 

 

3. 遠い星からもたらされた、機械的な圧(妨害圧力)

二度あることは三度ある。この言葉が現実になるとはゆめゆめ思わなかったし、むしろそんなことにはならずに済むようにと、祈るような夏を過ごしていた。
今年は兎に角猛暑で日々の買い物もなかなか大変だし、買いだめをしても野菜が直ぐに傷むわ食材が湿度を帯びてダメになるわで、兎に角主婦業に苦戦を強いられ続けた。

 

レコーディングについての全ての情報発信を控えたのは、最初に書いたことに不安と不穏を感じたからであり、特に「和」の神髄の音楽の記録を試みる今回の企画には何かしら見えない者々たちからの妨害もきっとあるだろう… と、薄々予感はしていたが、これ程酷いことになるとは思わず私は8月お盆期間中のレコーディングの日にちを息をのむようにしながら静かに迎えることにした。
だが、その静けさは又もや、別のかたちでの圧によって完全に打ち砕かれた。

 

そもそも私は53歳で寿命が尽きるかもしれない、と、かつて3人のジプシーの占いがそう言ったことをとても慎重に受け止めており、まさに今年がその時にあたるので全ての物事を大切に、ゆっくりと進めて行くことに決めていた。

だがゆっくりと… とは言うものの、それを止めることが出来ないのが、使命を持つ者の宿命。私にとって音楽がそれにあたり、特に今回の企画『Wa Jazz』は制作期間よりも納品のタイミングが先に決まっていたと言っても過言ではない。
そのタイミングに合わせて、私はこれまで私の経験上最強最悪の呪詛を、まして地球ではなくもっともっと遠い星に住む人によってもたらされた。

 

その星のことは折に触れ情報を得たり、時には夫と夜が明けるまで話し込んだり…と、私の中ではとても魅力的で知的な人々の住む星だと聞かされており、私も2018年8月10日のその時まではそう信じていた。

 

 

8月10日、夜。食事の支度をしましょうか、と言って立ち上がろうとした時、私は再び視界を失った。
部屋には電気が付いており、夫も傍にいたが、私も夫も(おそらく)同じ痛みを頭部に感じていた。
それはまるで機械で頭をグイグイと締め付けられるような痛み。頭蓋骨が割れる寸前まで私たちは苦しめられたが、それが遠い星の人の手によるものだとはっきり分かったのは、夫がその行為を遮る怒鳴り声をキャッチしたからだった。
━ 詳細はここでは省略して綴ります。

 

 

長文なので、次ブログに続けます。