音楽から読み解く世界情勢 [2022.06.25]

関東地方はまさに雨季真っ盛りで、連日湿度が高く蒸し暑い日が続いている。個人的には色々な事が日々折り重なり、特に一昨日から昨日は気持ちが酷く滅入って落ち込んでいた。

世界はどこに向かって進んでいるのかと、日夜そのことばかりを思う。それはけっして良い方向とは言い難く、いつ、誰とはぐれてしまうか分からない不安は未明の悪夢を引き寄せる。
かなりの的中率で予感が現実になる今日この頃の私にとって、夢とは言え侮れない。だからと言って夢に「その人」が現れたからと言って連絡を取るわけにも行かず、色んなSNSからそっと先方の様子を伺いながら今日の無事を確かめるしか他に手段がないのがもどかしい。
 

私自身が音楽家でありながら、音楽業界関連の友人は殆ど皆無だ。と言うのも私が芸術家・作曲家でありながら、音楽評論家として旗揚げしたからに他ならない。


音楽家(作曲家・表現者)と音楽評論家はまさに敵対関係に在り、私はその両方を職歴に掲げたわけだから周囲が戦々恐々としても致し方あるまい。同業者とて、私の感性は妥協を一切許さない、良いものは良いし、悪いものは悪いと明言することが、音楽評論家の仕事なのだから。

現在の私が作るSpotifyのプレイリストのメインは、以下のシリーズ『Gentle Rain 2. (2022. ⑤)』になる。今週の更新は[M-92: Anema E Core”– Valentina Cenni e Stefano Bollani] から [M-115: Jilani” – V.B.Kühl, Rabii Harnoune] までになる。

 

 
更新分冒頭の “Anema E Core” は、私が未だ現役の和製シャンソン & カンツォーネの伴奏者だった時代に大好きだった一曲。このこの曲を聴くとどういうわけか泣きたくなり、その度に今世では未だ行ったことのないトスカーナの広大な風景が脳裏に現れて、過去世の幼い私がトスカーナの一戸建ての家でケーキを焼いている‥。

こんな時に名前を出すのもどうかと思うが、特に小松原るなさんの “Anema E Core” は素敵だった。勿論小さなシャンソニエで歌われるその曲のクオリティーを問われたら何と答えて良いのか分からないが、彼女の小声でささやくような “Anema E Core” の中に微かに流れるトスカーナの風に、当時の私は何度ロックオンされただろう。
 

そんな思い出の曲をプレイリストから外すわけがないのだが、だからこのテイクの [M-92: Anema E Core”– Valentina Cenni e Stefano Bollani] が良いかどうかと問われると確かに若干返事に詰まるのも又事実かもしれないが。
 

“Queen Of Sheba” (artwork)


今週はあの、パレスチナの大御所トランペッター(作曲家・プロデューサー)のIbrahim MaaloufAngelique Kidjoと組んでリリースしたアルバム『Queen Of Sheba』もお目見えしたが、個人的な感想としてはヴォーカルが鬱陶しくて尚且つ知性を欠いている為なのか、Ibrahimのトランペットと表現がバッティングしてしまい完成度は今ひとつと言った印象が強かった。
 

メインのプレイリストではないが、主にBGM仕様をテーマに作っているチルアウト・ミュージック系のプレイリストの方が、今週は更新出来た曲が多かった。
今週の更新は [M-14: “Another Like This” – Photay Remix] から [M-36: “Untouched Rainforest” – 小瀬村昌] までになるが、此方もメイン同様に全体的には小粒の作品が出揃ったように思う。
 

 

気になるアルバムがもう一つあるとすれば、”Summer Sol VII” が挙げられるだろう。
此方は王道のポップスとは一線を画し、アルバム冒頭の “Sat Nam” からも分かるようにSufiの音色が炸裂するが、王道のSufi Musicかと言われるとそうではなく、全曲に「エレクトロニック」寄りの加工が施され、アラビックなテイストにアイシングされた構成になっている。

アルバムのクレジットには Sabo 或いは Goldcap などの名前が挙げられているが、各曲異なるアーティストの作品がズラ~っと並んでいる。全編を繋げて聴いてもなかなかのクオリティーで異国情緒豊かなアルバムに仕上がっているので、個人的にはオススメのアルバムだ。
 

 

私 Didier Merah が作るプレイリストは他の音楽愛好家が作るそれとは一線を画した選曲になっており、いつの日かDidier Merahが監修したオムニバス・アルバムが世に出た時にはかなりの脚光を浴びること間違いなしの出来栄えと言っても良い筈。
それもこれも良いリスナーを増殖させることが私の第二の目的で、その為にはどの曲の何が良くて、どの曲の何が良くないのかについても辛辣に発信して行くことが必須だ。

多くの音楽愛好家たちは、周囲の同種の人たちが何を聴き、何を良いとするのが正解なのかについて戦々恐々としているのが現状だ。自分自身の感覚に今ひとつ自信が持てず悶々としているうちに、多くの賛同票を得ている楽曲に対し無難に加点しながら聴くことで満足しているように見える。

そんなことでは良質な音楽が日陰に追い遣られるのが目に視えているから、私はあえて損得抜きに多くの楽曲をジャッジメントする役目を買って出た。
それも含めて私の音楽人生のミッションと心得ながら、自信を持って世界の音楽をジャッジメントし、紹介出来れば本望だ。
 

 

音楽配信を目的とした楽曲作成のオーダーの他、音楽評論、レビュー or ライナーノート執筆、ラジオ番組用のBGM選曲、雑誌連載執筆及びYouTube出演や対談等、諸々用件・案件は、Twitter のDMないしは公式ホームページから、[info@didier-merah.jp] ⇦ までお寄せ下さい。
音楽評論に関しては、世界中(演歌とヘヴィメタル以外)の音楽を分析・検証し、語り尽くします。

オーダーを遥かに上回るクールで奇想天外な記事を、筆者の豊富な脳内データから導き出して綴ります!

Adieu, Gréco..

ジュリエット・グレコが亡くなったと言うニュースを早くから知っていたのに、何故かその話題に触れることが私には場違いな気がして今日まで記事が書けなかった。

もう時効なので名前を出してしまうけど、かつて私が演奏していた赤坂見付の老舗のシャンソニエ「BOUM」のオーナーの奥様のグレコに対する酷評を私は今も忘れない。と言うより、忘れられない(余りに可笑しくて)。

音符通り、原曲通り、ある意味楽譜通りではなくグダグダに曲のアウトラインが崩れてしまったような彼女の歌い方には、色々な評価があったことは事実だ。


正直私はシャンソンそのものが好きではないのにシャンソンの伴奏者になってしまったものだから、当時は 芳賀千勢子さんのグレコへの酷評が何とも滑稽で可笑しな響きに聞こえたのかもしれない。

だが、このYouTubeの「La Javanaise」を久々に聴いた時、鳥肌が立った。
勿論Ibrahim Maaloufのトランペットの優しい響きが彼女の老いた表現をしっかりと支えていた事は外せないとしても、グレコのこの歌唱表現の崩れ方・滅び方が何とも美しく感じたのだ。

過去世バッハの私が完全に音楽のオーソドックスと将来の光の回路に舵を切った新星 Didier Merahの心を、グレコの何が深く激しく揺さぶったのかは正直分からないのだけど、このLive音源を聴いた時既に私はいつか訪れるであろうこの日(グレコが逝く日)をそこはかとなく予感したと言っても過言ではないだろう。


和製シャンソンの世界は過去世バッハの私には、余りに毒が強すぎた。そして多くが偽善と虚飾で出来ており、さながら犯罪集団に紛れ込んでしまったような深い罪悪感だけがその仕事を辞めた後に残された。

だが、原曲は時々美しい音の光の矢を放ち、例えばグレコのこのLive音源の表現はきっと私の過去の職歴「シャンソン・ラテン音楽の伴奏者」と言う額縁に大輪の花を添えてくれるに違いない。

それでも私はシャンソンが全く好きにはなれない。多くの日本人のシャンソン歌手の伴奏をきっと遣り過ぎたからだろう。
身の丈に合わない派手なドレスを田舎臭く纏って、演歌に毛も生えないような「おシャンソン」を演歌のこぶしたっぷりに歌い上げる彼等・彼女等の粉っぽい化粧の臭いが今も、記憶にべったりと纏わりついて離れない。

それでもたった一個のLive音源が、それまでの悪い記憶を綺麗さっぱりと洗い流してくれる事がある。
まさに人生は奇跡と悪夢の連続だ。


何よりジュリエット・グレコ氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。




※この記事は先にFacebookの私の個人アカウントのタイムラインに投稿した手記を、そのままブログに転載したものになります。