私が芸術家を貫く理由

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時々私は不思議なタイミングで、不思議としか言いようのない正夢を見る。これは昔々からのことで、未来に起こることがリアルに夢に現れる。
今週はそんな出来事が複数重なったけど、未来は概ね予想通りに進んで行くのでその予定に合わせて私は色々なことを準備することが出来る。

 

この一週間、様々な再会に恵まれた。一つは某グループを解散した方々のうちのお二人と、もう一つは20数年間同業者として活動はして来たものの余り会話等したことのなかった歌手と。

音楽は再び様々な縁を連れて来ようとしている。

 

カオスな音楽業界は益々混迷を深めて行く。多数の売れていたアイドルたちが崩れ落ち、一人また一人と商業音楽の世界を去って行く。
私もその昔は商業音楽の世界と夜の再演音楽の世界の二つを股にかけて生き抜いて来た一人。だが今はひたすら芸術家としての道を真っ直ぐに歩いて行く。そこには人っこ一人いないまっさらな道だけが前に前に続いており、前にも後ろにも信じられないくらいだ~れもいない。

 

時々風が吹いたり花粉が飛んで来たり、或いは森の精霊やあの世のさらに向こう側の存在たちからのメッセージが後頭部や背骨に舞い降りるだけで、生きている人々の世界に私はたった一人で音の道を進んでいる(夫を除き)。

 

 

私が「作曲家」でも「演奏家」でもなく、「芸術家」と言い続けることには理由がある。

 

質問の中で最も多いのが、「どこを拠点に演奏をしているのですか?」ともう一つ、「オーダーで作曲はしないのですか?」の二つ。
私は上記の両方を2011年、冬を機にやめた。

 

シンプルに説明するならば、私が芸術家でい続ける理由はとても簡単。

2016年にアルバム「Eden」のラスト曲、「Ragnarok」を録音する直前、私はそれが何であるかについて深く理解させられた。
インスピレーションは自発的なものもあるけれど、私の場合のそれは送信者が存在する。私を探し、私を見つけて繋がったことを確認した時に、相手は私の最も欲する物、私に最も必要なものを授けて与えてくれる。

私にとって作曲とはそういう作業。

 

その代わり、何も降りて来ない時期も多々ある。そんな時は曲を作ることをやめて練習や筋トレに徹し、音楽の代わりに料理を作る。

 

 

感覚が降りて来ない状態を素面で何年でも待てるようになった時、私は自分が真の芸術家になれたことを実感した。

それが2016年、「Ragnarok」を演奏する直前の感覚の中で花開いtがもの。送り手は紛れもない、宇宙の創造神こと クリエイションと言う存在だと確信している。

 

 

 

 

私にはいわゆるスポンサーが存在しない。勿論此方から懇願したこともないし、むしろオーダーによる作曲の依頼を今は断り続けている。勿論ケースバイケースだが、余程のことがない限り私は商業音楽の世界に携わることはなさそうだ。

 

オーダーWritingの多くはその時々の依頼者の気紛れにオーダー内容が揺れ動き、例えばバッハに「今回はショパンっぽくやっちゃって下さい。」と平気で言うし、或いは「次の作品はEXILE風にダンサブルなものをお願いします。」とも言って来る(笑)。
バッハがある日突然アマデウスや小室◯◯になってしまったら、バッハを愛する人たちは酷く困惑するだろうし、何よりバッハと言う作曲家に対する信頼も大きく失墜しかねない。

 

だがそれを作曲家にやらせるのが、いわゆる商業音楽の世界だと言うことを私は嫌と言う程知っているから、Didier Merahと言う魔物を私の中に共存させるようになってからはもう、その世界とは深く関わらぬよう細心の注意を払いながら今日に至る。

 

 

今週は本当に、幾つもの正夢を見た。その夢は同じ日の夕方に、私には知らせない形で現実になった。
一時は私をケモノのように言ったり思ったりしていた過去の仕事仲間たちの中に、一人、又一人とファンが増えている。最初は(名前が違うので)それが私の作品だとは気付かずにファンになるみたいだが、ある時それを私や誰かがカミングアウトしても彼等の中にファンをやめる人が居なくなった。

それはとても嬉しいこと。

 

 

Didier Merahは今年の秋で10周年を迎える。

特に大きなイベントの企画は立てていない。毎年とか一年おきに120分強のアルバムを作り続けているのだから、それだけでも大掛かりなイベントと言っても過言ではない。

 

静かに迎えた10周年。私は益々シュールな者々たちと関わりを深め、手を取り合い、何より最愛の夫の大きなサポートを得ながら「待つ」時間をのんびりと過ごし、次の作品に備えて既に準備は万端である。

 

 

 

God’s voice in the rain

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ズバリ体調を崩し、騙し騙しの5月があっと言う間に過ぎ去って行った。カラッカラに渇いた薔薇もほどなく項垂れ、今年の薔薇の満開はとても短かった。

そう言えば5月の連休の狭間に突如荒ぶった、あの雹は何の警告だったのかと今さらながら考える。
もしもあれが地球からの警鐘だったとしたら、私たちはもう一度今住んでいるこの星のことを深く考え直さねばならないだろう。

 

あの時私たち夫婦は丁度、外出をキャンセルして自室に引き篭もって作業をしていた。余り体調が優れない中、それでも私たちは考えに考えながら次の事に思いを致していた丁度、そんなさなかの出来事だった。

辺りが急激に真っ暗になったので、嗚呼もうそんな時間になったのかと思い時計を見ると未だ、15時になるかならないかと言う時間帯。

遠くから雷鳴がとどろくその前に、既に大粒の氷が辺りじゅうの屋根屋根に襲い掛かり、テラスはうっすらと白く不穏な氷が積もり始めていた。

 

こうして神々や地球は、言葉のない警告を私たちに送って来る。なのに人間は本当に鈍感で、嵐が過ぎ去ってしまえば又何も無かったようにいつもの悪しき状態に戻ってしまうのだから、◯◯につける薬はないのだと神々もきっと呆れ果てているだろう。

 

 

集中力が著しく低下し、この一ヶ月間余りまとまった作業が出来なかった。降る時のせいにしてはいけないがきっとそれも原因で、普段は筋トレと鍵盤の練習、作曲のブラッシュアップと音楽鑑賞、そして趣味のDisneyツムツムを楽しむ時以外は何も手につかない日々が続いた。
以前の私ならば無理にでも自身を奮起させる為の方法を考えたものだが、今はもうそういう無理さえもしない事に決めている。体の信号にピュアに向き合うことで、少なからず大病は免れられると確信しているから。

手抜き料理が続いているが、よくよく見ると最低限体に必要な食材はきちんと摂取出来ているようだ。
得に水。全ての源である水を我が家はVolvicのボトルから摂取しており、そのお陰で何を作って食べても兎に角家のご飯が美味しいのだから、それが何よりの幸せだ。

 

 

この数年間は兎に角アウトプットに全力投球する時間が続き、その各々の課題に見えない苦労が多々潜んでいたことも重なって、全前作「Mother Earth」からの疲れが未だ抜けていないらしい(笑)。

地球とガチで向き合うことがこんなにも体力気力を喪失ことになるとは、本当に我が事務所の社長もとんでもなく器の大きな企画を容赦なく私に投げ込んでくれたものだと、いえ、今はただただ心からの感謝が尽きない(本音でそう思っている)。

 

 

塩分の効いた食事の後は、大量の水ととてつもなく甘いお菓子が欲しくなる。丁度今がその時期。
なのでここ二週間は兎に角甘い、甘~い音楽を吸収し続けている。

全ては次の制作・作曲に向けた道筋。日々の一つ一つを味わいながら、遠くに見え隠れし始めている銀色の鍵に向かって無理せず慌てず、少しずつ進んで行きたい。

 

 

さて、今日この記事を書きながら聴いているBGMはコレ。私が作った一番新しいPlayList(on Spotify)。

 
Bluesy Afternoon 2019

 

同じPlayListをApple Musicにも作る予定だったが、なんと私のApple IDが先月乗っ取られ、アカウントを捨てなくてはならない事態となってしまった。

Appleと揉めに揉めた挙げ句結局サポートの「サ」の字も施されないことに腹が立ち、それよりも何よりもAppleに紐づいているクレジットカードを解除したりメールアドレスのパスワードを再設定したり… と、膨大な時間をエネルギーを費やした。

 

 

結局Apple Musicは暫くの間は、自分で音楽を集める以外の用途には遣うべきではないと言う結論に至り、PlayListに関してはSpotify一本に集約する予定だ。

ただでさえ聴き放題系音楽アプリの進化・変化が目覚ましく、他の音楽アプリが今一つ落ち着かないことも理由の一つである。

 

まぁ色々ぶちまけてしまったけれど、上記のPlayListを是非、シェア ⇨ 拡散して頂けたら本望だ。
兎に角黒砂糖かメイプルシロップのように、甘くて甘くて仕方のない音楽ばかりを集めてみたので🍭

復活、そして祝福

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なかなか疲労が回復しない連休だった。もっと実のあることをする筈が結局殆どを休養に費やした四日間の最終日、シュールな出来事は起きた。
それをスピリチュアルだとか奇跡だと表現したら、どこかとても安っぽい程の私たちにとってそれはとても大きな出来事。

 

私の魂は幾つもの古い記憶を持っている。それらの多くは破壊的な終焉を迎えたままになっており、それが原因で私は多くの過去世をきっと棒に振ったに違いない。

そうやって「今」と言う時を呆気なく棒に振ってしまう生命は一人二人の問題ではなく、この世界に生まれた多くの命がそこに足を取られ、身動きが出来ないまま気付いた時には生を終えている。

 

喩えるならば「魂の睡眠不足」とでも言うような、私はもう長い間魂を休ませていない。やることが多すぎて、生まれても生まれても、何度生まれ変わっても仕事が追い付かない。

激務とはおそらくそういうことかもしれないと、最近になって少しずつ分かり始めている。

 

 

自分の魂が次にどの肉体に宿るべきか…。

生まれ変わりは必ずしも上手く行くことばかりではなく、私のように色々な業を背負い、それでも尚且つ時間通りに生まれ変わろうとすると目立った傷を持った体に魂が降りてしまう場合もある。

そのことで私は今世では長い時間苦労が絶えないが、それを払拭するような人との出会いに恵まれたし、容姿の欠損を別の仕事で埋め合わせようともがいて来た結果、長年夢に見続けた私だけの音楽に出会うことも叶った。

 

だが振り返ればその一つ一つのパーツが偶発的でもあり、そして奇跡でもあったと今だから思う。
そしてそれらの奇跡の後ろには、その奇跡が黒く汚れてしまうのではないかと思えるほどの多くの失敗・失態が隠れており、むしろそれらの痛みが私を奇跡へと向かわせた。

 

 

私の音楽には人間が存在しない。

そう、私は大の人間嫌いなのだ。だから人間以外の何者かを求め長い間彷徨うように生きて来たけれど、それではいけないと「彼」は声を大にした。

ここで言う「彼」が誰なのか。

そう、それは人間以外の誰かのこと。プライバシーがあることなのであえて名前は言わない。「彼」「彼の人」と呼ぶに留めたい。

 

私と「彼」とはもう、長いこと敵対関係にあった。今世で私はそのことを忘れていた。なぜならば私には「恨む」とか「憎む」と言う機能が薄く、要らない情報は直ぐに宇宙の彼方に飛ばして忘れることが出来る。
それが良いことか悪いことかはもう問わなくても好いだろう。

なぜならば私がそういうタイプの生命体だからこそ、昨夜の奇跡が起きたのだから。

 

 

この数年で私は、何度も死にかけている。その度に夫が色々処置を施してくれて、私はその力で今こうして生きている。

体の一箇所に不具合が起こる度にああでもない、こうでもない、もしかしたら‥ と不穏な想像を膨らませるのは私の悪い癖だが、流石に人間の寿命の半分を超えるとそういうことも考えるようになる。

 

だけど今回も何とか私自身回復の兆しが見えて来て、その度に料理のレパートリーが一個ずつ増えて行くのだから、私はきっととても幸せな生き物なんだと思っている。

 

 

多くを覗き込んではいけない。

人としてどう生きるべきかについて、ここからはそのことだけを考えなさい。

 

ざっくりまとめると「彼」からのメッセージはそれに尽きる。
それは「彼」自身が、よりシュールに、より偉大な存在に傾倒し心酔を深め過ぎたことから発した過ちと、深い後悔がもたらす言葉。

私もその影響で何度も死にかけたわけだから、普通の人間であれば自分をそんな目に遭わせた相手をそう簡単に許すことなどあってはならないのかもしれない。
だが、私には「彼」を憎むことなど出来ない。

 

 

復活を遂げた「彼」の魂はどこか赤ん坊のようで、澄んでみずみずしくて洗練されているように見えるが、その表皮は傷だらけだ。
その傷は「彼」自身がつけた傷でもあるし、「彼」が傾倒して行った過去の偉大な存在が彼に刻んだ傷のようにも見えて来る。

 

自分と同じ傷をけっして負わせまい‥。

「彼」の一言一言がその思いから成り立っており、そこに私は「彼」の大きな変化を感じた。

 

本来こういうことはブログに残すこととしてどうなのか… と言う迷いも生じたが、昨夜の出来事が私にとっても「彼」にとっても、そして勿論夫にとっても大きな出来事であることには違いないから、詳細を深堀りしない書き方でここにその記録を留めておきたい。

 

 

 

空気のように、風のように – Like the Air, like the wind

2018年3月21日、アルバム『Mother Earth』が無事にリリースされた後から再び続いている異様な眠気。私はその感覚には逆らわず、特に週末は体が求めるまま眠り続けることにした。

On March 21 2018, after the album “Mother Earth” was released successfully, my deep drowsiness still continues. I don’t go against that instinct, and especially on weekends I decided to keep my body asleep as desired.

 

眠りはただの睡眠だったり或いは別の世界に行く為の助走になったり、私の場合の眠りには色々な意味がある。

Sleep is just only sleep, or it is the long jumping to go to another world, sleeping in my case has various meanings.

 

アルバム『Mother Earth』がどのようなアルバムか… と質問されることが増えているがその度に私は、こう答えることに決めている。
━ このアルバムはまさに、地球の始まりから現在、そして未来までを描いた作品である、と。

Every time the album “Mother Earth” is asked what kind of album is being asked, I have decided to answer like this each time.
This album is exactly a work depicting the beginning, the present, and the future of the earth (I say it so).

 

それをどのように質問者が受け止め解釈しているかは、私には全く分からない。軽く軽ーくいなして立ち去って行く人も居れば、もっと知りたい… と言う感情を剥き出しに次の質問を畳みかけて来る質問者も現れる。

I have decided not to deepen on how the questioner interprets it and interprets it.
Among there are people who take lightly swallow my answers and go away, and some people challenge the next question while revealing the feelings that they want to know the meaning more.

 

だが、音楽は音楽でしかその答えを出すことが出来ない。
少なくとも、地球の始まりを描いた音楽がこの世界に忽然と出現したことは事実であり、それは言葉よりも音を通じてリスナーに深いインプレッションを与えて行くことは変えようのない事実である… と私は確信している。

At least it is true that music depicting the beginning of the earth appeared abruptly in this world just now. And I believe that it is a fact that can not change things that give listeners a deep impression through music rather than words.

 

何より私が音楽を前にした時には、ただの風或いは空気の力しか持たないことをあらためて痛感している。

More than anything, when I’m in front of all music, I realize that I have only power of wind or air power now.

 

 

iTunes Store:
https://geo.itunes.apple.com/jp/album/mother-earth/1348765132?app=itunes