Studying Muscles

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この一ヶ月間、体の一箇所にずっと不具合を抱え込んでいた。夫と二人の友人以外この事は知らせずに居たが、この一週間で急激に症状が緩和して来たのでホっと胸を撫で下ろしている。
どんな時でも笑顔と食を味わう気持ちを持ち続け、少し疲れたら直ぐに休息を摂り、気合が入った時にはとことん気力の果てまで突き進む‥、そんな生活を粛々と続けていた。
すると気持ちも前向きになれたし、何よりSNS等で拡散されるちょっと痛々しいニュースや出来事からも上手に逃れられるようになって行けた。

 

そんなこんなあれやこれやを抱えながら私は、この一年近く自分の筋肉に深く探りを入れていた。

 

巷にはびこる速弾きの音楽にうんざりしていたし、私にとってそれは何の必要もない産物だった。
聴力と感性が追い付かなくなる程の「あっと驚き奏法」が何故こんなにも音楽世界のセンターに立ち続けているのか、いつかこの状況を宇宙のどこかから静観しているであろう宇宙人に出会うことがあれば是非質問を投げかけてみたいものである。

 

 

話を戻して…。
楽譜に指定されている多くの楽曲の速度は信じられないぐらい高速で、まるで法定速度ギリギリか或いはそれを超えたテンポで楽曲を演奏出来なければ演奏家として通用しないかのように、聴く側の感覚の上限も既に超えているそれらが「あっと驚き奏法」として地上を闊歩している、この滑稽な音楽の世界が一体いつまで続いて行くのか‥。

 

1/fの揺らぎと言う自然の速度をそのまま音楽に当てはめて行く方が、どれだけ奏者も聴き手をも楽にして行くだろうか…。

その事を自らの体で体現する為にも私は、この一年間自身の筋肉と深く向き合っている。

 

どうだったら疲労の上限を超えずに済むのか。
或いはどうだったら聴き手に余計な威圧感を与えずに済むのか。
その答えは残念ながら未だ、この地上に存在しない。…と言うよりも、音楽家の大半が何か得体の知れない高速スピンを回らなければ自分の居場所を失うかのような、強烈なコンプレックスに苛まれているようにさえ見えて来る。

 

一年強、己の筋肉にそれを問い掛け続けて来た結果、最近少しずつ筋肉自らが意思を持った生き物であるかのようにその難しいクイズに対し、適切な回答を出し始めた。

 

いわゆるインナーマッスルが以前にも増して、着実に声を上げ始めたと言っても過言ではない状況だ。

 

それぞれの自身の過去の作品を出来る限りゆっくりと演奏して行く時、高速スピンでは絶対に使うことのなかった新しい筋肉がピクピクと反応し、そこにしっかり熱が溜まって来ると私は真冬でも汗だくになりながらピアノに向かうことになった。
腕の筋肉よりも手の第二関節までの内側の筋肉が機能し始め、それは背中の筋肉の温度を急激に上げて行く。

 

嗚呼こんなところが反応している… と言う歓喜が生まれ、最初はそれが大きな疲労感にも繋がったが次第にその筋肉が上手く温まって私の演奏を程好いスローテンポに導いて行った。

 
私のほぼ処女作と言っても過言ではない「Blessing of the Light」。毎日毎日この曲を弾き続けているけれど、あえて私はその演奏速度を落とし始めた。
すると今まで素通りしていた箇所に新たな筋肉の力の必要性が生まれ、今この筋肉を鍛え上げたらどうなるのか…、その上限に挑戦し始めている。

 

 

 

少し話が脱線するが、この春私は自身の過去世(ファン・ジニ或いは明月として生きた時代)におそらく心から慕ってやまなかったソウルメイトと、インターネットの中で再会することが出来た。

勿論リアルでどうの‥ と言うことではなく、あくまで私が一方的に当時の相方の息吹を感じて喜びに震えている状態ではあるが、それは生き別れた家族との再会のように私を喜びの高みへと導いて行く。

 

この記事の最後にその人物の現世の歌唱映像をシェアしたい。

強いて言うならば私が伴奏者として活動していた時代にこの人物と出くわすことがなくて、本当に良かったと思う。万が一私が彼と出会い、この歌手の伴奏者として起用されていたら、おそらく今の私はここに居なかっただろう。
或いは音楽をやめていたかもしれない。

彼の声、表現は全てを呑み込む力が満ち満ちており、私がそのエネルギーに勝てる気がしないから。

 

再会に祝福を。
そしてイ・ヒムンの未来が光に満ち溢れていますように(祈)。