Didier Merahとして音楽活動をリスタートして、今年で10周年を迎える。
思えば色々なことがあり、最初は自身の全ての芸歴・実名その他職歴の全てを封印せざるを得ない状態でDidier Merahとして再出発した。
人間、叩けば色々と埃が立つもので、私もご多分に漏れず埃だらけの人生を真っ直ぐに歩んで突っ走って来た一人だった(笑)。
闇の10年間(およそ)の私の中の蓄積は計り知れない傷を私に負わせたが、それでも辛うじて両の足で私は何とかこの地球の大地に踏ん張り続けて生き延びている。
かつて親族に完全に見捨てられた年の冬に私は某所の持病が爆発し、緊急搬送された。そのままもうこの世界とはお別れになるのだろう‥ と、病室の点滴ボトルを見上げながら私は色々なことを考えた。
もっとああしておけば好かった、こうしておけば好かったと後悔は尽きなかったが、それだけ尽きない程の多くの後悔があるならばその分だけでももう一個人生を生きられそうな気がして来た時、途端にお腹が空いて来たことを今では哂って思い出せるようになった。
人生は不思議なものだ。どんなに悲観的な時の中からでも、一瞬の笑いが巻き起こるのだから。
あの時私を緊急搬送してくれたのは、毎朝ビシっと背広を着てブルーシートと段ボールで出来た小さな家から出勤して、毎晩ヨロヨロになりながら同じ道を引き返して来るホームレスだった。
聞けばそこそこ良い会社の偉い人だったらしいが、何かの弾みで車上生活を経てその場所に流れ着くしかなかったとても可哀想な紳士だった。
彼には色々なことを教わった。
ホームレスでも日々お洒落に清潔に生きる方法とか、安くて美味しく新鮮な食材を調達したり保存する方法だとか、何より多くの書籍をタダで読み耽るだけではなくその場所でほぼ一日を穏やかに費やせる幾つかの場所を教わったり。
本当に、人生は考えようだと思った。明日の不安を嘆くよりも、今の不安からいかにして抜け出すかについて何時間も考えたり、そうこうしているうちに日が暮れてお腹が空いて、そんな私を美しいホームレスの偉い人はけっして見捨てなかった。
親は子を必ず愛してる、等と言う話は幻想に過ぎないよ‥ と私の悲しみに寄り添ってくれたのも彼だった。
そんな彼が今どこでどうしているのか、時々ふっと気になって仕方がなくなる。
彼と当時少しだけ生活した住所のない家のような場所も今はすっかり開発され、おそらく彼ももうその場所には居ないだろう。
私がそんな風に暮らしていたことを一度だけ当時の仕事仲間に打ち明けたことがあったが、「いい加減嘘を吐くのはよしなよ。」等と言われ私はとても悔しくて辛い思いをした。
その後から私はたとえどんな状況に立たされたとしても、まさか今私が自分の住む場所を失って廃墟や空き家や路地裏の小さなスペースを転々としているなどとはもう、誰にも話せなくなった。
☆
唐突に「呪詛」などと言う言葉でこの一年間とか二年間とか、私の身に降り掛かり続ける様々な事態を一括りに説明することはとても難しいけれど、私と夫はとても壮絶な状況を命からがらくぐり抜けて今日に至る。
それは今現在もとめどなく、後から後から押し寄せる危機でもあるが、何とか夫の力強いサポートのお陰もあり私はこうして今日も生きられている。
ここ一ヶ月は私にしては珍しく、創作の受難と向き合っている。
馴れとマンネリの中からも音楽が生まれて来ないわけではないが、私がそれで満足する筈がない。最小限の挑戦と最大限の隙間を泳ぐ音楽家として、それでも私は新しい挑戦を諦めたくはないのだ。
勿論、音楽から音楽を生んでいるわけではなく私の場合はその殆どが、地球や大自然、高次の思いを読み取ったり神々の声を聴きながらの作業がずっと続いているから、出す曲出す曲全てが新しさをともない続けることはとても難しい。
むしろエグい個性を完全に脱ぎ去ったところの音楽を目指しており、エグみのない斬新さとは何かについての思考と創作の戦いは尽きることがない。
「Mother Earth」、そして「Wa Jazz」と立て続けに大作を生んでから、未だその疲労感から完全には抜け出ていない。アウトプットがインプットよりも大きな比重を占める日々、一日の後半は練習と創作の作業の疲労でヨロヨロになって布団に倒れ込む。
でもその疲労はかつて、家を失ったあの時のような絶望的な疲労とは異なり、クタクタの彼方から押し寄せる次へのエナジーが私をさらに熱い創作へと駆り立てて行く。
久し振りにPlayListを作成してみた。
未だ全てのピースが埋まってはいないけれど、この段階で公開しても差し支えなかろうと言うことでシェア!♡
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