それは悲しい戦いだった

久し振りの知人から、Facebook メッセンジャーを経由してメッセージを頂いた。久し振りではあるけれど、正直なところ胸が痛くなるような繋がり方・別れ方をした知人だったと思う。

普段はボイス・メッセージを使う私が、今日はその気になれなかった。きっと何も話すこと等ないし、沈黙を私が埋めるような最近のボイス・メッセージの使い方にとても疲れてしまったのかもしれない。
 

「急用でもあったの?」‥と言ってしまってから、なんて不愛想な言い方をしたのだろうと自分でもびっくりする程冷淡で、先方も何かを察知したのかもしれない。
ずっと私のTwitterを覗き穴から小動物のように覗いては何も言わずに、数年間同じ動作を繰り返していたと言う。
 
口数少ない私に先方はかなり動揺しながら、それでもぽつりぽつりと会話は繋がって行った。
 
昔の私は常に「営業モード」が点灯しているみたいに、いつ誰と会っても饒舌だったと彼女は言う。それもその筈、そうでもしなきゃ仕事が繋がらなかったから、私も頑張って生きていた。
でも今はもう、その必要もなくなった。だから私は、私が頑張らなきゃ会話が持たなくなりそうな人とは、率先して会わなくなった。

 
 

 

彼女はジャズ畑の人だから、当然そっちの話題に連れて行かれた。
会話はまるで水の流れのようだと思った。無理な舵取りを私が放棄すれば、相手の気の済むように話題は迷走する。どこへ向かうでもなく、どこに戻るでもなく、私が話術を放棄すればどうにでも会話は彷徨い続けるだけだ。
 
彼女: 「そう言えば、マリーンって今どうしてるの?」
私: 「そんなこと、私が知ってるわけないじゃないのよ‥」

そう言いながら私はYouTubeをPCから検索し、マリーンの代表曲の「Left Alone」を見つけて小音量で聴いていた。 
 
それを聴いていたら、ふと‥ 昔の自分を思い出していた。

 


 
それは常に、悲しい戦いだった。
 
歌手とピアニストは決して味方同士なんかではなく、言わば敵同士と何等変わりない。私は黒子を飛び越してその日その夜の歌手をいかに叩き潰して気持ち好く帰宅するか‥ に日々命をかけていた。
 
この動画のピアノを聴いていると、兎に角饒舌で、きっと演奏者も私に似たような心情で演奏しているのではないかと感じずにはいられない。
ヴォーカルにとってのピアノ伴奏とは、おそらく料理で言うところの調味料に似ている。絶対に前に出てはいけないし、その存在を完全に消した時にこそ価値が上がって行く。だけどその瞬間の仕事は、誰の記憶にも残らないのだ。
 
伴奏とはそういう仕事だったけど、おそらく多くの伴奏者たちはその戦いを通過して、日夜どうやってその日の歌手の存在を叩き潰して帰ろうか、オーディエンスの記憶の中からいかに歌手を消してその座に自分が強く居残れるか‥ と考えながら、段々とパッセージが過度に饒舌さを増して行く。
 

時々親切心を出した歌手に、間奏等で「好きに遊んでいいから。」と言われるけど、たかだか20秒程度・16小節程度の彼等の休憩時間を私の遊びにあてがわれたところで、本気の音の遊び等出来た試しがない(笑)。
遊びは虚しい暇潰し程度で過ぎて行き、直ぐに歌手が追い討ちをかけるようにサビのリフレインに乗り出して来る。
 
むしろ私はそこで歌手を潰しにかかることが多く、歌手が歌い出すのを見計らって音量を上げてあえて素知らぬ顔でソロ演奏の続きに狂喜乱舞したりして、24年もの間多くの歌手たちを困らせて喜んで来た。
 
 
マリーンのLive動画を観ていると、私ほどではないけれどピアニストが明らかに挑んで来てるのが見て取れる。
いかに自分が伴奏以上の能力を持っているのか、オーディエンスにただそれだけをインプレッションする為だけに演奏しているようにさえ聴こえて来る。
 
    
彼女: 「ねぇ?私の話聞いてる?」
私: 「聞いてなかった‥。」‥(笑)。
 
気まずい沈黙が長く続き、私はその気まずさを埋める言葉をあえて消し去った。まるで残響の失せたピアノのように、胸の中のベーゼンドルファーは酷く寡黙に押し黙ったままだ。
 
 
かつての知人は皆、私を芸術家だとは思わない。少し話の面白い、お笑い系伴奏家だと今でもそう思って連絡して来る人も少なくない。だが、私はあえて気まずくなるような方法を選んで、人を威嚇することに夢中になるのだ。
そして徹底的に相手の気分を損ね、連絡しなければ好かったと思わせ、以後本当にそういう人との連絡は途絶えたままになるから願ったり叶ったりだ。
 
 
本当はそんなこと、したいわけではないのよ。
私本来の楽しいおばさんのまま、自由気ままに話題のロープを駆け上がって相手を笑いの渦に突っ込みたい。でもそんなことをすればたちまち、相手の(私に対する)ルックダウンを助長するだけだから私はあえて、笑いの蛇口の鍵を閉める(ここからは立ち入り禁止よ‥ と小声でつぶやきながら)。

 

私: 「で、用事はなに?」
 
場をシラけさせる言葉を選ぶのに最初は戸惑ったけれど、最近はそういうキメの一言は難なく口を突いて出せるようになった。スルースキルも段々と上達して来たものである。
 
彼女: 「急にナニよ。なんだか貴女、変わったわね。」
 
 
そうそう、その調子。早くこのボイス・チャットを終えたいのよ私は‥。

 
そして数分後、チャットが終わった。
こんな時、相手に、人の心の声が聴ける能力があったらどれだけ楽だろうかと思う。
 
時が私を変えたのでもなければ、私が冷たくなったわけでもないし、ただ‥ 余計な接客サービスを過去の同業者には使わないだけのありのままの私。そして私は芸術家であり、何よりDidier Merahであると言う事実がそこにあるだけなのだ。
 
 

今の私は本当に自由だ。
好きな音楽を好きなだけ聴いて、そして好きなだけ作曲をして、好きなだけ筋トレをして心もカラダも鍛え上げて行く。作曲だって紙に書く手間を徹底的に省略して、演奏タイムの中で完璧な作曲を完成させて配信して行く‥。
 
 
新しいアルバムのことを、ようやく真剣に考え真剣にアイディアを煮詰める作業に入った。
二週間と少し体調を崩していたのだけど、夫の看病の甲斐あって何とか鍵盤練習に少しずつ復帰出来そうだ。今日も緩々と練習を開始し、二週間休ませて少し鈍った体を余り痛めつけぬよう、優しく筋肉を動かした。

 
今の私の音楽は、今日の彼女との会話以上にとても寡黙だ。それは全て意味のある空間と空気と間で出来ており、間の中には残響と自然音と言う成分が存分に滲み出て行く、未来の音楽の片鱗を感じさせる。

 

彼女とのチャットの最後に一言、付け加えた。

私にとってあの頃は常に、悲しい戦いだったのよ。
貴女は遂に気が付いてはくれなかったみたいだけどね。
 

「え。。それってどういうことなの?」‥ と彼女が言い終わる直前を見計らい、計画通りに私はチャットを閉じた。