日々の言葉 2026/10/19 ~ 2026/10/25

目次

・26/10/19 Mon. 『Blue Monday』
・26/10/20 Tues. 『知らない人たち』
・26/10/21 Wed. 『軌道修正』
・26/10/23 Fri. 『届かない荷物』
・26/10/24 Sat. 『タイムトラベル』
・26/10/25 Dun. 『生き方』

26/10/19 Mon. 『Blue Monday』

よくよくみたら、月曜日って日記を書かないことが多い。
理由の一つが「憂鬱」、月曜日特有のあれね。この先長い一週間の予定を見るだけで気持ちが塞ぐ。
思考も動作も鈍りがちで、そういう時は周辺の状況も同期して鈍って行く。どうせ誰も見ていないんだったら、ま、いいか、と言う気の迷いが強まって、結局頭痛と風邪を言い訳にして一日ダラダラ過ぎて行く。

と思いきや、夜間にはがっつり出詠 & 投句も済ませたから、誰か「偉かったね!」って褒めてください(笑)
 

26/10/20 Tues. 『知らない人たち』

SNS「note」を見直している。と言うか、整理している。
「整理」と言う言葉は余り好きではないけど、他人軸?で生きていたら私の人生がパンクするだけ。なので物事の変わり目に来たなと思った時は、思い切って断捨離して行く。
 
知らない人の人生って、意外に自分の生活に侵入しやすい。なのでどこかできっぱりと割り切って切り離して行かないと、SNSも日々の記憶も気づくと「知らない人」の記録で埋まってしまう。
私が視ている外界の情報量と、先方が視ている此方の情報量。そのバランスを自分で操縦しないと、人生を振り回されるだけ。

人は自分が望む程、此方の話を聞いてない。ならば私も、人の話なんて聞かなくても良いよね?

愛してくれる人とだけ関わって居たい。願わくば。
 

26/10/21 Wed. 『軌道修正』

その相手を好きでも嫌いでも共に居ることが出来なくなるような場面に、これまで何度も遭遇して来た。
だからと言う訳ではないが、方向転換には余り躊躇がない。迅速に決めて、動く。

考えて考えて考え抜いて‥ と言うプロセスを徹底的に短縮して、直感が降りて来たタイミングで瞬時に行動する方が良いと私は思って居る。
色々あってー‥とか四の五の言って結論を先延ばして、一週二週回った頃には「時すでに遅し」と言う事が多かったから、おそらく私は人の20~30倍速で生きて居る。
これでもゆっくり歩んで居る方だ。

なるべく衝突を起こさぬように、優しく潔く火種から遠ざかる。先方が自身を火種だと気付くもっと前の段階で、私は既にそこを立ち退いて居る。

相手がそれらを冷静に振り返るには数年から数十年の時を要するだろう。
何せ私は予言者である。他者の理解を待って居たら、私だけが窒息するに違いない。
自分の身は自分で守る。
 

26/10/23 Fri. 『届かない荷物』

このところのAmazonの配送の状態が酷く、予定では水曜日に届いていた筈の荷物が土曜日の夕方到着した。
電話で問い合わせてみると珍しく日本の女性が対応し、「ドライバーの数が足りなくて、配送が間に合っていません。」との返答。だったら、あたかも当日運んでくれるかのような表示自体をしなければ良いのに‥ と思う。

水曜日到着予定の荷物が実際に発送されるのが、当日の未明(3:00AM頃)だっりする。当然のこと、最寄りの倉庫に荷物が到着するのが昼過ぎになるわけだから、持ち出される時間は夕方以降になる。それで夜間に配送しようとすると当然、置き配で設定されたAmazonのタイムスケジュールには間に合わず、先日のようなおかしなショートメッセージが届くような事態になる。

ま、クヨクヨとあれこれ考えたところでどうにもならないし、とりま眠る。

矢継ぎ早に遠い海上で台風の子どもが育つので、その度に精霊の強い引力に引っ張られる。頭痛が止まない。
 

26/10/24 Sat. 『タイムトラベル』

 
伴奏家を撤退してからかれこれ15年は経過しているが、当時は真正面から聴けなかったブラジル音楽今頃聴き返している。
職業が絡むとその過程で下手な歌手や楽器奏者とも関わらなければいけなくなり、どうしても心が荒んでしまう。当時聴き逃していたブラジル音楽の美しさが、今頃になって胸を熱く撫でる。

こうして人は大切なものを逃して行くのかと思うと、思わず襟を正す思いだ。今の私を包み込んでいる現実やネガティブな状況も、いつか振り返る時が来たら美しい思い出となって、頭上に再び美しい雨を降らせるのだろうか。

今月末で結社を各一つずつ、フェイドアウトすることに決めた。勿論会費を納めているので読者としては居続けることになるが、そこが表現者としての私が居るべき場所ではないことを先の件で噛みしめた。
相方とも何度か話し合い、結論に帰着した。

転機は静かに訪れる。それはいつものことだから私はそっと、そっとその輪を立ち去ることになると思うけど、いつか先方が気付いた時に何を感じてくれるのか。そんなことももう、一切考えないことにした。

私が歩んで来た変遷は、誰にも理解出来ないだろう。
500年前に詠んだ漢詩の一部を今でも記憶していることなど、その状況や心情や痛みがどのようなものだったか‥ など、人に理解して貰おうと思う方がきっと間違っている。
私が普通の人の30倍速で生きていることも、私が霊体に膨大な記憶を摘んで現在に至ることも、きっと誰にも理解することは難しいだろう。

私は旅をしている。幾つもの列車(肉体)を乗り換えて、その時々の経験を噛みしめながら。
ただそれだけのことだ。
 

26/10/25 Dun. 『生き方』

 
人と関わる事が苦手なのは昔からで、それは私の生まれ付いての容姿に起因する。
どれだけ思いを掛けても多くの場合、人は私の容姿に価値が有るか無いかで判断し、実質的には相手に掛けた思いが無価値に近く扱われる事の方が多かった。

だが年齢を経て来た今、少しずつその悪情況が逆転しつつある。勿論私の価値を分かる相手にそれは限定されるが、やはり私は予言者だから人が言わないような問題点をバッサリ指摘する事が多い。
その問題点に突き当たった人の中で、私の価値はそれまでの容姿至上主義から一気に逆転する。

過剰な謙虚さが仇になることを、神界からは度々指摘される。
持ち前の気前の良さが「扱いの軽さ」に繋がる点については自分でもよく分かって居るが、「人に寄り添う」気質をリラの巫女時代に培った記憶と習慣とが染み付いており、最近は意図的につっけんどんに人と接するよう心掛けを逆転させている。

晩年の千利休は敵味方の隔たりを極力取り払った生き方をしており、それが自らの命を断ち切る結果へと繋がった。当時私は忍びであったが、忍びとしては身に余る待遇を利休に受けていたことを今も忘れない。
だが同じように現代の人々と接するには、私の容姿が壁になる。

私が私らしく在る為には、自分が思う百倍は人に冷たく当たるべき。そうしなければ、私が無価値な人間として扱われることを、今世の多くの経験で学び過ぎる程学んで来た。

私は陽炎ではないし、ゴミでもない。
見た目がどうあれ歴とした人間であり、見えないところに多くの蓄積を持って居る。
その蓄積と経験は適切に活かさなければいけないし、それを軽んじる相手とは距離を置かなければいけないと、あらためて肝に銘じて行く。
 

noteバージョン:https://note.com/didiermerah/n/n7d780a3eecf9

日々の言葉 2026/10/12 ~ 2026/10/18

目次

・26/10/13 Tues. 『企業秘密』
・26/10/14 Wed. 『裁判の行方(MHJ)』
・26/10/15 Thur. 『染まる』
・26/10/16 Fri. 『評』
・26/10/17 Sat. 「音楽の行方』
・26/10/18 Sun. 『噴水塔』

 

26/10/13 Tues. 『企業秘密』

数か月前までは各読書系SNSに読了日記を書いていたが、最近その作業を止めている。
歌人/柳人の端くれではあるがその過程で読んだ本は、一首の企業秘密に該当する‥ と言うのは、とある神からの貴重なアドバイスであったが、その通りだと思った。
日常を明け透けに晒し過ぎることの危機意識を、あらためて心に留める。
 
毎朝7時に起床(或いは7時まで起床)して行う日々の資産管理と作歌 or 作句、これを済ませておかないと何とも落ち着かない。
なので概ね私は朝の7時には起床しているが、必ずしもメールに返信が出来る状況ではない旨、隣国の友人にそっと伝える(笑)。

慣れない韓国語(Google翻訳)をただ並べてメールを送信しているのだが、大方先方には此方の意図が通じていて良かったと思う。

某MHJ裁判も、そろそろ佳境に差し掛かって来たようだ。
 

26/10/14 Wed. 『裁判の行方(MHJ)』

或る弁護士よりメール。
「Min Hee-jinは、NewJeansの盗作を主張したとして名誉毀損と業務妨害の疑いで検察に送致されました。」(https://n.news.naver.com/article/088/0001034172?sid=102) ⇦ との進捗あり、と。

最近日本の雑誌「Casa BRUTUS」に取り上げられたMHJの自宅映像、あれは一体何だったのだろう?と言う疑問が晴れない。
確か一連の裁判の過程に於いて、自宅が差し押さえられたばかりだと韓国のニュースでは報道されていたと記憶しているが‥。
 
逃げても逃げても、人は法からは逃げられない。
そこに某自然神の「神の一手」が振りかかり、私はその神と霊体を繋げている。つまり一心同体と言う意味。

術式とは何?
開運とは何?
この世界には多くの偽善と怪情報が渦巻くばかりだが、それを正し導く手立てについては今は未だ思いつかない。
 

26/10/15 Thur. 『染まる』

 
秋なので髪を染めた。
このところ白いものがふつふつと増え始めたのは自然なことだけど、私以上に美容師がそれを気にしているらしい。
激しく染めずに気品のあるブラウン。光にあたると、ひと昔前のリカちゃん人形の、あの金髪が揺れ動く程度。

Kindle Paperを持参したものの美容師三名の雑談が止まず、半ば逆接客状態に。
これも又いつものこと。

ぐったりしながら夫が待つファミレスまで戻り、本来なら余り口にしてはいけないマスカットの「ちょこっとパルフェ」を胃袋に仕舞い込む。
きっと新たなウェイトも仕舞い込んじまっただろうなぁ‥。

ダイエットは明日から(笑)
 

26/10/16 Fri. 『評』

本音を言うと、記念誌に「評」は要らないと思う。
何故それが必要なのか、いつかご本人に尋ねる日は果たして訪れるだろうか‥。
 

 

26/10/17 Sat. 『音楽の行方』

毎週末恒例の「世界の音楽」チェック、今週末は悲惨な状況だった。
ここ最近ずっと悪状況が続いていたことを受けて、お気に入りのアーティストを少し整理している。

私の感性が変わっただけでなく、世界の状況が目に見えて悪化している。
例えばフランスはパリの暴動だったり、異常気象からそもそも今年のワインの出来は良くないだろうと言う見通しだったり、移民問題が後手後手になっているのは日本も他人事ではない。

相手はヒトではなく、宗教だ。そのうち思いもよらない場所に平然とモスクが建ったりして、もっと深刻なトラブルに発展すると私は見ている。
そこまで差し迫って来ない限り誰もが見て見ぬふりで、先回りでその問題の火消しを行う人もそうそう居ないのだろう。

日本バレーを見ても一目瞭然、追い詰められなければ戦わないのが日本人。まして私がちょっと予言した程度では「証拠不足」と一吹きされて終わりである。

何より世界的に音楽が、音を失い始めている。
 

26/10/18 Sun. 『噴水塔』

 
Web古書店から購入した加藤治郎氏の歌集「噴水塔」が、想定よりも大幅に遅れて到着。
実はうっかり二冊買ったのだが、もう一冊目の方が注文が早かったにも関わらず発送されていなかったので、そちらは一旦キャンセルに。

体調が優れないので寝室で歌集をめくり始めたが、流石に寝室読書には不向きな一冊である。
姿勢を正して読まなければいけないと思い、一旦本を閉じる。

海上に台風が生まれると、決まって重い頭痛に見舞われる。今年はそれが頻繁で症状がキツく、季節を跨いでも終わる気配が無い。
完全に異常気象だ。低気圧性の頭痛ではなく、台風に宿る精霊が活発化する時のそれである。
霊障とも言えるだろう。

段々とコーヒーが効かなくなって来たが、出来る限り頭痛薬は体に入れないよう努めている。
 

⇧ 今静かに温めて育てているプレイリストです。よろしければ是非、お気に入りに加えて頂き聴いて下さい。

 
noteバージョン: https://note.com/didiermerah/n/n00b23bc61791

【JOY 2 (初回生産限定盤) – 山下達郎 (特典なし)】 #NowPlaying http://www.amazon.co.jp/dp/B0HCV192HP やはりLiveは演奏が雑になる‥ と言う印象。そのくせ山下達郎の遊びのないvocalがLiveには不向き。バックが悪目立ちして聴こえる辺り、本人は気にならないのかと言う疑問が先に立つ。#山下達郎 #JOY2

— ディディエ・メラ (Didier Merah) (@didiermerah.bsky.social) 2026-10-19T19:24:06.488Z

日々の言葉 2026/10/05 ~ 2026/10/11/

目次

・26/10/06 Tues. 『歌稿』
・26/10/07 Wed. 『着眼』
・26/10/08 Thur. 『台風の子供たち』
・26/10/09 Fri. 『ホタテ貝を焼く』
・26/10/10 Sat. 『Minaに浸る』
・26/10/11 Sun. 『重い』
 

26/10/06 Tues. 『歌稿』

すこぶる体調が良くない。ただでさえ体温が上下乱高下する中、早めに未来短歌会への歌稿を済ませた。

他の結社と未来短歌会の大きな相違点は、選者を自身で選べるところにある。
但しこれにはリスクもともない、選者と万が一ソリが合わなくなった時の身の振り方が難しくなる。

前結社(未だ退会出来ていないが)では選者を選ぶシステムが無く、何となくくじ引きのような感じで誰が選に当たるか分からない不安が常に付いて回り、かと言って選評後の歌の報いを感じられず、ずっと悶々としていた。

とは言え何れのケースであっても、最後に付いて来るのは人と人との相性のようなものだろう。
基本的に人嫌いの私としては、本当ならば選だの評価だのと言うプロセスを経ない、自由な空間で漂って居たいところだがなかなかそうも行かない。

歌稿からその後も緊張で悪寒が止まらず、明日は半日か一日寝て過ごすことになるだろう。

食欲だけはまあまあ尽きない。いかに糖分をカットして行けるかと、日々キリっキリしながらおやつタイムで戦っている。
 

26/10/07 Wed. 『着眼』

古いもの、古い言葉を大切にすること。それはとても尊いことだけど、思考がそこで止まってしまうのは如何なものか。
さらには現代人が普段会話では使うことのない古語に縛られて、旧仮名づかいみたいなもので表現を固めてしまう、これは絶対あかんと思う。

口語=軽い、みたいな間違った認識で短歌や川柳を一刀両断に弾き飛ばす、これは絶対にタブー。

どのように現代の、今、日常的に使われている言葉を柔軟に使いこなして行くのか。そこに勝負を挑む歌人や川柳家がもっともっと日の目を見て欲しいとも思う。

とは言え表現には人生経験が必須。
若くて言葉回しがどんなに器用でも、そこに嘘臭さや人生経験の無さが露呈するようでは、表現者としては未だ未だだろう。
(ザッと空で14~5人は思い付くけどね‥笑。)

 

26/10/08 Thur. 『台風の子供たち』

太平洋辺りで台風が生まれる瞬間、私はいつも酷く体調を崩す。概ね頭痛。
どうやら台風が生まれる時に精霊が着床して無垢なエネルギーが生まれ、その無邪気な力が私の霊体を強く引っ張るから‥ と言うのが個人的な分析結果。

霊体と肉体は常に同期してはいるが、反応と順応には時差が生じる。一般的に言われる「低気圧性の偏頭痛」とは少し異なる症状で、特に眉間から少し右側が痛みの発信源になるらしい。

何もやる気が起きない木曜日。先ずは頭痛薬を飲む。
明日は月一の歯科通院日なので、このまま脱力しながら少しだけ読書をして眠りに就く。

 

26/10/09 Fri. 『ホタテ貝を焼く』

歯の検診結果は上々だ。相方に薦められた柔らかい歯ブラシが功を奏し、一時は抜け落ちそうになっていた奥歯の戻りも安定している。

気分が良かった勢いで、相方と二人で焼き肉屋に直行。お決まりのコースをサクサク進み、今回初めて魚介をオーダーしてみる。
相方は甲殻類が食べられないので、一先ずホタテ貝を頼む‥ これがとことん体に沁みた。

塩味が軽く付いていたので、あっさりレモン汁を付けて口に放り込んで行く。
‥カイ、、カン。思わず薬師丸のささやきがこぼれ落ちる。

一昨日、昨日と二日間連続でケーキを食べたので、今日は止めておく。ケーキを食べるとやはりウェイトが増えて戻りにくくなるから、と言う健康上の理由で我慢ガマン。

穀物を胃に入れなかったので、きっと深夜にお腹が空くかもしれない。
が、帰宅したら一先ず休む。

週末は又、音仕事の忙殺が待っている。

 

26/10/10 Sat. 『Minaに浸る』

 
イタリアの(おそらく)最長老の女性歌手/Mina(ミーナ・マッツィーニ)の、86歳の新譜が美しい。イタリア贔屓の私が昨年のオルネラ・バノーニの逝去からなかなか立ち上がれず、間もなく一年が過ぎようとしている。
時間とは残酷だ。容赦なく過ぎて行く。
だが、時間を味方に生き延びて行く種がヒトの中に居ることは、今の私の大きな原動力にもなり得る。

イタリアはMina、そして日本はと言えば大貫妙子や吉田美奈子‥。
女性は(特に)両親の介護等を経た後に、自らの取り返しのつかない老いに立ち向かうことになる。私もそれで苦労している人たちを沢山見て来たが、幸い私は両親に「破棄」された子だったことは幸運だったかもしれない。
寂しさもありつつ、毒親の毒をまともに喰らうことなく私以外の家族全員が旅立った。
棄てられた子に出来ることは、ただ一つ。墓じまいだけだった。それも済ませた今、正真正銘私は創作活動に全力投球出来る土壌がようやく整った。

Minaを聴きながら思う、彼女はどんな人生を歩んで来たのだろうかと。
そして今最も気になっている吉田美奈子氏の人生は‥。彼女は今、生き生きと第二第三の歌手人生を謳歌していると知り、少し安心した。
彼女が私を嫌いでも、私は彼女の音楽を心から愛している。人を想うことの幸せを、吉田美奈子の音楽がそっと教えてくれる。こんなに幸せなことはない。

「悲しみの停まる街」‥。やはり彼女はうねりながら、唸りながら、人生を太く長く生きて行くだろう。そう願って止まない。
 

26/10/11 Sun. 『重い』

なかなか馴染めない『文フリ』の響き。大勢の作家が一堂に会するイベントらしいが、人混みも人も好きじゃない私にはちょっと不快な響き。

Xが『文フリ』で賑わっているらしいが、外国語を見るようにそれをスルーして行く便利な脳ミソを持っていることを、私はとても誇りに思う。

それより何より花粉症。鼻の皮膚の一部が日焼けしたみたいに熱い。
アレジオンも効かなくなった。

今年は症状が重い。
連休中、私も少しだけ重くなった。
 

日々の言葉 2026/09/28 ~ 2026/10/04/ エッセイ『サウダージ』

目次

・26/09/28 Mon. 『大黄(ダイオウ)』
・26/09/30 Wed. 『ぶり返す』
・26/10/01 Tues. 『逃す』
・26/10/01 Tues. 『逃す』
・26/10/02 Fri. 『補充』
・26/10/04 Sun. 『風邪っ引き』
 

26/09/28 Mon. 『大黄(ダイオウ)』

お腹の不調を改善したくて服用していた漢方薬が、逆にお腹に負担を掛けていた‥と言う話。
或る漢方薬を飲んだ後に毎回お腹を壊すので調べてみたら、案の定その漢方薬に含まれている「大黄(ダイオウ)」が悪さをしていたと分かり、先ずは問題解決。
効き目の弱い、「大黄」の入っていないタイプの漢方薬に変えてみることにした。

そんなこんなで調べ物をしていたら、グラグラと。しかもBlueskyが結構長時間ダウンしていて、何も表示されないトラブルまで。
ホント次から次へ色々あるな最近。

風邪も完治していない身重な(笑)身体ゆえ、引き続き食べて寝るだけの一日だった。食べて寝て、揺れて歯を磨いて少し歌を詠んだ、そんな月曜日。
他にもう一つ大きな珍事があったのだけど居住地区が割れると色々セキュリティ上危険なので、ここには書かない。最近何かと物騒よ。

エッセイストの伊藤亜和さん、結婚したらしい。よかった‥。
 

 

26/09/30 Wed. 『ぶり返す』

ぶり返す、と言えば風邪。それに喘息。
昼間銀行の担当者と話をしていた時も、ふとした風が通過する毎にケホケホと咳のソロコンサート。‥辛かった。

夕方、前日Xにポストした「昏睡のパラダイス」に、加藤治郎氏ご本人よりリプを頂いた。加藤氏とお話し出来るって、奇跡みたいな話しだと思う。
他の歌集も順次読みたい。

が、その前に風邪を治ス。

10月は結社の移動や句会の整理等、身辺整理に追われる予感。予感と言うより既に行動してるわけだから、それが形になるだけの話しよね。

あたしは真ん中を歩きたい。
音楽でもプロデュースでも、私がそこを歩く時は大概誰も居ないから。一番見晴らしが良くて目的地に最も近い道を、なぜか殆どの人たちが歩かない。

不思議よね。

気遣いだ根回しだ、そんなことに気を取られずに済むサイコーの道なのにね。

 

26/10/01 Tues. 『逃す』

誰にも出詠経緯を話していなかった『或る賞』の結果が発表され、当然のこと賞に漏れた。直ぐに入賞者の傾向を探って行くと、前回とはかなり様子が違った。

日常の他愛のないことに少しだけ飾りを足したような、言ってみれば薄~い作品が選ばれている印象だった。となれば、私の出品作はかなり濃すぎた。

おそらく私と他の多くの人たちとでは、そもそも日常の濃度が圧倒的に異なる。祈る人と祈らない人の差は大きい。しかも私は霊能者であり、預言者でもあるわけだし。

選者に期待し過ぎたのかもしれない。だとしても、私はわざわざ選者に合わせて作品をカスタムする方が身の丈に合わない。勿論出来ない訳ではないが、うっかりそちらが入選した時のリスクを考えると、入選や入賞をゴールに定めて作風を変える方が危険だ。

上記のケース、芸能界で散々見て来た。企画に採用される為のカスタムで運良く競作に勝てた後に、作風を元に戻そうとすると周囲がそれを許さない。そうやって多くのカスタムライター達はその後、音を立てずに没落して行った。

私は商業歌人を目指してはいないので、ここは一切カスタムなしで挑む。その代わりに今後は、私が選者を選び抜く力量が求められることになる。
コンテストと言う名の、これはギャンブルに似ている。ギャンブルは嫌いだが、こういう時だけは山師と化すのも又宿命。
 

26/10/02 Fri. 『補充』

前日の某コンテストの落選を受けて、お疲れ様~の意味合いも込めて相方と焼き肉を食べに出掛けた。丁度マイナカードのデータの更新を控えていたので、ついでにそちらも済ませた。
焼き肉がメインでマイナカードのデータ更新は、あくまでそのついで‥ と言うスタンス(笑)
ダイエット中の体を少しだけ甘やかして、ケーキも食べた。シャインマスカットもそろそろ終盤だろうか。

前夜は徹夜だった。
数年後に俳柳句集の出版を予定しており、その作句に着手。同時に別のコンテストへの出詠に向けた作歌も開始。連作を得意とするので、帯を開始するとその他の活動は必然的にせーヴすることになるが、これは致し方ない。
然り気無く黙る。

一体幾つ詠んだかな、メモ書き一杯に一気に歌詞が埋まって行ったようなこの充足感。
作詞家だった頃を思い出す(ゴーストライターだったけど派手に飛んだ詞を幾つも書いた、無謀な時代のかつての私‥)。
 

 

26/10/04 Sun. 『風邪っ引き』

七澤銀河を脱ぎ捨てて、毎週末の決まったルーティーンに入る。
一定サイクルで音の鬼と化す私。土日の二日間は短歌からも川柳からも離れて、ほぼ半日以上音楽のトラックを淡々と走り込む。
どこか二部制で終末だけ開店するバーのようだがどちらも本業なので、手は抜かない。

カンツォーネもルンバ・フラメンコもアルジェリア付近からアフリカに到る殆どの音楽が案の定品薄で、今週末も完全に良曲に見放された。慣れっこになったとは言え、地上の音の楽園が段階的に狭くなっていることを肌身にしみて噛みしめた土曜日。
嗚呼又か‥。

体調が好くない。相方とふとしたことが理由で大喧嘩になり、張り手と張り手でぶつかり合う本気の喧嘩に発展し、そのまま朝を迎える。

どうやら両者共に発熱していたらしい。
先日諸用で市役所に出向いた際に、何か良からぬものを貰って来てしまったようだ。私は口に裂を持っており、そこから簡単に菌だのウィルスだのが出入りするので気を付けてはいたが、やはり何かに感染したのだろう。

頓服を飲んで、気になっていた句会への投句を済ませて布団に潜る。
 

あとがき

エッセイ『サウダージ(Saudade)』

海の上では未だ、台風が矢継ぎ早に生まれては消えて、秋の訪れを拒絶する子どものような表情で次に来る風を見ている。暴力的な夏の陽射しを逃げ切った人々の背に、往生際の悪い夏が横たわる。

高熱の引かない身体を抱きしめて、地球は何を想うのだろう‥。
 

私は歌を聴いている、
南の国で生まれた静かな歌を。
夏が嫌いなわけではないけれど、私が母の胎内に宿った季節を今でも心から愛せない自分がこうして生きている。

サウダージ(Saudade)‥ 何と美しい響きだろう。何度も何度も声にして、その遥か彼方に拡がる森を想う。その森も今、いのちの境界線に立たされていて、多くの人々はそのことを知らない。
上空を鉄の塊が横行し、それらが散りばめるノイズが森の聴覚を狂わせて行く。
森は火を噴き上げながら自身の不調を人々に知らせようとしているが、ヒトはその音色を捉えられない。森の放つ声は余りにもか細く、風に似た響きで空を回り続けている。知っているのは鳥だけだろう。南国の鳥たち‥。
 

南国の彼らの鮮やかな羽の下に畳まれたものが透けて見える時、私が今の命に着床するまでの短くて長い飛行の時間を思い出す。
魂が空から母体に降りるまでのあの独特の浮遊感を記憶したたままでいることが、時々とても辛くなる。体ひとつで空から地上へと落ちて行く、それは風に吹かれるままでもなければ自分でコントロール出来ることもなく、神が定めた母体へと突き動かされて届いて行くまでの永遠の悪夢。
 
私は種である。森の始まりと同じように私も又、ヒトの中へと飛んで行く。鳥のような羽を持たずにただ、真っ直ぐに落下する。
 

日記まとめ 2026/09/14 ⇨ 2026/09/20

目次

・26/09/14 Mon. 『際限なく』
・26/09/15 Tues. 『見直し』
・26/09/16 Wed. 『学ぶ、学ぶ‥』
・26.09/18 Fri. 『音楽のおシゴト』
・26/09/19 Sat. 『読書ログの見直し』

 

26/09/14 Mon. 『際限なく』

祈りはいつ、水かさを増して行くのだろうか。どれだけ祈っても戦争は終わらない。どれだけ祈っても人は人を言葉で刺し続ける。
何も変わらないことが幸せだと思っていたが、負のスパイラルは日々過熱して行くばかりだ。
 
音楽が心を満たしてくれるかと思いきや、ここ数か月間の世界の音楽の質の低下には流石に心が痛む。
今日も夫と二人、俳柳を編んで日付けを越える。
 

26/09/15 Tues. 『見直し』

わたし的な感触としては、そろそろ活動スタイルを見直すタイミングに差し掛かっている。報われない場所への出詠は極力避けて、生まれ出た言葉はなるべく日の目を見るよう、これは言葉の親としての切なる願いである。
軸足は短歌だが、どういうわけか川柳(現代川柳)の方が色々報われている感を強く感じている。勿論日々の俳柳の作句も止めず、短歌もなるべくコンスタントにSNSに落として行く。決まったメンバーからの「イイネ」は勿論嬉しいけれど、このところご新規さんの「イイネ」も増えている。

欲は張らないが、どこかで爆発させなければいけないと言う危機感を背後に感じつつ、周辺の歌人もグイグイ言葉を際立たせている分私ももっと頑張らねk㋹ばいけない。
音楽との両輪なので、時間も体力も足りない。何かを削らなければいけないのかもしれない。
 

 

26/09/16 Wed. 『学ぶ、学ぶ‥』

ひたすら勉強の一日だった。
作業がある日はなるべく食事の分量を減らして、眠気や疲労を軽減させることに決めている。それが功を奏して、今日一日の勉強は思いのほか捗った。

第二の人生の予定が、若干変更になりそうだ。手持ちの資産の増減がこのところの戦争や石油の高騰、ドル円の事情で思うように行かない。山村暮らしを夢見ているが、そんな中予定していた家政婦さんの件で若干問題が生じている。
それについてはここでは余り書けないが、相方と何度も会話を重ねて、色々なことに少し時間は必要だと言う結論に至った。

寿命を逆算しても、私の活動事情を見ても、流石に今私たちが「老後」と言うフェーズに入って行くには未だ時期尚早だ。
ならば山暮らしは第三、第四の人生にシフトするタイミングであらためて考えても良いのかもしれない。それまでをどう過ごして行き、手持ちの資産をなるべく食い潰さずに尚且つ増やして行けるよう、ここは計画を変更するのが正解だろう。
 
うっかり「かばんの会」への出詠を逃すところだった。慌てて歌を作り替えたり足したりしながら先ほど無事出詠を完了。
  

26.09/18 Fri. 『音楽のおシゴト』

お金を頂くからプロとは限らず、私のように誰からの支援も無いのに働く人間も存在し、だからこそ専門知識を存分に活かせる場合も多々ある。
皮肉なことに世の人たちの多くは「ギャラが発生する=プロ」だと思っているらいしが、厳密には違うだろう。

取り引きの無い作業だからこそ、本音が語れる。世のしがらみに一切干渉されることもなく、音楽のありったけを分析して語り尽くす。
私が毎週続けている音楽評論とは、即ちそれを指す。

今週はイタリアはカンツォーネの女流レジェンド/ミーナの新譜が余りに美しく、何度も視聴して取材班を重ね、ブログを書いた。
その他にもあれこれ書いて、聴いて、フラフラになって書斎を離れたのは曜日が変わってから数時間後の朝だった。

週末は、歌人/七澤銀河から芸術家/Didier Merah(ディディエ・メラ)に戻らなければならない。
 

 

26/09/19 Sat. 『読書ログの見直し』

金曜日~土曜日の未明頃にまとめて行った音楽の作業で、脳は熱く体はガタガタだった。
真剣におシゴトをやった翌日の私は全く使い物にならないお皿みたいに、あっちこっちに横たわる。機嫌が悪くなる訳ではないけれど全く喋らなくなり、体の要望に応えるように昏々と眠りたくなる。

まさに今日がそんな一日で、おそらく二度寝、三度寝‥ とシンプルに睡ることを楽しむ私はただの陸の鯨と化すのだ。

そう言えば読書ログ系アプリを二つインストールしている。一つは「読書メーター」、もう一つは「ブクログ」。
どちらか一つをアンインしようと思いながら早6年が経過して、最近知り合いの一人が「ブクログ」を使っているので利用を再開したのだが、うっかりコレに読ログを付けてしまうと今私が読んでいるものが外部に明け透けになる危険性に気が付いてハッとした。

私は歌人やら川柳家みたいな地点を目指しているとも言える今、自らネタバレを告白するような行為は控えるべきだと、先ほど天の神さまより警告を受けた。
つまり読んだ本の一部か大半を直ぐに記録に残すべきではないと言う、これはそう言う意味と私は捉えた。

はぉ色々と面倒臭いけど、それもこれも致し方ないことね‥。

それにしても、あとどれだけ眠り続けることになるのやら。ただでさえ低気圧性の偏頭痛で結構キツイのよ。
 

note版: https://note.com/didiermerah/n/n8a150e2a2fe9

日記まとめ 2026/09/07 ⇨ 2026/09/13

目次

・26/09/07(月)『一難去って』
・26/09/09(水)『歯ブラシを変える』
・26/09/10(木)『出詠等の見直し』──省略
・26/09/11(金)『インプット』
・26/09/12(土)「世界の雑音』
・26/09/13(日)『慌てる』
 

26/09/07(月)『一難去って』

先週の後半の事はリアルな知人が絡むことだったこともあり、日記を公開出来なかった。先方もそこそこネットリテラシーが高そうなので、きっと私の書くものを目にするだろうし。

新居をサポートして下さる人の件では色々心配なこともあるし、前提から若干ストーリーが(先方の中で)変わっているような断片を直接見聞きしたこと等も含め、話したいことが山のようにあるけど、未だ新居の箱すら無い訳だし話せることも限られる。
とは言え早めに話しておいた方が良いこともあり、あらためて茶会を催したいと考えているが‥。

そんなこんなで相方も疲れていたのか、今日の歯科検診の後の外食でいきなりお腹を下した。丁度食後のコーヒーを飲み始めたところで急に相方が体調を崩したので、会計を待たずに先に帰宅を促した。
後から私が会計を済ませて相方の背中に追い付くと、相方の顔色が酷く青い。タブ先日の件で気疲れしたのだと思う。

我が家は二人とも多眠族なので、先週後半のような睡眠不足は私も彼も正直かなりキツかった。未来のお手伝い候補の方へはその件は、早いうちに話しておいた方が良さそうだ。
反省‥。

戦争もなかなか終わらないし、円高その他の要因で株価が安定しない。よって資産がかなり目減りしていて、なかなか新居巡りにステップ出来ずに居る。
苛々しても仕方がないので、先ずは私たちの体調に良く無さそうな要因を外して行くことが先決だろう。
 

26/09/09(水)『歯ブラシを変える』

歯周病等とはとんと縁が無い‥ 等と高をくくっていた若かりし頃の自分に、もっと厳しくしておけば良かったと言う後悔‥。
過剰歯だった私はこの10年で何本も歯を抜いたり、或いは歯が抜けたりして、もう後が無いところに差し掛かっている。

先日の歯の検診でドクターに「歯ブラシのあて方が強すぎて、歯が削れていますよ。」と言われ、複雑な個所以外の歯磨きを見直すことにした。
私の歯は本っ当にふっくざつな感じになっているのでやわらかい歯ブラシだと直ぐに毛先が傷んでしまうのだけど、そこをあえて「やわらかい歯ブラシ」に一旦持ち替えてみることにした。
複雑な部分だけタフトブラシを当てて細かく磨いて、後はとことんやわらかい歯ブラシを使う。

まぁ還暦から間もなくプラス2歳になるわけで、色々とカラダが不調を訴えて来るお年頃。
とは言え最近服用を開始したオルニチンのサプリが思いのほか効いていて、行動の立ち上がりが大分早くなった気がしている。
どんだけ「しじみ」が足りてなかったのか‥(笑)🦪
 

26/09/10(木)『出詠等の見直し』

──諸事情にて記事は省略致します。
 

26/09/11(金)『インプット』

最近外側に出す文章は改行の度に最初の一マスを空けて書いていたのだけど、一先ずそれをやめてみようと思う。特に公式の文章でもない限り、見た目に改行ばかりが目に付いて文字が視界に入りづらくなるのを感じたから。
ブログも同様、ワンセンテンス毎の改行の度にマスを空けると、それだけで目がチラチラして肝心な文章の内容が飛んでしまう。

今日はインプットの日。色んな書物‥ つまり積ん読本をサクっと片付けた(笑)
栄えある積ん読本に選ばれた書籍陣には大変失礼な話しだが、時間的にもタスクの分量を考えてもこれはどうにもならない話しなのでありのまま。

‥とは言え、実は最近真剣に読んでいる書籍の話しはここではしない。ネタバレの危機感もあるし今後のコンテスト等の仕込みの件は極力漏らさない主義だから。
なので今日の日記に登場する書籍(積ん読本)は、実は二軍選手と言うことでオケ?‥😄

一番面白く読めたのは「GOAT」の紙媒体雑誌。久々に紙の感触を楽しめた雑誌だが一つだけ難点があるとすれば、文字の色が読みにくかったこと。
色インクは目に鈍く刺さる為、文字の輪郭が揺らぐから読みにくい。やっぱりインクは黒がベストだと思う。

そして先日購入した天野慶さんの歌集。って実はこれは三冊め。先の二冊は一冊めがコーヒーをこぼして大破、二冊めは引っ越しの際の行方不明で各々手放し、今回やっと三冊めを入手したけれど、此方はすでに新品が絶版らしく古書の扱いの貴重な一冊。今回こそ大切に保存したいものである。

その他積ん読本は複数冊に及ぶが、一先ずこの日記には冒頭の二冊だけを記録しておこう。
 

 

26/09/12(土)「世界の雑音』

毎週末の世界の新譜チェック‥ 今週末は散々な結果に。
単曲200曲を始めのべ870曲を視聴した結果、メインのプレイリストに足した新譜は何と11曲。歴代の悲惨結果の上位に輝きそうな散々っぷりでした。

戦争の影響でインフラがガタガタになった地域からの新譜が激減してたり、フランスからの新譜が目立って減っている。
きっと何処も音楽どころじゃないのだろう。

日本では地上波でお馴染みの芸人やタレントが、ごっそり体調不良だと言うニュースも飛び交っている。辻希美ちゃんもその一人‥?

数年前の予言が形になりそうで、正直怖い。
 

26/09/13(日)『慌てる』

かしこまった外食の度に胃痛に悩まされるコレ、いい加減やめて欲しい(笑)
呪詛とか圧の類いだと分かりきったその、アレ、やめませんか母?

念願の「モンサンミッシェル産ムール貝のワイン蒸し」をたっぷりひと皿食べて、後はいつものフルコース。
久々に満腹を堪能して帰宅‥ と、川柳『ゆに』の投句が未だだったので慌てた。

パソコンデスクに行く気力がどうにも湧かず、既にスマホに作句メモを保存しておいたのでそこから抜き出して投句完了。
Gmailをスマホから操作するとどう言う訳だか、署名欄の段差がズレるのは何故?

句には影響なさそうなので、そのまま送信完了。
バっタバタ、ヨっタヨタな日曜日の夜だった。
 

 

追記:
先週末の「世界の新譜」チェックは想定外に散々な状況だった為、サブブログ「ディディエ・メラの音楽倉庫」の更新が出来なくて、ファンの皆さま本当にごめんなさい。

note版: https://note.com/didiermerah/n/n564f76340f02

日記まとめ 2026/08/09 ⇨ 2026/08/15

【26/08/09(土)】『まさか業務用オゾン清浄機?』
 多分‥ だけど、同じマンションの何処かの部屋で業務用のオゾン清浄機を使用しているらしく、強力過ぎるオゾン臭で昨夜から吐き気と頭痛に悩まされています。
 短歌も川柳も、音楽すらも手に付かずほぼ二日間死んでます💀

 身体が一度拒絶反応を示したものは、それが微量であっても過敏に反応するから余計に辛い。

 一先ず不動産管理会社に連絡を入れて、明日調査してくれるとのこと。夏休み中に室内を浄化しようと、強力な脱臭除菌器を入れた部屋がありそうです。

 おそらく普段住居としては使用していない部屋‥ だとしたらこれ、いつまで続くのか分からないだけに不安です💧
 

【26/08/10(火) 『ある歌集を読む』】
※此方はnoteに個別に記事を書いたので、noteのリンクを貼っておきます。
https://note.com/didiermerah/n/n88d804935098
 

 
 
【26/08/13(木)『短歌とサプリの日々』】
 塔短歌会の冊子をポストから無事受け取り、自分の作品がどんな風に掲載されているのか確認する。
 全10首中、掲載されていたのは7首。コレって良いことなのかそうではないのか、今一つ判然としない。だって3首は省かれている訳だから。

 但し選者の評価は悪くはなかったので、やはり「良し」なのか‥。出詠は今年の5月だったことを考えると、やはり実力的にはまだまだと言う感触の方が強い。この二ヶ月で、実はかなり力を付けたように感じている。やはり「あの」連作の苦労がここに来て、ジワジワと実を付け始めたかな。
 
 あまり色々狙い過ぎるのも何だけど既に来年エントリーを予定している短歌の連作に加え、或る川柳のコンテスト用にも作句中で、連作 on 連作で遂に六十肩が再発した(笑)
 笑えないですねコレは。

 肉の万世からハンバーグをオーダーして一先ず脳にアミノ酸をチャージするも全然足りないので、サプリメントで追アミノ。
 酒とバラの日々ならぬ、短歌とサプリの日々をばく進中ー。

 最近夜になるとやたら目が霞むわ爆弾低気圧で頭痛が続くわで、粉薬‥ じゃなくてサプリメントの量が増えている。食事量がかなり減った分栄養が上手く摂取出来ないので(病気じゃなくてダイエット)、これも致し方ないと半ば諦めモード。

 少し休んだら、週末恒例の音楽チェックを始めなきゃいけない。その前に全く予定に無かった塔短歌会の11月号分の出詠を済ませなきゃ。これが又色々と面倒で、指定の原稿用紙にボールペンでチマチマ清書しなきゃいけなくて、切手を貼ったりコピーを取ったりで結構緊張を強いられます。
 

 

【26/08/14 (金) 『忙殺される』】
 このところどこか体調がスッキリしないので、週末は休養に充てる予定が完全に逆になった。
 普段は短歌だ川柳だと言いながら実のところ私は音楽家なので、毎週末は新譜チェックに忙殺される。
 昨日がその日だった。

 しかも早朝に作歌と出詠の両方に手書きの清書が加わったので、神経がピリピリして結局気付けば丸一日仕事をしていた。
 何とかホリックかな私は‥。

 音楽の作業の合間にKindleで読書。戻ってYouTubeで最近噂のaespaの「スシロー」をリプレイしながら息抜きをして、又音楽チェックを再開。
 作業もあと1/3を残す段階で、YouTubeにお料理動画を視に行く。主にフレンチかイタリアンのレシピ動画が、最近のマイブームである。難しい料理をさも簡単に視せるのは、一流の料理人のテクよねーとか思いつつ、いつかは絶対作ってみたいレシピ動画はお気に入りにストーーーック!

 流石にそろそろ寝ようーって、朝の4時を過ぎてるじゃないですか🕓️
 

【26/08/15(土) 『サヨナライツカ』】
 X、Blueskyにそれぞれ「メイン」「短歌/川柳用」「毒吐き用」の3種のアカウントを敷いており、それぞれの人間関係が重複しないように運転している。
 私は頭に「超」が付く程の秘密主義者なので、特にメインのアカウントでは出来る限りフォロワーとのリプでのやり取りを避けている。アンチがどこかで必ず此方を見ており、私の人間関係から切り崩しに来る事が分かっているので、最近ではメンタルの弱い人との繋がりも徹底的に回避するようになった。

 SNSでの片想いも、可能な限りノーサンキュー。‥と言う訳で、週末の合間を利用してXとBlueskyの片想いを若干整理した。先方が此方を見てないなぁと感じた時はおおよそそうなので、私も先方を見ない。
 これは親しかろうが親しくなかろうが、最近は思い切って視界から外して行くことに決めている。その代わり、先方が思い立って手を伸ばして来た時には、その手をそっと受け容れる。
 とは言えこれも、ケースバイケースだが。

 多くの人たちは、相手の一面しか見ていない。その相手が多面的な生き方をしていたとしても、例えば私の場合なら、音楽家か歌人か或いは柳人か‥ の片方だけを選んで相手ご向き合っていることが大半だ。
 なので私も相手に因んで、片側の私だけ繋げて相手が見て居なさそうなもう片方の私を相手から外して行く。

 本当はそういうことはやりたくないのが本音だがそうして行かないと私の場合、SNSのF/Fのバランスが偏ってしまうので。

 サヨナライツカ。
 人の記憶に香りだけを残して生きて行きたい。
 

 

【さて‥。某所Aも某所Bも呑気に色んな(偽)情報を発信しているようですが、近日中にこのブログで大きな発表があります。
覚悟を決めてお待ち下さい🛸】

 

 
【noteバージョン】
https://note.com/didiermerah/n/n25923eeb5611

基本と破壊、そしてジャッジメント

この頃は、短歌や川柳の作句や出詠の締め切りにかなり追われているわたくしです。当ブログの更新がなかなか進まず、申し訳ありません。

早速今週末の「世界の音楽」、新譜チェックを進めている最中ですが、最近「壊れた音楽」が異常なまでに増えた気がします。
ここで言う「壊れた音楽」とは、基本を踏まずに破壊行為に走ったものを意味します。これは短歌や現代川柳にも同じことが言えるかもしれません。
勿論現代音楽はその最たるものと言えるでしょう。様式美を逸脱したのではなく、そもそも様式も基本も無視した表現ですから、概ね冒頭に「現代〇〇」‥ と付くものに触れる時には注意が必要です。

基本を踏まずに壊れたものは、ただのガラクタだと私は思っています。ガラクタにはガラクタの価値があると言う人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。
利用価値がなくなったものを「ガラクタ」と言うのであり、この世にガラクタ同様に生み出されたものには悲壮感と絶望しか感じない、これは正常な感覚ではないでしょうか。生まれた時に既にガラクタである状態が、完成形なのですから‥。
 

 
言ってみれば、SNSはガラクタの温床と言っても過言ではないでしょう。そんなSNSにかつては私も埋没し、情報の多くをSNSで受信し、その真偽を確認することもせずに勢いにまかせてシェアや発信をし続けて居たことを思えば、人の事は言えません。
 
ですがその危険性に気付いた今だからこそ、過去からの学びを発信するのも又責任と言うものでしょう。
自身の過去の反省点は、必ずあるべき形に戻す為の回収をする、これが私のポリシーです。
 

スピリチュアルも音楽も政治も、そして短歌や川柳のみならず現代詩の世界も美術家界隈に渡る隅々までガラクタは蔓延しており、それもこれも各業界に於ける評論家が激減したことも大きな要因かもしれません。
医療業界や美容業界を見てもこれは同様で、法整備に抜け穴だらけの法や薬機法等に縛られた専門医が自由に発信出来ない反面、美容ライターのような存在が「好みと合うもの」を良品として紹介する記事を書いている状況があります。
 
勿論音楽業界でも同じことが多発しており、発信者自身の好みを問わず目の前の作品を虎視眈々と評価する行為に及んでいるようには見えない、虚実混交とも言える情報が蔓延しています。
多くの人たちは真実を知りたいと思うが余りにヒステリックに、或いは衝動的に目前の情報にうっかり同調したり反撃や罵詈雑言に及んだり、そういう状況が当たり前に私の視界に広がって行きます。
 
最近は現代川柳の句会等を頻繁に覗いてみたりもしているのですが、川柳の原点とも言える「粋さ」の無いただのダジャレの文字列合わせに奔走している柳人(川柳作家)がやたら目に付きます。
ですが彼らの多くは、それが川柳としての基本を踏んでいないことを知りません。上手に言葉を捻っておけばその句は成功だと言う勘違いをしており、そういう自称柳人(比較的若い層に多いかもしれません)が「選」を担当し、句会に出詠された多くの句に点数を付けて良質な句を捨て句に追いやって行く現象に、私はある意味失望を感じています。
 
音楽も同様、美術界隈も舞踏も皆一緒かもしれません。本物とガラクタの見分けが付かない人たちが、ふとした弾みで「プロ」や「専門家」を名乗れてしまう時代が、まさに今の悪しき状況でしょう。
 
今週末はリリースされた音楽の質が低いものが多く、各々が自力で良質な作品に出会う道筋をガラクタ作品が完全に塞いでいるように感じました。
なので私はなるべく、そのガラクタをどけた良い状態に整地した音楽環境を各プレイリストに提示しています。
自作品でもないのにここまで力を入れて活動しているには私なりの理由と、リラ星最後の巫女としての責任を感じていることの両方がその理由です。

SNSやこのブログ、そしてサブブログ「ディディエ・メラの音楽倉庫」からの進捗がなかなか捗らない現状ではありますが、水面下で私は実生活の充実と立て直し(転居等を含む)を試みている最中です。

未だ作成段階で温めている最中のPLを、下に貼っておきます。今週末の更新は終わっていないので、時々PLを覗いてみて下さい。
 


New Life, Next Life

前記事の更新から早くも一ヵ月弱が経過したことになりますがその間、私は第二の生活の準備を慎重に進めていました。
頻繁に体調を壊し高熱と微熱の乱高下に悩まされながら今日に至りますが、その理由がシュールな(つまり霊的な)ものが要因だと今朝判明し、むしろ少し気持ちが楽になりました。
 
既に実家の家族全員がこの世を去り、私の旧姓でもある「山田家」は私一人がこの世に生きていることになります。それを快く思わない人たちが親戚や実母や実弟に関わった人たちの中にも複数いることは重々承知していますが、それは私の非ではなく先方の大いなる誤解に基づいた行動と歪んだ判断、排除意識の側にあったと私は認識しています。
私の今の人生の運行を考えると、それらはさして大きな問題でも障害でもないと感じています。それはこの数年間で私が、少しだけ成長した証しかもしれません。
 
最愛の夫、そして愛する神々や神獣たちに囲まれた日々は、人に話すには突飛なことも多々ありますがとても穏やかで豊かで、何よりスピリチュアルな観点で様々な学びを得られることが本当に幸せです。
 

 
新居への引っ越しの準備は少しずつ、少しずつ進んでいる最中ですが、なにせこの戦争、このご時世の中での挑戦的な行動は慎重にならざるを得ません。
 
特に今年は短歌、俳柳、そして現代川柳界への進出に忙しくしています。
「詠む」と言う名の執筆、その数は日々膨大です。一句、一首を生み出すにあたり数十から数百の言葉の帯を叩き出し、それを数日間寝かせてから放って行きます。
特にこの夏には50首連作の出詠を控えているので、殆どの時間を書斎で過ごしています。
 
某所からのご質問のメールを頂戴していますのでこの記事に、あえて記しておきます。
 
私は「予言(預言)」の大半を既に自作のピアノアルバムに録音の上配信している為、今後当面の期間の新譜のレコーディングを予定していません。
自分が放った予言の流れ、その結果の片鱗を先ずはこの目で確認したいと考えているので、世界の次の大きな転換期に差し掛かるまでは音楽作品を作らない方向性で気持ちが固まっています。
それ程に、世界は今後混沌とした時代に入って行くので、その過程で起きる様々な(時代の)闇を音楽に残すことには余り乗り気ではないからです。
 

・世界の混乱、それにともなう異常気象による人口減少、さらには国家の消滅等(一部欧米文化の衰退を含む)。
・既に当ブログでも告知していたK-Popの衰退(これは現行で形になりつつあるようですが)。
・宇宙系陰謀論に関連する嘘が暴かれ、その一部が実世界に刻まれること(これについては某銀河連合の特使を名乗る人物の、ある意味いい加減なでっち上げが形になりつつあります)。
 
そして何より私が自身のアルバムに収録した曲『Empty Throne』、つまり『空(から)の玉座』が複数個所で近い将来、現実のものとなるでしょう。
此方は余り喜ばしいこととも言えないので当記事でのこれ以上の言及は控えますが、上記に記載しただけでも推測した段階では全く影も形もなかった現象が現在では、誰でも見えるニュースとしてこの地球上で確認することが出来るようになりました。
 

 
人の世界を動かして行くのは、マンパワー以外には考えられません。
ですがそのマンパワーの原動力として、スピリチュアルな感覚が絶対必須です。
スピリチュアルは現実と必ず同期して現象として表れることが「正確性」の条件であり、そこに「たら」「れば」を挟む余地等ありません。
逆説すればそれは「祈り」に形を変えた念とも言えるわけで、こうなって欲しい、こう在るべきだと思うこと、それを祈り続けることで現実をそこに近付けることが可能だと言えます。
なので、祈る人自身の重責は計り知れず重いのです。
 
多くの現在のスピリチュアルやスピリチュアリストの言葉や発信は、上記の「正確性」「現実性」の条件を満たしていないのも又現状です。
現実の現象と無関係な観点で「どう思うのか、どう感じるのか‥」 に固執し依存しているから、むしろ目の前に示されているサインや暗示を個々が完全に見逃しているとも言えるでしょう。
 
多くのスピリチュアル関連の人たちは、現実と感覚を切り離して考えているのかもしれません。スピリチュアルなことが現実であってはいけない‥ と言うような歪んだ空想に強く固執している原因は、人生スキルの取得やその厳格なプロセスを回避したことに他なりません。
職業スキルや学歴等、何一つ取得した経験すらない人にスピリチュアルを語れるはずがありません。ましてや人の人生に干渉するなど、もっての外です。
現実は過酷です。何をするにも人の目、人の審査を経る必要性が生じます。もしも人の審査を経ずにその先を急ぐのであれば、それは生まれつきの天才か或いは複数の過去世の経験から成る陰徳を積み重ねて持っていることが、条件として求められると私は思っています。
 

私は上記の条件の両方を持って生まれて来た為に、今世の半生は散々な目に遭い人の世界を排除され、実際に死を考えたこともありました。
ですが持って生まれた才能とも言える「音楽」が形を変え手を変え、私を常に助けてくれました。さり気ない形で私の前途に道を切り開いてくれただけでなく、親族の家庭外排除の期間中ずっと私を支えてくれたのが「音楽」だったと言っても良いでしょう。
そしてもう一つ、夫に出会うまでの私を支えてくれたのは「言葉を持たない動物」の存在でした。カラスのミーナ、猫の「ともや」を始め最近ではウサギの一代目「桃樹」、そして二代目の「マイケル」とそれは続きました。
 
二代目のマイケルの最期は実母の不自然死の時期とも重なり、元々神経症を持って生まれて来たマイケルに私はむしろ普通のウサギであるように自然に育てて来たつもりが、最後の最後で母の霊体が私の宿敵であることをマイケルが察知し、母の霊体を粉々に粉砕した直後にマイケルは永眠しました。
 

 
私に出来ることは何か‥。それは何も音楽に限定することはないと、最近感じています。
作詞家として、訳詞家としてのやり残しもあり、今のところはそのエネルギーを短歌や現代川柳、そして自ら立ち上げた新ジャンルである「俳柳」に全振りで注ぎ込んでいます。
最初はSNSをその主な発信媒体と考えて毎日かなりの分量の短歌や川柳をX等に放って来たのですが、やはりそのままでは先には行けないことをある時から痛感し、そろそろネット歌人/ネット柳人を終了しなければいけない時期が到来しているのを背中にひしひしと感じています。
 
私は人の審査を好まないので、これまでの音楽活動同様に私特有の路をここからさらに歩んで行くことになると思います。
私の霊体が持っている情報、知っていることや経験値と同じだけの経験を積んだ人は、他に居るとは思えないからです。
 

今後暫くはSNSでの発信は激減すると思います。
ただでさえXのメインアカウントが凍結されたまま現状も改善されないので、当面のメインのSNSはBlueskyに限定して活かして行くことになります。

音楽家・芸術家/ディディエ・メラ、そして歌人・柳人/七澤銀河共にBlueskyで検索出来ますので、興味のある方は是非そちらまで足を運んで下さい。

ディディエ・メラ: https://bsky.app/profile/didiermerah.bsky.social
七澤銀河(短歌/俳柳/川柳): https://bsky.app/profile/ginga-nanasawa.bsky.social
 

最近作業用BGMにブラジル音楽を聴くことが多く、自身のPLにそのカテゴリーを追加しました。
まだ現在育てている最中のPLにはなりますが、よろしければ是非使ってみて下さい。
 
『🌴Saudade 2026’』:

Tomoharu Ushida vs Didier Merah – B Major 楽曲と表現の比較検証

ショパン国際ピアノコンクール 2025’、一次予選を通過した日本の演奏者の中で黒一点の牛田智大さんの一次予選の演奏を聴いてみる。
 

 
冒頭曲は私も大好きな『Nocturne in B major, Op. 62 No. 1』であり、さらに私/ディディエ・メラ (Didier Merah) が最も得意とするKey (調) でもある『H-dur (B Major)』の一曲だ。
大好きな曲だけにダンボの耳で演奏を聴き進めて行くが、‥どこか牛田の演奏の中に汗臭さと労働もしくは体育会系の気配がチラチラとするので、集中力が維持出来ない。
 
この曲自体がそこはかとなく西洋音楽以外に、中東~アラビックなモードが立ち込める構成になっており、その意味でもショパンの中では珍しく『モード音楽』の様相を呈しているのではないだろうか。
その肝心要のモードの部分 (動画 6:58~7:10付近) のパッセージがいとも簡単なスケールやアルペジオと言った解釈で、ただ、粒を揃えているだけのつまらない表現になっていて、個人的にはかなりの残念ポイントだと言わざるを得ない。

まぁこれはピアノ競技の審査会であるわけだから、表現よりもミスタッチの有無や演奏者の正確性の密度だったりスタミナだったり、言ってみれば表現解釈度外視でも運動性に依存した演奏解釈の方が審査員の印象が良いのかもしれない‥ としても、果たしてショパン本人がそれを目論んでこの楽曲を生み出したのかと言われると、巫女体質の私としては『多分違うと思いますよ。』と回答せざるを得ない。
 
 

 
2曲目『Etude in C major, Op. 10 No. 1』については特に述べることもなく、普通に音大生が演奏するレッスンのエチュードと言う以外に何のインパクトもなし。
 

次いで3曲目『Waltz in A flat major, Op. 42』に関しては、野球に例えれば『2アウト/2ストライク/3ボール』の見せ場を迎えている状況に近いだろう。
ショパン好きの私としては、ショパンと言えば『天上界の音楽を生み出し奏でた作曲家』だと言いたい。だが、牛田のこの表情はまさしくスポーツで言うところの『もう後がない』状態のそれであり、わざわざこの表情を抜き取ったTVのADさん‥ 『グッジョブ!!』と言いたい心境だ(笑)。

各パッセージは確かに正確で粒は揃っているが、表現に到達出来ていない。これだったらむしろ、自動演奏で十分だ。下手にヒトの顔が無い分、音楽に集中させてくれるに違いない🤖
 

 
さて4曲目『Barcarolle in F sharp major, Op. 60』、此方も私が大好きで得意とする『H-dur (B Major)』の曲で攻めて来る。途中何度か6度の和音のアルペジオの箇所が現れるが、その6度の最も官能的な響きを単純にスポーツ的な解釈であっさり通過して行きやがった牛田選手(笑)⚾

ほぼ全てのパッセージが『俺、ミスなく正確に弾いていますよ』とでも言わんばかりの、正真正銘のただの運動性依存の演奏に終始している。
確かに審査員にとっては遠目でも分かりやすいだろうが、これはショパンでも何でもない。
途中の転調 (19:31~付近) に至る最もショパンらしさが書かれている筈の箇所も、まるで階段を上り下りするリハビリみたいに通過して行く‥。
もうたまったものじゃ~ない。
 

ここで少しだけ動画を止めて、私/Didier Merahがショパンをオマージュして作って配信したアルバム『Eden』の冒頭曲、『Happiness』に移動して試聴してみる。
この作品も、私が大好きな『H-dur (B Major)』の楽曲だ。
 

 
先ずこの作品は ベーゼンドルファー (Bösendorfer) の音源を用いて、即興演奏の手法で演奏されている。
ベーゼンドルファーは残響に特徴があり、その特徴である残響の効果を存分に発揮させるには、楽曲のテンポをうんと落とす必要が絶対的に生じる。
私は実際に都内各所でベーゼンドルファーの生楽器を演奏しているが、それらのどの楽器もかなりのじゃじゃ馬気質を持っており、特に高速のパッセージの速度を間違うと残響が濁ってしまうのが悩みの種だった。
 

『Happiness』の作曲を開始する上で重要だったのは、『60歳のショパン、もしくはそれ以後の覚醒したショパン』をオーパーツとして再現することだった。
既に亡くなったフレデリック・ショパンの御霊と何度も交信を重ね、完成したのがこの作品であり、この曲は完全に一発録音の即興演奏で収録している。
 
ことさら比較するまでもないが、Didier Merah (ディディエ・メラ) の『Happiness』が「覚醒後のショパン」だとしたら、既存のショパンの楽曲は「未覚醒のショパン」と言い替えても良いだろう。
未覚醒のショパンをどんなに丹精込めて演奏したとしても、そもそも楽曲自体の熟成が為されていない以上それを極限の状態で誰が再演したとしても、『それなり』以上の出来栄えにならなくても致し方ないと言えそうだ。
 

クラシック音楽の起承転結は、私から言わせて頂ければ「不要」な箇所である。
覚醒した魂には普遍性がともない、ヒトが思うエモーションは徹底的に弾き飛ばされる。ショパンが目指していたのはその世界観であり、それゆえに「天上界の音色」を日夜彼は追い求め続けたと言える。
選手/ 牛田智大は日本国内では既にプロの演奏家として活動しており、多くのリスナーを抱え込んだ状態での今回のショパン国際ピアノコンクール 2025’へのエントリーである。勿論運営サイドも、既にファンを獲得しているこういった出場者には期待を寄せるだろうし、そこそこ演奏技術を兼ね備えていればある程度の点数を叩き出して行くと思われる。
 

クラシック音楽が芸術を踏み越えて「商品」になることは絶対にあってはならないと、私は考える。だが、多くの既存のクラシック音楽関係者等には、その観点がない。
いかに見栄え良く、いかに稼ぎいかに集客を達成し、いかに食って行けるか‥。その技能を持つ人材を、クラシック音楽関係者等は血眼になって探しているに違いない。
その観点で言えば、男性演奏者で尚且つ日本国内に多くのリスナーを抱え込んでいる (半分以上は事務所の采配) 牛田選手が、今後同コンクールで上位に食い込んで来る可能性は否定出来ないが、彼が表現者になることは未来永劫ないだろう‥ と、先に予言しておきたい。
 

 

最後に付け加えるならば、既存のクラシック音楽の、特にピアノ曲のミックスのエフェクトがからっからに乾いてしまっている点が残念だ。

レコーディングされた音源のエフェクトが乾き切った肌みたいにかさついているから、多くのクラシック音楽のリスナーは『やっぱり生演奏がいいよね。』と勘違いするのも頷けるが、これはミックスとマスタリングの技術と感性の致命的な欠落が原因だと思われる。
何故実際の会場に近い環境の、もっと深いエフェクトを掛けてミックスしないのかと、常々疑問に感じている。
その観点から、クラシック音楽の生演奏が突出して優れている訳ではない‥ と言う点は最後にお伝えして、この記事を締めくくりたいと思う。