私が過去世 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ であることは、あくまで私の過去の魂の履歴に過ぎません。
何故自分がその人であることを確信するに至ったか‥ と言うご質問はこれまでにも何度か投げ掛けられていますが、それは簡単に言えば「あなたは何故自分が人間であると確信するに至ったのですか?」と言う質問と、内容はほぼ一緒です。
なので答えるまでもありません。
他人事としてバッハの偉大さを挙げるとすれば、例えば以下のようなことになるでしょうか。
- 教会音楽、或いはゴシック様式の礎を築いた最初の人であること。
- 対位法と言う前人未踏の音楽理論を確立した、最初で最後の人物であること。
- 即興演奏の名手であったこと。これが後のサロン音楽文化の基礎となった点は見逃せません。
- 空間音響学の基盤を構築した最初の人物であること。
- 何より音楽全般の父として、作品や生き様、音楽理論に於ける彼の多くの実績が後世に受け継がれていること。
挙げればきりがないのですが、現在私が次世代の音楽の基盤を新たに構築している点を理解出来る人であれば、私がその人 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ であったことに於いては矛盾を感じない筈です。
ですが全てはあくまで、私の過去世の魂の変遷でしかありません。私は私、Didier Merahでありそれ以上でも以下でもないと同時に、現在に至るまで私のような人物が二人と存在しないことも又事実です。

Didier Merahは現在、自身の半生のお片付けの真っ最中です。未だ手の負傷も完治していないながら、新作のメモだけは日々湧き出て困っています(笑)。
人生の大掃除中にて、暫くは音楽評論や音楽紹介、音楽鑑賞にエネルギーを注ぎながら次の自分に備えて準備中です。
作品のみならず生き様を含む全てを次世代のサンプルとして確立しようと試みている最中なので、これからの私の言動はきわめてシンプルできわめて歯切れの良いものに進化して行くことになるでしょう。
一見優しい音楽を生み出している私ですが、言葉はとても辛辣でストイックです。
付け焼刃な甘ったるい同情は、一切しないことをポリシーとして生きています。私に何かしら話し掛ける時は、「歴史上の音楽の父」として、そして「次世代の音楽の母」を目の前にしていると言う気概と覚悟をもって接して下さい。
以後、このルールに反する内容(言葉遣い含む)のDMやメールには、返信はしないつもりです。
礼節は尽くして下さい。お願い致します。