午前中の澄んだ空が嘘のように、夕方から小雨に見舞われた東京都下。
今年の夏、実家に仕掛けておいたオゾン脱臭装置を一旦オフにする為に昨日は二つの駅を往復しただけなのに、ぐったり疲れて帰宅してから殆ど何もせず、かと言って眠ることすら出来ない悶々とした夜を超えて、日曜日、朝。
かねてから予定していた実家の墓じまいが色んな理由で少し遅延しているので、日曜日の朝には大まかな流れを把握したり業者手配をしたり‥ と色々格闘していたら、案の定の「圧」。
この「圧」が一体どこかで来ているのかなんて考えても無駄で、私がこの世に生まれてから今日まで続いた私の人生の妨害壁の最も大きな要因になっている実家のお墓を早々に片づけてしまいたいと言う気持ちは日増しに強まって行く。
今日まで私がどんなにか世界に向かって叫び続けたSOSを素直に受信し、私を圧から救出してくれたのは結局、今の夫と先日あの世に逝った愛兎のマイケルだけだった。
マイケルのあの、遺骨に残った綺麗な奥歯は最後に毒親だった私の母の魂を綺麗に噛み砕いてくれた。うさぎなのに、私と毒親たちとの忌まわしい数十年間の経緯など何も教えていなかった筈なのに、私たち夫婦の留守中にマイケルは母の魂を完全に嚙み砕き、その直後に旅立ったマイケルの最期を天照大御神が優しく看取って下さった。

そして翌々日にマイケルを火葬した直後から私は妙に花を好むようになり、最近三日に一度は近所の花屋に行って何かしらの花を買って花瓶一杯に挿すようになった。
最初は下っ手くそな活け方をしていたので夫が直してくれたりするうちに、このままではいけないと思いGoogleで生け花の「コツ」を検索して行くうちに何となく分かって来た‥。
品切れ続きだった大好きなダリアの花がようやく入荷していたので、数少ない本数の中から栄えある一本を夫に選んで貰い、他の花と合わせてゴッソリと買い込んだ。
胸元にマイケルの指の遺骨を詰めたメモリアル・ペンダントが揺れる度に、その箇所がじんわりと温まる。時々突発的に鬱に沈みそうになる私を魂のマイケルが鼓舞してくれる度に、嗚呼しっかりしなきゃ‥ と我に返る。
胸元のマイケルが「花瓶のお花が枯れそうだから、早く次のを探して来てね。」と、うさぎらしからぬ寂しげな目で私を見上げる。
夕方から小雨が降り始め、本来ならばこんな日に私は外出なんてしないのに、今日はそそくさと「花」をめがけて町に繰り出した。

夕食は‥ と言うより今日の一食目が既に夕食だったので、思い切ってコンチネンタルホテルで中華料理をアラカルトメニューから何品か選んでオーダーして行った。
実家の人たちは(実際には会ったことの無い親戚までもが)私を差別し排除して来たが、ホテルの人たちも最近会った人たちの誰もが私には本当に好くしてくれる。
たとえ私の顔に大きな傷痕があろうが、ストレスと「圧」で時折顔面に痙攣が走ろうが、そんなことはどうでもいいんだよ‥ とは言葉にせずにとてもとても親切に接してくれる。
今夜の神人共食の主役は、天照大御神だった。
天照大御神の真の気質を知る人は、この世界に何人くらい居るだろうか‥?
勿論彼女は厳かで厳格で気高くて、人を寄せ付けないような性格であることには違いない。だが本当の天照大御神はとことん優しくてたおやかで、そして時折とても茶目っ気たっぷりに微笑んで見せてくれる。
神々と神人共食(しんじんきょうしょく)を執り行うようになってから、私と夫の味覚は急激に敏感(超敏感)になって行った。
元々私は一時期料理人を営っていたこともあったし過去世では実際に料理人の道を歩んだ時期もあったからか、最近では多くの料理のレシピを空で認識出来るまでに味覚の感度が上がっている。
思うに霊力やテレパシー能力を高める基本が、「味覚を研ぎ澄ませ料理を味わう」ことにあると言っても過言ではないだろう。
ただ一心に料理を見つめ、食材や味に集中し、その料理を作った人の熱意と感性に寄り添い、頭上の神々に向かって「一緒に味わいましょう。」と言い自身の味覚を神々に貸し出す。
すると神々は自身が歓迎されていることを思い、静かに私に降りて来て下さる。
ただそれだけのことに集中し、黙々と料理を味わい尽くす。

帰宅して古く傷み始めた花だけを花瓶から抜き取り新しい花を生けると、途端に部屋が明るく騒がしくなった。
未だ神になって日の浅い新人の神々が、わちゃわちゃと食卓で会話を始めたようだ。
そして私はその様子をつぶさに見ながら、こうしてブログにそれを書き記して行く。
私の描く「芸術家の日常」はとてもスピリチュアルであり、なおかつ全てがノンフィクションだ。
巷に言われる「視えない世界が視える」‥ と言う概念は私には全く当てはまらないし、気を付けないと私は全てを視てしまう。類い稀な映像記憶を持つ私にとって時折辛い映像もあるが、最近の私は全てを霊体にしっかり刻印して行くことに決めた。
私の実家のあれやこれやですっかり忙殺に巻き込んでしまった夫が、ようやく重い腰を上げてぽつりぽつりと発信を始めたようだ。
彼は未だこの世界に無い概念を、当たり前のようにつぶやいて行く。余りに当たり前につぶやいているので、時折その内容を見過ごしそうになるが、よくよく読むとそれはさっき芽吹いたばかりの新しい花のように、この世界を未知の輝きで照らしてくれる。