主役は音楽

或る音楽ユニットのPVを観ている。カラグレに拘りを持っていて、確かに色彩センスは抜群だ。
‥だが皮肉なことに優れた色彩センスが音楽を完全に制覇している為、肝心な音楽が殆ど耳に入らない。 映像を観れば『あヾこの映像のバックにあの音‥』と想起出来るが、音楽が独立出来ないまま窒息している。

此れ、私がCMや映画音楽方面を敬遠した第一の理由に等しい。 映像を観れば音を思い出せるが、音楽を単独で聴こうと言う気になれないからだ。
 

少し話が脱線するが‥。上にも綴ったユニットの、新作のジャンルはLo-Fi Musicだ。
作曲者自身はアカデミックな音楽教育を受けているにも関わらず、自身のユニットのメインの方向性を「ポスト・エレクトリック」に傾ける一方で、最近はハードなEDMや映画音楽系のインストゥルメンタル等も増えている。
だがこの冬の新作はユニット名を変えながらのLo-Fi Musicで、Lo-Fiものに多い短編集のような短い楽曲が十数曲、軒を連ねる形になっている。
 
だがどの作品を取っても軸になるメインのメロディーが存在せず、さらに音加工に作為的に「汚し」を加えた「汚い音質」になっており、本来そのまま、素のままアウトプットした方が断然良さそうな楽曲が古着のジーンズのように汚し尽くされていて、聴いていて気持ちが塞ぎ込んで行く。

PV映像のカラグレが徹底的に美しいがゆえに、音楽の主役を全て映像に奪われた格好だ。音楽が自立出来ていないが、映像音楽としてはそこそこ成立しているので作者たちはきっと気分が良いのだろう‥。
 
話を元に戻そう‥。
毒親の実母は幾度となく、『何故人様に自分の音楽を使って頂こうと思わないの?』と耳にタコが出来る勢いでまくし立てて来たが、私は一切首を縦には振らなかった。
私は映像を主役に見立て、その補佐の位置に音楽を位置づけることを悉く嫌った。主役に相応しい音楽を助演に転落させてでも、自身が世に出たい‥ 等とは一度たりとも思わなかった。
 
当時作曲科の先輩の一人がPARCOのCM音楽でアタり、それを機にCMの人に変貌して行く様を傍で見ていた。
多くの母校の作曲科の後輩たちが「彼」に憧れ、中には用もないのに「彼」の取り巻きみたいな座に居座り満足している人たちも現れたが、それを見て私は「彼」に対して一気に萎えた。
PARCOのCMで大当たりした「彼」はほどなくしてピアノ科に所属していた冴えない女性を恋人にし、彼は多くのピアノ曲を書いては「彼女」に演奏させていた。
 
大義名分が出揃ったところで、二人は堂々と校内でつるんで歩くようになった。
「彼」が作ったピアノ曲を「彼女」が演奏するのだが、皮肉なことに「彼女」よりも「彼」の方が演奏の腕は上だった。
にも関わらず「彼」は「彼女」と何としてでも「音楽の繋がり」と言う大義名分を守る為に、自身が書いた現代音楽風のハチャメチャな楽曲を自分よりも圧倒的に技術の未熟な「彼女」に演奏させた。
 

「彼女」は元々(正直に書くが‥)女性としての魅力に欠ける人だったが、母校の優秀性でPARCOのCMで作品がアタり始めた「彼」との仲をアクセサリーのように着飾るようになったせいかそれ以前にも増して、自信と欺瞞の間を行ったり来たりする醜さを身に纏うと一気に汚れて行った。
あくまでこれは私が傍目から「彼女」を見た感想なので、実際にそうだったかどうかは定かではないが、年中生理用品の臭いを体じゅうから放つ汚物のようで、校内ですれ違っても絶対に近寄りたくない相手だった‥。
 

間もなく私はピアノ科を卒業し、作曲科に転科して母校の「研究科」に進学したが、余りの内容のつまらなさに満期(2年)まで終了することなく途中退学し、その足で実家を出た。
 
[中略 ─ ]
 

 
若くて尖った時期をマイナーな民族音楽やらシャンソン等に捧げ尽くす一方で私は、それとは真逆のアイドル業界で『お手伝い』みたいなことをやり続けていた。
メンズ・アイドルグループのシングル曲の選曲や、コンサートやポスター撮影の彼等の衣装のセレクトから買い付け等をサポートしていたが、そのことを当時の近しい友人知人だけが全く知らなかった。
 
メンズグループのとあるヒット曲を最後に私は、彼等の「お手伝い」を完全撤退した。その後から彼等の楽曲の質が低下の一途を辿り始め、段々と彼等の活動から華やかさが抜け落ちて行った。
だが肝心の私は彼等を通してやりたかったことの全てを達成し、皮肉にも彼等の活動とは逆に完全燃焼した感が強かった。
なので当時表向きにはまだ売れに売れていた彼等の傍を後腐れなく、むしろ潔く離れることが出来た。
 

2022年、58歳。ようやく私は『音楽家』『芸術家』を名乗れるようになった。
心の中、脳内から無駄な音、無駄なノイズの大半が抜け出た分、どこでどんな音楽に接しても全く惑わされずに自分自身の表現手法に集中出来るようになった。
 

思えば若かりし頃、毒親の呪いの言葉に足を取られずに済んで本当に良かった。 もしもあの時母の怒りを鎮める為だけの理由で映画音楽やCM音楽の制作者になっていたら、多分現在の私は存在しなかっただろう。
 
私の力量を真っ先に見出し私を芸術家に育て上げてくれた今の夫に、心から感謝を述べたい。