私の半生と苦痛 – ③荒れた室内と母の晩年の訳詞

 
弟も、そして母も、本質の部分では似ていたのかもしれません。
誰かが作り出した軋轢、それが段々と角質のように厚い層を作り、頭のてっぺんからつま先まで一つの家庭を数十年掛かりで覆い尽くして行きました。
 
母が10年近くをかけて作り出して行った我が家の廃墟のような室内を今、私と夫の二人でコツコツと整理している最中です。その最中にも人の本性や本音は見え隠れし、言い方は良くないかもしれないのですが母も弟も、音楽と言うジャンルで私を超えよう‥ 超えよう としていたように見えてなりません。
 
その証拠に最期にきっと母が座っていたであろう茶色のソファーの、その脇にあるガラスのテーブルに何故か一枚だけ、私が音楽監修を務めた時のCDをコピーしたMDがひっそりと置かれていました。
それはMDを渡した私にしか知り得ない母からのサインのようで、少しだけ胸が締めつけられます。
 

 
生きていればどこかに、「超えてはいけない壁」が存在します。私にとって恩師 三善晃氏自身がそうであったように、仮にその壁が自分の目の高さよりも低く下がって来た場合であっても、絶対にそれは超えてはならないのです。
母や弟にとって私がそうであったと、遂に彼らは自身の命が果てるまで気付かなかったか或いは認めたくなかったのか‥、どちらにせよ私に強烈な敵対心とライバル心を燃やし、私と言う壁を軽々と超えられるだろうとタカを括ったのでしょうか。

 
私にとって、これからが三度目の人生の始まりとなるでしょう。
これまでに粛々と培われて来た「実家からの排除」と言うぶ厚い障害壁は、今の私であればそれ程苦労はせずに取り除けるかもしれません。ですがそれはあくまで物理的なこと。
実際に四人居た家族の三人がこの世を旅立った、その現象を一人受け容れた心の空洞はそうそう簡単には埋まりません。たとえそれが宿敵、もしくはダークサイドの差し金となり果てた彼らであったとしても、私と逝ってしまった三人の家族とが出会う前にはもう戻れないのです。
 

母はそれまでは家族の誰かが使っていた部屋の大半を自分の部屋にして、父と弟が旅立ったその時から6年の時を使い、コツコツと我が家をゴミ屋敷に変えて行きました。
勿論私はその間一度も実家を訪ねることはありませんでしたがそれは母が、私が実家に帰ることを強く拒絶したからでした。それもその筈、あの状況を流石に私には見せられなかったことでしょう。
そして何より「私・美樹」と言う娘がここで顔を出されては、その時まで頑なに「最初から存在しない娘」と言う、彼女が必死で作りあげた台本が崩壊しかねない‥。そんな不安が過ったから、私からの「家に行っても良い?」と言う何度かの提案を蹴り続けたのだと思います。
 

お風呂場の脇にある母専用の部屋は膝まで沈む程のゴミの山と化していましたが、その大半が衣服でした。
しかも買ったまま一度も着ていない衣服も多く、しかもそれはどこかパーティーや歌の勉強会やコンサート等に出演する時に着るような、派手な服がとても多いのには驚きました。

 

 
その山積した派手な衣服の原因は、母が遺した幾つものシャンソンの「訳詞」が物語っているように思えました。
作曲、演奏、編曲のみならず一時は訳詞家、歌手としてステージに立った私を、母もどこかで見聞きして知っていたのでしょう。母が真剣に訳していたのはフランスのシャンソン歌手(兼 作曲・作詞家)Henri Salvador の名曲でもあるJardin d’Hiverでした。
 
これは私がもしも三回目の訳詞コンサートを開催していたら、お披露目する予定で2000年の秋に訳した作品でしたが、二回目の訳詞コンサート「時を超えて Vol.2」が散々な状態になり、その翌年の春に私は訳詞も歌手も全てから手を引いたと言う経緯がありました。
同時に三回目の訳詞コンサートの開催は夢と消え、途中まで書いていた「Jardin d’Hiver」の私の訳詞と比べても、母の訳詞は音符に文字を必死で当てはめただけのお粗末なものでした。

 

 
本物の愛とそうではない偽善的な愛とは、見る人が見れば必ず見分けがつきます。
母の音楽への愛も、そして弟への愛も、同じように偽善的な愛に他ならないと私は感じています。あくまで主体は自分自身、その自分を着飾る為の全ては道具に過ぎず、それは弟も、家族と言う箱も彼女にとっては同じ「道具」だったのでしょう。
 
ですが家族は目の前の家族を「良い」ように見ようとしたがるものですから、どうしてもその人の本質が仮に悪であったとしてもそこから目を逸らし、別の何かでその人の本質をねじ曲げて認識してしまうことが多いのかもしれません。
 

小学生の時、母に連れられて初めて「銀巴里」と言うシャンソニエに足を踏み入れた時、そこで小海智子さんが三つ編みを結ってシャンソンを歌っていたのを今も覚えています。
「あら、可愛いお嬢ちゃんね。」と言って彼女は、私にアイスクリームをご馳走して下さいました。その小海智子さんと私が10数年の時を経て吉祥寺某所に実際にあったシャンソニエで共演するとは、母も思ってもみなかったでしょう。
 
シャンソン誌「る・たん」にはある時期から、いきなり私の名前が乱射する鉄砲玉のように掲載され始めました。そこに「歌手: 小海智子 / ピアノ: 山田美樹」と言う一行を見た時の、あの苦々しい表情をした母の顔を私は見逃しませんでした。
 
それはある時実家に帰った時にふとシャンソンの話題になった時、私が持ち歩いていた冊子「る・たん」を何気なく母が見た時のことでした。口では「あら、いいわね貴女。」と言いながら、眉間に深く寄った深い皺としかめっ面になった一瞬を私はしっかりと見ていました。
 
母は特に最期までの数年間、多数のシャンソンを訳詞していたみたいでした。そのメモや印刷されたものがリビングのガラスのテーブルの書類の下からわんさか見つかり、私はそれらを母の遺品の形見として持ち帰って中身を読んでいますが、彼女の写真も訳詞もセンスが良いものとは言えません。
要は彼女にはアーティストの才能が元々ないのに、顔に傷のある娘の私になんか負けてられない‥ とでも思ったのかもしれません。
余り上手く行っていない訳詞をとにもかくにも「仕上がった!」と言う事にして人前で歌っていたであろう彼女の胸中を察すると、どことなく憐れです。
 
結果的には私の真似事に失敗していた彼女とは最後の最後まで会わなくて本当に良かったと、今だから胸を撫で下ろしています。
 

 
to be continued…

毒と表現 – 槇原敬之 “Hungry Spider”

「毒にも薬にもならない」と言う言葉があるが、その逆に「毒が洗練されると薬になる」と説いたのは我が夫 天野玄斎氏である。

あることを機にこの数日間、マッキーこと槇原敬之のHungry Spiderを聴き込んでいる。何故こんなにもこの旧作に惹かれるのか‥等と言うことは棚に上げ、兎に角聴き込んで行くとあることに気付く。
 

 

この作品がリリースされたのは1999年、J-Pop界隈が少し右肩下がりに流れを変え始めた頃に遡る。当時私は東京とL.A.とを往復しながらメンタル(PTSD)の治療に集中していた頃で、私が当時先に「Hungry Spider」の英語バージョンを聴いたように記憶している。
 

 

2022年、春。世界人類が前代未聞の強毒ウィルスと戦い続けている今だから、尚更感じることも多々ある。
マッキーのこの作品からはきらきらと光り輝く希望ともう一つ、強烈なまでの毒性を感じてならない。この「毒」こそがマッキーの最大の武器・魅力であり、毒のない反省人種の槇原敬之には何の魅力も無いと言っても過言ではないだろう。

だが彼の容姿がマッキーが強く胸に秘めている毒性の障害壁となり、口から多くの毒液を吐く時に初めて放たれる玉虫色のオーラは年々軽減され、彼自身がまるで血液を体からごっそり抜かれたように時間をかけながら生気を失って行ったように見える。
 

多くの人々がマッキーに求めたものは一体何だったのだろうか?
恐らく芸歴が増えて行くと多くの表現者たちはそれにともなう「人柄」や「人格」を求められるようになり、本来不完全な美を武器にする表現者たちが周囲からの軋轢の中で窒息しながら、自らの武器を置いてしまう。

周囲はその「武器を置いた表現者」を完成品だと歪んだ認識をし、表現者たちは次第に「みんなの歌」のような何の変哲もない歌を無難に歌い(作り)始めるが、内面は悶々としている。それを周囲は知らないし、感じ取ろうとする人達も殆ど居なくなる。
 

「宣候」-アートワーク

 

そんな折、2021年10月25日、彼自身の物々しい空気が解かれる前にアルバム宣候がリリースされた。
未だ夜が明けない朝に空に飛び立って行った鳥の気配を纏いながらも、一見それまでとは何ら変わりないルーティーンのようにこのアルバムが世界にお目見えしたが、このアルバムでマッキーは先ずは謝罪のような音楽からスタートして行く。
 

 

世が彼に要求するように反省に反省を重ねながら、それでももうこれ以上は同じ場所に留まることが出来ない渇いた獣のようにマッキーは世界に新たな一歩を繰り出して行くが、その背中はどこか痛々しく悲しげだ。
 
このアルバムの中で個人的に特に気になった曲は、M-10「好きなものに変えるだけ、そしてM-11「HOMEの2曲だ。
特に「好きなものに変えるだけ」には1999年、「Hungry Spider」を自由自在に歌っていた頃のマッキー本来の毒性の欠片がほんの少しだけ見え隠れする。その「ほんの少しの毒性」がどこか痛々しく情けなくて、こうして人の表現世界は常識と言う凶器によって打ち砕かれて行くのだと言うサンプルをまざまざと見せつけられているようだ。
 
M-11「HOME」では、マッキーが元々持っていると思われる「虹色の旋律」が復活している。みずみずしくきらびやかでメロウなメロディーラインとコードプログレッションが見事に合体し、どこか初期の荒井由実に似た時代の煌めきが復活する。
 

「好きなものに変えるだけ」歌詞より抜粋

 

この歌詞を読んだ時、同じ時代を別の場所で生きていた私が知っている、キラっと光る毒性を前歯と瞳の奥に潜ませながらTVに毎日のように出演していた槇原敬之の片鱗が仄見えて、年甲斐もなくうるっと来てしまった。
 

そう言えばこの曲を調べている最中に、2017年12月13日に開催された「FNS歌謡祭」でマッキーがこの作品を、miwa・山本彩・鷲尾伶菜の3人と共演している動画を見つけることが出来た。
期待しながら動画の再生ボタンを押したが、「Hungry Spider」の持つ毒々しさは既に失われ、いいオジサン「槇原敬之」が自身の中に微かに蠢く毒性の欠片を振り絞らんと戦っているように見えて泣けて来る。
 

 

共演している3人の女性歌手の中で、マッキーと対等の毒性を持っているのは恐らく山本彩だけだ。だが山本彩には毒性こそマッキーと対等でも歌唱力・表現力が追い付かず、尚更いいオジサン未満のマッキーが舞台中央にポツンと孤立している感は拭えない。
 
槇原敬之が描こうとした「毒」を彼自身が存分に発揮する機会をとことん奪われた結果、彼は恐らくそれを別の形で発散する以外の道を絶たれたのかもしれない。
それに似た表現者を私は他にもごまんと見て来たが、ここまで露骨に毒性と言う武器を削がれた表現者としては、マッキーはかなりレアなケースかもしれない。
 

 

さて、この記事の最後に、多分生演奏のアレンジをミックスしたと思われる「Hungry Spider」のPVを見つけた(公式ではない)ので、それを最後に貼っておきたい。
 
毒蜘蛛マッキーと真人間風マッキーが交互に映し出されるが、結局のところどちらが彼自身なのか‥。各々様々思いを巡らせながら新たな発見に至れば幸いである。
 

 

永遠の怒りの意味

都内某所の実家の清掃や遺産相続の諸々と並行しながら、私の日々の活動と自宅の大掃除とがさらに絡み合い、時は粛々と進んでいます。
昨日は母や弟(二人共に故人)関係者と思われる数名宛てに送付する手紙の下書きに追われ、今日 2022年3月2日は「とある物」の設定変更及び解除等に数時間を要し、某電話会社の店員さんにも多大なご迷惑をお掛けしたと思います。
 
昨年暮れから胃腸の調子も思わしくないのですが、今日の予定作業を終えた途端にようやく久々の空腹感を体が放ち、最寄り駅で「牛すじ肉のオムライス」を頂いて帰宅しました。

確かに私は気性の荒い部分と繊細さが混沌とした性格で、尚且つ厳格です。とはいえ、人生でここまで激怒したことも又珍しい‥。
今回は故人への怒りとは別の、故人と関わりの深かった「生きている人(達)」への怒りが大きいのかもしれません。
 
たった一言の謝罪がない為に永遠に尾を引いたままのこの怒りは、私が生きている限り、又相手が私への意識や態度の改善が見られない以上永遠に続くでしょう。
シュールな点を挙げればその人達は、彼女たちが生きている限り私への負の報酬として永遠にエネルギーを私に差し出し続ける人生を強いられることになります。
つまり彼女たちの望む幸運や幸福な将来を得られなくなる可能性は大で、実際にそうやって私の傍からは命からがら逃げ惑いながら現在も釈然としない時間を過ごしている人達が実在します。
 
これは私が望もうが望むまいが、彼女(彼)等はその運命から二度と逃れることが出来ないのです。
 

 
今日は母が秘密裏にこの世に遺した「ある物」に対し、法的ルールに則って設定変更処理を施しました。

どんなに私に秘密裏にしたとて、私が本気で調べれば多くの秘密は私に事の詳細を語ってくれます。これまでもそうでした。きっと今後も、秘密の側から私に本来の事実を打ち明けてくれるに違いありません。
 
私の怒りは衝動でも弾みでもないので、私が本気で怒りのスイッチを押した時は覚悟して下さい。
あくまで法律に則り物事は動きます。そして神の御心がそれを必ず助けることになります。

 
この記事の最後に、生前の弟・大輔が大好きそうな曲を貼っておきます。これも姉の私の、彼へのささやかな供養の一環です。
 

私の半生と苦痛 – ②母の霊感と虐待

母は強い霊感を持つ人でした。
そして彼女はクリスチャンを公言していましたが、家の中では年柄年中私に暴力を振るっていました。そうすることで父(故)のご機嫌を取っていたのかもしれませんが、何故そうすることでしか父のご機嫌が取れなかったのかについては未だに不明です。
 
ただ一つ最近になって分かったことは、母が父とは再婚だったと言う事実です。これは私を除く家族全員が死んだから判明したことで、恐らく弟も(或いは父も)知らなかったと思います。
唯一その事を知っているとしたら、私の訴えを一切聞き入れようとはしなかった伯母(母の姉)一人だったかもしれません。
母はその事実を隠す為、私を悪者に仕立て上げ家族のマイナスの注目を私に集め、私への攻撃的欲求を煽っていたように思えてなりません。時代柄、バツイチの女性は何かとデメリットも大きかったのでしょう。なので母は自身のバツイチの事実を父には言わず、お見合いに臨み、再婚まで漕ぎ付けたのかもしれません。
 
2000年の秋頃に私は一度、住む家を追われたことがありました。
当時冗談抜きで露頭に迷いそうになった時に一度だけ伯母に連絡したことがあり、あの時私は伯母に初めて母の長年の虐待について電話で切々と訴えたのですが、それを跳ね除けるように私の言葉に伯母は、一切耳を貸しませんでした。
母の暴力を「愛の鞭」だと言って頑なに母の行いを褒め称え、私の言う事を否定し続けた伯母の電話越しの声を私はけっして忘れません。
 
あの時私は確信しました。伯母も敵であると。
 
家族・親族全員が私を精神薄弱児(知恵遅れ)扱いをし、親族にとっての外敵のように私を扱うことで団結していたと私は思っています。
その証拠に昨年母が他界した時、弟(故)の嫁と上に書いた伯母の娘(つまり私の従妹)二人がまるでその時を知っていたかのように実家に突撃し、三人が同時に第一発見者となり、その挙げ句従妹の一人である えみさん(仮名)と弟(故)の嫁 りえさん(仮名)が連盟で弁護士に、法定相続人の私に内緒でこっそり実家を相続出来ないか‥ と言う相談をしていたのですから。
 

 
母はことある毎に自らの持つ霊感を悪用し、時には実際に物を移動させて彼女を怒らせた相手に「物」を使って遠隔で攻撃を加え、怪我をさせたこともありました。
「ママを怒らせたらどうなるか、見てなさい!」が母の口癖でしたが、その言葉通りに彼女は私の知人の何人かを霊的な方法で手に掛け、実際にそれが原因で亡くなった人も現れました。ですが霊的な現象は法で縛ることも証明することも出来ないので、母は霊感を使ってやりたい放題のことをやっていたと思います。
 
母は殆ど毎日、実際にはどうでもいいようなことを口実にし、あたかも私が毎日悪い事をしでかして家の中を引っ掻き回しているかのように父に告げ口をし、父のご機嫌を取っていました。
父は父で私の顔の裂傷(通称: 三つ口)が不快で不快でたまらなかったので、何かと私を虐めいたぶる口実を探して私に暴力を振るう理由を見つけ、私に手を上げたり深夜に数時間もの間お説教をして「偉い人」になったような気分を味わうことで、日々のストレスを発散していました。
 
今にして思えば母は、自身の再婚がバレるのを恐れていたり、或いは彼女の金遣いの荒さを誤魔化す為に私を家族内の「敵」として周囲にも認識させ、私の悪い話しを話題にすることで自分を守っていたように思います。
勿論共犯者である伯母 昭子さん(仮名)も母の計画に協力し、家族団らんの食卓に私が不在であることに対しても一切言及しませんでした。
 
 

 
記事私の半生と苦痛 – 序文でも少し触れたように、どういうわけか私は一週間に一度しかお風呂を使わせて貰えませんでした。それは小学校の2~3年生になる頃に始まり、それが当然のこと‥ とでも言うように私が清潔にしたりお洒落をしたりすることに対し「罰」を与えるようになりました。
 

 
お風呂に入れない私は当然のように不潔になり、そんな状態ではクラスメイトからも「臭い」と言って嫌われ、虐めにも遭いました。
 
週に一度しか髪を洗う事を許されない為、一週間分の汚れを落とす為に私は痒い頭皮をゴシゴシ擦って、ありったけのシャンプーを使って頭を洗いました。当然頭皮が真っ赤にかぶれるので肩の辺りにはいつも白く細かいものがこぼれ落ち、体はお風呂に無事に入れた翌日以外は常に異臭を放ち、そんな私を心配した小学校時代のクラスメイト数人が母に抗議をしてくれたこともあったのですが、そういう日の夜はこれでもかと言う程私は母に(母の手の関節で)目を何度も何度も強く殴打され、翌日は顔が真っ青に腫れ上がった状態で学校に行かなければなりませんでした。
 
家族の誰も私への母の暴力を止めることはなく、そんな私を見ていた弟(故)はやがて自分が私と同じ目に遭わないように、ただ毎日を無事に生き延びる為の方法を考えるようになって行ったと思います。
弟の嘘吐きはそんな日々の中で培われ、段々と彼は本当のことを話さなくなって行きました。奥歯にものが挟まったような物言いが徐々に板について行き、思春期になると弟はそれを「達観の域に達した」‥ 等と勘違いし、時折「飄々と在りたい」‥ 等と口にするようになりましたが、彼の言う「飄々‥」は現実を誤魔化して煙に巻く以外の何物でもありませんでした。
 
弟の口癖に「まぁまぁ‥」と言う言葉があるのですが、それは彼が現実から目を背け、本題から彼自身が逃げ出したいと思う時に使う常套句でした。
本気で生きようとすればあの家では酷い暴力が負の報酬として付いて回ると知った弟は、事実とは異なる事を言いながらとにもかくにも両親の気を引き、彼らのご機嫌を取り、その手段として両親が望むように私を精神薄弱児(知恵遅れ)として扱い続けることがベターだと判断したのでしょう。
 
ですが私は、弟(故)のそうではないもっと純粋・純真な一面を知っています。ほんの一瞬でしたが、それが弟(故)の本当の姿ではなかったかと私は今でも確信しています。
 

 
私が小学校の3年生ないしは4年生になった頃から、母は頻繁に家を空けるようになりました。一見何でもないことのように見えますが、私は母があの頃から異常に高額な洋服や靴、ブランドもののバッグを購入し始めたことを今でも忘れていません。
 
特に印象的だったのはシャネルのバッグとそれに合うヒール7センチくらいはある “Kanematsu” のハイヒール、そしてお金持ちの象徴と当時は言われた「黒いミンクのコート」をある日、いきなり着て帰って来た時の彼女の意気揚々とした笑顔でした。
どんなに金銭感覚には疎い子供の私でもあの格好はどこか変、と言うのも当時から母の口癖は「うちは貧乏でお金がないの。」‥ だったので、そんな実家のどこからあの「黒いミンクのコート」やシャネルのバッグを買うお金が出て来たのか、とても不思議でした。
 
しかも実家にお金が無いのがまるで私のせいであるみたいに、何かと良くないことは全て私が原因で、尚且つ私に尋常ではない程のお金が掛かる厄介者のように母に言われ続けたのですが、実際には私には、年に一着のジャンパーと一着のスカートと二着のトレーナーしか買い与えられてはいませんでした。
なのでどう見ても「うちは貧乏でお金がないの」‥ が母の虚言であることは明白でしたが、それを言及すれば又私は彼女の手の関節で目を殴られると分かっていたし、機嫌によっては水風呂に顔を突っ込まれることになるのが怖かったので、何も言えなかったのです。

 

to be continued…
  

須藤元気の外と内面を分析する

須藤元気率いる「WORLD ORDER」が約2年間のブランクを経て、昨年2021年9月11日、新曲CENSORSHIPをリリースした。
  

 

タイトルの「CENSORSHIP」は訳すと、「検閲」と言う意味を持つ言葉であり、社会風刺を得意とする須藤元気の真骨頂が歌詞やダンス等の端々にほとばしる。
※歌詞は以下のページで読むことが出来ます。⇩
 

 
私は音楽評論家であるが、正直「WORLD ORDER」の描く音楽や詞の世界にはこれまで余り関心が無かった。だがこの作品をはじめとする幾つかの作品に妙にそそられ、特に今作品CENSORSHIPの歌詞の以下の部分が突出して鼓膜に刺さって来たので抜き出しておきたい。
 

答えにならない答えを繰り返すのさ
真実なんていつか作られているものさ
言葉にできない言葉は黒く塗れるのさ
紙切れなんていつか無くしてしまうものさ


答えを出さない答えは
空気を読んで
(失礼にいたしましては)
記憶にはございません

 

 

数年前、須藤元気が選挙戦に躍り出た時に、私は一度だけ彼と会話をしている。
その時の会話で印象的だったのが以下のようなセンテンスだった。
 

:
「WORLD ORDER」はやめてしまうんですか?

須藤:
はい。僕はこっちの世界で頑張ろうと思います。
あっちは僕以外の仲間たちが頑張っているので、是非今後も「WORLD ORDER」を応援して下さい。

 

そう言い終えると選挙の立候補者らしく須藤氏は “ぎゅっ” ‥と固く握手をしてくれたが、その人間離れした筋肉質な須藤氏の手の感触を私は今も忘れられない。

あの時は確か、Tシャツにジーンズ、黒メガネに襷を掛けていた。度々PVで観ていた須藤元気とは印象が違い、目に浮かび上がる弱弱しい印象が私の単なる錯覚ではなかったと、今は思っている。
 

  

最初に「WORLD ORDER」の動画を視たのは、私の記憶が正しければ2011年3月11日の大震災からそう遠くない、夏のある午後だったと思う。
曲目はこれ、「MACHINE CIVILIZATION」であり、「WORLD ORDER」の中でこの作品に勝る他の作品は無いだろう。
  

 

この作品には2つの良質な動画があり、私は上の作品動画よりもライブ・パフォーマンスの方が気に入っている。
特に注目すべきは動画4:18~ からの、須藤演じる壊れて行くロボット人間の動き。当時多くの芸人がこれを真似してコケたのを思い出したが、これは必見だ。⇩
 

 

須藤氏は恐らく小室哲哉の影響を強く受けた人ではないだろうか。
そう言えば「WORLD ORDER」は活動初期に一曲だけ、小室哲哉(TRF)の楽曲「BOY MEETS GIRL」をカバーしているが、それが圧巻だった。
勿論編曲やミックスはかなり粗削りで音楽として単一で聴けるかと言われると「No」のクオリティーではあるが、PVの印象は他の動画に引けを取らない。
 

 
(※上記の楽曲は「WORLD ORDER」のオリジナルではないのが、ファンとしてはただただ残念である。)
 
彼らのオリジナルの中で何が秀逸か‥ と言うと私は上記で触れた「MACHINE CIVILIZATION」の次に、MISSING BEAUTYを挙げておきたい。
 

  
 MISSING BEAUTYで須藤元気は弱弱しい失恋を描いており、どこかカンツォーネやラテン音楽にも通ずる男の未練をたらたらと歌詞に綴っているのが印象的だ。
その弱弱しい、ある種の女々しさをあの、眼光鋭い表情で歌うのだから、そのギャップはある意味笑いをそそられるし、ある意味では女性のリスナーの同情さえ引く。

だが作品を聴いた後に尾を引く何とも言えない空々しさが一体どこから来るのか、ずっと分からずに居る。言葉には言い表しにくい嘘っぽさをリアリティーたっぷりのあの表情で演じているギャップを、数年が経過しても埋められないのだ(笑)。

 
そして何と、編曲違い、構成違いでMISSING BEAUTYのPVを、須藤元気はソロ作品としても配信しているが、これがなかなかに情けなくて笑える出来になっている。
 

 

2017年3月にリリースされている「SINGULARITY」では7人だった「WORLD ORDER」だが、2018年10月9日に公開された「MISSING BEAUTY」ではメンバーが2人減って、演者が5人になった。

勿論ソロ作品としての「Missing Beauty」は2015年12月2日に配信されているので、少しずつメンバーが少なくなって行った経緯とは全く無関係ではあるものの、ソロのMissing Beautyを観ていると一抹の寂しささえ感じてならない。

背広と言うユニフォームをひとたび脱いで私服の「素」の須藤元気に立ち込めるこの弱弱しさと、数年前に選挙演説後に直接話しをした時の須藤元気はまさしく同じ人物であり、ソロのPVで感じた彼の情けなさの方が実は須藤の「素」ではないのかと私は思っている。

「絶対にお手を触れないで下さい」と書かれた背広姿の須藤元気に万が一手を触れても、崩れ落ちるのは手を触れた人ではなくもしかすると愛に枯渇しているように見える須藤元気の方ではないのか‥ とさえ思えて来るから、人は見掛けによらないものだと思わずにはいられない。
 

  
あの名作「Merry Christmas Mr.Lawrence」を何と、須藤元気が演奏している。それが何とも情けないのだ。
未完成のロボットがピアノを弾いているような光景に、ほんっとうにお話しにならない程下っ手くそなMr.Lawrenceがたらったらと展開出来ずに右往左往する様子が、まるで自転車を怖がっている少年のようで胸がしめつけられる。

さて、大体の記事ではその記事の〆に良作と思われる動画や音楽を貼っているが、今回は例外的にその逆をやってみたい(笑)。

この言いようのない苦悩を是非、皆様とシェア出来たら本望である。
  

 

[Info.]
内容を限定し、お仕事の依頼を受け付けております。
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音楽評論に関しては、世界中(演歌とヘヴィメタル以外)の音楽を分析・検証し、語り尽くします。
オーダーを遥かに上回るクールで奇想天外な記事を、筆者の豊富な脳内データから導き出して綴ります!

須藤元気の外と内面を分析する

須藤元気率いる「WORLD ORDER」が約2年間のブランクを経て、昨年2021年9月11日、新曲CENSORSHIPをリリースした。
 


タイトルの「CENSORSHIP」は訳すと、「検閲」と言う意味を持つ言葉であり、社会風刺を得意とする須藤元気の真骨頂が歌詞やダンス等の端々にほとばしる。
※歌詞は以下のページで読むことが出来ます。⇩
 


私は音楽評論家であるが、正直「WORLD ORDER」の描く音楽や詞の世界にはこれまで余り関心が無かった。だがこの作品をはじめとする幾つかの作品に妙にそそられ、特に今作品CENSORSHIPの歌詞の以下の部分が突出して鼓膜に刺さって来たので抜き出しておきたい。
 

答えにならない答えを繰り返すのさ
真実なんていつか作られているものさ
言葉にできない言葉は黒く塗れるのさ
紙切れなんていつか無くしてしまうものさ

 

答えを出さない答えは
空気を読んで
(失礼にいたしましては)
記憶にはございません

 


数年前、須藤元気が選挙戦に躍り出た時に、私は一度だけ彼と会話をしている。
その時の会話で印象的だったのが以下のようなセンテンスだった。
 

:
「WORLD ORDER」はやめてしまうんですか?

須藤:
はい。僕はこっちの世界で頑張ろうと思います。
あっちは僕以外の仲間たちが頑張っているので、是非今後も「WORLD ORDER」を応援して下さい。

 
そう言い終えると選挙の立候補者らしく須藤氏は “ぎゅっ” ‥と固く握手をしてくれたが、その人間離れした筋肉質な須藤氏の手の感触を私は今も忘れられない。

あの時は確か、Tシャツにジーンズ、黒メガネに襷を掛けていた。度々PVで観ていた須藤元気とは印象が違い、目に浮かび上がる弱弱しい印象が私の単なる錯覚ではなかったと、今は思っている。
 


最初に「WORLD ORDER」の動画を視たのは、私の記憶が正しければ2011年3月11日の大震災からそう遠くない、夏のある午後だったと思う。
曲目はこれ、「MACHINE CIVILIZATION」であり、「WORLD ORDER」の中でこの作品に勝る他の作品は無いだろう。
 

 
この作品には2つの良質な動画があり、私は上の作品動画よりもライブ・パフォーマンスの方が気に入っている。
特に注目すべきは動画4:18~ からの、須藤演じる壊れて行くロボット人間の動き。当時多くの芸人がこれを真似してコケたのを思い出したが、これは必見だ。⇩
 


須藤氏は恐らく小室哲哉の影響を強く受けた人ではないだろうか。
そう言えば「WORLD ORDER」は活動初期に一曲だけ、小室哲哉(TRF)の楽曲「BOY MEETS GIRL」をカバーしているが、それが圧巻だった。
勿論編曲やミックスはかなり粗削りで音楽として単一で聴けるかと言われると「No」のクオリティーではあるが、PVの印象は他の動画に引けを取らない。
 

 

(※但し上記の楽曲は「WORLD ORDER」のオリジナルではないのが、ファンとしては残念なところである。)

 

彼らのオリジナルの中で何が秀逸か‥ と言うと私は上記で触れた「MACHINE CIVILIZATION」の次に、MISSING BEAUTYを挙げておきたい。
 

 

MISSING BEAUTYで須藤元気は弱弱しい失恋を描いており、どこかカンツォーネやラテン音楽にも通ずる男の未練をたらたらと歌詞に綴っているのが印象的だ。
その弱弱しい、ある種の女々しさをあの、眼光鋭い表情で歌うのだから、そのギャップはある意味笑いをそそられるし、ある意味では女性のリスナーの同情さえ引く。

だが作品を聴いた後に尾を引く何とも言えない空々しさが一体どこから来るのか、ずっと分からずに居る。言葉には言い表しにくい嘘っぽさをリアリティーたっぷりのあの表情で演じているギャップを、数年が経過しても埋められないのだ(笑)。


そして何と、編曲違い、構成違いでMISSING BEAUTYのPVを、須藤元気はソロ作品としても配信しているが、これがなかなかに情けなくて笑える出来になっている。
 

 

2017年3月にリリースされている「SINGULARITY」では7人だった「WORLD ORDER」だが、2018年10月9日に公開された「MISSING BEAUTY」ではメンバーが2人減って、演者が5人になった。

勿論ソロ作品としての「Missing Beauty」は2015年12月2日に配信されているので、少しずつメンバーが少なくなって行った経緯とは全く無関係ではあるものの、ソロのMissing Beautyを観ていると一抹の寂しささえ感じてならない。

背広と言うユニフォームをひとたび脱いで私服の「素」の須藤元気に立ち込めるこの弱弱しさと、数年前に選挙演説後に直接話しをした時の須藤元気はまさしく同じ人物であり、ソロのPVで感じた彼の情けなさの方が実は須藤の「素」ではないのかと私は思っている。

「絶対にお手を触れないで下さい」と書かれた背広姿の須藤元気に万が一手を触れても、崩れ落ちるのは手を触れた人ではなくもしかすると愛に枯渇しているように見える須藤元気の方ではないのか‥ とさえ思えて来るから、人は見掛けによらないものだと思わずにはいられない。
 

 
さて、大体の記事ではその記事の〆に良作と思われる動画や音楽を貼っているが、今回は例外的にその逆をやってみたい(笑)。

あの名作「Merry Christmas Mr.Lawrence」を何と、須藤元気が演奏している。それが何とも情けないのだ。
未完成のロボットがピアノを弾いているような光景に、ほんっとうにお話しにならない程下っ手くそなMr.Lawrenceがたらったらと展開出来ずに右往左往する様子が、まるで自転車を怖がっている少年のようで胸がしめつけられる。

この言いようのない苦悩を是非、皆様とシェア出来たら本望である。

⇧ ‥とここまで順調にnoteから記事を移動出来たが、最後の動画は既に削除されていたので、ここに貼り付けることが出来なくて残念。⇩
 

 
本記事はSNS “note” の過去記事より移動しました。

 

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私の半生と苦痛 – ①生まれた時の記憶と両親

とても珍しいケースだと思いますが、私は圧倒的な記憶力を持って現在に至ります。それが魂とか霊体の影響なのかそれとも現在の肉体自体の素質なのかは判然としませんが、日時以外の印象的な光景に於ける映像記憶が突出しています。
なので過去世に見た景色や風景、関わった人達の顔や名前、その人達との歩みを始め、同じように現世の全ての記憶が色褪せません。
 
他愛ないことからそうではないことの一瞬まで鮮明に記憶し続けるので、むしろそれが私の精神を蝕むことさえ起こります。
思い出したくないことを時折ふとした弾みで思い起こし、それが既に過去の出来事であるにも関わらず私の中では永遠に継続して行くような感覚に苛まれます。
 

 

私が(直前の)過去世を終えて生まれ変わるまで、感覚的には一瞬でした。ですが母の母体に着床してから外界に出るまでの時間を考えた場合、それが一瞬と言うことはなさそうです。少なくとも一年近くの時間が流れていたかもしれません。
 
過去世で私は、イタリアのトスカーナ地方に今も存在する小さな農道で本来ならばそこを通らない規約になっている筈の大型車と遭遇し、その車に轢かれて即死しています。
痛みよりは大型車とぶつかった時の衝撃と衝撃音の方を強く記憶しており、大地と空が逆さまになって行く一瞬が少し長い時間に思えるような不思議な景色を記憶しています。
 
そこで私の過去世は一旦終了し、瞬時の眠りを経て次の私が始まります。
 
私の魂は何故か、空の物凄く高いところから大きな手のひらに突き飛ばされるようにして、地上へと落下し始めます。実際に生きている人間がそのような体験をすることはあり得ないのですが、それが魂(霊体)ならば大いにあり得ます。
何千フィートもの距離を長い時間をかけて落下し、その間気を失うことさえも出来ない映像と身体感覚の恐怖は今も頻繁に夢の中に現れます。
ですが使命を決めて生まれ変わって来る人と言うものは多かれ少なかれ、このプロセスを経るのだと「或る神様」が話していました。
 

そうやって私は感覚的には一瞬で空から地上に落下し、母体に着床し、着床してからはあっと言う間の9ヶ月余りを過ごし、とある病院で産声を上げました。


※どこのどの病院と言う記録と記憶については個人情報の都合上、ここでの記載は省略します。

 

 

過去世で私が事故死した年齢は推定20代前半くらいだったでしょうか‥。勿論過去世の私も音楽を奏でていましたが、何を間違えたのか20歳を過ぎた辺りからの私は料理人を志すことを心に決めて生きていました。
それがいけなかったのです。
 
人は、約束した使命を変更した場合にはそれなりの制裁を受けることが魂のルールで決まっているらしく、私の事故死は私が一時的にでも料理人の道を目指し始めたことが原因だったと、後から分かりました。
 
そして次に授かった命が今の私でした。
 
顔の真ん中に「裂傷」を持つ私を、数人の大人たちが覗き込んでいました。彼らはそれまでの私を温かく包み込んで愛してくれたイタリア人の青い目をしたグランマとは全く異なり、黒い髪、黒い眼をした二人の男女がその中に居ました。
 
傷だらけの私を見た父の第一声は、「なんだこれは。」(棒読み)‥ でした。
まるで壊れた家電でも見るような冷たい目で私の顔を覗き込み、不快極まりないと言う感情を表情と声に出してもう一度、「なんだこれは一体!」と母に向かって大声で叫んだ時の声を私は今も忘れることが出来ません。
 
父は、そのまま立ち去って行きました。
母は、私を抱き上げようともしませんでした。

 
代わりに少し肉付きの良い女性が私を抱き上げ、あやしてくれたのを覚えています。
 

本来とてもおめでたい瞬間の私達家族の光景は、冷たく凍り付き硬直し始めました。殺伐とした家族の関係が始まり、それは現在に至ります‥。
 

 
この世界に生まれ落ちてからたった一日で、私は家族の中での人権を失いました。
両親にとって、顔に傷を持つ女児は人間ではないのです。

私はまるで渋々飼われることになった生き物のように扱われ、私が言葉を話せるようになってからは益々彼らの差別感情が過熱して行きました。
 
遠い過去世 ~ リラ星の巫女だった私から数えると、そこには膨大な時間が経過していました。現在に至るまでには多々の人生の経験があり、それが霊体を拡張させ魂をさらに成熟させ、その流れを止めることなく現世の私が始まったのですから、生まれ出て来た女児は既に老人の精神年齢を持つ大人のようだったと思います。
そんな女児が子供らしい、可愛くあどけない言葉を発する筈がありません。
 
顔に裂傷のある生意気な女児は、まるで絵に描いた家族の中に登場するフランス人形のような女児とはおよそ違った大人びた言葉を容赦なく発したでしょうし、記憶では母の弾くピアノに手厳しいジャッジメントを下したこともありました。
確かあの時母が弾いていた曲は、当時大ヒットした歌謡曲「ゆうべの秘密(小川知子)」のピアノ伴奏でした。
その伴奏のコードが完全に間違っていたので、まだ喋れない赤子だった私は「あうぅぅ~~!」と言ってギャン泣きした途端、母に「ピシャ!」っと顔を叩かれたことを覚えています。
 
でも、違うものは違うのです。それを感じる感性に子供も大人もありません。正しいか否か、美しいか否か‥、きっと私はそこだけを考えながら母の弾くピアノを聴いてギャン泣きしたのでしょう‥(笑)。
 

母の殴打の始まりはあの時だったと思います。でも子供の私はその意味がよく分からず、そこから数年の時を経たある日、(原因は忘れたのですが)母の手の関節が私の目を激しく殴打した時、もしかしたらこれは虐めとか虐待の類いではないのか‥ ということに薄々気付き始め、母や父の言動に疑いを持ち始めました。
 
 
to be continued…

私の半生と苦痛 – 序文

昨年2021年12月26日から今日までに起きたことを、今日は静かに振り返っていました。実家の遺品の整理をしながら、私を排除し続けた実家の家族や親戚、そして亡き弟の嫁についても出来る限りの手を尽くして調査をした結果、色々なことが分かって来ました。
 
特に未だ一度も会ったことのない弟(故)の嫁が私にした色々な仕打ちは到底許しがたいことであり、彼女の陰影(写真)を含め私はその全てをしっかりと心に焼き付けました。
 
とてつもない怒りが体じゅうから湧き上がり、そのことを複数の神々に相談したところ、「それ程までの貴女への仕打ちの側が悪。我慢の必要はない‥」 との見解を神々から得ることが出来ました。
なので私はこれを一つの区切りと切っ掛けとして認識し、今日まで私が親族や親戚、弟(故)の嫁を含む家族の関係者が私にして来た様々な仕打ちについて、このブログから発信して行くことに決めました。
 
私は顔の真ん中に傷「裂傷」を持って生まれました。世が世ならばそういう子供は抹消されたのでしょう。だからと言って、抹消せずとも苛め抜いて家族の輪から排除して良いと言う理由にはなりませんが、私の両親、生前の弟等は私をそういう風に扱い続けました。
そしてそれが現在は弟(故)の嫁と二人の私の従妹へと、脈々と受け継がれているのが現実です。
 
私は裂傷を持って生まれて来たものの、内面は過去世J.S.バッハ、そして妓生「ファン・ジニ」の気質を持っていますから、生き方やものの考え方は既に成熟しており、子供時代からどこか年老いたものの考え方をしていたことも又事実でした。
その為、父からは度々「可愛くない子だ」‥ 等と言われた事を、今も忘れることはありません。
 
但し現実はもっと複雑でした。
ただ、顔に裂傷を持って生まれて来ただけなのに、私が感情もあやふやで怒ることやものを考えることが出来ず、認識機能に障害を持つ人間だ‥ 等と言う尾鰭が付き、私は徹底的に家族や親戚たちから排除され、現在に至ります。
 
 
彼らが私を、精神障害を持つ人‥ 等と周辺に吹聴し続けて来た今日までのことや、弟(故)の嫁が私と言う存在を知っていたにも関わらず私を意図的に排除した状態で彼女が私に無断で母を火葬したこと、その火葬や葬儀に関わっていた二人の親戚のことも含め、可能な限り具体的な人物名を出してここに綴りたいと思います。
 

麻布教会

 


実母は年に一度だけ、クリスチャンに化ける人でした。

クリスマス・イヴから翌日のクリスマスの日以外は日常的に私に暴力をふるい、私を風呂にも入れず体じゅうが痣だらけになるまで爪でつねり、殴り、時には刃物で私の顔や体を切り付けたり、気分が激昂すると水風呂の中に私の顔を息が止まりそうになるまで突っ込んだまま溺れ(死に)させようとした‥等、それらの行為を『英才教育』と言う名の元に周囲の親戚や知人等を巻き込んで承知させ、虐待の手を一切緩めませんでした。
 

私の住んでいたマンションで、母は多重のキャラクターを使い分けながら人と接していた為、多くの人達は母がそのような凶暴な人格を持つ人だと言うことを知らなかったかもしれません。
なので私はある時期から母の虐待が始まった時にはそれだと周囲に分かるよう、意図的に大声で鳴き声を上げ助けを求めましたが、誰も私を助けてくれませんでした。
皆、我が家のことを知りつつ触れたくなかったのかもしれません。
 

昨年12月1日に母が永眠し、私はその事実を同じ年の12月26日まで知らずにいました。
その間に弟(故)の嫁が私の存在を全く知らなかった素振りを決め込んで、母を彼女の勝手な独断で火葬し、喪主を買って出て葬儀を済ませたことを昨年の12月26日に母の携帯に出て来た弟(故)の嫁から直接、まるでそのプロセスが当然の事のように聞かされ、驚きました。
 
さらにもっと驚いた事は、弟(故)の嫁と私の従妹にあたる女性一人 [えみさん(仮名)] が弟の知り合いの弁護士に、法定相続人である私には秘密裏に母の遺産を相続する件について相談していた事と、その経緯で私達夫婦の事も含め丹念に調査をしていた事でした。
彼女たちは法定相続人である私を「不在のもの」とした上で母の遺産を家探しの末調べ上げ、母の所持品や預金通帳等を漁って中身を見て金額を計算し、実家の墓じまいの件まで弁護士に相談していた旨の書類を目にし、そこから私の怒りはマグマのように吹き上げたまま現在に至ります。‥
 
 

糸島の海

 

弟(故)の嫁は自宅で倒れていた母の第一発見者となったようですが、そこに二人の従妹が同席していたと、彼女から私の実家の郵便受けに投函された差出人住所不記載の手紙には書かれていました。
考えてみれば妙な話しです。彼女の周りで、私の四人の家族の中の二人が亡くなったのですから。

問題は弟(故)の嫁が私に、頑ななまでにご自身の居場所や連絡先を伏せ続けている現実がある事。
私との実家の件(母の死亡の件も含む)の連絡手段として亡くなった母の携帯電話を私に指定し、2回の電話連絡の後私から彼女に連絡をしても一切電話に出なくなった理由には一体何があったのか、今でも不審を抱かずには居られません。
 
何より母を、私に無断で火葬し葬儀まで済ませ、周囲に私の不在を印象付けて行った真の理由も知りたいです。
もしかすると弟(故)の嫁は、私が認識能力のない精神の病んだ人だと勘違いしている(或いは周囲に意図的に勘違いを誘導している)可能性もあり、彼女を始め弟や母から私についてそのように吹き込まれたであろう多くの人達に、それが私の親族の吐いた虚偽である事を伝え、尚且つ事実修正する必要を強く感じています。
  

Olive


弟(故)の嫁の [りえさん(仮名)] は実家のかなり近くに住んでいるであろうにも関わらず、私達夫婦の挙動を息を潜めて監視しているような状況が続いていますが、私は弟(故)の嫁が今どういうマインドにあり、どういう状況に置かれているのか‥ について薄々知っています。
それは亡くなった弟本人が、彼に出来る方法を使って私に知らせてくれるからです。
 

一つ付け加えるならば、2015年の11月に他界した弟の実名をネーミングした「大輔塾」と言うセミナーを、2019年頃には開始当時とは全く異なるお茶会スタイルで運営している旨、全く本意ではないと弟が私に伝えて来ました。
本当に弟を思う心があるならば、そのような緩いお茶会形式へ弟の名前を使って「大輔塾」に人を集客するような行為は、今直ぐやめて頂きたいです。


さらに弟の実名の「大輔塾」と言う名称で運営されているFacebookの非公開グループの継続や、その中ででわちゃわちゃ投稿したりコメント等をする行為も、弟・大輔は全く望んではいません!
 

 
私は数名の実弟の知人に、これまでの経緯や今起きていることの断片(私が家族や弟の嫁から排除され続けて来たこと、弟の嫁が私に無断で母を火葬した事、等)を母の永眠の件に添えて手紙やメールで伝えましたが、今のところ全員が無視しています。
本来無視すべき内容ではないのに無視し続けると言う事は、そこに私への悪意や敵意が在ると言う確たる証拠です。
 
この件を私は心の中に仕舞っておくつもりで今日まで黙っていたのですが、それをする必要が無くなりました。
それよりも私は表現者として、静寂の音色の底に何を本当は封印して来たのか‥ についても、これまで私の身に起きたことをありのまま、ファンと共有する必要に迫られています。
 
但し、痛みや苦痛ばかりの文章の羅列は、読む方々をさらに苦しめる事にもなるかもしれません。
なのでこの「序文」以降は私の半生と苦痛と言う新しいカテゴリーを作り、そこにシリーズ化してこれまでの私の身に起きたことをありのままエッセイタッチで綴って行こうと思います。
  


このブログは今日まで主に音楽評論をベースに執筆を続けて来た経緯がありますが、それを止めずに新たなカテゴリーに私の半生と苦痛を加え、私自身に長年降り掛かっていた虐待や両親の私に対する過激な虐め・家族排除を含め、私の職歴や半生をそこに織り交ぜながらフィクションのように、ある意味他人事のように少しだけ俯瞰した視点で実話を綴ろうと思います。
 

思えば遠い過去、リラ星の巫女だった頃から魂は少しも休むことなく何度も何度も転生し続け、気が付いたらこのような私になっていました。
途中J.S.バッハや妓生「ファン・ジニ」、そしてジプシーとしてトランシルバニアに生まれ落ちたり或いは茶人「千利休」につかえる「くのいち」としての人生を経験したり‥、一つの魂が今日に至るまでには多々の過酷な変遷を経て来ました。
 
先程夕食の時間に、夫がこんな名言を言いました。

━ 強く深い怒りは悲しみをともなう。それは必ず祈りに昇華する。 ━

私は表現者として、今、心にある怒りを美しい表現に昇華させることを考えています。それを多くの人達とシェアする為には先ず、私が今心の中に燃え上がる怒りを書き記さなければなりません。
 
綺麗ごとではない、もっと生々しい私をここに書き記して行くことに決めました。
恐らくこれを、私を長年平然と排除し続けて来た親戚(二人の従妹)たちも見ていることでしょう。是非、私がこれまで経験して来た血の滲むような痛みとかなしみをご覧下さい。
それらを読んで、それでも私を家族から排除し暴力をふるい続けて来た両親の振舞いを肯定したり、私に心身への暴力の手を一切緩めようとしない両親を陰で滾々と支え続けた叔母を称賛する気持ちが変わらないならば、あなたがたは間違いなく悪魔の化身です。

さらには真実に気付きながらもそこからあえて目を伏せて、生前の両親や弟の虚言を肯定し続けている、私の親族・親戚以外の方々に於いても同様、同罪とみなします。

 
序文なのに長くなりましたが、以後はもっとライトなタッチで赤裸々に現実を書いて行きます。
私の音楽を愛して下さる方には、出来れば末永くお付き合い頂ければ幸いです。
 

イタリアンポップスの名曲『ABBRACCIAME』を比較・分析する

2022年2月18日の未明から私は急々と、Spotifyの新譜チェックを開始した。すると上から3曲目に現れたのがこの作品『ABBRACCIAME』だった。
アーティスト表記は『MONICA SARNELLI feat. MAURO SPENILLO』となっている。
 


この作品は初演歌手が [Andrea Sannino] で登録されているが、作曲者が判然としない状態で色々なサブスクリプション内には [Andrea Sannino] が作曲者として記録されているものを私は多数見ており、この機会にあらためて調べてみたところ、上の動画ABBRACCIAME – MONICA SARNELLI feat. MAURO SPENILLOでキーボードを演奏している男性 Mauro Spenillo がどうやら正式な作曲者であることが判明した。

上記動画は再演(cover)にあたるが、私は原曲として公開されている [Andrea Sannino] の初演バージョンよりも此方の方が、作曲者の意図が強く表れているような気がしてとても好きである。
 

 
[Andrea Sannino] についてもあらためて調べてみると、「イタリアの歌手、カンターテナー」と表記されているページも遭遇した。だが Andrea Sannino は妻も子供も居ると言うことが分かっており、単純に彼がユニセクシャルな声質を持つ歌手だからと言う理由で「カンターテナー」と表記されているページの記事には若干違和感を感じずにはいられないが‥。


この作品『Abbracciame』は名曲がゆえに、世界の多くの歌手たちの心を虜にしている。YouTubeにも多数のカバー動画が上がっているが、中でも最も腹が立ったのは日本のカンツォーネ歌手と肩書を公表している加藤ジュンコ(旧 加藤順子 こと かとりーな)の此方の動画だ。⇩
 

 
そもそもこの作品『Abbracciame』の歌詞を手掛けたのは初演歌手でもある(& 夢想家を公言している) Andrea Sannino でもあり、彼はこの作品をディズニー映画からインスピレーションを得て執筆したと多くのメディアで語っていることは有名な話しである。

以下は Andrea のインスタグラムに掲載されていた言葉。⇩
 

Chi crede nei sogni è solo a metà del percorso;
Who believes in dreams is only halfway through the journey;
夢を信じる人は旅の半ば

all’altra metà ci arriva chi crede nell’impossibile.
the other half arrives to those who believe in the impossible.
残りの半分は不可能を信じる人に訪れる

Viva i Sogni!
Long Live Dreams!
夢よ、万歳!


何と哲学的な言葉だろう‥ とただただ感嘆するばかりであるが、この美しく哲学的な歌詞を日本のカンツォーネ歌手である加藤ジュンコは以下のように翻訳して歌っている。⇩
 

『Abbracciame』(加藤ジュンコ: 訳詞)

理想のタイプ語っていた あの日の私は
まだ 本当の恋のときめき 知らずにいた
今二人きり 誰もほかにいないこの部屋で
この気持ちを 勇気出して打ち明けたい

あなたが好き
好きで 本気で好き
恥じらい 照れてうつむく私に
キスしてくれた

☆ [サビ]

お願い 強く抱きしめて
すべてを忘れ
過ぎ去った過去も未来も
ひとつに重なる瞬間

強く抱きしめて
目覚めた時 あなた
離れてしまわぬように
強く抱きしめていて

加藤ジュンコのカバー動画より抜粋。

 
流石にお粗末で話しにならないので、和製カンツォーネ歌手の話しはこの辺りで止めておくが、イタリア人の語る「愛」をここまで安っぽく貶められると流石に腹を立てずにはいられないのが真のイタリアンポップスファンであり、その一人として一先ず酷評の筆を添えておきたいと思った(笑)。


この作品の原題である『Abbracciame』の音をよくよくしみじみと聴いて行くと、そこには一つの普遍性をともなう祈りとかなしみが浮き上がって来るのが分かるだろう。
一部のイタリアンポップス好きの日本人女性が勘違いに陥るスキンシップ執着型の恋愛模様ではなく、イタリア人はそこにひとすじのかなしみを描いている点は見逃せない。

その愛が成就しようがしまいが、一人の人間を愛すると言うこと、それを告白したところで成就する可能性等稀薄ではあるものの、「ただ思う」「ただ、愛する」と言う大きな期待と失望とを全身で背負いながら、自身の思いを「祈りの境地」へと高めて行くところにあるものが「真の愛」である。
この作品『Abbracciame』の中ではその片鱗が歌詞のみならず、音楽、メロディーの中でも存分に描かれている。

作曲者であるこの作品のもう一人の立役者である Mauro Spenillo が辿って来た人生の片鱗、音楽への深い愛がこの作品をさらに際立たせて行く。特にAndrea Sannino とMauro Spenillo の二人だけで即興録音された以下の動画が、兎に角素晴らしい。
 

 
「愛」とはただ甘美でせつないだけではなく、そのせつなさの伏線として多くの波瀾や不運をも背負い込んで行く覚悟や決意のようなものが、上の動画では強く引き出されているように感じてならない。

この動画の中で二人が表現しようとした「抱擁」‥ つまり日本語で言うところの「強く抱きしめて」の本当の意味が、一瞬先には壊れてしまう夢の中の抱擁のシーンのようで、それは加藤ジュンコが言うような、男と女の薄っぺらい肉体の接触とは全く意味が異なるのではないだろうか。
 
私がかつて従事していた和製シャンソン & カンツォーネ界の人で在り続けたら、この作品を是非インストゥルメンタルでカバーしたいところだが、もうそれは出来ない。
なので自宅で時々練習用に弾くに留めておこう。


さて、この記事の最後にこの作品のLive版の動画を掲載して、記事を終わりにしよう。
 

 
よ~く Andrea を見ていると、時々あの、リッキー・マーティンに見えて来る(笑)。
どこかしらにマイノリティーの香りを感じずにはいられないのだが、それが Andrea Sanninoカンターテナーとも言われる理由の一つだと言われたら、何となく頷ける。
 

 

本記事はnote記事より此方に移動しました。

イタリアンポップスの名曲『ABBRACCIAME』を比較・分析する

2022年2月18日の未明から私は急々と、Spotifyの新譜チェックを開始した。すると上から3曲目に現れたのがこの作品『ABBRACCIAME』だった。
アーティスト表記は『MONICA SARNELLI feat. MAURO SPENILLO』となっている。
 

 
この作品は初演歌手が [Andrea Sannino] で登録されているが、作曲者が判然としない状態で色々なサブスクリプション内には [Andrea Sannino] が作曲者として記録されているものを私は多数見ており、この機会にあらためて調べてみたところ、上の動画ABBRACCIAME – MONICA SARNELLI feat. MAURO SPENILLOでキーボードを演奏している男性 Mauro Spenillo がどうやら正式な作曲者であることが判明した。
 

上記動画は再演(cover)にあたるが、私は原曲として公開されている [Andrea Sannino] の初演バージョンよりも此方の方が、作曲者の意図が強く表れているような気がしてとても好きである。
 

 

[Andrea Sannino] についてもあらためて調べてみると、「イタリアの歌手、カンターテナー」と表記されているページも遭遇した。だが Andrea Sannino は妻も子供も居ると言うことが分かっており、単純に彼がユニセクシャルな声質を持つ歌手だからと言う理由で「カンターテナー」と表記されているページの記事には若干違和感を感じずにはいられないが‥。


この作品『Abbracciame』は名曲がゆえに、世界の多くの歌手たちの心を虜にしている。YouTubeにも多数のカバー動画が上がっているが、中でも最も腹が立ったのは日本のカンツォーネ歌手と肩書を公表している加藤ジュンコ(旧 加藤順子 こと かとりーな)の此方の動画だ。⇩
 

 

そもそもこの作品『Abbracciame』の歌詞を手掛けたのは初演歌手でもある(& 夢想家を公言している) Andrea Sannino でもあり、彼はこの作品をディズニー映画からインスピレーションを得て執筆したと多くのメディアで語っていることは有名な話しである。

以下は Andrea のインスタグラムに掲載されていた言葉。⇩
 

Chi crede nei sogni è solo a metà del percorso;
Who believes in dreams is only halfway through the journey;
夢を信じる人は旅の半ば

all’altra metà ci arriva chi crede nell’impossibile.
the other half arrives to those who believe in the impossible.
残りの半分は不可能を信じる人に訪れる

Viva i Sogni!
Long Live Dreams!
夢よ、万歳!

 

何と哲学的な言葉だろう‥ とただただ感嘆するばかりであるが、この美しく哲学的な歌詞を日本のカンツォーネ歌手である加藤ジュンコは以下のように翻訳して歌っている。⇩
 

『Abbracciame』(加藤ジュンコ: 訳詞)

理想のタイプ語っていた あの日の私は
まだ 本当の恋のときめき 知らずにいた
今二人きり 誰もほかにいないこの部屋で
この気持ちを 勇気出して打ち明けたい

あなたが好き
好きで 本気で好き
恥じらい 照れてうつむく私に
キスしてくれた

☆ [サビ]
お願い 強く抱きしめて
すべてを忘れ
過ぎ去った過去も未来も
ひとつに重なる瞬間

強く抱きしめて
目覚めた時 あなた
離れてしまわぬように
強く抱きしめていて

加藤ジュンコのカバー動画より抜粋。
 

 
流石にお粗末で話しにならないので、和製カンツォーネ歌手の話しはこの辺りで止めておくが、イタリア人の語る「愛」をここまで安っぽく貶められると流石に腹を立てずにはいられないのが真のイタリアンポップスファンであり、その一人として一先ず酷評の筆を添えておきたいと思った(笑)。

 
この作品の原題である『Abbracciame』の音をよくよくしみじみと聴いて行くと、そこには一つの普遍性をともなう祈りとかなしみが浮き上がって来るのが分かるだろう。
一部のイタリアンポップス好きの日本人女性が勘違いに陥るスキンシップ執着型の恋愛模様ではなく、イタリア人はそこにひとすじのかなしみを描いている点は見逃せない。
 

その愛が成就しようがしまいが、一人の人間を愛すると言うこと、それを告白したところで成就する可能性等稀薄ではあるものの、「ただ思う」「ただ、愛する」と言う大きな期待と失望とを全身で背負いながら、自身の思いを「祈りの境地」へと高めて行くところにあるものが「真の愛」である。
この作品『Abbracciame』の中ではその片鱗が歌詞のみならず、音楽、メロディーの中でも存分に描かれている。
 

作曲者であるこの作品のもう一人の立役者である Mauro Spenillo が辿って来た人生の片鱗、音楽への深い愛がこの作品をさらに際立たせて行く。特にAndrea Sannino とMauro Spenillo の二人だけで即興録音された以下の動画が、兎に角素晴らしい。
 

 

「愛」とはただ甘美でせつないだけではなく、そのせつなさの伏線として多くの波瀾や不運をも背負い込んで行く覚悟や決意のようなものが、上の動画では強く引き出されているように感じてならない。
 

この動画の中で二人が表現しようとした「抱擁」‥ つまり日本語で言うところの「強く抱きしめて」の本当の意味が、一瞬先には壊れてしまう夢の中の抱擁のシーンのようで、それは加藤ジュンコが言うような、男と女の薄っぺらい肉体の接触とは全く意味が異なるのではないだろうか。

 
私がかつて従事していた和製シャンソン & カンツォーネ界の人で在り続けたら、この作品を是非インストゥルメンタルでカバーしたいところだが、もうそれは出来ない。
なので自宅で時々練習用に弾くに留めておこう。

 
さて、この記事の最後にこの作品のLive版の動画を掲載して、記事を終わりにしよう。
 

 
 

よ~く Andrea を見ていると、時々あの、リッキー・マーティンに見えて来る(笑)。
どこかしらにマイノリティーの香りを感じずにはいられないのだが、それが Andrea Sanninoカンターテナーとも言われる理由の一つだと言われたら、何となく頷ける。
 

 

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