小さな日記

とある出来事から生活環境が変わり、生活環境の変化が食生活の変化を生み出した。
食生活の変化はものの考え方の基本を根底から揺るがし、昨年まではただただ倹約(節約)に忙殺されていた暮らし方の根底が見事に変わった。
 
つまりそれまで観続けていた貧乏飯の動画を観る必要がなくなった。
 

 
何かと味の素を乱用している某YouTuber(リュウジさん)の動画に逐一キレていた日々を脱し、今はオテル・ドゥ・ミクニさんの動画から多くを得ている。
良い食事と食生活は時間のゆとりを生み出し、それが家庭で作る料理の質そのものを向上させて行く。
 
因みに前回の転居の理由はDidier Merahのアンチから夫婦二人の身を守る為の一種の避難行動だったが、今回はそれとは違う。
これまでの人生に必要だった荷物や生活必需品の大半が、要らなくなった。
新居に持ち込める荷物は限られている。教員免許と卒業証書以外、荷物は何も要らなくなるかもしれない📦
 

 
生まれて初めて大粒のルビーのペンダントを買った。これ、なんと2カラット。
 
他の石も少しずつ揃えて、アクセサリーBoxが少しずつ華やいで行く。‥するとそれまで身に付けていた天然石のブレスレットが、あからさまに釣り合わなくなった。
良いものを知るとは、こういうこと。
 
両耳合わせて4つのピアスホールを空けているので、ついでにダイヤモンドのピアスも買った。半年前まで付けていた複数カラーのジルコンのピアスを、遂に手放す時が来た。
身のこなしがどこか堂々として、それが新たな優雅さを醸し出す。
対人関係にも大きな変化を余儀無くされている。

だがここは注意すべきポイントで、私がどう変化しようがしまいが変わらず関わって行くべき人たちのことを、私は忘れてはいけないと思う。

※勿論私がみすぼらしい身なりだった時から私の本質を見抜いて、そして分相応の接し方をして来て下さった人たちに限る。

 

アフタヌーンティー

生まれて初のアフタヌーンティーを、都内(都下)某所のホテルで堪能しました。
 
昨年暮れに始まった実家の遺産相続手続き中の私たち夫婦は毎日美食を堪能しているように見えるかもしれませんが、この57年強もの期間実家の支援を殆ど受けられず、身の丈に似つかわしくない極貧生活に近い暮らしに耐えて来たことを思えば、このくらいのプチ贅沢くらいは良いのではないでしょうか。

エリザベス女王崩御後、私たちは欠かさず女王との神人共食を続けています。
恐らく庶民の大半が知らなかったエリザベス女王の知られざる苦労談話を今、このタイミングで聞いているのは私たち「テレパシスト」の二人だけでしょう。
 

 
各々の苦しみは、その血筋を引く者同士でなければ分かり合えないのかもしれません。
思えば実母もその一人であった筈ですが、彼女はどこかの時点から人間的に転落して行ったように思います。
その切っ掛けがあたかも顔に障害を持って生まれて来た私のせいであるように、母は親戚じゅう、そして彼女に近しい知人たちに話して歩いていたようです。

その間私は何ら抵抗や反発の機会も与えられず、昨年2021年の12月26日までの間、家族や親戚全員の私に対する蔑視や差別、排除行為等に及ぶ数々の苦境を耐え抜きました。

勿論合法的な手続きを経て譲り受けた資産の使い道の最優先順位として、私自身の音楽活動及び夫・天野玄斎の活動資金が上位に挙げられますが、その他に私たち夫婦はしかるべき団体への寄付も視野に入れながら、今それらの運用について日々話し合っているところです。
そんなさなかの食の楽しみさえも、私はすべて創作活動の糧になれば‥ と考えながら生活しています。
 

豊かな食は豊かな時と素晴らしい人間関係を生み出し、そのすべてが一つも漏れずに私の未来の音楽作品の礎になると信じています。
 

フカフレの姿煮

 
明日は待ちに待った中華料理の秋のフルコースを堪能する予定を立てています。
料理長や店舗マネージャーとも和やかに歓談が弾み、今日の夜は前祝いのような厳かな中華料理も堪能して帰宅しました。
 

Queen Elizabeth, forever…

人生57年と強、どんなキタナシュランなお店の食事であっても何かしら良いところを一つは探し出し、ささやかに慎ましく私は食を楽しんで来ました。
実家の金銭状況が余り豊かではないと信じ込まされ、学生時代には小さなレコードショップで販売のバイトをしたり、町中の宴会場の結婚式等のピアノ演奏も率先して引き受けて来ました。

ですが昨年実母が他界し、そのことで色々と母や実家の過去を調べて知って行くうちに、私がそれまで知らされて来たことの大半が母の作り出した虚像だったことに気付き、愕然としています。
一方で私がそれまで知らされて来たことの大半が母の虚偽ならば、むしろ私は堂々と母が遺したものを57年間の実家からの慰謝料として受け取るべきであり、その現実に素直に従いながらの現在があります。

 

 
2022年9月9日、英王室エリザベス女王がお隠れになりました。

タイミング良く私が私自身のルーツを知り始めた時の、英(スコットランド)女王の訃報は、今の私にとってことさら深い悲しみに加えシュールな霊感の戸をさらに大きく開けたように感じています。
 
昨夜の夕食はそんなシュールな感覚が全開の中営まれ、私たち夫婦の直ぐ傍に女王の御霊が佇まれ、慣れない神人共食を為されていました。
享年96歳の女王はその年輪の中の穢れの一つも感じさせない、まるで精霊のように純粋で穏やかであられるように感じました。

 
このところ体調を崩していた私も少しずつ浮上傾向に改善し始めた矢先のエリザベス女王の訃報の日、私は実家に郵便物を取りに向かい、その足で美容院に行き、髪を切りました。
今回はパーマもかけずトリートメントを2回施して頂き、サロンでは何となく私の遺産相続やら私のルーツの話題に花が咲き、そこはかとなくすっきりとしない情感を抱えながらも担当美容師さんの軽快なジョークに少しだけ励まされながら数時間を過ごし、電車半分~タクシー半分で自宅まで戻りました。

それから少しして‥、私と夫、そして女王の御霊をお招きして静かに執り行われた夕食の儀のような神人共食は、いつもとは少し違う味(味覚)が印象的でした。

 


祈り。
目的も終着点もない祈り。
それを生涯掛けて突き通されたエリザベス女王と、私とはどこかで幽かに(現実的な意味合いに於いても)繋がっているようです。
ここではこれ以上詳しくは書けませんが、これはおそらく事実です。

私はこの軌跡を、次のピアノ・アルバムに表現したいと今、考えています。
 
美味しいものを、食べたいものを食べたい時に何の気兼ねなく、自由に頂けるようになった今の私は、ただの美食家におさまるつもりはありません。
さらに創作に磨きをかけるべく、私は私本来の人生の軌道に戻り、私らしく豊かに送って行きたいと思います。
勿論自分自身の為に。そして愛する地球や、今の私を形成している本来のルーツを特に意識しながら。

何より女王が今日まで貫き通して来られた「祈り」を私なりにさらに深く突き詰め、それを音楽作品に投影して行くこと。
それこそが私のミッションであることを昨夜、再認識しました。


エリザベス女王、今日までの長きの波乱の人生‥ 本当にありがとうございました。
どうか安らかに、私たちをお見守り下さい。
 

母の誇りと「墓じまい」について

我が家は現在、絶賛引っ越しモードの最中にあります。

所謂‥ トラックで旧宅の荷物を一気に新居に運び込むのではなく、旧宅に荷物をある程度保管したまま新居を一から作り込むやり方で部屋作りを進めている為、通常の転居よりは少し時間と手間が掛かりそうです。

家具も一から夫が測って購入して組み立てているので、梱包を解いた後の段ボールの処理等を考えると二日から三日に一個の家具を増やして行くのが精一杯。
 

そんな中、母が未だ某所に資産を隠していたことが判明し、一旦終了した筈の遺産整理が再開されました。
ここは専門家の司法書士や税理士さんにお任せして、私たち夫婦は新居のお部屋作りの続きを継続しています。
 
急に重い荷物を担いだり環境の変化、その他シュールな変化などが続いた為(あるいは愛兎のマイケルの死で未だ私のメンタルが重く落ち込んでいる為‥)、一度更年期で終わった筈の「月のお客様」が再びお見えになり、ここ数日間はかなり酷い腰痛に悩まされている私。
 

 
現役の伴奏者時代に使っていたファイテンの腰痛サポーターを思い出し、先日遂に店舗に出向いてペンダントを含む色んなグッズを買い込んで来たところです。
 
旧宅でかなり古くなった固い布団に寝続けている間に正直かなり腰や背骨に負担が掛かってしまい、それが数年振りに急遽訪れなさった「月の訪問者」とも重なって、数日間殆ど布団から起き上がれずに居ました。
でも少しは体を動かした方が良いと思い、昨日の土曜日の夜にようやく馴染みのレストランにカジュアル・フレンチのプチ・フルコースを食べに出かけて来ました。
 

そこで出されたキャロット・スープが脳天を突き刺す美味しさで、前菜とメインディッシュの間とメインディッシュの後にもう一度、二度は飲まなければ帰れないと思い黒服さんにお願いしてリピートさせて頂きました🥕
 

 
今はもうない「グランドパレスホテル」では定番のこのスープが、都下の小ぶりなホテルのレストランで復活し、それを私たち夫婦は殆ど毎日頂くことが出来ているわけですから、これ程の名誉と幸福はありません。
 

そう言えば今回再燃した二度目の遺産相続ですが、一体母は何から自分自身と資産をここまで頑なに守り続けて来たのでしょうか‥。


先々週某日に或る封書が実家の郵便ポストに投函され、それを数日遅れで私が郵便ポストから拾い上げました。
普段の私ならばそこまで綿密に迅速に実家の手紙に対応することはないのに、あの時だけは違いました。封書をポストから受け取った翌朝に差出人として書かれていた銀行に電話を入れると、案の定そこには母がセキュリティーをMAXにした状態で温存していた銀行口座が存在し、それが未だ生きた状態で保存されていたと言うのだから、これにはさすがの司法書士さんも驚いたことでしょう。
 

 
ここからは一部私の、持ち前のテレパシーで受信した話が挟まります。真偽の程は五分五分と言う前提でお読み下さい。
 
母は生前、弟・大輔(故)の奥様の「りえさん(仮名)」に、何度か「自宅を譲りたい」旨の話をしていたようです。
最初はそれが母の本当の気持ちだった筈が、その件にまつわる一連の会話の中で母が(自身について)某王室の血を引くと言う話を「りえさん(仮名)」に伝えたことがあり、それを聞いた「りえさん(仮名)」の反応がどこか冗談でも聞いた時のようなふざけた表情だった為、途中から母の気持ちが変わったようです。
 

勿論この話は生前の母から直接聞いた話ではないですが、私は経歴にも書いてある通り「チャネラー」であり「テレパシスト」でもあるので、この辺りの話はもしかすると知っているのは「りえさん(仮名)」と私の世界でただ二人だけかもしれません。
 
以前一度だけ、Instagramで遭遇した‥ 表向きは「りえさん(仮名)」の知人と言う体(てい)の「エル〇〇ト(HN)」と言う人物が、誰も(私も)知らない母の事情を自分だけが知っている‥ と匂わせるようなメールを私に送信して来たことがありました。
仮にそれが真実だったとすればそれは、迂闊に第三者には話せない内容である筈。ですが問題はそこではなく、本来ならば「エル〇〇ト(HN)」しか知り得ない筈の話を、実は私が知っていたことの方でしょう。
 
音声に乗らない話を聞き取ることは、天界の音楽を聞き取るのと同様私にとっては日常茶飯事の動作にすぎません。

 
再開した二度目の遺産整理(相続)の元となった母の隠し資産の内容を見た時、それはただの数字の羅列に過ぎないにも関わらず私の目には、どこか特別な思いで母が内密に誰かから譲り受けた資産ではないかと直感しました。
 
母の口癖だった「ママはね、〇〇ダ〇伯爵の血を引いているのよ。」と言う言葉を、私は今でも忘れることが出来ません。
考えてみれば叔母の「昭子さん(仮名)」も面立ちが、現・英国の女王にとてもよく似ていました。これ以上の話については明言することも執筆することも私には現段階では出来ません。
ですが過去にお二人だけ、我が家の血筋について調べた人物が居て、その方々からは母が確かにそうした海外の王室の血筋を引く人物らしいと言うご報告を受けたことがありました。
 
母の誇りは本来ならばとても崇高なものである筈。ですが、彼女は余りに性格が歪んでしまい、最終的にはその崇高な資産を家族の誰にも悟られぬように独り占めし、誰の為に役立てることもなくこの世を去って行きました。
 
母の何よりの誇りは資産ではなく、おそらく「格」だったように思います。
 
本来持っていた筈の「格」を無謀に歪められた経験を持つ人は、往々にして性格がどこかの段階でねじ曲がってしまうことがあるようです。
私もその一人でした。ですが現・夫が偶然にも神武天皇の血を引く人だった為、私自身が抱え込んでいた性格の歪みから見事に私を救い出してくれました。
なので、私は母のような捻じ曲がった性格を、人生の半ばで修正することが出来たと思っています。
 

母にとって、もしも彼女の歪んだ性格を修正する機会を得られた時があったならば、仮にその切っ掛けになれたのはもしかすると私だけだったのかもしれません。
何故ならば私は母から聞いた「血筋」の話を真面目に受け取り、彼女の話に対して冗談めかした嘲笑を投げ返したことなど一度もなかったからです。
せめて母がその段階で私に対する「娘排除や差別」への執着に対する過ちに気付いて方向転換をしていてくれたら、母はあんなに寂しい最期を迎えずに済んだのかもしれません。
‥とは言え、もう後の祭りですが。
 

 
我が家の新居のお部屋作りは、暫くの間続きそうです。
この記事は先日夫が購入してくれたノートパソコンで書いていますが、未だ操作に慣れずに所々改行やらあちこちのレイアウトに難航しています。
 

とは言え我が家はこの転居の後に、母の遺骨の整理その他実家自体の清掃などが控えています。
これはInstagramの中では既に綴っていたことですが、実家「山田家」の墓じまいを予定しています。これについては弟・大輔(故)の奥様があらかじめ、山田雅枝(母)の遺産強奪計画書の中でも書いていたことなので、私は彼女「りえさん(仮名)」の意思を尊重し、父・寛、弟・大輔を含む家族三人のお墓をたたむ予定です。
 

 

今年の1月以降、私から数名の親戚に宛てて母の訃報と私が置かれた立場について、書簡を送りました。ですが親戚は誰一人、返信をよこしませんでした。
彼ら・彼女たちの中では私は「親戚の輪から排除すべき存在」と、誰かに叩き込まれていたのでしょう。ですがそうするか否かはあくまで個人の良識の問題です。
母の死から約9ヵ月間、時を経て様子を見て、これ以上全親族の間違いを継続させておくわけには行かないと言う判断に至りました。
ですので私は私の手で、「山田家」の墓じまいに踏み切ることに決めました。
 
現在私は「山田家」の唯一の法定相続人であり、墓地の管理者でもあります。
その私が弟・大輔(故)を含む私以外の家族全員の墓じまいに至るのは、至極当然でもあり、もう諸々じゅうぶんではないでしょうか‥。
 

よって弟・山田大輔(故)のお墓詣りも間もなく出来ない状況になりますので、この記事で告知させて頂きました。
これまで我が家、山田家の三人を厚く愛して下さった皆様へは、この場をお借りして娘であり法定相続人の私からお礼を申し上げます。
 

暑気払い

昨日は暑気払いをかねて、久々に焼き肉を堪能して来ました。
数年前に比べると食欲が若干低下したのか、予定していた皿数を消化出来なかったのはショックでした。
 

色々なことを考える今日この頃。
つい半年前くらいまでは兎に角同業者や芸術方面の人達と繋がりを持つことを考えて来たのですが、音楽家の多くが自己愛が激しく、殆どの音楽家たちが他の人の音楽を正確に聴くことが出来ないと言う壁に何度もぶち当たりました。
なのでこれからは異業種の人達との繋がりに、着目して行きたいと感じています。その方が、良い人間関係を築けるので。
 
又、別の意味でも私の音楽を異次元級の音楽として、又私を音楽家・芸術家として向き合ってくれると思いました。
 

 
本来、音楽家が他の音楽家の作品を正確に評価出来ないことは、きわめて致命的です。
仲間同士を褒めちぎり合うのではなく、双方の人間的価値を正確に見極めると言う意味で、同業者にそれが出来ない人達がこれ程までに多いから、今の堕落した音楽業界に至ったとも言えるでしょう。
 
 
何度も言いますが、私はバッハ(J.S.Bach)でした。
過去世バッハの私にはバッハとしての人生の蓄積とその記憶があり、音楽の父・バッハが考える次世代の音楽のいろはが私の中には既に詰まっています。
 
「格の違い」を双方認識し合いながら、適切な人間関係を持ちたいと願うばかりです。
  
 

天使の寝顔 – いってらっしゃい、マイケル‥

マイケル、旅立ちの日。ほとんど夜通し、マイケルを撫でながら過ごしました。
そして結局朝まで余り眠れずに起床して、軽く身支度をしながらマイケルに最後の抱擁を。
朝からじっとりと真昼のような暑さを感じながら、それでもどこか清々しい空が広がっていました。
 
幸先の良い時、神様は私達の頭上にそれを知らせてくれます。空一面に龍雲が広がっていました。
けっして幸せな儀式ではないとは言いつつ、これはきっとマイケルの為に用意された一日の始まりだと感じ、泣き腫らした瞼の痙攣を押さえながら支度を進めて行きます。
 
 
朝10時に動物霊園からの送迎の車が到着し、おくるみにマイケルを包み、そっと乗車。
マイケルの首がグラグラしているので、慎重に右の手のひらに包み込みます。さながら新生児を抱く時の要領に似ており、どこか懐かしい記憶を呼び覚まされる私でした。
 
マイケルは私達に降り掛かる全ての「圧」(呪い)を、おそらく完全に持って行ってくれたと思います。
あの小さな体で私の実母の霊魂から発せられる呪詛のようなエネルギーを、最後はマイケル自身が一身に背負い込んで、命懸けで私達夫婦と未来を守り抜いてくれました。
 

 
マイケルが逝く前夜、私達夫婦とマイケルの間で一つの約束を交わしました。
それはもう一度、次こそはもっと健康な体をともなって自由気ままに我が家に戻って来ることでした。
「どうする、マイケル?もう一度うちに戻ってやり直してみない?」
そうマイケルに尋ねてみると、スムーーともフムーーともつかない溜め息の後にマイケルが、微かに首を振った瞬間を私は見逃しませんでした。
 
マイケルが旅立ったのは、その翌日の午後でした。
きっと傷付いてボロボロになった肉体を脱ぎ捨てたとしても、もう彷徨うことなく戻れる家があるんだと、マイケルは安心したのではないでしょうか。
 
 
早朝にマイケルが、自分が逝く瞬間の感覚を私に送ってくれました。
それによると意識が段々と朦朧として来て、視界が赤くなり体中に発熱感を感じ、いきなり天地がひっくり返るような衝撃があり、そのまま転倒して何も視えなくなった‥、そんな感覚でした。
でもその中でマイケルがふと思ったことは、もう一度我が家に帰って来れると言う希望の灯で、それを思うと自然と唇に笑みが浮かんだようです。
 
きっと本人は突然に来た激痛にもがいただろうに、最期のマイケルは何とも言えない笑みを口元に浮かべて眠っていました。
それは今日、その瞬間まで私達が気付けなかった彼の無垢な真実の姿。
それを見た途端、私はこれでもかと言う程涙が止まらなくなり、暫くそのまま泣き続けました。
流石に葬儀を執り行う係の男性も、私があんまり泣くから困ってしまったでしょう。
 
 
余談ですが霊園に到着した時に私が来ていたTシャツとジーンズが、かなり広範囲に濡れていました。何だろうと思って匂いを嗅ぐと、それがマイケルの体液だと分かりました。
逝く前夜の約束の証しとして、彼は私にマーキングをして行ったのでしょう。いかにもマイケルらしいなと思い、又涙が溢れ出ました。
 
マイケルが逝く2時間前に撮影した写真も一緒に掲載しますが、彼は物凄い頭痛の痛みとそれまで経験したことのない発熱に身動きが取れなくなって、スイカの入った小皿を抱きしめながら、体力と気力の限界でそれを舐めては眠り、又舐めては眠り‥ を繰り返していました。
飼い主から見るとそれが余りに可愛く見えてしまい、思わず私はスマホにその瞬間を収めました。
 

 
霊場でマイケルを、ありったけの餌や草や果物と、彼が大好きであろう黄色い花で飾りました。
私がスマホを向けるといつも何かしらのカメラ目線をしてくれるマイケルですが、最期のマイケルはどう見ても微笑んでいるようにしか見えません。
 
まるでディズニーから飛び出して来たうさぎみたいにその寝顔が可愛いので、皆様の記憶の中にその瞬間を収めて頂ければ幸いです。
 

 
又獣医さんからも褒めて頂いた綺麗過ぎる奥歯が遺骨の中にそのまま残ってくれたので、そちらも貼っておきます。
 

 

いってらっしゃい、マイケル。
道中気を付けて遊んで、そして又帰って来てね🌈

マイケル君が旅立ちました

2022年7月31日、愛兎のマイケルが旅立ちました。9年と一ヶ月の壮絶な時間を、風のように駆け抜けて行きました。
死因の詳細は結局分からないままですが、私が直後のマイケル君から感じ取った印象としては、物凄い頭痛とそれによる発熱感覚があり、逝く直前にその痛みに耐え切れずもがいたような映像を受け取りました。
 
この世を去ったのはおそらく、再発したであろうエンセファリトゾーンの注射治療その他で三日間連続で通院を始めた、二日目の午後3時辺りだと思います。
 
私達夫婦が少しだけランチ外出で席を外した時のこと。
帰宅すると敷いてあった水色の敷布が完全に捲れて、プラスチックのすのこの上に横たわっていました。
 
何故か敷布の上に置いてあったスイカの入った小皿がそのままの状態で置かれていたのが、どう見ても奇妙です。
きっと誰か、神様が来て散らばったスイカを綺麗に小皿に入れ直してくれたのかもしれません。

未だ体が温かく、死後硬直が始まる寸前でした。
なるべくそのままの状態を崩さずに私が抱き上げて、今週何故か一度も洗わずに私が使っていた湯上り用のタオルにくるみ、何度も何度も泣きました。
 

 
翌8月1日早朝から我が家は転居をスタートする予定で、それをマイケルが見届けてくれていると思うとおちおち泣いてもいられません。
崩れ落ちそうな力を集めて振り絞って、何とか新居の鍵を開けて必要な手続きだけを済ませ、その足で獣医さんの元に向かいマイケル君の訃報をご報告しました。
 
本来ならば今日の午後にマイケル君の注射治療と点滴等をお約束していたので、やはり先生にはこのタイミングでお伝えしたいと思い、タクシーで動物病院に向かいました。
 
いつも手に持っているケージを持っていない私達を見て、先生が「あれっ?!」と一言。
何とか私も重い口を開いたつもりが、どうにも涙が溢れて上手く伝えられなくて‥。
 
少しずつ話をして行くうちに、先生と思い出話になり、最後は夫と先生と三人で泣きました。
普段治療中は本当に怖い先生ですが、昨日初めて先生のお優しいお人柄に触れられたような気がしました。
 
生まれて二ヶ月半でエンセファリトゾーン(神経症)を発症。既にマイケルは母胎感染で神経症を持って我が家に来たので、生後間もなく闘病が始まっていたことになります。
それを思うと9歳と1ヶ月のマイケルの生命は大往生だった、と先生が励まして下さいました。

獣医先生にとってもとても印象の深い子だったらしく、本当に寂しそうに泣かれる先生を見て私達夫婦も又泣いてしまい‥。

今、マイケル君と最後の夜を過ごしています。
夫は疲れて先に眠っていますが、私は明日のマイケル君のお見送りに添える果物やチモシー等を袋に詰めたり冷蔵庫に仕舞ったり、あと少し作業をしたら休まないといけません。

号泣と引越しのあれやこれで、体力気力は既に限界を超えています。
でもマイケル君との時間を、最後まで大切にしたいと思います。
 

明日の様子はブログは勿論、Instagram、Facebookの個人ページにも掲載しようと思います。
 

待たせるだけのスピリチュアル

これはあくまで持論ですが、現実生活の中で具体的な結果の出ないスピリチュアルは欺瞞であり、具体的な結果や答えを導き出さないスピリチュアリストは詐欺師であると私は思っています。
 
例えば日本人の翻訳家M.Aさんが言うところの、「宇宙から上空に援軍が来て今にも沈みそうな地球や地球人を救済してくれる日が近づいている。だからあなたたちはワクワクしながら毎日を過ごして下さい。」‥等と言う、実在するか否かも分からないスターシードを名乗る欧米人のメッセージ翻訳或いはインタビューと称する文言等は、私が言うところの「詐欺」に分類した方が賢明です。
 

勿論私は唯物主義を否定しています。ですが、スピリチュアルを現実と遊離させ切り離し、当たるも八卦当たらぬも八卦で済ませて平然と人々から金銭を徴収しているような人がもしも身近に居たら、その人は紛れもない詐欺師だと認識すべきです。
 

アルバム『Password』より

 
手前味噌な話ではありますが、私は芸術家・音楽家、そして音の表現者でもあるので、Didier Merahとして今日まで配信して来た全ての音楽の中に予言や預言を余すところなく封印しています。
現実生活の中に私は、自身の「預言者」としてのメッセージを刻印し続けて来ました。
私の言う「現実生活の中に具体的に結果を残すスピリチュアル」とは、まさにそういうことを意味します。
 
逆に技術的には何のスキルも持たず、その日その場の感情だけを言葉にして人に伝え、実際には何の行動も起こしていないスピリチュアリストもどきの話し手の言うことは、正直信じるに値しません。
むしろ無責任に他人の生活や思考をかき乱す存在なので、そのような人の言うことには一切耳を貸すべきではありません。
 

 
昔々、今から遡ること12~13年程前になるでしょうか。当時一世を風靡したSNS『GREE』の精神世界コミュニティーに集った十数名を自宅近くのビストロに招いて、ちょっとしたオフ会を開催したことがありました。
各々が「視えない世界」に深い関心を持ち、各自も自らコミュニティーに発言を繰り返したりしており、その中に数名「人を導く仕事がしたい」と言う人達も現れました。

その度に私が質問したことは、「他の人達の為に、あなたに何か出来ることがありますか?」と言う一言でした。
その時々の思い付きでものを言うのではなく、自身が思うこと、視えていることを具体的に形にしたり作品に代えて提示することをこれは指す質問でしたが、誰一人この問いに正確に回答することはありませんでした。
 

多くのスピ系の人達が、家族以外の第三者の信仰心や依存心を自分自身に集めることを先ず考え、テキトーなおまじないを唱える以外の何か具体的な行動には至らず、無責任に人々をあっちこっちに誘導したいと願っていました。


国家資格を持たない整体師が居たり、やたら目についた物体に「波動」を感じている風な演技をでっち上げ、あたかもそれが自分にだけ捉えられる未知の信号ででもあるかのような演技だけが巧みな人が居たり、兎に角当時の目茶苦茶感だけが今でもスピ系の至るところに引き継がれているように私には見えてなりません。
 

 
亡くなった私の弟も実母も同様でしたが、人には潜在的に魔術師願望があるように感じます。
ある日いきなり「空を飛べるようになったら」‥等と考え始める少女の心理や、銀色のボディースーツを着たらいきなりウルトラマンに変身出来るかもしれない‥等と考える少年の心理も、魔術師願望の一種かもしれません。

仮に実際にそれに近い職業があるとすれば、例えばメンタリストや手品師だったりタロットカードを読む人だったり‥等が挙げられるでしょう。
でも手品には必ずトリックがあり、タロットカードにはそれを読む必要最低限の技術の習得が必要になります。

勿論それ以外の料理人や専業主婦、医療従事者は勿論サラリーマン等も立派な職業ですから、私はそういう人達の中にキラリと光る才能を見い出した時には一歩引いて接するよう心掛けています。
 

本物の魔術師ほど「普通」の生き方を心掛けており、皆とても勉強家です。1%の才能を99%まで引き上げて行くのは、もしかすると元々その人が持ち合わせていた1%の才能を100から引いた残りの努力の成果かもしれません。
私も毎日世界の音楽に触れたり、世界の料理のレシピ等を研究して今日に至ります。一日一刻の積み重ねはとても大きく、最初はありあわせの材料でナポリタンしか作れなかった私が今ではネパール料理やタイ料理、スコットランドのスープ迄作れるようになって行ったのですから、日々の努力は侮れません。
 

この世に「視えない世界」はありません。
そして何よりそもそもシュールな世界を普通の現象として捉えている人は自分に、「視えない世界が視えている」こと自体を知りません。

 

全て現実生活の中に、一見視えなさそうな世界の彼方の現象は必ず降りて来ます。
それを着実に引き寄せるのが本物のスピリチュアリストであり、何時どこに訪れるか分からない宇宙からの援軍をあたかも明日にでも地上に降りて来るかのように人々の話しては、無期限に大勢の人達を待たせて平然としているチャネラーや予言者、メッセンジャーやスターシード、ライトワーカー等を名乗る人物と遭遇したら、それは紛れもなく詐欺師だと思って良いです。

くれぐれも危険な人にはついて行かないよう、人間としての基本的な生き方を逸脱しない範囲でシュールな感覚を磨くことをオススメします。
  

音楽から読み解く世界情勢 [2022.07.22] – 音楽世界の未来予知

極力休むことのないように毎週末、私は世界の音楽の新譜チェックを継続しています(して来ました)‥。
ですがここ数か月間の傾向として世界中の多くの音楽に覇気が感じられず、尚且つ工夫もなく未来も希望もない音楽が乱立しているように見えます。
音楽がこれ程までにストレスに感じるのは、2011年の夏以来かもしれません。
 

過去に何度か私は、物書きで言うところの「断筆」のような時間を経験しています。色々な外圧に疲労し、何かと向き合うことに強いストレスを感じてならない時、私はそれまでの自分自身と距離を置く‥ そんな時間を持つようにしています。
まさにこの数か月間もそれにとても近い時間を過ごしており、世界の闇と私自身を取り巻く霊的環境の圧と闇と、まさに今日は音楽世界の闇を感じながらこの数時間を過ごしていました。
 

 
全ての現象の中に私は、因果応報の光と闇を見ています。特に実母逝去後の私の身にそれは大きく反映し、自身が光であることの意味と自分の周辺がそれとは逆に闇一色に包まれていることの理由について考察し続けています。

 
57年間にも渡り私をがんじがらめにし続けて来た外圧と闇が少しずつ晴れて来た今、私は元々持っているであろう対人関係のパワーを取り戻しつつあります。
なので私が行く先々では人々が集い、談笑し、その連鎖で周囲がパ~っと明るく光に包まれて行きます。今は亡き芸能界の大先輩であるJ氏の御霊が時々現れ、私にはそもそもその力があるのだからこれからはそのパワーを余すところなく使い切ると良い‥ と仰って下さいました。
勿論彼の言う通り、もう一度私はそれまで外圧によって遮断されていた対人関係の才能をあらためて見直し、今度こそはその能力を自分自身と音楽世界の為にしっかりと使い込んでみようかと思っています。
 

ですが‥。。
ここ数ヶ月間の世界の新譜数千曲を聴いていると、そこには闇と悲観と絶望しか見えて来ません。多くのミュージシャン等が先々の希望を失い、クリエイトすることに対し消極的です。
 

 

これはあくまで私の音楽世界に於ける未来予知ですが、ここから4~5年の間に音楽世界は大きく様変わりするでしょう。
今は瞬時的に回顧主義的な音楽が流行の先端を行っているように見えますが、それも長くは続きません。多くの音楽が卓上で制作(作曲)されていることの悪影響もあるのでしょうか‥、殆どの音楽が一斉に焼却されて行き、最終的に残るのは強く細く尾の長い普遍的な旋律を持つ音楽に集約されて行くのではないでしょうか。
 
それまで大衆の中で「名曲」とされていた音楽も殆ど姿を消して、芸術性や個性よりも普遍的なパワーを持つ旋律だけが地上の精霊たちに受け入れられ、草木と風に乗って上空を渡って行くことになるでしょう。
 
これまでの(特に商業音楽に見られる)ように、営業する人達の手によって作為的に広められた音楽の多くは無価値であり、その時々の聴衆がこの世を去れば音楽も同時に世を去る宿命にあります。
マイケル・ジャクソンも武満徹も細野晴臣もB.B.キング等も、彼等のファン達がこの世を去れば同時に音楽もそこで存在の役目を終えて、一斉に消えて無くなって行きます。

ブルースもカントリーもR&Bやテクノポップ、そして中東の商業音楽もポスト・エレクトリック等も、数十年後には地上の泡と消えて行きます。

意外に「詠み人知らず」の生命力の強い音楽が人々の意識に深く居残ることとなり、それ以上に自然神の口と感覚とテレパシーを伝ってこの世界に長く留まることになりそうです。
 

今の世は「英語」が世界共通言語になっており、英語に優れたヴォーカル曲が長年音楽世界の頂点に立ち続けて来ましたが、それも数年以内に終わりを迎えることになるでしょう。

ある理由により多くの人類の命が絶たれ、それと同時に人類は少しだけ人生の速度を緩めることに意義を見い出すようになります。
同時に英語やフランス語或いは中国語のような速度の速い言語よりも、例えば日本語のようなスローテンポの言語が見直され、ある時気が付いたら日本語が世界共通言語の一つとしてクローズアップされる世界が到来する可能性が、極めて濃くなって来たように感じます。
 

 
思えば(特にサブスクリプションが日本国内に定着してから‥)毎週聴き続けて来たサブスクリプションを介した世界の音楽、それにともない作成し続けて来たサブスクリプション上の多くのプレイリストの作成を、そろそろ卒業しようと思っています。

その心情に至るには色々な理由があります‥。
特に日本の人達は日々継続しているものに対し、段々と感覚や欲求が薄くなって行く傾向があります。最初はありがたみを感じていても、その対象が来週も再来週も同じようにそこに在り続けると思った途端に、それに対する興味を失うようです。
 

出来る限り私も良質な音楽の紹介、評論に今後も力を注いで行きたいと思ってはいますが、苦痛を押して毎週毎に劣化して行く世界の音楽を聴き続けることもなかなか容易ではありません。
何より私は専門家等が互いに繋がりを持つコミュニティーを作りたいと願っていましたが、それには各専門家達には圧倒的に利他的な精神が欠けていることも分かって来ました。

多くの音楽の専門家達が自己実現を望んでおり、それ以上の領域に足を踏み入れることが出来ない以上、私の思う「世界の音のコミュニティー」の結成はとても難しいでしょう。
出来れば近い志を持つ人達が、私の扉をあらためて叩いて下さることが理想ですので、一旦私は自分自身の辛辣なスタンスに戻ってさらに厳しい音楽評論に磨きをかけた方が良さそうです。
 

暫く新規のプレイリストの作成を休止し、良曲(或いは問題作)が見つかった時だけそれについて深堀りし、音楽評論記事を書いて行くことに致します。
何卒私の心中をお察し頂ければ、幸いです。

 

弟・山田大輔の虚像と実像 – 後編 –

弟・山田大輔の虚像と実像 – 前編 –」の続きを綴ります。

 
私の初婚は当時の恩師を激怒させる内容でしたが、相手のあることなのでその詳細についてはここには綴らないでおきます。
紆余曲折、母のマッチポンプの末に得た解放区と新婚生活は、蓋を開けてみれば想像すらしなかった苦労の連続でした。とは言えそれが私の選んだ道だったので、不平不満は言えませんでした。

波瀾の結婚生活を開始してからも私は、時々実家を訪問していました。そうすることが親孝行だと言う強迫観念が、私をそうさせていたのだと思います。
 
元々私は実家からは排除された存在なので、当然のように実家の合鍵は持っていませんでした。
もっぱら実家へ行く時には母に、当然のように手土産を求められました。金銭的にも全く余裕など無い私に、よくもそんなことが言えたものだと今なら腹も立ちますが、当時の私はまるで精神を病んだ何かしらの生き物の抜け殻のようで、毒親に歯向かう気力など全く持ち合わせていなかったのです。

時折「訪問する」(帰るのではなく、訪問する)実家では、私の行くタイミングに合わせて弟も在宅するのがルールみたいになっていました。当時は(結局亡くなる間際まで)弟・大輔のメインの仕事は他にあって、その合間にサブの仕事として「家庭教師」をやっていたと聞いており、私が実家に帰る時は授業の時間を調整して自宅に居てくれたみたいでした。
私は実家に行く度に西荻のこけし屋のケーキを必ず8個買って、重い足取りでマンションに向かったものでした。
 

弟・大輔は元々皮膚が弱い子でしたが、何年か毎に私が実家に行く度に皮膚(特に頭皮)を真っ赤に爛れさせ、見ている私の方が燃え上がりそうな痛みを感じました。
大輔はマクドナルドのハンバーガーが大好きで、私が実家を訪問した時にも「僕の昼ご飯」と称してよくマックから紙袋を抱えて買って来て、美味しそうに食べていたのを思い出します。
 

 
2012年秋、(父の遺産整理の時の家族会議を除き)私が最後に実家に帰ったのは多分、前に飼っていたうさぎ「桃樹」が3歳の頃だったと思います。2004年かその翌年の初夏が、元気な大輔とじっくり話した最後だったかもしれませんが、その時既に弟の虚言は高みに達する目前でした。
 

弟・大輔は自身を「政界の裏側を暗躍し、目が飛び出るようなビッグネームの人々と連日会食し、官邸にも自由に出入りする立場だ」と話していましたが、その目はどことなしに虚無で理由の分からない虚脱感が全身を覆っているように見えました。
大輔に彼の生活や職業についての詳細を尋ねようと何度か試みたこともありましたが、私がそうしなかった理由はただ一つ。テレパシーを使って彼の内面を覗き込んだ時に、そこが真っ白いベールで覆われたまま何も視えなかったからでした。

今にして思えばその頃には大輔自身が吐ける嘘も上限に達しており、完璧なまでの虚像を作り上げる以外に話せることが彼には何も無かったのかもしれません。なので2004年頃に見た弟・大輔の印象は「虚無」そのもので、彼の体からは異様なまでの油っこい臭いが立ち込めて長く一緒に居られなかったのを憶えています。
 

私には、人の心拍数を聴き取る聴力が備わっています。
2004年頃の大輔からは物凄く速い速度の心拍数が常に聴こえていて、むしろ母の高血圧よりも私はそちらの方が気になりました。ですが毎日一緒に彼と暮らしているわけでもないので、大輔の速過ぎる心拍数について話すことは遂に出来ませんでした。
 

 
桐朋小学校時代、あれだけ陸上部で鍛えていた彼の身に一体何が起きていたのか、今の私ならばもっと正確に捉えることが出来たかもしれません。でも当時の私には無理でした。

後に、父の遺産整理の際の家族会議の時に初めて聞いたのですが、桐朋小学校時代の大輔はどこかクラスではみ出してしまっていたらしく、クラスメイトとは距離があったとのこと。
「登校しても何もすることがないんだよ。だから走るしかなくてね‥。」
父の位牌のあるリビングで、そう話していた大輔の声が今も悲しげに蘇ります。
 

正確な日にちは遂に訊けなかったのですが、そんな大輔が父の闘病中に心臓の発作で倒れて入院生活を余儀なくされたのが、おそらく2010年か2011年頃のことではないかと(彼の話の端々から)察しています。
私がその話を聞いたのはやはり父の遺産整理に於ける家族会議の時でしたが、「次同じことが起きたらもう後がないんだ‥。」 と、大輔が噛みしめるように話していた時の渋い横顔が強く印象に残っています。

久し振りに聞いた大輔のか弱い、尚且つ辛い話は短時間で切り上げられました。母が何故か大輔を睨みつけており姉弟の会話の時間を追い剥ぎのように奪い取り、その直後からまるで息を吐くような、大輔独特の嘘談義が始まりました。
そこには弟・大輔が某有名私立大学の社会科学の分野で、教授として教鞭を執っていると言う内容も含まれていました。学問として社会科学を立ち上げた自分は張本人であり、自分は社会が今最も必要としている人物だ‥ と言う話もしていたのですが、その話はどこかうすら寒く聞こえて来ました。
 

ふと疑問を感じ、私が(大輔が教鞭を執っていると話す)大学名を尋ねると彼は即座におどけたような表情をして、「僕は芸名で教壇に立って学生を教えてるから、それは言えないよ。美樹ちゃんだって芸名で活動してるでしょ?それと同じだよ。」と言い、おもむろに全く違う話題に話を変えたので私もすかさず「そう言えばパパ、確か渋谷に物件を持ってたわよね?」と応戦。

すると大輔は想定外の私の質問に動揺したのか、その後の対応がみるみるうちにしどろもどろに変わって行ったのを私は見逃しませんでした。
 

 
大輔と最後に話をしたのが2012年の確か9月、その2年後に彼はりえさん(仮名)と結婚、それから一年後の2015年の11月17日に弟・山田大輔は他界しました。
 

大輔が私を結婚式に招待しなかった理由は、私に自分の実像を暴かれることを強く恐れたからでした。これは死後の大輔本人の魂からも直接聞いたので、間違いありません。
 
私は「暴きの星」を持っています。不穏、不審に感じたことは徹底的に追及し、日の光に晒す。それはいつからかの過去世から脈々と私の魂に沁み付いた習性であり、使命でもあります。
過去世の記憶では、私が不審を感じて暴いた「星(ホシ)」の大半が、世の中から忽然と消滅して行きました。
勿論のべつ幕なしにそれを目的としていたわけではありませんが、私のシュールな嗅覚の標的となった人たちの殆どが、日の当たる世界から忽然と消えて行ったのです。
あくまで私が経験した三回の「くのいち」時代の記憶ですが、私の魂がそれらの記憶を今も忘れずに居ます。
 

弟・山田大輔はそんな、私の習性を酷く恐れていました。彼も根っこが摩利支天ですから、当時は無意識だった私の稀有な習性にむしろ彼の方が先に気付いていたのかもしれません。
 
2012年秋から数か月が経過したある日、あることで私はメール上で大輔と激しい口論になりました。
私が二度ホームレスになったこと、その過程で一度命を落としかけたことその他、一定期間私がスピリチュアリストとして別名を掲げて活動していたこと、それらの全貌詳細などについて「僕は全部知っていたよ。」と言って得意満面に私を往(い)なそうとしたので、その振舞いに対し私は「‥つまり全てを知った上で私を見殺しにしたわけね。」と返信。
それが彼の逆鱗に触れ、それこそが大輔が私を自身の結婚式に招待しなかった理由であり、さらには父亡き後、表向きの家族のイベント全般からの私を徹底して排除し続けた(表向きの)理由でした。
 
私の知らないうちに大輔は姉を家族から完全に除外した形でりえさん(仮名)と結婚式を挙げ、大輔がお世話になっていた学習塾の創設者T.O氏を仲人に立てていました。(この辺りの下りについては、ここでの記載は省略します。)
 

 
弟・大輔は人生の多くを、虚偽で塗り固めていました。

政界の裏側を暗躍している、特別かつ偉大な存在であること。
世に「社会科学」を学問として立ち上げ、その部門の教授として芸名で某有名私立大学で教鞭を執っていたこと。
自身が強い霊感を持ち、死後の父と頻繁に対話を重ねながら山田家との関わりを深めて行き、権力者の虚像をかぶり続けていたこと。

弟・大輔の本職「家庭教師」が大輔の身上書の中では「講師」と記載されていましたが、思うに「社会科学」の創設者として某有名私立大学で教鞭を執っていた‥ と言う話も全て嘘です。

 

私は色んな手を尽くして大輔の足跡を調査したのですが、どうやって探してもそこに大輔の痕跡はありませんでした。
某有名私立大学の「社会科学」科に、教授として「在籍している」と言う仮説がそもそも間違っていたのです。仮説を「在籍していない」に設定すると、これまでの矛盾が全て埋まって行きます。

思えば大輔の妻・りえさん(仮名)に大輔が、どれほどの真実を語っていたのか否かと言う点を思うと、ある意味りえさん(仮名)も、弟・大輔の虚言が作り上げた虚像の被害者なのかもしれません。
ですが大輔の妻・りえさん(仮名)が母の死後に私に対してして来たことを見る限り、そこにはもはや同情の余地すらありません。
 

 

 
※父他界後に弟・大輔はあらためて、それまでの山田家の「姉排除」のしきたりを継承し、それがさらに現在では妻・りえさん(仮名)へと引き継がれ、今は大輔の妻・りえさん(仮名)が山田家になり代わって従妹たちと共に私を排除し続けています。

 
ですがもしかすると、正当な理由もないのに長年に渡り私を排除し続けた側が、最終的には排除されることになるかもしれません。
 

私の生存や連絡先を知っていたにも関わらずそれを「知らなかったこと」として、喪主を買って出て執り行った母の葬儀後、大輔の妻・りえさん(仮名)は結局法律上の理由で母の納骨が出来なかったようです。

母の遺骨は私の実家のリビングに、墓地の権利書を付けて放置された形になり、現在に至ります。
そして大輔の妻・りえさん(仮名)が私に無断で勝手に執り行った母の葬儀その他、りえさん(仮名)が中途半端なやり方で山田家の最期の人を火葬し、親族に関する名簿或いは葬儀の参列者の名簿等を持ち去ったまま私から今現在も尚逃げ続けている為、私は母に関わる親族その他母の知人や友人に対し、納骨の報告や訃報の通知さえ出来ないまま現在に至ります。
 
ですので上にも書いたように、私が山田家の墓に母を納骨しても、おそらく誰もそれを知ることなくひっそりと何年も誰一人墓参りにさえ来て貰えない状況に至るかもしれません。
勿論私がそれを望んでいるわけではないのですが、私以外の親族全員が私を排除し続けたことが結果、山田家の三人の死者をそういう状況に追い込んだとしても誰も、何も言えないでしょう。
 

私に行われた父の最初の差別や虐待、しいては弟・大輔が私に対し行った「見殺し」がある意味では、彼等にそのまま因果応報のように戻って行ったとも言えます。そう思うと、今日までの全ての出来事の不可解な空洞や矛盾が全て埋まって行きます。
因果応報とはまさに、このような状況を指す言葉だと私は思っています。
 

私は、虚像で人生を塗り固めた弟・山田大輔や母・山田雅枝とは違い、真実と本音だけで今後も生きて行くつもりです。
物事は「ルール通り」がベストであり、法の抜け穴ばかりを追い掛けて生きることに於いては、全く適切だとは思いません。弟・大輔はどこか「法の抜け穴ばかりを塞いで生きて行く」ことの方を、自身が学んだ法律の中で習得し過ぎたように見えます。

つまりそういう背徳の念を常に抱え込んだことが、最終的に大輔の心臓に大きな負担を掛けたのではないかと思うと、そこに弟・大輔のもう真の死因の種があったのではないか‥ と言うのが私の今の結論です。