私と桜と神様と

久々にスピリチュアル系の記事を書いています。‥と言うのも、ここ数日間の桜の花々が余りにも美しく、ずっと見上げているとこれまでの全ての苦悩や悲しみが一斉に洗い流されて行くような感覚になったからです。
 

40代前半、現在の夫と結婚するまでの私は、とある理由により、大の「桜嫌い」でした。
かれこれ20代前半に私は実家を出ていますが、それまでは毎年春になると家族で「お花見」と言う名の過酷な修行が控えていました。
私にとって、家族の行事は常に虐待と隣り合わせでした。
 

ここ最近のブログ記事にも綴っているように、私は生まれ付き顔に刻まれた大きな傷跡(呼吸器障害と連結していますが‥)が理由で、両親に「みっともない女児」として扱われ、家族や親族の行事からは常に排除され続けて来ました。
冠婚葬祭は愚か、夏の旅行や春のお花見その他の全ての行事の直前になると、私は決まって母の謂れのない暴力を受けていました。理由は何でも良かったのです、母にとっては。
私が良からぬ行動を起こし、「こんな状態では旅行になど行けないわね。」と言う理由を母は毎年無理矢理作り出し、人前に出られない程の青い痣が顔じゅうに広がるまで彼女は私を殴り続けました。
 

当然そんな状況ではお花見どころではなくなり、家族がお花見に行っている間私は否応なく自宅で留守番をせざるを得ない状況になり、毎年春のこの時期になると、(24歳で実家を出た後でも)私はそのトラウマと格闘しなければなりませんでした。
その影響で、春の鬱は私が現在の夫と結婚するまで付き纏いました。

 

 
ですがそれは、ある事を機に改善されて行きます。

記憶にある限りで書くと、2010年3月に「Kono Hana Sakuya」を録音した時が最初でした。

 


そして二度目が、2018年にリリースしたアルバム『Wa Jazz』の中で、天照大神(あまてらすおおみかみ)を描いた時でした。
 

 

これはこのブログのこの記事で初めて書くことですが、アルバム『Wa Jazz』のアートワークの「和」を久々の書道で描いた直後に私は、天照大神と或る約束を交わしました。
それは、「より強く天照大神と私とのパイプを深める意味も含め、毎年神様の頬を撫でるような優しい思いを心に、桜の花々を愛でること」です。
 
この約束はどこか私自身のマインドのブロックを開放させてくれるような意味合いを持っており、それから私は毎年、何れかのSNSやInstagram、時にはFacebookの個人アカウント(現在は執筆停止しています)等に、その年の桜を沢山撮影し、収めて来ました。
勿論デジカメを未だ持っていないので、これまで掲載して来た桜の写真は全てスマートフォンで撮影したものになります。
 

 
これはこの記事に書こうかどうか迷ったのですが、お姫様(天照大神を私は普段、こう呼んでいます)に「書きなさい」と言われたので、そのままここに書きますが‥。
 

最近よく言われる「低級霊」と言う言葉について。
この言葉に表されている「低級霊」は現実的には、存在しないとのことです。お姫様(天照大神)の直々の言葉なので、これは間違いないでしょう。
 
※よく「低級霊」を動物霊のようなものとくっつけて考えているヒーラー未満の人達の話しを聞きますが、土台動物や人間以外の生き物の言葉や思い等を理解出来ない人間に、動物霊を語る資格はありません。なので、以後動物霊や低級霊等を引き合いに特定の個人の霊格を貶めるような文言を見掛けたら、それは全て、その言葉を発した人から特定の人物への個人攻撃或いは嫉妬心の代弁だと思った方がベターです。※
 
理屈は至ってシンプルです。
ものの「霊」とは、生前の所業によって決定されます。つまりその生命が生き物として生きていた時分にどのような功績を残したのか‥ が、死後の霊格の基盤になると言うのが一つの仮説。
もう一つの仮説は、その「生」がそれまで歩んで来た命と振舞いの変遷(例えば陰徳をどれだけ積んでいるか‥等)が、死後の霊格の基盤になると言うものです。
 

私の場合はリラ星に巫女として生きた時代からの長い月日とその間の陰徳を霊体が積んでいる為、上記の両方を跨いでいると言うのが神々の共通認識としてあるようです。
 
但し私の霊体の基盤が人間離れしている為、私がその現世現世各々でどれだけ普通に振る舞っても、そこには既に「高い霊格」が付いて回ります。
つまり私が人間としてだけではなく、仮にその他の生き物に生まれ付いたとしても、降臨した段階で既に高い霊格を持っている為、なかなか普通の世界に馴染みにくいと言うデメリットを併せ持っているとも言えるかもしれません。
逆にそのデメリットの裏返しとして、私がどんなジャンルで何を行ったとしても「普通」の枠をあっさり超えてしまう為、余り庶民的な人との関わりを持たない方が物事が上手く行くと言う、何とも言えない特徴もあるようです。
 

人と馴染めないことには色々な理由がありますが、「私の場合はそもそも庶民的な現世世界が私の馴染むべき世界ではない為、無理に馴染む必要がない」と言うのが、これまで密かに関わって来た神々の共通の回答として弾き出されています。
 
この「馴染めない」を強引に「価値のないもの」とか「低級霊に取り憑かれている」‥等と言う現象と結び付けようとする人が一部居るようですが、そもそも「低級霊」と言う実在しないものを引き合いに持って来る段階で、ナンセンスとしか言いようがありません(笑)。
 

 
私は常に孤独であり、孤高です。
過去と現在と未来を同時に見据え、その世界に何をもたらせば最も良い世の中になるのか‥ と言う事を常に考えて生きています。
それは個人的に関わっている誰かに特別なクーポンをもたらすようなものとは全く異なる為、至って表面的には地味に見えます。現世的には「何もしていない人」のように見られることも多々あるようですが、私は別に構いません。
 

今日、実は生まれて初めてモンブランの高額な万年筆を購入し、今その感触を堪能したところです。
本物に触れると、それまで触れて来た本物未満との大きな差に気が付きます。勿論本物未満にはそれはそれの良さがありますが、本物に触れた後にはもう、それ以前には戻れなくなります。
本物以外を必要としなくなるのです。

 
スピリチュアルもそれと同じです。
他者の、私に対する評価も同様です。実際に私と深く関わった人の中に、私を悪く言う人は居ません。(勿論、マウント目当てで最初っから私に対し、いつかマウントを取ってやろう‥ と目論んで近づいて来た人については、これには当てはまりません。)
 
確かに私はとても難解な人間であることは重々承知ですが、芸術家なのだから当然の事です。むしろ、いっつもペコペコ人に頭を下げて身の丈よりも小さくまとまっている方が、余程不自然です。
 

 
この記事の最後に、2018年にリリースしたアルバム『Wa Jazz』から、天照大神(あまてらすおおみかみ)の威厳と慈愛を余すところなく表現した『Miyabi』(YouTubeのDidier Merahのトピックからの引用)を掲載します。


【予告】
近日中に、亡くなった私の弟・大輔との思い出話と近況を綴ります。

 

経る時、降る雪、そして弟‥

2022年、正月早々の悲しい雪はあっと言う間に降り積もり、あっと言う間に溶けて行った。寂しさよりも強い後悔を心に降らせ、涙よりも憔悴が先に立つ雪だった。
しんしんと昼間の都会を濡らした雪、それは美しい氷の層を形成しながら夜遅くまで降り続いた。
 
雪の夜は闇が明るく見える。深夜雪闇を見る為に、私は何度も窓を開けた。
闇が明けた翌日は、我が家の可愛いうさぎ「マイケル君」の定期検診の為、バスで動物病院に向かった。マイケル君もそろそろ高齢うさぎになって来た。見た目と気力は健康に見えるものの持って生まれた神経症の影響で片足は全く動かなくなり、片方の前歯も抜けて膿んでいる。
年を取ると言うのはこういうことなんですね‥ と、ベテラン獣医と昨日はしみじみと語り合った。
 

2021年の年の瀬から何度も何度も亡き父、亡き母、亡き弟と心を交わし、昨夜一つの結論に到達した。
最も心を閉ざしたのは両親たちであり、反面最も心を開いたのは意外にも私より若くして旅立った弟の方だった。彼は少年の頃の姿で目の前に現れ、あの時の声と心のままようやく本心を饒舌に私に語り始めた。
 
彼は全てに於いて後悔を募らせ、この世に置いて来たままの「かの人」に対する不条理や落胆等を、これまでにない程多くの言葉を用いて私の心に降らせ、それはまるで雪崩のように私たちの間の隔たりを一気に滑り落ちて行った。
 


今日までに何があろうとも優しく在りたいと願う私の思いは、いとも簡単に呆気なく打ち砕かれてしまった。それは一度は打ち解けられそうに思えた亡き母の魂の心変わりは勿論のこと、亡き弟の家族の私に対する在り方も同様だった。
 
一度も会ったことのない人が私に、これ程までに痛みを与える理由を私は知りたかった。きっとその人はこのブログを読んでいるだろう。
会ったことのない私をここまで冷遇する本当の理由を、是非とも聞かせて欲しい。
 
何よりこの結末に驚き落胆しているのが若くして旅立った弟本人であることを彼女が知ったら、それをどう思うのだろうか‥。或いは何とも思わないのだろうか。
 

昨日は生前の弟や両親とは余り行くことのなかった実家近くの洋食屋さんで、おそらく弟が泣いて喜びそうな「ミートソース・スパゲッティ」を頂いた。その前は実家近くのお蕎麦屋さんで「天麩羅うどん」を頂いた。
 
死後の魂は余りにも無力ゆえ、信じられないほど正直にその本当の姿を現してくれる。生前最も闇に呑まれこの先きっと永遠に敵同士のままになりそうだった弟が、たったひと皿の「ミートソース・スパゲッティ」で私に心を開いてくれたのが、少し嬉しくもあった。嬉しい反面悲しみもあり、私たちはもう二度と取り返せない時の河の両端から互いの中の深い溝を見つめ、その理由について語り合った。
 
私が過去世をJ.S.バッハとして生きたこと、その魂が小さな我が家に転生して来たことを知った弟は自身の私に対する生前の言動を、きっと深く悔いたに違いない。でも全ての発端は父の私に対する強い差別感情であり、弟はそれに逆らわずに、従いながら生きることでしか「我が家」に居場所を見つけ出せなかったのだと思うと、何ともいたたまれない。

 

きっと法律よりも音楽を深く愛し、上に過去世バッハの私が居たことで音楽を諦めざるを得なくなった弟の心中を思うと、もっと何とかならなかったのだろうかと私の中に深い怒りが込み上げる。
 

 
怒りと疲労と眠気、色々なものに襲われつつも私は今、こんな時でも音楽を手放さずに居る。真夜中の寝室で音楽を聴きながら、これからのことを考えている。
 
私にしか知らない音楽が心に在り、それをこの先も私は粛々と放出し続けて行くだろう。
ただの音楽家・芸術家に留まることなく私は常に「祈り」と共に生き、それを音楽に刻印し続けるこの先の人生を、亡き弟はそっと天から見ていることだろう。
 
その思いに、私も存分に応えたい。
 
生前彼が果たせなかった分も含め、私はいつか宇宙の人々に自身の音楽を手渡したいと願っている。その為の音楽を生み出せるのは私一人しか居ないことも分かっているので、その時に向けて正々堂々と私は生きて行くことを、あらためて胸に誓った。
その手助けをしてくれた夫に今、深く感謝を述べたい。

 

作業と音楽と、グレイ星人と – “Ryuichi Sakamoto + Alva Noto — The Glass House”

こんなにも心を落ち着かせてくれる音楽を夢中で求めるのは、今、私が人生57年の中で最も大きな転機を迎えているからだと思う。
 
私を除く実家の最後の家族が2021年12月初旬に突然この世を去り、彼等の歴史の最後を私が見取ることになった。特に母の壮絶な最期を目の当たりにし、この家の一員として私が生まれた理由や家族や親戚が徹底的に私一人を家族・親戚の輪から排除しに掛かった本当の理由は何なのか‥ 等、これからの第三の人生をリスタートする上で私は、今起きていることの全てを一度まとめたいと思っている。
 
‥こんな時に聞きたくなるもの、そして私の音楽評論家一年目、2021年の音楽評論記事の最後を飾るに相応しい人、相応しい音楽はやはりこの作品だと感じた。
 

 

過去の私を知る人はなぜ、私が彼・坂本龍一氏の作品を私自身の人生の節目の音楽評論の素材としてセレクトしたのか、それをきっと薄々感じ取ってくれるだろう。
 

ここのところアンビエント・ミュージックの大半が模造品の様相を呈しており、これと言って目立つ作品に出会えてはいなかった。
だからこの作品 “Ryuichi Sakamoto + Alva Noto — The Glass House” が唯一無二の作品かと問われると、即座に「Yes!」とは言い難い側面もあるが、2020年から2021年の、この混沌とした時代に静かに、そして不穏なまでに冷静に寄り添ってくれる不思議なアンビエント・ミュージックだ。
 

 

冒頭近くの「A」の音から物語は始まり、途中から “Glass House” に静かな雨が降り始める。これが必然なのか偶然なのかは最早神のみぞ知る事実だが、兎に角全てが厳かに美しく、尚且つ無機的な一面を孕んで進んで行く。
 

冒頭の「A」を起点とした各々の音の断片は次第にコード「Dm」として形になり、それが楽曲全体をワンコードとして包囲し始める。
坂本、Alva Noto等の音の断片に雨音が混ざり合い、やがて坂本が “Glass House” 自体をマレットで鳴らし始める頃には時間の感覚が麻痺して来る。
 

 

地上で奏でられている音楽にも関わらず、空間自体は既に「酸素を持つ宇宙空間」と化している。極力露骨な電子音を叩き出さないよう用心に用心を重ねながら、坂本が “Glass House” にマレットを当てて行くと画面上ではそれが若干「作業」に見えて来る点が、少々残念ではあるが‥。
やはり音楽は純粋に、「音楽」として感じ取りたい。
 

 

たとえ瞬時的にでもそこにパソコン画面やApple(🍎)のマークが視えてしまうと若干集中力が疎外され、我に返った瞬間に彼等の「作業」を感じ取ることになり、正直しらけてしまうのだ(笑)。
 

だがそれはそれとして、この作品 “Ryuichi Sakamoto + Alva Noto — The Glass House” がアンビエント界の中でも秀逸な音楽であることには変わらない。
勿論とても不定形であり機材や環境の偶発性に依存しなければならない点は、音楽として見ればとても不安定であり普遍性の域には到達していないだろう。だが、アンビエント・ミュージックのそれが良さであり欠点でもあると言う点を踏まえながら、この作品に関してはその不安定要素を私はポジティブに解釈し、受け止めたいと思った。
 

心が不安定な時には、むしろ不安定要素(不確定要素)の高い音楽の方が精神を気持ち好く揺さぶってくれるし、不安定な精神状態にむしろ安心材料を与えてくれるから不思議だ。
 

 
ところで‥。
 
坂本が何度か Glass House の窓を連打した後に一瞬写り込んだこの「グレイ星人」と思われる映像は、意図的なものだろうか。
芸術家でありながらも「コンタクティー」でもある私としては、この画像がとても気になって仕方がないのだが‥。⇩
 

グレイ星人らしきもの‥

 
特にYouTubeの記録を観ていると、坂本が “Glass House” 自体を連打する音声が「異星から忍び寄る足音」のようにも聴こえて来る。
もしもそれを意図したものだとすれば、この作品自体が別の意味を持つ。

文字に書けば「陰謀論」として片付けられ、良くない意味で差別されるであろう何かしらのメッセージ性をこの音楽が存分に含んでいるとしたら、これはまさに「未知との遭遇」の音楽版と言えるだろう。
坂本龍一 に Alva Noto がタッグを組んで繰り広げられる音楽だ。そのぐらいのことは簡単にやってのけるだろう。
 

 

アンビエント・ミュージックの制作現場を視える化することが、必ずしも良いことばかりとは言い切れない。機材や多くのコンセントやコード、場合によっては波形や楽譜、手元の様子等が視えてしまうことで夢が失われる。
それを「クールでカッコいい」と思う人も多々居るのは知っているが、私はこういう「作業現場」をあまり見たいとは思わない。
出来れば音楽は作業現場を可視化せずに、聴力や聴覚だけで感じ取りたい派である。
 

さて、この記事の最後に一応Spotify版の “Ryuichi Sakamoto + Alva Noto — [Glass]“ を貼っておく。
視ないで聴くか、視て聴くか‥、その両方から視えて来る各々のアンビエント・ミュージックがきっとあるだろう。
 

横たわるオリーブ [夜活]

ホワイトルームに向かうと、オリーブの樹がぐったりと倒れていた。
一体何があったのかと周囲のガーディアンに尋ねても、誰もその瞬間を視ていなかったと言う。

霊質空間で起きることは、その後必ず三次元にフィードバックされて行くと言う。

樹が倒れている。
良くない暗示だ。

 

永遠の闇 2. [朝活]

星の目が開く朝、トーチの灯が揺れ動く。
夢の彼方のかなしみを地球は今、視て来たばかりだった。

ここまで守り抜いて来た者たちはその主の御心に気付くことなく、やってはいけない祭りにそそのかされて前進している。

それを止めるか己を止めるか、星は岐路の上で泣いている。 

 

魂の帰還 2. [朝活]

暖かな何かが私の顔を撫でて行った。
暖かいだけで何も無い、不思議で久しい感触だった。

ほんの僅かな獣の臭い。それは一瞬だけ、この世に忘れ物を取りに還って来た彼の魂だ。
 


間もなく虹は消えて行く。
彼方まで渡り切ったうさぎの両脚が最後の七色を蹴り上げたら、夢が終わる。

魂の帰還 [朝活]

名もない星が一つ、地上へと降りて行った。
神々から許可が下りたので、もう一度そこからすべてをやり直したいと彼女は云った。

若い夫婦が住む家。そこは百年前に最後にいた場所。 

 

 

誰かの記憶が溢れ出て、若い母親の頬をとめどなく伝い降りて行く。

もうすぐ彼女が還って来る。

人類の執行猶予 3.

昨夜と朝焼けが繋がって、空から降りて来た魂のように夏が安らかに復活する。
露に濡れたギフトが形を変えながら、尚も人類に警鐘を緩めずにそこに在る。
 

今日は昨日の続き。
一億年前からずっと地球がそうして来たように今、人類は一億年後を思い遣らなければならない。神々がそう教えてくれる。

エッセイ 『カオマンガイ』

ギフトは未だそこに在った。雨は程好く降り続いており、人々の喉や粘膜に心地好い湿度を与え続けてくれている。
この分だと今日は、ようやく咳喘息からも開放されるに違いない。予感がしたので早々と外出の支度を始めたが、その予感が10分後に的中する。  
 

「よかったらタイランチ、行きませんか?」 …

はつらつとした文字が、待ち受け画面を突き破って踊り出す。
 

段々と友人が若年化して行くことは、きっと佳きこと。
私が長くこの世に留まり、ワクチンを打った知人達は10年後には多分誰もいなくなるだろうから、なるべくクールで知的でユーモアを交えても態度が崩れ落ちない、そんな要素を備えた若い友人を私は心から求めていた。

 

23歳の彼女は今年の初春までは医療従事者の卵だったが、この世界情勢を踏まえある日いきなり結婚し、その勢いで何の躊躇もなく医師人生を投げ出して、愛する一人の青年の為に生きる将来を選択した。
(私の)夫がテレワークから日勤にシフトする日程を彼女には教えてあるので、頃合いを見て連絡が来る。今日がまさにその日だった。

 

偶然だが二人の食べたいものが一致したので、おんなじメニューを大盛りで注文する。段々と思考回路も体の細胞も同化して来るみたいだと彼女は言うけれど、そんな彼女も感覚が少しずつ開き始めているのかもしれない。 以心伝心の確率が徐々に上がって行く。

 

彼女が悪夢を見る度にLINEのメッセージが届き、話しを聞いて欲しいと懇願して来る。悪夢の主人公が、私の母親らしき人物だからだ。
母は一体これまでに何人の人達を苦しめ、さらにここからどれだけの人達を苦しめたいのだろうか‥。
私を拒絶しながら尚も、未来の私に干渉しようと企んでいるようにも見えて来る。

 

 

悪夢は私の夢でも起きており、立て続けに三日間私は「光る魚」の夢を見た。
いかにも「夢」の、あり得ないような場面設定だが、とある伊豆の海の向こう側におびただしい数の「光る体」を持つ大きな魚の群れが幾つも現れては、海岸に向かって泳いで来る夢だ。

真夜中の海、幻想的なのにどこかスリリングで冷ややかな映像は、私が寝返りを打つまで続く。 ストーリーも大体決まっているので、おそらくどこかの過去世で私は同じような経験をし、それが記憶の糸くずとなって現世の私の喉元にずっと引っ掛かったままになっているのだろう。

 

カオマンガイ

 

「ジンジャーライス、美味しいですよね。」‥

彼女は敬語を絶対に崩さない。私がどんなにラフに話し掛けても彼女は最初に会った時のまま、態度を変えない。そんな彼女の礼儀正しさが私は大好きで、彼女が未だ高校生だった頃からずっと友人関係が続いている。

 

彼女もワクチン接種を思いとどまっている。
同僚や後輩たちが次々と「職域接種」の赤紙を受け取り、集団接種会場へと駆り立てられて行く光景を彼女はきっと、苦しみながら静観していることだろう。  

「本番、最初は今年の冬ですね‥。」

私達は海外の論文を共有し、彼女はそれを翻訳し直して私に正しく説明してくれる。


「副反応じゃなく、怖いのはサイトカインストームの方なんですよね。どんなに話しても、同じ医療従事者達の方がむしろ耳を貸してくれなくて‥。」
彼女は時折泣きそうになりながら私の右手に彼女の左手を重ねるようにして、何とか号泣を止めている。  

「すみません‥、話題を変えますね。どうしてもこう、なんとなくこういう話しになっちゃってごめんなさい。」‥

 

彼女の周囲から友達が減っているのは、目に見えて私にも分かる。
意見の合わない人達と遠ざかったり、或いはワクチンを接種した同じ年の友人がある日突然帰らぬ人になったり、きっと未だ若いから心の整理も付けにくいのだと思う。
良くも悪くも諦めが悪い、でもそれが若さの象徴だから私はそんな彼女を娘のように思い、あえて何も言わない時もある。

 

同じタイミングでカオマンガイを完食した二人。一昨年ならばその後に「コーヒー、ご馳走しますよ。」と彼女が財布を握ってくれていたが、世界はそんな気楽な人と人の関わりを許さない空気で満ちている。  

私: 「続きはLINEでね。帰ったらメール入れるから。」

Zoo呑みならぬ動画なしのLINE喫茶ごっこを開始して、かれこれ90分が経過した。  

 

「今日も楽しかったです。又ご一緒して下さい、私からお誘いしますから。」

ランチのテーブルで全く同じ内容のカオマンガイを前に、各々のカオマンガイを撮影してLINEで交換したら、どっちがどっちのカオマンガイだか分からないくらい似た写真が2枚並んでしまった。  

 

私:「こっちが私(Didier)のカオマンガイよ!だってサラダとスープのお皿をこそっと引っくり返しておいたから。」  

 

来世、生まれ変わる時は姉妹がいいと彼女から頻繁に言われるようになったが、もしもそうなれたら絶対に喧嘩だけはしないように、遺産相続争いにだけはならないようにしたいわね‥ 等と色気のない能書きを垂れる私を娘のように慕ってくれる彼女との関わりが、一日でも長く続きますように‥。

予言 6. 自然神の予定表 – COVIDー19のその先に

1. 見逃されている感染経路

世界共通して、このCOVIDー19を回避するには先ずは密集・密接・密着を回避して適度な換気をすることを第一に掲げていますが、実はそこには大きな落とし穴があります。
私はその旨再三に渡り色々なSNSで訴え続けているのですが、殆どの方々が耳を傾けようとしません。

やはりTVやメディアで知名度のある有識者の意見の方が、人々にとってはリアリティーがあり信頼出来るのかもしれません。それが仮に間違った認識に基づく意見であったとしても、人は「顔」を先ず信じ込むように作られているのかもしれません。

一つ小さな変化として今日、気が付いたことがありました。
それは私が余り好きではない有識者の一人である二木芳人さんが、昼のワイドショーで本当に小声で「空気感染‥」と声を発したことでした。

もしも私が毎日叫び続けている「新型コロナウィルスは空気感染によって拡がっています。」と言う響きが何かしらの経路で二木さんに通じたとしたら、何百回のファウルにめげずに声を上げ続けて好かったと少しだけ光が視えて来たような気もします。
 
 

2. 自然神の予定表

これは今に始まったことではなく私が知る限りでは既に20年近く前から始まっているとされており、幸いにも各々の危機を人間は巧みな知恵と運によって今日までは何とか回避して来ることが出来ました。
但し今回に限っては、自然神はかなり強力な手段で人類の大幅削減にメスを入れ、完全に膿を出し切るまではその手を緩めることはないでしょう。

自然神の予定表を簡単に羅列すると、こうなります。
 

1. ウィルス・パンデミックを数回繰り返す。

2. ウィルス・パンデミックで生き残った人類をさらに削減すべく、自然災害を同時多発的に発生させる。

3. 新たなターゲットとして、宗教イベントに集う人々や政治運動に集う人々にウィルスを拡散させる。

4. ②で壊滅的なダメージを負った地域に食糧危機を発生させ、多くの餓死を発生させる。

5. 複数パターンの自然災害を組み合わせる。
 a. 水害、噴火、地震等を頻発させる。
 b. 陸・空・地中の生き物にウィルスを媒介させ、自然災害で弱り切った土地に住む人々に拡散させる。

以下省略。

 
こうして複合的に色々な災害を組み合わせ、最終的には地球の人口を現在の半分まで激減させて、暫く様子を見るでしょう。
 

 

3. 自然神の次なるターゲットは

現在、中東諸国での新型コロナウィルスの感染者が急増している事実をご存じですか?
既に医療崩壊が起きている地区もあり、各行政が国民に向けて不要不急の外出を控えるよう呼び掛けていますが、中東諸国 ― 特にパレスチナでは「新型コロナウィルスはデマであり、これは宗教弾圧である。」と言うような怪情報が出回っており、国民の多くがマスクをせずにモスク等の礼拝に集うと言う状況が新たな感染者を急増させているようです。

彼等、特にイスラム教の信者にとっては「アッラーが第一」であり、その為ならばコロナだろうがペストだろうが二の次だと考えているのです。
自然神はそうした、宗教の洗脳によって思考停止が起きている多くの人間をここで一掃してしまおうと考えています。

この世界に必要のない人間など居ない‥ とはあくまで綺麗事であり、実際にそうした人々が地球を汚し大気を汚し、ワンネスを全く無視した生活スタイルを変えようとはしないのが現状です。

同じことがカソリック教にも当てはまります。

自然神が人類削減のターゲットに決めている宗教は、イスラム教、キリスト教、儒教の三つの宗教だと話しています。
儒教と言えば中国。先ず中国全土を破壊し、根絶やしにしながら伏線として他の二つの宗教に関わる人たちの多くを一掃して行くと言う、極めて緻密な計画をその通りに既に実行しつつあります。
 
 

4. 新たなウィルスの発生

古今東西に大流行した感染症の発生に共通するのは、主に水害だそうです。
水害によりネズミやその他の、普段は地中で活動する小動物等が地上に顔を出し、普段ならば余り地表には露出することのない多くの菌や危険なウィルス等を人や地上の他の生き物に感染させて行きます。

以下のような危険なニュースが、普通のニュースの脇にふっと埋め込まれているのを最近度々見掛けますが、実はこれ、かなり地上が危険な状況に置かれていることを表しています。
 

 
岡山県では結核の集団感染が起きていると、少し前のニュースで報道されていました。
 

 
もっと怖いのは、おそらく新型コロナウィルスの仲間とも言える「ハンタウィルス」の流行です。

https://www.jsvetsci.jp/veterinary/infect/09-hanta.html

ハンタウィルスはネズミがウィルスを媒介し、人に感染します。致死率は50パーセントと言われ、これが水害の後に地表に現れ拡散し始めると、世界はとんでもないことになります。

潜伏期間が長い点は新型コロナウィルス COVIDー19と同じですが、発症する前に多くの人に無症状患者がウィルスを拡散させてしまうと、多くの人たちが瞬時に発症してしまう可能性は大です。
既に無症状患者から多くの人たちがウィルスを受け取ってしまうと、おそらく瞬く前に死者が急増する可能性は否めません。


自然災害、ウィルス・パンデミック、そして食糧危機のそれこそ「危機の三密」がみつどもえで人類を襲撃する日も、かなしいかなそう遠くない将来の出来事になりそうで私はとても怖いです。
ですが多くの人たちにはその危機感が薄く、本来生き残らなければならない人たちに犠牲者が出るかもしれないと思うと、夜もおちおち眠れません。

行政は「緊急事態宣言」をなるべく発動させずにこの難局を誤魔化しながら乗り切ろうとしていますが、多くの企業戦士たち、サラリーマンたちは実のところかなり怯えながら暮らしています。
都知事の小池百合子さんはリモートワークを推奨していますが、多くの働く人たちはそれを自分の意思で決定する権限を持ちません。そうした人たちの動きを止めるには、先ずは緊急事態宣言を国が発動しなければなりません。

それを受けて各企業のTopが在宅ワークを初めて許可し、サラリーマンたちの通勤の足をそこで初めて止めることが出来るのです。
 
 

5. 原発のある地域で自然災害が発生する

自然神は何より、原子力発電所を嫌っています。あれは地球にあってはならないものであり、これまでにも原発を止める時間はいくらでもありました。
ですが現実は、自然神の思い通りにはなりませんでした。

現在九州各地を襲撃している水害の箇所を見てみると、そこに最近再稼働した原発が建っていることに皆様はお気づきになられているでしょうか?

人間が自らの意思と行動で原発を止めることが出来ないのであれば、我々が手を貸しましょう‥ とばかりに自然神がそこに尋常ではないレベルの水害を引き起こしています。
まるでそれは毎年の気象条件のサイクルの中に営みに見えますが、実は違います。異常気象がそこに手を貸し、水害はこれから益々活発化して行くでしょう。
 
 

6. まとめ

何をどうまとめたら良いのか、もう私にも分からなくなりました。
ですが人間にも生きる権利と言うものがあり、私は自然神と神界との間に板挟みに遭いながらこの状況を静観しています。

内容の性質上、このシリーズの記事を余り明け透けに表に出せないのが辛いところです。私も多くの圧を受けながら、体調不良を繰り返しつつチャネリングを続けており、ここのところ創作活動の手が止まっています。

既に私はアルバム『World of Nature』の最終章にて、この世界が滅亡した後の地球を描いています。それでも私の真意はなかなか人に伝わらず、多くのリスナーの方々がそれを「安らぎの音色」として聴いているのが実情です。
 

“World of Nature” by Didier Merah

 

あなたは生き続けたいですか?
それとも死に向かって歩んで行きたいですか?

 
既に二択が出来る段階は、過ぎてしまったかもしれません。全ての運は天に委ねられました。
ですが自然神にも温情があり、これでも未だ人類の覚醒と改善をそっと祈り続け、待ち続けています。

私からのお願いがあるとすれば、この記事を読まれた方々に是非、然るべき機関にこの記事の内容や存在、そしてこれから訪れる危機的状況が既に計画的に進んでいることについて、メール等で伝えて頂くことです。

是非、皆様のご協力の程、重ねてお願い申し上げます。
 

 

初出: https://note.com/didiermerah/n/n115b24f81533?magazine_key=m6ec27a3be0c9