この頃は、短歌や川柳の作句や出詠の締め切りにかなり追われているわたくしです。当ブログの更新がなかなか進まず、申し訳ありません。
早速今週末の「世界の音楽」、新譜チェックを進めている最中ですが、最近「壊れた音楽」が異常なまでに増えた気がします。
ここで言う「壊れた音楽」とは、基本を踏まずに破壊行為に走ったものを意味します。これは短歌や現代川柳にも同じことが言えるかもしれません。
勿論現代音楽はその最たるものと言えるでしょう。様式美を逸脱したのではなく、そもそも様式も基本も無視した表現ですから、概ね冒頭に「現代〇〇」‥ と付くものに触れる時には注意が必要です。
基本を踏まずに壊れたものは、ただのガラクタだと私は思っています。ガラクタにはガラクタの価値があると言う人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。
利用価値がなくなったものを「ガラクタ」と言うのであり、この世にガラクタ同様に生み出されたものには悲壮感と絶望しか感じない、これは正常な感覚ではないでしょうか。生まれた時に既にガラクタである状態が、完成形なのですから‥。

言ってみれば、SNSはガラクタの温床と言っても過言ではないでしょう。そんなSNSにかつては私も埋没し、情報の多くをSNSで受信し、その真偽を確認することもせずに勢いにまかせてシェアや発信をし続けて居たことを思えば、人の事は言えません。
ですがその危険性に気付いた今だからこそ、過去からの学びを発信するのも又責任と言うものでしょう。
自身の過去の反省点は、必ずあるべき形に戻す為の回収をする、これが私のポリシーです。
スピリチュアルも音楽も政治も、そして短歌や川柳のみならず現代詩の世界も美術家界隈に渡る隅々までガラクタは蔓延しており、それもこれも各業界に於ける評論家が激減したことも大きな要因かもしれません。
医療業界や美容業界を見てもこれは同様で、法整備に抜け穴だらけの法や薬機法等に縛られた専門医が自由に発信出来ない反面、美容ライターのような存在が「好みと合うもの」を良品として紹介する記事を書いている状況があります。
勿論音楽業界でも同じことが多発しており、発信者自身の好みを問わず目の前の作品を虎視眈々と評価する行為に及んでいるようには見えない、虚実混交とも言える情報が蔓延しています。
多くの人たちは真実を知りたいと思うが余りにヒステリックに、或いは衝動的に目前の情報にうっかり同調したり反撃や罵詈雑言に及んだり、そういう状況が当たり前に私の視界に広がって行きます。
最近は現代川柳の句会等を頻繁に覗いてみたりもしているのですが、川柳の原点とも言える「粋さ」の無いただのダジャレの文字列合わせに奔走している柳人(川柳作家)がやたら目に付きます。
ですが彼らの多くは、それが川柳としての基本を踏んでいないことを知りません。上手に言葉を捻っておけばその句は成功だと言う勘違いをしており、そういう自称柳人(比較的若い層に多いかもしれません)が「選」を担当し、句会に出詠された多くの句に点数を付けて良質な句を捨て句に追いやって行く現象に、私はある意味失望を感じています。
音楽も同様、美術界隈も舞踏も皆一緒かもしれません。本物とガラクタの見分けが付かない人たちが、ふとした弾みで「プロ」や「専門家」を名乗れてしまう時代が、まさに今の悪しき状況でしょう。
今週末はリリースされた音楽の質が低いものが多く、各々が自力で良質な作品に出会う道筋をガラクタ作品が完全に塞いでいるように感じました。
なので私はなるべく、そのガラクタをどけた良い状態に整地した音楽環境を各プレイリストに提示しています。
自作品でもないのにここまで力を入れて活動しているには私なりの理由と、リラ星最後の巫女としての責任を感じていることの両方がその理由です。
SNSやこのブログ、そしてサブブログ「ディディエ・メラの音楽倉庫」からの進捗がなかなか捗らない現状ではありますが、水面下で私は実生活の充実と立て直し(転居等を含む)を試みている最中です。
未だ作成段階で温めている最中のPLを、下に貼っておきます。今週末の更新は終わっていないので、時々PLを覗いてみて下さい。
